横浜映画サークル

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『北の桜守』じっくりと人生を味わう、映画と演劇の融合作品でした

2018-04-07 19:58:30 | メンバーの投稿

北の桜守』(2018日本監督滝田洋二郎)。樺太(からふと:ロシア語呼びサハリン)開拓民の家族の終戦間際から現代までを描いた作品でした。私を含め当時のことはほとんど知らない人が多いので、背景を簡単に説明しておきます。背景が分かった方がこの映画は味わい深くなると思います。下の画像左は舞台となる樺太の地図。主人公一家は地図「間宮海峡」文字の近くの1エストロ(恵須取:現ウグレゴルスク)で江連(えづれ)製材所を営んでいた。画像中は一家の主人江連(中央和服の左を向いている人)が持ってきた桜の種を妻(吉永)が精魂込めて育て、やっと2本の桜が初めて花をつけたのを祝っての記念撮影の場面。画像従業員の後ろの両側にある小さな2本の木の枝先が見えるのがそれ。当時樺太には桜の木はなかった。一家の主人や従業員は徴兵で軍隊・国民義勇隊に入り、残った家族3人(画像中央の女性(吉永)と息子両側の学生服の2人)は北から侵入してきたソ連軍から逃げ南へ向かう。地図のは3人が逃げたルート。網走に逃げた妻(吉永)は夫が戦地から戻ってきた時に分かるように江連の看板を出し続ける。画像右は当時の製材作業の様子。

画像出典左と右:筆者がプログラムからコピー.画像出典中:2017/07/02吉永小百合出演の映画『北の桜守』は3月10日に公開!阿部寛によるお姫様抱っこシーンも解禁http://girlschannel.net/topics/1232867/ (閲覧2018/4/6)

逃げたルートの様子:当時政府(樺太庁)はソ連軍から「逃げる」とは言わず「疎開措置」と言っていた。

から:76㎞の内恵道路を徒歩で鉄道駅である内路駅を目指す。多くの人がこの道路を使い逃げたが、途中ソ連軍戦闘機の機銃掃射(戦闘機の機関銃で地上を撃つ)を受ける。下の画像左は当時の内恵道路。76㎞は東京駅から横浜を越え大船を越え大磯を越えて二宮(77.7㎞)付近になる、とても遠いい。

から:樺太東線で、内路駅から港のある大泊駅まで約400㎞を汽車で移動。下の画像中左は当時の樺太東線を走る汽車。画像中右は当時の大泊港。400㎞は東京-名古屋間366㎞より遠いい。

から稚内へ:樺太大泊港から小笠原丸で北海道稚内(わっかない)へ。多くの船が逃げる人を満載(定員の8倍を載せた記録がある)にして北海道へ向かった。下の画像右はそれらの船の一つ。小笠原丸かどうかは不明。小笠原丸を含め3隻が潜水艦の魚雷で撃沈したとされる。

   

画像出典:すべて筆者がプログラムよりコピー。

映画と演劇の融合作品:リアリズム表現は使われず、表現したいことを集中させて象徴的に表現されている場面が多い。例えば徴兵で銃を手に家を出ていく場面(下画像左)は、リアリズムで描けば軍隊に入るまで軍服や銃を手にすることは実際にはないが、「軍隊に行く」ということを象徴的に表現してこの画像のようになっている。画像右は映画の中で時々出てくる演劇部分。演劇部分では映画で表現したいことを集中的に抽象的象徴的に表現されている。このことに注目していると映画が分かりやすくなるが、逆に注目していないと、演劇場面が急に出てきて面食らってしまう。この映画は「映画と演劇が融合」した、先駆的な実験的な作品でもあると思う。過去にも演劇場面が登場する映画はあるが、『北の桜守』のように体系的に溶け込んでいる作品はないと思う。

 

画像出典左:北の桜守:公式サイトhttps://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=015120 (閲覧2018/4/7).画像出典右:KERAが演出担当、吉永小百合主演映画「北の桜守」の舞台パート撮影に潜入https://natalie.mu/stage/news/239876 (閲覧2018/4/7)

プログラムにあった大鵬と白鵬の話が面白かったので以下要点を参考までに

横綱大鵬:大鵬一家は樺太に住んでおり、逃げる時に『北の桜守』家族が乗ったのと同じ小笠原丸に乗った。当時大鵬5歳。稚内港に着き、次の小樽港へ向かうときに、大鵬の母親の体調が悪く、小樽へ向かうことをあきらめた。小笠原丸は小樽へ向かう途中で撃沈され、大鵬一家は偶然撃沈から逃れることができた。下の画像左は往年の大鵬。

横綱白鵬の話:映画を見て「大鵬親方も、ああいう風に海を渡ってこられたんだなと感動しました」「樺太を引き揚げるシーンでは涙が出ました」「修二郎(小さい方の子供)がお母さんの布団に入るシーンを観ていて、日本に来るまでずっと両親と川の字で寝ていたことを思い出しました。モンゴルの冬は寒いから、食器を洗ったりして、いちばん最後に休母さんの布団を温める役を、私がしていたんです。5人兄弟の末っ子で。甘えん坊だった私に、大鵬親方はいつも優しかったです」「今年1月に、大鵬親方のお孫さんが角界入りしましたよね。彼に負けたら引退しようか、なんて思っているんです【それまでは頑張る】」「実は私が部屋に入るとき、相撲取りでなく床山さんにした方がいいという声もあったのだそうです【当時体重62㎏で小さすぎてとても相撲は無理と思われたのかもしれない。現在新弟子入門基準は67㎏以上。現在であれば入門もできなかった】。よくぞ親方は相撲の道を選んでくださったと感謝しています」。画像右は白鵬の入門時、62㎏のころ。

大鵬と白鵬の情報元:プログラムの「スペシャルインタビュー、吉永小百合・納谷芳子(大鵬の妻)・第69代横綱白鵬、座談会」

 

画像出典左:Internet Museum第四八代横綱大鵬をしのんでhttp://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=80237 (閲覧2018/4/7).画像出典右:東スポWEB「NHK福祉大相撲」で入門当時の写真と並びインタビューを受ける白鵬。https://www.tokyosports.co.jp/sports/sumou/366337/attachment (閲覧2018/4/7)

北の桜守』を観て北海道については知らないことが多いと感じ、北の3部作のまだ観ていない『北の零年』(2005日本監督行定勲(ゆきさだ いさお))を機会があれば観てみたいと思いました。

以上S.Tでした。

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