硯日記

書道の話、硯の話、字の話、いろんな話をします。

暦は時間の地図だ!【令和四年壬寅略歴】①

2021-09-27 12:44:00 | 日記

|д・) ソォーッ…



‬|д゜)チラッ



あたりの様子を警戒して、うかがっています。

なんせ、ブログを書くのが久しぶりすぎて。


覚えている人も覚えていない人も、みなさんこんにちは!(◍•ᴗ•◍)
硯コレクターのえみです。



さて去年書いた
みなさん覚えてくれていますか?

私はめちゃくちゃ覚えています。
なんせ、あんなにしんどいことなかなかないですから。

しんどいしんどいと言いながら、なんでこんなことやるのか……自分でもはっきり言って意味が分からないと思いますが、

今年もこの季節が来ました!
やりましょう!
略暦を作るぞ!
やだよーしんどいよーやりたくないよーうわぁ(断末魔)



まずは去年の略暦の反省点を考えていきましょう。




私の個人的な反省としては、
細かすぎて書くのがめちゃくちゃ大変だった
ということですが(もはや反省点ではなく愚痴)


イベントで買ってくださった方の感想を聞いてみると

「わぁ!!すごい!!
番付表みたいですね!!!」


∑( ̄ェ ̄;) エッ……?
ばっ……( ̄ェ ̄;)
ばんづけひょう…( ̄ェ ̄;)
だとぅ……???( ̄ェ ̄;)


番付表といえば、
大相撲の!!!あの!!!

番 付 表!

あぁあぁあぁあぁ_| ̄|○




ほんとだホンマやそのとおりやぁぁぁ


大相撲が好きすぎて、大相撲に自然と寄り添ってしまった自分がいたよぉぉぉ


ならば!リベンジしかない!!!
超しんどかったあの作業を!
今年もやることに決めましたよ!

そう、モットーは
もう番付表なんて言わせない!(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ

このようにして新たな戦いの火蓋がここに切って下されたのでございます!


まずなぜ番付表に見られたかを推理しましょう。
私はレイアウトが一番怪しいと睨んでいます。

・一番上にタイトル
・真ん中の柱に神武天皇即位紀元
・左右に大と小の月
 
もうこんなの、明らかに番付だよな。


ということで今回はレイアウトの再編に取り組んでみました。



おぉ!すごい!
ほらほら番付っぽくない!


そして番付に見られた第二の理由、それは書体…?σ( ̄^ ̄;)

前回は隷書体と大入り文字(寄席文字)を足して二で割ったのですが、
やはり全体の枠いっぱいに書くことは大相撲の番付表の醍醐味であるので、それに特化した寄席文字を適用することで番付表に似てしまう結果になったのだと思います。ウカツだった。


ということで今回は番付表に絶対に使われない書体で、目立つタイトルと神武天皇即位紀元を書くことにしましょう。

番付表にも寄席文字にも絶対に使われない書体といえば……もちろん


篆書体

↑これねコレコレ



がっ、しかし!!!

ここで大問題が発生します!!

なんとこの私、
大学卒業以来、篆書体をめっきり書いていない!

見切り発車もいいところです。口だけで何もできない奴は家のこたつの中で黙って寝ていろってやつです。


でも篆書体って決めちゃったんだよなぁ(σ・з・。`)
もう篆書体っていうつもりでレイアウトも書いちゃったし(σ・з・。`)
↑見切り発車もいいところ

とりあえず今年の反省点は、
書体が書けるかどうかを考えてからレイアウトを作るべし。

ということで、出来上がってもいないのに早くも反省点が見つかってしまったのですが
もう作り始めてしまったので駆け抜けるしかありません。見切り発車しちゃったもんは見切り発車し続けるしかないのです。後は野となれ山となれ!どりゃぁぁ!




