今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第89話」です。
今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。
曲目
1.入菩提行論の歌
2.Maitri
3.空からの使者
4.月光
5.アヴァターラ
6.Mountain Hare Krishna
7.ジェイジェイシュリーラーム
腐肉を探す犬のようであるより、神を探して死ぬ方がましである。最高の理想を選び、あなたの人生をそれに捧げなさい。死は確実に来るのだから、偉大なる目的のために人生を捧げること、それが最高である。
――ヴィヴェーカーナンダ

トラ・ジグメ・ケルサンは、偉大なる瞑想者かつ学者であり、菩薩であった。彼はカムとアムドにロンチェン・ニンティクの教えを広めた。また彼はチョーキ・ロドゥとショヌ・イェシェー・ドルジェとしても知られていた。
かつて、マ河河畔の洞窟にて、彼は隔離された場所でヴァジュラキーラの修行を行なうために三年間の独居修行にこもった。彼が修行にこもったまさに最初の夜に、巡礼者がジグメ・ケルサンのいる洞窟の扉をたたいた。手太鼓とベルを鳴らしながら、巡礼者はカンド・ケギャン、チョの典礼を唱えていた。ジグメ・ケルサンは洞窟の中でその詠唱を耳にし、その深い意味と美しい楽曲に非常に感動し、翌朝、その巡礼者に会うために隠遁所から出ざるを得なくなった。
彼は誰がそのチョの典礼を書いたのかを尋ね、それがジグメ・リンパによってテルとして発見されたもので、彼はすでにこの世を去ったことを知った。
ジグメ・ケルサンが、ジグメ・リンパの主要な弟子たちはまだどこかで生きているのかと尋ねると、巡礼者は、その偉大な弟子、ドドゥプチェン・リンポチェは生きていて、ゴロクで教えていると答えた。
ドドゥプチェンのジグメ・ティンレ・ウーセルという名前を聞いたとたん、彼はジグメ・ケルサンとカルマ的つながりのあるグルであったので、ジグメ・ケルサンは不変の思慕の念に駆られ、彼に会うためにすぐさまその場所を発った。
そしてドドゥプチェンに会ったジグメ・ケルサンは、ロンチェン・ニンティクの一般と特別の教えを授かり、ロンチェン・ニンティクの系統保持者の一人となった。
ジグメ・ケルサンはパトゥル・リンポチェをゾクチェン僧院のペルゲ・ラマのトゥルク(転生者)だと見抜き、そして後にドドゥプチェン一世もそれを認めた。
ドドゥプチェンの生涯最後の年のあいだ、ドドゥプチェンはイニシエーションと教えの伝授を授け、そしてジグメ・ケルサンはドドゥプチェンのために経典を読誦した。また、ドドゥプチェンが彼の隠遁所を離れることがなかったので、ジグメ・ケルサンはテゲやアムドにおいて彼の代わりにロンチェン・ニンティクやドドゥプチェン系統のその他の数多くのニンマの伝授を広めた。
ジグメ・ケルサンはニンマ・タントラとニンティクの教えを、カトク、ゾクチェン、シェチェン僧院にいる多くの重要なラマたちに伝え、そして人生の後半において、彼はアムドおいて、また青い湖地域のモンゴル人たちのあいだに教えを広めた。
ジグメ・ギャレ・ニュクは1816-15年にこう記している。
「偉大なるラマであるジグメ・ケルサン、つまり偉大なる父ドドゥプチェンの最終的な後見人であり、かつ学識と成就の達人が、ダルマに仕えるためにツァチュカに到着した。私は彼を隠遁所に招き、イニシエーションを受けた。」
再度、1820年に彼はこう記している。
「学識と成就の達人であるジグメ・ケルサンが中国訪問からの帰りにツァチュカを訪れたので、多くの供物を手に、私は彼を出迎えに行った。」
彼の生涯の最後、彼が中国のある街を一人で歩いているとき、ある盗賊が、内側から火によって熱せられた赤銅製の馬に乗せられ、火刑にかけられそうになっているのを目にした。その盗賊は、助けを求めて叫び声を上げていた。
それを見て大いなる慈悲を感じ、トラ・ジグメ・ケルサンは死刑執行人に、その囚人は無実で、自分こそが本当の盗賊なのだと話した。
彼の弟子が彼を見つけたときには時すでに遅く、彼はその盗賊の代わりに死刑にかけられていた。
このようにして、彼は自分の命を見知らぬ通りで苦しんでいる見知らぬ人の身代わりにするという菩薩としての実践を示して、その生涯を終えた。
ラビアは、病で床に伏し、
2人の聖者に見舞われていた。
イスラム教徒の間で重きを置かれていた
聖マリクと、賢者ハッセンである。
ハッセンは言った。
「祈りが純粋である者は誰でも、神の体罰に耐えられる。」
マリクはより深い感覚から
彼の経験について述べた。
「自らの師がお選びくださったものを受け入れ、愛する人は、
体罰の中にあっても、歓喜に浸る。」
彼らの格言にふけりながら、
ラビアは自分に利己心がまだ残っている事を見抜き、
こう答えた。
「おお、祝福された人々よ、
自分の師のお顔を拝む者は、
祈りの中で、自分が懲罰を下されたなどと
思い及ぶことさえないのです!」
――ペルシャ人の詩
今日はディワリ。ディーパワーリーともいい、ディーパ(灯火、光)の祭典という意味です。
ラーマーヤナにおいてラーマがアヨーディヤーに帰還するときに、民衆が多くの灯火をつけて出迎えたのが由来とされています。
またこれは、長い間ラーマという光を失っていたアヨーディヤーにラーマが戻ることで、人々の中に、失われていた神の光が再び灯るということも暗示されます。
この期間、インドにおいては多くの寺院や家庭で実際に灯火を燃やし、また家の電気をつけっぱなしにするので、衛生写真で見るとインド中が輝いて見えるといいます。
そしてこの日を境にインドでは正月となるようです。
また今日は同時に、カーリー女神とラクシュミー女神に供養を捧げるプージャーの日でもあります。
カーリーは激しい一撃によって我々のカルマを浄化し、エゴを破壊してくれます。
ラクシュミーは美と調和と愛によって我々に真の幸福を与えてくれます。
この三重の祝福の日に、皆様のカルマが浄化され、祝福を受け、聖なるリスタートの日となりますように。




