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2018.1メキシコの旅⑬ 16世紀、テンブレケ神父は先住民と48kmの水道をつくる、67アーチの水道橋は圧巻

2018年07月22日 | 旅行

2018.1 メキシコの旅13 3日目 リュウゼツラン パドレ・テンブレケ水道橋 ウチワサボテン
 10時過ぎ、メキシコシティ・三文化広場を過ぎて、バスは一路、世界遺産パドレ・テンブレケ水道橋を目指し、北東に走り続ける。町の風景から郊外の風景、やがて田園というより原野に近い風景に変わっていく。

 現地日本人ガイドが、メキシコ名物のテキーラについて話し出した。メキシコ在住の長い日本人で、中南米各地の遺跡を訪ね歩いていて、博学である。
 日本でリュウゼツラン竜舌蘭と呼ばれる植物は、学名はアガヴェagaveで、メキシコではマゲイmagueyとも呼ばれる(写真、web転載、ホームページ参照)。
 茎をアルコール発酵させて蒸留するとメキシコ特産のメスカルmezcalという酒ができる。
 メスカルは各地でつくられるが、ハリスコ州のテキーラという町でつくられたメスカルが「テキーラ」と呼ばれて世界に流通しているそうだ。
 テキーラはサボテンからつくったメキシコの強い酒、などと勝手に想像し、カクテルグラスの縁に塩をのせたマルガリータを得意顔で飲んだりしたこともあったが、とんでもない誤りに気づいた。知らぬは恥だが、いかにも知ったかぶりで話すのは罪深い、大いに反省する。

 11時過ぎ、ガソリンスタンドでトイレ休憩になった。日射しが強い。まだ走りだして1時間ほどだが、パドレ・テンブレケ水道橋にはトイレがないのでここで済ますようにという気配りである。
 トイレは4ペソだった。多くのガソリンスタンドはコンビニを併設していて、トイレを使うと同額のチケットをくれ、そのチケットで買い物ができる。ほとんどの品は4ペソ以上だから、結局店の売り上げが伸びる。
 なかなかうまい作戦だ。店の作戦にのせられて=観光に投資して、エスプレッソを飲んだ。

 再び走り出す。起伏の中に灌木のような樹木が散らばりながら、頼りなげに育っている。畑のような緑がおとなしく広がっている。茶色が優勢な、乾いた大地の光景が続く(写真、ホームページ参照)。明らかに水の少ない風景である。
 ほどなく、砂利混じりの枯れた草地にバスが止まる。降りると、石積みの工作物がまっすぐ伸びているのが目に入る。どうやらこれがパドレ・テンブレケ水道らしい(写真、ホームページ参照)。
 駐車場はない。向こうには赤い車が止まっていて、ほかに人はいない。もちろん、インフォメーションも観光地によくある民芸品、土産品の屋台もない。要するに何もない。水道はところどころ蓋がなくなっていて、のぞくと砂利がたまっていた。水は流れていない。もう使われていないようだ。
 ガイドが水道管に沿ってすたすた歩く。小さな蟻塚があちこちにある。ガイドが、ヒアリではないが刺されると赤く腫れるから触らないようにと注意する。小さな蟻地獄の巣もあちこちにある。大地は乾ききっている。
 パドレ・テンブレケ水道橋が姿を現した。左に離れると見事な全景をとらえることができる(写真)。
 パドレpadreは神父のことである。16世紀にメキシコ入りしたフランシスコ会のテンブレケTembleque神父が、先住民が水不足で困っているのを見て、スペイン各地に残る古代ローマ時代の水道をヒントに、先住民と力を合わせ1555年から水道造営に着手、17年かけて1571年に完成した。
 水道の総延長は48.22kmで、googleの地図とwikipediaなどの記述を照らし合わせると、水源は水道橋の北のテカヘテTecajeteで、このあたりは火山地帯らしい。終点は水道橋のはるか南に位置するオトゥンバOtunbaのようだ。
 地下に埋まっている部分も多いらしく、途中の町ごとに配水施設が設けられた本格的な水利施設であった。
 圧巻はテペヤワルコTepeyahualco峡谷に築造された水道橋である。テンブレケ神父と先住民が構築したのは総延長48.22kmの長大な水利施設であるが、水道橋そのものがフランスのポン・デュ・ガール、スペインのセゴビア旧市街と水道橋などに匹敵する価値があるとして世界遺産に登録された。

