ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「アシュターヴァクラ・ギーター 第一章~第九章【改訂版】」

2019-02-27 21:48:54 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「アシュターヴァクラ・ギーター 第一章~第九章【改訂版】」です。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソードⅠ 第13話」

2019-02-26 21:50:39 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソードⅠ 第13話」です。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ『シヴァ特集』」

2019-02-25 21:17:49 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。

マハーシヴァラートリが近いので、シヴァ特集です。


曲目

1.月光
2.OM NAMAH SHIVAYA
3.KASI VISHWANATH GANGE
4.KAILAS KI SHAKTI SHIVA
5.SHIVA SHAMBO
6.マハームニに捧げる歌
7.BY YOUR GRACE
コメント

今日のAMRITAチャンネル「ワンポイントダルマ『一番成長するのは、人の成長を心から喜べる人』」

2019-02-25 01:24:32 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「ワンポイントダルマ『一番成長するのは、人の成長を心から喜べる人』」です。

コメント

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第65話 後編「"バガヴァッド・ギーター"part2 『生まれた者は滅びる、しかし真我は永遠に滅びることはない』」」

2019-02-22 22:14:45 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第65話 後編「"バガヴァッド・ギーター"part2 『生まれた者は滅びる、しかし真我は永遠に滅びることはない』」」です。

