ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

パトゥル・リンポチェの生涯と教え(33)

2018-08-31 17:42:05 | 聖者の生涯


◎パトゥル、再びダルギェー僧院の近くを通る


 ミンヤクへの訪問を終えると、パトゥルは、宗派主義で有名なダルギェー僧院の近くを通った。僧院の外に立っていた数人の僧たちが、みすぼらしい放浪ラマを見つけた。その身なりや振舞いを見て、その数人の僧たちは、そのラマはニンマ派に所属しているであろうと推測した。
 そのラマを罵ってやろうと考えて、一人の僧が前に出てきて、こう言った。

「どこから来たのですか? そしてどこに向かっているのですか?」


 この度は、パトゥルが主導権を奪って言った。

「ああ、ゲルク派の方ですか。あなたたちは本当に素晴らしい!」

 さらにパトゥルは言った。

「あなたたちゲルク派の系統の保持者の方々は、あちらこちらへ行っておられる! あなた方は遥々、中央チベット、ガンデン、セラへと赴き、一生懸命勉強される! そしてまた戻ってきて、教えるのです! あちらこちら、何度も何度もね!」

 また、パトゥルは一瞬考えてこう言った。

「私のような老いぼれのニンマ派修行者たちは、とんでもない田舎っぺですよ。」

 そして考えに耽りながら、首を振った。

「われわれは、毛布にくるまりながら一生で一つの場所で暮らすことしかできません。そして結局は、二度と帰ることはないのです!」


 褒められたと思って、その僧たちは喜び、それ以上突っかからずにパトゥルを行かせた。


 それから間もなくして、その僧たちはばったりと僧院長のゲシェーに出くわし、ちょうど先ほどやって来た放浪ラマのことを話した。

「感じの良いニンマ派の隠者でした。」

 一人の僧が言った。

「そして、われわれのことを褒めてくれたんですよ!」


 訝って、ゲシェーは尋ねた。

「一体、何と言ったのだ?」


 僧たちはゲシェーに、放浪ラマが言ったことを話した。
 ゲシェーは頭を振って、こう言った。

「いやいや、それは『褒め言葉』ではないぞ。」

 僧たちは首をかしげた。ゲシェーは説明した。

「そのラマの言う『われわれがあちらこちらへ行く』というのは、われわれゲルク派は輪廻をぐるぐると流転し続けるということで、それとは反対に、ニンマ派はゾクチェンと呼ばれる瞑想によって、”輪廻にはもう二度と帰ってこない”という段階に達する、ということだ。」


 ゲシェーは僧たちに、パトゥルを追いかけて捕まえて連れてくるように言ったが、パトゥルはもうずいぶん前に発ってしまっていたのだった。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第53話 後編「素性の種明かし」」

2018-08-31 17:12:54 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第53話 後編「素性の種明かし」」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第124話」

2018-08-28 21:49:57 | 松川先生のお話
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第124話」です。
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解説「ナーローの生涯」第8回(15)

2018-08-27 07:26:35 | 勉強会より抜粋


◎マハームドラー


【本文】
 ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。
 するとティローは、「教えがほしいなら、お前の恋人をよこしなさい!」と言いました。ナーローは彼女をティローに渡しましたが、彼女はティローのことを嫌い、ナーローの方を見て微笑みました。ティローは、「私のことが好きではないんだな!」と言って、彼女のことを打ちました。
 このようなことをされても、ナーローのティローに対する信は、全く揺らぐことがありませんでした。
 ティローはナーローに、「幸せか?」と尋ねました。ナーローは、幸せだと答えました。
 ティローはナーローに、マハームドラーの教えを伝授しました。



