ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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ハンドメイド作品も販売しています。

眞子さま IN ブラジル 2

2018-07-24 07:15:00 | 皇室報道

眞子さまがNYに立ち寄ることは最初から発表されていました。

ところでKKはいつアメリカへ行くんですか?

会う時間なんてないでしょう?というか、最初から「会う」と決めつけて心配する必要がありますか?記者会見した事は事実なのですし、納采の儀までは婚約者ではないのですから、会うにしたって二人きりという事はないでしょう。

公務に励む眞子さまとKKとの事を言われる眞子さまでは別人のようで、私は納得がいきません。今は目に見える方を信用するばかりです。

遅ればせながら眞子さまの写真をアップします。

眞子さまはしっかりと公務をされています。日系人らからの歓迎会で挨拶をされています。

 

 ロンドリーナで現地の人達の歓迎を受ける眞子さま

マリンガの体育館で歓迎式典

 

サンパウロの移民110周年式典の眞子さま

 

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皇室ウイークリー

2018-07-24 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

7月13日・・・両陛下 → 離任大使夫妻に会う

            眞子内親王ブラジル訪問主席随行員に会う

            人事異動者に会う

      天皇陛下 → 通常業務

     皇后陛下 → 赤十字から豪雨災害について説明を受ける

7月14日・・・両陛下 → 眞子内親王から挨拶を受ける            

7月17日・・・天皇陛下 → 通常業務

 

皇太子同妃両殿下

7月17日・・・皇太子殿下 → 外国大使に会う

              六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展 建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの鑑賞

7月18日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う

      両殿下 → 皇宮警察本部長表彰の永年勤続功労者に会う

 

秋篠宮家

7月13日・・・眞子内親王 → 賢所参拝

      紀子妃殿下 → 結核予防会から豪雨災害について説明を受ける

7月14日・・・眞子内親王 → 両陛下に挨拶

7月17日・・・眞子内親王 → ブラジルへ出発

7月18日~19日・・・両殿下 → 新潟県訪問

・ 聖籠町立図書館視察

・ 水の駅「ビュー福島潟視察

・ 海の総合展視察

・ 市町勢概要聴取,アトラクションを見る,夕食会出席

・ 展示(「海の総合展」の展示を含む)を見る

・ 海フェスタ式典出席・記念祝賀会出席

 東宮家のお仕事のなさにはうんざりしちゃうわ。と思いつつ。

 しょうがない。それが東宮家なんでしょう。

 

ところで、コメント欄に愛子内親王の本物・偽物のあれやこれやの書き込みがありますが、それはやめて頂きたいと思います。どこにも真偽がないので。証拠がないんですよ。要するにイギリスから帰国するのが仮に・・・仮にですよ。偽物でも私達国民は受け入れるしかないのです。

だからあれこれ「ここが本物」「ここが違う」と言っても不毛だからやめて下さい。

それと眞子さまに関してでも、アメリカに立ち寄ることは確かですが、だからって必ず小室に会うという事は決まっていません。というか、仮に会ったとしても、それが何の意味かわかりません。

なのにただただ「がっかり」とか「眞子さまに失望」なんて書くのはどうかと思うんです。今現在、立派にブラジルで公務をされているではありませんか。皇太子がブラジルへ行った時、ここまで歓迎を受けましたか?受けませんでしたでしょう?

それにブラジルは創価学会の巣窟である事。そこから眞子さまにマイナスなあれやこれやを流布されていてもおかしくないのです。だから惑わされない様にして下さい。

 

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ANOTHER WORLD 東京千秋楽ライブビューイング

2018-07-23 07:15:00 | 宝塚コラム

星組のライブビューイングに行ってまいりました。

東京の映像は市販されているDVDに比べると映像の角度などが全然違っており、それはそれで面白いと思う向きもありますが、人によって上手下手がはっきりtpわかってしまう代物です。

今回はやたらカメラが動き過ぎていたような気がしますし、脇も写さなきゃ・・・と焦ってかえって変な映像になっていたり、ここぞという表情を逃したりしているような気がしました。

芝居はいいとして、ショーはとにかくスピード感がありすぎて映す方も大変だとは思うんですけどね。

 ANOTHER WORLD

改めて谷正純最高傑作だと思います。あの「人殺しの谷」がよくここまで「生きる」事に前向きな作品を書いたもんだと。非の打ちどころのないストーリーで、これをそのまま台湾に持っていったって通じるような気がするんですけどね。

それというのも、これは古典落語をいくつか組み合わせて作られており、その背景には仏教の思想が色濃く反映されている作品だから「日本」という国がどんな国で、どんな人がいるのかという事を端的に表すにはいい作品だと思ったんです。

恋煩いで死んでしまった康次郎。しかし葬式で父が亡くなった人の借金の証文を棺桶に入れた事に腹を立てて「この世に未練なんかない。あの世で人間らしくくらすんや」と叫ぶ。

