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2018.3 北斎「九段坂牛ヶ渕」は広重「飯田町九段」と見比べるとデフォルメがよく分かる

2018年04月04日 | よしなしごと

2018.3 靖国神社・桜標本木→千鳥ヶ淵・桜トンネル→上野の桜 ①北斎「九段坂牛ヶ渕」

 今年の桜は例年より10日ほど早い。散歩がてら近所の桜を見歩いていると、早い桜は風に乗って飛び始めた。
 2017年は4月5日に千鳥ヶ淵の桜を見たあと、上野・国立博物館で「博物館でお花見を」楽しんだ。
 今年は晴天が続き、陽気もいいので昨年より6日早い3月31日に千鳥ヶ淵の花見に出かけた。昨年は東西線竹橋から半蔵門線半蔵門まで歩いた。今年は東西線九段下から歩き始め、靖国神社に寄り、千鳥ヶ淵の桜を眺め、有楽町線桜田門まで歩く予定にした。
 家を10時ごろ出て、JRと地下鉄を乗り継ぎ、九段下駅で降りた。地下鉄を出て少し先の歩道脇に、葛飾北斎(1760-1849)の浮世絵「九段坂牛ヶ渕」の複製と説明が石板にはめ込まれていた(写真)。
 葛飾北斎は浮世絵における風景画を確立した第1人者として知られる。北斎の極端なデフォルメと色彩に特徴付けられた浮世絵は19世紀のヨーロッパ若手画家に大きな影響を与え、印象派へと発展したというのが通説である。確かに「九段坂牛ヶ渕」の構図は大胆である。江戸・九段とは思えない雄大さまで感じる。

 浮世絵師歌川広重=安藤広重(1797-1858)も北斎に並び優れた浮世絵、風景画でよく知られる。同じ場所を描いた広重の「東都名所つくしの内 飯田町九段坂」と見比べると、北斎が極端に風景を変形させ、強調しているかが分かる。
 広重図では左の江戸城石垣が高く築かれているが、北斎画では石垣は描かれていない。北斎画の牛ヶ渕はとてつもなく深そうで、見えないはずの千鳥ヶ淵を遠景に加えている。北斎画の右の九段坂は急峻で狭い山道のようだが、広重画の九段坂は当時の武家屋敷街の様子を描いている。
 広重の狙いはまさに「東都名所つくし」で、江戸の町民の名所巡りの観光案内本として重宝されたに違いない。

 一方の北斎の風景画は、印象に残った場面を切り取り、印象を際立たせるよう強調し、ときには俯瞰したように描き、ときには遠近画法から離れ小さく遠くして風景を遠大にするなど自由闊達な表現を楽しんでいる。江戸の町民は、卓抜した表現に度肝を抜かれたのではないだろうか。

 九段の名は、いずれの絵にも右端に描かれているように斜面を九段に造成して屋敷地にしたことに由来する。
 また牛ヶ渕、千鳥ヶ淵の淵は川を堰き止めた堀で、人工的に掘って水を貯めた堀は半蔵濠桜田濠など濠と呼び分けている。いつも不勉強に気づく。

 話を戻して、道路脇の北斎の風景画・説明坂は小さすぎる。二人がのぞき込むと隠れてしまう。私の前に見ていた人が立ち去るところだったので発見できたが、二人がもう少しのぞき込んでいたら見逃すところだった。もう少し大きく、できればもう少し高い位置にし、北斎・浮世絵 HOKUSAI Ukiyoeの見出しを目立つように付けてはどうだろうか。さらに九段あたりの地図を添え、どこからどこを描いたかも図示すると、理解しやすい。続く

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