空 の 樹 II

 
 
 
 
シゴト〔私事〕とシュミ〔主実〕あるいは日々のあれこれ

◇◆◇ 私のお気に入り ◇◆◇

  「『君が代』by Luminous(ルミナス)(動画)
  ※私がいままで聴いた『君が代』のなかで最高に美しい!

  「天を恨まず(動画)
  ※気仙沼市立階上中学校卒業式での梶原裕太くんの答辞。

  「しおり - Smile(動画)
  ※沖縄出身のシンガーソングライターしおりさんの素晴らしい歌。画面を観てるとあの頃を想いだします。

  「広谷順子-キミの赤いほっぺにチューしちゃお(動画)
  ※いつ聴いてもメロメロになってしまう楽曲。まるでお爺ちゃんな気分になっちゃってる?

  「インディアン酋長の演説(ブログ「AMRITA」より英語動画と翻訳文)
  ※シアトル酋長のことばとされていますが後世の創作とも() いずれにせよ印象に残ることばです。

  「ジョーゼフ・キャンべル/ビル・モイヤーズ(動画)
  ※「神話の力 Vol.6 永遠の仮面」中の「宝石の網」「重要なのは人生という旅そのもの」の件。最高です。

  「エンデの遺言 ~根源からお金を問う~(動画)
  ※ミヒャエル・エンデの「遺言」はいま“1%”に対する“99%”のプロテストという形で甦っています。

  「お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム(1/5) Money As Debt (動画)
  ※現行の貨幣制度に限らず「波動循環」しないものは人の営みにとって災いの種という印象をうけます。


ブログ記事一覧

学生との対話。日米地位協定。

2013-05-30 13:53:11 | 日本式NWO模索の糧

2013-05-15
テーマ:私事と主実

きのうは・・・とくにこれといった気を引くネットネタはなかったですね。

虫瞰すれば、国内も“国際社会”もそれぞれ政治・経済・社会問題で、両手両足の指を使ってもまったく足りない問題・課題が山積しているけれども、
鳥瞰すれば、生存に関わる深刻な事態(たとえば第三次世界大戦も世界大恐慌も世界的パンデミックも)発生していないので、おおむね良好な地球生活を送ってるって感じですかね^^:

ところで、西隣の大陸国と北隣の半島国の、国内求心力の便利ツールにして対日本圧力外交用の優良カードである、両国それぞれの「反日」国是は、先にも触れたように、この国が消滅してもはやスローガンの対象として存在しなくなるまで続く (と私は見ている)わけですが、では、この国としては、永久に終わることのなこの外交圧力に対して、“永久”につき合わなければならないか?

じつはこれを解消する妙手が、一つだけあります。でもそれは、両刃の剣の要素を秘めています。なので、その新たな陥穽にはまらないために、事前準備として、それなりの理論武装と現実的な進行プランを練っておく必要があります。

では、「それ」はなに?

・・・いまのところは、内緒です(笑;) まだ、事前準備の青写真ができていないので^^:
ただ、ヒントに近いものが上記第2パラグラフに潜んではいます。

さて、その準備の一つとして、あの三島由紀夫さんの『学生との対話 』から多くの示唆を受けることができます。これは実は、ごく最近の意外な発見でした。

10年ほどまえ、通勤時間中に繰り返し聞いていたときにはまったく思いもしなかった“理会”が、この100分あまりの思想開陳から新たに産まれでてきました。

この対話集会での三島さんの発言項目は、手持ちのカセットテープの紙函に書かれた照会文によると、

●内容項目●
  I
「人間性」恐ろしからずや
国家は国民の「保護観察機構」
「言論の自由」への恐怖
「言葉」の背後関係
法秩序に対する私の考え方
  II
共産主義に反対する理由
「夭折の美学」はいずこへ
人間とは何ぞや
「私はあまり悩まないんです」

となっていますが、私としてはこのなかで、

“言論の自由と言葉の力もしくは限界”
“人間性(Human-nature)と人間(Humanity)と国家の関係”
“国家と世界政府の関係(対立の構図?)”

の3つの思想的ファクターに、あらためて関心を掻き立てられています。

1点目・2点目を補助線として、とりわけ3点目に注目するわけですが、三島さんのその見解は、いま思えば、なんと1968年10月の時点で、現在の世界的NWO邁進(世界政府樹立の方向性)の状況と、さらにその限界(既存国家群との対立構図は解消されないとの考えを要確認のこと)までをも見通していた、という点で驚異的であり、これからさらに何度も繰り返し“精聴”して、その言わんとするところを、私なりに解釈し腑に落としたいと思っています。

やはり三島由紀夫さんは、驚異的な天才ですね。ちょっと見には、表面のきらびやかさに幻惑されるけれども、その思想は私なんかの想像を超えて、深く・・・、深まるにつれて、広い。まるで、能の世界を遊弋するような頭脳(精神構造)の持ち主です。

・・・ということで、これを余技の「み」と命名することにします^^ これは、「ち」とも関係してくるので、こちらも進めないといけないな。「ネ」の抄訳もまたストップしたから再開しなくては^^;


2013-05-16
テーマ:私事と主実

さてきのうは、こちらの記事がちょっと印象的でした。
原子力発電所が攻撃を受けた時は核兵器でやられるよりももっとひどい被害が出る 」小出裕章ジャーナル5/11ラジオフォーラム  (ブログ「みんな楽しくHappyがいい♪」より)
 
なかでも、小出さんの発言で、ここのところが個人的には、なるほどねえと得心しました。

「原子力発電所が攻撃を受けた時にどんな被害が出るか?という事は、米国の中では度々計算まで行われていて、核兵器でやられるよりももっとひどい被害が出る」というような事まで計算している」
「基地がある所に原子力発電所は不適切だっていう事は、当然米国としては(占領当時から)思っていたはずですし、米軍としてもそう思っていたし、今でも思っているはずですので、沖縄に原子力発電所が建てられる事は無いと思います」 〔()内は私の補足。引用了〕

で、米軍の話が出てきたので、以前チラッと見かけていたこちらの動画タイトルを思いだし、観覧視聴しました。
そもそも日米地位協定の本質って何?   (投稿者:tvpickup、投稿日:2013/04/12)

先の大戦の敗戦国としては、米ソ冷戦時代下にあっては、表向きの連合国占領終了後も、米様と結んだこの特別な協定 (安保を下支えする条約)もそれなりに“イミ”があった、という見方もできるでしょう。また、この国の政権中枢の基本スタンスがアメリカ合衆国の実質的属国仕様であり続けるのもこの協定に由来している、と見てもやぶ睨みではないように思えます。

では、なぜい「属国仕様であり続ける」かというと、いろいろと理由はあるでしょうが、地位協定でがっちりと固まったさまざまな利権構造(≒金まみれ)が、衆目からは見えない所でびっしりと根を張っているのでしょうね。ま、私はジャーナリストではないので詳しくは知りませんが。

ということで、この動画情報、「日米同盟の真実」の入門講座といったところでしょうが、日々の生活に追われている一般市民としても、いちおう概要は知っておいたほうがいいかも・・・、といった感じですかね。そういう私も例にもれず浅学なので、地位協定の中身(概要)はこれを観るまで知りませんでした^^; ・・・いやあ、お勉強すべきことがあちこちに沢山ころがってますね^^:


 


My記事転載:古書の注文/軍師官兵衛/1$100円/アルツハイマー/再エネ賦課金/石井辰彦さん

2013-05-29 21:38:33 | その他の「空の樹」(旧「My記事転載」)

2013-05-14

さて、きのうはブログを更新したあととくだん追記することはなかったですが、ずいぶん前の記事で、南相馬市の鳩原小学校が1.6と災害FMで聴いて、1.60.6mSv/hなんて書いていたのですが、きのうカレイドさんのこちらの記事 を読んでいて、
(あ、単位まちがっていた!)
と、やっと気づいて、1.60.6μSv/hに訂正したり、23日前に「真夏日になりそう」なんていうのを「夏日」に修正したり、と、いくつかの不具合を補正していました。(追記:1.6は訂正の訂正^^:;)

でも基本、オートライティングで書き走っているので^^;、あちこちに誤字脱字や記憶違い・思い違いによる誤記がちらばってるだろうなあ、と思います。いつかじっくり、間違い探しをするものおもしろいかもしれない(笑)

さて、『アイヌ神謡集』にはじめとしたアイヌ関連本4冊と、宮本常一さんの好著『忘れられた日本人』をはじめとした5冊。そして、能に開眼した^^?ことで『あらすじで読む名作能50』や『謡曲選集』など能関係の書籍9冊を、GWの前後2週間で立て続けに注文しましたが、直近注文1冊を残して、すべて着荷しました。

まあ、当たり間といえば当たり前ですが、注文した店舗は18店舗(アマゾンの「マーケットプレイス」13店舗と「日本の古本屋」5店舗の2系統)に及び、しかもGWを挟んだ時期に、郵便事故もなく比較的ピーディに届いたことに、日本人ながら、ちょっとした驚きと淡い感銘を受けています^^: 注文した商品が遅滞なく届くことは当然のお約束事だけれど、でもインクレディブル!(^^; 残り1冊も今日明日には届くでしょう。

それで気をよくしているときに、いよいよ来年の大河ドラマ『軍師官兵衛』のPRがはじまったので、官兵衛さんの得意とした知略・調略の具体的な事例を知りたくなって、ついつい2冊ほど発注しました。そのうち一つはあの司馬遼太郎さんの『播磨灘物語』(文庫じゃないやつ1冊もの^^:)。もうひとつはムック版の『黒田官兵衛 鮮烈な生涯』。よきライバル?竹中半兵衛さんにもふれてあるようだし、ちょっと期待(^^)

あとは、数学エンターティナーでもある桜井進さんの『数学で宇宙制覇』というもの。アマゾンのレビュー読んでいてかなり興味をそそられたし、さらに、この人のこちらのネット記事『数学(その遥かなる風景) 』のエントランスにある「数学という言葉は何を表現して伝えようとしているのか、数学という言葉によって語られる世界とはいったいどんなところなのか」という問いかけが、日ごろ気になっている事にピタッと符号するので、インスパイアされることを期待して取り寄せることにしました。

ちなみに、ネット記事『数学(その遥かなる風景)』中の「(最終回)言葉としての数学はどこまで語ることができるのか」での、民主主義の数理記述(と限界の指摘)は興味ぶかいですね。山本氏平さんの提唱した「空気」「天秤の論理」「実体語・空体語」 を数理言語〔≒数式〕で精密に記述したいと思っている(というか、だれかしてくれないかなあと当てにしている^^;)者としてはなかなか刺戟になります。



2013-05-17

さて、きのう郵便受けをのぞいたら、19冊中最後の本が届いていたので、1冊の対面送達以外は、日本郵便のゆうメールかヤマトのメール便による、郵便受け配達でしたが、無事、着荷しました。店舗は18に及びましたが、2つほどちょっと遅いかな?と思うところもありましたが、結果オーライで、トラブルの発生はいっさいありませんでした。

うーむ、やっぱりすごい^^; 当たりまえのことだけど、すごい☆ ぜったい誇れる美質の一つですね、この国の^^

というわけで、その後も都合7冊注文しましたが、順調に着荷しています。結果的に1冊平均643円のお買い物となりました。どれも必要な本なので満足です。でもま、これで一段落かな。

振り返れば、アイヌ関連からはじまって、日本近代の民俗史にはいり、日本教的神の確認から能へとすすみ、美しい日本語としての謡曲を渉猟しながら、その時代背景をなす日本中世の庶民生活をまさぐるなかで、その指先は説経(節) の世界まで延びました(ちなみに説教じゃないですよ。坊さんでも先生でもないので^^;)。そして、畏敬する官兵衛さんに寄り道したりしながら、最後は翻然として現代にもどり、森敦さんの名作『月山』を味読することにして、一連のシゴト関連書物収集の旅を終えました。

まあ旅といっても、PC上で、アマゾン内マーケットプレイス店舗と「日本の古本屋」登録店舗に発注するだけの、足を使わない単純作業ではありましたが、脳内的にはけっこう楽しい旅行気分を味わいました^^ いわゆる“脳内旅行”ですね(笑)

しかも、どれもシゴトの血となり肉となる(はずの^^?)ものばかりなので、楽しさ倍増です(微笑) ・・・さ、遅読派としては、じっくり時間をかけて、愉しみながら読んでゆこうと思います。


2013-05-19

今日の「日曜美術館」は瀬戸内・直島の現代アートですね。
テレビではなんどか断片的に見たけれど、観に行ったことはないので、しばらく滞在してじっくり鑑賞してみたいですね。なにかが待っているかもしれない・・・ような予感。

ひとつの共通する(かもしれない)テーマは・・・余白の美学かな。
もうひとつは、たとえば、借景を切り取ったときの、その絵からうけとる開放感、のようなもの。

それにしても、現代アートとしてのあの神社は、「神社」の本質を無言に活写していますね。行って、この目で観てみたい。・・・(^^) そういえば、ナビゲーターの中谷さん演じる黒田光(てる)の旦那さんの本がきのう届きました。

ムック版の『黒田官兵衛』ですが、とりあえずさらっと全体に目を通したら、人物像に多角的にアプローチしてあってなかなかいい本ですね。私は官兵衛さんを畏敬する者の一人ですが、彼の知略の具体例には不案内だったので「七番勝負」の詳しい解説はありがたいです(^^)v

官兵衛さんが側室を一人もおかず光さんと添い遂げたというのは、長政という子宝に恵まれたこともあるでしょうが、やはり、棄教したあともキリシタンの一夫一婦の戒律を守りとおしたのではないかと。