コメント

TOWNSHIP Krishna

2019-02-21 19:35:12 | 松川先生のお話
TOWNSHIP Krishna
コメント

懺悔・随喜・回向の瞑想について

2019-02-21 06:43:14 | 勉強会より抜粋


2009/12/09 勉強会より
「懺悔・随喜・回向の瞑想について」




◎懺悔・随喜・回向の瞑想のやり方

 昨日ちょっとインスピレーションを受けて、みなさんに瞑想法を一つプレゼントというかな、ちょっといい瞑想法を教えたいと思うので、それから話したいと思います。
 まあ瞑想法と言っても特別なことではなくて、いわゆる懺悔の瞑想なんですが、これは『入菩提行論』ね、いつも出てくる『入菩提行論』に、よく読んでる人は覚えてるかもしれませんが、「正智の守護」という章の中で、「朝と夕に三回ずつ、懺悔と随喜、そして回向、これを転現せよ」と。朝と夕に三回というのはつまり、一日六回っていうことです。つまり四時間ごとっていうことだね。四時間に一回、懺悔、随喜、そして回向をしなさいと。
 で、『入菩提行論』はわたしはかなり前から読んでるので、これをね、その言葉通りによくやってたんだね。その言葉通りっていうのはつまり、四時間に一回――今、チベット仏教とかではもう完全に、例えば懺悔にしろ随喜にしろ回向にしろ、システマティックに詞章とか瞑想法があるので、それを四時間に一回やると、そういうことかなって思ってたんだけど、昨日それについてちょっと考えてたら、インスピレーションが降りてきて、「あ、これは違う!」と。その真の意味はちょっと違うと。
 ただちょっとあんまり格好良くないんだけど、瞑想しててインスピレーションが湧いたわけじゃなくて、風呂入ってたらインスピレーション湧いてきて(笑)。お風呂の中で、「ん! これは違う!」と(笑)。で、おそらく本当の意味はこうだろうというのが分かったので、それについてちょっと話します。
 まずそのやり方を言いますね。それは、まず四時間に一回――つまり四時間に一回やるから、その四時間分ね。たとえば十二時にやったら次十六時なので、その十二時から十六時までの自分の身・口・意、つまり実際の身の行ないと、それと声に発した言葉ね、それから心の状態ね。これを振り返る。で、振り返って、そんなに時間とらなくていいんだけど、ぱっぱっぱとちょっと振り返って、一つ一つを思い起こしてね、それもたくさんでなくてもいい、ちょっと特徴的なね、たとえば五個ぐらい思い起こすだけでもいいです。それぞれを善か悪に分類します。
 善か悪に分類するっていうのは、例えばあのときこういうふうに思ってしまったな。これは教えに照らし合わせると悪であると――これは悪だよね。で、逆に例えば、あのときにこういうふうになりそうになったけども、こういうふうに教えによって自分の心をコントロールしたと。これはとても良かったと――これは善だよね。こういうふうに善と悪に大別します。
 もちろん行ないとか言葉も含めてね。あのときちょっと本当は駄目なんだけど、ちょっときついことを言ってしまったと。これは悪だよね。あるいは例えば行動においてもね、こういうことをやってしまったとか、あるいはこういうすばらしい言葉を発することができたとかね。
 で、それを、悪に分類したものは当然そこで懺悔をします。つまり、「申し訳ありませんでした」と。懺悔はいつも言うように、まずしっかりとそれを告白して、神やブッダをイメージして告白して、で、それをもう二度としませんという決意をする。
 そして逆に善であると――つまり、ああ、これはよかったと思ったことは、大いに喜びます。意識的にね。これが随喜なんだね。
 つまり、さっきわたしは、普通だったらこういうふうに言い返してしまうところを、ぐっと耐えて、何か嫌なことを言われても相手の幸福を願うことができたと。これは偉大な進歩であると。ああ、本当によかったなと。ああ、本当にわたしはああいう態度をとれてよかったと。もっともっと次に同じような場面がきたら、もっとそういうふうにしよう!――って、こう喜ぶんだね。
 そして、回向するんです。つまり回向っていうのは、ここで積んだわたしの功徳、あるいはここでわたしの心が変わったこのすばらしい神聖なエネルギーね、これはすべて衆生の解脱とか悟りのためにそれが役立ってほしいと。
 あるいは別のパターンとしては、衆生のためにわたしは仏陀にならなきゃいけないと。だから今ここで積んだわたしの功徳や、あるいは今わたしがとった善行の徳が――つまり徳っていうのは放っておくと欲望の方に流れていく。つまり修行が進めば進むほど、お金持ちになったり、周りが優しくしてくれたり――これは徳が漏れてる現象なんだね。これはもちろん徳が積めてるっていう点ではいいんだけど、漏れてるから、その漏れを許しておくと、確かにこの世では幸せになるけど、悟りであるとか真のメリットは得られない。
 だから回向するんだね。自分の覚醒に回向する。もしくは衆生の解脱に回向する。これをやるわけだね。
 もう一回言いますよ。四時間に一回、過去四時間分の出来事を振り返り、で、善と悪に大別すると。
 で、悪であると、「これはよくなかった」と思ったものは、しっかり懺悔し、もう二度とそういうことをしないと決意する。
 で、善であると分析したものは、そこでね、謙虚になる必要はない。「いやあ、これは善ですけどまだまだです」とか思わなくていい(笑)。大いに喜ぶ。ああ、本当によかったと。これはすばらしいことだと喜んで、しかしこの徳は回向しますと。衆生のために回向しますと。あるいはわたしが仏陀になるために回向しますと。ね。


◎念正智の大いなる効果

 これを四時間に一回やると。これはとても大きな効果を生む修行だと思います。
 いつも言ってる念正智。念正智の具体的な、非常に実質的な修行になると思うね。
 懺悔っていう意味ではもちろんそうだしね。四時間に一回、しっかりと懺悔をすることによって、心が変なふうに行きづらくなるっていうかな。
 で、今言ったように、随喜っていう意味でもそうなんだね。随喜っていうのは、いつも言うけど、われわれの心っていうのは、頭で何を考えてたとしても、心が本当に喜びだと認識したほうに向くんだね。だからいちいち一つ一つ自分がなした善いこと――これは何でもいいんですよ。修行でもね。例えばね、わたしは今日勉強会の間、しっかりと蓮華座を組んでいたと。しっかりと集中できていたと。ああ、本当によかったと。本当にすばらしいな。わたしは本当にこの時間いい集中ができたと。わあ、すばらしい! 本当にわたしはすばらしいことをしたと。これによってより一層次も頑張ろうと。もっともっとこれを増大させよう――と思うことによって、心がそれはすばらしいことなんだと思って、またそれをやろうっていう、善をもっともっと積もうっていう無意識的な力が発動するんだね。
 だからそれは十分に喜ぶ。そして回向する。これを四時間に一回やるんだね。
 もちろん最初は四時間に一回じゃなくてもいいです。スタートは一日一回でもいいです。夜寝る前にこれをやるだけでもいい。で、だんだん慣れてきたら――これは何でもそうなんだけどね。慣れてきたら、例えば十二時間に一回。八時間に一回。六時間に一回っていうふうに狭めていくんだね。


