ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2018-01-30 07:57:54 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。



曲目

1.入菩提行論の歌PART2 正智の守護 The Guarding of Awareness
2.空からの使者
3.入菩提行論の歌PART1 The Song of Bodhicharyavatara
4.SHANTI MANTRA
5.アヴァターラ
6.Maitri
7.MOUNTAIN HARE KRISHNA(drms VERSION)
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「スレンドラナート・ミトラ」(4)

2018-01-29 21:59:00 | 聖者の生涯


 ある日スレンドラが彼の礼拝所で瞑想していると、ある考えが心に浮かびました。もし師が礼拝所にいる自分の前に現れたなら、彼をアヴァターラとして見よう、と。
 すると不思議なことに、彼は三度にわたって、師が礼拝所に現れるのをハッキリと見たのでした。彼のすべての疑念はここで完全に崩れ去りました。

 スレンドラは、職場では大変責任のある立場でしたが、彼はすべてを捨てて師のもとに行きたいという圧倒的な渇望を何度も感じるようになりました。

 ある日彼は、仕事がまだ終わっていなかったけれども、ドッキネッショルに行くために職場を出ました。到着したとき彼は、カルカッタに行くための準備をしていた師を見つけました。
 スレンドラを見ると師は、

「ここへ来たことは良いことだ。私はお前の事が気になって、お前に会うためにカルカッタに行こうとしていたのだよ。」

とおっしゃいました。

 スレンドラは師が自分のことを考えていてくれたことを大変嬉しく思い、同時に驚きました。

 彼は謙虚に、

「もしあなたが私に会うために外出なさろうとしてくださっていたのなら、 どうか私の家にいらしてください。」

と言いました。

 師は同意して、祝福するために彼の家に行きました。


 スレンドラの師に対する愛は、深く深く成長していました。師もまたスレンドラを心から愛しておられました。

 師はスレンドラナート・ミトラのことを、スレンダルとか、時々はスレシュとお呼びになったり、「神の力を半分与えられた者」などともおっしゃいました。
 そしてスレンドラは、食事や寝具などを師への奉仕として準備したり、夜、ドッキネッショルに滞在して、師に奉仕をして過ごしたのでした。

 ラーマクリシュナは、スレンドラの心を理解していました。
 Mは著書「ラーマクリシュナの福音」の中で、1885年2月の以下の談話を書き留めています。

「師(スレンドラに):時々はここへ来なさい! かつてはナーガの真鍮の水差しは、 毎日磨かれねばならない、さもないと汚れてしまうと言ったものだ。
 ひとつの手段としては、現世を放棄した修行者たちと絶えず暮らすべきだ。
 『愛欲と金』を放棄することは、サンニャーシンのためなのだよ。それはおまえのためではない。時々は一人で過ごし、心から真剣に神を求めるのだ。放棄は心においてすべきだ。
 チャイタニヤは、戒律を修習すること、奉仕をささげること、神の御名を唱えることは、あなたが平安に暮らすために必須だとおっしゃった。
 なぜこのことを、お前に全部言わねばならないのか。お前は商売人の職場の中で働いている。これをお前に言うのは、お前はこれら多くのことをする義務があるからだ。
 お前は職場で嘘を言う。なのに、なぜ私はお前がくれた食べ物を食べるのか?
 それは、お前が稼いでいるよりも、ずっと多くのお金を慈善に出しているからなのだよ。
 『瓜の種は、より大きな果実になる。』ということわざがあるように、私は欲深い人々から与えられる食べ物は、何も食べることができないのだよ。
 これらの富は、このような方法で浪費される。『まず訴訟、次に盗みと強奪、3つ目は医師、4つ目は不道徳な子供たちによる放縦』――このような感じだ。

スレンドラ:私は時々、繰り返し母なる神の御名を唱えているのですが、 良い瞑想に入れません。
 ベッドに横になるときは繰り返し、彼女の御名を唱えて眠りにつくことにしています。