……と言いつつ、なぜか真面目な性格に生まれてしまった私はちまちまと篆書の練習を始めるのでした。

まずはビデオ学習


書家の先生方のDVDを何本か見て、筆の動きを練習したところで

次は理論を勉強します。

先生方の解説書を何冊か読んだところで

臨書に入ります









いやわかりますよ皆さんの言いたいことは。私だって思ってますよ。これ、カレンダーを作る作業ですよね?

もはやカレンダーとか関係なく
全力で篆書体を練習してしまっているんですけど。

とりあえず
「泰山刻石(たいざんこくせき)」
「石鼓文(せっこぶん)」
呉昌碩や呉譲之を片っ端から臨書しまくっていきましたが

ここらへんで
カレンダーなんてどうでもいい、篆書の練習がめちゃくちゃ楽しい(。♡‿♡。)

という本末転倒な心理状態に陥り始めました。いよいよ何のために練習しているのか分からなくなっています。


よしっ、戻ろう、カレンダーに戻ろう!気合で戻ろう!

ということで、2か月間の篆書練習から戻ってきました。

つまりこの時点でカレンダーの製作期間は2ヶ月以上となったわけです(なげぇぇ)。


もうほとんど忘れてましたよカレンダーのことなんて、もう全力で篆書を習得することに快感を覚えていましたもん╮(. ❛ ᴗ ❛.)╭


さてさて一口に篆書体といってもその中には大きくわけて甲骨文、大篆、小篆があります。

(すっかり忘れていたけど)私の暦のテーマは読める暦なので、ここではギリ頑張れば読める可能性が高い小篆を採用します。
つまり2ヶ月間練習した中で小篆以外はマジで趣味だったということです。何してるんだ。

本来書道作品の場合は字の雰囲気を統一するために一つの作品から字を引いていくのがベターですが
そのままでは読みにくいものもあったり、新しい字体では存在しなかったりする場合もあるので、臨機応変に変えながら、無機物的で違和感のあるのような仕上がりになるように調節していきます。

目標は字に見えないけど雰囲気でなんとなく読めると思ってもらえるような字です。


この書体で月の名前も埋めていきました。



おおっとかなり長くなってしまった!

次はいろんな日付を入れていくよ
┻━┻︵└(՞▽՞ └)

ではまた!!

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東京駅はお好きですか? ~宮城県雄勝硯~その1

2021-01-01 20:07:00 | 日記
久しぶりになってしまいましたが、硯のことを書きたいと思います。硯コレクターの恵美です(o´▽`o)ノ

突然ですが皆さん、好きな駅はありますか?

この
「好きな駅はありますか?」
という質問。
たまに受けるのですが、こういうときってみなさん、どのような視点で好きな駅を選ぶのでしょうか?
いつも不思議に思っています。

鉄道好きの方や、たくさん旅行されている方にとって、駅はどのように見えてるのでしょう。
その土地に生きている方や、行きつけの場所がある方は、駅をどう思って利用しているのでしょう。
デザインや建築、アートなどを重視する方は、駅にどんな魅力を見つけているのでしょう。

私にとっての駅は、移動のための入り口でしかありません。特別な視点を持って見たことはありません。

しかし、私にもひとつだけ、恋い焦がれて愛し続ける駅があるのです。

それは、東京駅。

変な話ですが、もしも東京駅が駅じゃなくても、私は東京駅が好きです。駅という存在ではなく、駅舎そのものが好きなのです。

デザインや建築はわかりません。駅舎という存在の良さは、はっきり言ってわかりません。
ただ、東京駅の駅舎の屋根が好きなのです。

色々な方が色々な視点で好きな駅を探すように、私も硯の視点から好きな駅を探せば、東京駅にたどり着きます。



東京駅の屋根と硯になんの関係が?
        ┐(´∀`)┌


はい、みなさんからそんな声が聞こえてきました。
東京駅の駅舎と屋根の関係…あるようなないような…?いやはやめちゃくちゃオオアリです。
なぜなら東京駅の駅舎の屋根は、硯と同じ石で作られているからです。