◎過去世からの宝物

 で、これは、実はわたしはちょっと変な話なんだけど、この修行だけじゃないんだけど、他のことでもよくあるんだけど、例えばこれをさっき言ったようにインスピレーションで「あ、そうだ!」って思ったときに、「そういえば!」って思ったんです。そういえばっていうのは、そういえばわたしはこれをやっていたと。やっていて、結構これ効果あったと。忘れてたけど、そういえば効果あったなと。あ、そうだ、このやり方をなぜ今までやらなかったんだろうと。だから確信があったんだね。あ、これなんだと。
 で、ただおもしろいのは、それがいつのことだか思い出せない(笑)。つまりたとえば、十年前によくこれをやってたとか、思い出せるのもあるんですよ。思い出せるのももちろんあるけども、思い出せない。それはもちろん、もしかすると過去世のことかもしれない。
 こういうのってよくあるんです。たとえば経典とかを見てて、たとえばヨーガ経典とか密教の経典って、結構現代では分かりにくい書き方してるのが多いから。仙道とかもそうだけどね。表面の文字面を読んだだけじゃ、何言ってるのか全く分からない。で、分からないんだけど、あるとき今みたいに、ぴぴっと分かるときがある。「あ! こうじゃん!」っていう感じで。それはもう確信っていうか、当たり前じゃんっていう感じで思い出す感じなんだね 。「あ、そうじゃん」っていう感じで、まるで自分がそれを昔から知ってたかのように、思い出すことがある。
 もちろんそれは実際に昔ね――昔って今生において、昔やってたことっていうのもあるんだけども、じゃなくて、当然過去世の情報っていうパターンもある。これはみなさんも将来的にそういう経験をだんだんするかもしれない。
 っていうのは、いつも言うように、だいたいこういう感じでね、しっかりと修行の道に入ってる人っていうのは、まあ今生初めて修行始めた人っていうのは、逆に少ないと思います。そんなにいきなりそういう世界に入れるものじゃないから。特にこういうここの勉強会みたいなね、かなりコアな内容を(笑)、教えてるところに来る人っていうのは、だいたいまあ前生からいろんな修行をやっているタイプの人が多い。それは当然やったことっていうのは、何でもそうだけど、決して無駄にはなっていない。
 つまりいつも言うように、修行者であっても生まれ変わるときにはいったん記憶がなくなるし、あるいはいったん前生まで積み上げたものっていうのは、ちょっとこう封印されるんだね。例えば前生で偉大な聖者だったとしても、生まれてくるときは普通の赤ちゃんとして生まれてくる。まあ例外もいるけどね、パドマサンバヴァみたいに蓮華から生まれるとか(笑)、例外はいるけど、それ以外は普通に生まれてくると。でも修行によって、前生積み上げたものがちょっとずつちょっとずつ顔を出し始めるんだね。
 だから修行の進み方って、そういう意味では人それぞれだからおもしろい。非常に難解な真理を瞬間的に理解してしまうパターンもあるし、あるいは、ある一つの修行システムをね、普通はこれは例えば五年かかるとかいうのを、もう一瞬にして経験してしまう場合もある。
 で、おもしろいのは、人によってそのパターンが違うっていうのがおもしろいんだね。ある人はこの部分は最強だが、この部分は最低であるとか(笑)、全然進み方が違う。この部分はあっという間に達成したが、この部分は全く誰よりも劣ってるとか、そういうふうに進み方が違うのが非常におもしろいところだね。
 で、ちょっと話を戻すけども、そういう感じで四時間に一回ね、懺悔・随喜・回向、これを――もう一回いうけど――定型的な、単に詞章を唱えるとか、決まった瞑想をするとかじゃなくて、本当にリアルに自分の行為を振り返って、悪か善かを分別して、悪は懺悔し、善については随喜し回向すると。




