歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「大森彦七」 おおもり ひこしち

2016年03月18日 | 歌舞伎
明治30年初演の、いわゆる「新作もの」です。
最近上演機会が減っているのですが、
いわゆる「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」に対抗して明治以降に作られた「新歌舞伎十八番」のひとつになっており、
以前はけっこうな人気演目でした。

時代設定は「太平記」、南北朝の時代です。
主人公は「大森彦七盛長(おおもり ひこしち もりなが)」といいます。
「太平記」中、もっとも有名な武将である「楠正成(くすのき まさしげ)」を討ち取ったのが「大森彦七」です。
今は、この「大森彦七(おおもり ひこしち)」自体を知らない人が多いのも人気のない理由のひとつかもしれません。

お話は、この「楠正成」を討ち取った戦いの少しあとからはじまります。戦はおさまっており、勝った北朝側はわりと平和です。
場所は四国、伊予(いよ、いまの愛媛)」の山の中です。
古い小さい地蔵堂があり、そこに鬼のお面が飾ってあります(伏線)。

お百姓さんが3人と、お供を連れたお侍が出てきます。会話をします。ここは状況説明の場面です。
どこかは明記されませんが大きなお寺のお堂で「猿楽(さるがく)」をやるのです。
ここでいう「猿楽」は、「能」のことだと思っていいです。
当時は謡を歌って能を舞うのは武将の教養だったので、出演するのも演奏するのも武将たちです。優雅な話です。
前回の戦で「楠正成」を倒した大森彦七も、もちろん重要な役で出ます。

出てきたお百姓さんたちは大森彦七の領地のひとです。お殿様の舞台を見に行くところです。
お侍は隣の領地のお殿様です。やはり見物にいくところです。大森さまとは仲がいいので準備を手伝ったと自慢げに言います。
一同は一緒に行くことになります。みんな仲良しの気分のいい場面です。

ここまでが説明です。一同退場。

後ろの地蔵堂からキレイな女の人が出てきます。頭から布をかぶって顔をかくしています。
「千早姫(ちはやひめ)」といいます。うしろで隠れて話を聞いていました。
あとのほうで説明がありますが、「楠正成」の娘です。大森彦七を恨んでいる様子です。
飾ってある鬼の面を取ります。あとから大森彦七がこの道をやってくるのを待ち受ける様子です。

明治時代の感覚ですと、楠正成の亡霊が鬼女になって大森彦七を襲ったという伝説を、ほとんどの人が知っていたので、
千早姫のこの動きだけで、だいたい何をするつもりか客には伝わったのです。

さて、相手を油断させようと気分が悪いフリをして座っている千早姫なのですが、
間の悪いことに、大森彦七ではなく違う武将がやってきます。
「道後左衛門近信(どうごの さえもん ちかのぶ)」というひとです。山の中に身分の高そうな美女がひとりでいるので怪しみます。
千早姫はいろいろ嘘を言ってごまかそうとしますが、話が矛盾だらけなので左衛門はだまされません。

というか左衛門はゲスな男という役柄です。詰問するのは表向きで、言うこと聞いて自分の屋敷に来るなら見逃してやるよと言います。ゲスです。
断る千早姫。争いになります。

ここに大森彦七がかっこよく登場します。
左衛門がゲスなことを知っている大森彦七は、姫に「住吉の神職の娘の鈴姫ではないか」とでまかせを言って助けます。
なおも疑う左衛門ですが、大森彦七が、自分を疑うのかと怒ってみせるのであきらめます、
ブツブツ言いながら左衛門は退場します。

千早姫は「お堂の猿楽が見たくてやってきた」と言うので、大森彦七が連れて行くことになります。
けっきょく千早姫は身分をあかさないのでアヤシイままです。無防備に連れて行くのはどうかという気もしますが、
大森彦七は勇者なので、かよわい女子が何かたくらんでいても気にしないのです。

舞台が変わって、川辺になります。
この川は小さい川で、昨日までは問題なく渡れたのですが、昨日の雨で増水しました。
男はとこかく女子が渡るのはちょっとむずかしそうです。
千早姫は身軽に飛び石づたいに渡ろうとするのですが、途中でよろけて流されそうになります。

大森彦七は岸で袴(はかま)の裾(すそ)をくくっていたのですが、あわてて川に入って千早姫を抱きとめます。
この「はかまのすそをくくっている」状態がこのお芝居では有名です。
彦七の袴は市松模様の派手なものです。ふつうにはいていてもかっこいいのですが、
動きやすいように裾をひもでくくった形態がキリっとしていて男らしいかんじです。

