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2021.12+2022.5日光東照宮を歩く4 本社 眠り猫

2022年10月11日 | 旅行

栃木を歩く>  2021.12+2022.5 日光東照宮を歩く4 本社/拝殿・石の間・本殿 眠り猫

 日光東照宮唐門本殿に向かって一礼し、透塀を眺めながら右に進むと本社と祈祷殿のあいだに屋根をかけた本社参拝の出入口がある。下足箱にスニーカーを入れ、参拝順路に従って歩く。
 国宝の本社は北側奥の本殿、あいだの石の間、南側の拝殿からなる権現造で、参拝者順路は石の間の東側を眺めながら拝殿南側に折れ、階段を上って拝殿に入り、拝殿から階段を下った先の石の間、石の間の向こうの階段を上った本殿に参拝し、順路を戻ることになるが、撮影禁止なので記憶がやや不確かである。
 参拝者順路から拝殿の床組みを眺めることができる。床は持ち送りの木組みで支えられていて、木組みはすべて金箔で縁取りした黒漆で仕上げられ、彩色豊かな彫刻で埋められている。
 2022年4月に埼玉県妻沼の国宝聖天山歓喜院を参拝した。歓喜院も権現造で、ガイドが日光東照宮建立で腕を振るった棟梁、職人たちの子孫、弟子が妻沼聖天山に再結集し歓喜院を完成させた、と説明していた。日光東照宮本社に比べ聖天山歓喜院の規模は小さいが、東照宮に倣った床組み、彩色豊かな彫刻は見応えがある。写真撮影もできる。日光東照宮の予習・復習にお勧めである(HP埼玉を歩く「2022.4桜を歩く3・国宝妻沼聖天山歓喜院」参照)。

 日光東照宮に話を戻す。拝殿、石の間、本殿はいずれも徳川2代秀忠(1579-1632)による東照社造営の1617年に創建され、徳川3代家光(1604-1651)により1636年に建て替えられた。
 拝観順路からは部分的しか見えないが、資料によると拝殿は間口9間、奥行き4間、銅瓦葺き入母屋屋根、石の間は間口3間、奥行き1間、銅瓦両葺き下ろし屋根、本殿は間口5間、奥行き5間、銅瓦葺き入母屋屋根である。
 拝殿に向拝がつけられているうえ、階段を上るので足下に気を取られて上部を見損なってしまったが、拝殿千鳥破風下に、唐破風下に家康の干支である寅にちなむと対の雌虎のイメージのが描かれ、向拝を支える海老虹梁に、柱上部の頭貫にの頭が彫刻されていたらしい。
 拝殿は畳敷きの63畳と広い。天井は折り上げ格天井で格子ごとに狩野探幽を始めとする狩野派の絵師による異なった龍が描かれ、「百間百種の龍」と呼ばれているそうだ(写真web転載)。大名たちの参拝は拝殿までとされた。いまも参拝者は拝殿までだったと記憶している。
 拝殿の右に18畳の「将軍着座の間」、左に18畳の「法親王着座の間」と呼ばれる別室が続いているらしい。非公開で扉が閉まっていたのか、記憶にない。天井は折り上げ格天井で、将軍着座の間の天井中央に葵紋が描かれ、将軍はこの真下に着座したそうだ。

 拝殿から数段下りると石の間で、わずか1間先の階段の上が本殿になる。石の間は畳敷きで、折り上げ格天井には狩野派の絵師による(らん)と呼ばれる鳥が描かれている。
 本殿は手前から外陣、内陣、内々陣に分けられているらしいが、本殿の扉は閉められていて、神職でも神事や煤払い以外は入れないそうだ。一般参拝者は拝殿までで、拝殿から石の間を通して本殿扉を眺めた記憶がある。本殿扉は黒漆を下地にして、金飾りで覆い尽くされていた。石の間左右=東西に花頭窓が設けられていて、朝夕の光を受け金飾りが輝く仕掛けになっている。
 祭神は東照大権現で、のちに源頼朝、豊臣秀吉も祭神として祀られたそうだ。神事なら二礼二拍手一礼になるが大勢が静かに参拝しているので仏事の合掌をし、拝殿を出て参拝者出入口に戻る。

 本社参拝者出入口の東に祈祷殿(写真web転載、重要文化財)が建つ。1635年、徳川33代家光(1604-1651)による大造替時に建てられた。間口3間、奥行き3間、銅瓦葺き入母屋屋根で南を正面とし、1間の向拝が延びだしている。結婚式、初宮詣、七五三詣などの祈祷が行なわれ建物である。

 祈祷殿の東は奥行き1間、銅瓦葺き切妻屋根、朱塗りの東廻廊で行き止まりになる。廻廊には奥社に通じる間口1間、屋根を唐破風にした潜門が設けられていて、門の唐破風下には波と鶴が彫刻されている。国宝「眠り猫」を初めて見に来た人は「眠り猫はどこ?」と探すかも知れない。神職は、門の手前に「眠り猫はこの先」の案内板を立てている。実際、国宝「眠り猫」は廻廊の向こう側の屋根組を支える蛙股に彫刻されているので、廻廊に入らなければ見ることはできない。廻廊に入ると、「眠り猫は上」と書かれている。神職の気遣いである。
 国宝「眠り猫」は左甚五郎作と伝えられ、豊かな彩りの蛙股のなかで牡丹に囲まれ猫が眠っている(写真)。
 日の光を浴びてうたた寝する猫のイメージだそうで、日の光=日光にちなんだといわれている。立体感があり、本物の猫が寝ているように見える。左甚五郎の力量であろう。
 「眠り猫」は頭上の蛙股に彫刻されているのでじっくり見たい人、写真を撮りたい人が立ち止まってしまい、間口1間の潜門の左右を入る・出るに分けているが、混みあってしまう。
 潜門を出ると奥社に上る石段が始まるので眠り猫の裏側の蛙股に気づきにくいが、潜門東側の蛙股には竹林とが彫刻されている(写真web転載)。
 猫が起きていれば雀は襲われてしまうが、猫が寝ているので雀は餌をついばむことができ、眠り猫と雀を裏表に彫刻してあるのは平和共存を表しているとの説もある。左甚五郎は、徳川家康により社会が平和になったことを蛙股の彫刻に託したようだ。  (2022.10)

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