 これも表面的にだけ見ると「なんじゃこりゃ?」っていうくらい(笑)、わけの分かんない世界だけども、これも前からの前ふりがきいてるわけだね。つまりさっきも言ったように、徹底的にまずナーローは、この奥さんにある意味人間的な執着をするように仕向けられてるわけです。つまりいいこともあったり悪いこともあったりしてね、いろんな嫌いな部分もあるけども、執着を完全にしてしまうような感じに――まあ表面上だけどね――こうもってかれてると。つまりこれは完全に人間界のカルマを経験させられたわけだね。で、そこで――つまり一年経ってたわけだけど、一年間徹底的に夫婦的な感情を持ってしまった相手を、ティローがやってきて、「よこせ」と。これはもう究極の布施だね。もちろんこれはティローは本当にその奥さんが欲しかったわけじゃない。でもまあ「よこせ」って言うわけですね。これはだから人間界――人間界っていうのはいつも言うように、人間界の一番の執着っていうのは異性だから。特に純粋な人間の場合は、ただ一人の異性に対する執着っていうのが人間界のカルマになります。われわれはそれによって生まれ変わってきてるからね。
 もちろん異性っていってもさ、夫婦っていってもさ、四十年五十年一緒にいたら「もういいや」って感じになるかもしれないけど(笑)、まだ一年ぐらいだからね。本当にある意味新婚で、執着と嫌悪がありつつ、ちょっと離れられなくなってる状態。その状態をわざと作らされて、「それをよこせ」って言われるわけです。最大の執着の対象をよこせと。
 もちろん人によっていろいろね、一番執着してしまうものって違うだろうけどね。ある人はもうお金を布施することもできない人もいるかもしれない。ある人は例えば自分の大事にしてる車とかは布施できないとかね。あるいは自分の地位とかそういうものは捧げられないっていう人もいるかもしれない。でも一応人間の世界でいうと、人間の世界の一番の執着の対象は――もちろん恋人とか夫婦とかいない人は別だけども、いる場合、しかも執着してる場合は、それを捧げるっていうのは一番の大変なことになるわけですね。でもそれをティローは要求し、で、普通にナーローもそれを差し出すわけですね。
 でもこのナーローの奥さんになった人っていうのは、別にそんな偉大な修行者なわけじゃないから、普通にティローのことを嫌い、ナーローの方を見てほほえむと。そうしたらティローが、「『私のことが好きではないんだな!』と言って、彼女のことを打ちました」と。ね。
 つまり構図として言うとね、最も執着してしまった――つまりグルによってさせられたわけだけど。グルに従ったおかげで執着してしまった彼女を、「よこせ!」と言われて、言う通りによこしたら、今度はその自分が執着してる女性を自分の師匠が、自分のこと好きじゃないからっていじめだすわけだね(笑)。ね。こういう状況に置かれて、ティローはナーローに「幸せか?」って聞くんだね(笑)。なんじゃこりゃって感じだけど(笑)、そこでナーローは「幸せです」って答える。これもだから表面だけ見るとなんじゃこりゃなんだけど、こういった極端なっていうかな、現実的な現象を使って、どんどんナーローの心の最後のひっかかりみたいなものを落としていってるんですね。
 じゃあどういう方向に向けて落としてるのかっていうと――これは最後の答えになるわけだけど――特にこのマハームドラーの世界におけるゴールは、グルとの合一です。グルとの合一。つまりこの場合はティローとの合一です。ね。マハームドラー系統はそうなんです。こういうこと言うと、プライドの高い人は「え?」って思う人いるもしれない。「え? 師匠のことは尊敬するけど、別に師匠との合一は目指してない」っていう人はいるかもしれない(笑)。でもここで前提となってるのは、その師匠がいわゆるダルマカーヤ――つまりこの宇宙の本質を悟っているっていうのが前提です。宇宙の本質を悟っている師匠がもしいるとしたら、その師匠と合一することは、宇宙の本質と合一することになるんだね。で、それが最も近道だっていう話なんです。
 つまり本人が一人で宇宙の本質を悟るっていうのは、あまりにも手さぐり過ぎてよく分からない。あるいは師匠が導いて「こっちだよ、こっちだよ」ってやるのも、あまりにもよく分からない。しかし、合一してしまえばいいじゃんっていう話なんだね。
 これはね、一つの例えとして言いますよ。一つの例えとしていうと、ある大会社の社長がいるとしてね、そのある大会社の社長が――そうだな、この例えは女性じゃないと駄目だけども――女性のある弟子がいるとしてね。その女性の弟子に対して、おれみたいな大社長になるための方法を教えようと。一からいろんなビジネス哲学を教え込んだとするよ。まあそれはそれでいいかもしれない。それでその女性が一生懸命がんばれば、将来的には同じような大社長になれるかもしれないよね。でもそうじゃなくてこのマハームドラーの道っていうのは、「社長と結婚すればいいじゃん」っていう話なんだね(笑)。結婚すればその社長が持ってる財産、あるいは地位、名誉、すべて一つになるっていうかな。まあこれは一つの例えですけどね。
 つまり方向性として――もう一回言いますよ――ちょっとどこにあるか分からない、手さぐりで行くしかない宇宙の本質に、なんとか辿り着きましょう。その方法を教えますよ――これはまあ一般の修行なわけだけど、マハームドラーの場合は、師匠はもうそれを得てますからと。得てるからこっちに来いと。ね。わたしと合一しなさいと。しかし、ここで問題があるのが、その合一することがまずはできないんです。なぜかというと、あまりにも弟子の心と師の心が違い過ぎるから。違い過ぎるから合一がまだできないので、その合一できるための準備作りを延々とやるんだね。延々とやって、まだ一人で悟るほどの力はないんだが、でも師と合一できるだけの帰依心とか、師への集中を高めさせるんだね。で、師匠にバッとこう、心を完全に向けさせると。で、合一させると。で、師匠がもし完全な境地、ダルマカーヤを得てるとしたならば、その師と心を完全に合わせた瞬間に、弟子もダルマカーヤを悟ると。これが一つのマハームドラー系の教えなんだね。だからこれを延々とナーローはティローにやられたといってもいいね。
 もうちょっとで終わるけど、かなり時間もなくなってきたので、ここで一旦今日は読むのは終わりにして、最後にもし質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。まあ今日の話と関係があってもなくてもいいので、何か質問ある人いますか? じゃあ特になかったら終わりにしましょう。