つまり、偶像拝跪も声に出して祈ることもなかったけれども、Wikiに「モーゼの後継者であり、カナンの地を攻め取った旧約聖書のジョズエ(Josue)も引用しているとされる」とあるように、心の奥底では棄教後も、キリスト教思想 (というより、どちらかというと旧約的世界観と戒律 )が人生の指針のコアなパートを占めていたのではないか・・・。

信仰は個々人の内心の問題であることを熟知していて、その意味において、彼は外目にはぜったいに見抜かれることのない、完璧な隠れキリシタンだったのではないか、という気がします。

「如水」と名のると仏門にはいったかのような印象を与えますが、同じくWikiにあるように軍師らしく孫子の一文から拝借したともとれるし、晩年、連歌や茶道に傾倒したことからも文化人としての嗜みを重んじたようで、侘び寂びの世界から禅へも感心が向かったようですが、仏教徒的な読経・写経の隠遁生活とは一線を画しているようですね。

ということで、そこにもまた、この人のなかにキリスト教的心性を見てとらずにはおれないわけですが、官兵衛さんを知れば知るほど、明治以降の先導的役割をはたした近代日本人の面影と重なってきて、この人のもつ(私のとっての)あらがいがたい魅力が、表に出た知略・調略の鮮やかさだけでなく、水面下に広がる裾野の広さにもあることに、いまようやっと^^:(この本を読んで)気づいたしだいです。

・・・ん? ここまで書いて、また読み返してみたら、P.57の「官兵衛とキリシタン信仰」の小見出し内記事では「(捨教は)意図的に流されたものであろう」とのこと。やっぱりカムフラージュだったようですね。それも絶対にばれないくらい徹底した「転び」の偽装・・・この人物ならできたはず。信仰心を神の崇拝へと向かわせるのではなく、内面ふかく寛(くつろ)がせることで。


2013-05-21

さて、きのうのラスト2冊の着荷でもって、4月下旬からの本の注文シリーズは完了しました。

25冊とも郵便事故なく到着。最終的に平均643円(送料含む^^)でもって、関心ある情報や鑑賞したい作品が蔵書となったので、満足です(^^)

こうやって眺めてみると、能と民俗関連を中心に、すでにもっていた関連本を足し合わせると、日本中世(平氏・鎌倉・室町・戦国)の、とりわけ鎌倉・室町期の資料が充実したことになり、この国でもあまり人気のないどこか陰鬱な印象のつよいあの時代に、ぐっと親近感がもてるような気になりました。

どちらかというと、あの時代の庶民像にこそ、それぞれの身分と運命を背負った剥き身の人間たちの必死に生きる姿が一級品の各種資料を通じて、ありありとそして生き活きと、見て取れるのではないかと思います。

芥川龍之介さんや森鴎外さん、そして映画監督の黒澤明さんたちが、あの時代に熱い眼尖を注いだのもわかる気がします。これを機にボクちゃんもアプローチしよっと・・・自分流に(^^)v


さて、きのうのネット記事でちょっと響いたのは、毎日訪れているブログ「DARKNESS」さんのこちらの記事。
100円を円安と煽っているのは日本を破壊したい人だけ

このタイトルもいつものようになかなかエキセントリックですが^^;、記事はラストの締めだけ除いて、マトモ・・・私の見立てでは^^ 

で、ラストはこうですね。
「私たちが今、一番安心できるのは政府に身を委ねるのではなく、多国籍企業に身を委ねることだ。あなたも、どこかに一生就職するつもりでお気に入りの多国籍企業を見つけ、あたかも貯金でもするかのように株式を買い集めてみてはどうだろうか。政府よりも、自分の寿命よりも長生きする企業はどこかにあるはずだ」

こ、これは・・・“悪”のコーポラティズムに対する皮肉だろうか、それとも進路選択に関したマジメなお勧めだろうか?

私にはこの結びは、「1%」(の支配層)に食い込むんだ! それがだめでも、その直下の9%(の管理者層、ただし私のあてずっぽうな見積もり^^; 日本の江戸時代でいえば武士階級のイメージ)になって、たった一度の人生をしこたまエンジョイしなよ! と勧めているような・・・^^?

このブログ主さんは、ノワール風な切れ味で世相を袈裟斬りにしつつ、ところどころで株式投資ベースのファイナンスを推奨している様子がうかがえるので、この記事のラストの表現が皮肉ではなく一種の勧誘めいたものであるとすれば、この人の思想的あるいは組織的背景がなんなのか、ちょっとばかし気になります。・・・というわけで、いつもととちょっとちがった意味あいで印象に残る記事でした。



 

2013-05-22

さてきのうは、まったくプライベートなきっかけで、老人性認知症と再生可能エネルギー固定価格買取制度について、お勉強をしていました^^

前者はアルツくん^^;を気にしつつ(=この物忘れの速さはひょっとして・・・?と怖れつつ^^;)暮らしている者として勉強になるし、後者は売り手としては無縁だけど「再エネ賦課金」という形で関係していることなど、なかなか社会勉強になりました。

ちなみにこちらの動画情報では、冒頭でそこらあたりの解説を超簡単にではありますが前振りとしてやってくれて、なるほどねえ、と参考になりました。その後のメインの情報内容もおもしろいですが。

まだまだ日本にはお宝が眠っているのでは   (投稿者 tvpickup  投稿日 2013年05月16日)

またこちらの記事では、あの国際金融界の覇者GSさんも参入するとのことで、投資先としても、そうとう有望な分野だということがうかがわれます。

米ゴールドマンサックスが 日本で再生エネ事業に直接進出 3000億円投資(各紙)   (サイト「Finance GreenWatch」より)

今般GSは、メガソーラー向けの資金調達事業をはじめるだけでなく、自ら再生可能エネ事業に乗りだし、大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建設するとのこと。電力事業者にもなるというわけで、国が推奨する再エネ事業、そうとう有望な分野のようですね。ふむふむ。

さてと、今日の社会勉強はなんにしようかな^^? 呑み込みがわるいので、きのうのお勉強の続きをしようかな^^;

あ、そうそう、そういえば、シゴトがらみの読書だけど、以前から読まなくてはと思っていた安楽死関連 の本数冊を久しぶりに読み接ぎました。少し間をおいたことが、結果的に別の見方を開いてくれたので、それがけっこう刺戟になって、プロット展開を少し変えることにしました。これで進捗度がまたすこし後退するけれど^^;、今回は急がば回れを信条に、期限に合わせた拙速仕上げは・・・しないことにしています^^;



2013-05-27

さて、きのうはふと思い立って岸上大作さんともう一人の歌人の雑誌切抜きデータを探していたのですが、クリアーファイルや蔵書用コンテナや収納バッグなど、しまっていそうなところを片っ端から開いては、行方を捜していたのですが、とうとう探し当てることができませんでした。

こないだの断捨離で誤って捨てたのかな・・・? いやそれはないはず。どこかに、なにかと混じって息を潜めるように、あるにちがいない。どこだろ・・・? それがわかればとっくに見つけてるさ、と、もう一人の私が皮肉っぽく応える。

