世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

哲学的アンケート

2009-10-21 12:11:32 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
無限の定義の意見5通り

人類は、餌の確保の「囚われ」から解放されることによって、「文化」発展してきました。野生生物の一日、一生は餌の確保と、子孫繁栄の明け暮れです。特に餌の確保が「仕事のほとんど」のようであります。それも、もっぱら個人的生存のための執着的な仕事として。人間の場合の仕事は、自分自身食の確保ばかりでなく、「職業」として他人、社会全体の衣食住の生活文化の多岐にわたっての仕事です。食べ物を確保する時間を「採集貯蔵」ということで効率的にし、食糧確保以外の時間が得られ、文化発展のための時間的余裕が出来たのです。

箸にも棒にもかかりそうにない哲学をたしなむには、たっぷりの無限の時間が必要です。ところで、目先の時間は有限です。一日は二十四時間ほどの有限です。で、宇宙の一生の時間はというと、一生という区切りを想定しての疑問なので、有限な解答が必要です。で、宇宙が一生を終えた後はどうなるのかを想像すると、また、次の一生が始まるだろう胸騒ぎを感じてしまいます。・・・で、そんなことがいつまで続くのかと考えると、果てしなく続くだろう、と思うのが自然な成り行きのように思います。

時間の感覚は目先の有限な感じる世界の感覚と思えます。しかし、同じようなことが繰り返す状況を予想したり、繰り返す様に感じる感覚は「一般的な時間感覚」では無いように思えるのです。

どうして「時間の流れ」を感じられるのか?
何故、空間の広がりを認知出来ているのか?

餌の確保に囚われている頭と忙しい時間感覚では、到底、解答が得られない感じがします。一年分の餌を確保し貯蔵出来ることで、一見無駄なような文化的、哲学的
作業が可能になります。人類は、今改めて、真剣に、まじめに人間らしく、哲学する遊びの時間が必要になって来たのではないかと思われます。


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