(一同)ありがとうございました。


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解説「ナーローの生涯」第8回(14)

2018-08-27 07:08:11 | 勉強会より抜粋


◎一味

 で、次のところで、数日が過ぎてティローがやって来て、「仏陀の教えに従って出家したはずのお前が、女性と一緒に暮らしているとはどういうことだ!」と。「自分で自分を罰しなさい!」と。これはまさにティローのわけ分かんなさの代表的な部分だけどね(笑)。つまりティローが言ったのにね、ティローがナーローに「女性と暮らしなさい」と言ったのに、しばらくしてやって来て、「修行者のくせに女性と暮らしてるとは何事だ!」って言うわけだね。「自分を罰しなさい!」と。
 もちろんナーローは完全にティローに身を任せてるから、ここで反論はしない。普通だったら反論するよね? 普通だったら反論するっていうのは、もちろん言ってることが支離滅裂だから反論するっていうのもあるけども――いいですか――普通だったらですよ、これ何やられてるのかっていうと、グルよりも、あるいは教えよりも、普通は大事にしてしまいそうな配偶者っていう罠を与えられてるんです。つまりある意味、大いなる罠に一旦突き落とされてるんです。例えばそれがなければ普通だったら、どんなことがあっても師匠に従いますと。どんなことがあっても、わたしは何よりも解脱の方が大事ですっていう人がいるわけだけど。
 実際わたしはそういうパターンをよく見てきた。そういうパターンっていうのは、素晴らしい素質を持った修行者が、恋愛にはまり、性欲にはまり・・・・・・で、この間までは、「わたしはもう神しかいません」とか言ってたのが、「いや、わたしは彼女を幸せにするためだったら」とかね(笑)、そういうちょっとなんか――まあ別に相手の幸せを願うことはいいことだけど、ちょっと方向性が変わってきたかなって感じになってきて、で、さらに過ぎると、「なんかもうわたしは修行はどうでもよくなりました」と。まあそれがいつも言うように、スワーディシュターナの恐ろしさなんだけどね。このスワーディシュターナの世界にはまると、ものが見えなくなります。非常に動物的になってしまうっていうか。修行もできなくなる。
 で、つまりここでは何をいいたいのかっていうと、ティローはナーローをわざとスワーディシュターナの世界にはめさせてるんです。で、そこでこのような理不尽な態度にでてるんだね。で、普通だったら、皆さんだったらね、ここにはまっちゃったら多分反論すると思います。「え! 何言ってるんですか! あなたが言ったんじゃないですか!」と。それはなぜそう反論するかっていうと、言ってることが支離滅裂っていうのもあるんだけど、こっちの――つまりパートナーに対する執着が大きくなってるからなんです。だからこれを阻害する言葉っていうのに反論したくなるんです、普通はね。これがだから異性の怖さっていうか、スワーディシュターナの怖さだね。でもここに、この罠を与えられて、もうまんまとナーローははまってるんです。
 あのね、このナーローの物語の、皆さんに一つの読み方のポイントを言うと――ちょっとこれは高度な話になるけども――このような罠には実は、すんなりはまるタイプは早く修行が進みます。すんなりはまるタイプっていうのは――はまんないタイプもいるんだね。ちょっと知性があるっていうか、知性があるっていうよりも防御の習性があると、例えば師匠とかが何かやってきた場合に、「ん? ちょっとこれ、なんかあるかもな」って感じで、ちょっと防御を張って、あまりはまりすぎないようにするとかね。なんかそういうのがあると、うまく仕掛けができないんだね。でもナーローはここで存分にはまってるんです。存分に、師匠の命令だっていうことで、存分に配偶者との、妻との執着と恋愛とその裏側の嫌悪ね。愛憎の世界。あるいは性欲の世界にどっぷりはまってしまった。はまってしまいながら、師匠をとってるんです。これがだからここの一つの意味だね。
