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高橋著「北斎殺人事件」は北斎隠密説を軸に北斎宗理辰政の作品にからむ殺人事件

2021年01月10日 | 斜読

book523 北斎殺人事件 高橋克彦 講談社文庫 1990

 
この本の初版は1986年で、すでに読んだ1983年の「写楽殺人事件」(book520参照)、まだ読んでいない1989年の「広重殺人事件」とともに浮世絵三部作をなすそうだ。高橋氏(1947-)は浮世絵に関する著作も少なくないが、歴史小説、時代小説の大作も数多く著していて、時代考証を踏まえた独自の着眼が高い評価を得ている。

 「北斎・・」を読み始めて、著者の構想、物語の構成が「写楽・・」にうり二つと感じた。「写楽・・」では著者の構想、物語の展開を新鮮に感じたが、うり二つの「北斎・・」では「写楽・・」と異なるどんな仕掛けを仕組んだかに関心が移った。それは「逆説的犯罪」として仕込まれていたが、むしろ北斎隠密説の立証は説得力があり、引き込まれた。
 葛飾北斎(宝暦10・1760?-嘉永2・1849)は、冨獄三十六景や北斎漫画などで知られた著名な浮世絵師である。教科書でも習い、テレビ、雑誌などにも取り上げられ、美術館で何度も北斎の作品を見ている。一般には着の身着のままで作品に没頭し、暮らしは貧しく、家が片付かないので90数回も引っ越しをし、30回も号を変え、90才まで描き続けた奇人変人とされる。
 高橋氏は、実は金回りがよく、武士だったことを裏付け、北斎が隠密だったことを実証しようとする。主役となる津田良平、塔馬双太郎の隠密説実証とともに、北斎新作に強い意欲を示す美人の執印摩衣子と津田夫人冴子(「写楽・・」で津田と冴子は結婚する)への津田の思いもからんでいて、高橋氏の術にはまりながら読み通した。

 「写楽・・」では津田が主役として登場し、清親序文入りの秋田蘭画を手がかりに写楽が近松昌栄だったことを実証しようと、国府洋介の助言を得ながら、妹の国府冴子とともに秋田に向かう。
 「北斎・・」でも主役として津田が登場し、「北斎宗理辰政」と署名された掛け軸と天心、フェノロサの箱書きから、依頼主の執印摩井子とともにこの掛け軸の真贋を判定しようとする。
 ところが物語の後半になると、「写楽・・」では津田の先輩の国府洋介、「北斎・・」では浮世絵研究者の塔馬双太郎に主役が移って事件解明に奔走する。結末は、「写楽・・」では事故死した国府洋介から届いた手記によって、「北斎・・」では津田宛の遺書によって、動機と事件の全容が明かされていく。
 といった登場人物の共通性、物語の構成や展開が「写楽・・」と「北斎・・」をうり二つと感じさせたようだ。

 物語は、プロローグ、胎動、フェノロサ・ライン、小布施行き、北斎宗理辰政、妖怪、北斎隠密説、悲劇、逆悦的犯罪、エピローグ  と展開する。
 「プロローグ」に、北斎宗理辰政と署名された巨大な掛け軸と、天心、フェノロサの箱書きのある箱が登場する。改名の多い北斎だったから北斎宗理辰政に違和感はなく、天心、フェノロサに気が向いてしまう。・・北斎改名表はp187~に紹介される。この改名に高橋氏の仕掛けがある・・。

 「胎動」の冒頭は、ボストン美術館でシンジロー・マスコ(益子秦二郎)の他殺体が見つかり、事件担当のボーガンがマスコのアパートの部屋の冷蔵庫から1年前に2万ドル振り込まれていた預金通帳を発見するところから始まる。マスコの部屋は散らかり放題、マスコもぼろ着だった。・・始めは気づかなかったが、津田と塔馬が北斎を洗い出しているあたりで、北斎と関連づける伏線だったことに気づいた。高橋氏の仕掛けは巧みである・・。
 ・・物語の展開とともに断片的にボーガンたちの捜査が織り込まれる。たとえば、アパートの住民の聞き取りで、マスコの部屋から手紙の束と女性のデッサンが消えていたことが分かる・・これらは事件解明の決め手になる。殺人事件は終盤に明らかになる。

