yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.6 ①SAS航空で北欧へ、コペンハーゲンを経由してヘルシンキに着く

2018年06月21日 | 旅行

2018.6 北欧の旅 ①ヘルシンキへ

 ヘルシンキ、ストックホルムはそれぞれ4~5日、歩いたことがあるが、ノルウエー、デンマークはまだ訪ねていない。バルト海のクルーズも経験がない。
 ということで、ヘルシンキ~ストックホルム~オスロ~ベルゲン~コペンハーゲンのツアーに参加した。
 昨日の昼ごろ、成田を発ち、コペンハーゲンを経由して、ヘルシンキに着いた。
 飛行機がSASのため、ヘルシンキを下に見ながらコペンハーゲンまで行って、乗り換えてヘルシンキに戻った。
 その代わり、帰りはコペンハーゲンから直交で成田に帰ることになる。
 前回のストックホルムもオランダ航空を利用したため、アムステルダム経由になった。海外旅行ではよくあるようだ。
 ヘルシンキの時差は日本-6時間、コペンハーゲンは日本-7時間、加えて夏時間、時計の調整が頻繁になった。
 ヘルシンキには夜の8時過ぎに着いたが、まだ明るい。間もなく夏至祭、白夜になるそうだ。
 8時でまだ明るいが、身体は日本時間の真夜中1時ごろ、出歩く元気はなく、部屋でカールスバーグを飲んで早め??日本時間の朝近くに寝た。
 夜も、日本時間の昼間なので目がときどき覚める。
 間もなくヘルシンキ見学に出かけ、夕方から大型客船タリンクシリヤで1泊のバルト海クルーズ、ストックホルムに向かう。
 やや涼しい。日本の4月ごろの陽気。
 

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中津著「ラトビアの涙」を読んで、殺人事件の謎解きをしながら2009年に歩いたリガを思い出した

2018年06月19日 | 斜読

book467 ラトビアの霧 中津文彦 講談社文庫 1991  (斜読・日本の作家一覧)
 北欧を巡るツアーの予習で北欧をキーワードに本を検索したら、その一冊に「ラトビアの涙」があった。エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、バルト海を挟んでスウェーデンと向き合っている。エストニア、ラトビアはスウェーデンの支配を受けたこともあったから、ラトビアの本が北欧に分類されてもおかしくはない。

 2009年にバルト三国の首都、ヴィリニュス、リガ、タリンを夫婦二人で旅した。言葉の通じないドタバタな旅だったが、親切に歓迎してくれ、古都の風景を楽しむことができた・・まだ紀行文は書いていない・・。今回の北欧ツアーとは関係ないが、懐かしくなって読んだ。

 中津文彦氏(1941-2012)は1982年に江戸川乱歩賞を受賞、以後、執筆活動に専念し、1985年には角川小説賞も受賞している。松村喜雄氏の解説によれば、1988年、ソ連作家同盟の招きで小松左京氏、中津氏、松村氏ら7名がモスクワ、リガ、レニングラード=サンクトペテルブルクを訪ね、日ソ推理小説シンポジウムに出席していて、中津氏はシンポジウムやリガの体験をもとにこの本を構想したそうだ・・私たちは歩きが基本の観光だからリガでも旧市街しか見ていないが、中津氏は郊外や海岸まで足を延ばしている、推理小説家は好奇心旺盛で、恐れを知らない積極性がある・・。

序章 
1941年の旧満州の首都・新京=現在の長春の新京警察署分室が舞台として登場する。参事官・川端四郎と警察官・稲葉太が、スパイ容疑でラトビア共和国出身のイーゴリ・ベルコーワを尋問する場面から話が始まる。
 イーゴリには、満州鉄道に務める仲野美智代という恋人がいた。嫌疑は、美智代がイーゴリの指示で極秘文書を読み、その内容をイーゴリに漏らした、という濡れ衣だった。
 イーゴリはすさまじい拷問を受けるが、無実を主張する。美智代が呼び出され、美智代も無実を訴えるが、稲葉の鞭が美智代の両目に当たってしまう。このスパイ嫌疑には、美智代に横恋慕していた男がからんでいるが、序章では誰であるかはまだ伏せられている。

 舞台は変わって、1984年、神戸の相楽園の植え込みで、硫酸で両目を焼かれてショック死した稲葉太の死体が見つかる。神戸新報社会部の瀬尾浩一は取材を進めるが、行き詰まる。