◎懺悔・随喜・回向と、菩提心・帰依

 で、シャーンティデーヴァの『入菩提行論』には、この一節はこれに付け加えて、「さらにこれに加えて、菩提心、そして仏陀への帰依、これによって、気づかずに犯した罪が消される」って書いてあります。
 『入菩提行論』っていうのは、非常にさらっとした書き方をしてるので、具体的な指示としては舌っ足らずな部分もあるんだけど、この菩提心そして帰依、これは四時間に一回とは書かれてないんだけど、だからこれは一日一回でもいいんですけども、でもこれも四時間に一回やったらいいかもしれない。
 これもいろんなやり方があると思うけど、菩提心に関しては発菩提心の詞章を唱えるでもいいし、あるいは精神的にね、「わたしは菩薩になるんだ!」って思い起こすだけでもいい。あるいは帰依に関しては、もちろんできる環境であれば五体投地をやってもいいし、あるいは帰依の集会樹のね、詞章とかを唱えるだけでもいいし、帰依関係のマントラを唱えるだけでもいいし。そういう感じで一日に何度も自分の心を帰依とか菩提心っていう観点にぐっと引き戻すわけですね。
 はい、そして、もう一回言うけども、リアルに自分のやったことを観察し、懺悔・随喜・回向を行なうと。これがみなさんへのプレゼントというかな、おそらく最近頑張っているみなさんへのプレゼントとして、昨日わたしがお風呂入ってるときに(笑)、インスピレーションが降りてきたんじゃないかと思います。
 これはぜひ興味ある人はね、やってみたらいいと思います。
コメント

クリシュナよ、わたしのすべてよ

2019-02-19 21:28:48 | 松川先生のお話
クリシュナよ、わたしのすべてよ
コメント

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソードⅠ 第12話」

2019-02-19 20:14:23 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソードⅠ 第12話」です。
コメント

Om Namo Bhagavate

2019-02-19 18:02:54 | 松川先生のお話
Om Namo Bhagavate
コメント

今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2019-02-18 22:01:00 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。




曲目

1.DEVI PUJA & JAY JAGATAMBE【NEW!】
2.PREMA CHALISA
3.マハームニにささげる歌
4.MOUNTAIN HARE KRISHNA
5.BY YOUR GRACE
6.入菩提行論の歌PART1 THE SONG OF BODHICARYAVATARA
7.入菩提行論の歌PART3 忍辱の完成 THE PERFECTION OF FORBEARANCE




コメント

いつのために

2019-02-17 11:05:42 | 松川先生のお話




 何かに不安を感じ、それが過ぎ去るのを待ったり、それを解消しようと焦りもがく。
 いつのために?――それが解消されるときのために。
 何かに執着し、それを得ようともがいたり、それを得られる日を夢見たり、それを失うことを恐れたりする。
 ――いつのために?

 それらが満たされる瞬間が仮に来たとしても、
 すぐにまた新たな不安や執着が生じ、
 今ではないいつかが来ることを願い、
 今でもそのいつかでもない時間が延々と過ぎていく。

 最初は仕方なかったかもしれない。
 しかし何十年もそれを繰り返してきたならば
 そろそろ気づこう。
 今ではないいつかにではなく、
 常にこの今の中に真実と幸せと満足を見出すべきだと。
 すぐに壊れ去る満足を求めることを繰り返すよりも
 永遠の満足を今の中に見出せる心を培うことをこそ求めるべきだと。

 個人の満足だけではない。他者への純粋な愛、四無量心、
 理想的な心の状態
 絶対なるものへの完全な帰依
 これらをこの、時間や条件を超えた、永遠なる今の中に確立するよう努力すべきだ。
 極限の帰依と四無量心が
 その扉を開く。

コメント

MISION(BAND VERSION)をアップしました

2019-02-17 01:06:31 | お知らせ



「MISSION(BAND VERSION)」をアップしました。よかったらお聞きください^^




「MISSION(BAND VERSION)」


作詞:Keisho.Matsukawa
作曲:Yuri.T
録音・編集:T.Takahashi
Vocal:Keisho.Matsukawa
Keyboard:Yuri.T
Drums:T.Takahashi
Guitar:Yuta.Nakano
Bass:H.Miura