 場面は盛岡のホテルに移る。盛岡の中学校で日本史を教えている津田は美術雑誌編集の杉原允の仲立ちで、執印画廊主の執印摩衣子と対面する。
 摩衣子の父は文化勲章を受章している日本画壇の至宝・執印岐逸郎で、アメリカ人の母は生後間もなく他界していて、記憶にない。
 摩衣子は、杉原の美術雑誌社で出版予定だった津田の義兄の国府洋介の遺構である北斎隠密説を執印画廊出版部で出版したい、ついては津田に隠密説の実証を依頼したいと申し出る。津田は「写楽・・」の遺恨が残っていたが、探究心が再燃し、引き受ける。
 家に戻った津田は、冴子を話し相手に、北斎の基本をひもとく。津田と冴子の会話を通して、まず北斎の概略が紹介されていく。p45~に文化文政時代の物価が羅列され、p52で北斎の画料が推定される。その結果、赤貧という定説が崩れる。

 「フェノロサ・ライン」 摩衣子の招きで上京した津田は執印画廊の番頭格である宇佐見一茂に、p65北斎研究で知られたアーネスト・フェノロサ(1853-1908)のうんちくを傾ける。
 話は飛んで、津田は杉原の紹介で大学で風俗史を講義している歌麿研究者の塔馬双太郎と会い、親近感を抱く。塔馬は、北斎の90回以上の引っ越し、30回もの改名はアリバイづくりではないかと示唆する。・・このあと、塔馬は北斎隠密説解明の大きな力になり「写楽・・」での国府の役どころを類推させる。
 盛岡に戻る新幹線で津田はp96~北斎の足跡を見直し、北斎の旅が45才以降であることに気づく。

 「小布施行き」 摩衣子の隠れた北斎の作品を発見したいという希望で、津田と摩衣子は北斎記念館のある小布施に向かう。途中、p111で北斎と高井鴻山(1806-1883)の出会いが語られる。なぜここに高井鴻山が登場するのか?と思っていると、p118北斎は鴻山の家に1年以上も滞在していたのは、p119北斎が鴻山を監視していたとの仮説に発展する。
 津田と摩衣子は北斎記念館で祭り屋台天井画に感動し、宗理と署名された美人画を見ながらフェノロサを語り、岩松院の八方にらみ鳳凰天井画に圧倒される。・・小布施の見どころ案内にもなっている。「写楽・・」では角館の見どころが登場した。高橋氏は芸も細かい。

 「北斎宗理辰政」  ホテルに戻った津田は塔馬に電話し、北斎は鴻山監視?の仮説を伝える。塔馬は、高井鴻山の周りには幕府から危険人物と目された人物ばかりと絶句する。二人の話しは当時の国防に発展し、北斎が浦賀、房総、三重に出向いたのは絵師の技術で砲台設置候補地を調べるためではないかと推論する。
 ・・北斎隠密説は「妖怪」でシーボルト、間宮林蔵らを織り込み、「北斎隠密説」で北斎は武士であり、実家はお庭版の筆頭だったことなどが推論され、隠密説が次第に確証されていく。
 高橋氏の力説は史実に基づいていて、論理的であり、信憑性が高そうだ。・・言い換えると、津田による北斎隠密説は予想外に早い展開である。津田の予想外の早い展開が事件に大きく関与したことがあとで明かされる。

 小布施で摩衣子に北斎の大作発見の報が入る。宇佐見が届けた北斎画の写真を津田は慎重に見極める。「北斎宗理辰政」の落款があり、箱書きはフェノロサと岡倉天心である。
 文字鑑定の結果、フェノロサ、天心は真筆と判明した。
 執印画廊で、津田、塔馬、摩衣子、宇佐見、北斎購入予定者が北斎画の到着を待っていたところに、自動車事故で北斎画が炎上したとの知らせが入る。
 北斎画にかけてあった保険金が支払われることになった。
 北斎隠密説の出版は延期になった。
 津田は盛岡に戻り普段の生活に戻った。
 この展開に疑問を感じた塔馬は長野に向かい、からくりを探ろうと動き出す。このあとは塔馬が奔走し「逆悦的犯罪」でからくりを見破るが、ネタバレになるのであとは読んでのお楽しみに。
 エピローグに津田の作った北斎の細かな年表・・もちろん高橋氏の力作・・が載せられていて、隠密説を裏付けている。
 津田と冴子は杉原、塔馬に祝福され、ボストンに行くことになる。北斎隠密説実証の裏に陰謀と悲劇が隠された展開だが、エピローグを和やかに終えるのは高橋氏の思いやりであろう。  (2021.1)

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