 はい、そこでその師匠が言ったのが、「自分で自分を罰しなさい!」と。ね。これもまたもうちょっとリアルにっていうか細かく言うと、ここでナーローは――これはもちろんティローの差し金だったわけだけど、差し金によって間違ったカルマヨーガをやってたがために――間違ったカルマヨーガをやると、これは皆さんに警告しておきますけども、この中でももしかするとそういうのに興味ある人がいるかもしれない。つまり性的なことをやって修行を進めたいっていう人がいるかもしれない。もし皆さんがそれをやった場合、おそらくそれはほとんど間違ったやり方になります。間違ったそういったことやってるとどうなるかっていうと――つまりもちろんさっきも言ったように、漏らしてたらもう最悪ですよ。漏らしてたらそれは単にエネルギーが、徳がどんどんなくなって、修行なんかできなくなります。じゃなくて、漏らさなかった場合。漏らしてないんだけど、でもそれが正しいやり方じゃなかった場合、単純に強まった性エネルギーがこの性器の辺り、スワーディシュターナの辺りに溜まるだけになります。それは別に悟りとかには還元されないっていうか。その場合その人はいつも――まあ男性の場合ね、勃起してるようになります。
 これはね、ただちょっとまた勘違いしないように言っておくけども、修行の初期段階――初期段階っていうかな、あるステージにおいては――ちょっと変な話だけどね、男性の場合、しょっちゅう勃起します。つまりエネルギーが強まってきたんだけど、ちょっとそれがスワーディシュターナに滞りがちな場合ね。なんかしょちゅう勃起するような時期があるんだね。これはね、別にいいことです。喜んでください。つまり生命力が強まってきたってことです。強まってきたけど、まだここから上がりきれてないんだなっていう段階だね。
 そうじゃなくて、悪い意味でスワーディシュターナとかに性エネルギーが集中しすぎた場合、その修行のあるステージっていう意味じゃなくて、悪い意味でいつも勃起してるようになります。で、それを「罰しろ!」って言われたんだね。で、そこでナーローはなんの躊躇もなく、石を持ってきて自分の性器を打った。そこであまりの痛みに気を失ったって書いてあるんだけど(笑)。
 で、そこでティローが与えた教えが、「苦痛と快楽は同一であることを知りなさい。すべてが一味である、心の鏡を見つめなさい」。――これは一つの究極の教えなわけだけども、すべては一味ですよ――よくさ、最近精神世界とかでね、「すべては一つですよ」「ワンネス」とか言うけども、それはまさに真実なんです。しかしこれを本当に悟るのは大変なことであってね、曖昧な世界じゃないからね。曖昧に、「はい、あなたもわたしも一つですよ。すべては一つなのです」――こういう世界ではない。つまりこの究極の経験をここでナーローはさせられてるんだね。つまり、身体の最高の肉体的エクスタシーであるセックス、これを徹底的に経験させられた後に、その同じ性器を使って――つまりそうですね、男性だったらね、もう最悪って思うかもしれない(笑)。男性だったら、性器を石で打つと。同じところを使って――つまりものすごく感覚が敏感な場所に対するものすごい苦しみを味わったと。つまりこの二つが――いいですか?――一つであると感じられるぐらいじゃなきゃ駄目なんです(笑)。で、逆にいうとこの境地にナーローはここでもう達したんです。つまりセックスしてたとしても、同じ性器を打ちのめされたとしても、その二つが一つであると。どっちかが苦であり、どっちかが楽であるなんてものはないっていう状態に、ナーローは達してたんだね――達してたっていうか、達したとういうか。