その後、康次郎は友を助け、身代わりになり恋を成就させるのですが、そこにあるのは「お互い様」と「自己犠牲」の精神です。

そして、わざとフグの毒に当たって死んだ徳三郎は、ちゃきちゃきの江戸っ子で、康次郎の主張が正しいとなると素直に認め、「一つ協力しようじゃないか」と義理立てするわけですね。一緒に亡くなった人達が実は自分のものを盗んでいたと知っても、許してしまう。そこにあるのは「義理と人情」です。

康次郎が捕らわれることで、福の神になることになった貧乏神が一人喜んで浮かれれば「おい、自分だけがよけりゃそれでいいのかい」と窘める徳三郎。

閻魔様に「呼び出したのはそなた一人なのにどうしてぞろぞろついてきた」と聞かれ、康次郎は「自分は一人ではないんです。自分があるんは多くの仲間のおかげなんです」という。こういう思想は、中韓にはないのでは?と思います。

(ふと・・・余談ですけど、韓国では最低賃金を上げたら仕返しのようにコンビニのエアコンを消したり、人を雇わなくなったりとやる事が極端。企業は両班のごとく自分達の利益しか考えていない、利益をシェアするという気持ちがないんです。だからどんなに頑張っても景気が上向くはずがないんですよね。

それは日本でもありました。東日本大震災の翌日のヨーカドーでは缶詰がいつもの3倍や4倍の値段になっていて、随分アコギな商売をするもんだと思ったものです)

ラストシーンでは「一遍死んだ気になって生きてみなはれ」と叫ぶ康次郎。

どれもこれも日本人の美徳そのもので、この作品を見ることで・・・多分、落語を聞くことで一層「日本人でよかった」と思うのではないでしょうか?

むしろ、地獄の閻魔様の方がよほど世俗的で救いのない描き方になっているのが面白いですよね。

♪ それそれありがたや それそれそれなんまいだ ♪という歌詞がとてもありがたいお経のように聞こえてくるんですけどね。

(でもこの曲にそっくりな浜口庫之助の曲がなかったでしたっけ?)

 

千秋楽は星組にとってやりたい放題の日です。声を潰して疲れ切ってるメンバーなんだけど、とにかくアドリブの連続、いつも以上にフリが大きい。

特に赤鬼の瀬央ゆりあと紅が「ぶち生かす」談義の時のやりとりはあまりに面白くて、面白すぎて次の出の時、紅は「あ、間違った」といって引っ込んでから出直しラストに「いつもこんなことしてるわけじゃないです。谷先生」と叫んで舞台を横切って行きました。

紅ゆずるの康次郎はパワーアップして仏様の境地でしたね。礼真琴の徳三郎さんは演歌歌手になれそうでしたし、綺咲愛里のいとはんは、時折みせる「黒」い部分が可愛くてしょうがない。

華形ひかるの貧乏神は、紅が挨拶で「可愛くてペットにしたい」と言ってましたが、まさにその通りで可愛いかったです(でもうちではいらないよ)

本当にこんな風に真正直でいい人ばかりだったら苦労しないのに。嘘を真実にしようとしているのが日本の象徴だなんて・・・情けなくて涙が出るわ。

 KILLER ROUGE

最初に見た通り、やっぱり何もかも詰め込んで作ったショーという感じで、完成度は今一つですね。

特にサラリーマンが特命刑事になるというシーンは、面白いけどやっぱり自作品のパクリにしか見えませんし、唐突にそんなシーンを出さなくてもいいんじゃないか?と思いました。

最初に出て来たドラゴンがどうでもいいようなシーンの繰り返し。しかも使っている楽曲が歌謡曲でしょう?これ、星組じゃなくてよその組にでやったら間違いなく「歌謡ショー」になってます(私の脳裏には無き新宿コマ劇場のデコレーションケーキのような回り舞台が浮かびましたよ)

せっかく宝塚でショーを作るのに、そこまで歌謡曲を使わなくてもいいんじゃないか?と思ったりするんですよね。クラシックやジャズなどと違って、何だか安っぽく見えてしまうというか、そうならなかったのは幸いでしたが。

その理由は、やっぱり男役全員の「キザり度」じゃないかと

こんなに自己アピールする組ってなかなかないですよね。しかも楽しそうで息があってて。うちの姫ちゃんなんて天寿光希がアップになる度に「かっこいい」とため息ついてましたし、私も珍しく礼真琴がかっこよく(失礼)見えてしまいました。

無論、七海ひろきのお兄様は、もう何でもいいからそこで動いてさえいてくれればいいやー風で。

でも実はこのショーで一番かっこよかったのは綺咲愛里ではないかと思うんです。

今までは可愛い娘役としてしか見てなかったけど、この人にはちゃぴさまと同じような「男っぽさ」もあるんですよね。低い声で歌う時の色気ったらありませんし、視線の向け方がもう「目で殺す」状態。