夏空のリガ 
 1988年、文芸担当になった瀬尾は、神戸の姉妹都市であるリガとの交流使節団6名に同行してリガに滞在する。メンバーは、団長・池内、市議・長谷高、作家・湊、作家・二村、詩人・山本、翻訳家・相川である。

 p80~などにラトビア人に対する中津氏の好意的な印象、感想が描写されている・・私たちのリガ滞在はたった2日だが、やはり好感を持てた。ラトビア人はつらい歴史にもかかわらず、大らかであり、独立運動で見せたように強固な意志、行動力をももっている・・
 通訳はラトビア美人のナターリアで、瀬尾はナターリアに魅了される。この本の表紙の女性がナターリアのイメージのようだ。
 p119~交流使節団はソ連作家同盟ラトビア支部を親善訪問する。出席者はドミトリー・ウルマニス、アレクサンドル・プルカ、イワルス・ブランスキー、内務省勤務のゲオルギー・ツィルリス大佐である・・日本の松本清張、江戸川乱歩、森村誠一らの翻訳本が人気、なども紹介されるが事件とはずれるので省略・・。
 推理好きでなくても、序章の事件が交流使節団、ラトビア支部の誰か、あるいは何かと結びつくと予想するはずで、中津氏の伏線を行間から読み取ろうとするのではないだろうか。中津氏はさりげなく、イワルスが1984年に神戸、奈良、広島を旅したこと、レオニード、アレクサンドル、ナターリアも1984年に姉妹都市10周年記念で神戸にいたことを述べる。
 

消えた男 
 長谷高が集合時間になっても顔を現さない。やむを得ず、民族屋外博物館やバルト海での琥珀探しに出かける。中津氏によるリガ観光名所紹介である・・私たちは、残念ながら琥珀海岸には行けず、街中の琥珀店で目を楽しませた・・。

 ホテルに戻るが長谷高は消えたままだった。手がかりを探そうと長谷高の部屋に入る。そこで稲葉太と書かれたメモを見つける。瀬尾は、1984年の瀬尾の死と長谷高行方不明との関連が気になり、神戸新報に調査を頼む。
 p190~翌日、神戸新報から、かつて長谷高は豪農、稲葉が小作だったこと、さらに長谷高が満鉄に就職したこと、稲葉の葬儀に長谷高が顔を出したことが知らされる。ここまで読むと全体の構図があるていど読めるし、おぼろげながらイーゴリー、美智代が浮かび上がり、ナターリアの存在も予測できそうだ。

琥珀色の涙 
 p222~にドムスキー大聖堂のオルガン演奏が紹介される・・自由旅行だった私たちはドムスキー大聖堂を見学した記憶があるが、7000本パイプによるオルガン演奏のことはまったく知らなかった、リガを旅する予定があれば、この本を読み、琥珀探しとオルガン演奏を楽しんではどうだろうか・・。

 この章で、事件が解明され、琥珀色の涙が流れる。あとは読んでのお楽しみに。

終章

 中津氏は、殺人事件の推理に、満州国、バルト三国独立などの世界史も盛り込み、さりげなく風光明媚で人柄もよく美人の多いラトビアも紹介している。事件解明を推理しながら、リガの旅を思い出すことができた。(2018.6)  

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バイキング・ビッケシリーズは小学生向けの児童書、大人顔負けのビッケの智恵で難関を切り抜ける

2018年06月16日 | 斜読

book466 小さなバイキング ビッケ ルーネル・ヨンソン 評論社 2011
 北欧を訪ねるので、予習の本を探した。ヨーロッパでベストセラーになり推理協会の賞も取った本を数冊見つけ、それぞれ借りて数ページ読んだが、どれも事件が陰惨すぎた。社会の一側面は分かるが観光旅行の予習には向かない。

 かつて、スカンディナヴィア、バルト海沿岸を本拠とするヴァイキングが、ヨーロッパ~地中海沿岸で略奪、侵略を働いた話は知っている。視点を変え、ヴァイキングをキーワードに本を検索し直したら、子ども向けで大人気の「バイキング ビッケシリーズ」がヒットした。
 作者はスウェーデン人である。スウェーデンやノルウェーでは子どものころからヴァイキングに馴染んでいるのであろう。「バイキング ビッケ」シリーズは、図書館の児童書コーナーに配置されている。小学生低学年向きだったので、童心になって読んだ。

