さて この薬 第一の 奇妙には
さて このくすり だいいちの きみょうには
「奇妙」というのは「ヘン」という意味ではなく、「ふしぎですばらしい」という意味です、ほめ言葉です。
=さて、この薬ですが、まずいちばんはじめのすばらしい効き目としては
舌のまはることが 銭独楽が はだしで逃げる
したのまわることが ぜにごまが はだしでにげる
=舌が回るということが、(同じ回るものである)銭独楽が、とてもかなわないと裸足で逃げ出すほどよく回るのである。
銭独楽・ゼニゴマ、
ゼニ、つまり一文銭を数枚重ね、穴に棒を通して作った独楽です。当時の一文銭は穴が四角でしたから棒を固定しやすく、ちゃんと中心部に穴がありますから安定して長時間回ります。
宴席などでその場で作って回し、回り終わるまでに浄瑠璃一段語る、等の遊びをしたそうです。つまり「銭独楽と競争して早口で語る」という遊びが実際にあったのです。
江戸後期には「ゼニゴマ」は「銭独楽型にデザインした土独楽」のことになったようですが、「外郎売」ができたのは江戸前半期ですから、ここでいっているのは本物の「銭で作ったゴマ」だと思います。
ひょっと舌が まはり出すと 矢も楯も たまらぬじゃ
ひょっとしたが まわりだすと やもたても たまらぬじゃ
=ひょいと(軽い感じで)舌が回り始めると、矢や盾で武装していてもたまったものではない(止めることはできない)のだ。
そりゃそりゃ そらそりゃ まはってきたわ まはってくるわ
そりゃそりゃ そらそりゃ まわってきたはまわってくるは
=そりゃそりゃ そらそりゃ 舌が回ってきたぞ 舌が回って来るぞ
アワヤ咽
あわやのど
=「あ」行「わ」行「や」行の音は(中国音韻学の)「喉音(こうおん)」から始まる
サタラナ 舌に カ牙サ 歯音
さたらな したに かげさ しおん
=「さ」「た」「ら」「な」の行の音は「舌音(ぜつおん)」、「か」行は「牙音(がおん)」、「さ」行は「歯音(しおん)」である
意味に即してセリフを言うと「カゲ サシオン」だと思いますが、聞き取りにくいためか、今の位置で切るのが普通のようです。
ハマの二つは 唇の軽重
はまのふたつは くちびるのけいちょう
=「は(ファ)」「ま」の二音は「唇音(唇音)」で始まる。(唇の閉じかたが軽ければ「は(ファ)」に、しっかり閉じれば「ま」の音になる)
この部分と、中国の「音韻学」との関連についてうにうにさまからご指摘いただき、それに基づいて訳しなおしました。
詳しいことは別載します。たいへんおもしろいのでぜひご覧ください。
=こちら=です。
開口さわやかに あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
かいごうさわやかに あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
=(という発音のをふまえて)口の開け閉めもきびきびと あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
当時(江戸前半期)の役者さんが、このように正確な発声訓練を受けていたことがわかります。
また、江戸時代は50音を「いろは」でしか認識していなかったような気がしがちですが、実際には現代とまったく同じ発音表が完成していたこともわかります。かなり進んでます。
一つへぎへぎに へぎほしはじかみ
ひとつへぎへぎに へぎほし はじかみ
これもテキストによっては「ひとつへぎへぎ 二へぎほし…」と書いてあるのですが、
「ひとつ」の対に「二」は来なかろうと。「ふたつ」だろうと。
まあカタカナの「ニ」と漢数字の「二」なんて区別つきゃしませんから、正解がどっちかなんて原文見ても分かりませんが。
では「へぎへぎ」は何か、というと「へぎ」だと自分は思います。薄くそいだ板で作った四角いお皿です、
…あー、「三方」の上の部分、あれ。
「へぎ干し」薄く削ったお餅を干したもの、今の欠き餅です。
=ひとつの「へぎ」に「へぎ干し」と「はじかみ生姜」と
盆豆 盆米 盆ごぼう
ぼんまめ ぼんごめ ぼんごぼう
