yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1991年 上海郊外金山の民家は中央の客堂+4部屋で、屋根はなんと佐賀のくど造りにそっくり

2016年11月23日 | 旅行

 1991 「中国・上海郊外金山の住まい」中国民居を訪ねる /建築とまちづくり誌1992.7

 1991年7月、久しぶりに上海・同済大学・専家楼に荷物をおろす。からからの蘭州、西安に比べればむし暑さが懐かしいが、やはり暑い。上海の緯度は鹿児島に近くだいたい31℃、そのむし暑さが想像できよう。
 同済大学訪問の第一の目的である農村空間の整備計画について、建築系・都市計画系の先生方との意見交換と講演会を終えたのが日没を少し回った夜の9時。気温は25℃に下がっていたが、湿度はまだ70%。学術交流が無事すんだことよりもこの暑さで、ビールが格別おいしい。

 翌朝5時半、日の出とともに目が覚める。実は部屋がひどくかび臭く、あまりぐっすりとは眠れなかった。
 温度はすでに26℃、湿度はなんと80%、寝苦しいはずである。しかも、私の部屋は2LKタイプで北側に1室と浴室・便所・台所、南側に1室と居間の4室構成のため通風のとりにくい作りになっている。
 そこにこの蒸し暑さであるからかび臭いのも当然である。

 寝不足の不機嫌さで、気候のことも考えずこんな西洋のまねをした作り方をするからかび臭くなるじゃないか、のどまで愚痴が出かかりながら、そう言えば今まで調べた農村住居が案外と風通しの悪い作り方だったことを思い出した。
 もともとの漢民族が、もっと内陸で寒く乾燥した地方だったことが理由の一つかも知れない。
 あるいは敵の襲撃をかわすため、通風より小さい窓を選んだ結果かも知れない。
 いずれにしても一つ一つの部屋は自立性が高く、家はその集合態であって、日本のように部屋の自立性がルーズで、開け放すとそのまま外部空間に連続する作りとは大きく異なる。

 南の方の少数民族、例えば雲南省のダイ族は高床木造家屋で通風と防御の仕組みを獲得しているそうだ。
 日本と雲南の中ほどに位置する上海には、このような作り方は生まれなかったのだろうか。いずれも同じ稲作農耕民のはずだが。
 そんな疑問が通じたのか、建築史の大御所で日本語がぺらぺらのR先生が伝統住居の案内役をかってくれた。


 翌日、上海市街の四合院形式に始まり浙江省の農村住居まで、およそ12時間の駆け足調査は、まだこの疑問を解くには到らなかったが、しかし大変有益だった。
 なかでも印象的なのが、上海郊外金山の水田地帯に建つ伝統的農村住居である。

 正面からみると入母屋瓦葺の平屋で、間取りは中央に客堂、ここを中心に同じ大きさの4部屋が、南側は祖母の寝室と夫婦の寝室、北側は台所と物置として並ぶ矩形平面になっている。
 外壁はzhuanと呼ばれるレンガ積みに漆喰仕上げ、床は土間のまま、天井は吹き放しで垂木に直接瓦waがのる。ここまでは中国農村住居では普通のつくりである。

 驚いたのは屋根である。全体に反っていて、棟先や棟先を水牛の角のように反りだす形は伝統的な様式に共通だが、棟を凹形に後ろにのばし、凹のあいだは緩い勾配の瓦屋根としている。
 佐賀県のくど造りは茅葺だが、実によく似た屋根形ではないか。
 形の類似性から直ちに文化の伝播を言うことはできない。しかしかつて日本と中国の貿易港として栄えた寧波は目と鼻の先に位置する。
 上海郊外→寧波→長崎→佐賀??。謎解きの夢がまたまた広がる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする