優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

十六日

2021-01-27 11:35:08 | 日記
宮沢賢治の作品は大概読んだと思っていたが、まだ読んでいない話があった。
「十六日」という短い話で、これが賢治の書いたものかとちょっと驚いた。
賢治らしくない?いや賢治らしい?

山奥に住む若い夫婦の話だ。鉱山で働く夫は、休みと言える日が盆と正月の二日しか無く、「十六日」はその盆休みの日の出来事を書いたものだ。
賢治の作品で夫婦を題材にしたものと言えばもうひとつ思い当たるのが「詩ノート」に収められている「わたくしどもは」という詩。

わたくしどもは
ちやうど一年いつしよに暮らしました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見ているやうでした
いつしよになつたその夏のある朝
わたくしは町はずれの橋で
村の娘が持つて来た花があまり美しかつたので
二十銭だけ買つてうちに帰りましたら
妻は空いていた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰つて来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑いやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿まで並べてありますので
どうしたのかとたずねましたら
あの花が今日ひるの間にちやうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみというのでもなく
萎れるように崩れるように一日病んで没くなりました

現実なのか夢なのか、それでいて頭の中に映像が映し出されるような不思議な詩だ。

「十六日」はこの詩に描かれている夫婦とは全く違って、至極人間的な話である。

山奥で滅多に人が訪ねてくることもない夫婦の家に若者が訪れる。その若者は地質を学んでいる大学生で化石を採取にきて道に迷い、ただ道を尋ねに寄っただけなのだが、そのことで夫が変な邪推をするのだ。私をはじめ世の女性ならきっとその夫に対して「はあ!?」という反応だと思う。つまりその夫は妻が若い学生に恋心を抱いたのではないかと詰め寄ったのだ。そして驚くやらあきれるやらの妻を泣かせてしまう。泣いている妻を見た夫はふと我に返り「二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようで」と反省するのだが、そのあとが何とも…。
「及びもしないあんな男をいきなり一言二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにばりばり談した。そのおれの力を感じていたのかもしれない。ー中略ー 俺の方が勝ち目がある。」と思い直し、なんと妻に、自分があの学生を取り持って連れてきて自分は実家に泊まりに行くからおれの妹だって言え、などというとんでもない話をする。そこで私もどきっとしたのだが、その妻(おみち)も同様だったようで「おみちの胸はこの悪魔のささやきにどかどか鳴った」とある。そして夫婦喧嘩は犬も食わないのことわざ通り、妻は「(何云うべ、この人あ、人馬鹿にして)そして爽やかに笑った」夫のほうも「ごろりと寝そべって天井を見ながら何べんも笑った」
最後はなんか、ほほえましいではないですか。これもお盆の特別な日だったからですよね、きっと。