トップ娘役に必要なのはかわいらしさと同時に大人っぽさ、ある種の男っぽさなんだなあとつくづく思いました。

でもそれ以上に美しくて宝塚らしいのが音波みのりで、綺咲愛里と音波みのりの対比がいいなと。(有沙瞳にならない事はごめんなさい)

一番感動したのは、やっぱり大階段のデュエットダンスなんですけど、紅ゆずると綺咲愛里のあまりにもマッチングした表情と振付がもう素晴らしくて、もっと長かったらいいのになと思いました。

紅ゆずるという人はお客を引き込むのがとても上手な人です。ショーの途中で「キラールージュの振りを覚えましょう」とやるわけですが、しらける事無く盛り上がり・・・これが何で雪になると無理やり感が出るのか今もって不思議です。

花組のような若々しい華やかさ、月組のような落ち着いた技術力、雪組のような優等生が率いる組、宙組のような全て見た目で勝負の組もいいけれど、星組のような、一見垢ぬけないように見えつつも、いつの間にか客席と出演者が一体になっている組もいいんじゃないでしょうかね。

それにしてもパレードの綺咲愛里のティアラ・・・かぶりたい。

 

 

 

 

 

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愛子内親王イギリスへ出発

2018-07-23 07:00:00 | 皇室報道

 朝の7時30分に東宮御所を出た愛子内親王。

宮内庁職員に見送られたというから両親は見送らなかったという事でしょうか?

普通、こういう場合、東宮御所から車に乗るシーンのお見送りか、空港で、関係者にお辞儀をして出発というのが普通なんですけど、愛子内親王の場合は、最初からいきなり車に乗ってました。

ワンピースを着ているようで・・・制服じゃないのかと。

っていうか、こういう場合はスーツではないか?と思ったり。

あまりにもカジュアルな印象を持っているワンピースです。

とにかくうれしくてしょうがないらしい。

何かいい事が待っているんでしょうね。イギリスで。頑張ってね。

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愛子内親王賢所参拝

2018-07-22 07:00:00 | 皇室報道

何でサマースクール参加1日前なのかわかりませんがとにかくこぎつけた感があります。

賢所参拝に向かう愛子内親王。前髪に注目。

ちょっと・・・何だか・・・・もう・・・・・

着替えて両陛下にあいさつ。前髪を切りました。

愛子内親王のおかしさもひときわですが、皇太子の顔が真っ黄色で、黄疸が出ていますよね。大丈夫なんですか?

ぎっくり腰の妃殿下はやたらお元気そうで。

それにしても愛子内親王・・・・太ったなんてもんじゃない。

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眞子さま IN ブラジル 1

2018-07-21 07:00:00 | 皇室報道

かつて皇太子がブラジルを訪問した時と随分雰囲気が違いますね。

18日早朝にリオデジャネイロに到着した眞子さま

お疲れもなくよかったです。

眞子さまは植物園にも行かれたそうです。

 

またリオ日系協会(松浦實(みのる)会長)の会館で行われたブラジル日本移民110周年記念式典・眞子さま歓迎式典出席、日系人らと交流。

同日系協会会館の入り口には1967年の皇太子夫妻時代に訪問された天皇皇后両陛下、15年の秋篠宮同妃両殿下の訪問記念プレートが飾られている。当日朝に眞子さま訪問記念プレートも並べられたことを森理事長が説明した。

 

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でた!また皇后陛下の言い訳

2018-07-20 07:00:00 | 皇室報道

 よっぽど牧野女官長との事が頭に来たんでしょうか?また宮内庁に抗議させましたよ。

神経質だなあ。

しかも細かいですよ‥‥本当に執念深いです。

サンデー毎日7月1日号の「勁(つよ)き声~美智子さまとその時代」と題する工藤美代子氏の連載(第3回後編)において,東宮妃殿下時代の皇后さまにお仕えした故牧野純子東宮女官長(以下「故女官長」という。)の友人の娘で,97歳になる「香子」という仮名の人物が,自分の母親又は故女官長から直接聞いたという話を基に,皇后さまと故女官長との間の不和を取り上げる記事が掲載されています。

 (要約)美智子さま御用聞きだった筈の工藤美代子が)故牧野女官長の友人の娘の話を載せています。それもよりによって皇后陛下と牧野女官長との不和を取り上げるなんて。

筆者は,「一方的な見解だという批判もあるかもしれない」が,「それは承知の上で,私はオーラルヒストリーとして,純子が香子さんの母親に語った体験談を採集しておきたいと考えた」として,事実の存否やその客観性,正確性の確認なく記述を進めていますが,この談話では,実際になかったことが事実として語られていたり,当時の状況を取り違えて話されているなど,これを放置することは読者に大きな誤解を与えかねず,宮内庁として記事についての事実関係を説明することにします