これも多分上の「へぎ」に一緒に乗ってるかと。「盆豆」と「盆米」は「お盆のお供えの豆や米」だと思います。お盆にゴボウを供えたかは、地域差があると思います。「お盆」のやりかた自体が今とはずいぶん違います。ここは語呂だけの可能性が強いかと思います。
=さらにお盆のお供えの米や豆やゴボウ(を乗せる)。
摘蓼 摘豆 摘山椒
つみたで つみまめ つみさんしょう
=摘んだばかりの、または摘んだまま調理していないタデ、豆、山椒、
これも「へぎ」に乗ってるのかなあ。
書写山の 写僧正
しょしゃざんの しゃそうじょう
とりあえず書写山円教寺(しょしゃざん えんきょうじ)のサイトへのリンクです(笑)。
http://www.shosha.or.jp/index.htm
姫路にある古刹です。チナミに「義経記(ぎけいぎ)」によれば、若い頃の弁慶が暴れて焼いたお寺です。
この文句は「サンショウ」の音から繋がってるだけでしょうから、訳はそのままです。
これもテキストによっては「社僧正」になってます。が、「社僧」は神社にいるお坊さんのことです。本地垂迹、神仏習合のなせるワザです。「書写山」はお寺ですからそもそも「社僧」はいないと思います。
そして「僧正」は僧正さまです。「社僧」と「僧正」がくっつけば「社僧正」になりますが、そんな単語ないと思います。
書写山は天台宗、密教な世界です。江戸時代お経をひたすら写す係のお坊さんは実際いましたので、そっちだと思います。
=書写山の、写僧正
以下単語だけの部分は解説だけで訳はなしです。
粉米の生噛み 粉米の生噛み こん粉米のこ生噛み
こごめのなまがみ こごめのなまがみ こんこごめの こなまがみ
昔は脱穀作業をするのにお米をつきました。作業過程で砕けてしまったお米が「粉米、または小米」です。
「小米で一升(多分安い)」みたいな商いがあったようなので、小米だけを炊いてごはんにしたり、ぜったいおいしくなかったり、しかも噛みごたえがないので「生噛み」になっちゃう、そんな意味かと。
江戸中期すぎると精米技術が進んで、「小米」はあまり出なくなったかもしれません。
「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」というお芝居のセリフに「鬼の金歯の一粒選り(ひとつぶえり)米で育ったこの体」というのがありますが、
「鬼の歯」というのが精米機です。この「鬼の歯」で精米したお米から、砕けたものや小さいのをのけて、いいのを一粒ずつ選んだお米で丈夫に育ったこの体、みたいな意味です。砕けて食べにくいお米は、なにげにイヤなものだったのでしょう。
繻子 緋繻子 繻子 繻珍
しゅす ひじゅす しゅす しゅちん
「しゅす」は絹織物、つやつやしてキレイなあれ、「ひじゅす」は紅染めの「しゅす」。着物の裏とかに使うときは「紅葉(もみ)」と呼ばれました。「しゅちん」は色とりどりに模様を織り出した「しゅす」。
親も嘉兵衛 子も嘉兵衛 親嘉兵衛子嘉兵衛 子嘉兵衛親嘉兵衛
おやもかへい こもかへい おやかへいこかへい こかへいおやかへい
ふつう子が「嘉兵衛」を名乗った時点で親は隠居するかして改名すると思います。区別付かなくてメイワクです(笑)。
ふる栗の木の 古切口
ふるくりのきの ふるきりくち
=古い栗の木を切った跡の古い切り口
雨合羽か 番合羽か
あまがっぱか ばんがっぱか
今「江戸時代の合羽」というと、三度笠」かぶった博徒が着てる、マントみたいのをさしますが、江戸時代に「合羽」というと、今の「和装コート」が一番形状も機能も近いです。
「番○○」というのは、「番茶」や「番傘」もそうですが、大量に常備して、番号を付けて管理するような安い量産品、みたいな意味です。
「番合羽」もそういう安い合羽です。
貴様の脚絆も 皮脚絆 我らが脚絆も 皮脚絆
きさまのきゃはんも かわぎゃはん われらがきゃはんも かわぎゃはん
脚絆、布製が主でしたが、革のもありました。ていうか江戸時代、「皮羽織」とか、けっこう皮製品衣料多いです。
しっかは袴の しっぽころびを 三針針中に ちょっと縫うて
しっかわばかまの しっぽころびを みはりはりなかに ちょとぬうて
「しっ」は接頭語です。イキオイだけです。
「針中」と書いてあるテキストが多いのですが、もとは「針なか」と書かれており、たぶん「針なが」であろうという指摘をいただきました。そうだ!!