その名も雄勝石


宮城県の雄勝町で採れることからそう呼ばれています。




泥岩が層状に堆積した、玄昌石という種類の石で、硯だけでなく、器や屋根など、様々なものに使われています。

そんな雄勝石は、かつて戦国時代、その美しさと質の良さから伊達政宗が外部に流出しないように禁止令を出しました。
このことから、雄勝町内で最良の石が採れる山を「御留山(おとめやま)」と呼び、そこで採れる石は「御留石(おとめいし)」と呼ばれるようになりました。

つまり戦国時代の頃から、硯の原石として素晴らしい石だと、高く評価されていたのです。

しかしながら今日、書道やっている人の雄勝硯への評判はとても悪いです安価に根付けされ、素人が試しに使う硯と蔑まれています。その証拠に、硯として石が柔らかすぎるという意味の豆腐石というあだ名まであります。

歴史的にその質の素晴らしさが認められている石なのにも関わらず、どうしてこのような評価になってしまったのでしょう。
今回は雄勝硯の歴史をたどりながら、その誤解の原因を解説していきたいと思います。



・明治時代を支えた雄勝石

時代は明治にさかのぼります。
戦国時代から伊達政宗に外部への流出を禁止されていた雄勝石ですが、江戸時代が終わり明治時代になると、外部への流出が解禁されます。

明治政府がまず進めたことのひとつが教育です。

「学問は国民各自が身をたて、智をひらき、産をつくるためのもの」という教育観を唱え、明治4年の文部省の新設とともに、翌明治5年に「学制」の公布。明治12年には学制を廃して、教育令(自由教育令、太政官布告)の公布と、世界に対抗できる日本を作り上げるため、学問を国民全員に与えていきます。

ところで皆さん、ちょっと考えてみてください。
学校で勉強するための道具って何だと思いますか?

今だと、教科書・ノート・鉛筆ですね。
カラーボールペンやマーカーなど、文房具に豊かな時代となりました。なんとも楽しいことです。

さて、当時はどうでしょう。

教科書・ノート・鉛筆……これを当時に当てはめると、教科書・筆・墨・硯になります。そうなんです。たった150年くらい前は、学校では硯を使って墨を磨り勉強していたのです。

この時、学校で使う硯を作っていたのが、なんと宮城県の雄勝町でした。明治政府は雄勝の豊富な石の採掘量に目を付けたのです。質がいい石が豊かに採れる土地、そして流出禁止となってから雄勝石だけを彫り続け、受け継がれてきた職人たちの力によって、硯の大量生産が行われたのです。

大量生産とは言っても、当時は現在のように機械があるわけではありません。人の手で1面1面、彫っていくのです。
ベテランの職人さんが1日に彫れる硯の限界は5面と言われています。

余談ですが、皆さんが使っていた習字セットの中に入っている硯のサイズはこの時にできあがったものです。生産効率を上げるためには一定サイズが必要でした。

さて、1日一人5面を彫ったとしても、日本中が学校で学ぶのです。足りるわけがありません。
そこでどうしたかと言うと、雄勝の職人さんたちは石の硬度を下げました。

硬度とは、例えばダイヤモンドを10とすると、上質な硯は8・9中程度で5・6くらいと思ってください。硬ければ硬いほど墨を磨るときの磨耗は少なく、良く磨れますし長持ちします。柔らかい石だと墨の硬さに負け、表面が削られてしまうためすぐに墨が磨れなくなってしまいます。

そんな中、当時の雄勝では 3・4程度の硬度の石を硯にするように方針を変えました。
厳密に言うとややこしい話なのですが、方針を変えたというよりも、当時は石の採掘者と硯の職人が別の組合であったため、採掘者から職人が石を買う時に柔らかい石が好まれ、よく売れたのです。また、石の採掘は基本的に手前側が柔らかく、奥に掘り進めていくにしたがって、硬い石になっていきます。掘り進めていくにはそれなりの技術と危険が伴い、大変な作業です。もしも柔らかい石が売れるのであれば、採掘業者にとっても都合がいいのです。

