空 の 樹 II

 
 
 
 
シゴト〔私事〕とシュミ〔主実〕あるいは日々のあれこれ

☆ やはり能はすばらしい。いや、素晴らしすぎる ☆

2018-03-16 10:07:57 | シゴト場から&鑑賞メモ

(※)この写真は「the能ドットコム」様よりお借りいたしました。

2016-04-26


きょうは4月25日月曜日。昨夜のNHK『古典芸能への招待』で放送された「能 『隅田川』~宝生流~」を観ていて鳥肌が立った。能独特の切れることのない緊張の漲るなかに、舞と謡と囃子と掛声の織りなす情念世界が隈無く舞台を覆い尽くし、終には紛うかたなき一塊の小宇宙ができていた。そしてさらにこの曲においては、語られる物語の綾にもほだされて私の目頭は熱くなった。

すばらしい。ただただ能はすばらしい(能を観るとき殆どいつもそうであるように、またしても右脳が痺れた)。このような驚嘆すべき舞台芸術がこの日本にあることが、いまだに不思議な気がしてならない。そしていまさらながら、「日本文化はなんと奥深いのだろう」と感嘆せずにはおれない。


◎ 隅田川:梅若伝説(能、謡曲鑑賞)
◎ 能・演目事典:隅田川:あらすじ・みどころ

 


2016-06-29

 昨日(6/26)の能もよかったです。
 多田富雄さん原作の新作能『生死(しょうじ)の川 ー 高瀬舟考』。六百年余りの伝統に根ざしたオーソドックスな能形式(いわゆる能楽)を忠実に踏襲しながら、「安楽死(この場合は積極的安楽死)の放つ現代的な問いを発した秀作
 多田さんが新作能をものしておられることは知っていましたが、作品を観るのは初めて。アイ(間狂言)の説明的台詞がやや冗長かなとも思いましたが、後場でのシテの苦渋に充ち溢れた謡のいわば伏線をなすものとして、その激烈な苦痛の様をこんどは内側から、つまり、あたかも自らの大激痛であるかのように味わう先駆けの役割としてあの長広舌は活きていましたね。
 この大曲の新作能を観て、原爆を題材にした同氏の作品もまたこのようにインパクトあるものだろうと想像しました。こちらもいちど観てみたい。また多田さんに限らず、昨今の新作能(←注意:容量2Mbのpdf)あれこれ観てみたいものです。
 それから、談山能(たんざんのう)についてはまったく不知でしたが、通常の能舞台とはちがって朱色の四本の円柱と舞台奥の渋くて秀麗な一幅の掛け軸が独特の風趣を醸しだしていますね。
 テレビモニター内で演舞のアンソロジーがオンパレードするなかで、ふと思ったのは、それぞれの衣装の独特の色合い。色調は暗めでありながらも、それぞれの色合いがくっきりと際立っていて曖昧なものはない。いわば、渋さの中に重みと華麗さとが同居してたがいに引き立て合っている。
(あぁこれが日本中世の伝統の色調なのか……いまの日本にはないな……能ですら今様の表舞台には)
と自分ながらに得心しました。本物の日本中世に遭遇することができて……じつによかった。



2016-09-28

 きょうは9月26日月曜日。今月もいよいよ最終週のウィークデーとあいなりました。
 ところで、きのう放送のNHK 古典芸能への招待能狂言の名人・幽玄の花」~芸の真髄シリーズ~。 午後9時から2時間。伊地知も離席することなく、欠伸や肩もみもすることなく、じっと画面に見入っていました。とりわけ最後を飾る半能「絵馬」では、やは り右脳がしびれて、言葉にならない感動がお腹の底から胸へと湧水のように湧き上がってきて、極東のこの島国にこのような素晴らしい古典芸能が花開き、いま もしっかりと承継され観劇できることの二重の素晴らしさを全身で感じ入っていました。ほんとうにほんとうに、言葉にならないほど素晴らしい。この国に生ま れて、よかった(微笑)

 


2017-02-28

きょうは2月の最終日。いよいよ春が近づいてきます、かね^^? 一年のうちでいちばん好きな早春が、大好きな白い辛夷の花とともにやってくる・・・♪(*^_^*)

ところで、26日日曜日の「古典芸能への招待」。これまた昔から大好きな狂言だったので、じっくり堪能しました。
なかでも「歌仙」はおもしかったなあ^^b 今回はあの磯田道史さんも改作に参加した改訂演目とのことで、ところどころに現代風な表現があったりして馴染みやすく、そのせいか随所に声を出して笑うことができ、また、クライマックスでは能と歌舞伎の相中(あいなか)をいくような大立ち回りもあって、終始大変楽しゅう御座いました(*^^*)
萬狂言特別公演から内容詳細 - 古典芸能への招待 - NHK
狂言はおもしろい! - 徒然なか話



2017-08-10 (能についてはちょびっと触れてるだけですが^^;いちおうこのエントリに追記)

