ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第六話」

2017-09-30 17:09:56 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・ハヌマーン 第6話」です。
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ダシャラー、ヴィジャヤ

2017-09-30 09:37:32 | 松川先生のお話
今日は「デーヴィーマーハートミャ」で女神が悪魔に勝利した日(ダシャラー)であると同時に、「ラーマーヤナ」でラーマ軍が悪魔の軍に勝利した日(ヴィジャヤ)であり、とても吉祥なる日とされます。

多くの人が、自己の内なる魔や障害に勝利する日となりますように^^




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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第31話 前編」

2017-09-29 19:27:07 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第31話 前編」です。
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マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(16)

2017-09-28 21:16:15 | 聖者の生涯


 インドは、数多くの聖地が蜂の巣のように点在し、大小の文化の中心として神や聖者に捧げられた特定の寺院や聖廟は重要性を増しつつあった。スワミ・シヴァーナンダも他の兄弟弟子達と同じように、これらの聖地の多くを放浪修行者として訪れた。正確な情報がないので、われわれには、年代順に系統立った彼のこの時期の人生や巡礼について記述することはできない。スワミが、ブッダガヤーとヴリンダーヴァン、ヴァーラーナシー、アラハバード等の北インドの様々な聖地を訪れたことは既に述べてある。


 1889年初頭、スワミは、僧院から離れて無執着の放浪修行者として生きたいという渇望を強く感じた。
 そして彼は、ヒマーラヤの二大聖地、ケーダルナートとバドリーナーラーヤンへの巡礼の旅に出た。標高12000フィートのケーダルナートの神聖な雰囲気は独特で、彼を大いに感動させ、生きた至高者の存在を感じた。
 寺院の礼拝の儀式を取り仕切っていた僧侶は、スワミの神的光輝と内省的な様子に畏敬の念を抱き、あらゆる面から彼への援助を惜しまなかった。その地に数日滞在した後、スワミはさらに標高の低いバドリーナーラーヤンへと旅路を続けた。


 バドリーナーラーヤンについて、マハープルシャはスワミ・ブラフマーナンダにこう語った。

「アラカーナンダ河の河岸沿いにあり、雪に覆われた山々の山頂に囲まれた美しい地バドリーナーラーヤンに着いて四日が過ぎようとしている。ここでは、アラカーナンダが雪を貫いて流れ出でている。
 一部の場所では、河が完全に雪に覆われていて水が全く見えない。バドリーナーラーヤンに来る道中、私は雪の上を歩かなければならなかった。ときにはその距離は半マイルにも及んだ。にも関わらず、この地はケーダルナートほどのすごい寒さではないように感じる。」

 バドリーナーラーヤンでは、スワミは主バドリーナーラーヤン(ヴィシュヌ)の寺院に数日滞在し、礼拝と瞑想を楽しんだ。


 神的高揚の記憶に満たされつつ、それからスワミはヒマーラヤの町アルモーラまで下り、そこで休養と充電のための数ヶ月を過ごした。
 アルモーラでの滞在中、スワミは真摯な真理の求道者たちに出会い、彼らと神や彼の師のメッセージについて語り合った。彼の神聖な性格に感銘を受けた彼らのうちの何人かは、彼の信奉者となった。
 ここで、地元の成功者として大変尊敬されていた商人ララ・バドリシャ・トゥルゴリアの名前をあげておこう。ララジはスワミを敬愛し、彼を自宅へ招いた。スワミの滞在中、彼はあらゆる機会を見つけてはスワミと付き合い、彼に奉仕した。バドリシャは跡継ぎの息子がいないことで、彼の死と共に彼の家系は途切れてしまうのだと大変悲しんでいた。
 ある日、彼はまるで素朴な子供のように、マハープルシャに歩み寄り、胸の内を吐露し、彼が息子に恵まれるよう祝福を与えてくれるよう懇願した。男の真剣な嘆願に心を動かされたスワミは、神に祈った。奇妙なことに思えるが、そのうちバドリシャの妻は息子を産み、彼らはその息子を、スワミの祝福と祈りに感謝を込めて、シッダダース(成就者のしもべ)と名付けた。
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ドゥルガーアシュタミー

2017-09-28 17:12:47 | 松川先生のお話
今日はドゥルガーアシュタミー、九日間の女神の祭典ナヴァラートリの中でも特に吉祥な日の一つで、一年で最も幸運な日の一つだそうです^^



「おお、母よ
 油搾り器をグルグルと回る遮眼帯をした雄牛のように、
 どれほどの長い間、あなたは私を動き回らせるのでしょう?
 
 この世の幹に私を縛り付け、
 あなたは、絶え間なく、グルグルと私を動き回らせる

 何の不法なる行為ゆえに、と私は尋ねる
 あなたは、私を6人の油屋の奴隷にしてしまわれたのですか?