1日約5面しか作れなかった硯が、石の硬度を下げることによって10面を彫ることが可能になりました。2倍のスピードです。

とはいっても、それはもとからいる硯職人さんのスピードであって、硯を作っていた方々の中には硯を作るために派遣された人も大勢いました。その最たるが、江戸時代の薩摩藩士です。戊辰戦争を終えて、明治に二つの藩が協力し日本の教育のために硯を作る……このできごとを思うと、私は新しい時代の幕開けを思い胸が熱くなります。
この薩摩藩士たちが採掘や作硯に関わっていくためにも、難易度の低い採掘、作硯が求められるのは必然的でした。

こうして雄勝硯は自分たちのブランドの名誉よりも、日本の教育のために立ち上がり縁の下の力持ちになることを選んだのです。

当時作られた硯は柔らかく、お世辞にも質が良いものと言えません。しかしそこには大量生産を機械ではなく人間の手で叶えようとした苦闘の日々が刻まれているのです。

皮肉なことでありますが、この当時の硯のイメージが未だに払拭されず、最初に述べた「豆腐石」と呼ばれる所以となりました。
豆腐石……すなわち、墨を磨る石として柔らかく、質の悪い石。しかし当時、大量に作るために余儀なくされた石です。

そして現代も、安価な硯を作るときは雄勝石(もしくは中国石)を使われることがとても多いです。
このせいで勘違いをする人が増える一方なのであえて声を大にして言いたいのですが、柔らかく、質の悪い石はどこの産地でも採れます。
それを安価で使うことを許すか、それともブランドの質を保つために使わせないか、この違いなのです。どちらが良く、どちが悪いという話ではありません。志の違いなのです。雄勝硯は、みんなが硯を使えるようにという志のもと、懐の深さを持っているのです。優しい石です。


さて、まずは明治時代の話をしたところで、とんでもなく長くなってしまいました。

続きは次回!ではまた!(o´▽`o)ノ

まずはカタカナだ、話はそれからだ。③

2020-12-06 22:57:00 | 日記

超合理的に誕生し、そして他者との共通性によって増えすぎることなく、穏やかに常用が選ばれたカタカナたち。

いやーカタカナは優等生ですね。硯コレクターの恵美です(o`・∀・´)ノ

今回は、最初に私がした質問に戻ってみましょう。

あなたは、カタカナを正しく書くことができますか?

私はこの質問について「正しく書くことができる人は存在しない」と言いました。


むむむ?(ФωФ)
それってどういうことでしょう?


不思議ですよねー。
字って全て「正しい字」っていう
決まりがありそうじゃないですか。

そもそも小学校のドリルとかでカタカナ練習しますよね。あれってじゃあなんだったの?正しくないものを書かされてたの?って感じですよね。

その気持ち、めっちゃわかります
でもねえねえ聞いてほしい。


ひらがなの成り立ちともう一度比べてみましょう。

ひらがなは、漢字を草書(超省略されたウネウネした字)にしたあと、さらにそれを簡略化したもの、という成り立ちでした。

この草書。
もちろんのことですが、好き放題速く書きゃいいってもんじゃないのです。一定のルールのもとで省略されているのです。

本当にルールに従えているのか、と言うとそうでもない点も多いですが、そんなことを説明しだしたら読んでるみなさまが泡を吹いてしまうと思うので、とりあえずそういうこととして進めていきましょう。


ではカタカナはというと。
漢字の一部を切り取っただけなのです。
ええもうそりゃ、清々しいほどに
スパーーーン(っ`Д´)っ・:∴と。

そうすると、どういうことが起こるかと言うと、
一文字として整って美しく見せる状態ではないのです。

中国語含め、日本語の手書き文字というのは、一文字一文字、その存在だけで整って美しく見せることを開発した言語です。
漢字は一文字だけで、整って美しく見えます。これは偶然ではありません。
全ては必然的に、長い歴史をかけて、「どう書けば整って美しく見えるのか」を研究し続けた、書家から書家へ受け継がれて現代まで通じるバトンの結果なのです。

それを切り取ったカタカナは……?