=革袴のほころびを、幅の広い縫い目で(間に合わせなかんじに)3針ちょっと縫って、
縫うて ちょっと ぶんだせ
ぬうて ちょと ぶんだせ
=縫って(その袴をはいて)ちょっとオモテに飛び出せ
河原撫子 野石竹
かわらなでしこ のぜきちく
上の文との連関はないです。「かわ」という音だけだと思います。「河原」も「野」も修飾語のようです。「かわらなでしこ」という種類があったわけじゃなく。「やまほととぎす」と同じような言い方?
=なでしこ、せきちく(訳ですかこれ)
のら如来 のら如来 三のら如来に 六のら如来
のらにょらい のらにょらい みのらにょらいに むのらにょらい
「野良猫」みたいに「野良如来」がいたら楽しいと思いましたが、やっぱりいません、ちぇ。音だけかと。だから訳はなし。
一寸先の お小仏に おけつまずきやるな
ちょとさきの おこぼとけに おけつまづきやるな
=ちょっと(道の)先にある小さい仏様(道ばたに安置されてる仏像ですね)お蹴つまづきになるな。
細溝に 泥鰌 にょろり
ほそどぶに どじょ にょ ろ り
=細いどぶにドジョウがにょろり(一応訳した)
京の なま鱈 奈良 なままな鰹 ちょと四、五貫目
きょうの なまだら なら なままなかつを ちょとしごかんめ
マナガツオはカツオではなく、イボダイの仲間のおさかなです。スズキ目(もく)です。おいしいらしいです。
カツオは足が速い魚なので内陸部の京都や奈良では生食できなかったようです。
なのでこの魚をカツオの代わりにナマス(刺身)にして食べたので、「こっちが本当のカツオ」というような意味で「マナ(真名)ガツオ」と呼ばれたという説と、
関東のほうではカツオは高級魚でしたが、それに対抗して関西で「こっちのほうがカツオより美味しい」という意味で「マナガツオ」と呼んだという説とがあるようです。
ここでは「生マナガツオ」と言っているので「生食可」を重視して「奈良でカツオの代わりに食べたから」説を取りたいと思います。
参考リンク:http://kensui.on.arena.ne.jp/syun/H16/managatuo.htm
=京の生鱈(西京漬けにするのかな) 奈良の生のマナガツオ、(それらを)ちょっと4,5貫目(17.8キロくらい、そんなにどうすんだ生魚を)
お茶立ちょ 茶立ちょ ちゃっと立ちょ 茶立ちよ
おちゃだちょ ちゃだちょ ちゃっとたちょ ちゃだちょ
=お茶をたてろ 茶をたてろ、ちゃっと(すばやく)たてろ 茶をたてろ
青竹 茶筅で お茶ちゃっと 立ちや
あおたけ ちゃせんで おちゃちゃと たちゃ
=青竹の茶筅でちゃっちゃっと(すばやく)たてろ。
来るわ 来るわ 何が来る 高野の山の おこけら小僧
くるわ くるわ なにがくる こうやのやまの おこけらこぞう
=来るぞ来るぞ、何が来る、高野山金剛峰寺(リンクなし)の木っ端小僧(と訳しておく)
俗に「高野六十、那智八十」というそうで、これは高野山金剛峰寺(こうやさん こんごうぶじ)と那智山青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)(熊野霊山にあるお寺)とは寺稚児が多く、男色が盛んで、それぞれ60歳、80歳もの寺稚児がいる、という冗談ですが、この「おこけら小僧」にもそのへんの隠語が含まれているかが、まだわかりません(わからなくてもいいです)。
「こけら」というのは、大工さんの仕事のあとに出る木屑のことです。
狸百匹 箸百膳 天目百杯 棒八百本
たぬきひゃっぴき はしひゃくぜん てんもくひゃっぱい ぼうはっぴゃっぽん
=たぬき百匹…以下まんま。
「天目」は茶器の天目茶碗のことではなく、ただ「お茶碗」のことでしょう。入ってるのがごはんか酒かは不明。
武具 馬具 武具 馬具 三武具馬具 合わせて 武具 馬具 六武具馬具
ぶぐ ばぐ ぶぐ ばぐ みぶぐばく あわせて ぶぐばぐ むぶぐばぐ
言いにくいです。訳はそのまま
菊 栗 菊 栗 三菊栗 合わせて 菊 栗 六菊栗
きく くり きく くり みきくくり あわせて きく くり むきくくり
