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2016京都を歩く ⑮醍醐天皇創建の醍醐寺は豊臣秀吉によって移築再建された、堂宇は背山臨水に配置されている

2016年10月20日 | 旅行

 2016年5月京都を歩く ⑮醍醐寺 醍醐天皇 豊臣秀吉 唐門 仁王門 背山臨水 金堂 薬師如来 

 5月7日・土曜、薄日が射している。近くのV店でモーニングセットのサンドイッチを食べた。
 広い店がほぼ満席だった。近所の人だろうか、普段着も少なくない。土曜だから朝の調理を休み、ここで食べているのかも知れない。

 新幹線は3時過ぎの指定席を予約しておいた・・京都は途中駅であり、有名観光地で自由席では座れないため・・。ホテルをチェックアウトし、京都駅のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になる。
 京都駅から琵琶湖線で山科駅に向かい、山科駅で地下鉄東西線に乗り換えて醍醐駅で降りた。
 目指すは醍醐寺、駅から上り傾斜を10分ほど歩く。住宅街を抜けると白い漆喰塀に囲まれた境内になり、総門が出迎えている。

 あとでもらったパンフレットによれば総門から西大門に向かう参道の左手が三宝院、右手に霊宝館が建っている。
 三宝院は1115年創建、現在の建物は豊臣秀吉による1598年の再建で、唐門や表書院は国宝、その他の建造物のほとんどが重要文化財、庭園は秀吉設計で特別史跡、特別名勝に指定されているそうだ。

 唐門は参道に面している。勅使を迎えるための勅使門であり、平時は閉まっている。
 檜皮葺の屋根が唐破風のため、唐門と通称されるようだ。両開きの扉には金箔の桐の紋、扉横の板塀には金箔の菊の紋が飾られていて、絢爛さを見せつけている(写真)。

 参道右手の霊宝館は醍醐寺が所蔵する寺宝10万点が納められていて、特別展に公開される。いまはその特別展の時期になる。秀吉好みの表書院も引かれるし、いましか見られない特別展も気になるが後回しにして、醍醐寺参拝に向かった。
 参道の正面に仁王門西大門が構えている。1605年、豊臣秀頼による再建で、阿吽の仁王像がにらみをきかせていることから仁王門が通称になっている。
 ここでチケットを購入する。パンフレットもここでもらう。

 西大門を抜けるとうっそうとした樹林に包まれる。醍醐寺は山裾に立地しているから、山林を切り拓いて寺にしたようだ。だからどの建物もうっそうとして樹林を背にしている。
 木が多いと空気が澄み渡るだけでなく、ひんやりとしてピンと張り詰めたように感じる。煩悩を忘れ、仏道に励むのに適しているのであろう。

 参道はL字に曲り、また北に上っている。西大門の受付でもらったパンフレットを見ると、境内は南北に延びていて、西側の山裾を背にして金堂、不動堂、真如三昧耶堂、観音堂、弁天堂が一列に並んでいる。
 東には小さな川が流れているから、背山臨水、つまり風水に則った配置のようだ。
 ほかに、清瀧宮、五重塔、阻止道、鐘楼堂、寿庵、成身院が建っているから、いかに境内が広いか想像できよう。

 まずは国宝の金堂に参拝する。創建は醍醐天皇である。
 醍醐天皇の父である宇多天皇は東寺で真言宗の阿闍梨となっている。東寺は嵯峨天皇より空海に下賜されて以降、真言密教の根本道場として栄えたから、醍醐天皇も真言宗の信仰が厚かったに違いない。
 後述するが、空海の孫弟子の聖宝が開いた醍醐寺に帰依していたそうで、金堂の創建になったようだ。
 当初の堂宇は焼失し、豊臣秀吉が紀州からの移築を命じて、1600年、豊臣秀頼の代にいまの金堂が完成した。
 醍醐寺の本尊である薬師如来が安置されているが、堂内はかなり暗く、顔の穏やかさは分からなかった。
  

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