師:それで十分ではないか。おまえは彼女のことを覚えているではないか。」


 スレンドラはドッキネッショルにおいて、ラーマクリシュナの弟子の何人かが、師の指導に沿って霊的修行をしているのを見ていました。
 自然な流れで、彼はその輪の中に入り、同じようにしてみたいと欲するようになりました。
 彼は自分の計画を師に知らせた後、ある日、ドッキネッショルに寝具と私物を持って来て、二、三夜を過ごしました。
 しかしながら、彼の妻はこのことに大いに動揺しました。彼女は彼に、

「あなた、昼間はどこに行こうとも構わないけれども、夜は家から出ないようにしてちょうだい。」

と言いました。
 けれどもスレンドラの妻は、彼が夜ドッキネッショルで過ごすということを妨げることができませんでした。
 彼の心は神を求めて泣いていたのです。
 彼の体が家にあるときも、心はいつも師とともにあったのでした。
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聖者の生涯「スレンドラナート・ミトラ」(3)

2018-01-29 21:44:17 | 聖者の生涯


 スレンドラは、カーリー女神に大いに献身し、尽くしました。 彼は自宅に彼女の礼拝所を作り、彼女を大いなる愛をもって崇拝しました。
 ある日、師はスレンドラにおっしゃいました。

「母なる神の信者は、ダルマと モークシャ(解脱)を成就できるのだ。また彼はアルタ(富)とカーマ(欲望)も同様に享受している。
 かつて私は、女神様の子として、お前のヴィジョンを見た。おまえは二面性を持っている。ヨーガとボーガ(楽しみ)だ。そうでなければ、おまえの顔つきはもっと素っ気がなかっただろう。」

 スレンドラは、精神的訓練の力によりその習性が変わったとはいえ、飲酒の習慣をやめることはありませんでした。
 ラームチャンドラ・ダッタは、ラーマクリシュナの有名な信者の中に酒飲みがいるということを、好ましく思っていませんでした。もしこれが人々に知れ渡れば、師の名声が曇ってしまうと考えたのです。
 しかし彼がスレンドラにこれについて話そうとすると、いつもスレンドラはその話をすることを断るのでした。

 スレンドラはシャクティの崇拝者でした。よって、酒を飲むことは彼に取っては必ずしも罪ではなかったのです。
 ある日彼はラームチャンドラ・ダッタに言いました。

「なぜあなたはこのことについてそんなに悩んでいるのだ? 師は、それがもし悪いことだと思っていたら、私に注意していたはずだ。師はすべてをご存知なのだよ。」

 そこでラームチャンドラ・ダッタは、こう言い返しました。

「わかったよ! では今日、師を訪問しようではないか。彼は確実にやめろとおっしゃるだろう。」


 スレンドラはこれに同意しました。しかし彼は、師にこの件をこちらから言い出さないようにと言いました。

「もし師が私に酒をやめるようにとおっしゃれば、私は酒をやめよう」


 彼らがドッキネッショルに着いた時、師はバクルの木の下に忘我の状態で座っておられました。
 彼らが師にあいさつすると、師はスレンドラにこうおっしゃいました。

「スレシュよ。お前が酒を飲む時、普通の酒のように飲むべきかどうか、考えなければいけないよ。
 初めに母カーリーに捧げてから、プラサードとしていただくのだ。ただし、酔っぱらってしまわないように、細心の注意を払わなければいけない。
 決して、フラフラしたり、ボーッとしてはいけないよ。
 最初は普通の興奮状態のような感じになるだろう。でもすぐに霊的至福に導かれるだろう。」

 ラームチャンドラ・ダッタとスレンドラの二人はとても驚きました。
 師はスレンドラに決して禁酒するようにとはおっしゃりませんでしたが、その時以来、彼は、パーティーの席や、いつも酒を飲みたいと思っていた場所などで、酒を飲むことができなくなりました。
 師の指示にならい、毎晩彼は、自分が飲む前に、神に少量の酒を捧げました。
 妙なことに、彼のこの行為は、大きな信仰心で溢れていたのでした。

