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2021.10新潟を歩く 福島潟・瓢湖

2022年03月27日 | 旅行

新潟を歩く>  2021.10 新潟を歩く 福島潟・瓢湖

 ナビに福島潟を入れて、村上町をあとにする。コースはいくつかあるが、日本海を見ながら走ろうと国道345号線、国道113号線を利用し、聖籠町あたりから県道203号線、県道26号線を抜け、12:30ごろ旧潟博物館=現「水の駅ビュー福島潟」駐車場に着いた。
 「潟博物館」は青木淳氏の設計で1977年に開館し、1999年に日本建築学会賞を受賞している(写真、2003年撮影、手前は後述の福島潟放水路)。潟博物館のユニークな発想は耳目を集め、資料なども読んでいたので、同じく青木淳氏設計の温水プール「遊水館」とあわせ2003年に見学に来たことがある。
 当時は、古民家を移築した休憩施設「潟来亭(かたらいてい)」や古民家風の食事処が賑わっていた記憶がある。その食事処での昼食を期待したのだが、閉店していた。

 かつて越後平野は低湿地で水はけが悪く、海岸線は砂丘で遮られていて、日本海に流れ込む河川は大雨のたびに氾濫を繰り返していた。いまの阿賀野川の下流部は低湿地で蛇行の流れを変える暴れ川となり、大きな被害が出ていた。1730年、新発田藩主溝口直治は松ヶ崎分水路を開削し(のちに現在の阿賀野川)、低湿地を干拓して新田開拓を進めた。・・河川改修、治水工事は明治、大正、昭和も進められ、現在の信濃川、阿賀野川、加治川などの流路となった・・。
 低湿地が干拓され、湖沼として残った一つが262haの福島潟である。1ha=100m×100mだから単純計算では1.6km×1.6kmになり、視線が届かないほど広大である(写真、3階展望テラスからの眺め)。
 福島潟に流入する河川は13本で、流出は阿賀野川に流れる新井郷川と日本海に流れる福島潟放水路(前掲写真ビュー福島潟手前)の2本である。
 福島潟には毎年、国の天然記念物であるオオヒシクイをはじめとする220種類以上の渡り鳥が飛来し、262haのうち163haが国指定福島潟鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されている。
 水生・湿性植物などは450種類以上も確認され、全国的に希少となっているオニバスミズアオイ、ミクリなども自生している。福島潟にこのような自然が残されていることから、環境省「日本の重要湿地500」「重要里地里山」、朝日新聞「21世紀に残したい日本の自然百選」、「にいがた景勝100選」などに選ばれている。
 
 旧潟博物館=現水の駅ビュー福島潟は、福島潟の自然景勝を実感するため、高さ31.6m、底部直径16m、頂部直径27.8mの逆円錐形で、らせん状のスロープを上り下りしながら福島潟を眺めるようにデザインされている。
 上り始めはまだ水面は見えない。水生植物、湿性植物の彼方に山並みと空が見えるだけである。上るにつれ水面が現れ、水生植物、湿性植物のあいだを水鳥が泳いでいるのが見える。さらに上ると、入り組んだ福島潟の全容が見えてくる。水面には小島のような草むらが散在し、魚を捕るための葦を葺いたヨウモツ小屋(ヨウは魚のことでヨウモツは魚を持つの意味)も確認できる。
 らせん状のスロープだから、スロープを回る向きで干拓された水田、流れ込んでくる川、新井郷川、福島潟放水路、遊水館、潟来亭、遠くに広がる農地、家並みと風景が変わり、自然と共存しようとしてきた人々の努力を想像することができる。
 青木淳氏の構想力に拍手を送りたい。

 話は前後したが、水の駅なら軽食ぐらいはあるだろうと入館する。館内は、3階まで吹き抜けたエントランスホールと3階の図書コーナー・休憩ロビー・コーヒーショップまでが無料で(写真は3階からの眺め)、4~5階展示室、6階展望ロビーは400円の有料である。施設の管理維持が大変なのであろう。
 400円を払い、3階に上がってコーヒーショップをのぞく。数名が食事を取っていた。メニューは少なかったがカルボナーラ+コーヒー1200円があった。潟を眺めながら、カルボナーラをいただいた(写真)。

 食後、6階展望ロビーから四方八方を遠望し、らせん状スロープを下る。スロープを下るにつれ視界が変化していく。俯瞰的に見えた風景がスロープを下るにつれ地面に近づいていく。途中階にイベント用スペースや映像スペースがあったが、コロナ渦のため休止していた。
 スロープには福島潟に飛来する渡り鳥、水性・湿性植物などがパネル、実物大模型などで展示されている。図鑑などでは大きさが実感できないが実物大の展示を見ると、予想外に小さかったり、オニバスのように驚くほど大きかったりして、勉強になる(写真右はオニバス)。
 