まんまです
麦 ごみ 麦 ごみ 三麦ごみ 合わせて 麦 ごみ 六麦ごみ
むぎ ごみ むぎ ごみ みむぎごみ あわせて むぎ ごみ むむぎごみ
自分はこれが一番言いにくいです。あと「お茶だちょ・・」も苦手です。
あの 長押しの 長薙刀は 誰が長薙刀ぞ
あの なげしの ながなぎなたは たが ながなぎなたぞ
=あのなげし(説明いらないですよね?不安…)に乗っている長長刀は、誰の長長刀だろうか
向うの 胡麻殻は えの胡麻殻か 真胡麻殻か
むこうの ごまがらは えのごまがらか まごまがらか
=むこうにあるゴマを絞ったかすは、荏胡麻のごまがらか、普通のゴマのごまがらか
「荏胡麻(えごま)」はゴマ科ではなく、シソ科です。
余談ですが「荏胡麻(えごま)油」、「シソの実油」はα-リノレン酸が豊富だそうです。一般の油(リノール酸)と違ってα-リノレン酸の油は炎症を抑える効果があります。普通の油はむしろ炎症をひどくします。
というわけで、アトピーや花粉症のかたは、これらの油を使うといいようです。
あと、「馬油」もα-リノレン酸の油です。
あれこそほんの 真胡麻殻
あれこそほんの まごまがら
=あれこそ本当の真ゴマのごまがらだ
がらぴいがらぴい 風車
がらぴいがらぴい かざぐるま
訳ナシ、「ごまがら」から音で「がらぴい」とつなげただけだとおもいます。
=[1]へ=
=[3]へ=
さて このくすり だいいちの きみょうには
「奇妙」というのは「ヘン」という意味ではなく、「ふしぎですばらしい」という意味です、ほめ言葉です。
=さて、この薬ですが、まずいちばんはじめのすばらしい効き目としては
舌のまはることが 銭独楽が はだしで逃げる
したのまわることが ぜにごまが はだしでにげる
=舌が回るということが、(同じ回るものである)銭独楽が、とてもかなわないと裸足で逃げ出すほどよく回るのである。
銭独楽・ゼニゴマ、
ゼニ、つまり一文銭を数枚重ね、穴に棒を通して作った独楽です。当時の一文銭は穴が四角でしたから棒を固定しやすく、ちゃんと中心部に穴がありますから安定して長時間回ります。
宴席などでその場で作って回し、回り終わるまでに浄瑠璃一段語る、等の遊びをしたそうです。つまり「銭独楽と競争して早口で語る」という遊びが実際にあったのです。
江戸後期には「ゼニゴマ」は「銭独楽型にデザインした土独楽」のことになったようですが、「外郎売」ができたのは江戸前半期ですから、ここでいっているのは本物の「銭で作ったゴマ」だと思います。
ひょっと舌が まはり出すと 矢も楯も たまらぬじゃ
ひょっとしたが まわりだすと やもたても たまらぬじゃ
=ひょいと(軽い感じで)舌が回り始めると、矢や盾で武装していてもたまったものではない(止めることはできない)のだ。
そりゃそりゃ そらそりゃ まはってきたわ まはってくるわ
そりゃそりゃ そらそりゃ まわってきたはまわってくるは
=そりゃそりゃ そらそりゃ 舌が回ってきたぞ 舌が回って来るぞ
アワヤ咽
あわやのど
=「あ」行「わ」行「や」行の音は(中国音韻学の)「喉音(こうおん)」から始まる
サタラナ 舌に カ牙サ 歯音
さたらな したに かげさ しおん
=「さ」「た」「ら」「な」の行の音は「舌音(ぜつおん)」、「か」行は「牙音(がおん)」、「さ」行は「歯音(しおん)」である
意味に即してセリフを言うと「カゲ サシオン」だと思いますが、聞き取りにくいためか、今の位置で切るのが普通のようです。
ハマの二つは 唇の軽重
はまのふたつは くちびるのけいちょう
=「は(ファ)」「ま」の二音は「唇音(唇音)」で始まる。(唇の閉じかたが軽ければ「は(ファ)」に、しっかり閉じれば「ま」の音になる)
この部分と、中国の「音韻学」との関連についてうにうにさまからご指摘いただき、それに基づいて訳しなおしました。
詳しいことは別載します。たいへんおもしろいのでぜひご覧ください。
=こちら=です。
開口さわやかに あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
