世なおし倶楽部

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哲学の秋の気配・・札幌Ⅱ

2007-08-23 17:02:15 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
銀行というところは、信用の「権化」であり、経済破綻とは一番縁遠いものという認識は、いまや遠い昔のお伽話になってしまったようです。硬い堅い重たい職業と云うイメージではなくなり、コンビニにも端末が設置され、「便利なもの」という軽いものになった。

銀行の役割に二つあって、ひとつは①両替、二つ目は②利息取り貸し金です。
江戸の昔、両替の手数料で銀行は成り立っていた、かどうかは知らないが、両替商として存在していた。もうひとつの「利息で稼ぐ貸金業」で近代日本の銀行は、その無能ぶりを発揮し、破綻。国税からの無利息に近い救済策で首をつないだ話は、まだ記憶に新しい。

銀行マンは「エリート」だった。国民からの借金で生きながらえた「エリート」はお金の幻想的仕組みだけに詳しい「不完全」な人間なのでしょう。

これからの時代は、「人間的に丸く成長したひと」がたくましく生きて行く時代になって欲しいと思います。

銀行が軽いものに感じられるこのごろ、そういえば身の回りに軽く感じられるものが矢鱈にごろごろあり、気になります。

医者、教師、警察官、自衛官、宗教家、大臣、総理、父親、芸術家など、ちょっと気になるところだけでも・・・ほとんどの分野の専門家が軽く感じられるように思います。自分も親として、軽いなあと思うのですから、間違いない。

そんなこんなで、世の中、なんとなく終わりの予感がしてくるのは、私だけではないでしょう。何事にも、初めと終わりがあるようす。しかしまた、終わりは次のステップの始まりでもあります。

境目の様相は「入れこ構造」になっているということを披露聡秘によって気づきまし
た。

きのうときょうの境目には「きのうと今日が混ざっている」のでした。
中間を「いま」と云う慣わしになっています!

一服。

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