きょうは8月6日。葉月最初の日曜日(^^) ところで、「‘みなさま’のNHK」から「天下の強欲NHK様」へと華麗な転進を試みる「犬HKにして鵺(ヌエ)HK」の今年の夏(上期?)は(もっぱら日本の)異界シリーズを放送するようで、実は・・・愉しみ^^;
 ↑
【8/10追記】
NHK「京都異界中継」、 おもしろかったっす^^v 4時間ぜんぶ観た^^; ライブなのに怪談級の大きな事件(放送事故)がなかったのはさすがと思った^^;
 昔読書好きの中高 年の自分も、最初は、明るい部屋のなかでテレビのモニタ越しで、読み語りによることばのみの(恐怖の)イメージ喚起は、隔靴掻痒の感があったけれど、途中 から目を閉じて朗読に聴き入り、さらには部屋の電気を消して鑑賞していると、一話一話聴くごとにしだいに怖さの感覚が脳内に沈殿してきた。
 そこで気づいたのは、光と電子的情報の世界でいかに異界的畏怖の世界から遠ざかっているか、ということだった。そういう意味でも、よい番組だった^^
 あと、能「鉄輪」を観て右脳が痙攣するほどに痺れた。じつによかった。それから、むかしちょっと読んだ泉鏡花をふたたび読んでみたくなった。




2017-08-28

 きのう(8/27)の「古典芸能への招待」。金春流による能『実盛』と能『梅枝』(の一部)を鑑賞しました。

 『実盛』は作り物がないんですね。敢えて戦場(いくさば)での死を択んだ老武者の心意気と最期の様の遺恨とを幽霊となって告白する様が、往時の武士(もののふ)の生き方(すなわち死に方)を審美的に物語っていて、なかなか味わいのある一曲でした。『梅枝』は後場(のちば)のシテの悠揚たる舞を静かに愉しむことができました。

 で、 今回あらめて思ったのは能舞台の証明のこと。電気のない江戸時代までは、これほど煌々たる証明のもとでの上演はなかったであろうことを想うと、当時と同じ 明るさにまで落とさなくとも、全体的にもう少し証明を落とした方がよいのではないか、と思ったことでした。

 とくに、幽霊や霊魂が顕われて物語り舞い踊る夢 幻能において、あの明るさは、上演者の方々の緊迫した熱演にも関わらず、あたかも露出過度の写真がそうであるように、ほんらい重厚な舞台そのものを無用に 軽くしているように、私には感じられました。

 ま、それはともかく、今回は金春流の能舞台ということで、即座には観世流しか頭にうかばない浅学の者としましては、この観劇を機に、あらためて流派の再履修まですることができました(微笑)



2018-02-27

 おととい日曜日放送のNHK「古典芸能への招待」。 大好きな狂言、そして能が上演されたので、番組の最後まで観ていました。能の演目は『能「邯鄲」(小書き「夢中酔舞」)』。実によかったですね。今回も右 脳が痺れました…微笑。舞台照明が抑え気味なのも「電気などなき時代はかくやあらむ」と思わせるところがあり、尚よかったです。
 今回観劇していてつよく感じたのは、林望氏がおっしゃるように、「能の舞台は『この世』ではないのだ、ということ」(『林望が能を読む』林望 著、集英社文庫)
  そして、(TVモニタを通して)観劇する私は、舞台上の演舞を対面して鑑賞するだけでなく、いつの間にか(たぶん右脳の痺れが増すにつれ)舞台そのものが 放つなにか抗し難い霊力のようなものを一身に浴びながら、私の意識そのものが舞台の辺縁を遊弋している感覚に浸ることになる。言い換えれば、私と舞台との 間に境界がなくなってしまう。しかし、私が舞っているわけでも吟じているわけでも囃しているわけでもなく、あくまで鑑賞する者として境界なき舞台で繰り広 げられる能楽世界を一身で観じている。そして……私が“神の気配” を感じないでおれなくなるのはこの時である。むろん、此岸に身を置く者としてそれは「気配」のままに留まるが、その「気配」は曲が進むにつれて陶然と私の 心の奥から湧き起こり、観ずる私もその目線の先の幽玄なる舞台もともにこの心において、一つの世界に包まれていることを体感するに至る。ーーと、この名曲 を観ていて思い到ることができました。
 ちなみに、鑑賞しているあいだ部屋の灯りは消していました。舞台照明も含めて明るさもまた、能を全身で鑑賞するにあたって極めて重要であると感じます。

 ◎ 能・演目事典:邯鄲:あらすじ・みどころ  ◎ 京都観世会館 -能《邯鄲》の魅力-  ◎ 邯鄲 | 銕仙会 能楽事典


 それから、番組最初の『狂言「鬼瓦」』、番組終わりの『一調「龍田」』も、それぞれに興趣豊かな上演であり満足でした。TVの副音声での大谷先生の解説も簡潔ながら要を得ていてわかりやすかったです。



2018-03-15

歴史的速報@2ch : なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか
ーー 鎌倉室町時代ってなんか能を観ているような感じがするな^^; いっぽう、戦国時代後期から江戸時代にかけては歌舞伎な感じかな^^? でも、武士が政治 的実権握ったあの中世から近世にかけての時代、さまざまな階層の人間群像は、仔細に観るとそれぞれとても生き活きとしていて、こちらから(腰をかがめて ^^?)その時代の奥深くへとはいりこんでゆけばゆくほど、日々を生きることに必死でありながらも命の躍動感あふれる人びとの喜怒哀楽な魅力にじわーっと 惹かれてゆきますねえ。そうえば、そこらあたりも能(と狂言)の楽しみ方に似ている。
 ま、余談ながら能の鑑賞に関しては、私の場合、物語性は事 前にアウトラインだけをかるくなぞっておいて、観劇の最中は左脳をブロックして五感と右脳の感応のみに身を任せ、舞台上の緊張感漲る幽玄世界に沿ってわが 心魂を可能なかぎり添わせるような感覚で鑑賞することにしています。すると、名演(緊張感漲る幽玄な舞や謡や演奏)であればあるほど、時間がたつのを忘れ てしまい、終演時にはとても清々しい気分になっています^^♪



  

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