 その後しばらくしてスレンドラは、母なる神に向かって、子供のように泣き始めました。そしてただ彼女とだけ話したがるのでした。また彼はよく深い瞑想に没入しました。

 ラーマクリシュナの不可思議な神秘的影響力は、徐々にスレンドラを変化させました。
 そして酒の悪影響は、その後、彼を害することはありませんでした。

 神が人に恩寵をもたらす時、何が起きるのでしょうか。
 最初にエゴが壊され、謙虚になります。
 二つ目は、世俗的なことが楽しくなくなり、彼の意識は神の中に住むようになります。
 三つ目は、神と、神聖な集団に対して、抗し難い魅力を感じるようになります。
 明らかに師が、スレンドラを救済する役目を担われたのでした。
 彼はスレンドラが、現世の泥に覆われた宝石であることを見抜いていました。その泥を少し洗い流してあげると、スレンドラの内側には宝石の輝きが見つけられたのでした。
 師は彼の悪習に対して、決して叱ることはありませんでした。
 愛と愛情を弟子の上に注ぐことによって、彼のハートを制したのです。
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聖者の生涯「スレンドラナート・ミトラ」(2)

2018-01-29 21:33:58 | 松川先生のお話


 スレンドラは最初の謁見から、ラーマクリシュナに自分を極端に捧げ始めたのでした。そして毎週日曜日のほとんどは、師がおられるドッキネッショルに通うようになりました。

 彼の友人は、彼の劇的な変化と神への愛を見たときは、大変驚きました。しかしそれは、スレンドラの過去からの悪い習慣が変わったという訳ではありませんでした。
 彼はそのときはまだ、評判の悪い場所に頻繁に出入りすることをやめられずにいました。スレンドラ自身、ときには仕事が忙しいふりをして師と距離を置いてしまうほど、わが身を浅ましく思っていたのでした。

 しかし、あるとき誰かがスレンドラの悪い行いを師に報告したとき、ラーマクリシュナは特に驚きも心配もせずに、こうおっしゃいました。

「そうか! スレンドラにはまだたくさん現世的な欲望があるだろう。しばらくは楽しむがいいよ。でも彼はそのうちすぐに清らかになるだろう。」

 スレンドラは、師が彼についておっしゃったことを伝え聞き、次の日曜にドッキネッショルにやってきました。
 彼は師の前に座ることは少し気まずかったので、部屋の端に席をとりました。
 すると、ラーマクリシュナが愛情深い声でおっしゃいました。

「なぜ私の近くに座らないのだね?」

 スレンドラは師に従い、近くに座り直しました。

 そのとき師は神意識に入られて、こうおっしゃいました。

「人が悪い場所に出入りをする時、なぜ彼は母なる神のことをうとましいと思うのか?
 それは彼女が彼の悪い行為を邪魔するであろうからなのだよ。」

 おそらくスレンドラだけが、この場において師が述べられたことを理解できたただ一人の人間でした。 彼の良心はハチにさされたように激痛が走りました。

 師は続けられました。

「男らしさは、誰にとっても必要だ。」

 このとき、スレンドラは心の中で祈りました。

「これは私の病気なのです。神よ、私をここから救いたまえ!」

 すると師は突然、彼を見てこうおっしゃいました。

「私は低俗な人間のように、現世的な喜びに奮闘せよとは言っていない。それは低級な動物がなすことだ。私は、アルジュナのような偉大な男らしさのことを言っているのだ。
 ――それは、生涯最後の呼吸のときにおいても、決して理想からずれないということなのだ。」

 スレンドラは、師が皆に自分の悪事を暴露するのではないかと恐れました。しかし師はそんなことはせず、それ以上は何もおっしゃいませんでした。
 この出来事と師の言葉は、この後、スレンドラが念正智して悪習に対峙するための助けとなる大いなるアドバイスとなりました。
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「スレンドラナート・ミトラ」(1)

