歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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「鳴神」 なるかみ

2016年03月21日 | 歌舞伎
歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつになります。
鳴神不動北山桜(なるかみ ふどう きたやまざくら)」というお芝居の四段目です。
全段通して出すことは今はありません。と思ったら近年復活上演しました。
三段目の「毛抜(けぬき)」、五段目の「不動(ふどう)」も歌舞伎十八番に入っています。
古劇らしい、おおらかで力強いストーリーです。

主人公の「鳴神上人(なるかみしょうにん)」はえらいお坊さんです。
山の中で厳しい修行をして精神力を高めて、不思議な力を使えるようになっています。
この力を「法力(ほうりき)」と言います。「仏法の力」です。

さて鳴神上人が、その法力で「竜神(りゅうじん)」を北山の結界の中に封じ込めてしまいました。
「龍神」は雨を降らせる神様です。
おかげで日本はもう何十日も雨が降りません。飢饉です。

というところからお芝居は始まります。

・岩屋の場

北山(きたやま)の奥、に「鳴神上人(なるかみしょうにん)」の岩屋があります。中で行法(ぎょうほう)を行っています。
横には滝があります。干ばつで国中の川は干上がっているので、水があるのは日本中でここだけです。

上人の弟子の「白雲坊(はくうんぼう)」と「黒雲坊(こくうんぼう)」が出てきて、基本設定を会話で説明します。
天皇は、上人のためにお堂を作ると約束したのに守りませんでした。
ここでセリフで「大内(おおうち)」と言っているのが天皇のことで、「戒壇(かいだん)」と言っているのが「お堂」です。
出家する儀式のための専用のお堂ということになります。

これを作ってもらう約束を破られたので、鳴神上人は怒って日本中の龍神を全部封印したのです。
彼らはこの山の中で上人の行法を手伝わなくてはならないので食事もできず、下界に降りて托鉢(たくはつ、食物や寄付をもらって歩く修行)もできないので
もはやヘロヘロです。しかし師匠には逆らえません。
とか言いつつ、黒雲坊はこっそり酒を隠し持っています。白雲坊は干だこを隠し持っています。
お互い、お互いのことは「師匠に言いつける」と騒ぎながらもちろんどちらも言いつけずにプチ酒盛りを楽しみます。

さて「鳴神上人」が登場します。白綾の法衣をまとい、高僧らしいりっぱな雰囲気です。
岩屋にある祭壇でかっこいい文句を唱えてかっこよく祈ります。

がんばって修行したから、この行法(ぎょうほう)がうまく行くように力を貸してください不動明王さま 
くらいの事を言って祈っていますが
左右にいるお弟子の白雲坊と黒雲坊も聞きながら寝ていますので、意味はわからなくても大丈夫です。

とかやっていると、花道からキレイなお姫様が出てきます。
これは山道を登ってきたという設定です。
お姫様は滝の前に行き、念仏をとなえはじめます。
滝の前のこの場所は、鳴神上人のいる場所からは見えないという設定です。実際の舞台よりはこの場所はかなり広いとお考えください。

誰もいないはずの山の中で念仏の声が聞こえるので不審に思った上人は、弟子の白雲黒雲を見に行かせます。
行きたくないのでケンカをはじめるふたり。


以降、このふたりは上人が何か言いつけたり叱ったりするたびに、お互いに責任を押し付けあって喧嘩するので楽しいのですが、
そのせいでお話がなかなか進まないのは困るところです。
しかしこれは、
元禄期のお芝居の雰囲気を再現する意図でやっているのです。
元禄期のお芝居はこういうテンポなのです。
というかセリフをもっとゆっくり言っていたはずなのでこれよりも遅いのですが、
お芝居のテンポも、日常の時間や思考のスピードも、こういうゆったりしたかんじで流れていたのです。
それを体感するための演出です。
元禄人の感覚になりきり、時間の流れに身を任せるのです。幕間にスマホチェックしなきゃとか一瞬でも思ったら負けです。

というかんじで白雲黒雲のゆかいなやりとりに紛れて、お姫様はいつのまにか上人と会話をはじめます。

このお姫様は、ここで「お姫様」というのは「権力者の娘」というよりは「いいとこのお嬢様」くらいの意味だと思えばいいです。
とにかくそのお嬢様は、「夫に死に別れた。今日が四十九日なので念仏を上げている」と言います。

って人妻かい。と思いますが、後述の身の上話を聞くに、ここでは正式の夫ではなく、気持ちの上で夫になった恋人くらいに思っておけばいいと思います。

きれいな布を持っています。夫の形見のこの布を洗いたいのだがどこにも水がないので、ここまでやってきたというのです。
上人はとても同情します。
セリフで「薄衣(うすぎぬ)」と言っているのがそれです。きれいな刺繍がしてあってあまり薄手ではありませんが、見た目重視です。