※他のオリジナルの日本語のキールタンはこちらをどうぞ

※キールタンライブについてはこちら




忘れがたき神の喜び
その宝を胸に抱いて

人はいつかたどり着くだろう
魂の故郷へと

たとえ心 引き裂かれて
二度と立ち上がれぬと思い

闇の中でもがいていても
神の御手はいつもそばにある


幾千憶の星空
見つめてあなたを
思いて 無限の愛を
願いて 涙が

あふれる 心の奥が
震える そのとき
忘れていたこの思い
よみがえる 心に


幾千の光きらめき
立ち上る神の力
思い出す 無限の命
舞い踊る 女神たち

愛ゆえに 心至福に
帰依ゆえに 澄み渡り
疑いの入る余地なき
この境地 誰が知る

ああわれは 衆生と行こう
自分だけの解脱など
求めない なぜなら僕は
慈悲満ちる 神のしもべ

吹きすさぶ 嵐の中も
凍えそうな 吹雪でも
バクティを胸に抱いて
至高者の使命果たす


無数の輪廻のその中で
エゴの悪魔に支配されて
無駄な人生を繰り返してきたけれど

今、稀有なる真理に
出会いて わたしは
自己と衆生を救うため
真実の道をゆかん



だから僕は休むことなく
愛によってエゴを捨てて

きっとすぐにたどりつくはず
グルが待つ約束の場所へ

数え切れぬ恩を受けた
衆生のため 自己を捨てて

きっとすぐに彼らのもとへ
飛んでゆこう 救済のために


心の奥が震える
聖なる秘密の
巡り会い それは唯一の
真理のサイン

菩薩の道を歩こう
それこそがはるかな
グルとの遠い約束
秘密の誓約


さあみんな 心配するな
われわれが 全力で
修行する あなたのために
解脱する 必ず

われわれは ブッダのしもべ
至高者の道具
だからこそ すべてを捨てて
修行する 全霊込めて

ああわれは 衆生と行こう
自分だけの解脱など
求めない なぜなら僕は
慈悲満ちる 神のしもべ

吹きすさぶ 嵐の中も
凍えそうな 吹雪でも
バクティを胸に抱いて
至高者の使命果たす


苦界に流れるメロディは
勇者を鼓舞するグルの歌
自己の苦悩を乗り越えて
菩薩になれと


今、聖なる使命を
胸に秘め わたしは
自己と衆生を救うため
救済の道をゆかん



我が友よ けがれた思いを振り捨てて
聖なる真理を胸に刻み

さあゆこう 我が主の慈愛の心の
化身となりて 気高き誇り抱いて 


コメント

パトゥル・リンポチェの生涯と教え(77)

2019-02-16 09:59:13 | 聖者の生涯



◎パトゥルとジャムヤン・キェンツェー・ワンポ


 一見そうは見えなかったが、パトゥルはジャムヤン・キェンツェー・ワンポを非常に深く尊敬していた。チェツン・ニンマのテルマの経典を読んだあと、パトゥルは弟子たちにこう言った。

「キェンツェー・ワンポは、クンキェン・ロンチェンパであった。もしキェンツェー・ワンポに直接会う機会に恵まれたら、二つの目を持っている意味があったということになるだろう。」

 十三年間、毎年パトゥルは、キェンツェー・ワンポの長寿を願って儀式を行なっていた。
 毎年、パトゥルはキェンツェー・ワンポのために長寿の祈りの詩を作った。
 毎年、パトゥルは無限の寿命を持つとされるアミターユスの新しい仏像をキェンツェー・ワンポに送った。
 毎年、新しいアミターユスの像がパトゥルから届くと、ジャムヤン・キェンツェーが不平を言う声が聞こえてきたという。