2018-01-29 21:28:24 | 聖者の生涯

スレンドラナート・ミトラの生涯 



 ラームチャンドラ・ダッタはスレンドラとは近所同士であり、スレンドラが苦しんでいることを知っていました。 ラームチャンドラ・ダッタはスレンドラを救うために、彼を師ラーマクリシュナの元に連れていこう思ってました。しかしスレンドラは、いつもそれを拒否しました。
 彼はこのように言いました。

「いいかい! お前が彼を尊敬するのは勝手だが、でもなぜ私がそこへ行かねばならないのだね? 私にはその場所は合わないよ。鶴の中に白鳥がいるようなもんだ。もうかんべんしてくれないか。」

 ラームチャンドラ・ダッタは、自分の師に対して述べられた皮肉にとても傷つきましたが、それでも決してあきらめませんでした。
 幾多の説得の後に、ついにスレンドラは、

「よろしい! そこまで君が言うなら、行ってみることにしようではないか。
 しかしその聖者が偽物だったら、彼の耳をつねってやるからな。」

と言いました。

 
 1880年頃、スレンドラが初めてドッキネッショルを訪れた時、ラームチャンドラ・ダッタとマノモハンも一緒でした。
 その日、師の部屋は多くの供物でいっぱいでした。スレンドラは、彼の批評家としての立ち位置を譲らないことを決めていました。だから彼はラーマクリシュナに何の挨拶もせずにその場に座りました。

 師は、
「なぜこの男は、子猫のようではなく、若い猿のような態度をとっているのだね? 
 母猿は動き回るので、子猿は自分の努力によって母親にしがみつかなければならない。
 しかし子猫は、母親が来てくれるまでミャーミャー泣くだけで、母親はやさしく抱きとってくれるのだよ。
 若い猿は時々母親につかまる手を離してしまう。そして地に落ちてしまい、ひどく傷ついてしまうものだ。
 しかし子猫はこのような危険な目には遭いはしない。なぜなら母親自らが、あちこちに運んでくれるのだから。
 神に自身を明け渡すことと、自分自身で試みようとすることは、全く違うものだ。」
とおっしゃいました。

 師の言葉はスレンドラに深い印象を与えました。そしてこの初めての師との謁見が、彼の人生の大きなターニングポイントになったのでした。

 ここで彼は気付きました。

「たしかに私は若い猿のように振る舞っている。それがすべての問題の原因だ。これからは、自分の内側に宿る母なる女神様に、どんな状況であってもすべて捧げきろう。」

 彼はそのとき、強い内的力と、偉大なる神の姿を感じました。

 彼が帰るとき、師は彼に「必ずここへまた来なければいけないよ」とおっしゃいました。
 スレンドラはこのときにはへりくだり、そして喜んで師に礼拝を捧げました。

 帰り道、彼は、

「ああ!師は私の間違った概念を変えてくれた! 私の耳をつねってくれたのだ!
 このような方がこの世におられるなんて、まるで夢を見ているようだ。信じられるかい? 彼は僕の深い意識を的確に読み取ったんだ。
 今、自分の人生には何か多くの意味があるのだということを感じるよ。」

と、仲間たちに言いました。
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第九話」

2018-01-27 22:45:38 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第10
話」
です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第38話 後編」

2018-01-26 15:52:31 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第38話 後編」です。
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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読『入菩提行論』第一章~第四章」

2018-01-24 22:03:49 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読『入菩提行論』第1章~第4章」です。
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カルマや心を浄化するために

2018-01-24 16:49:23 | 松川先生のお話


 わたしたちは、カルマや心を浄化するために、この肉体を得た。

 心の世界だけでもそれらは浄化できないことはないのだが、それはとても難しい。

 肉体を持ち、固定的なマーヤーに縛られた中で、正しい道を選択していくことで、ものすごいスピードでカルマや心は浄化されていく。
 もちろん、逆にものすごいスピードでカルマや心を汚してしまう危険性とも背中合わせではあるのだが。

 では、なぜ心やカルマを浄化しなければならないのか?

