ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第六話」

2017-12-30 19:05:05 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第6
話」
です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第36話 後編」

2017-12-29 20:26:40 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第36話 後編」です。
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ドゥクパ・クンレーとテンジン老人

2017-12-29 15:56:59 | 聖者の生涯





 
 聖なる狂人(ニョンパ)として知られるドゥクパ・クンレーがブータンを放浪していたとき、テンジンという名の信心深い老人と出会った。テンジンがドゥクパ・クンレーに教えを請うと、ドゥクパ・クンレーは、

「よしよし、私のことを念じながら、誰にも遠慮することなく、次のように唱えなさい。」

と言って、変わった「帰依の詞章」を伝授した。

「古木のように根元から倒れても、我執の枯れない老人の陰茎に帰依いたします。
 狭い渓谷のように入り込めなくても、色欲の枯れない老婆の膣に帰依いたします。
 自信と精力にあふれ、死をも恐れぬ雄々しい若者の陰茎に帰依いたします。
 下半身の欲望がわきたぎり、恥じらうことのない娘の膣に帰依いたします。」

 テンジンはさらに懇願して言った。

「帰依の詞章をお授けくださり、ありがとうございます。どうか祈願の詞章もお授けください。」

 そこでドゥクパ・クンレーは、「よしよし、それではこの祈願の詞章も忘れずに唱えるように」と言って、また変わった「祈願の詞章」を伝授した。

「東の巨木の葉はよく茂っているようだ。茂るかどうかは巨木次第。
 クンレーの大きな亀頭に膣は締まっているようだ。締まるかどうかは亀頭次第。
 じじいの信心は厚く、悟れそうだが、悟るかどうかは信心次第。」

 
 こうして一風変わった「帰依の詞章」と「祈願の詞章」を伝授され、テンジンは家に帰った。

 テンジンの家族は、テンジンに尋ねた。
「グルに会えましたか? 教えは授かりましたか?」

 テンジンは答えた。
「グルに会えたし、教えも授かった。帰依の詞章も暗記した。」

 娘がぜひそれを聞きたいと言うので、テンジンは手を合わせて、ドゥクパ・クンレーに教わった「帰依の詞章」をそのまま繰り返した。すると娘は恥ずかしさのあまりに逃げてしまった。

 老婆はテンジンに言った。

「お前さんは狂人かね? グルのお言葉には落ち度はないはずだ。お前さんが間違えて覚えたに違いない。
 もし間違っていなかったとしても、お前さんは偉大な聖者というわけではないのだから、そのようなお言葉を真似するのは恥ずべきことだ。これからは家族のいるところではそのようなものは唱えないでおくれ。」

 テンジンは、
「グルのことが思い浮かばなければ唱えない。でも思い浮かんだら唱える。」
と答えた。

 夕食時になり、家族全員がそろったところで、テンジンは目を閉じ、手を合わせて、例の「帰依の詞章」を唱え始めた。それを聞いて、家族の誰もが、
「爺さんは気が狂ってしまった」
と言って、そこから出て行ってしまった。テンジンが詞章を唱え終わって目を開けると、そこにはもう誰もいなかった。

 お婆さんが戻ってきて、テンジンに言った。

「これからもそんな詞章を唱えるなら、別居してもらうよ。唱えるのか、唱えないのか、どっちかね?」

 テンジンは答えた。

「お前らが恥ずかしかろうがなかろうが、俺は命に代えても唱える。」

 お婆さんは言った。

「それなら出て行きなされ。」

 こうしてテンジン老人は家を追い出され、丘の上の小さなわら小屋に一人で移り住んだ。そこで昼も夜もグルに教わった「帰依の詞章」を唱え続けた。
 そうして一か月ほどが経った満月の明け方、テンジンが住む小屋の方から、ヴィーナや笛の音が聞こえてきた。お婆さんは、テンジンが発狂しておかしな声を出しているのかと思い、娘に様子を見に行かせた。

