米山公啓のブログ

作家で医師の米山公啓の公式ブログ

介護施設に面会に行く

2012年05月01日 21時40分53秒 | Weblog

長く診ていた患者さんの何人かが、

クリニック近くの介護施設に入所しているので、

面会に行った。

 

以前から行こうと思っていたが、なかなか行けずにいた。

一人目は今年100歳になった方。

数年ぶりというのに、しっかり私の顔を覚えていてくれた。

大喜びのようだったが、以前から感情表現が豊かな方だったので。

車椅子だったが自分で運転して、見送ってくれた。

前向きで、明るい性格、介護士ともうまくやっているようで安心。

 

二人目 90歳近い方、老健なので、認知症が多い。

広いデイルーム。ぽつんぽつんと離れて座っている

半分以上が車椅子で寝ている。まったく静か。

私の顔は覚えているようだが、名前がわからず。

何度名前を言っても覚えてくれない。

それでも感謝の気持ちを表現してくれる。

来てくれてうれしいと。

平日の午後ということもあった、面会者はほとんどおらず。

会話の声もない。

 

楽しさとか明るさがないのはしょうがないのかも。

ただ認知症のフロアでは可哀想だった。

 

施設内には、社会背景、個人の思い出まで感情移入して会話して

くれる人はいないようにみえた。

なんのために今生きているのか  それに応えようがない。

 

3人目、比較的街中にある有料老人ホーム。

デイルームで人が集まりカラオケをやっていた。

ただ、面会に行った方は、そういう集まりが好きではなく

1人で廊下を歩いていた。

93歳。女性。

頭はしっかり、足腰もしっかり。

それだけに話し相手がいないとこぼす。

 

家族は2週間に一回面会に来ると。

北窓には曇り空。部屋は片づいている。

おみやげに持っていって柏餅を、一緒に食べた。

「まさか先生が面会に来てくれるとは」 感激しているようだった。

 

やはり、寂しそうには見える。

「家に帰りたい」と。

ひとりでも十分にやっていけそう。家庭の事情でここにいる。

 

90歳を過ぎて1人で生きるお年寄り。

隔離政策の介護施設では、入居者の心は救えない。

それは7,8年前に介護施設の施設長をやっていたときわかっていた。

 

様々な高齢者の介護施設がある。しかし、医療より必要なもの。

たくさんの人が寄ってこれる環境だろう。あるいは街中に

とけ込めるお年寄りの施設が必要。

いくら街中にあっても、施設は孤立している。それでは意味がない。