 水の駅ビュー福島潟に隣接した潟沿いに自然学習園、遊潟広場などが整備されているので足を延ばした。休憩施設「潟来亭」は公開されていたが、無人だった。
 園路を散策する。潟面には水草が生え、ヨウモツ小屋が設けられ、そのあいだを水鳥がのびのびと泳ぎ回っている(写真)。
 鳥には疎い。鴨のように見えるが、オオヒシクイはカムチャッカ半島から9月に飛来し3月に帰るそうだから、オオヒシクイと思った方が福島潟とカムチャッカ半島がつながり、風景が遠大になる。・・あとで分かったが、昼間は餌を探しに出かけていて夕方に戻るそうだ・・。
 2人とすれ違っただけの静かな福島潟をあとにする。

 次は福島潟から南に20kmほど、白鳥飛来地で知られる瓢湖を目指し、国道460号線を走る。
 徳川3代将軍家光の時代、越後平野は大干ばつにあい、その対策として1626年、新発田藩主溝口宣直は農業用水池造成に着手、1636年に大小2つの四角い池が完成した。当初は外城大堤と呼ばれたが、大小2つの形が瓢箪に似ていたことから明治時代に瓢湖と愛称されるようになった。
 白鳥が最初に瓢湖に飛来したのは1950年だそうだ。一般に白鳥はシベリアに生息し、5~6月ごろ産卵、ヒナが成長した秋にシベリア→サハリン→北海道に渡り、10月にえさを求めてさらに南下する。瓢湖で白鳥を目撃した吉川重三郎は工夫に工夫を重ねて1954年に餌づけに成功し、瓢湖の白鳥は国の天然記念物の指定を受けることになった。
 1971年、湿地の生態系を守ることを目的にした国際湿地条約であるラムサール条約が制定され、1975年に発効し、日本は1980年に加入した。瓢湖は2008年にラムサール条約登録湿地に指定されている(2021年現在日本の登録湿地は53ヶ所)。
 阿賀野市では瓢湖周辺の自然を次世代に残そうと1971年から、瓢湖をそのままの形で保全し、その周りに水鳥が生息しやすいように東新池、あやめ池、さくら池をつくり、野鳥観察小屋を設け、さらにあやめ園、桜並木遊歩道、白鳥公園なども整備していて、瓢湖水きん公園と呼んでいる。

 福島潟から国道460号線を走り、国道49号線に折れ、住宅街に入り、瓢湖南の駐車場に車を止める。駐車場の北隣が白鳥公園で、野外ステージ、四阿などが建っていて、近所の子どもたちが大勢遊んでいた。子どもたちは白鳥を見慣れているためか、白鳥より遊びに夢中である。
 白鳥公園の北があやめ園になっていて、その北に瓢湖が広がっている。瓢湖の周りに遊歩道が設けられていて、犬を連れて散歩する人、ジョギングする人など近所の人が行ったり来たりしている。近所の人も白鳥を見慣れているようで、瓢湖を眺めたりせず散策、ジョギングに集中している。
 観光で訪ねてきた私たちは瓢湖をのぞき、水鳥が泳ぎ回っているなかに白鳥を数羽見つけた(写真)。瓢湖にはオオハクチョウコハクチョウ、ごくまれにアメリカコハクチョウが飛来するらしいが、鳥に疎く見分けが付かない。
 白鳥を見ながら遊歩道を東に歩くと橋が架かっている。その先が新たに整備された東新池のようだ(写真)。東新池は水鳥も少なく見えるし、白鳥も見つからない。
 瓢湖を眺めながら、通りすがりの散歩の人に白鳥は少ないですねと話しかけたら、昼間は餌を探しに出かけているが夕方になると空が見えなくなるほどの白鳥が戻ってくる、と教えてくれた。白鳥の生態も分からず白鳥が少ないと思い違いをしてしまった。素人のために説明板やパンフレットに習性を紹介してくれるといいね。

 遊歩道を戻る。瓢湖南西に白鳥観察舎、瓢湖観察舎が建っていて、そばの売店で水鳥の餌を売っている。親子連れが買った餌をまくと鳴き声を上げながら水鳥が突進してくる(写真)。
 見分けがつかないが、マガモ、オナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、スズガモ、ミコアイサなどがいるらしい。
 瓢湖をあとにして阿賀野川に沿った国道49号線を走り麒麟山温泉に向かった。   (2022.3)

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