文字は、必然的に整って美しく書ける方法を「正しい」と呼びます。

カタカナに「正しい」が存在しない理由がつかめてきたでしょうか?
あくまでも漢字の一部という考えの時代が長かったため、
「まだ正しく書く方法が発見されていない」
と言った方が正しいかもしれません。

ところで余談ですが、ちょっと意地悪な話をします。
書道があまりよくわからないという方から、よくこんな質問をされます。

「素人でも、ちゃんとしている書道家かどうか、見分けられる方法はありますか?」

こんなときに使えるのがカタカナだよ!(o≧▽゜)o

「『正しいカタカナを教えてください』と言ってみてください。カタカナの存在認識で見分けられます」

と、めちゃくちゃ意地悪な方法を教えちゃいます。
しかしながら…これは有効な方法だなぁと思っていたのですが、ここ数年私がいろんなところで「正しいカタカナは存在しないよー」って言ってしまったものだから、一部この方法が使えなくなりはじめています。
己に首を絞められる結果に…!Σ( ̄□ ̄;)


さて、話は現代のカタカナに戻って、
「発見されてないってことは、いつか発見されるの?」
と思った方、多いと思います。

さて…
どうだろうねぇ…(´・ω・`)

私の見解としては、発見されないと思います。
なんせ機械化が進みすぎてしまいました。
手書きの機会は減り、文字のバトンを受け継げる人は少なくなるばかりです。
今後、正しいカタカナが発見される可能性は低いと思います。

つまりカタカナは
超ロマンスすぎる
文字なのです(*ノ▽ノ) (違う


え、待って待って!
じゃあ私たちが学んできた、学校のドリルとか、美文字の本に載ってるカタカナってなんなの!?

そんな声が聞こえてきますね(*‘ω‘ *)

あれは、

「正しいカタカナがなかったら、みんな覚えるのに困るじゃろ」σ(*´∀`*)

ということで、書家がとりあえず文字の理論に当てはめて整ったカタカナを書いたもの(教科書など)

もしくは
「正しいカタカナが存在する」( ゚∀゚)

と思っている人がそれらしく語ったもの(美文字本など)

のどちらかです(o≧▽゜)oオモシロイネ!

ちなみにカタカナは基本的に
正しい書き方が発見されていないため
誤読されなきゃいいんです。
ええもう、文字なんてそんなもんです。読めりゃいいんです。
アンパンマンって誤読されずに書けますか?ってだけなんです。


で、ここからが本題なんですけど(遅すぎる…)

じゃあカタカナって練習する意味ないじゃん、勉強する意味ないじゃんってなるじゃないですか。

そこに意味を見出だそうじゃないか!
と思ったわけですある日突然。

さんざん申し上げました。
カタカナは漢字の一部を書いている、と。

これを逆方向に考えてみると、
字を書くには、カタカナを組み合わせればいいのです。

字の指導をしていると、みんな漢字に苦戦しまくります。
漢字は種類も多く、何を目安に書けばいいのかわからないことが多いのです。

ところで、カタカナはとりあえず誤読されずに読めりゃいいと言いました。
ってことは、誤読されない、そして整った字を作る定義に当てはめた上で、漢字を正しく書くための予習としてカタカナを学ぶのはどうでしょうか?


ないかなーないかなー
そんな効率よくカタカナを使って
漢字が書けるようになっちゃうテキスト
ないかなー( ̄▽ ̄= ̄▽ ̄)


はい、
なかったので作っちゃいました。

その名も
カタカナで漢字を書くテキスト。



とりあえずいつもどおり
あいうえお順」ではなく
習得しやすい順」に並べかえます。




ぐっと効率よく学べるようになりました。

ではカタカナの間に漢字をはさんでいきましょう!




