他のブロガーの方々のお写真は本当に綺麗です。
それに比べて私の写真の何とお粗末なこと。そのためブログアップもためらっていました。
でも私のブログは他の方にご披露するということよりもまず自分自身が感動したことや懐かしい思い出を綴っていきたいということです。
ブログを始める動機のところにも書いたようにお友達に「ねぇ、ねぇ、聞いて、こんなことがあったのよ」という風に。
というわけでまたボケ写真の掲載になりますが、この間の祝賀会の感動を記します。
ドイツの優勝チームはルフトハンザ2014便(LH2014)でリオデジャネイロからベルリンに到着しました。
もちろんこんな便名は今月だけ特別で2014年の優勝を記念する特別機だからです。
そして機体にはLUFTHANSAの文字の代わりに「FANHANSA」、隣は金色で「SIEGERFLIEGER」
(優勝機)の文字が燦然と輝いていました。
ちなみに2006年のドイツ開催時にはルフトハンザ機は機首の丸い部分をサッカーボールの模様に塗り替えていました。
私は2006年、ベルリンでドイツ対アルゼンチン戦(確か準々決勝だったと思いますが)が行われた時仕事でベルリンにいました。仕事を終えてケルンに戻る便が丁度、試合開始時刻直前で何故か待合室にいたパイロットとクルーが乗客に「こうなったら出発を一時間ほど遅らせますか?」などとジョークを交わしていました。離陸したあとも機長が機内放送で「皆さん、今日は特別に試合が行われているベルリンのオリンピアスタジアム上空を旋回したいと思います」(実際はもちろん飛ばなかった)とか「ケルンまで一時間の実況中継を行います」など結構浮かれていて私は「それより安全操行をお願いしますね」と思ったことでした。
ドイツはこれでワールドカップ4度目の優勝です。
前回1990年にローマで優勝した時、私は母の看護で日本にいました。
眠い目をこすりながら夜中に決勝を観戦しました。クリンスマンがガッツポーズで走り回っていたのを覚えています。
この黒塗りのオープンカー(バスかと思っていましたがベンツの特製トラックだそうです)で選手は空港からブランデンブルク門前の祝賀会場へ向かいました。
祝賀会の舞台ではナショナルチームのメンバーは試合後疲れているだろうのによく短い時間にこれだけのパーフォーマンスを身に付けたなあという位、4-5人のグループに分かれて歌とかダンスを披露してくれました(アルゼンチンを揶揄するような歌もありその後、物議を醸していましたが)。
でも最後に選手全員がひれ伏して裏方さんに(バスの運転手とかコック、マッサージ師など南チロルでの強化合宿から含めてほぼ7-8週間一緒だったメンバー)感謝していたのが印象に残りました。
1990年の優勝時はまだ西ドイツだったので(ベルリンの壁は1989年に崩壊しましたがドイツ統一は1990年の10月3日なので)、統一後初の優勝ということになります。
冷戦時、レーガン大統領がこのブランデンブルク門の前で「ゴルバチョフさんこの壁を取り壊しなさい」と演説した歴史的な場所で行われた統一後初のワールドカップ優勝祝賀会は胸を打つものがありました。
とても長いブログ記事になりました。
明日からピレネー山脈のトレッキングに出発しますので2週間ほどブログはお休みします。
前回のコメントにも書きましたが、まずはドイツ優勝おめでとうございます。
サッカーで思い出すことがあります。
私がドイツに渡ったのが1977年。その頃日本では今ほどのサッカーブームはなく、静かなものでした。
驚いたのはドイツのサッカー熱の凄さです。
昼夜問わず、若者がバイクや車からマフラー、旗のようなものを振りかざしながら、
ラッパを吹きならし、町中を走り回り賑やかなこと。
最初は何をしていうるのか分かりませんでした。
サッカーはドイツにとって国技のようなものですものね。
日本ではそれに当たるものは今でも野球でしょうか。
あのラッパとバイクのすさまじい音は今でも耳に残っています。
私もドイツに来るまでサッカーよりはテニスの方に興味がありました。
ただ弟が高校と大学でサッカー部だったのであれだけ熱中するからには面白いスポーツなのだろうなあとは思っていました。
今、コリウールという海岸の町に滞在しています。
ツールドフランスが過ぎてからぼちぼち山の方に向かいたいと思っています。