優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

昨日のこと

2012-08-28 09:40:16 | 日記
驚いた。
同僚からのメールである。

しばらく会社を休みます。さっき心療内科の診断書を出してきました。
こうなってしまった自分が情けない…

そんな内容だった。

同僚とはいえ、班も違うし部署も違うし、めったに顔を合わせることもないので、彼女がそんなに追いつめられていたことに全く気が付かなかった。

一年に何回か、ご苦労さん会という名目で飲み会をし、会社の愚痴や近況を報告しあっているのだが、前会った時はそんな気配も全く感じられなかったし、いったい何があったのだろう…。

相談してくれればよかったのに。
愚痴でも鬱憤でも言ってくれればよかったのに。
悔やまれてしまう。

私の周りで、「鬱」になった人を三人知っている。
三人に共通するのは、はたから見て、鬱になるような性格には見えないということである。
明るく快活で社交的に見えるのだ。人に対しても、物おじしないでものが言えるような。

私は人見知りで、消極的なので、若いころはそんな性格をうらやましいと思い、なぜ自分はこうなんだと情けなく思ったものだが、年を取ったら開き直りというかそれが自分なんだからしょうがないと思えるようになった。

自分のような根暗な人間が「鬱になった」というなら、やはりね、とも思えるのだが、彼女たちのような性格で「鬱」というのが不思議でならない。

一人は15年以上たった今、そんな過去を微塵も感じないくらい元気に、生きがいである趣味を見つけて活動している。
もう一人は、仕事に復帰してがんばっている。言われなければ気が付かないが、なんとなく笑顔がさびしく見えるのは考えすぎだろうか。
そしてもう一人は、鬱が疑われるようになって3年くらいで廃人のようになって、今は精神科の病院に入院している。

予後がこんなにも違うのは、きっと環境や周りのサポートなども影響しているのではないかと思うのだが。


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