 (要約)工藤氏は「一方的な見解だと批判されるかも」「でもあえて牧野女官長が香子さんの母に語った体験談をとっておきたいと思った」と書いていますが、その記述には客観性がなく、実際にはなかったことがさもあるかのように語られていた李、取り違えていたり、しているので、これを放置すると皇后陛下の印象を悪くするのできちんと言い訳します。

皇后陛下の気持ち→ 今更60年も前の事をほじくり返してさも事実みたいに言うけど、全部嘘です。私は慈愛の皇后なの。欠点なんかない。今になって亡霊のように登場する牧野女官長、あの世に行っても許さないわよ。

 

まず,ご成婚後の伊勢神宮参拝時の皇后さまのお洋服に関し,「スカートがパーッて広がっていて,針金がぐるぐる入っている・・・宝塚みたいなスカートをお召しになっていらしたとし,故女官長が「こうしたお洋服は伊勢神宮ではお召しにならないから,ちょっと針金を取らせていただくことにした」が,「妃殿下が針金をまた付け直していらしたんですって」との談話が記述されています。

しかし,この時,皇后さまがお召しのご参拝服に針金は入っていません。後年,ご処理の時に「覚え」として職員が残した絵型の付記からも明らかですが,何よりもこのことは,当時,このご参拝服が用意された経緯から言ってもあり得ないことです。

 (要約)まず、伊勢神宮参拝時の皇后陛下のドレスが宝塚のもののように広がっていたとする件。牧野女官長が外した針金を再びつけたということはありませんでした。

当時のデザイン画でもそのようなものはありませんし、この参拝服が用意されていたという経緯からしてありえません。

皇后陛下の気持ち → 何でそんな古いことを覚えているの?信じられない。あれはなかった事にします。だって今、嫁たちにそんな事をするなと言っている手前、私の信用が落ちるじゃない。ああいうドレスを作ったのは私ではなく、私の洋服を作る人達。それもあれは針金じゃなくてわっかだから。パニエだから。

それでも膨らんで見える?風のせいです。

 

「香子さん」は,「なぜいろいろお洋服のことだって,高松さん(高松宮喜久子妃)とか,あるいは女官長などにお尋ねにならなかったのか。」と語り,当時,皇后さまがお召しものについて誰とも相談なさらなかったと言っています。

御婚約内定当時,東宮職には4人の参与がおり,その中の紅一点が,明治,大正と宮中に務め,昭和24年に東宮職参与を拝命した松平信子氏(秩父宮勢津子妃の母上で元外交官夫人)でした。

ご婚約中の皇后さまのお支度は,高松宮妃殿下等に一部が委ねられた他は,この東宮職で唯一の女性参与であった松平氏にすべて託され,件(くだん)のご参拝服も氏の指名したデザイナーが担当しています。

(要約)香子さんは「なぜ洋服のことを他の先輩妃殿下方に聞かなかったのかしら」と言っていますが、皇后陛下は誰にも相談しませんでした。それというのも、東宮職の4人の参与のうち、松平信子氏が支度に関わっていたのです。

皇后陛下の気持ち → わかった?あの時の担当は何と秩父宮妃の母上だったのよ。って事は責任は全て彼女にあるのよ。旧華族だった松平信子にね。

なお,故女官長は,ご成婚直前ともいえる4月1日の拝命で,お支度には携わっていません。当時の皇后さまのお洋服は,その絵型がデザイナーから松平氏の手を経て,当時の香淳皇后付きの2人の女性御用掛(高木多都雄氏,河合りょう子氏)に回付され,このお二人は千代田区三番町の宮内庁分室における皇后さまの仮縫いにも立ち会っています。

このように,当時の皇后さまのお洋服の仕立ては,宮中の服装に関し,当時最も権威あるとされた人々の手を経て行われていたのですから,談話の内容は松平,高木,河合の3氏の責任を問うことになり,また,御結婚後10日に満たない妃殿下が,これから初めて神宮の参拝に臨まれようとする差し迫った時間に,針金を抜き取る云々というということがあったとすれば,それは香子さんが擁護しようとした故女官長の人格を却って傷つけかねないことになります。

 (要約)そもそも故牧野女官長は成婚直前の4月1日に拝命したので参拝服の下てなどには関わっておりません。皇后陛下の服装は宮中でも最も権威あるとされた人々の手を経て行われていたのですから、結婚10日に満たない妃が、自分で針金を抜き取るなどということはあり得ません。

皇后陛下の気持ち → そうそう、あれは全部皇室がやった事で私に責任はありません。でもどうしてばれたんだろう。わからないようにしたのに。牧野は私に古臭い格好をさせて皇族とはそういうものだと印象づけようとしたんでしょうけど、おあいにく様。私のスタイルがザ・皇族なのよ。

 

