優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

マサニエロとは

2019-07-24 15:13:15 | 日記
宮沢賢治の作品は、子供の時は面白い、楽しいと思って読んでいたが、大人になって読むと不思議な、謎に満ちたものであることに気付く。それはどこか自分の原風景ともいえる郷愁にも似て、それがどこから来るのか追求したくなる。
さいわい賢治研究者は大勢いて、賢治がそうだったようにこの方々も相当マニアックである。没後80年以上経っても新たに発表される書物がある。それは、賢治と宇宙だったり、植物、石、音楽、山、宗教、そして友人、家族、女性など。よく調べ上げるものだと感心する。もちろんその中の人間関係においては直接当人から聞いた話はともかくとして、賢治の気持ちが実際はどうだったのか誰も知る由が無い。
賢治と交流があった女性高瀬露についても色々調べて見解が述べられており、それに対して反論する側もある。
まさか賢治も自分のとった行為や言動で後世の人たちが物議を醸すことになるとは思ってもいなかったろう。

妹とし子とは、よく同志と言われたりしている。
「春と修羅」の中に収められている詩に「マサニエロ」という作品がある。
マサニエロとはなんぞや。
賢治はおそらく花巻城の城跡でこの詩を詠んでいる。ススキ、ぐみの木、蓼の花、はこやなぎ、烏、すずめ、かけて行く子供の描写があり、
「ひとの名前をなんべんも
 風の中で繰り返してさしつかえないか」
というのはおそらく妹とし子のことだろう。
冒頭の部分
「城のすすきの波の上には
 伊太利亜製の空間がある」
というところから、マサニエロがイタリアと関係があるのではと推察されるが、それが後半の
(ロシヤだよ チエホフだよ)
という括弧書きの部分とどういう関係があるのか。
全く不思議な謎な詩であった。

その謎が「宮沢賢治の真実」(今野勉著)を読むと実によく解説されていた。

マサニエロとはとトマソ・アニエロ・マサニエロという17世紀のイタリアの漁夫で、当時スペインの影響下にあり小国群居の中、新たな税を不満として起こったナポリの反乱でスペイン総督を屈服させたと言われる。魚屋だったマサニエロは人民の統領に任ぜられるが、その5日後に毒殺されてしまう。その話がマサニエロの妹で恋人に捨てられ口がきけなくなったフェネッラを中心に展開される。オペラ座で1828年に公開されている。

そして、ロシヤでチエホフと言えば「かもめ」「桜の園」のあのチェーホフだということはわかったが、なぜ唐突にそれが?全くわからなかったが、今野勉氏によると、チェーホフには「隣人」という作品があって、これがまさに兄が妹の恋人を「この男のどこが妹を魅惑したのだ。痩せて長い鼻で(中略)ぼそぼそ物を言い、ハンサムでも無ければ男らしくもない」と見る場面があり、賢治はそれを読んでいたのではないかというのだ。

そうか、どちらも兄と妹の話だ。おそらく賢治は読み手にあからさまにそれを知らしめたくはなかったのではないか。だから謎のキーワードを入れたのだ。

つまりこの頃賢治は、病に臥せっている妹が過去に音楽教師に抱いた恋心、そしてそれを新聞記事に面白おかしく書かれたこと、それを「自省録」としてノートに記していたことを知ったのだ。
とし子は「この苦しく病気にまで導いた原因は一朝一夕のものでなく5年前から私の心身に深く食い込んでいたものであった」とし、過去の過ちから学びたければ強者にならなければならないと書いている。その「自省録」を読んだ賢治は、新たな命によみがえることを切望する妹の気持ちを知ったのだ。8年にわたって生命を削るように自分の恋は何だったのか考え続けてきたとし子はこのとき23歳。
賢治が「マサニエロ」を書いたのが大正11年10月10日。とし子が亡くなったのが同年11月27日である。