 子ども向けの本は筋が単純化されている。登場人物の役割も、知恵がある・おっちょこちょい・力持ち・勇気がある・善人悪人など、はっきりしている。
 事件が起き、困った!どうする?と子どもに思わせるが、主役となる少年少女が仲間と力を合わせながら、解決していく、あるいは目的を達していき、大団円で終わる展開がいいようだ。
 子どものころは、はらはらしながら主役に感情移入し、自分も参加した気分で見事に難事業を成し遂げ、主役といっしょに次なる冒険をめざす、といった本を読むと、子ども心に夢が膨らみ、積極的に行動するようになるのではないだろうか。少なくとも、小さなキーボードと苦闘するゲームよりは精神的に健康に育つと思う。

 要所要所に、エーヴェット・カールソンによる挿絵が挿入されている。挿絵はユーモアたっぷりの描写で、子ども心を楽しませてくれる。

1.ビッケ、オオカミに追いかけられる 
 まだ少年のビッケがオオカミに追いかけられている場面から、まだオオカミと戦えるほどの力は無いが、オオカミの習性をよく知っていて、知恵を働かせオオカミを気絶させるビッケの力量をさらりと紹介している。
 p12には、ハチミツを塗ったパン、チーズをのせたパンなど、ビッケの食事を通してヴァイキングの食事に触れている。
 ビッケの父ハルバルは勇猛で、フラーケ地方の族長を務めているが、ビッケの母イルバに頭が上がらないこともさらりと描かれている。子ども向けの本ではよくある設定である。p17にアースガルドの神々、p19に漁、狩り、p23塩商人が登場する。ヴァイキングは信心深く、普段は漁業、狩猟、交易を生業としていた
ことが理解できる。
 

2.ビッケとハルバル、石はこび競争をする
  親子の他愛ない力比べの話で、父ハルバルは怪力で石運びをするが、ビッケは投石機を活用して石を投げ飛ばし、わずかな差でビッケが勝つ。ハルバルは男らしく負けを認め、知恵者のビッケを夏のヴァイキング遠征に連れて行くことにする。


3.バイキング、罠にはまる
  ビッケたちのヴァイキング船は32組のオールがつき、中央にマストが立っていて、舳先から艫に竜骨が走り、船底は厚板で、船足は遅いが長い航海に適したつくりだそうだ。さっそく財宝のありそうな建物を見つける。
 しかし、ここの領主は罠を仕掛けていて、全員がとらえられ、閉じ込められてしまう。ビッケは途中でノコギリエイを見つけていて、ノコギリエイのくちばしを使って閉じ込められた建物から逃げ出す。
 追いかけてきた領主は、金貨10枚、桶100、ネックレス50、杯25、お椀20とノコギリエイの交換を申し出る。子どもは、ノコギリエイのくちばしで木を切ったり、金銀財宝と交換する場面で大いに喝采するのではないだろうか。
 p63にスウェーデン人も襲来した話が出るので、スウェーデンのヴァイキングも常識のようだ。

4.バイキング、竜頭船に追われる
  オランダ・フリースランド人のヴァイキングが3隻の竜頭船に乗って現れる。
 p115に、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのヴァイキングは船が出会ったときは手を振り、病気の流行を知らせあうなど粗野だが礼儀もわきまえているが、フリースランド人は他人の物は自分の物と略奪する野蛮人、と記している。民族性の違いだろうか。
 その竜頭船は48組のオールを備えていて、すぐそこまで迫ってきた。ハルバルたちはヴァイキングらしく戦う覚悟だったが、ビッケのアイデアでハルバルが火の付いた矢を竜頭船の帆に放ち、難関を切り抜ける。子どもたちはここでも拍手喝采するのではないだろうか。

以下、5.フランク人の城 、6.デンマークの海峡税 と展開し、ビッケの智恵で切り抜け、7.終わりよければ、すべてよしとなる。
 小学生の子どもにおすすめである。(2018.6)

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五木著「金沢さんぽ」は見えないところで変わらず生き続ける金沢のエッセイ集

2018年06月14日 | 斜読

book465 五木寛之の金沢さんぽ 五木寛之 講談社 2015 (斜読・日本の作家一覧)
 2018年5月に金沢を訪ねた。予習の本を探しているとき、五木寛之(1932-)著の金沢を舞台にした本を何冊かみつけた。その一冊、「風花の人」を持参し、新幹線で読み始めた。情景の描写はさすが五木氏と思ったが、内容が馴染みにくかったので読むのを止めた。金沢から戻って、復習になるかなと思い「金沢さんぽ」を読んだ。