また,談話の中に,故女官長の推薦で仕えることになった学習院出身の女官について,「ご注意を受けては,毎日帰ってきて泣いているんですって。見かねたお母様が『もう・・・娘は辞めさせていただきたい』っておば様(故女官長)に願い出たの。そうしたらおば様は,・・・『1年だけは我慢しなさい。何があっても我慢すれば,退職金が出るから』とおっしゃったそうよ」との記述があります。

談話に該当する女官は,ご成婚時に採用された3人の女官の1人ですが,この女官はその後26年,これまでの女官全員の中でも2番目に長い期間(他の2名は12年,17年)勤務し,皇后さまは,その間,2度の外国ご訪問,国内の数多くの式典や地方行啓にこの女官をお連れになっています。

また,「学習院出身の女官の方は他にもずいぶんお辞めになりました」との記述もありますが,故女官長の在職中に拝命したり,退職したりした学習院出身の女官は一人もありません。この女官の次に出仕した学習院出身者は,故女官長の後任の松村淑子,井上和子,濱本松子の3人の女官長で,いずれも務めを全うしています。皇后さまは,宮中生活のほとんどをこれらの学習院出身の女官長の支えを得て送られてきました。

 (要約)故女官長の推薦で入った女官が毎日美智子妃に叱られて泣いて帰り「もう辞めたい」と言ったが、母親は「1年は我慢しなさい。退職金が入るから」と言ったとされていますが、この女官は26年長く皇后に仕えたのです。

また学習院出の女官は他にも随分やめたとの記述があるが、牧野氏の在職中に拝命した李退職したりした学習院出身の女官は一人もいません。

皇后陛下の気持ち → 私は虐めたんじゃなくて虐められたの。虐められた可哀想な存在が私なの。学習院出身の女官だからいじめたわけじゃなく、ちっとも言うことをきかないバカだから怒ったのよ。だって、私の命令をすぐに女官長にいいつけてそっちの言うことを聞くんだもの。

 誰も「辞めたい」と言った女官が当時いた3人のうちの一人と確定するなんて、随分とまあ記憶力のいい皇后陛下ですこと。それに学習院出身の女官って別に牧野女官長の時の人とは言ってませんよね。

さらに,談話として,当時の浩宮さまご誕生後,宮内庁病院をご退院になるときの様子を「おば様は,『絶対にお窓をお開けになってはいけません』って美智子さまに申し上げたの。大勢のカメラマンがいっせいにフラッシュを焚いたら新生児によくないとわかっていたから。でも,美智子さまはお開けになってしまって,ちょこっとこういうふうに赤ちゃんを見せるようになさったの。だから後から,おば様が窓を開けさせなかったって,すごく悪者に書かれました。」との記述があります。

(要約)浩宮誕生時、女官長は「窓を開けるな」と皇后陛下に申し上げたけど、皇后陛下は開けてしまった。大勢のカメラマンがフラッシュをたいたら新生児によくないと考えたからだけど、後に窓をあけることに反対した女官長が悪者になってしまった。

皇后陛下の気持ち → 牧野があんなににらんでいるなんてあとで知ったの。すぐに皇太子殿下に言って叱って貰ったわ。マスコミを味方にするにはどうしてもこれが必要だったのよ。思惑通り、牧野は今に至るまで「美智子妃を虐めた」首謀者よ。

この事件については,後に八木貞二元東宮侍従が,その頃東宮大夫であった鈴木菊男氏から聞き,記録したメモを基に,文藝春秋に次のような文章を寄稿しています。

ご退院を巡り,当時宮内記者クラブと担当の黒木従達東宮侍従との間で一つの押し問答があった。ご退院の時に取材があることを前日に申し上げた時に,まだお生まれ早々なので,フラッシュだけはたかないでもらえないだろうか,という妃殿下のご要望がおありであったのである。

記者クラブはこれを却下した。戸外ならともかく,車中は無理だというのである。当時のカメラの性能は,今とは随分違った。フラッシュも強く,まだボンというマグネシウムもたかれかねない時代である。・・・そうした中で,このフラッシュについてだけは,重ねてお頼みになり,黒木さんは再び交渉した。

クラブの人々は,何とかして新宮様をお抱きの妃殿下のよいお写真を頂きたいし,一方妃殿下は,何とかしてこの強い光の衝撃から新宮様をお守りになりたかったのだろう。結果として,記者クラブから代案が出された。

もしフラッシュをたかないのであれば,お車の窓を開け,発進をゆっくりとし,時間をかけて撮影させて頂きたい,というものである。妃殿下はこの代案を受け入れ,窓をお開けになった。窓を開くか,フラッシュをたくか,二つに一つを選ぶ中での選択であった。」

(要約)この件については東宮侍従と記者クラブの間で色々問答し、結果的にフラッシュをたかないな窓をあけてもいいという事になった。

皇后陛下の気持ち→私はあくまで日本国民に将来の天皇を見せてあげたい一心だったのよ。香淳皇后は皇太子殿下を産むまで時間がかかったけど、私は一人目で授かったんですからね。