 段階的な意味としては、それが幸福への道だからである。
 多くの人が勘違いしているが、現世的な意味においても、例えばお金や恋人や名誉等の外的要素が幸福の条件ではない。それらは、自分が作り出した幸福のイメージにおける一瞬の充足感は与えてくれるが、本質的には幸不幸とは関係がない。幸不幸は結局、心が感じるものであるから。
 端的に言えば、カルマや心がきれいであること=幸福であり、カルマや心がけがれていること=苦しみなのである。
 幸福になりたかったら、心やカルマを浄化するしかない。

 そして最終的な意味としては、心やカルマが浄化されることによって、我々は心やカルマを超越し、「私」というものが幻影だったということを悟り、「私」を超越した真実を悟るからである。
 それはヨーガでは真我、ヴェーダーンタではブラフマン、バクティヨーガではバガヴァーン、そして仏教では仏性、心の本性、無住処ニルヴァーナなどと呼ばれるものである。
 それはちょうど、湖が透明になり切らないと、湖底にある宝物が見えないようなものだ。 

 そしてさらにいうならば、菩薩の道やバクティヨーガの道の場合、そのような心の本性に到達して終わりではなく、主の道具として衆生の役に立てるように、より素晴らしい心やカルマを身につけていかなければならない。

 よってあなたが目指しているのがこの世の幸福であるにせよ、解脱や悟りであるにせよ、菩薩道やバクタの道であるにせよ、この肉体を使って常に正しい道を選択し続けることで、カルマと心を浄化し続けなければならないのである。
 そしてそのための肉体はどの肉体でもよいというわけではなく、「人間の肉体」でなければならず、さらにそこに正しい真理の教えや、縁ある正しい師との出会いがなければならない。
 よってそれらを得ているならば、それは我々のこの心が無数のカルパにおいて待ちに待った、千載一遇のチャンスであると考え、正しい生き方に邁進しなければならない。

 その正しさの基準はもちろんヨーガや仏教の聖典などの教えを学び、あるいは師がいる人は師の教えや指示に従うべきである。
 そしてその中でも最もキーポイントとなる教えは、「帰依」と「四無量心」である。

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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第98話」

2018-01-23 20:44:08 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第98話」です。
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「TOWNSHIP KRISHNA」をアップしました

2018-01-22 22:26:20 | お知らせ
「TOWNSHIP KRISHNA」をアップしました。よかったらお聞きください^^


「TOWNSHIP Krishna」



Vocal:Keisho.Matsukawa
Keybord:Yuri.T
Tabla:T.Takahashi
Bansuri:Airi.T
Guitar:Yuta.Nakano
Bass:H.Miura

※他のキールタンライブについてはこちらをどうぞ

※オリジナルの日本語のキールタンはこちら


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今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2018-01-22 22:08:04 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。



曲目

1.空からの使者(LIVE)
2.入菩提行論の歌 PART1
3.SHANTI MANTRA
4.Maitri
5.Gayatri MANTRA
6.アヴァターラ
7.CHAMUNDAYE KALI MA





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ディーガーヴ

2018-01-22 20:45:07 | 経典の言葉・聖者の言葉



ソーターパッティ・サンユッタ


第三節 ディーガーヴ


 あるとき世尊は、ラージャガハの竹林にあるカランダカニヴァーパにとどまっておられた。

 一方そのとき、ウパーサカ(男性の在家信者)のディーガーヴは、病気で、苦しみ、重病であった。

 ただちに、男性在家信者のディーガーヴは、資産家の父ジョーティカに呼びかけた。
「資産家よ、ここへおいでください。あなたは世尊のところへ行ってください。世尊に近づいた後、私の名前で世尊の御足に頭で恭しく礼拝してください。
『尊師よ、男性在家信者のディーガーヴは病気で、苦しみ、重病にかかっています。彼は世尊の御足に頭で恭しく礼拝いたします』と。
 そして、このように言ってください。
『尊師よ、どうか世尊は真にご配慮の上、男性在家信者のディーガーヴのところに赴いてください』と。」
「そのようにしよう、息子よ。」
と、資産家のジョーティカは男性在家信者のディーガーヴに承諾した後、世尊のところへと行った。世尊に近づいた後、世尊に恭しく挨拶をして、一隅に座った。