万葉調の擬古文スタイルで神代をモティーフに壮麗に詠いあげたあの青年歌人(当時^^)。えーと、でてこない。
 さがしても 尚探しても 見出せず 時に転(まろ)びて 置き去りを知る
ような、もどかしい一日でした(^^;

岸上さんはいわゆる当時のピュアな学生運動家でもあった人ですが、いまでもわりと人気があるようですね。歌集『意思表示』をはじめとした、衒いのない日常語が放つナイーブな三十一文字の短冊たち。石川啄木さんと「きけ わだつみのこえ」と脳内でリンクします。

うーん、それにしてもあの、北原白秋さんをさらに神がかり風に先鋭化したような作風のあの現代歌人はだれだっけ。以前紐解いたときには、さらにネットで近況を辿った結果、なんとなく凡化(平凡化をあえてこう書きたい気分^^:)した印象を感じてがっかりしたのを憶えているけれど、資料が行方知れずになったとなると、あのとき紹介された作品をどうしてもみたくなった。・・・それにしてもどこに行ったのかなあ。というより(失礼ながら)誰だったかなあ。。。

ということで、ふたたびネットの大海をさまよっていたら、こんな2チャン・スレッド に遭遇しました。最初は格調高く?スタートしたようですが、2011年9月ありから「発見!2チャン最古スレ」の話題にシフトしてゆき、1001番まではいったものの、600番あたりから“記念カキコ”荒らしが激増して、悲惨な空中分解板となって終わっています^^; でもまあ細々とではあるけれど落ちることなく、11年間もまともな部類のカキコが続いたのは、すごい!のひとこと^^:
 

【同日追記】

あー、発見しました! 石井辰彦さんでした(^^) ぜんぜん“凡化”してらっしゃいませんね 。あのどきはどうしてそう思ったんだろう? まだインターネットそのものが成長期で、得られた情報がいまよりずっと少なかったからかな? それともあの、典雅にして鬼気迫る神謡のような詠みのスタイルを卒業して(平凡化して)いると感じたから・・・?

そうそう、「うーんすごい!」と思ったのは、石井さんの歌集『七竃』でした。こちらの記事の中段付近 に九首紹介してありますね。1・2・4・8・9番の歌が、やはり今でも、しびれます(^^) 荒川洋治さんの詩集『娼婦論』を初“見”したときと同じ、衝撃! 石井さんの歌を“見た”のが時系列的には先ですが。うーむ・・・やっぱりいいものはいい(^^)v

しかしそれにしても、Wikiの歌人一覧に載ってないのはなぜ? ありえない。だけど、ここをのぞいても思い出せなかったのも、いまうなずけた。ところであの資料、いったいどこにあるのかなあ・・・岸上さんのも一緒に綴じていたのにねえ。。。




 


改憲・・・どこをどんなふうに? なぜ?

2013-05-13 06:57:34 | 国政とNHKのウォッチング
2013-05-04
 
GW後半2日目ですね。気持ちのいい朝です。
憲法記念日のきのうもよい一日でした。

ということで、憲法改正論議が花盛りですね

改憲したい政府は、なにはともあれ96条のハードルを格段に低くする 戦略に絞ったもよう。

なるほど、やっかいな縛りであるこの数値規定をドーンと引き下げたら、本丸の9条とか基本的人権まわりの(為政者にとって目障りな)規定 などは、いざとなったら国会内の頭数(と国民投票集計時のムサシの大活躍^^;)で、なんら瑕疵なく合法的に「改憲」にもってゆくことができますもんね。

【現行憲法】
第九章 改正
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

【自民党による憲法改正案】
第十章 改正
第百条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

と、こんな違いがあるようですね。改正案では、敷居を低くする代わりに国会議決を経て、(法定の)国民投票にかけることとし、(有効投票の)過半数の有無をカウントする、という感じですかね。有効投票か・・・ムサシが選別するのかな(^^?

とにかく、「総国会議員の3分の2以上の賛成による改憲発議」が目の上のタンコブ。この敷居さえドスンと下げればあとは行けるっ!というわけですね。ふむふむ。


2013-05-12

憲法改正の件でちょっと思ったのは、憲法改正の動機として、「時代に合わない」という空気な見方があるようですが、憲法施行後1度も改正されていないことをもって「時代に合わない」とは言えないので、これ口にする人は、現行憲法のどこかどう「時代」に合わないのか。

そしてなによりも、この人の言う「時代」とはどんな時代かを併せてきちんと喋らないと、ただの改憲ムード作りのヨイショをしているだけになりますね。

そうなると、「時代」認識そのものがまず議論されることとなり、おそらくはここで議論百出になって異論反論の百家争鳴となるだろうから、そこで一定の共通認識(社会的合意)が形成されない以上、そこからさらに一歩踏み出して、
「だから現行憲法のここをこう変える必要があるんだ」
という、建設的な熟した議論へと進展するのは、なかなかむずかしいのではないですかね。

それとやはり、憲法96条はあくまで改正の手続き条項なので、これだけを改正の対象として、是非を論じるというのはばかげていますね。

憲法()改正に当たっての必要にして充分な“国民的動機”は、改正手続そもそものを変更することなどにはなく、あるとすればそれは、憲法の本体ともいうべき人権規定・統治規定 のどこをどう改正する必要があるのか、であって、たんに改正手続を定めた条項 だけを改正する(しかも時の政権与党が格段に改正しやすくする方向で)ために、第96条単独の改憲を目途とした“国民的動機”など、そもそもありえないですね。

したがって、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」により「国会」が改憲の発議をするのであれば、当然に、改憲の“国民的動機”が依拠している人権規定・統治規定のどこをどう改正する必要があるのか、についての広汎な議論を集約した上での改憲発議でなければならない。

つまり改正手続単独の改憲発議など、先の亡売国民主党政権同様国民無視(ひょっとしてその政権と同じく“敵視”か?)の為政者による小賢しい調略(あるいは霞ヶ関流奇策?)の一つである、と言っても過言ではないでしょう。

)以下、Wikipwdiaの「日本国憲法」より引用
国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を採り、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄と戦力の不保持という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。とりわけ「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の3つをもって「日本国憲法三大要素」と呼ばれる。<引用終り>

さて、今日はたったこれだけ書くのにも、なんと2時間もかかってしまいました^^; いかに日ごろ、日本国憲法を意識していないか、よくわかります^^: 現行9条では近未来の中共中国を撃破できないと思っているけれど、それじゃあついでに、人権規定も換骨奪胎していいっすよ、とはいかないですね^^;

それをやるつもりなら 、現行9条専守防衛下での国防軍は必ずしも矛盾しないから、ムリして改正しなくてもいいですな^^: ただそうなると国防軍になっても、米様やNATOさん絡みの戦争に「集団的自衛」の名のもとに“堂々と参加”することはできないままなので、さる筋からの強い要請で、少なくとも9条改正は必至でしょうけどね。

・・・ま、今後の推移を注視したいと思います。


 


My記事転載:花の歌/宮本常一さん/富士山の美

2013-05-12 19:35:31 | 日々あれこれ

2013-05-01

ふとグスタフ・ランゲのピアノ曲『花の歌 』を聴きたくなって、youtubeでいくつか拝聴しました。

この曲は練習曲かなと思っていたら、楽譜を見ると注意!サイトちと重し^^;) けっこうむずかしいですね。

二、三紹介記事を読むと、「バイエルの後半くらいの難易度」という人もいれば、「中級レベルの曲」という人もいて、難易度にはばがありそう。編曲で変わるっていうことなのかな^^?