事実が基にあれば,それに対する様々な見方があって構いません。

しかし,今回の記事は,実際にあった事実を基にするのではなく,母親を介し,又は自らが伝聞したという「香子」さんの記憶だけを採録し,それを事実として筆者自身の「見方」を述べたものです。

宮内庁としては,ご譲位を来年に控え,ご高齢のお体で最後のお務めを果たされている両陛下について,今更のように第三者の語る当時の噂話が十分な検証や当時の状況説明もなく世間に流布されることは放置すべきでないと考え,宮内庁ホームページで改めて当時の事実関係を説明すると共に,筆者及び出版社にこの内容を通知することにしました。

 (要約)今回の生地は事実を元にしているのではなく、母親を介した聞き書きでしかない。それを採取する事に意味があるんでしょうか?

皇后陛下の気持ち→ 60年経ってから私の印象を悪くさせようなんて絶対に許せないから。あれは事実じゃないの。ただの聞き覚えでしょう?私は国の母なんだからそんな批判も許さない。

 

 談話と事実はぴったり符合しました。つまり記者からみた事と女官目線でみた事を言ったにすぎないのに、何を否定したいんでしょうか?

今回の抗議はやりすぎです。

何で今更そんな事を気にするのかわかりません。自分は散々香淳皇后から無視されたの虐められたのって言ってましたよね?香淳皇后の晩年に。

同じ事を仕返しされるのが怖いんじゃないですか?

美智子妃の気性の激しさというか、ヒステリックなこと、自分のいう事は絶対正しいといって譲らない性格は宮内庁でも有名で、外にももれてきてますよ。私の叔母経由ですが・・・そもそも、おっとりとした妃なら嘘でもこんなエピソードは出てくるわけないじゃない?

ぱちりととられた写真に写る牧野女官長の怖い顔や、伊勢を参拝した時のやったら膨らんだドレスが全てを物語っていると思いますが。

そんな両陛下は8月に利尻島に行かれるんですってよ。これで日本列島制覇?

いくら北海道は涼しいったってこんなに大きな災害が起きている時に、私的な旅行はないわよねーー

「沖縄ばかり」って言われるから一度でもちょろっと北方領土近辺へ行けばいいかな?くらいのアリバイ作りじゃないの?

広島や岡山の方々の事を思えば、静養中止じゃすまないでしょ。お金を出してよ。5億円。北海道への交通費を寄付しようとか思わないんですか?

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家系図の作り方

2018-07-19 07:00:00 | つれづれ日記

 今回の宮城県への旅の目的は私自身のルーツを探ると共に、ふぶき家のルーツを探るという目的がありました。

よく「小和田雅子さんは3代前が遡れない」という話が出てきます。3代前って誰?という問題があるのですが、雅子さんから見て父・父の父・父の父の父・・ここが不明だという事なんです。おまけに墓がなかった。

元々日本には檀家制度があって、どの家も必ずどこかのお寺に属していて檀家料を払ってお盆などの法事をやって貰ったり、葬儀をして貰ったりしています。すくなくとも小和田恒氏の世代で自分の墓がないという事はないと思います。

誰でも、ご両親が亡くなると、年金未支給あるいは口座の解約、相続などの為に親が生まれてから死ぬまでの戸籍を取り寄せなくてはなりません。ずっと一か所に本籍地がある人はいいけど、転籍を繰り返している人は一々、その本籍地へ取りに行かなくてはなりません。私の場合、司法書士さんに頼んで、父の父、つまり祖父までは戸籍を持っていました。

でも、今回はその前に遡りたい、つまり戸籍が作られた時代まで遡れないかということで色々調べたんです。

みなさんもご存じかもしれませんが、もし知らない人がいたら・・・という事で書かせて頂きますね。

 旧民法では「戸主」がいて、両親・妻・子・親戚の類まで一つの戸籍に入っていた。

「戸主」というのは財産を全て受け継ぐ権利があったが、一方で一族の面倒をすべて見ないといけないという義務があった。

(例:太宰治が問題行動を起こす度に色々助けたのは戸主の長男)

 戦後の民法では婚姻した時に「本籍地」を定める決まり。筆頭者は男性でも女性でもいいが名字を名乗る方。ふぶきの場合は夫が私の名前を名乗っているので私が筆頭者です。

 この戸籍には夫婦、そして婚姻前の子供が記載されます。両親はまた別な戸籍になります。

 現在、戸籍は親→子→孫というよに直系でしかとれません。婚姻して別戸籍になっている兄弟の戸籍はとる事が出来ません。

という事を踏まえて私がとったのは

 ふぶき婚姻後の最新の戸籍

 平成19年以前のふぶきが筆頭者の原戸籍

 ふぶき父が筆頭者のふぶきの戸籍

 ふぶき父の父が筆頭者のふぶき父の戸籍

・・・・というように遡っていくのです。

母方の戸籍は熊本になるので、郵送で申し込むしかないかなあと思っています。

これによって何がわかるか。

 先祖の名前・生年月日・本籍地

 先祖の嫁ぎ先

文字が小さくて読みづらく、解釈も難しいのですがとりえあえず一人ひとりを紙に現代語で書き直してみる。

そうするとより、誰が誰の子で兄弟であるかがわかります。前述したように旧民法では、兄弟や従兄弟まで同じ戸籍に入るんですね。でなければ分家といって、新しく戸主になります。