 五木氏は1953年に始めて金沢に泊まり、その後結婚して金沢にしばらく住み、横浜に移り住んだあとも金沢を訪ねている。p6~まえがきに、・・金沢という街について・・たくさんの文章を書いてきた・・私が新人としてデビューしたのは金沢で暮らしていた時期・・金沢をもう一つの故郷のように感じる・・見えないところで変わらず生き続けるものもある・・ここにおさめられた文章は・・その時どきの私の本音を写している・・金沢という街の背後に隠された艶やかな気配を伝えたい・・と記すように、五木氏の人生観が短い文の中に込められている。

 エッセイの多くは金沢の街を背景にしていて、私も金沢訪問中に同じ場所も歩いたが、観光は滞在時間も限られ、見方も表層にとどまりがちになる。この本を通して、街の背後に隠された気配をうかがうことができた。まさに復習になった。

もう一つの故郷
 最初のエッセイ「わが金沢」で、・・p14 老婦人のみごとな平静さ・・に腹を立てながらも、・・p15そんな頑固さに惹かれた・・、その一方、・・p19過去の金沢の幻を追い求めて旅をするのは愚かなこと・・伝統は現在に生きてこそ意味をもつと金沢の美への鋭い感覚に気づき、・・p19 金沢に移住しようと決心したのは・・頑固な、もっと古い日本の街に住みたいと思った・・p20京都はやさしさの陰に冷たさがある・・金沢には表面的な冷たさの背後にやさしさがひそんでいる、と記している。文人のするどい感覚が金沢を第2の故郷と感じさせたようだ。
 以下、「古い街の新しい朝」「12月8日の夜の雪」「去年の雪いまいずこ」「内灘の風景」「1月は文学書の季節」「Jくんへの手紙 極楽とんぼのころ」のエッセイが続く。

 以下エッセイのタイトルを列挙する。
古い街、新しい風
 「金沢主計町の名なし坂」「暖冬や北前船の夢のあと」「時代はメリー・ゴーランド」「木菟軒ボクトケンまた旅日記」「梅雨明け列島旅だより」「2003年馳走の雑録」「金沢への旅録」「8月末の金沢」「古い街に吹く新しい風」
ふりむけば鏡花
 「風に吹かれて北陸路」「金沢で四方山ばなし」「北の都にともる灯」「サクラ咲いたか旅模様」「画家と作家の間には」「人間の運命と歎異抄」「養生と宗教の間には」「泉鏡花賞の季節に思う」
加賀百万石の面影
 「金沢は御堂を中心にして生まれた寺内町」「砂金洗いの沢から金沢に」「一向一揆は祭政一致だった」「隠されたこころが熱くなる歴史」「加賀百万石のイメージの下にある“もう一つの金沢”」「敷石を剥ぐと、そこに自由の海と輝く大地が」「内灘砂丘フェスのこと」「百寺巡礼の途上にて」
北陸ひとり旅
 「秋ふかし北陸路の休日」に続く「びっくり本線日本海」でも、・・p179金沢は品が良い、穏やかで落ち着いた雰囲気・・と県民性をあげながらも、金沢に惹かれる気持ちをうかがわせている。
 続いて、「ふりむけば日本海・・・」「夜行寝台列車で金沢へ」「富山土産は薬と鱒寿司」が並ぶ。

 「金沢さんぽ」から五木氏の独特の人生観に触れることができるし、随所の伝統に頑固でありながらも新しい美を採り入れようとする金沢人の気質がにじんでいる。私が訪ねたときは修学旅行シーズンで、加えて外国人観光客が列をなしていたから、有名観光地は観光客であふれていた。しかし、一本、道を外れると静かな金沢が佇んでいて、「金沢さんぽ」に描かれる金沢人の気質の片鱗を感じることができる。(2018.5)

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2018.5 みどりの日に旧古河庭園・六義園を歩く、バラも新緑も人出にかなわず

2018年06月11日 | よしなしごと

2018.5 連休に旧古河庭園+六義園巡り、バラと新緑と人混み

 春めいてきたころ、カミさんがバラ愛好家の知人からバラをもらった。さっそく100円ショップで花壇用の土を買ってきて大きな植木鉢に移しかえ、日当たりのいいバルコニーに置いてせっせと水を差した。ジェントルハーマイオニーという名で、やがて小さなつぼみが膨らみ、わずかに黄色みがかった白バラが咲いた。続いて一輪、また一輪と咲き続けてくれた。

