コメント
this way
(
noga
)
2013-08-27 15:05:33
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第ということか。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
nogaさんへ
(
よっぱ
)
2013-08-28 07:39:46
初めまして。
コメントありがとうございます。
この道はいつか来た道
あ~ぁ そうだよ
とはなりたくないものです。
私の場合、
はっきり言って900日位前までは、何も考えた事はありませんでした。
東海村の臨界事故の時も「ふーん」って感じだったと記憶しています。
事故とはいえ、大惨事や全く収拾つかないようなことにはならないんだろう、ロシアのチェルノブイリじゃあないんだから。日本は…
って
今回も最初は似たような感じでした。
自分もバタバタしていたこともあったのかもしれません。
一つしかない命がいくつあっても足りないのは困ります。
我々は自ら望む事なく危機に陥っているのか、
我々は自ら深く考えていないうちに危機的状況に巻き込まれていく、操作され易い民族となってしまっているのか…
どこかで考え直さなくてはいけないのかもしれませんね。
自分たちの今や未来のためにも
世界にこれ以上迷惑が広がらないためにも。
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安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第ということか。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。
コメントありがとうございます。
この道はいつか来た道
あ~ぁ そうだよ
とはなりたくないものです。
私の場合、
はっきり言って900日位前までは、何も考えた事はありませんでした。
東海村の臨界事故の時も「ふーん」って感じだったと記憶しています。
事故とはいえ、大惨事や全く収拾つかないようなことにはならないんだろう、ロシアのチェルノブイリじゃあないんだから。日本は…
って
今回も最初は似たような感じでした。
自分もバタバタしていたこともあったのかもしれません。
一つしかない命がいくつあっても足りないのは困ります。
我々は自ら望む事なく危機に陥っているのか、
我々は自ら深く考えていないうちに危機的状況に巻き込まれていく、操作され易い民族となってしまっているのか…
どこかで考え直さなくてはいけないのかもしれませんね。
自分たちの今や未来のためにも
世界にこれ以上迷惑が広がらないためにも。