ふぶき祖父は分家だったので、その前に遡る時は、分家する前の戸主が筆頭者の戸籍をとります。その結果、明治の初期まで遡り、安政・天保生まれの先祖まで出てきました。

それ以前にさかのぼる為には檀家となっているお寺の過去帳を見るか、お墓に刻まれた文字を読むか・・・ですが、今回、過去帳は「封印」されているとかで見せて貰えませんでした。

調べてみると歴史がわかるというか、その時代に生きていた人がどんな風に生きて死んだかがふわっと見えてくるような気がするんです。

想像を膨らませるのも楽しいですけどね。

だから私と1歳しか違わない雅子さんの3代前まで遡れないというのはおかしいんですよ。小和田家は村上藩の藩士だったんだよね?

そういえば家紋は・・・?って他人様の家の事はいいんですけど。私が郷土史家などだったらもっと詳しく、地域の事も調べられるのになあと。

実は白石城の傍には小さい武家屋敷がありまして、観光地になってます。でも多分、その辺りは武家の家が並んでいるんだろうなと思う程、どの家も土地が広いし人間関係複雑そうなの。

でも武家屋敷といっても土間と居間と納戸しかない家で、写真撮影もOKで、だから私、床の間を背にして写真を撮ったんですね。

そしたら・・・・こういう事書くと絶対嵐が来るんだろなあ・・・でも話のタネとして聞き流してね。

私の背後に刀の影みたいなものが写ってるんです。それも鞘もなにもついていない刃物状態の。

2本か3本。多分、この床の間の掛け軸の前に刀を置いていたろうという事はわかるんですが、戦国時代よ?それに私の頭を一本のかんざしのようなものが貫いていて、あれ?壺とか花瓶とかあったっけ?って。でもあった・・きっとあった。そう思う事にしてます。あまり怖いとは思わなかったんですけど、その写真をスマホからパソコンに移動した時に画像が崩れて。何度やっても崩れるのでよくよくみたら・・だったんです。

とりあえず忘れよう。

 

 

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眞子様、行ってらっしゃい

2018-07-18 07:15:00 | 皇室報道

 ブラジルは冬ですって。しばし日本の暑さを忘れて頑張って行ってらっしゃい。

 

いつもの通り、国内を出る時は地味なスタイル。

お気をつけて。

そういえば今週末から英国に行く愛子内親王は絶対に賢所参拝しませんよね。

秋篠宮家は律儀に武蔵野陵まで行かれるんですが・・・

愛子内親王もせめて賢所くらい参拝しないとねーーしつけがなってないお姫様だこと。

 

ところで宮内庁がフォーダム大に「KKはまだ婚約者ではない」と正確な事実関係を説明するという事だそうです。

KKがフォーダム大に合格し、尚且つ全部奨学金で賄えるようになったのは彼が書いた自己アピール文の中に「私はプリンセス・マコのフィアンセです」と書いたからと言われています。ほぼその通りだろうと思います。だからこそ奥野法律事務所だって生活費を負担するわけです。

でも、宮内庁が大学側に「納采の儀を上げていないので正式なフィアンセではない」といい、「実は彼の母親の借金問題が云々で彼がICUを出たのも実は・・・」なんて事を事細かに説明したら大学側は「コムロは嘘をついた」と言うのでは?

それとも「嘘を真にしてくれ」と言うでしょうか?

西日本が豪雨でまだ被災地で熱中症で倒れたり、今後の生活に不安を持ちつつ、進学などもどうしようと思っている人も多いでしょうに、眞子様の名前を使って名門大学の奨学金をつかみ取ったとなれば国民だって静かに怒りますよ。

いつもは皇室に興味のない私の夫ですら、ひょいっと「うちの会社の連中も言っているけど小室ってアメリカでフェイドアウトしちゃうんじゃないか?」などと怖い事を言い出す始末。それくらい一般サラリーマンも頭に来ているという事です。

どうか、破談になりますように。

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ヅカファンは色々我慢もしているので

2018-07-18 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 「天皇の母」をお待ちの方、怒らないでね

だって事実が小説を超えちゃったんだもん・・・何を書いても嘘っぽいでしょ?

