浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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突然の訃報

2005-06-03 07:19:49 | 出来事
それこそ生まれた時からお世話になっていた方が突然亡くなられた。
両親の友人にして、まるで親戚のような付き合いをさせていただいていた方でした。ただもう、びっくり。

ちょうど今、ジョン・ホーガンの「科学を捨て、神秘へと向かう理性」を読んでいる。ホーガンが自分自身の母の死を乗越え、「死そのもの」は「死に方よりは気にならなくなった」と語っている事に深く頷く。
ここ数日間はカミさんとの晩酌の話題が「死に方」や「死」についてだった。
・伴侶に先立たれるのと、先に死ぬのとどっちがいいか?
・どんな死に方がいいか?
・残った方はどうなるのか/どんな風になっていくのか?
・子供達はどうなるのだろうか/どんな風になっていくのか??
・葬式には誰が来てくれそうか?
・死んだらどうなるのか?
・魂はあるのか?

スタンリー・キューブリックは死後の世界を信じる事は楽天的な考えだと言った。しかし、在るものが完全なる無に帰するのであれば、無と有が行き来するという事になる。そうなると現実世界そのものが寧ろ奇跡であり、我々は奇跡の存在だという楽天的な考えだという事もできる。

こんな話を飲みながらしてた訳だが、おじさんの死は、突如としてそんな諸々の事柄を押しのけ「現実」としてドスンと着地した。
この現実は飲み込むしかない、受け入れて行くしかないのだろうが。まだ僕は唖然として遠目で瞪ている事しかできない。
                               合掌