yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2006年の盛夏、京都・永観堂と法然院を訪ねる、私たちを越えた大きな力を信じることが大事

2016年03月10日 | 旅行

2006 京都・滋賀を行く1 永観堂・法然院 /2006.8記

 2006年8月、京都を訪ねた。京都は盆地で真夏はかなり暑くなると思ったが、長く、日本の歴史、文化、政治の中心だったわけだから、暑さをしのげないはずはないと考えた・・しかし、暑かった・・。
 最初に訪ねたのは、永観堂禅林寺。
 始まりは863年、祖は弘法大師の高弟・真紹僧都である。それからおよそ200年、永観律師が寺をおさめ、恵まれない人々のために奔走したことから永観堂と呼ばれるようになった。
 1082年2月15日の早朝、永観律師が阿弥陀堂で念仏行に励んでいると阿弥陀仏が壇から降りてきて永観を先導した。驚いた永観が立ち止まったところ、阿弥陀仏が振り返り、「永観、遅し」と声をかけた。
 それ以来、この阿弥陀仏は首を左に傾けているそうで、「みかえり阿弥陀仏」として信仰を集めている。
 実際に木造の彫刻が動いたり声をかけたりするのは、現代の感覚では信じがたい。が、念仏行で無心になっていたら、阿弥陀仏が先導し、声をかけてくる想念にとらわれることはあり得よう。
 それだけ、永観律師が阿弥陀仏に帰依していたということではないか。それが伝説であるか、真実であるかを論じるよりも、私たちを越えた大きな力を信じることが大事である、と思う・・。

 次に法然院を訪ねた。
 ・・鎌倉時代、法然上人は如意が嶽のふもとに草庵を建て、修行を行った。法然上人の教えが広がるにつれ、他の宗派から反発が強くなり、弟子の事件をきっかけに讃岐に流罪となってしまう。
 江戸時代、忍澂上人が法然の寺を再考しようと、浄土宗総本山知恩院の萬無上人と相談、徳川家綱に願い出て善気山のふもとに土地を拝領することができた。
 1681年に寺が完成、山の名、ゆかりの法然、力を貸してくれた萬無上人にちなみ、善気山法然院萬無教寺と名付けた。
 法然は、「往生はひとえに仏の力ばかりにて候べきなり」とする他力=仏の力による極楽往生を説き、ひたすら阿弥陀仏を信じ、南無阿弥陀仏を唱えよと教える。
 この教えは分かりやすく、当時の農民層にひろく浸透するとともに、さらに親鸞や蓮如に浄土真宗を開かせていくことになる。
 その原点は、阿弥陀仏を心から信じれば、必ず阿弥陀仏が道を開いてくれるという、「他力本願」にある。仏像はシンボルとしての具象であって、真意は目に見えない大きな力の存在を信じることである。
 凡人にはなかなか見えないが、永観律師のように修行が極まると阿弥陀仏が声をかけてくるはずだ・・。

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「ハプスブルク家の人々」は表舞台から落ちこぼれた人々のエピソードである

2016年03月08日 | 斜読

b411 ハプスブルク家の人々 菊地良生 新人物文庫 2009 /2016.3読
 スペインでハプスブルク家が台頭するのは、カルロス1世=カール5世からである。
 カルロスの母はカステーリャ女王となるフアナで、父はハプスブルク家のフィリップである。二人が結婚し、カルロスが生まれたころは、ハプスブルク家の領主はフィリップの父マクシミリアン1世だった。
 フアナの母はカステーリャ女王イサベル1世、父はアラゴン王フェルナンド2世で、フアナには姉も兄もいたが、二人とも亡くなり、イサベル1世はカステーリャ王国の後継者にフアナを指名した。
 フアナが女王なら、夫フィリップは王となるはずだが、病死?する。
 マクシミリアン1世は息を引き取るとき後継者に孫のカルロスを指名し、カルロスは神聖ローマ皇帝カール5世となる。
 フアナは精神を患ったため、父フェルナンド2世によって幽閉され、孫のカルロスをカステーリャ王国の名代とする。
 フェルナンド2世が息を引き取るとき、カルロスをアラゴン王国の後継者に指名する。
 こうしてカルロス1世=カール5世は、スペイン+ハプスブルク領の広大な領土に君臨することになる。

 といった表舞台で華々しく活躍する人々の陰には、日の当たらない人々もたくさんいた。
 ドイツ・オーストリア文化史に造詣の深い著者菊池氏は、あえて、日の当たらない人々を取り上げて紹介したのがこの本である。
 ハプスブルク家の世界史での活躍は、13世紀に始まり20世紀まで続くから、ヨーロッパ史、世界史に大きく影響した。ヨーロッパ史、世界史に登場するのは本流の人々であり、多くの本、資料で取り上げられているので、亜流の人々を取り上げたこの本は異色であろう。
 それぞれのエピソードは短いし、著者は資料を基にしながら軽やかなエッセー調で書き上げているので読みやすい。
 ただし、多少なりともヨーロッパ史とハプスブルク家の流れと功績が分からないと、登場人物とエピソードがどんな意味合いなのか理解しにくくなる。
 本流で活躍した人の本とあわせ読みするといいかもしれない。

 

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クィネル著「地獄の静かな夜」は短編集、通勤や息抜きに向いている

2016年03月03日 | 斜読

斜読 book410 「地獄の静かな夜」A.J.クィネル 集英社 2001 /2016.1読
クィネルの長編は展開がドラマティックであり、暴力・殺戮場面が多いが、社会の裏にはびこる不正を正そうとする主張が盛り込まれていて、すでに2冊読んでいる。
 いずれも訳者は大熊榮氏で、大熊氏は翻訳の打ち合わせで?、マルタ共和国に住んでいるクィネルに会いに行ったそうだ。そこで、大熊氏はクィネルに短編の連作を提案したところ、クィネルは乗り気になり、大熊氏あてに「手錠」「愛馬グラディエーター」「バッファロー」「ヴィーナス・カプセル」「64時間」「ニューヨーク・ニューイヤー」「地獄の静かな夜」の短編を届けた。
 それを一冊にしたのが、この本である。7編は独立していて、それぞれ完結している。

 たとえば、「愛馬グラディエーターGradiatorは、つねづね夫から暴力を受けていた夫人がついに家出を決意し、車を走らせていて、運転を誤り、車が動かなくなるが、地獄から戻ってきたような顔の男に助けられる話である・・この地獄から戻ってきた顔の男が、クィネルの人気シリーズの主人公である元傭兵クリーシィーのイメージ・・。
 夫人は愛馬グラディエーターを大事にしていたが、夫は家出した夫人への恨みを晴らそうとして愛馬を痛めつけたらしい。ところが興奮した愛馬が足蹴りをし、夫は息を引き取る。
 自業自得として事件は解決するが、あとで夫人は愛馬の蹄鉄がいつもの蹄鉄と違うことを鍛冶屋から聞く。どうやら夫人を助けてくれた男が、夫の暴力を知り、蹄鉄を使って密かに仇討ちをしてくれたようだ」といった内容である。 

  短編は物語が始まった途端、劇的な舞台転換とか、推理に推理を重ねたうえでのどんでん返しとか、主人公と悪との息詰まるサスペンスとかを盛り込む間もなく、完結してしまう。
 だから、感情移入もできないまま読み終えてしまう。その分、ヒューマニティの重み、著者のいわんとすることが淡白になってしまう。
 逆にいえば、気楽に読み流せるし、それぞれが短いから、通勤のときとか、待ち合わせのときとか、ちょっとした息抜きに向いている。

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