 このようにこの話っていうのは、非常に高度であると同時に、一般的にはわけが分からない。わけが分からないけども、そこからわれわれはエッセンスだけ汲み取ればいいと思います。皆さんはだからこういうことする必要はないからね。そういうことしても別にナーローの境地には達せられないと思う。だから一つの非常に極端な例としてこれを受け取って、われわれもその境地を目指せばいいと思うね。
 これのね、ミニマムなかたちのことっていうのは、よくチベットとかではやったりするっていうんだね。どういうことかっていうと、例えばですよ、自分の大好物の美味しい食べ物と、それからものすごいまずいもの、あるいはちょっと腐ったものとか、普通食べるものじゃないようなものを一緒に食べたりするんだね。で、それによって自分の中の美味しい・まずいっていう感覚を平等にしていくっていうか。これも一つの極端なやり方だけどね。それも別にやる必要はないんだけど。
 じゃなくてわれわれの場合は、さっきも言ったように、自然に祝福によって日々生じるいろんな出来事の中で、その苦楽の平等性を追求していけばいいと思う。つまりいろんな起きる、自分が習性によってね、「あ、これは嫌だ」とか「苦しい」って感じる現象も、あるいは「あ、これはいいな。楽しいな。こうなったらいいな」って思う現象も、すべて平等にしていく。あるいは細かく言えばいろいろあるけどね。褒められることも、けなされることも一つであると。この境地を目指すんだね。
 実際、幻身のヨーガの修行とかでそういう修行があるんだけど。どういう修行かっていうと、まず瞑想段階で、褒められること、そしてけなされること――これはわたしにとって一つであると。つまりどちらが来たとしても、褒められたからってわたしは心が喜ぶわけじゃないし、けなされたからって何か悲しんだりもしないと。どちらもわたしにとって一つなのである――っていうことを、徹底的にいろんな思索によって瞑想によって固めるんだね。で、完全に「よし! 固まった!」って思ったら、今度は人々の中に入っていくっていうんです。つまり自分をけなしそうな人、あるいは褒めそうな人とかの所に行って、「やあ!」っていって、いろいろ言われるんだね。で、そこで大体失敗するんです。やっぱり褒められちゃうと「おっ!」ってなっちゃうし(笑)、けなされるとちょっと落ち込むし(笑)。そこで「ああ、駄目だった」ってなって、また戻って瞑想で「同じである」ってやるんだね。これは一つの修行としてあるんだけど。
 だからみんなの場合はさ、そういうね、いつも唱える『バガヴァッド・ギーター』の詞章とかもそうだけど。あるいは『心の訓練』の教えとかもそういうのがいっぱい書いてあるけど、そういうかたちで教えによってまず苦楽や、あるいは「これがいい、これが悪い」っていう二元性をね、平等にしていく教えをしっかり学んで、で、その通りに日々の現象を当てはめて、自分の中でそのような――つまりね、われわれはこの苦楽に対する渇愛と嫌悪によって輪廻に結びつけられてるから。単純に言うとね。だからわれわれをこの輪廻に結びつけてる、「これは楽である。よって欲しい。渇愛、執着」――この流れと、「これは苦である。よってわたしは嫌なんだ。嫌悪」っていうこの流れね。この二つを断ち切らなきゃいけないんだね。この二つが平等であるっていう境地にまで辿り着かなきゃいけない。
 これはだからナーローの場合はちょっと非常に極端な形でこれが導かれたわけだけども、われわれはいろんな形で日々その仕掛けが、実際にもう今の段階でやってきているので、その中でわれわれの知性を使ってね、純粋な心と知性を使って、日々のいろんな現象をね、こういったすべての平等性、「すべてが一つの味である」ということを悟るための現象として使うように気をつけたらいいと思いますね。
 はい、で、ここで正式にナーローという名前が与えられましたっていうことですね。
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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(32)

