冬桃ブログ

日常雑記です。

夏の終わりに、岩手へ。

2015年08月26日 | 雑記
 岩手県の岩手町で行われるイベントに
お招きいただき、「おんな達の戦争は戦後から
始まった」というタイトルで講演をさせていただいた。

 冒頭、「岩手県は、これでまだ二度目です」
などと言ってしまったが、そうではないことに
帰宅してから気付いた。
 一度目は盛岡で開催されたミステリー映画祭。
 もう十数年前だが、ゲストの一人としてお招きいただいた。
 実はその後、遠野に一回、釜石に一回、行っている。
 3.11に関わる取材だった。
 だから今回で四度目。
 3.11関連で行った時は、あまりにショッキングな
光景だったので、逆に「岩手」というくくりでは
記憶していなかったのだろう。
 平常時と違いがありすぎて……。

 今回、招いていただいたのは、この方にちなんだイベントがらみ。



 岩手山を背にして立つ。120センチほどのブロンズ像。
 袴をつけ、背筋をしゃんと伸ばして立つ、若い女性である。
 じつはこれ、宝塚歌劇団の正装。
 彼女の名前は園井恵子という。



 彼女は1913年(大正2)、岩手郡松尾村に生まれた。
 雑誌でしか見たことのない宝塚歌劇団に憧れ、
女学校を中退して、単身、大阪へ。
 入学式も入学試験も終わっていたが、座り込みまでして
懇願した結果、その根性と個性が認められ、見事、入学。
 かっこいい男役から老婆まで、なんでもこなし、
高い評価を受けるに至った。

 退団後の1943年、阪東妻三郎主演の映画
「無法松の一生」に、ヒロインの吉岡夫人として出演。
 おりからの検閲でずいぶんカットされたものの
大好評を得、映画スターとして大きな期待を持たれた。

 が、1945年(昭和20)、桜隊(戦時中、地方
慰問を行った移動劇団)の一員として広島へ行った際、
8月6日の原爆投下を受け、15日後に亡くなった。
 奇しくも8月6日は彼女の誕生日でもあった。
 享年32歳。

 私もじつは、8月6日が誕生日。
 なにかご縁があったのかもしれない。
 そういえば盛岡在住の作家、高橋克彦さんは
江戸川乱歩賞の先輩。
 そして私と全く同じ、昭和22年8月6日の生まれだ。
 
 ミステリー映画祭でお世話になった岩手在住の作家、
斎藤純さんと再会したので、「高橋さんはお元気ですか」
と尋ねたら、「それが、去年、愛猫をなくしてねえ、
まだ辛くてしようがないっていうから、新しい猫を
飼えばって勧めたんだよ。だけどね、自分の年齢を
考えると、最後まで面倒みられる自信がないからって……」
 あらま、私と同じ状況! 高橋さんとは前世で双子だったのかな。
 才能は、むろん、あちらの方がずっと上だけど。

 岩手町には豪壮な民家も多々ある。
 講演前夜は、大きな倉を改造した
レストランで、地元の野菜と肉を使った
おいしい料理をご馳走になった。
 置かれている調度品は、すべて本物の骨董品。
 箪笥の中敷きに使われている新聞は、
明治30年代発行のものだった。



 葛巻高原にある宿で一泊。
 朝の清々しいこと!


 ここは「石」の町だそうで、いたるところに
石の彫刻がある。大きな掌の上に半切りのリンゴ。


 岩手町には「園井恵子を語り継ぐ会」があり、
毎年、彼女を顕彰し、イベントを開催している。
 平和を考えるイベントでもある。
 盛岡の恩流寺で行われた墓参に、私も参加。
 園井恵子さんのことは来年、東京の劇団に
よって舞台化されるというので、この日は
地元のみならず、東京からもマスコミが来ていた。



 さて、行程のラストに組まれていた講演も
無事に終わり、夕方の新幹線で岐路へ。
 帰省客が多かったのか、とても混んでいた。

 二日間、地元の方達と交流して
最後に講演というのは、体力のない
私にとってきついかな、と少々不安だったのだが
その交流がとても楽しかった。
 女性が元気いっぱいで、地元イベントや勉強会を
リードしているのも、頼もしく好もしい光景である。
 とても良い、夏の終わりだった。

 


 
 

 
 
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