 一隅に座った資産家のジョーティカは、世尊にこのことを言った。
「尊師よ、男性在家信者のディーガーヴは病気で、苦しみ、重病にかかっています。彼は世尊の御足に頭で恭しく礼拝いたします。そして、このように彼はもうしあげます。
『尊師よ、どうか世尊は真にご配慮の上、男性在家信者のディーガーヴのところに赴いてください』と。」
 世尊は沈黙によって同意した。

 ただちに、世尊は正装して、鉢と上衣を持って、男性在家信者のディーガーヴのところにおいでになった。行くと、用意された座に座った。座った後、世尊は実に男性在家信者のディーガーヴにこのことをおっしゃった。
「ディーガーヴよ、お前は果たして快方に向かっているか。果たして生命は維持されるか。果たして種々の苦しみの感覚は減り、全く増大せず、減少していることがハッキリと認められているか」と。
「尊師よ、私は快方に向かっていず、生命は維持されず、私の種々の強烈な苦しみは増大し、全く減らず、その増大がハッキリと認められ、減少は全くハッキリと認められません。」

「ディーガーヴよ、お前はこのように学ぶべきである。
『仏陀に対し、絶対の浄信をそなえた者となろう。
「かの世尊は、供養を受けるにふさわしいお方、完全な正覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫(じょうごじょうぶ)、天人師、仏陀、世尊(バガヴァーン)である」と。
 ダルマに対し、絶対の浄信をそなえた者となろう。
「正しく説かれているダルマは、現実に利益があるものであり、直接的なものであり、『来なさい、見なさい』と言って招くものであり、追従に値するものであり、識別力のある者たちによって個々に知られるべきものである」と。
 サンガに対し、絶対の浄信をそなえた者となろう。
「世尊のシュラーヴァカのサンガはよく実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガはまっすぐに実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガは道理に従って実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガは正しいダルマにのっとり日々を送っている。すなわち、四対の人々・八種の人々からなる、この世尊のシュラーヴァカのサンガは、敬われるべきであり、厚遇されるべきであり、供養に値し、合掌されるべきものである。そして、世界における無上の功徳の田畑である」と。
 立派な人によって愛され、聖なるものであり、穴がなく、悪趣に落ちないためのものであり、純粋で、煩悩から解放し、識別力のある者によって称賛され、煩悩に負けないためのものであり、サマーディをあらわしだすような種々の戒を具足しよう』と。
 まさにこのように、ディーガーヴよ、お前は学ぶべきである。」

「尊師よ、世尊は、これら四つの「流れへの到達の支分」を指示されました。それらのダルマは、私の中に存在し、私はそれらと共にあります。
 なぜなら私は、仏陀に対し、絶対の浄信をそなえているからです。
『かの世尊は、供養を受けるにふさわしいお方、完全な正覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫(じょうごじょうぶ)、天人師、仏陀、世尊(バガヴァーン)である』と。
 ダルマに対し、絶対の浄信をそなえているからです。
『正しく説かれているダルマは、現実に利益があるものであり、直接的なものであり、「来なさい、見なさい」と言って招くものであり、追従に値するものであり、識別力のある者たちによって個々に知られるべきものである』と。
 サンガに対し、絶対の浄信をそなえているからです。
『世尊のシュラーヴァカのサンガはよく実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガはまっすぐに実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガは道理に従って実践している。世尊のシュラーヴァカのサンガは正しいダルマにのっとり日々を送っている。すなわち、四対の人々・八種の人々からなる、この世尊のシュラーヴァカのサンガは、敬われるべきであり、厚遇されるべきであり、供養に値し、合掌されるべきものである。そして、世界における無上の功徳の田畑である』と。
 立派な人によって愛され、聖なるものであり、穴がなく、悪趣に落ちないためのものであり、純粋で、煩悩から解放し、識別力のある者によって称賛され、煩悩に負けないためのものであり、サマーディをあらわしだすような種々の戒を具足しているからです。」