「また、あのパトゥルから”指令”が来た! いつまでわたしを死なせてくれんつもりだ!」
コメント

「一日中、教えを学ぶ」

2019-02-15 22:22:20 | 解説・スフリッレーカ



◎一日中、教えを学ぶ

【本文】
 知識の要を終日に渡って、さらに夜の初めから深夜にわたって暗誦し、眠りのときも無駄にしないように、その間に記憶するように眠るべきです。



 これは教学ですね。つまり日々しっかりと教えを学び――ここは非常に厳しいことをいっていて、「終日に渡って」――つまり一日中しっかりと教えを学びなさいと。で、「夜の初めから深夜にわたって」――つまりこれは完全に一日中ですね。昼間も夜もずっと教えをしっかり暗誦しなさいと。で、「眠りのときも無駄にしないように、その間に記憶するように眠るべきです」――つまり寝る前に暗誦して、記憶しようとしながら眠りなさいと。
 もともとお釈迦様の時代というのは、教えの学び方はすべて暗誦だったんだね。つまり本やノートは使わずに、自分の師匠やあるいは先輩が口で教えてくれたことを聞き逃さないようにして、それを頭の中で繰り返して暗記すると。
 チベット仏教でも入門したりすると、一番最初に基礎的な――基礎的なっていっても膨大にあるわけだけど――膨大なその経典を暗記させられるんです。もう丸暗記です。自分なりに解釈してとかじゃなくて、完全に丸暗記させるんだね。そういう伝統がある。つまり暗記イコール悟りではもちろん全くないんだが、少なくとも基礎になるんだね。つまり教えが入っていないと、教えではない昔から培ってきた悪い考えがいっぱい入っているから、それによって物事を考えるようになってしまうから間違える。ではなくて、徹底的に教えを入れてくださいと。
 ただここでいう暗記というのは、これはわたしの経験も含めていうと、テクニック的な――つまり受験勉強的な暗記じゃ駄目なんです。つまり試験が終わると忘れちゃうような暗記じゃ駄目なんです。ちょっとストレートにいうと、頭で覚えるんじゃなくて、心で覚えるような暗記なんです。マントラとかもそうでしょ。マントラをあまりに多く唱えると、もう心の中でそれがずーっと流れるようになる。例えば「オーム・マニ・パドメー・フーム……オーム・マニ・パドメー・フーム……」って別に集中しないでもそれが流れてくる。あと歌とかもそうだね。例えば好きなアーティストの歌を繰り返し繰り返し聴いていると、「あれ? あの歌詞何だっけ?」とか考えなくても、もう自然に流れてくる。バーッと。忘れるわけがない。――こういう暗記がいいんです。
 具体的にいうと、例えばこの経典を暗記しようとした場合ね、「ムニは、浄信、戒、教学、布施、慙、愧、智慧が……えーっと浄心が一番目だったな」とかね、あるいは自分なりに暗記の仕方ってあるよね。「浄信、戒、教学、布施、慙、愧、智慧……ちょっとなんか覚えにくいな……じょう、か、きょう、ふ、ざ、き、ちだ! じょう、か、きょう、ふ、ざ、き、ち……んー……」――こういうやり方は駄目なんです(笑)。これはテスト的な暗記の方法で、こんなことをやってもしょうがない。
 そうじゃなくて、テクニックを一切使わずにただ読むんです。ただひたすら読むんです。これをやってると、すっぽりと教えが入ってくる。それがスラーッて心の中を流れる。
 で、何度も言うけど、これは悟りではないよ。悟りではないけども、物事を思索したり分析するときの基礎になるんです。これは瞑想するとよく分かるんです。わたし、こういう経典をひたすら読んでたことがあって、あるときそういうのは忘れて、ある非常に深い瞑想に入った。深い瞑想に入ると、深く入れば入るほど、慣れてないと心って結構コントロール不能になるんだね。コントロール不能になるから、例えば浅いときにはいろいろ考えられてたことが、深くなればなるほど考えられなくなるんです、いろんなことが。考えられなくなるんだけど、ひたすら読んでいたフレーズは出てくるんです。「お釈迦様はこう言いました」とか、「この世は苦である」とか。もうフレーズがパンパンパンパンッて出てくるから、それをもとに考えられるんです。だからそれイコール悟りではないんだが、われわれが深い意識に入っていろんなことを悟るための土台にはなるんだね。
 だから徹底的に教えを学ぶ。それは受験勉強的な暗記ではなくて、心にもう完全に入ってしまうような学び方だね。だからここに書いてあることっていうのはすごく一見厳しいわけだけど、実際にね、日中ずーっと教学し、それから夜も教学し、夢の中でもそれを忘れないようにすると。それくらいに学びなさいということだね。
 ただ実際は修行ってやることがいろいろあるから、そればっかりやってても駄目なわけだけど、まあこういうやり方があってもいいかもしれない。つまり、「わたしはちょっと今月は教学に力を注ごう」といって、ひたすら教学すると。それはそれでいいかもしれない。ただわれわれはそれプラス武器としてヨーガという武器があるので――ヨーガとか呼吸法とかやりながら教学をやった方が効率はいいけどね。全然集中力が違うし。この間もちょっと言ったけど、集中力があるかないかとか、あるいは心がそれを求めているか求めていないかで、また教学の入り方も違ってくる。同じ時間やったとしてもね。
コメント