かいごうさわやかに あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
=(という発音のをふまえて)口の開け閉めもきびきびと あかさたなはまやらわ おこそとのほもよろを
当時(江戸前半期)の役者さんが、このように正確な発声訓練を受けていたことがわかります。
また、江戸時代は50音を「いろは」でしか認識していなかったような気がしがちですが、実際には現代とまったく同じ発音表が完成していたこともわかります。かなり進んでます。
一つへぎへぎに へぎほしはじかみ
ひとつへぎへぎに へぎほし はじかみ
これもテキストによっては「ひとつへぎへぎ 二へぎほし…」と書いてあるのですが、
「ひとつ」の対に「二」は来なかろうと。「ふたつ」だろうと。
まあカタカナの「ニ」と漢数字の「二」なんて区別つきゃしませんから、正解がどっちかなんて原文見ても分かりませんが。
では「へぎへぎ」は何か、というと「へぎ」だと自分は思います。薄くそいだ板で作った四角いお皿です、
…あー、「三方」の上の部分、あれ。
「へぎ干し」薄く削ったお餅を干したもの、今の欠き餅です。
=ひとつの「へぎ」に「へぎ干し」と「はじかみ生姜」と
盆豆 盆米 盆ごぼう
ぼんまめ ぼんごめ ぼんごぼう
これも多分上の「へぎ」に一緒に乗ってるかと。「盆豆」と「盆米」は「お盆のお供えの豆や米」だと思います。お盆にゴボウを供えたかは、地域差があると思います。「お盆」のやりかた自体が今とはずいぶん違います。ここは語呂だけの可能性が強いかと思います。
=さらにお盆のお供えの米や豆やゴボウ(を乗せる)。
摘蓼 摘豆 摘山椒
つみたで つみまめ つみさんしょう
=摘んだばかりの、または摘んだまま調理していないタデ、豆、山椒、
これも「へぎ」に乗ってるのかなあ。
書写山の 写僧正
しょしゃざんの しゃそうじょう
とりあえず書写山円教寺(しょしゃざん えんきょうじ)のサイトへのリンクです(笑)。
http://www.shosha.or.jp/index.htm
姫路にある古刹です。チナミに「義経記(ぎけいぎ)」によれば、若い頃の弁慶が暴れて焼いたお寺です。
この文句は「サンショウ」の音から繋がってるだけでしょうから、訳はそのままです。
これもテキストによっては「社僧正」になってます。が、「社僧」は神社にいるお坊さんのことです。本地垂迹、神仏習合のなせるワザです。「書写山」はお寺ですからそもそも「社僧」はいないと思います。
そして「僧正」は僧正さまです。「社僧」と「僧正」がくっつけば「社僧正」になりますが、そんな単語ないと思います。
書写山は天台宗、密教な世界です。江戸時代お経をひたすら写す係のお坊さんは実際いましたので、そっちだと思います。
=書写山の、写僧正
以下単語だけの部分は解説だけで訳はなしです。
粉米の生噛み 粉米の生噛み こん粉米のこ生噛み
こごめのなまがみ こごめのなまがみ こんこごめの こなまがみ
昔は脱穀作業をするのにお米をつきました。作業過程で砕けてしまったお米が「粉米、または小米」です。
「小米で一升(多分安い)」みたいな商いがあったようなので、小米だけを炊いてごはんにしたり、ぜったいおいしくなかったり、しかも噛みごたえがないので「生噛み」になっちゃう、そんな意味かと。
江戸中期すぎると精米技術が進んで、「小米」はあまり出なくなったかもしれません。
「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」というお芝居のセリフに「鬼の金歯の一粒選り(ひとつぶえり)米で育ったこの体」というのがありますが、
「鬼の歯」というのが精米機です。この「鬼の歯」で精米したお米から、砕けたものや小さいのをのけて、いいのを一粒ずつ選んだお米で丈夫に育ったこの体、みたいな意味です。砕けて食べにくいお米は、なにげにイヤなものだったのでしょう。
繻子 緋繻子 繻子 繻珍
しゅす ひじゅす しゅす しゅちん