カタカナを数文字、習得したら
習得したカタカナを使って書ける漢字を練習します。
漢字が書けるようになったら、また新たにカタカナを習得し


そしてまた漢字を練習する……

まるで
漢字とカタカナの
サンドイッチやー
    ( ゚∀゚)!!

「カタカナで漢字を書くテキスト」の効果は上々で、漢字とカタカナを単体で教えていたときよりも、私の生徒さん達の上達スピードが爆上がりしています。嬉しい!

さてっ、次はどんな効率重視なものを作ろうかな。

ではまた!(o´▽`o)ノ

まずはカタカナだ、話はそれからだ。②

2020-11-08 10:00:00 | 日記
僧侶たちは漢字を一部だけ書いて済ませる力を手にいれた
(*^▽^)/★*☆♪

タラララッタラーとレベルアップの音楽がなったところで続きのお話がはじまります。硯コレクターの恵美です(* ̄∇ ̄)ノ

漢字の一部を表音として漢文に書き込んだ…これがカタカナの起源です。

とすると、ひらがなとの違いも見えてきますね。
ひらがなは万葉集を筆頭に、日本語の名詞の表音に多く用いられていたのに対し、カタカナは漢文の解読として用いられました。

編纂も比べてみましょう。

ひらがなは
草書(万葉仮名)→さらにくずした草書(草仮名)→さらにくずした女手(ひらがな)→女手を楷書化(現在の公用ひらがな)

という流れでしたね。

カタカナはというと……
楷書→楷書の一部だけ書く

上!!
まさかの驚異の2ステップ!


ということは何が起こるかと言うと
ひらがなのように、たくさんの種類が生まれないのです。

ひらがなは、膨大な数の種類に増えて、読解に支障をきたすようになったと説明しました。その大きな理由は二つあり、

1つは、ひらがなになるまでの行程が多かったこと。

もう1つは、自分だけの特別な使い方がしたいという自己顕示欲、自己満足、独自性の主張、という個人主義が多かったこと。
キラキラネームが増えた要因と似ています。時代は繰り返しますね( ´-ω-)y‐┛~~


では、カタカナはというと、まずカタカナになるまでの行程が少ないです。それだけでも種類の数は押さえられます。

そしてもう一点、重要なのは何のために使うのか、という存在の意義です。

カタカナは漢文を読むという、個人主義では成り立たない、他者との共通性が必要とされる場面で使用されました。
漢文を読むためにカタカナで送り仮名やふりがなをつける……すなわちそれは漢文を補助なしで読むことのできない人、つまり漢文を学んでいる人です。
学ぶ、という行為は一人では成り立ちません。
指導者や学友と共に、知識を交換していく作業なのです。

そんな中に、例えば
「オリジナリティあふれるカタカナを書いて、自分を表現しちゃお!」
なんて人がいたとして、果たしてこの人は学べるでしょうか……?

まず、読んでもらえないから指導をしてもらえないかもしれません。学友と話があいません。
もしも指導者がそんなオリジナリティあふれるカタカナを書いていたら、生徒(弟子)は何も学ぶことはできません。

学問において自己満足は無意味なのです。


超私的感情を言いますと、私はカタカナのこんなところが好きです。
他者と学問をするために、自己主張ではなく共通を全うする……言語のあるべき姿を見る心地がします。言語とは感情の共有、そして学問の共有の砦なのです。

話は戻りますが、こんな質問をよく受けます。
カタカナに、ひらがなのような変体仮名は存在しなかったのか?

もちろん存在します。

しかし、カタカナの変体仮名はあくまで理性的であり、ひらがなのように数が増えすぎることはなかったのです。

そしてひらがなと同様、1900小学校令施行規則により、カタカナも48音が指定され他のカタカナは変体仮名になりました。

しかしながら、変体仮名になったカタカナは、ひらがなと違って現在あまり使われていません。




あぁーーーひらがなの説明でめちゃくちゃ時間がかかってしまったーーーっ!