「それゆえ、ここでディーガーヴよ、お前はこの四つの流れへの到達の支分に立脚し、六つの明智に結びつけるダルマを養成するべきである。

 ディーガーヴよ、ここにお前は、あらゆるサンスカーラについて、無常であると次々と観察し、無常なものについて苦しみであると熟知し、苦しみにおいて無我を熟知し、捨断を熟知し、愛著を離れることを熟知し、滅尽を熟知しなさい。
 ディーガーヴよ、お前は全くこのように学ぶべきだ。」

「尊師よ、世尊は、これら六つの明智に結びつけるダルマを指示されました。それらのダルマは、私の中に存在し、私はそれらと共にあります。尊師よ、なぜなら私は、あらゆるサンスカーラについて、無常であると次々と観察し、無常なものについて苦しみであると熟知し、苦しみにおいて無我を熟知し、捨断を熟知し、愛著を離れることを熟知し、滅尽を熟知しているからです。
 尊師よ、しかしながら、私はこの資産家のジョーティカが、私が死んだ後、苦悩に陥らないことだけを願うのです。」

「よいかね、ディーガーヴ、お前はそんなことに思考を向けてはいけないよ。よいかね、ディーガーヴ、世尊の言葉だけを、お前は完璧に作意しなさい。」

 ただちに世尊は、男性在家信者のディーガーヴにこの教戒によって教戒して、座から立って歩み出した。

 ただちに、男性在家信者のディーガーヴは、世尊が去ってからほどなくして、死去した。

 さて次に、多数のビックたちは、世尊のほうへと行った。近づいた後、世尊に恭しく挨拶をして、一隅に座った。一隅に座った彼らビックたちは、実に世尊にこのことを申し上げた。
「尊師よ、世尊が要約した教戒によって教戒がなされた、かのディーガーヴという名の男性在家信者が逝きました。彼の行き先はどこでしょうか? 彼にはどのような来世があるのでしょうか?」

「ビックたちよ、男性在家信者のディーガーヴは賢者であった。彼は真理のダルマにのっとりダルマの実践を行い、そして真理のダルマの判断において私を悩ませなかった。
 ビックたちよ、男性在家信者のディーガーヴは、下方に結び付ける五つの束縛(五下分結)を完全に破壊した後、化生となり、そこで完全なニルヴァーナに帰し、かの世界から帰ってこないダルマの者となる。」


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シュリー・チャイタニヤの生涯(10)

2018-01-21 08:55:46 | 聖者の生涯


【カージの変容】

 ジャガイとマダイの改心は人々に多大な影響を及ぼし、ニマイの信者は驚異的に増加する結果となり、ナディアの通りには昼も夜も神の賛美歌が鳴り響きました。学識ある地域の貴族階級のブラーフマナ達は、ニマイの寛大な受入れ姿勢と彼の教義を、まったく喜びませんでした。特に霊的問題においてのカースト放棄は、彼らに忌み嫌われていました。そしてそのことが社会においての彼らの重要性と影響力の消失につながるだろうと考えていました。

 そのためブラーフマナ達は、ベンガルのイスラム君主の地元総督であるカージのところへ行き、土着宗教を弱体化させているニマイと信者達の行為が阻止されない限り、いずれは社会情勢の不安定化につながると訴えました。ムスリムにとってはブラーフマナもヴィシュヌ派と同様に異教徒でしたが、カージは国家の安定性に影響を及ぼす問題であるなら自らの介入は義務だと感じました。しかし彼が即座に布告した賛美歌禁止令も効果はなく、逮捕するめに出動させた警察もニマイらを取り巻く巨大な群集に揉まれてしまいました。これがカージを激昂させ、反抗的集団を容赦なく攻撃するためのアフガン軍隊が解放されました。
 人々の心にあった恐れは、神への無私の愛と強い信仰心によって取り除かれました。しかし町の一角が攻撃を受けた時、別の場所でしばらくキールタンを続けていた一行も、遂には黙ってしまいました。