2018-08-26 11:15:30 | 聖者の生涯



◎トルマの色塗り


 パトゥルは、ド・キェンツェー・イェーシェー・ドルジェがミンヤクにやって来たという知らせを聞いて、彼に会いに行くことにした。数週間歩き、彼はド・キェンツェーの野営地に到着した。


 パトゥルは、台所のテントを見つけて中に入ると、腰を下ろした。


 その中にいた一人の僧が、円錐の形のトルマ(ツァンパにバターや水を混ぜて練り合わせて作るお供物)を作っていた。それらのトルマは、赤と白に色付けされて、ヴァジュラヤーナの儀式の期間に祭壇に捧げるために用意されているものだった。


「おい、そこの老人ラマのあんた!」


 その僧はパトゥルに向かって大声で言った。


「このトルマを仕上げなくちゃいけないんだ。手を貸してくれ!」


 そして、その僧を手伝って、パトゥルはトルマを作り始めた。しかし、そこにはトルマを赤くするための染料しかなく、トルマを白くするために使われれるバターがなかった。だから、パトゥルはトルマを全部赤く塗ることにした。


 そのうちに、僧がパトゥルのところへ戻ってきて、パトゥルが作ったトルマに気づいた。僧は大声でパトゥルを怒鳴りつけた。

「何をやっているのだ! トルマを全部赤く塗ってしまったのか!」


 パトゥルは、赤い染料しかなくて、バターが置いていなかったのだと答えた。


「お前は私の仕事を台無しにした!」

  僧は怒鳴り散らした。

「トルマを全部赤く塗りやがって! 白いトルマまで赤く塗りやがったな! お前はここに、ド・キェンツェーに会いに来たそうだが、白トルマと赤トルマの違いさえ分からないお前が、一体どんな馬鹿な質問を師に尋ねるというのだ?」


 トルマ作り係の僧は、怒り狂い過ぎて、今にもパトゥルを袋叩きにせんばかりであった。


 パトゥルは純粋無垢な表情で、こう尋ねた。

「おお、ところで、トルマを白く塗ったり赤く塗ったりする意味を、あなたはご存知ですか?」


 トルマの色付けの意味を知らなかったその僧は、より一層憤慨し、大声で叫び始めた。

「この老いぼれを見てくれ! トルマをちゃんと色付けすることさえできないのだ! それに加えて、変な質問までしてきやがる!」


 最終的に、誰かがド・キェンツェーに、みすぼらしい放浪ラマが彼に会いに来たという報告を持っていった。


「そいつはどんな身なりだ?」

 その偉大な師は尋ねた。


「ええと、下に赤い縁取りのついた羊の皮のコートを着ております。」


 これを聞いて、ド・キェンツェーは大声で叫んだ。

「何だと! もしや、パトゥルか? そいつをここに連れてこい!」


 パトゥルはすぐに、ド・キェンツェーのもとへ案内され、五体投地を捧げた。


 大喜びで、ド・キェンツェーは優しく愛情深く、パトゥルを出迎えてこう言った。

「おお! 来たか!」


 二人はしばらくの間会話を交わした。それから、ド・キェンツェーはこう尋ねた。


「この地域の人々を益するために、入菩提行論を説いてくれないか?」


 パトゥルは同意した。


 パトゥルは翌日、あのトルマ作り係の僧を含めた大勢の聴衆に向かって、教えを説き始め、四つの重要な章――第一章「菩提心の讃嘆」、第二章「罪悪の懺悔」、第三章「菩提心を受け保つこと」、第十章「回向」――を解説した。


 慈愛と慈悲のくだりにくると、パトゥルは一度話すのをやめ、「特別な」解説をし始めた。

「もちろん中には、ある単純な質問をしただけで、人をぶん殴ろうとするような者もいる。」

 パトゥルは楽し気に笑って言った。

「自分自身が、あるトルマは赤く塗って、あるトルマは白く塗らなければいけない理由を知らないというのにな!」
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第53話 前編「アルジュナVSクル軍」」

2018-08-24 19:31:56 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第53話 前編「アルジュナVSクル軍」」です。
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テクチューのキーポイント

2018-08-24 19:29:43 | 経典の言葉・聖者の言葉


テクチューのキーポイント


ミパム・リンポチェ


 ディーヒ! 智慧の存在であるマンジュシュリーの前に、私は恭しく礼拝いたします。

 ここでわたしは、テクチューのキーポイントを説明しよう。

 心を変えることなく、心が実際に落ち着くままに任せなさい。
 そしてそのような境地で、自然に見つめなさい。
 そこに、言い表わせない経験は展開する。
 それには、これとかあれとかいう固定的な性質はない。
 そしてその本性の輝きは、終わることがない。
 これは真の境地であり、本性の状態であり、概念を超えた実際のダルマターである。
 それは本性の光明から生まれた洞察、見解である。
 ただそのままにある山のように。

