少し前のことになりますが、
7月の《海の日》に娘たちと横浜に出かけました。
みなとみらいホールでパイプオルガン演奏付きの無声映画を観て、
中華街を巡ってから夕食を食べるコース。
桜木町駅からみなとみらいホールに向かう《動く歩道》から見える
総帆展帆した日本丸に惹かれて、時間に余裕もあったので
ちょいと中を覗いて行くことにしました。
(↑)船内吹き抜けのステンドグラス。
内部の写真があまりうまく撮れませんでしたが、
進水時の1930年当時 をうかがわせるレトロなインテリアもさることながら、
定員138名の胃袋を賄った大型オーブンのある厨房など
描きたくなるような(=極めて個人的な萌えをそそられる《笑》)ポイントが多数。
中を見るのは初めてでしたが、
日本丸を見に来たのは実は初めてではない。
・・・外に出てから、思い出しました。・・・
「あたし、ホントに横浜で生まれたかった」
東京生まれで横浜市内に住み、東京の学校に通いつつ
伊勢佐木町や元町で遊び、映画や洋楽のコンサートにも
当たり前のように出かけていく女友達の口癖でした。
ネットもチケットぴあもない、
時には窓口に並ぶ根性がなければコンサートのチケットが取れない、そんな頃。
「時間を気にせず、駅に行けばいつでも電車に乗れる!」
そんな首都圏の交通事情にびっくり~感激していたぐらいの私から見たら、
正直あんまりピンと来ない話でした。
田舎にいる子より、
ずっと自由にやりたいことが出来て実際やれているのに、
この上いったい何が不満なのかなぁ・・・と。
そんな彼女と一緒に、横浜に来たばかりの日本丸を見に行ったのでした。
(多分、1985年の夏のことです。)
当時の桜木町駅の周辺にはがらんとした空き地が広がり、
手入れしているのかいないのかわからない草が
しょぼしょぼと一面に生えていたのをよく覚えています。
港近く、繁華街も遠くない場所になぜこんな土地があるのかと、
ひどく印象に残りました。
日本丸の中は見なかった(見られなかった、のかもしれない)のですが、
彼女が撮ってくれた、
総帆展帆した日本丸の前に立つ私の写真が
まだ残っています。
あれからずいぶん時間が経ち、
私も彼女以外の何人かと、何度も横浜へ足を運びました。
あの狂乱のような時期をはさんで、
草だらけだった土地も再開発を経て姿を変えていました。
再び同じ駅に降りても、
ここが以前に彼女と一緒に降りた駅だと気付かないほど。
今回日本丸を見に行って、やっと思い出しました。
・・・あの頃のここには、
みなとみらいホールも、《動く歩道》も、いくつものファッションビルも
何にもなかった。
「新しいもの、格好いいものが好き。」
こうも言っていた彼女は、今どこでこの街並みを見ているのだろうか。
幕末以降、真っ先に外国の風が吹き込んで
絶え間ない往来が新しい息吹を生み、
歩くと不意に絵になる建物が、目に飛び込んでくる街・横浜。
絵になる街のどこかに、自分も溶け込みたい。
「横浜で生まれたかった」
彼女の気持ちが、
今になって少しだけわかったような気がします。
《使用画材/カラーインク》
そういえば、めるもりさんと山手の会場でグループ展しましたよね。
だいぶ前のことになりますが(笑)
私、あの時に山手の辺りを初めて歩きました。
洋館をまだ全部見て廻ってはいないので、また機会を見つけて行きたいなぁ。
帆船は、それだけで旅情を誘われます。
これから横浜という街がどんなふうに変わっていくのか、
それも見届けてみたいです…