よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

長野県松本市へ『国宝松本城』

2018-05-01 16:44:19 | ウォーキング

4/28から始まる「第32回飯田やまびこマーチ」に参加するため、4/25から長野・松本へ行ってきました。

今週末からGWに入り、JRのジパング倶楽部の割引が使えなくなりますので早めの長野入りです。

博多から長野・松本へは、飛行機という手段もありますが、ここは、JRを使いました。新幹線で名古屋へ行き、名古屋から特急「しなの」に乗車。

約5時間で松本駅到着。松本で最初に行きたかったのは、国宝「松本城」です。途中松本市のマンホールを発見。松本市の伝統民族品「手まり」をデザインしています。

 

 松本駅から松本城の間、女鳥羽川では、鯉のぼりが勢いよく泳いでいました。前日の雨の影響か、川の水量も増水していました。

女鳥羽川の横には、今回は行きませんでしたが、松本市時計博物館があります。

  

松本城です。入場料金610円を払い、中へ。

松本城は、文禄2~3年(1593~1594)に建てられた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。

黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。大天守と、泰平の世になって造られた辰巳附檜・月見檜のまとまりは「複合式天守」と呼び、それぞれの時代を象徴しています。

この連結複合式天守は松本城だけに見られる特徴的な構造です。

  

  

宇宙つつじは、日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんが、平成6年(1994)にスペースシャトルで宇宙に持って行ったつつじの種から発芽させたものです。

種子は、市の花がつつじでもある群馬県館林市でつつじの生育・保護を担う「館林つつじ研究所」から館林市出身の向井さんに託されました。

館林市と縁のある松本市などにこの苗木が譲渡されました。

    

城内には、「小笠原牡丹」もありました。ちょうど満開で大きな花弁が目を引きます。

  

天守閣の中に入ると、途中に雪を被った北アルプスを見渡せる所がありますが、今日は曇っていて、見えません。

  

  

松本城の横には、松本市立博物館があります。共通のチケットで入れますので行ってみました。

館内に入ると、「道祖神」が目につきます。道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神です。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で

祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されています。私が住んでいる九州福岡には、あまり見かけませんが、ここ長野県にはたくさんの道祖神が

祀られているそうです。

 

 

また、松本市では「七夕祭り」が有名です。松本の伝統行事である七夕人形は、江戸時代から松本城下の民間行事として、300年余り続いております。

もともとは全国にもあったとも言われてますが、松本独自の縁側文化となりました。松本地方は8月7日の夜に、子供たちは、織姫様が彦星様と逢えるようにと自分の晴着を軒先にたくさん吊るして、

「どれでもお好きな着物を着てらしてください」とお星さまにお供えし、そして織姫様が天の川を渡るとき着物の裾が濡れないように応援する、足の長いカーターリ(川渡り)人形と呼ばれるも飾る、

夏の夜の風物詩です。七夕の夜、天の川の水が増えて渡れなくなった時に彦星や織姫を背負って向こう岸まで渡してくれるという男の人形です。

これは五節句の一つで、3月の雛祭りや5月のこいのぼりや兜飾りと同様に、七夕の節句には木製の七夕人形(着物をかける)とか和紙の七夕人形をお祝いとして贈ります。

そして毎年七夕のころ、五色の短冊を付けた笹竹と共に七夕人形を軒下に吊るし飾って、厄除けをします。おりひめは織姫ですからお着物をお供えします。牛飼いの彦星は農耕ですので、

お野菜をお供えし行事食には、ほうとうや七夕まんじゅうなどをいただきます。「着るものに困らないように、食べ物に困らないように」という願いです。

昔は、織姫様のお供をする七夕も一緒に吊るし飾られていました。奴は、川を渡り(カータリー)とか、足長と呼ばれていて、ちょっと粗末な着物の裾を尻挟みして一緒に飾られていました。

きっと、天の川の向こう岸の彦星まで織姫を無事届けるお役目をしたのでしょう。

そんな、カーターリー人形は、織姫を護り助けるお供の奴さん。影のお助けマン「カータリー人形」は、ちょっと愛嬌のある、足ぶらぶらの素朴な四角い奴さんです。

  

また、松本では、年末に「お年取り」といって12月31日大晦日のことを「お年取り」といって、この日は1年で一番の御馳走が食べられる日でした。このごちそうは、歳神様の供えるものでした。