彦七は千早姫をおぶって川を渡ることにします。
ここからとても有名な場面になります。

かわいく大森彦七に背負われていた千早姫ですが、川の中ほどに来たところで、持っていた鬼のお面をかぶります。
鬼になります。

この、背負っていた女が鬼になる、というモチーフは古典作品にもある有名なものです。こわいです。


鬼になった千早姫は懐剣で大森彦七を殺そうとしますが、気づいた彦七は千早姫を振り落とします。
家来たちは怖がって逃げてしまいます。

千早姫はさっきはコケてたくせに、楽々と石を渡って岸に逃げます。けっこう強いのです。
ここで姫が「父の敵」「大切の宝剣を奪い取られた」みたいなことを言います。

大森彦七と千早姫(鬼女)のかっこいい立ち回りになり、彦七が千早姫を切りふせます。

彦七「正体を言え」
千早「言わない」
彦七「おまえは楠正成の娘だろう」
千早「そこまでわかったのならもうしかたない。さあ殺せ」

この潔い態度に感心した彦七は、千早姫の父親である名将、楠正成の最期の様子を語ります。
この作品は新作ですが、この部分は古典的な「ものがたり」の場面になります。
合戦などの特定の場面を再現してかっこよく語る、一種の劇中劇です。

大森彦七は「負けた楠正成に詰め腹を斬らせて家宝の剣を奪った」と思われていて、彦七もとくに否定していないのですが、
実際は違うのです。

戦の勝敗が決したと、大森彦七が楠正成のいる本陣に攻め入ったとき、すでに正成は切腹の準備をしていました。
彦七はその状況で正成と戦う意志はなく、むしろ心置きなく切腹できるように本陣を守り、礼を尽くしました。
正成は感謝しつつ死にます。

彦七はその首を討ち、残された鎧兜と刀を主君の足利尊氏に見せます。
その時点で初めて、その刀が楠の家の家宝の「菊水の宝剣」であることを知ります。基本的に無頓着な性格なのかもしれません。

足利尊氏は、南北朝の戦いが完全に集結して政局が安定するまでの間、刀を大森彦七に託します。
彦七が楠木正成のこの刀を持っているのはそういう理由です。

以上の状況を説明したあと、彦七は、
刀は父の形見であろうから差し上げたいが、自分も主君の足利尊氏から預かっているだけなので渡すことはできない、と言います。

話に納得した千早姫。しかし刀は手に入らないとわかったので絶望し、自害しようとします。
その覚悟の感動した彦七は、刀を渡す決心をします。

しかし、主君から預かった刀を自分から渡しては大森彦七が不忠になります。
そんなことはさせられないので断る千早姫。
そこで大森彦七は、楠正成が鬼になって出てきたことにして、刀を奪い取るように言います。これなら不可抗力です。

千早姫は感謝しつつ鬼となり、刀を奪い取ります。

彦七はちょうど猿楽を演じるために行くところでしたので、いろいろ衣装を持っています。
鬼っぽいのを千早姫に渡します。
千早姫はいかにも鬼っぽい姿になって姿を消します。

ほっと一息つく大森彦七

ここに、さきほどの「道後左衛門近信(どうごの さえもん ちかのぶ)」が戻ってきます。さっきのゲスなひとです。
彦七の家来たちが「鬼が出た」と逃げてきたので武器を持って馬に乗って加勢しに来ました。

うわーめんどくさいのが来た。大森彦七はとりあえず鬼に化かされて気が狂乱しているふりをします。
しかし、左衛門が千早姫が羽織っていた着物が落ちているのを見つけてしまいます。はぅ。
狂乱したフリをして、あわてて着物を取って川に投げ込み、証拠を隠滅する彦七。

このあと、大森彦七の「狂い」になります。「物狂い」の所作(しょさ、踊りね)の一種です。ここも見せ場になります。

ここの文句には、「このごろ都に流行るもの」という、南北朝の時代に実際にあった社会風刺の有名な落書(らくしょ)が取り入れられています。

治安は悪く、政局も不安定でそもそも適正に行われていない。ニセモノも多い。
訴訟だらけな上にマトモに裁判は機能していない。成り上がりが多く、ふさわしいふるまいや仕事をしないのも混乱に拍車をかける。
風紀もみだれてひどい様子だ。
だいたいそういう内容ですが、
明治30年の社会の乱れに、なんとなくイメージを重ねているのかもしれません。

さらに大森彦七は、左衛門が乗ってきた馬を自分の馬だと思い込んでいるふりをして勝手に乗り、
馬の上でさらに「狂い」を見せます。
歌舞伎ですので馬の中には人が入っています。馬専門の役者さんがおり、その息のあった動きも見どころです。
今回は馬上の人が「狂い」で踊りますから、非常にむずかしい動きです。

そのまま大森彦七は退場します。

おわりです。

基本的には、大森彦七というイケメンを見て楽しむだけの内容です。
古典的な作品とは違う、自由で豪快で、しかし垢抜けた雰囲気が魅力的な作品です。


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