 娘が小屋に行ってみると、そこにはテンジンの姿はなかった。娘が「お父さん、お父さん」と叫びながら布団をひっくり返してみると、そこにはきれいな虹色の輪の真ん中に白い「ア」の種字が光り輝いているのが見えた。そこで娘は、テンジンが死とともに「虹の身体」の悟りを成就したのだと知り、村の人々を呼び集めた。

 村人たちがそこに集まると、ア字と虹の輪は東の空に消え去っていった。そして次のような声が聞こえた。

「ドゥクパ・クンレー様が私をポタラ山(観自在菩薩の浄土)にお送りくださる。お高くとまったお前たちは、ここにとどまるがいい。私の土地は、ドゥクパ・クンレー様に差し上げてくれ。」

 そうしてテンジン老人は、虹の身体となって消えていった。


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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(10)

2017-12-27 21:28:44 | 聖者の生涯



◎パトゥル、自分の修行について自分を叱責する

 パトゥルは、ゾクチェン僧院の上方にある牧草地に、小さな黒いヤクの毛のテントを張って暮らしていた。ある日、近くにいたある人が、パトゥルが独りでこのように言っているのを聞いた。

「今日のお前の修行はひどかった! 今日は飯抜きだ!」

 そう言った後、パトゥルは自分に何も食糧を与えないのであった。またあるときは、自分をピシャリと打って、罰していることもあったそうだ。

 また別の日、彼が自分に対してこのように意見を述べているのが聞かれた。

「うむ、よいだろう。よし、今日は悪くなかった。」



◎パトゥル、特別な伝承を受ける

 パトゥルが洞窟で独りで瞑想に励んでいるとき、彼は、外で誰かが「パトゥル! パトゥル!」と大声で彼の名前を呼んでいるのを聞いた。一体誰だろうかと不思議に思い、外に出てみると、その洞窟の入り口には、彼の規格外のグル、唯一無二のド・キェンツェー・イェーシェー・ドルジェが立っていたのだった。彼はチャン(チベットの酒)を飲んでおり、たった今捕まえて絞め殺した鹿の足を提供してきた。

 パトゥルはその鹿の足を直視し続けることができず、心の中でこう考えた。

「ド・キェンツェーは本当は何がしかの煩悩を持っているのではないだろうか?」

 そのとき、その偉大なヨーギー(ド・キェンツェー)は、パトゥルの顔を平手で滅多打ちにし、怒鳴り散らした。

「ピー・イ・イ! お前はこの洞窟で遊んでいたのか!? まだ二元的な思考にはまっているのか!」

 ド・キェンツェーは、パトゥルに唾を飛ばし、大股で歩いて去って行った。
 ショックを受けたパトゥルは、突然、直接の存在の裸の境地に入り、概念から解放されたありのままの意識を経験したのであった。
 パトゥルは、これは、彼(ド・キェンツェー)がグヒャサマージャ・タントラの伝承を直接的に与えてくださったのだ、と言っていた。



◎巨石を見て思い出すもの

 ゾクチェン僧院の上方にある氷河の荒野(カントー)に、巨大な岩があった。パトゥルはダルマを説くとき、皆から見えやすいように、よくそのてっぺんに座っていた。一度教えを説き始めると、まるでその巨岩のように、彼はそこを動かなかった。雨が降っても、日が照っても、教えをすべて与え終わるまでは、決してその座から立たなかったのだ。

 パトゥルは、そのどっしりとした岩を指さして、弟子たちにこう言った。

「その不動の岩を見るときには、その光景によって、悟りを得ることによって衆生を利するぞ、という不動の熱望を心に思い起こさせるようにしなさい。」


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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読『安らぎを見つけるための三部作』より」

2017-12-27 17:41:35 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読『安らぎを見つけるための三部作』より」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第95話」

2017-12-26 21:09:19 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第95話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第五話」

