数週間前、長年お世話になったS先生が亡くなられたとの悲報が入る。
今年の5月の国際シンポジウムでの私の話を、癌の症状が悪化する中、わざわざ応援のため聞きにいらしてくださったのが、先生とのお別れになってしまうとは、予想もつかなかった。
S先生ご夫妻に出会ったのは、27年前。まず奥様の方が、私の大学へ集中講座にいらしてくださったのがそもそものきっかけ。その後、学会でご主人にもお目にかかり、それ以来どれだけお世話になったか書ききれない。
亡くなられたご主人の方は、国立大の名誉教授、勳三等瑞宝章、様々な研究所、学会、会の設立者、理事などを兼務してこられた大活躍の先生だったが、いつも大変腰の低い先生で、私の未熟な話を面白そうに熱心に聴いてくださり、的確なアドバイスを下さったのは本当に嬉しかった。
私が結婚し、出産してからは、子どもも含めて家族ぐるみで食事やお茶に招待していただき、場所が分からない時には駅まで迎えに来てくださったり、タクシー乗り場まで送ってくださるなど、こんなによくしていただいて良いのだろうかと思うのと同時に、そういう先生のお人柄にいつも甘えてしまったように思う。
自閉症の息子のことを心配し、遊びを考えて紹介してくださったり、アメリカ人の夫にも物怖じせずに話しかけてくださったことも忘れられない。
奥様の先生より、数日前手紙をいただく。私が送ったお悔やみのカードへの返事の手紙と告別式のプログラムを同封してくださった。このプログラムには、死期が近づく前に、先生が息子さんと一緒にお世話になった方々へ残そうと創作した手紙が紹介されていた。ご本人が刻んでこられた歴史と功績、お人柄が感じられる「ごあいさつ」の手紙で、私の感謝の言葉を先生に十分にお伝えすることができなかったことが悔やまれてならない。終わりの部分を紹介させていただくと
「育ててくれたり、教えてくださったり、お世話になった方に、お礼も十分に申し上げることができず申し訳ありませんが、皆さんに感謝しています。充実した人生を送ることができ、何も思い残すことはありません。ただ、満足してお先に失礼させて頂きます。みなさんも幸せに暮らしてください。有難うございました。」
メッセージありがとう。本当に素晴らしい手紙だと私も思いました。みんなに感謝をして終えることができるような人生を私も送りたいです。