 そして今、主ご自身がこの問題に着手しました。召集された人々は、主を中心にした巨大なキールタン集団となりました。信仰的狂乱ムードの中、カージの家へ向かった人々は、カージとの会見を求めました。主と向かい合ったカージの強い態度は即座に変化し、彼は謙虚な態度で話すようになりました。主を「ハリ・ガウル」と呼びかけ、今までの自分の行動は自らの意志ではなく、ヒンドゥー教徒に駆り立てられたためだと言い、また、
「ヒンドゥー教徒がナーラーヤナと呼んでいる、神のみがただいらっしゃるのです。人々はあなたこそが彼だと言っていました。そうなのでしょうか?」
と聞きました。すると主はカージの指を握りしめて、
「お前は、ハリ、キールタン、そしてナーラヤナという聖なる名前を口にした。すべての罪は赦された。」
と仰いました。カージは直ちに変容し始め、その目から滝のように涙を流しながら、謙虚で従順な姿勢で主の前にひれ伏しました。カージはすぐに、誰もキールタンの妨害をしてはならないという命令を発布しました。
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シュリー・チャイタニヤの生涯(9)

2018-01-21 08:49:54 | 聖者の生涯




【ジャガイとマダイの改心】

 ニマイと信者たちは、たいてい夜の屋内でハリ・キールタンを開催していました。信者はほとんどが低いカースト出身者だったため、階級や学識に慢心を持っていたブラーフマナ達の批判の的となりました。ニマイと信者たちは、家から家にクリシュナ・バクティの愛のメッセージを伝えることに従事し、それ以外のことに時間を浪費するべきではないと考えていました。
 ニマイと信者たちはクリシュナ賛歌を歌いながら家々を訪ねてまわり、聖なる生活を激励してクリシュナ・バクティを広めていくことを決めました。多数の一般人は彼らの呼びかけに応えましたが、気位の高いブラーフマナ達は、ヴィシュヌ派信者たちを泥棒の回し者だと考えて、呼びかけに応じませんでした。

 二ティヤーナンダは、もしジャガイとマダイを改心させることができれば、誹謗者たちの感銘を得ることができるのではないかと、ハリダースに話を持ちかけました。このジャガイとマダイは名目上の都市長官または警察官でしたが、実際には飲んだくれの乱暴者で、人々は彼らを手に負えないゴロツキとして扱っていました。
 最初に二ティヤーナンダとハリダースがバクティのメッセージを持って行くと、ジャガイとマダイはおどけた様子で二人を追い払い、侮辱的に扱いました。二人はめげることなく、チャイタニヤを中心にした大きなキールタングループと共に再訪しましたが、ちょうど悪党達は昼の休憩をとっているところだったため、騒がしい音にひどく立腹し、大きなレンガの破片を一行の代表だった二ティヤーナンダとハリダースに投げつけました。二ティヤーナンダの体に破片が当たり、血がどくどく流れ出しましたが、二ティヤーナンダは主の御名を歌って踊り続けました。
 そしてニマイがジャガイとマダイに話しかけようと近づいていくと、ジャガイとマダイは全身を震わせ始め、恐怖で唖然とした様相になりました。二人には、まるで猛烈で抗し難い火の玉が向かってくるように感じられたのです。伝記作家はこの火の玉を、ヴィシュヌ神の武器の円盤として知られているスダルシャナ・チャクラであると解説しています。
 二ティヤーナンダは、彼らを破滅させる代わりに救済してほしいと主に懇願しました。主はすぐにそれに応じ、ジャガイとマダイを抱擁しました。そのひと触れは二人のゴロツキを清らかな人格へと変えたのでした。
 こうして主に全ての罪の重荷を預けたかつての悪党は、いまや後悔の念に悶え苦しみ、地域の全住民に許しを乞いたいと願っていました。そして過去の悪行の罰として、数日間地域の最大の沐浴場で寝泊りし、人々に自分たちを足踏みするよう切望しました。やがて彼らは個人的労働として川沿いにマダイガートを作りました。この沐浴場は現在も存在しています。
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