2017-12-23 22:11:17 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第5話」です。
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イエス・キリストの生涯(3)

2017-12-23 11:52:23 | 聖者の生涯



◎最初の光の一筋

 主が十二歳の時、ヨセフとマリアは『過越の祭り』に参加するために、彼をエルサレムへ連れて行きました。イエスは寺院やそこにいた神官の法話に非常に興味を持ち、神への思い、神の法に夢中になりました。それは、両親が寺院を出てナザレに向かっているときに、彼だけこっそり寺院に戻ってきて、宗教的事柄を論じ合っている教師たちの集まりに加わったほどでした。そのような哲学の大家とされるような教師たちも、イエスの言葉を聞いて驚嘆しました。
 ヨセフとマリアは、イエスが自分たちのあとについてきていないことに気づきました。慌てて彼らは寺院へと引き返し、そこにいたイエスを見つけたのでした。マリアは、何も言わずにいなくなったイエスを優しく叱りました。そしてイエスは、驚くべき不思議な言葉でそれに返答しました。

「わからなかったの? 僕はお父様の仕事をしていたんだよ。」

 優しい両親はこれを聞いて当惑してしまいました。

 その後、約十四年間、イエスはインドで、ヒンドゥーあるいは仏教の修行者のように暮らしました。彼は燃えるような離欲、放棄の精神を持っており、インドで、ヒンドゥーの理想、教義を吸収しました。キリスト教徒たちの中には、イエスの『空白の期間』についてのこの解釈を信じない人もいます。彼らは「それは特に聖書に書かれていない」と主張するのです。約二十一世紀も前に生きていた人たちに関することなのですから、見解にいくらかの相違ができるのは仕方がありません。旧約聖書には当然、これに関する参考文献のようなものは記載されていません。新約聖書は、イエスが悟った後にイエスの弟子たちによって書かれた福音書から構成されているので、それよりも前の時期――イエスがインドを旅し、聖仙や預言者たちからイニシエーションを受けていた時期――に関する参考文献を、イエスの若年期について全く知らない人たちが書いた彼の伝記の記述の中に探すことなど、明らかに無駄なことです。『空白の期間』のある時期に、イエスがインドを旅していたということは、多くの歴史学者によって信じられてきました。この見解について支持できない理由というのはまったく存在せず、これを受け入れることは、東洋と西洋の愛の絆をより強くし、主の使命である二つの半球の間の友好を促進することでこそあれ、何も悪いことではありません。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第36話 前編」

2017-12-23 06:31:24 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第36話 前編」です。
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イエス・キリストの生涯(2)

2017-12-19 21:24:27 | 聖者の生涯


◎赤ん坊のイエスに向けられた神の守護

 天使たちは賢者たちに、イエスの居場所をヘロデ王に教えないように警告しました。ゆえに賢者たちは、再びヘロデに会わない帰路を辿ったのでした。
 このようにして、ヘロデはその邪悪な野望を挫かれました。そこでヘロデは、ベツレヘムの二歳以下の子供をすべて容赦なく皆殺しにするように命令を下したのです。王の手下たちは、その指令を躊躇なく実行に移しました。そして数千人の赤子がたちまちのうちに殺され、天の主の蓮華の御足のもとに送られました。しかしヨセフとマリアは、迫りくる危難を天使たちから前もって知らさせていたために、主イエスを連れて、ヘロデの管轄外であるエジプトへと逃げたのでした。
 彼らは、天使たちが再び目の前に現われてヘロデ王の死を告げるまで、しばらくエジプトにとどまっていました。
 そしてその後、生まれ故郷に戻ったヨセフとマリアとイエスでしたが、ヨセフが、ユダヤを支配するヘロド王の息子の近くは安全ではないと思い、三人はナザレへと向かいました。
 救世主・天の光の化身・神の子イエスは、ナザレで、敬虔な両親の元で従順な子に育ち、ヨセフから大工仕事を学びました。後に人生において十二人の偉大なる使徒を形成し、来たるべき未来に、地上の無数の人々と国の運命を作る神聖なる師は、 大工の仕事を学びながら、木材から道具や家具を作ることに精を出していたのでした。
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イエス・キリストの生涯(1)