この曲を聴くと、エドワード・エルガーの可憐な小品『愛の挨拶 』を想いだします。こちらのほうが、私みたいな初心者の指には優しいかな。やっぱり編曲しだいかもしれないけれど^^:




2013-05-06
 
GWのラストデーになりましたが、空は気持ちよく晴れています。

全国各地のライブカメラ をいくつか覗いて見ると、いま現在は、好天に恵まれている所が多いようです。

さてきのうは、民俗学者宮本常一 さんの名著『忘れられた日本人』のなかの傑作『土佐源氏』を味読しました。たしかに傑作です。これは聞き取り(学術的資料)であり作り物ではないのですが、谷川健一さんの民俗学的小説『海の群星』が連想されました。民俗学と小説(文学)は境を接しているようです。どちらも人間の生の姿に迫りますから、当然といえば当然でしょうが。

以前から幻の山間漂泊民「サンカ」に関心があって、いくつか本も持っていますが、この書は、辺境の山里から平地の村里にかけての巷間をしたたかにしなやかに生き抜いた群像に目を向けている点で、それら謎めいた“異界の民”を見る目とはちがった、ほんのりと郷愁を誘う趣がありますね。まあ、大都会のど真ん中で生まれ育った人から見れば、彼らもまた“異界の民”にすぎないかもしれないですが。

で、なかなか味わい深い本なので他のも読んでみたくなり、宮本さんの『日本文化の形成』『山に生きる人びと』『海に生きる人びと』『活きていく民族―生業の推移』をも数冊取り寄せることにしました。なかでも、『日本文化の形成』はネット上の書評も多く、「稲作を伝えた人びと、倭人の源流、日本文化にみる海洋的性格、畑作の起源と発展、海洋民と床住居といったテーマで、日本文化の源流に関する仮説を発想、展開している」とのことで、たいへん興味あります。もうそろそろ届くかな^^

GW直前から谷間までに10冊注文しましたが、すでに9冊手元に届いています。ここ大丈夫かな?って思う所が2軒ほどあったけど、ちゃんと届きました^^v なので、今日発注した3冊にも1軒どうかなって所が混じってますが、まあだいじょうぶだろってことで、最安のにしました^^:




2013-05-11

きのうの「おはよう日本」を見ていたら、富士山の美しさの秘密の一つが数式で説明できるとのこと。

例によって、PCに向き合いながら耳でTVニュースを追っていたので、画面に目をやった瞬間、「見ぃーせなぁーい」って感じで、ネイピア数を使った数式と富士山の稜線の画面が数かな残像を残して消えました。

で、今朝、布団から目が覚めて、きのうのことをいろいろ思い返していたら、あの数式、正確にはどんなんだっけ?と気になってきて、「富士山 美 数式」でgooったところ、「東洋経済オンライン」での桜井進さんの記事 にあの放送と同じ絵がありました^^

指数曲線を表わすこの式・・・ y=e^x 

なるほどねえ、数学はやはり「ことば」ですねえ。無駄な修飾なくスカッと事象を記述することば^^

・・・と、自分的には「富士山の美」を記述する数理言語の機能(はたらき)のほうに響いてしまいました^^:

で、この記事に「ウェーバー・フェヒナーの法則 」というのがあって、人間の五感は対数に変換されている とのこと。あの武田先生もこの法則が気になってらっしゃる ようで、なるほどねえと・・・たとえば感情的存在としての人間、という見方だけでなく、対数的存在としての人間という見方もできる。。。(人間固有の性質ではないかもしれないけど^^?)

あ、PRするわけではないですが、桜井さんの『雪月花の数学 』もおもしろそうですね。さきほどの富士山の稜線と指数関数の話のほか、白銀比(日本)と黄金比(西洋)の対比や関孝和の和算の凄さなど、数学の教養書として楽しく読めそうです^^

うーん、なんかまたひとついいお勉強になりました。いやあ生涯学習ですねえ・・・^^;


 


◇~能の気配・・・神の気配 〔2〕

2013-05-12 18:37:46 | 日本式NWO模索の糧

5月5日、注文していた能の本のうち、『あらすじで読む名作能50』が届きました。なかなかよい本です。三島さんの『近代能楽集』八編のうち『綾の鼓』以外の七編の原作解説が載っているので、なおさらグッドです。

ただ、届いたこの本。ひとつだけよくない点がありました。それは、やけにタバコ臭いこと。マーケットプレイスの出品物だったので古本なわけですが、見た目が美本なのにこのヤニ臭さはいただけません。むかしよく利用していた薄暗いネットカフェを想い出しました^^;

それにしても、どのページを開けてもつーんと臭ってくる。ひょっとして臭気、タバコではなく、豪華な多色刷り印刷と関係しているのだろうか。まあいいや、そのうち薄れてゆくだろう・・・^^;

で、写真と活字だけでなく、舞と働き(所作)を観、謡と囃子と掛声を聴きたいので、能のDVDをサーチしてみたのですが・・・高いですねえ!^^; プアマンを自認する者としては購入する気力がわきません。そこで前日に引き続きYoutubeをサーチしたところ、断片的なものばかりではありますが、新たにいくつかの鑑賞に堪えうる動画がありました。まずはこれらを愉しみたいと思います^^

で、ですね。じつは驚いたのですが、その動画群のなかに『“Pagoda” kuse』というのがあって、外人さん^^の愛好家の方々が舞っておられるようですが、「ん? これってこないだテレビで観た『求塚』の終わりの方の場面だな。と気づきました。Pagodaは一般に仏塔を意味し、この曲の「塚」とも符合します。

しかもこの演舞、謡を英語でやってのけいる^^;にもかかわらず、それほど違和感を感じないという点でも印象的ですね。それにしても、能楽の世界でもマイナーな曲の『求塚』が、外国の愛好家の演舞で観られるなんて、じつにサプライズです(^^)

ところで、この動画投稿者のリストを見ると、ほかにもいくつか能の動画をアップしてあるようですが、たとえばこれなど は、非常に熱心に取り組んでいらっしゃるけれども、同時に非常に残念なことに、掛声が棒のように直線的であったりただただ飛んでいる(ヤッホー!に聞こえる^^;)ために、どうしても雰囲気に乗ることができません。

もうすこし声に抑揚をつけてしならせ、発声の最後ですっと抜き去る・・・。そこらあたりの、神の息遣いを思わせるようなしなやかで強靭な掛声があれば、日本人の掛声とほとんど変わりないのでは、という印象をもちます。たとえば、能の演舞を簡素化したこちらの舞囃子 はなかなかのものですね。

うーん、能はやはり、深い。私の印象としては、これはやはり、日本の神が気配のなかに在り、気配そのものがこの国の神(の正体)ではないかと思わせてくれるほどの、神の舞、と思えてならないですね。

神の舞なら、古来から神楽 があるわけですが、これは神を畏れ、崇め、鎮める奉納の舞。能は、神だけなく男・女・怨霊・鬼などの燃え上がらせる情念の炎を、火宅(人の世)に咲く夜桜(花)のように凛と幽玄に謡い舞い演じあげる芸能。

前者は神の現前をつよく意識し洗練されたシャーマンのように直接対面する姿勢を保つけれども、後者は情念の物語の裡に婉曲的に神の気配にふれるにとどまる。すわちこれ秘すれば花の極地。・・・ここらあたりの興趣に、もう脳が痙攣てしまうくらいに痺れます^^; この国に、こんなに素晴らしすぎる歌舞劇の至宝があったとは。そしてそれを今ごろになってやっと知ったとは!