 水道橋の長さは904m、もっとも高いところは地上から38.5m、水路幅は25cmで、66のアーチと中ほど1カ所の2重アーチで構成されている。
 素材は火山岩と、アドベadobeと呼ばれる一種の日干しレンガである(写真、ホームページ参照)。アドベは砂、砂質粘土、藁を練り、木枠に入れて干してつくる。強度が高いそうで、中南米の先住民が古くから使っていたそうだ。
 スペイン人テンブレケ神父と先住民が力を合わせ、火山岩とアドベによるアーチ構造で、高さ38m、長さ904mの水道橋を完成させたことは驚異に値する。

 中ほどの2重アーチまで歩いて見上げると、高さ38mが実感できる。一般のビルの階高が3mほどだから12~13階、私はマンションの11階に住んでいるから、見下ろした高さも実感できる。
 木材資源はほとんど無いから、足下の砂、土、石を盛り土して足場にしたのではないか、とすれば17年の歳月も理解できる。

 じっくり見たあと、パドレ・テンプレケ水道橋を見ながら、ウチワサボテンが群生する小径を抜けてバスに向かう(写真、ホームページ参照)。
 サボテンは乾燥に強いと勝手に思っていたが、実は水を好む植物で、極度に乾燥している地域では栽培しにくいそうだ。
 メキシコでは昔から栄養価の高いウチワサボテンの果実が食用に珍重され・・ウチワ状の先端の突起・・、傷や熱冷まし、便秘、二日酔いなどの民間薬としても使われてきた。群生しているウチワサボテンもパドレ・テンブレケ水道を利用して栽培されたのであろう。


 土木工事はほとんど素人であろう神父が、どのようにして先住民を納得させたのだろうか。推測だが、神父と少数の賛同者が水源から最初の町まで簡単な水道をつくった。
 水不足で困っていたからみんな大いに喜び、賛同者が増えた。水道の話を聞き、水の欲しい次の町、その先の町からも参加者が増えた。
 水を遠くまで、確実に流せるように改良を加えた。水源から終点まで一定の勾配で流れるように試行錯誤を重ねた。水が次々の町まで届くたびに賛同者が増えた。ついに17年、900m余になった、のではないだろうか。
 神父のことも工事の経緯も、資料は何も触れていない。すでに水も流れていない。しかし、長さ908m、高さ38.5mのアーチ水道橋と、ウチワサボテンの群生が神父と先住民の偉業をいまに伝えている。


 12時過ぎにバスに乗り、テオティワカン遺跡に向かって来た道を戻る。13時近く、レストランに寄ってランチになった。簡素な造りの建物だが、2階ベランダにはリュウゼツランの鉢植えがびっしり並んでいた。鉢植えを土産用に販売しているのかも知れない。

 ランチはビュッフェスタイルだったので、食べやすそうな鶏肉、牛肉、ポテト、ニンジン、豆、パスタなどを選んだ。
 メキシコのビールcorona extra50ペソがあるというので飲んだ。さっぱりした飲み心地である。
 ソンブレロをかぶった数人が弾き語りをしに来て、メキシコの歌や日本の歌を歌ってくれた。ささやかだが2ドルを寄付した。
 現金なもので、アメリカ人?ツアーが来たら向こうに行ってしまった。アメリカ人の方が気前がいいのかも知れない。静かにランチを終えた。(
2018.7)

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