2017-12-19 21:09:26 | 聖者の生涯


イエス・キリストの生涯

 ――スワーミー・シヴァーナンダ・サラスワティー




◎出生のお告げ

 二千年前、至高なる光が、この暗闇と陰鬱に満ちた無常の世界に降りました。主の地上への降誕を決定する法は、いつのときも、どこでも同じです。悪がはびこり、正法が衰退するとき、邪悪な力が聖なる力を上回るとき、神の言葉、あるいは神の遣いの定めた掟が忘れ去られたり、それに人々が従わなくなったとき、宗教的狂信者が魂を滅ぼすような聖典の文字に従い始めたとき――そのときに、主は人々を救うため、正法を守るために、地上に降臨されるのです。
 われわれは、救世主(キリスト)イエスとアヴァターラ・シュリー・クリシュナの間に数多くの共通項を見い出すことができます。
 出生のときから、主は静かにメッセージをわれわれに送り始められます。主イエスがこの世における最初の『家』に選ばれた場所は、宮殿ではなく、馬小屋でした。主は宇宙の主ご自身を子供として授かるという恩寵を、王族ではなく、身分が低く貧しいけれども、信仰深く敬虔な人々にお与えになったのです。主の価値の尺度は、一般の人間とは異なっています。『彼』の眼から見て、地上の栄耀栄華、そしてまた、己の信心深さへの思い上がりや知性への自惚れなどは、降臨するに相応しき受け皿にはなりません。心の純粋性こそが祝福されているのです。なぜならば、心が純粋な者たちは神を見るからです。
 主イエスの聖母マリアは、主に遣われし天使に、神の子が彼女から生まれるであろうというお告げを受けました。マリアはヨセフという善良な男と結婚し、二人はナザレに住んでいましたが、その国の統治者が、「すべての民たちは出生した村や町に名を登録し、税金を払うべし」という指令を出したので、ヨセフと共に出生地であるベツレヘムへと向かいました。しかしそこに到着したとき、住めるだけのまともな家や宿屋がないということに気づき、夜を馬小屋で過ごす他なかったのでした。
 主がお生まれになったのは、まさにこの馬小屋だったのです。

 祝福された、純粋で敬虔な羊飼いたちが、主にまみえるためにやってきました。彼らは田舎で羊の世話をしていたのですが、天使が彼らの前に現れて、主の降誕を告げたのでした。天使たちは主の美しい賛美を歌い、その中で、主の降誕の目的を明かしました。


最上なる神に栄光あれ
地上に平和をもたらしたまえ
諸人に好意を示したまえ


 救世主イエスは、真理と神の最高の栄光を再びこの世に打ち立てるために、この世に平和をもたらすために、そして人々のハートに他者への愛を目覚めさせるために、人間の世界にやって来られました。
 これらの祝福された羊飼いたちは事実上、地球上で『救世主イエス』を礼拝した最初の魂だったのです。
 主の降誕の八日後、主の両親は、主をエルサレムの寺院へと連れていきました。これはユダヤ人の習わしでした。
 エルサレムには、シメオンという名の善良な老人がいました。彼は、救世主イエスの神性に気づいた、第二の人物となったのでした。彼は寺院にいるイエスを見て、イエスは無明と罪という闇を取り除いて人々を救済し、人々に愛と善の道を歩ませ、その心を神の王国という悟りに至らしめるために地上に降誕された神の光――救世主であると理解しました。そしてまた同様に、その日その寺院でイエスを見たある予言者は、イエスが世界の希望の光として輝く神の子であると宣言しました。
 それから間もなくして、東方の賢者たちが、主を礼拝するためにベツレヘムにやってきました。主がお生まれになったとき、まばゆい星が空に輝き、この賢者たちは、それを古代の予言者たちが予言した救世主が降誕したという確かな象徴であると理解しました。そして賢者たちは主に礼拝するために、その星の方角に向かって進み、ヘロデの王国にやって来たのでした。彼らはヘロデ王に到来の目的を説明しましたが、ヘロデ王は彼らの話を聞くと、喜ぶどころか恐ろしくなりました。そしてヘロデは賢者たちに、自分もその神の子を礼拝したいから、その子の居場所を教えてほしいと頼みました。しかし心の奥底では、王はその神の子を排除しようとしていたのでした。
 賢者たちは、主の家の上空に光り輝く星を目指して歩き続けました。そして『神の子』を見つけると、賢者たちは跪いて、礼拝し、信仰と崇敬のしるしとして、高価な贈り物を主に捧げたのでした。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第94話」