 テレビでもバラが見ごろとバラ園を紹介していて、国指定名勝旧古河庭園を思い出した。旧古河庭園はテラス式の洋風庭園と日本庭園があり、洋風庭園には有名人の名が付いたバラが栽培されていたが、訪ねたのが夏の終わり?でバラは咲いていなかった。

 今回は咲き誇ったバラを楽しもうと、5月のみどりの日に、旧古河庭園を訪ねた。旧古河庭園はJR京浜東北線上中里駅から徒歩6~7分である。上中里駅で降りるのは前回旧古河庭園を訪ねて以来、2度目である。駅を降りるとバラを目指していそうな人がけっこう降りた。駅前通りにも、大通りにもそれらしい人が歩いている。庭園入口前にも待ち合わせ?、見終わった?人で混み合っている。

 入園料は一般150円、65才以上70円で廉価だが、みどりの日は庭園無料開放日だった。無料だから混雑に拍車というわけでもなかろうが、門の先も人人人・・の混みようだった。目当てはバラのようで、何人もの人が咲き誇ったバラの周りを囲み、カメラを構え、自撮りしているので、バラに近づけない・・写真の洋館手前がバラ園だが、人混みにバラが隠れている・・。
 人垣をすり抜け、バラ園を一回りする。バラ園の南はツツジ園だが、花の盛りは過ぎたようだ。さらに南を下ると日本庭園が広がる。京都の名園を手がけた小川治兵衛(1860-1933)の作で、心字池を中心に、渓谷、梅林、灯籠、枯滝、見晴台、大滝、茶室が配置されていて、味わい深いが、ここも人人で、見どころのベンチは埋まっている。同じようなことを考え、同じように行動する人がいかに多いか。

 洋館でゆっくりしようかと思ったら、結婚披露パーティで貸し切りになっていた。この洋館は、日本の建築学の祖といえるジョサイア・コンドル(1852-1920)が、伊藤博文内閣外務大臣などを歴任した陸奥宗光(1844-1897)の館として設計した、重厚な構えが見どころである。結婚披露パーティにいいところを選んだと思う。

 バラも洋館も心残りだが、ゆっくりする場所がないので、退園する。本郷通りを駒込に向かって歩くと特別名勝・六義園がある。六義園には紅葉のころに来たことがある。バラ園はないが、回遊式築山泉水の大名庭園でのんびりできそうである。

 10数分歩くと左に駒込駅が見えてくる。六義園は350m~400mほどの広大な敷地で、通常は南側の正門が入園口になるが、駒込駅側=北東の染井門が開いていた。一般300円、65才以上150円の入園料も無料だから、みどりの日のためのようだ。

 染井門から入る。千里場=馬場跡の樹林はうっそうとしていて都心を感じさせない。染井は、江戸時代の染井村にちなみ、染井村には植木職人が多く住んでいたそうで、このあたりはまだ田園の面影を見せていたかも知れない。
 3~4分、樹林を歩くと視界が開ける。しだれ桜の前の広場で、大道芸が披露されていた。これもみどりの日の催しのようだ。取り巻いた観衆が拍手喝采をしていた横を抜ける。しだれ桜はかなりの大木で、シーズンにはライトアップされ大勢を楽しませるそうだが、前回は紅葉の時期、今回は連休なので、またもお預けである。

 六義園は川越藩主・柳沢吉保によって1702年に築園された。和歌を主題に造園されていて、回遊しながら和歌の情景を楽しむことができる、とされる。和歌に疎ければ、情景から和歌が浮かばないので楽しみは半分になるが、それでも十分に目を楽しませることができるほど、変化に富んでいる。しだれ桜の先の内庭大門を抜けると、左に樹林を背景にした茶室が見え、右に進むと大きな池に出る。向こうに妹山・背山、その右手に出汐港、中ほどが和歌浦、左手前に蓬莱島、対岸に吹上茶屋が見える(写真、ホームページ参照)。

 左に上ると渓流の音を楽しむ滝見茶屋がある。前回は補修工事で上れなかったので山側を歩く。新緑のなかに、初夏に色づく春紅葉が混じる。つつじ茶屋を眺め、吹上峰を下り、白鳳橋を渡って、藤代峠を過ぎ、渡月橋を渡る。実はどこも人出で休むところがなかった。外国人も少なくない。渡月橋から千里場に戻り、染井門から退園した。
 近くで遅めのランチを取り帰路につく。歩数計は12000歩ほど、手ごろな散策だが、人出が多すぎた。連休、休日は避けた方がよさそうだ。(2018.6)

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