自分は今すぐに変わるのだという覚悟をしない限り、あなたは決して真理を見ることはできないであろう。
真理の探究にしがみつき、堅固になりなさい。
――ヴィヴェーカーナンダ

真理の探究にしがみつき、堅固になりなさい。
――ヴィヴェーカーナンダ

決して「駄目だ」などと言ってはならない。「できない」などと決して言うな。
あなたは無限なのだ。あなたは何でもできる。あなたは全能だ。
――ヴィヴェーカーナンダ

あなたは無限なのだ。あなたは何でもできる。あなたは全能だ。
――ヴィヴェーカーナンダ

未来において、人々があなた方や私を認めて言うことや、あるいは反対して言うことに対して、耳を傾けてはならない。
働き続けなさい。ライオンでありなさい。そうすれば、主はあなたを祝福してくださるだろう。
私は死ぬまで、絶え間なく働き続けよう。そして死んだ後も、世界の幸福のために働き続けよう!
――ヴィヴェーカーナンダ
働き続けなさい。ライオンでありなさい。そうすれば、主はあなたを祝福してくださるだろう。
私は死ぬまで、絶え間なく働き続けよう。そして死んだ後も、世界の幸福のために働き続けよう!
――ヴィヴェーカーナンダ
人々は常に利益を追い求める。彼らはいつも肉体の安穏を追いかける。どうやって楽な生活をするか、いかにして美味しい物を食べるかということしか考えない。いったい誰が本当に神を求めているというのか。
自分の生涯を『彼』の足下に委ねることができなくてはならない。君たちは自分の全身全霊を、できるならそれ以上を、彼に捧げなくてはならない。
彼が君たちに仕事をお与えになったら、心と魂のすべてを込めて、あらん限りの力をそれに集中してやりなさい。それが終わったら、彼は次の仕事をお与えになるだろう。それも全力を尽くしてやり遂げるのだ。そのようにして君たちの全生涯を彼のお仕事に捧げよ。そうしていくつもの試練を経て初めて、彼は君たちにモークシャ(魂の自由、解放、解脱)をお与えになるのだ。
――スワミ・トゥリヤーナンダ

パトゥル・リンポチェのグルはジクメ・ギャルウェ・ニュグといった。ジクメ・ギャルウェは何年ものあいだ山中の洞窟で一人リトリートの生活を送っていた。ある日のことだった。穴から出てくると、さんさんと降り注ぐ明るい日差しに誘われて、彼は思わず空を見上げた。雲が一つ、彼の師ジクメ・リンパの住んでいる方向に向かってゆっくりと動いていた。「あそこにグルがいるんだなあ」という思いが彼の心に浮かんだ。すると、その思いと共に、グルへのあこがれと敬信の感覚が津波のように彼を襲った。それがあまりに強烈で圧倒的だったために、彼は気を失った。意識を取り戻したとき、師の智慧の心の加護があますところなく彼に伝わっていたのである。彼は最高の悟りに、私たちが【現象的現実の消滅】と呼ぶ境地に達していたのである。
(「チベットの生と死の書」より)
今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。
曲目
1.空からの使者【NEW!】
2.Maitri
3.ジェイジェイシュリーラーム
4.無限の恩寵
5.アヴァターラ
6.Mountain Hare Krishna
7.入菩提行論の歌