2017-12-19 20:19:20 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第94話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2017-12-18 19:15:03 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。



曲目

1.Mountain Hare Krishna( Gita Jayanti 2017 Drms version)【NEW!】
2.入菩提行論の歌
3.Maitri
4.アヴァターラ
5.CHAMUNDAYE KALI MA
6.空からの使者
7.マハームニにささげる歌

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勉強会講話より「ヴィヴェーカーナンダの生涯」第一回(5)

2017-12-18 08:58:46 | 勉強会より抜粋

【本文】

 ナレーンドラの母のブヴァネーシュワリーは、ナレーンドラの生来の美徳を発達させる役割を果たしました。ある日、彼が学校で不当に扱われていると母に語ったとき、彼女はナレーンドラに言いました。
「ねえ、かまわないじゃないの? 自分が正しいと思ったら。結果など気にしないで、いつも正しいことに従いなさい。真実を守るためには、しばしば、不正とか嫌な結果に苦しまねばならないでしょう。けれども、いかなる境遇にあっても、真実を忘れてはなりません。」



 はい。これもとても感動的なところですね。つまりお母さんも、今言ったように、それは――なんていうかな、大事にしてるサリーとかを勝手に子供が乞食にあげちゃったらそれは怒るけども、しかし別にお母さんも冷たいお母さんだったわけじゃない。お母さんももちろん、このね、一つの縁のある、さっき言ったドゥルガーチャランっていうおじいさんを始めとして、一つの聖なる家系に嫁いできたお母さんなので、徳あるお母さんだったでしょうね。だからそういった、言ってみればインドの一つの宝であるヒンドゥー教の大いなる教えに則った教育を受けて、ナレーンドラは幸せに育ったんでしょうね。
 はい。ここの部分も、ナレーンドラがある日、学校で不当に扱われていると感じて、それをお母さんに言ったと。しかしそれに対してお母さんは、「ねえ、かまわないじゃないの? 自分が正しいと思うなら、結果など気にしないで」と。つまり、不当に扱われようが扱われまいが、そんなことはどうでもいいじゃないかと。あなたが正しいと思うんだったら、いつもそれに従えばいいと。「真実を守るためには、しばしば、不正とか嫌な結果に苦しまねばならない。しかし、いかなる境遇にあっても、真実を忘れてはならない」と。「あなたは自分が真実だと思う理想に誠実に従えばいいだけだ」と。
 もう一回言うけども、この世っていうのは、真実に従えばうまくいくとか、あるいは幸せになるっていうわけでもないんだね。これは何度も言ってるけど、わたしも小さいころそれを考えたことがあります。何度も言ってる話だけど、もう一回言うと、わたしの記憶としてあるのは、小学校一年とか二年とかのことなんだけど。何度か言ってるように、わたしは、どれくらいからか分からないけど、小さいころから――もちろん言葉は知らないけどね――概念として、カルマの法則を信じてたんだね。つまり、いいことをやればいいことが返ると。悪いことをやれば悪いことが返ると。それから、まあ正しくっていうか、まあ例えば人に優しく、人を苦しめてはいけない。あるいは「良い心で生きる」っていうか、きれいな心で生きるっていうことがいいんだっていう感覚があったんです。で、それを自分の――なんか変な子供だったね、そう考えるとね――自分の宗教みたいな感じでそれを持っていたときがある。