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緊急事態宣言4週間 国民の命を守るのは国会議員・首相の法的責任では?国民にお願いなど筋違い!

2020年05月05日 | 日記

今日は5月5日(火)こどもの日。晴れ。
学校閉鎖が長期化、いつ終わるとも知れない今年のこどもたちは、可哀そうである。
国民の教育を受ける権利の侵害?これって憲法違反!
そうそう、ご近所の神社さん、国旗の掲揚は諦めたよう。

今月31日まで緊急宣言の延長が決まった。そんなもんだという感じである。


日本の政治・行政はおかしいと思う。
今回のコロナ危機で日本の医療制度の欠陥も明確になった。
これでは国民皆保険など到底誇れるものではない。
私たちは高額の保険料の負担を強制されている。こういう危機に備えた対応ができていないというのは国民に対する背信である。
不必要なところで過剰治療が行われていると思う。たとえば入院期間が日本では長い。英米では手術の翌日には病院を追い出される。
根本的な見直しが必要だ。

一番違和感を感じるのは、日本では「できない」と首相自ら何の疑問もなく言い放つ。
これって責任放棄だと思う。
政治家の責任は最低限国民の命を守ることである。
日本の憲法でできないと居直っている。しかし、憲法は改正できる。
改正すればいい。野党が応じないからできない。それってやはり責任放棄である。
そして、国民に自粛をお願いする。
自粛とはいうものの国民は自己の命を守るために自粛に応じることになる。
それが分かっているから政治家は何の努力もしない。
出来ないと言えばいい。これは、しない弁解である。

国民にお願いするのではなく、政治家の責任で少なくとも努力する義務はある。
極端にいうと、違憲ギリギリまでやってみるという方法もあるかもしれない。
緊急事態条項がないからできないという。しかし緊急事態は必ず発生する。
政治家はその責任を果たすために、できる範囲のことはすべき義務がある。
何もしないで居直るなどあってはならない。
政治家が、違憲の責任を取る覚悟で、しかし違憲でないと理論構成はしておかなくてならない、国民のために立ち上がるべきである。
つまり、国会議員は、もっと具体的に国民に分かる形で、問題点をあぶり出すべきである。
そうすれば、国民は理解する。
憲法改正に応じないような政治家は選ばないと思う。
ただし、真に憲法改正すべきこと、最優先事項に限るべきだ。これ一番重要。
国会議員は油断も隙もない。抱き合わせで自己都合事項を憲法に盛り込もうとする。
ここは正々堂々としてもらいたい。

個人的に疑問に思うのは、少子化で人口減少傾向にあるにも関わらず、国会議員の定数減少についての議論が全然ないことである。

もし、これが民間であれば、できないからでは済まないと思う。
存在意義のない組織は消滅するからである。

憲法改正できないのは、国会議員がその責任を果たしていないからである。
できないということを恥じる気持ちがないのが問題だと思う。
むしろ、できないといえば責任逃れができ、厄介なことから逃れることができる。
これほどいこごちのいいことはない。
「できない」という一番怖いことは、そこで思考停止するからである。

国会議員は無料奉仕しているのはない。
責任に相応しい(いや過剰待遇かも)待遇を受けている。待遇だけ享受し、責任を果たさないというのでは税金泥棒である。

いろいろと考えてしまうこのごろである。

 

 



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