ところで、このお嬢さんは「雲の絶間姫(くものたえまひめ)」と言うひとで、
じつは、帝の命令でここに来ているのです。上人をだまして龍神の封印結界を破壊するのが目的です。

というわけでバトル開始です。

絶間姫の攻撃方法は「色仕掛け」です。

まず、夫といかに愛し合っていたかを語ります。
上人が、出会った時の様子を聞かせて欲しいと言います。

なぜ高僧のくせにそんな恋バナ聞きたがる!? と思ってしまいますが、
一応セリフで「煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)、即仏往生(そくぶつおうじょう)のため」、と言っています。
愛や恋などの煩悩は、それが煩悩であると気づけばそのまま菩提(仏の悟り)につながる。煩悩もまた大切なものなのだ。死んで仏になるためには必要な経験だ、
くらいの意味にとっておけばいいと思います。
というか、ぶっちゃけこの時点で上人は半分落ちているような気がします。

まず絶間姫は話を聞くために近くに行っていいかと聞き、上人は許します。鼻の下が伸びています。
むしろ弟子の白雲黒雲が近づきすぎないようにあわてて阻止します。

出会いの話になります。
絶間姫は貴族のお姫様です。パパとママにおねだりして許しをもらい、侍女を連れて清水寺のある音羽山にお花見に行きました。
ここで、音羽山のあちこちで人々が華やかにお花見の宴をしている様子を語るのも、俗世界の楽しさを知らない上人への陽動です。

お話の中に歌が入るので、そこを中心に書きます。

・幕で四方を囲ってお花見をしていた。
これは当時の上流階級のお花見のやりかたです。個室必須なのです。
・その隙間からキレイな男の人がこっちを見ていた。
・ひと目見てあまりにかわいらしい顔なのでぞくっとした。好きになった。

・男が歌を短冊に書いてよこしてきた。

 見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しきは
 あやなく今日や ながめ暮らさむ

「伊勢物語」にある歌です。牛車の中、うすい布越しにこちらをみていた女性がいた。はっきりした顔立ちはわからないが美しいことはなんとなくわかった。
その女性に送った歌です。

 その顔を見ていないというわけではない。しかしちゃんと見たわけでもなく直接お会いしたわけでもないそんな女性が恋しいのだ。
 どうしようもない気持ちで今日はもんもんと、あなたのことを思ってすごしましょうか。

みたいな意味です。

ここでは、幕のすき間からかいま見た絶間姫に恋をした様子になぞらえてこの歌を送っています。

お芝居では、この下の句を絶間姫が思い出せず、上人が知っていて横から言うという展開になっています。
上人がこの歌を知っていたのは単に教養としてですが、その口から恋の歌を言わせ、当然「伊勢物語」の内容も思い出させ、
そして恋バナの会話に参加させることで、上人を「恋する気持ち」の世界に引きこもうとしているのです。

侍女がその男の人の名前を聞きに行ったが男は教えず、「嵯峨野の奥に住んでいる」とだけ言って帰ってしまう。
夕暮れになり、嫌がる姫を乗り物に乗せてみんな屋敷に帰った。

姫は観音様に願いをかけた。夢のお告げがあった。
共も連れずにひとりでその男の元に通いなさい。

姫は深夜に屋敷を抜けだした。恋する乙女って怖い。
道も知らないのに真っ暗闇の山道を歩き、川を渡り、野原を歩いて男の家にたどりついた。

ここの「川渡り」の様子を語る場面が有名です。
裾(すそ)をまくって川を渡るのです。セクシーです。絶え間姫も語りながらその様子を実演します。
舞台上ではそこまで大きく裾はまくりませんが、セリフだと足を全部むき出しにして渡ったと言っています。
一緒に川を渡る動きをする白雲坊黒雲坊は完全に足を出しています。こっちで絶間姫の姿も想像させるのです。
さらに渡った後濡れた着物をしぼるところも色っぽいです。

ところで絶間姫は「お嬢様」という設定で話していますし、実際も身分の高い女性なのですが、
ここで話している言葉遣いは、かなりくだけています。訳知りの町娘のような口調です。
これが色っぽさを倍増させています。

ここで、「濡れぬ先こそ露をもいとえ」というセリフがあります。
「いとう」は「いやがる」という意味です。已然形ですので反語です。
「先」というのは古典的用法ではそのものごとの「前」という意味です。
草原を歩くときなど、草葉の露で服が濡れるのが気になるものだが、気になるのは濡れる前だけだ。少しでも濡れてしまったらそれ以上濡れることは気にならなくなるものだ、
というような意味なのですが、
「濡れる」というのをセクシャルな意味に取り、
性体験がなく、誘われても消極的な人が、一度そういう体験をしてしまうと急に積極的になる様子の例えとして使われます。
この場合、草原でエッチするような大胆な行為をも暗示します。江戸時代の読み物やお芝居にはよく出てくる有名な言い回しです。