その中身は、年取り魚、大根と人参、煮物、煮豆、刺身などです。年取り魚は、「鰤(ぶり)」または、「鮭」という家が松本には多くあります。

「鰤」は、出世魚であるため好まれていたのでしょう。幕末に裕福な農家では、年取りに鰤を食べていたという記録が残っていますが、富山で獲れた鰤を塩漬けし、越中ブリとして牛の背に

揺られて飛騨街道を越えて高山に入り、飛騨ブリと名を変え、更にボッタ(荷物を担いで山越えをする人)の背で野麦峠を越えて松本から信州に運ばれましたので(ブリ街道)当時大変な高級魚でした。

  

私の住んでいる福岡でもお正月には、ブリのお雑煮を食べます。特に新婚の家庭なんかは、「嫁御ぶりがいい」ということでお嫁さんの実家にブリを贈る習慣があります。

ところ変われば習慣も変わるのですね。

このあと、明治初期に建てられた「旧開智学校」に行ってきます。

  

旧開智学校は、明治6年(1873)筑摩県学(ちくまけんがく)を改め、学制による小学校「第二大学区第一番小学開智学校」として開校しました。現在保存されている校舎は、

明治9年4月に棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)によって建てられました。工事費は約1万1千円、当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が 20円ですからかなりの高額。

しかも工事費の約7割は松本町民の寄附でした。町民の開智学校への期待の大きさが伺われます。

構造は木造で桟瓦葺、寄棟2階建土蔵造りで、中央に「東西南北」の風見を配した八角塔が高くそびえ立ち、各窓に舶来のギヤマン(ガラス)を取り付けた、和風と洋風の入り混じった

擬洋風建築の代表的なものといわれています。昭和36年に国の重要文化財に指定されました。女鳥羽川畔にあった校舎は、約90年間使われましたが、

昭和38年から翌年にかけて現在地に解体移築復元されました。

学校内は、見学ができるのですが、時間は午後4時半まで。とっくに過ぎていますので外からの鑑賞です。

  

そういえば、昨年7月だったか、東海道見附宿(静岡県磐田市)を歩いた時に、この開智小学校に似た「見附学校」がありました。この学校は、明治8年(1875)開校でした。

  

時間も6時近くなりました。お腹もすいてきましたので、信州といえば、「蕎麦」ですね。松本城近くの蕎麦屋さん「こばやし」に行ってきました。

福岡では、あまり蕎麦を食べる習慣はありませんが、それでも人気の蕎麦屋さんには、行列ができています。

然し、本場の信州蕎麦は、やはりコシが違います。またわさびも本物です。おいしかった~。

  

 


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4 コメント

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Unknown (kumasan)
2018-05-01 21:57:19
信州の道祖神はほのぼのとしていて癒されます。一時期、道祖神巡りが楽しみという時もありました。
松本城にはもう30年前と40年前に行きましたが、変わらぬ景観に歴史の重みを感じます。当時はウェストンホテルに泊まりたくて行ったような記憶があります。
今検索しましたら、4月29日に訪れていました。
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kumasan (よっくん)
2018-05-02 20:53:11
信州に「道祖神」が多いのは初めて知りました。
そうですか、道祖神巡りですか?
佐賀では恵比寿様スタンプラリーというのがありますね。
松本城は、初めてです。さすが国宝ですね。
同じ国宝の熊本城も早く元の姿を取り戻してほしいです。
(一口城主になりました)
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Unknown (セロリさん)
2018-05-03 11:06:33
藤沢市は、松本市と姉妹都市でお祭りのパレードに参加したこともあります。
こちらから市でバスツアーを組み楽しむイベントもあったんですよ。
市の休暇村もあり何度かウオーキング協会の1泊ウオーキングでお世話になった場所なので懐かしいです。
私共も夫の仲間と「道祖神巡り」を楽しんだことがあります。
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セロリさん (よっくん)
2018-05-04 17:27:05
そうですか、藤沢市と松本市は姉妹都市ですか?
松本市は、初めてですが、いい街ですね。
何かのんびりしていて落ち着きます。
休暇村って乗鞍高原ですか?
バスで上高地に行っている時、確か、休暇村入口ってバス停があったような記憶があります。
乗鞍高原もいいでしょうね。
「道祖神」長野県は多いですね。飯田でも何か所か見たことがあります。それに比べ九州では庚申様が道の所に建っています。
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