うん。自分の中のその――もちろん、人には言わない。人には言わないで自分の中での――今考えるとまさに宗教なんですけどね――自分の中の一つの教えみたいな、自分がすがる一つの柱みたいなものとしてそういうものを持ってたことがあったんだね。で、それで小さいころ生きてたんだけど、でも小学校とかでいろんな友達と交わるようになって、いろいろ、つまり「小学校」っていう一つの社会を見てるとね、なんか違うような気がしてきたんだね。つまりまあいじめっ子とか、あるいはずるいことしてる人とかが、結構うまくいってたりする。楽しそうだったり、なんかクラスでも輝いてたりする。で、そうじゃないいい奴とか、真面目にやってる人とかが、ちょっとこう不当な扱いを受けてたりとか、そういう場面をよく見るんだね。そうすると「あれ? なんかちょっと違うのかな」っていう気がちょっとしたことがあった。この世っていうのは、正しく生きるとか良く生きるとか、人のために生きることによって幸せになるとかいう法則はないのかなって、ちょっと疑問がわいたことがあったんだけど。でもそのときはわたしは、別に誰にも教えられずにね、悩んだ末に、「いや、これはある」と。「絶対にある」って、なんか確信があったんだね。だからそれはねじ曲げなかったんだけど。
 しかし――もう一回言うよ――例えばこのナレーンドラもそうだけど、お父さんからそのような影響を受けて、で、正しいその道を突き進もうという性質はあったと思うんだけど、しかしそれなのに不当な扱いを受けると。これはやっぱり変なんじゃないかと。あるいは、それなのに苦しまなきゃいけない。これは変なんじゃないかと。これはこういう壁には多くの人がぶつかるのかもしれない。しかし答えを言うと、このお母さんがまさに言ってるわけだけど、それが世の習いなんです。世の習い。つまりこの世で、皆さんが逆に――変な話すると――逆に皆さんがこの世でエゴに迎合し、自分のエゴを甘やかし生きてた方が実は結構うまくいったりします。この世においてはね。それはまあ悪魔の罠なんだけど。皆さんが本気で自分のエゴと闘おうとして、で、立ち上がり、誠実に理想を貫こうと真剣になってきたら、逆に不当な扱いを受けたり、あるいは苦難がやってきたりします。それがこの世の習いなんだね。それは当たり前のことであると。これはだから、それをお母さんは教育したんでしょうね。かまわないじゃないかと。つまり、正しいこと――つまり、正当な扱いを受けるためにあなたは正しいことをやってるんじゃないと。結果として正当に扱われようが不当に扱われようがいいじゃないかと。結果として人から苦しめられようが褒められようが、どっちでもいいじゃないかと。ただ真実だけを手放すな、というのをそのお母さんは教えたわけですね。
 この後のナレーンドラの人生を考えると、やっぱり面白い感じがする。なぜかというと、さっきのお父さんの話とも絡めてね――もう一回言うよ。ちょっと全体的に言うと、はい、お父さんは大変な慈善家であって慈悲に満ちていたがゆえに、後先考えずに、貧しい人にお金をばらまき続けたと。で、そのおかげで――あるとき突然お父さんは死んでしまうんですけども、死んだあとに発覚したわけだけど、つまりあまりのその慈善活動のゆえに、家が大いなる借金だらけだったと。で、その借金だらけだったために、その日からナレーンドラ一家は大変な貧乏になるわけですね。
 つまり、もう一回言うよ。――お父さんはもちろんいい人だった。で、お父さんなりの一つの考えによって、後先考えずに、つまりある意味家族のことを考えず、貧しい人のために、あるいは苦しんでる人たちのために散財したと。で、それが――いいですか、それなるがゆえに、ナレーンドラ一家はその後苦しまなきゃいけなかった。