というわけで、男の家にたどり着いた絶間姫。
着いた瞬間からラブラブです。すぐおふとんに入ります。
くっついたりほぐれたり抱きついたり興奮のあまり痴話喧嘩したりします。仲良しすぎです。
ここも、白雲坊と黒雲坊が激しく動くことで絶間姫の様子を想像させるしくみです。

喧嘩したはずみで絶間姫が帰ろうとしたので、男はまた歌を詠みます。

 明日はまた 誰が(たが)なからんも 知れぬ世に
 友ある今日の 日こそ惜しけれ

この歌の出典がわかりません申し訳ありません。

 今日はみな生きていると思っても、明日はまた誰が死んでしまうかはわからないのだ。
 そういうはかないこの世の中に、大事な友が存在していてくれる今日のこの日はとても大切だ。過ぎてしまうのが惜しくおもわれることだ。

みたいな意味です。

ここではお友達を恋人になぞらえてこの歌を使っています。

さらにイチャイチャと喧嘩をしている様子を話していると、
夢中で聞いていた鳴神上人が、壇から落っこちます。
ここはもうつまり、物理的にも精神的にも落っこちているということだと思います。

以降は姫のダメ押しと、ずぶずぶと深みにはまっていく上人の様子です。

気を失った上人を介抱するために姫は口移しで水を飲ませ、着物をはだけて胸を合わせて体を温めます。

目を覚まし、様子を聞いた上人は怒りだします。
中国の故事にそっくりの話があるのです。
一角仙人(いっかくせんにん)という仙人がやはり龍神を封じ込めて干ばつをおこし、皇帝が美女を差し向けて仙人を籠絡したのです。

上人は、絶間姫も帝の命令で来たのだろうと、問い詰めるのですが、
絶間姫は疑われたことにショックを受けて自害しようとします。いちまい上手です。

この演技にすっかりだまされた上人たちは姫の出家したいという頼みを聞き入れます。
白雲坊と黒雲坊は、髪をそるための剃刀(かみそり)と、袈裟衣(けさ ころも)を取りに、ふもとの寺まで行くことになります。
もう真っ暗なので行きたくないのですが、嫌々行くふたりです。

ここで、この「女中」は師匠さまの「大黒」、と言うセリフがあります。
「女中」というのは、現代の女中さんの意味ではなく、当時の表現で、女性にたいする敬称です。
お寺にいるお坊さんの妻を「大黒」と言います。もうふたりは夫婦のようなものだと言っているのです。
そして「お師匠さまのどん亀であの女中をくんぐるべい」とか言います。かなりきわどいです。
説明はちょっと書けませんがだいたいおわかりかと思います。
弟子たちは、ふたりっきりにしたらそういう展開になるだろうとすでに予測しています。

ふたりっきりになります。絶間姫の怒涛のラッシュがはじまります。

出家の決意はしたけれどもこの髪をそってしまうのはやはり悲しいと泣く絶間姫。

ここでも歌が入るので書いておきます。
 
 たらちねは かかれとてしも うば玉の
 わが黒髪を なでずやありけむ

僧正遍昭の歌です。「たらちね」は「母」の枕詞(まくらことば)ですが、ここでは「母」そのものを意味します。

 今日でわたしは出家しする、この髪も剃ってしまう。
 子供のころに長く黒くかったこの髪をなでたわたくしの母。
 出家はりっぱな行いではあるが、母はいつか出家するといいなと思ってわたしの髪をなでたわけではないだろう。悲しいことだ。

みたいな意味です。
僧正遍昭は風雅人ではありましたが男です。まして女性である絶間姫、髪を剃るのはさぞ悲しいことでしょう。

そして気持ちが高ぶったのか、絶間姫は「癪(しゃく)」をおこします。
「癪」というのは時代劇にもよく出てきます。当時の女性に多い持病です。
差し込むようにお腹が痛むのです。手で患部を押したりあたためたりすると痛みが軽減します。胃痙攣の一種だろうとされています。
もちろん今回のは仮病です。

上人は教養があり、医学の心得もあります。痛みが軽くなるように押してやろうとし、姫に誘導されて着物の中に手を入れて、
胸にさわります。きゃー。

女性を知らないのでさわった段階では、何に触ったかわかりません。
「枕のようなものがふたつ下がって、下に取っ手のようなものがあった」という表現は見事に直接的でむしろエロいと思います。

というわけで頭に血がのぼった上人はさらに下の方もさわります。へその下のその下のその下に
「極楽がある」そうです。
胸がなんだかわからなくても極楽があるのはわかるのですか!!