 あなたがただその本性の境地にとどまるなら、そこには瞑想も散漫もない。
 抑制も修養も、評価も分析もすることなく、
 あなた自身が真の境地に完全に定住することを許しなさい。
 これは、作為的な行為によってけがされていない、ダルマターの自然なる集中である。
 空間の王であるヨーガにとどまること、これが瞑想である。
 ただそのままにある海のように。

 あなたはこのようにとどまり、
 内側で動くどのような思考や印象、
 そして外側で起こるどのような現われも、
 そのどちらも、抑制も促進もしてはならず、ただそのままにされなければならない。
 あなたがこの本性の境地から離れない限り、
 展開されるものは何でも、危害も利益ももたらさない。
 良し悪しへの懸念、受容と拒絶から離れること、
 これが行為である。
 現われは、ただそのままに置かれる。

 あなたが進歩すると、すべてのそのような現われと存在は、
 ただ、正智の空性の遍満となり
 そしてその中で、すべては全く完璧で完全である。
 取ることと捨てることの努力は、ただ消えていき、
 そして、輪廻とニルヴァーナへの希望と恐怖は、もうない。
 原初の本性は明らかになる――
 これが果報である。
 正智は、ただそのままに置かれる。

 そのままに置かれる四つの方法を含むこの教えは
 テクチューの究極の趣旨である。
 これらのキーポイントにより、解放は素早く達成される。
 高貴な輝き、マンジュシュリーの最も栄光あるフォームとして。

 これは、水の蛇の年(1893~4)の間に、ミパム・ジャンペー・ギェパの湖のような心から生じた。



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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(31)

2018-08-22 15:19:39 | 聖者の生涯



◎パトゥル、祝福を受けるために列に並ぶ


 パトゥルが独りで歩いて旅をしているときのこと、パトゥルは、大規模なダルマの集会へ向かう途中のラマたちの一団の野営地を見つけた。パトゥルは托鉢をしにそこへ向かい、共に旅をしても良いか尋ねた。彼らは同意して、パトゥルを一行に加えてくれた。


 パトゥルは、普通の放浪修行者の一人として見なされた。彼らはそのみすぼらしい放浪ラマに、茶作り、薪集め、茶入れといったような、召使いの仕事を与えた。粗末な召使いとして一生懸命働くパトゥルを連れて、一団は、辺ぴな地帯を通りながら、数週間かけて旅をし、遂に目的地に到着した。


 とある著名なラマが、ヴァジュラヤーナの重要な伝承を授けようとしており、その重要な儀式に即して、その集会は非常に厳粛であった。あらゆる面で、それは素晴らしい光景であった。――最上の衣を身にまとった一般の人、高僧とその家族、シルクの衣を身につけ、磨き上げられた銀合金の馬勒、精巧な鞍、飾り立てられた鐙、色鮮やかな鞍下パッドをつけた馬に乗った、風采のよい貴族で構成された大群衆が集まっていたのだ。


 そこには、背の高い儀式用の帽子、ブロケード、その他の正装を身にまとった高僧のラマや非常に有力な僧たちがいた。


 丈の長い儀式用の角笛と法螺貝のラッパが、天界の交響曲のように鳴り響いていた。有力なラマたちはそれぞれが、各階級に従って正確に定められた高さの特別な玉座に座っていた。


 儀式が始まり、それは数日間続いた。儀式が終わると、すべての僧たち、裕福な後援者、在家信者たちは、個々の供物を最高指導者の師に捧げ、祝福を受けるために、一列に並んで順番を待った。


 パトゥルは、儀式の始まりから終わりまでずっと群集の後ろに座っていたので、長蛇の列の一番後ろに並ぶことになり、祝福を受けるために、立ったまま根気よく自分の番を待っていた。列が徐々に進んでゆくと、人々は偉大なる師の玉座の前で一人ずつ五体投地し、白いシルクのスカーフを捧げて、祝福を受けた。


 初めのうちは、その偉大なる師は、祝福を与えるために、両手で彼らの頭に触れていたが、しばらくすると、大勢の人々が列を作っているという理由から、手を使うのをやめて、長いクジャクの羽で彼らの頭を撫でるようになった。