 そして、そこにおいてですよ、ナレーンドラは――もうそのころはラーマクリシュナに出会ってたんですけども――一生懸命、お父さんが死んだから代わりに自分が働こうっていう感じで職探しをするわけだけど、しかし全然職が見つからないと。で、大変なその――まあ貧乏もそうだけども、なんかこう、親戚にひどい人がいて、それまではお父さんにすごく甘えてたのに、お父さんが死んだらそのナレーンドラの家とか財産を奪おうとする親戚まで出てきたと。で、そこで人間不信になったりとか、あるいはそのための裁判で忙しくなったりとか、まあ大変な苦境に落とされたわけですね。で、その苦境の中でもナレーンドラは、もうラーマクリシュナにも出会ってたし、自分の信念を曲げずに正しく生きる道から外れずに頑張っていたと。しかしそこで、もうお母さんはまいっちゃったんでしょうね。まいっちゃって、神に祈りを捧げるナレーンドラを批判する場面とかあるんだね。もうお母さんは昔の優しいお母さんじゃなくて、貧しさや――まあつまりお母さんもおそらく、もともといいとこの出で、お金持ちに嫁いできたお嬢さんだったんでしょう。で、それで経験したことのないような、しかもお母さんにとっては晩年ですからね――晩年になって、こんな不幸な人生に落とされて――まあ未亡人だしね。インドでは未亡人って不幸の象徴みたいなものらしいから。未亡人になってお金もなくなって。いろんな、親戚からも裏切られ、こういう苦しみの中で、もうパニックになっちゃって。で、こういう状況でも神に祈ってる息子のナレーンドラを徹底的に批判したり非難したりするんだね。でも――いいですか――かつて子供のときに、何があっても真実を貫けと教えてくれたのはお母さんだと。だからナレーンドラは貫けた。ナレーンドラはこの、今は自分を非難しているお母さんに教えてもらった教えによって、貫いたんだね。
 で、ラーマクリシュナ――まあそのころ――あとで出てくるけど――多くの人がナレーンドラに悪い噂を立てたと。ナレーンドラはもう貧困の中で神を忘れてしまい、いろんな売春宿とかいろんなところに出入りしているらしいみたいな、噂が広まったと。で、ナレーンドラもちょっと阿修羅的だから、「そんなことしてません!」って言わないんだね。「それぐらい、それでこの苦境が忘れられるならば、そんなところでも行ってやろう」みたいに、そんなふうにこう言っちゃったもんだから、それが大げさに広まっちゃって、「あいつ認めた」みたいな感じで広まっちゃって、みんなが「ナレーンドラはもう神から外れた」みたいに言ってたんだけど、ただラーマクリシュナだけはそれを信じなかった。「彼がそんなふうになるはずがない」と。「母なる神がそう言ってらっしゃる」と。ラーマクリシュナだけがそれを信じていたと。結局、ナレーンドラ自体はもちろん、その道から外れてなかったんだけど。
 で、もう一回言うけども、大いなるこの流れを見ると、とても面白い感じがするんだね。おそらくこのお父さんもお母さんも徳が高い人だったんだと思う。で、実際真理と縁のある人だったんだと思う。で、大いなる流れで見れば、このナレーンドラという一人の人物を、小さいころから、まあある時期は正しい教えを与え、そしてある時期は苦悩を与え、そしてのちの救済者として育て上げるための大いなるドラマの登場人物として役割を果たしてたんだと思うね。そう考えるとすごく感動的っていうかな、大いなるシナリオだなっていう感じがするね。
 じゃあ次もいきましょう。


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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ」第四話

2017-12-16 18:19:07 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第4話」です。
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