私に言わせれば、能は、彼岸にこそ在るリアル・ワールドに身を措いて、その岸辺から、この雑多で乱雑で賑わしい喧騒に満ちた地上世界を、すなわち火宅をじっと凝視する芸術ですね。それは、主人公であるシテ(とその補佐役のツレ)のみが面をつける決まり (付けない演目もある)に表れていると思います。演じ手はもとより観劇する者もまた、そこに在る神の気配に浸ることなしには味わいつくせない歌舞芸術の極北・・・。

ということで、かつて健軍神社で観た薪能のように、能がなぜ、その題材とする物語世界に仏教的諦観を色濃く塗りこめながらも、能楽堂のほかは仏閣ではなく、神社で演じられるのか。その理由にも合点がいきます。

さてさて能との出会いによって、日本教の御神体(≒気配そのもの^^)にまで一気に迫ることができました。おかげでなんだか脳までも活性化したみいで、とっても嬉しいです(^^)v さてこうなると、あとは能(気配の神(々))と真言密教(曼荼羅の世界)を結びつけるだけだな・・・シゴトの一環として^^ ま、これについてはじっくり考えてゆきます^^:

・・・そうそう、能といえば、あの織田信長さんを連想 したりもしますね^^

 


うーん、ここまでくると、能からもう抜け出られそうにありません(笑;)

「世界中に、これほど形而上的で、これほど濃密な、そうしてこれほど完成された演劇が、ほかにあるだろうか」と、『これならわかる、能の面白さ』のなかで著者の林望さんが感嘆しておられるけれども、「なるほど、やっぱり能はスゴイんだ!」と、誇らしい気持ちになりました。

歌舞劇としての能の題材は多岐にわたり、展開する物語世界は仏教的諦観に彩られているけれども、能はこの国に特有の神の気配(=ほとんど神それ自体)を究極まで追窮し体現した稀有の芸術ですね。そういう意味で、世界に類を見ない。

さて私のシゴトは、この偉大な「能」芸術にどういうふうにコミットメントしたらいいか・・・? 『近代能楽集』の真似事は、能力不足もさることながら独創性信奉上もできないので^^;、章曲と章話の二様の網を広げて能に接近し、これをどう取りこんでゆくか・・・・・・ゆける力があるとして(微笑)

 


能に関しては、謡本も眺めてみたくなりました。能で語られる日本語があまりに美しいから。林さんが仰るように、世阿弥の謡曲(詞章)はどれも極限まで彫琢されているようですね。ぜひ味読したい。あと、新作能に『空海 』というのがあるようですね。能と曼荼羅に形而上風味の相関を見いだしたいので、参考としていつかこれも観てみたい(できれば派手な演目でないことに期待します^^)。・・・うーむ、とにかく能は、底なしに深く、「凄い」の一言。

 


 能については、新作能 についての興味ぶかい論稿があったので、じっくり精読させてもらっています。1904年から2004年までの100年間(101年間?)に創作された新作能のうち316曲(ほとんどカバーしてあるのかな?をピックアップし、一覧表で紹介してあります。

◎ 新作能の百年(1)(2)  西野春雄 (著) ・・・pdfファイル(どちらもわりと重いです^^:)

題目を見ると、空海・日蓮・親鸞はもちろん鑑真和上やさあにはイエス・キリストまでも登場していて、美人ものではあのクレオパトラさえもエントリーしています。ほかにも、シェークスピアのハムレットやオセロ・マクベスを翻案したものもあるようで、なんというにぎやかな演目の数々!

著者によれば、その大半は表面的な型を踏襲しただけの、あるいは、奇抜ではあるが「能の本質」を捉えそこなった作品で占められているとのこと。
(「能の本質」・・・これを明らかにするのがこの論文の目的だそうですが、それは終わりのほうに結論として書いてあるようで、まだ読了していないので、その内容についてはまだ不知です。じっくり精読して、その「本質」について学びたいと思います^^ ちなみに、「能の本質」についての私の“理会”は、いまのところ、このエントリーの真ん中あたりに書いている「私に言わせれば、能は、(~略~)」と、その補助線となるこのような経緯 によっています^^)

時事・事件ものとしては、原爆や水俣病を扱った作品もあるようで、となると、2011年3月後半以降には、311を扱った新作能がありそうですね。大地震と大津波のもたらした東北太平洋沿岸部の巨大な惨禍。原発過酷事故の際限なく膿出す様々の艱難難辛苦。新作能によるこれらの犠牲者の鎮魂と復興へのたゆまぬ歩みを誓う謡と舞の作劇がすでに二、三曲あることでしょう。ただ、このリストによれば、阪神・淡路大震災に取材した作品は今のところないようです。




(※)エントリータイトル冒頭に「★~」が付いた記事は、この国での「新しい邦づくり」を通奏低音としたメモ書きです。ちなみにここで用いる「邦」は「国」=「国家」よりもずっと小規模の、大字から郡や小規模市ていどのコロニー(地域共同体)と、それら共同体の求める産品・職能等さまざまな補完アイテムを交流するネットワーク(連合体)をイメージしています。


 


◇~能の気配・・・神の気配

2013-05-02 18:31:52 | 日本式NWO模索の糧

4月28日日曜日朝のNHK「サキどり↑」によると、最近の洒落た日本酒がフランスで好評らしいですね。以前のまったり感のつよいあま味の清酒からすこし脱皮したのかな^^?