「しゅす」は絹織物、つやつやしてキレイなあれ、「ひじゅす」は紅染めの「しゅす」。着物の裏とかに使うときは「紅葉(もみ)」と呼ばれました。「しゅちん」は色とりどりに模様を織り出した「しゅす」。
親も嘉兵衛 子も嘉兵衛 親嘉兵衛子嘉兵衛 子嘉兵衛親嘉兵衛
おやもかへい こもかへい おやかへいこかへい こかへいおやかへい
ふつう子が「嘉兵衛」を名乗った時点で親は隠居するかして改名すると思います。区別付かなくてメイワクです(笑)。
ふる栗の木の 古切口
ふるくりのきの ふるきりくち
=古い栗の木を切った跡の古い切り口
雨合羽か 番合羽か
あまがっぱか ばんがっぱか
今「江戸時代の合羽」というと、三度笠」かぶった博徒が着てる、マントみたいのをさしますが、江戸時代に「合羽」というと、今の「和装コート」が一番形状も機能も近いです。
「番○○」というのは、「番茶」や「番傘」もそうですが、大量に常備して、番号を付けて管理するような安い量産品、みたいな意味です。
「番合羽」もそういう安い合羽です。
貴様の脚絆も 皮脚絆 我らが脚絆も 皮脚絆
きさまのきゃはんも かわぎゃはん われらがきゃはんも かわぎゃはん
脚絆、布製が主でしたが、革のもありました。ていうか江戸時代、「皮羽織」とか、けっこう皮製品衣料多いです。
しっかは袴の しっぽころびを 三針針中に ちょっと縫うて
しっかわばかまの しっぽころびを みはりはりなかに ちょとぬうて
「しっ」は接頭語です。イキオイだけです。
「針中」と書いてあるテキストが多いのですが、もとは「針なか」と書かれており、たぶん「針なが」であろうという指摘をいただきました。そうだ!!
=革袴のほころびを、幅の広い縫い目で(間に合わせなかんじに)3針ちょっと縫って、
縫うて ちょっと ぶんだせ
ぬうて ちょと ぶんだせ
=縫って(その袴をはいて)ちょっとオモテに飛び出せ
河原撫子 野石竹
かわらなでしこ のぜきちく
上の文との連関はないです。「かわ」という音だけだと思います。「河原」も「野」も修飾語のようです。「かわらなでしこ」という種類があったわけじゃなく。「やまほととぎす」と同じような言い方?
=なでしこ、せきちく(訳ですかこれ)
のら如来 のら如来 三のら如来に 六のら如来
のらにょらい のらにょらい みのらにょらいに むのらにょらい
「野良猫」みたいに「野良如来」がいたら楽しいと思いましたが、やっぱりいません、ちぇ。音だけかと。だから訳はなし。
一寸先の お小仏に おけつまずきやるな
ちょとさきの おこぼとけに おけつまづきやるな
=ちょっと(道の)先にある小さい仏様(道ばたに安置されてる仏像ですね)お蹴つまづきになるな。
細溝に 泥鰌 にょろり
ほそどぶに どじょ にょ ろ り
=細いどぶにドジョウがにょろり(一応訳した)
京の なま鱈 奈良 なままな鰹 ちょと四、五貫目
きょうの なまだら なら なままなかつを ちょとしごかんめ
マナガツオはカツオではなく、イボダイの仲間のおさかなです。スズキ目(もく)です。おいしいらしいです。
カツオは足が速い魚なので内陸部の京都や奈良では生食できなかったようです。
なのでこの魚をカツオの代わりにナマス(刺身)にして食べたので、「こっちが本当のカツオ」というような意味で「マナ(真名)ガツオ」と呼ばれたという説と、
関東のほうではカツオは高級魚でしたが、それに対抗して関西で「こっちのほうがカツオより美味しい」という意味で「マナガツオ」と呼んだという説とがあるようです。
ここでは「生マナガツオ」と言っているので「生食可」を重視して「奈良でカツオの代わりに食べたから」説を取りたいと思います。
参考リンク:http://kensui.on.arena.ne.jp/syun/H16/managatuo.htm
=京の生鱈(西京漬けにするのかな) 奈良の生のマナガツオ、(それらを)ちょっと4,5貫目(17.8キロくらい、そんなにどうすんだ生魚を)
お茶立ちょ 茶立ちょ ちゃっと立ちょ 茶立ちよ
おちゃだちょ ちゃだちょ ちゃっとたちょ ちゃだちょ