ついに上人は完全に堕落します。絶間姫の圧勝です。

地獄に堕ちてもいいと言って絶間姫に求愛する上人を、絶間姫は驚きながら受け入れます。
さらに上人は結婚しようと言い出します。
このへんからはコミカルな展開になっていきます。

結婚するからにはお坊さんはやめて一般人になります。
一般人が坊主頭なのは変なのですが、当時は「脚気(かっけ)」という病気の治療の一環として頭を剃るという風習があったので、
この坊主頭は脚気の薬だ。心は一般人なのだと言いはります。ここも笑うところです。

さらに名前も一般人風にすると言って、自分の役者名を名乗ったりするのも楽しいところです。

そして、弟子の白雲黒雲が隠していた酒を持ちだして、固めの杯を始めます。
もちろん、僧は飲酒は禁止ですから、これも大きな破戒行為です。

姫はどんどん上人に酒を飲ませて酔いつぶします。
ついでに酔った上人から、龍神を閉じ込めた結界の場所とそれを破壊する方法も聞き出します。

上人が酔って寝入ったところで絶間姫は素に戻り、上人に陰ながら謝ります。
とはいえ帝の命令です。ちょっと怖いけどがんばって岩を登り、念仏をあげてしめ縄を切ります。
ここのキっとした、必死の様子も見どころです。

絶間姫は逃げていきます。

絶間姫がこんなにがんばる理由なのですが、単に朝廷の命令だからというだけではなく、
このミッションを成功させれば、大好きな「文屋豊秀(ぶんやの とよひで)」と結婚させてやると天皇が言ったのです。
絶間姫の原動力も恋の力なのです。

ところで、絶間姫は、役名は「雲の絶間姫」となっていますがお芝居の中では一度も名乗りません。
このあとのセリフで名前が出てきますが、名前は「雲の絶間」です。
身分上も「官女」ですので姫ではありません。
衣装が姫の形態なので役名に「姫」が付くのだと思いますが、実際には違うというのはちょっとおもしろいところです。

弟子の白雲黒雲が仲間の僧たちも連れて戻ってきます。
結界が切れたので世の中は大雨になっています。
酔いつぶれたままで「なんだ、雨がふる?」とうなるように言う上人の様子は不気味です。すでに人ではなくなりかけています。

ふたりはふもとでいろいろ噂を聞いてきました。あの女はやはり帝の命令で上人を落としに来たのでした。
全てを知った上人は、怒り狂って雷神になって荒れ狂います。
いくつもの見得をして暴れる様子が、荒事としての見せ場になります。
前半の高貴な高僧の様子、だんだん落ちていく色っぽい様子、そして最後の荒事の力強さ、と3通りの見せ場があるのが
このお芝居の楽しいところです。

絶間姫を追っていこうと上人は、花道を入っていきます。

ていねいに出すと、ここで「押し戻し(おしもどし)」が付きます。
「押し戻し」も「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつの演目ですが、
独立して上演するものではなく、
この場面のように、荒れ狂う变化(へんげ)のものが花道から外に出ようとするときに、強い男が出てきてこれを舞台上に「押し戻す」という、
その一連の場面をそう呼びます。

これはもうストーリーとは関係なく挿入されるサービスのようなものです。
出てくる「強い男」というのもストーリーには何の関係もなく、イキナリこの場面だけ出てくるのです。

変化(へんげ)のものが舞台から外に出ることは危険だという意識が当時はありました。お芝居と現実の境があいまいだったのです。
とくに「団十郎」「江戸荒事」はどこか神がかった存在だったのでなおさらです。
なので、危険な存在を舞台に押し戻して封じ込めておくことで、その強いエネルギーは安全に、神聖なものとして客席に力を与えると考えたのだと思います。

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岩屋にいきました (kanta)
2012-08-03 12:06:32
昨日 岩屋山志明院にいきました
ほんとうに竜がでそうな畏怖をかんじるような
岩屋です
北山の杉林の静寂さは最高でした
高校の時の歌舞伎教室 (R)
2017-07-16 02:27:50
高校の時の歌舞伎教室で見た演目です。
生徒の我々はイヤホンで解説を聞いているのですが、解説の人が、二人の小坊主の会話(麓へ出家の準備に行く時のもの)「いや~、これは解説できませんね……。」と困っていました。
そして古典の男性教師だけが大笑いし、他の先生を見ていたそうです。
今内容を知って、なんでそんな演目を選ぶ……?と不思議に。
でも面白かったですが。

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