クールで切れ味のよい風味のなかにさらに染み入るような味わい深さがひろがる日本酒。冷酒が登場したころから日本酒のイメージが変わりはじめましたよね。ふだんは一滴も酒精を体内に入れてないので、ちょっと嗜みたくなったな・・・^^: でもビンボーなんで脳内味覚センターで味の記憶をブレンドして味わおっと(笑;)

「日曜美術館」。きょうは「神々を彩る美」か・・・。居並ぶつつましやかな「神像」。紹介されている神像たちは、平安当時の身近な人物像に取材した偶像の面々ですね。仏像と違って決まったフォルムはないそうなので、もちろん異形であってもいいし、人物を象ったタイプも、表情豊かに喜怒哀楽を表していてよいそうです。

人としてはじめて神になった菅原道真。神になった理由は、道真の死後つぎつぎと襲う藤原一族の不幸の原因が、失脚に追いこみ憤死した道真の怨念と感じた(陰陽師がそう判定した^^?)ことから、その怒りを鎮めるために「神」として敬い祀った、というわけですか。なるほど。

人智を超えた荒ぶる力を放つ超自然的な存在を認め、その存在に恭順し、いわば懐に飛びこむことで怒りを鎮め、あるいは、前もってかわす。たんなるアニミズム的な八百万の神々のイメージではない、言い換えれば、多様共生そのものの自然界の秘めもつ奥深さを偶像化しただけではくくれない、この国のどこまでも曖昧で茫漠とした「神」のイメージが、むしろそのようなつかみ所のない、一種の“もどかしさ”を誘うそのものが、この国の「神」の実体をなすものであると、ぼんやりとながら感じることができた・・・ような気がしました^^

登場したお三方の、寡黙ななかにも、(MCとゲストの立場上)無理してことばにしようとしているひたむきな姿勢もまた、印象的でした^^ 日本の神は概念化すればするほど、遠くに隠れてしまいますね。なんという奥ゆかしさ。「幽玄」もここらあたりの神の性(さが)に由来するのかな。

もちろんその性は、この国の自然のいたる処に、視聴覚の結ぶ花の実として、同時にまた、香り漂う“神の気配”として、津々浦々の山海や人里に充溢しているけれども^^ 味覚としては、さきほどの日本酒もまさに神の性から滔々と流れでる、名実ともに「美酒」ですね。ほかに例をあげれば、それこそきりがないですが、個人的な好みとしては、能や生花や日本刀。

ただ奥ゆかしさはこの国の神の一面にすぎず、神像ひとつとってもオツに澄ましているだけでなく、やけに怒っていたり、とっても愉快な庶民顔だったりもする。たぶん展示をはばかられるようなエロチックな神像もあるにちがいない。というのも、郷里にあるわりと大きな神社で数十年ぶりの大祭(神々の蔵出し?)があり、普段はお目にかかれない神々の像のなかに、男女それぞれの性的シンボルをリアルにかたどった神像?を路傍から観覧した経験があるので、そう思います^^:

そのちょっとグロい神の臓物が行列に姿を見せたとき沿道ではドッと笑い声が上がり、私も釣られて笑ったけれど、内心は神社のイメージが変わるほどの衝撃でした^^; でもまあ考えてみれば、天照大神の時代から神々はおおらかだったなあと、あとで納得したことでした(笑)

というわけで、この国の神はさまざまな顔を同時に持っていて、どれが真の姿と決めつけることはできないので、けっきょく、日本の「神」概念に迫れば迫るほど、わからなくなってしまいます。つまり、そういう意味でも人智を超えている(^^; それこそまさに、この国の「神」の真髄ですね。

つまり、この国の神の探索は、明快にことばの鏡に写し取れないまま、いつの間にか出発点の風景にもどってしまう。まるで、メビウスの帯やクラインの壷のように。ただ、裏返しの位置にいわば“倒立”して立っていることに気づくのはむずかしい。なぜかまわりの風景まで、私と一緒に倒立しているから。

あたかも色即是空にして空即是色であるかのような、この国の神(の観念)。それは、ことばで世界解釈をしたい(≒ことばによる意味のタイル絵を描くことでもって、この世に棲むことの安心立命を得たい)と欲する者としては――いやそれだからなおさら――折々の場所場所で感じるそれとない「気配」でしか出遭えないのかもしれない。

ことばとふかく関わっておられるMCのお二人が、この国の神の偶像、神像たちを前にして、ことばすくなになるのも、日本の神々への畏敬というよりも(いや失礼、畏敬もさることながら^^)、

“絶対に確かなつかみ所を与えない神(々)”と対面して当惑している様を、如実に物語っている、と私には観えました。もちろん私自身がいちばん、素朴でノーマルな人型神像に当惑しているのですが(笑;) ・・・この国の神(々)の変幻自在な様にはまったく驚かされます^^

それに比べると、アブラハムの宗教 のなんとわかりやすいことか。神なる存在は唯一絶対のもので、人格まで備えている(脳内言語中枢を介してマインド全体に浸透する関わり方が主軸であるから。ちなみに、契約思想もこれに由来する)から、じつに神としてわかりやすいし、その存在が明快なであうっるぶん、頼りがいのある存在でもありますね。ただし、言いつけにそむいたらとっても怖そうだけど^^;

うーんこう考えると、「神」という超越的な「観念」は、メタ次元的な統治システムとして、私たちの頭上での存在を要請されているかな。やっぱりこの世界は奥がふかい・・・比較宗教論ふうなアプローチはシゴトにも不可決だし、もっと勉強しなければ^^;



さて、ここで話しを流れをやや変えて、今度はこちらのテレビ番組

安部礼司くんのナウでビビッドな世界とは真逆^^?の世界ですが、古典芸能のなかでも燻し銀の光彩を放ちつづける能。

演目は『求塚』(もとめづか)。うーむ、むむむ・・・、うーむ。。。

正直言って、ほかのチャンネルが興味なかったので、とりあえずEテレに舞い降りて、
(ほう能か・・・。元旦以来だな。ちょっとだけ正月気分を味わってみるか)
と、見るともなく目をやっていたら、なんと奇妙なことに、すーっと画面に吸い寄せられ、ときおり<dデータ>ボタンを押して番組情報を読み取りながら、とうとう最後まで観てしまました。

自分でも意外な反応でしたが、この時はじめて「能」(紹介動画 )の秘めもつ「おもしろさ」に触れた気がしました。たぶん、この歳にしてやっとそのおもしろさに気づいた。いや、この歳になって^^; 

そこで、三島さんの『近代能楽集』が頭をよぎったので、さっそく蔵書コンテナを開扉して本を取りだし、中身に目を走らせましたが、残念。『邯鄲』『葵上』『道成寺』『熊野』など、どれも有名な演目のようだけれど、オリジナルの舞を観ていない。まずは伝統の舞から鑑賞しなくては。

で、どうして『求塚』にこれほど惹かれたのだろう、と内省したところ、どうやら、この日の朝観た「日曜美術館」の『神々を彩る美』に関係しているようです。詳しくは、きのうのブログ記事に縷々書いていますが、その想念がまだ頭の片隅に残っていて、それが、『求塚』の重厚で緊迫した舞と謡に遭遇して一気に再燃し、そこに強烈なほどの、この国の“神の気配”を感じた。感じないではおれなかった。

どうも、そういうことのようです。そして、この“気配”を感受することで、私は、それまでよさの分からなかった、だけれどもどこか気になっていた「能」という芸術を、理会できた気分になりました。勝手な思い込みであろうがなかろうが、そんなことは関係ない。なんだか素直に、ひたひたと嬉しい。それで充分だ・・・。