 そして、遂にパトゥルの番がやって来た。パトゥルは偉大な師の祝福を受けるために、前に進み出た。そしてクジャクの羽でその「信者」の頭を撫でる前に、偉大な師は高座から、その汚い格好をした人物を覗き込んだ。彼の眼は、その放浪者の正体を知って、驚きと共に見開かれた。それは偉大なるパトゥル・リンポチェであり、実にその偉大なる師の師匠であったのだった。


 その高僧は、非常に高い位置にある玉座から何とかしてはい降りて、パトゥルの前に立つと、両手を合わせて額の前に掲げ、五体投地をし始めた。


 パトゥルの旅の道連れだった者たちを含む、そこに居合わせた者たち全員が、言葉を失い、呆気に取られて呆然とその様子を見つめていた。パトゥルはただ笑っているだけだった。
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KALIDURGE NAMO NAMAH カーリー・ドゥルゲー・ナモー・ナマー

2018-08-22 06:32:51 | 松川先生のお話
KALIDURGE NAMO NAMAH カーリー・ドゥルゲー・ナモー・ナマー
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空からの使者

2018-08-21 21:24:54 | 松川先生のお話
空からの使者
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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(30)

2018-08-21 20:03:21 | 聖者の生涯


◎とある僧の懺悔


 シュリーシンハ哲学大学での、月に二回、僧たちが参加することを義務付けられている、ソジョンという懺悔の会の日のことだった。寺院に招集をかける合図の銅鑼が鳴った。皆は遅れないように駆けだした。手に杖を持って、継ぎはぎのフェルトのチュバ(コート)を着たパトゥルも(彼は夏もチュバを着ていた)、寺院へと向かっていた。


 大勢の人々が寺院へと駆け込み、階段を急いで登って行った。みすぼらしいパトゥルはその群集の中にいた。突然、ある僧がパトゥルを後ろから押しのけ、パトゥルはそれでバランスを崩して、階段から転げ落ちてしまった。パトゥルを乱暴に押しのけた僧は、パトゥルを、サンガしか参加できない儀式にこっそりと潜入しようとした乞食の泥棒だと勘違いしていたのだ。


 ようやく全員が寺院の中に入り、座を取った。その僧も席に座った。そして彼が講壇を見上げると、その玉座には、ソジョン(懺悔)の会の指揮を任された人物が座っていた。そして、その玉座に座っていた人物とは、その僧が先ほど乱暴に押しのけたみすぼらしい男、パトゥルだったのである。


 その最悪な状況をどうにかしようと、顔面蒼白となったその僧はすぐに立ち上がり、公然と述べた。

「私は、懺悔すべき罪を犯してしまいました。そして、私が危害を加えてしまったその御方の前で、私はその罪を懺悔いたします!」
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第123話」

2018-08-21 19:40:55 | 松川先生のお話
今日のAMRITAチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第123話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2018-08-20 20:18:48 | 松川先生のお話

今日のAMRITAチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。


曲目


1.Mountain Hare Krishna( Gita Jayanti 2017 Drms version)
2.我が主
3.放棄の翼
4.ハヌマーン
5.チャイタニヤ・チャイタニヤ
6.アヴァターラ
7.無限の恩寵





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樹の瞑想

2018-08-20 08:57:59 | 松川先生のお話





 どこかの屋上で、瞑想指導をしている夢を見た。
 その瞑想は、「樹の瞑想」笑


 まず自分が樹になったと観想する。

 大嵐や雨、雷、雪、日照りなどの自然の災害を受けることを観想する。そしてそれらをすべて神の愛として受け取り、歓喜する。

 人々が樹である自分を蹴ったり、枝を折ったり、おしっこをかけたりしてきても、全く怒ることなく、彼らを愛し、彼らに果物や美しい花を布施し、また暑い日には涼しい木陰、雨の日には傘となってあげることを観想する。
 
 逆に、今まで人の自分へのふるまいやその他に対して忍辱できず、愛も返せずに怒ったり、心乱したり、ののしったり、攻撃で返したりしてきたことを懺悔する。

 しばらく五体投地をする。

 ここでマントラを唱える(マントラは忘れた笑 オーム 〇〇〇 スワーハー)

 最後に、目の前にブッダが現われ、自分の各チャクラに光の祝福のアビシェーカを与えてくださると観想する。
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