=お茶をたてろ 茶をたてろ、ちゃっと(すばやく)たてろ 茶をたてろ
青竹 茶筅で お茶ちゃっと 立ちや
あおたけ ちゃせんで おちゃちゃと たちゃ
=青竹の茶筅でちゃっちゃっと(すばやく)たてろ。
来るわ 来るわ 何が来る 高野の山の おこけら小僧
くるわ くるわ なにがくる こうやのやまの おこけらこぞう
=来るぞ来るぞ、何が来る、高野山金剛峰寺(リンクなし)の木っ端小僧(と訳しておく)
俗に「高野六十、那智八十」というそうで、これは高野山金剛峰寺(こうやさん こんごうぶじ)と那智山青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)(熊野霊山にあるお寺)とは寺稚児が多く、男色が盛んで、それぞれ60歳、80歳もの寺稚児がいる、という冗談ですが、この「おこけら小僧」にもそのへんの隠語が含まれているかが、まだわかりません(わからなくてもいいです)。
「こけら」というのは、大工さんの仕事のあとに出る木屑のことです。
狸百匹 箸百膳 天目百杯 棒八百本
たぬきひゃっぴき はしひゃくぜん てんもくひゃっぱい ぼうはっぴゃっぽん
=たぬき百匹…以下まんま。
「天目」は茶器の天目茶碗のことではなく、ただ「お茶碗」のことでしょう。入ってるのがごはんか酒かは不明。
武具 馬具 武具 馬具 三武具馬具 合わせて 武具 馬具 六武具馬具
ぶぐ ばぐ ぶぐ ばぐ みぶぐばく あわせて ぶぐばぐ むぶぐばぐ
言いにくいです。訳はそのまま
菊 栗 菊 栗 三菊栗 合わせて 菊 栗 六菊栗
きく くり きく くり みきくくり あわせて きく くり むきくくり
まんまです
麦 ごみ 麦 ごみ 三麦ごみ 合わせて 麦 ごみ 六麦ごみ
むぎ ごみ むぎ ごみ みむぎごみ あわせて むぎ ごみ むむぎごみ
自分はこれが一番言いにくいです。あと「お茶だちょ・・」も苦手です。
あの 長押しの 長薙刀は 誰が長薙刀ぞ
あの なげしの ながなぎなたは たが ながなぎなたぞ
=あのなげし(説明いらないですよね?不安…)に乗っている長長刀は、誰の長長刀だろうか
向うの 胡麻殻は えの胡麻殻か 真胡麻殻か
むこうの ごまがらは えのごまがらか まごまがらか
=むこうにあるゴマを絞ったかすは、荏胡麻のごまがらか、普通のゴマのごまがらか
「荏胡麻(えごま)」はゴマ科ではなく、シソ科です。
余談ですが「荏胡麻(えごま)油」、「シソの実油」はα-リノレン酸が豊富だそうです。一般の油(リノール酸)と違ってα-リノレン酸の油は炎症を抑える効果があります。普通の油はむしろ炎症をひどくします。
というわけで、アトピーや花粉症のかたは、これらの油を使うといいようです。
あと、「馬油」もα-リノレン酸の油です。
あれこそほんの 真胡麻殻
あれこそほんの まごまがら
=あれこそ本当の真ゴマのごまがらだ
がらぴいがらぴい 風車
がらぴいがらぴい かざぐるま
訳ナシ、「ごまがら」から音で「がらぴい」とつなげただけだとおもいます。
=[1]へ=
=[3]へ=
アカ*ヤ(喉音)(サ)タナラ(舌音)カ(牙音)サ(歯音)ハ(ワ)マ(唇音)だったかな うろ覚えです
兎に角、この外郎売りは「成りすまし」なので知ってるいるようで、所々に間違いが入ることで、「バレるんじゃないか」というハラハラ感と、絶妙な「いいまつがい」を楽しむ内容なのですよね?
ふな(渡辺綱)キンカン(坂田の金時)椎茸(卜部季武)定めて(碓井貞光)は、源 頼光の四天王で、ごだんな そば切り(=食後の甘味)は、「豪胆な鬼切」だと思っていたのですが、誰もそれに触れなくて
ういろう売りの早口言葉ももともとは物語?は個人の感想、
大和ナデシコ(河原撫子)と唐ナデシコ(石竹)に風景表現が含まれるのでは?は解釈、
真胡麻殻や荏胡麻殻とは油の搾りかすではなく乾燥中orタネを取った後の干した大きな草、は事実として扱ってくださいね(笑)
いろいろと詳しいご教示ありがとうございます。
「革のブーツ」は、革脚絆のことで合っているでしょうか?