と感じながら、今朝、まどろみが解けてゆく寝床の中でぼんやり想ったのは、例によってそこはかとない連想だけれども、こんなことばたちの想起でした。

神の気配 社(やしろ) 神楽 『古事記』 『日本的霊性』(鈴木大拙 著) 禅 書道 茶道 侘び寂び 能 花(桜)  山河(この国の) 『風土』(和辻哲郎 著) 富士山 数々の霊山・霊場 神仏習合 日本仏教 これらすべてに宿る気配としての神 神は同時に神々でもある(単複不二)

おかげて、とらえどころのないこの国の神の形象(かたち)が、心(あるいは想い)のスクリーンにわずかですが、見えてきたような気がします。もちろん気配のそのものの形象ですが・・・^^; (きっと、粘菌もびっくり^^;)

そうそう、観世流宗家によれば、能は自ら舞ってこそ、そのおもしろさ(奥深さ)を堪能できるそうです。なるほど、神の気配にひたりきるには、自ら舞うのがベストのようです。(神の)外側からかしわ手で祈るのもいいけれど、舞うことで神の懐にはいる・・・。ちなみに神楽の舞はその古代版かな。

さて、そんなふうに考えると、三連峰をなして聳立するアブラハムの宗教や個(モナド)の縛りからの解放(解脱)をめざす上座部仏教、広大無辺でダイナミックなヒンズー教群にもひけをとらない、日本的気配の神が、まるで鰻を素手でつかむようにことばで捉えることができそうな気になってきます^^

ちなみに、客観的な把捉のむずかしいこの国の神は、その性質ゆえに、この国の自然の防壁である沿岸域まで無理なく容易に、神(々)と一体化した国土としての「神国日本」にまで膨張します。ただその容易さゆえに、政治的イデオロギー以前のものとして、津々浦々に暮らす庶民の生活感覚においてごく自然に感応することが可能でもあります。

ですが、その素朴で庶民的な神への感受性が同時に、ことばのフィルターを通さない〔あるいは通すことを許さない?〕この国の神の有りようのために、やすやすと、時の権力者による統治上の政治的イデオロギーにも援用される、という危うさを秘めてはいますが()。


このイデオロギーの核心は、端的にいえば「天皇制」ですが、これは裏を返せば、すくなくとも極東の弓なりの連投国においては、なんら矛盾しない(無矛盾^^)であることを自ら明示しています。つまり、三島由紀夫さんのいう「文化」それ自体でもあるわけです。なので、政治的イデオロギーにおいては、このことをまず充分に腑に落とした上で、「国体」(=国家としてのアイデンティー。国民体育大会とは別物^^;)を保持する必要があります。

ですが戦前同様、そこらあたりの突き詰め方が、まさにこの国の神の顕現ともいえる“空・気(くうき)”に包まれ流されて、理知的理会(論理的言語を駆使した意味把握または意味付け)が中途半端であるため、その成果による明知によらない、情念的なうねりとなって、おかしな(中長期的に自滅の)方向へと向かいかねない「危うさ」をもっている。
はここまで)

いまのアベちゃん(あ、安部礼司ではないですよ^^:)のハッスルぶりもまた、その「危うさ」をよく示しています。

問題は、上述したようなこの国独特の神の特性が、地上の覇者の棲む“国際社会”に理解可能な「神」かどうか。言い換えれば、われらが「国つ神・天つ神」は、ヤーウェでもなくアッラーでもなくイエス・キリストや聖母マリアでもなく、いまはまだ知る人ぞ知るの「ルシファー神」とソリがいいかどうか・・・^^;

ここのところがこの国がこれからさき世界的リーダーシップの一端を担えるかどうかの、いわば試金石になるでしょう。・・・えっと、ちょっと小むずかしかったかなあ。え? あ、なるほどね。ザッツ・ライト! いつもの馬鹿丸出です(爆)



ところで、ここまで書いてきて、先日「へえ・・・」と思ったのは、都知事の猪瀬さんの“舌禍” 。即時抗議ではなく、ちょっと間をおいて会見 した内容は、真意が伝わっていない。文脈からはずれている、といった趣旨の弁明。

この国のぬるめな“空気”のなかでなく、米メディアの充分に間合いをとったクールすぎる評価眼をまえにして、昔なりわいとした辛口ジャーナリストっぽい口舌を“日本空気モード”〔言いたいことわかるよね^^?、なモード〕のまま(あちらさん向けにロジカルな加工をすることなく)ポンと披露したところ、(待ってましたとばかりに・・・?)サクッと足元をすくわれたって感じかな。

この国の首都のトップは「国際感覚がない」と見られてもしかたないな。寡黙で“空気”そのもののこの国の神(々)は、あちらサイドでは異次元のものであり、ゆえに非存在であり理解不能であり、パワーバランスの優越上先方が(山本七平氏のいわゆる「日本教」の発する“空気”モードの言外ニュアンスなど)理解する必要もないのは、常識なのに。

ちなみにこの記事 はただのやっかみだろうと思って読み流していたけれど、案外あたっているかもしれない。しかも、あの上紐時にしゃべったらしい。大名気分に酔って脇が甘くなっていたのもうなずける。

【同日追記↓】

えーーー??? うっそおーーーー!!!

と、この記事を読んで思いました^^;
NYタイムズをうまく使った猪瀬都知事   (ブログ「カレイドスコープ」より)

す、すごい読みですね!(^^;)

うーむ、猪瀬氏はただの成り上がり大名ではなかったわけですか・・・^^:
にわかに同意はできませんが、否定もしません。材料がないので。

でも、石原の親分が内諾しているなら、猪瀬さんとしては潔く、「諸般の事情で降ります」なんてことは言えないわけですかね。

IOCの顔に泥を塗ることになるから? ・・・どんなふうに??
「やっぱおります」なんて言わせない(イルミナティカードの^^;)縛りがあるから?

ということは、マドリードもイスタンブールもじつは落選がきまっていて、いまは出来レースのまっ最中だということ?

だったらこないだの来日でも、そしてこれからも、ヘタくそなプレンゼンと形ばかりのおもてなしをすればいいだけなのに。なんかダンディハリマオさんこのこの記事、考えすぎのような・・・?

でも、「日本は、わざわざ地獄の門を叩く危険を冒す必要などないのです」には同感で、個人的には、東京オリンピック開催は興味ないです^^

ちなみにトルコは、映画『アラビアのロレンス』では誠に恐ろしい国として描かれていますが^^;、日本にとってはイスラム圏の貴重な「親日国」。私も、機会があればカッパドキアを訪れたい。(あそこにはほんのりとノスタルジーみたいなものを感じるし・・・初期キリスト教徒の隠れ処だったころの・・・微笑)

あと、トルコのとある町のたたずまいは、どことなく日本の路地裏とにた雰囲気があるそうですね。日本人のルーツの一つは、チベットやブータンを越えて、小アジアまで広がってゆくのかもしれない・・・^^?