それともリアル「今」の心境を小説にしますか? どういう形で再開すべきか悩んでいます。

 タカラジェンヌとの食事報告は「ルール違反」 批判殺到で元HKT岡田栞奈が謝罪 

元HKTの岡田栞奈さんが、タカラジェンヌとの食事会をツィッターで報告したら、ヅカファンから批判が殺到して謝罪したという話。

なぜそこまで神経質な批判を与えるのかわからない・・・という方も多いと思います。

実際、我が家の姫も猛烈に怒っておりまして、私が「何もそこまでさあ」って言ったら「それ以上元HKTを擁護すると炎上するよ」とかいうし

そこで、何でそこまで批判されたかという事について考えてみましょう。

基本的な事ですが

 タカラジェンヌは実年齢と本名は絶対に明かさない

 現役でいる間は男性と二人で歩いている所を見られない様にする

 男役はスカートをはかない

等々ありますが、昭和の頃はこんなに厳しい掟はなかったようです。スカートはいてた男役もいたし、カレシがいた人だっています。

と、同時にファンも楽屋に入る事が出来たり、わりとプライベートな付き合い方をしていた人もいるようです。

それが・・・恐らくですが天海祐希が大人気になった頃に、ストーカーなどの行為があって自宅までファンがおしかけたりしたので、そういうことを防ごうという事になったのですね。

それでもHPや掲示板が全盛の頃は、色々な所にファンサイトが出来て、「〇〇さんがこういってました」みたいな報告はありました。特にお茶会のレポートは、お茶会に行けない人にとっては重要な情報源だったりしたんです。

しかし、現在、お茶会に出てもジェンヌがどんな服装でどんなことを話したか・・などは絶対にSNSに上げないようにとかん口令が敷かれています。

「〇〇さんのお茶会に行きました」まではいいとして、それ以上は絶対に語ってはいけないのです。

元HKTの人はジェンヌから「名前を出してもいいよ」と言われたらしいですね。

だから「七海ひろきさんかっこよすぎて せっかく隣座ってくれたのに距離感あけすぎて帰ってから後悔 また次お会いした時リベンジ!舞台も観に行きます」

という報告がものすごく癇に障ったんです。

タカラジェンヌが決して「清く美しい」だけの存在ではない事はわかっています。

上に行く為にはスポンサーを見つけ、自分の為に大金をはたいて面倒をみてくれる「おばさま」がいることが条件です。ファンクラブも一般のものと「大人の」があり、大人の・・方は年会費のゼロが一桁多いけど、その代わりに一緒にお食事できたり、もっと身近に座って貰えたりする。

タニマチって言えば聞こえがいいけど、はっきりいってホストと同じだよね?って思った事もあります。

「今日はおよばれ」と言えば、何をさておいても駆けつけなくちゃいけないし、外で出待ちしているファンへの挨拶もそこそこ・・なんて事もあります。自分達より最優先しなくちゃいけない存在がある事は十分にわかっているんです。

でも、ファンは順番を守り、入り出をして点数を稼ぎ少しでもお茶会でいい席を貰って、あるいはチケットを沢山買ってツーショットの写真を撮る権利を貰うわけです。正直、お茶会の後半ともなると「ファンの成績発表」みたいで、私は好きじゃありません。

雨が降っても太陽の光が照り付けても劇場の前でずーーっと立って待っているファンたち。お手紙をせっせと書いて、読んで貰っていると信じて頑張るファンたち。

そんな努力ばかりしているファンから見ると岡田栞奈さんはいかにも「私は特別な立ち場なのよ」って自慢しているように見えるんです。

しかも「七海さん」なんて名前を出しちゃった所がもうね・・せめて「沢山のジェンヌさんがいてそこには七海さんもいらっしゃった」くらいにしておけばよかったのにね。

よく劇場に元ジェンヌが見に来ることがありますし、一度など帝劇のメンバーと並んだこともありますが、彼らは自らチケットを取ったんじゃなくて、知り合いのジェンヌを通して優先的に譲られているんですよね。

先日の大勢の宙組メンバーも正直「何で土曜日?お断りかも・・って散々言われていたのはこれのせいなの?」と思ったし、(それでも結構後ろの席だから許せたけど)

歌劇団幹部が初日や千秋楽に最前列の何列かを席巻していたりすると、ファンとしてはものすごく嫌なものを見たなーーと思ってしまうんですよね。

私が心配なのは今回の事で名前をバラされた七海ひろきの事で、この件で歌劇団にあれこれ言われなきゃいいなと。ちょっとしたことですぐに足をすくわれてしまうのがジェンヌなのでものすごく注意しなくちゃいけないんですよ。

多分、岡田栞奈さん達と食事をしたのは七海ひろきだけではない星組のメンバーで、彼らは「仕事」の一環として食事会に行ってる筈です。歌劇団が許可しているから。

だけどこういうことが問題になると、ジェンヌに責任をとらせるのが歌劇団ですから。

 

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