順次確認して反映させていただきたいと思います。
本当にありがとうございますー。
ナデシコとセキチクは革のブーツを修理したあとで飛び出す先の「河原」「野原」をそれぞれ象徴する植物として使われているようです。
カワラナデシコは日本在来種で河原などの乾燥地に生えている秋の七草、人がいない荒地の植物としてのナデシコ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%B7%E3%82%B3
セキチクは中国から輸入された観賞用の植物で、人が住む周辺に生える植物としてのナデシコです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AF
そこから先、
道端に並ぶ神仏の像、小川とどじょう、と旅の風景。
京都と奈良で魚を大量に入手し、茶や食器を大人数分用意し、高野山から人材を派遣してもらうほどの手間がかかる大宴会が開催され、武器や馬具が無数にちらばっていて、なぎなたの持ち主が分からないぐらいに混雑している、というのが早口言葉の中でのストーリーのようですね。
もともとは畿内で現実にあった何かのイベントを反映したものなのかもしれません。
胡麻殻と荏胡麻殻はそれぞれ刈り取った
ゴマ
http://blog.livedoor.jp/kaoruchan10/archives/1547370.html
エゴマ
http://blog.livedoor.jp/egomanokai/archives/1683075.html
の植物部分。どちらも草ごと乾燥させて、そのあとでタネの部分を集めます。
近づけば誰でもどちらか分かるので、移動中に少し遠くの家の軒下に吊るして干されている束になった植物を指さし「あれはゴマか?エゴマか?」という賭けのようですね。
それは、聞いたことがなかったのでちょっと調べてみたのですが、
手持ちの資料ではソースが見当たりません。
もしも「ここに出ているよ」というのをご存知でしたら
教えていただけるとありがたいです。
いわゆる「へぎそば」の薬味に「あさつきの球根」を添えるようなのですが、
そこからの変化でしょうか。
へぎ ってあさつき の球根ではないでしょうか?
コメントありがとうございます。
「一貫」というのはお寿司に使いますが、
京阪の寿司ですと、いわゆる「握り寿司」ではなく、樽に入った「押し鮨」なので、
イメージなさっているかんじにはならないかもしれません。
今のお寿司屋さんでは食後に湯呑みでお茶を飲みますが、
当時は寿司はテイクアウトか、押し鮨ならば樽ごと配達して家でほかのごちそうを食べるようなものなので、
直後にお茶、というかんじでもないかもしれません。
この時代ですと、この「お茶」は茶室で茶筅で点てるあの「お茶」ですから、
そこもイメージがちがうかもしれません。
でも考えてくださってありがとうございますー。
とってもわかりやすくて勉強になります!ありがとうございます。
質問といいますか、ただの素人考えなのですが、奈良なまマナガツオのあとの、「ちょと四五貫目」というのは、重さの単位ではなくてお寿司の数え方という解釈は変でしょうか。原文のどこにもお寿司と明記してないですが、あとにお茶が出てくるし…。
語呂がいいので意味のない重さを言っているだけかもしれませんが、なんとなくふと思ったので書き込ませていただきました!
初心者にわかりやすい解説で、楽しませていただいています。
そのような素人が、と少々気が引けつつ、一点だけ書かせていただきます。
「カワラナデシコ」は実際にある園芸品種です。
ナデシコは江戸時代にはずいぶん品種改良が行われ、はやりの植物だったようです。
「本草綱目啓蒙」にナデシコ、カワラナデシコやヤマトナデシコなどの名があるとのことです。
失礼いたしました。
覚えたものでは
こごめのなまがみ こごめのこまがみ こんこごめのこなまがみ
で、二回目はなまがみではなくこまがみだったと思いました。
もし本文が正しければ申し訳ありません。
このような研究はあちこちであるのかもしれませんが、ネットでは断片的なものが多いですよね。この全訳は、解説も非常にわかりやすく、資料としても高い価値があると思います。
気がついたところで一点だけ補足ですが、「矢も楯もたまらぬじゃ」のくだりは、「居ても(射ても)立ってもいられない」を意味する言葉遊びになっているところにも触れておいて欲しいと思いました。