次回、カタカナ最終回!
なぜまずはカタカナなのか!?をお話しします!


ではまた!o(*≧∀≦)ノ

まずはカタカナだ、話はそれからだ。

2020-10-07 21:26:00 | 日記
突然ですがみなさん、
カタカナを正しく書けますか?



いいえと答えたアナタ、
とても正直ですね(* ´ ▽ ` *)

はいと答えたアナタ、
むむむそれは本当ですか?(ФωФ)

いじわるな質問をしてごめんなさい、硯コレクターの恵美です(o`・∀・´)ノ



この質問……
カタカナを正しく書けますか?

に、「はい」と答えられる方は、一人もいないはずなのです。
なぜならば、正しいカタカナの書き方というものは、この世に存在しないから。



えー!
そんなことあるのー!(゜ロ゜)

不思議ですよね。

ってことで今回はカタカナの誕生をやんわりと追いながら、なぜ正しいカタカナの書き方が存在しないのかを突き止めてみましょう。


まず最初にひらがなの回でも言ったことを、もう一度申し上げておきたいと思います。


仮名は漢字です。
       ややこしか~┐(´∀`)┌


仮名とはひらがなのことだけを指すものではなくて
漢文を日本語にするのはやっぱり無理があるよなぁ(´ι _`  )
と考えた当時の人が
とりあえず漢字の音だけ使って日本語を表しちゃおっか!o(*≧∀≦)ノ
っていう、当て字のようなものが仮名でしたね。


カタカナはその名の通り、漢字の片方を取った仮名片仮名

漢字を仮名として使うときに
ええぃ!画数が多くてまどろっこしいな!ヽ(#゚Д゚)ノ
と、漢字をものすごく簡略化したものがひらがなでした。

カタカナはというと、僧侶たちが中国の仏典を読むために使った読みがな、送りがなはじまりと言われています。
みんな学生時代の漢文の授業覚えてるかな?

送り点ってやつ(ФωФ)

あの送り点、カタカナでしたよね?


みなさん、ぜひ想像してほしいんですけど
漢文に、もしも自分で送り点をつけるとして、
当時のように漢字を仮名として使っていたとして
漢文に、日本語の読みを漢字で書き込んだとしたら(ややこしいな)

もう紙が超真っ黒極まりなくて
読めたもんじゃないですよね。

ごちゃごちゃどころの騒ぎじゃない。

そもそも漢字に漢字でふりがな漢字に漢字で送りがなって何が何だかよく分からないです。パニックです。
しかも、漢文の横にわざわざふりがなや送りがなのスペースが空いてるわけではないので、ちっちゃくちっちゃく漢字を書かなきゃならないんです。

さぞかし僧侶たちもイラッとしたでしょう。

結果、漢字を書かずに
漢字の一部を書いて済ませるようになりました
それがカタカナです。


っていっても何だかよくわからない、ややこしい…もういやだ……(´-ω-`;)
そんなみなさんの声が聞こえてきそうです。なんせ私も何を書いているのかわからなくなってきました。



例えば、孟浩然の「春暁」の一文

春眠不覚暁
をとりあえずひらがなで書き下すと
春眠暁を覚えず

これの送り仮名を漢字にすると

春眠暁江須

   ↑ ↑↑
   仮 名

↑↑これ!!!↑↑
この状態だったわけです!
当時の僧侶たちの漢文のテキストは!


今は一行で書いてますが、当時はこの赤の部分を行の隙間に書き込んでいるわけです。絶対ミチミチで読めないと思う。

では、漢字をカタカナにしてみましょう。


春眠暁エス

(濁点は当時なかったので省きます)


一気にスッキリしましたね!(*゚∀゚)=3

実に快適になりました。
ミチミチじゃなくなったし、これなら狭いスペースにも書けそうです。



おっと長くなってしまった!

続きは次回に!ではまた!
ゞ(^o^ゝ)≡(/^_^)/"