 獣や鳥などの数えきれないほどの誕生を
 私は耐えてきました

 しかしいまだ、この苦痛の打ち切りは間近ではありません
 母という言葉は、愛情の中に浸らされ、
 子供が嘆き悲しむと、母はその膝の上にわが子をお置きになるというのが、世の習い   
 私はこの世の中のよそ者ですか?  
 ドゥルガー、ドゥルガー、ドゥルガーと唱えることで、
 数え切れないほどの罪人が救済されました
 おお、母よ。一度だけでもいいので、
 私の目から、目隠しを取り去ってください
 私があなたの恐れなき御足を見つめることができるように

 かつて、非常に多くの不道徳な息子がいました
 しかし、不道徳な母は一人としていなかったのです

 (あなたの不道徳な息子、プラサードは、あなたの御足に没頭し続ける)

 おお、母なる神よ。ラームプラサードは、最後には、
 あなたの御足のもとに留まることを望みます 」

(ラームプラサード)

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カダム派史(1)「アティーシャの生い立ち」

2017-09-27 23:26:32 | 聖者の生涯



 チベット仏教カダム派史(要約)


第一章 アティーシャとその弟子、
    特にドムトンとラデン寺の歴代座主



1.アティーシャの生い立ち


 かの偉大なる師アティーシャは、インド人たちがサホールといい、チベット人たちがザホールと発音するかの大領域の王、その名をシュバシュリーという王と、シュリーマーリーチーという妃との間に、二番目の息子チャンドラガルバとして生まれた。
 彼は幼いときから、聖ターラー菩薩を目の当たりに見た。 
 そして王家の権力に執着せず、師を求めて遊行し、黒峰山のラーフラグプタヴァジュラにへーヴァジュラ・マンダラのイニシエーションを受け、生起次第と究竟次第を堅固にした。
 その後、次々に他の国を遊行して、アヴァドゥーティパ(マイトリーパ)と出会い、弟子として7年間仕えた。ウッディヤーナ国で、ダーキニーたちと共にガナチャクラも行じた。

 あるとき、釈迦牟尼世尊が多数の弟子とともに夢の中に現れ、「汝は何に執着して出家しないのか」と告げた。そこでアティーシャは、「もし私が出家するならば、仏教の大利益となるだろう」と考えて、ヴァジュラーサナのマティ寺において、ブッダジュニャーナパーダの伝統を相承した大衆部の長老であるシーララクシタという人物から具足戒を受けて出家した。そのとき29歳であった。
 それから31歳になるまで、根本四部の三蔵の大部分を聴聞し、その実習に精通した。またオータンタプリーにおいてダルマラクシタ師に付き、マハーヴィバーシャーを12年間学んだ。この師はシュラーヴァカであったので、七日ごとに住居を変えた。
 
 パーラミターヤーナとマントラヤーナに関しては、次のような師から学んだ。
 ジュニャーナシュリーミトラ、クサリー、ジェーターリ、クリシュナパーダ、ドーンビーパ、コーキラー、マティジュニャーナボーディ、ナーローパ、ミチェンポ、ブータコーティパ、ケーパチェンポ、プラジュニャーバドラ、バドラボーディ、ラトナーカラシャーンティ、ダルマキールティ。

 そしてアティーシャはヴィクラマシーラの大長老となり、名声が広まった。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第86話」

2017-09-26 21:16:36 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第86話」です。
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スワミ・プレーマーナンダの最期

2017-09-26 09:48:39 | 聖者の生涯


 六月二十七日、土曜日にコルカタに到着すると、一行はドクター・ビピン・ビハリ・ゴーシュを呼んだ。ビピン・バーブはバブラム・マハラジ(スワミ・プレーマーナンダ)を診断すると、こう言った。

「彼はもうあまり長くありません。わたしが診ることは何もありません。」

 ラージャ・マハラジ(スワミ・ブラフマーナンダ)はバブラム・マハラジの健康状態について考えると、じっとしていられなかった。幾人かの信者が彼に礼拝をしに来たとき、彼はこう仰った。

「今やナーラーヤナが医者であり、ガンガーの水が薬だ。わたしが引退できるように、バブラムダを僧院長にしようと教育していたが、もうそれは無理だ。」

 バブラム・マハラジはバス・ヴィラに連れて行かれ、二階の大きなホールにかくまわれた。マハラジ(ブラフマーナンダ)はその西側の隣の部屋におられ、ハリ・マハラジ(スワミ・トゥリヤーナンダ)は一階の部屋の中におられた。

 ハリ・マハラジはプリで多くの外科手術を受けており、あちこち移動することがおできにならなかった。しかしバブラム・マハラジは彼に会いたがっておられた。ハリ・マハラジは椅子に座ったまま上階に運ばれた。椅子から降りられると、彼はバブラム・マハラジの側にお掛けになり、ご自分で兄弟の手を撫で始められた。どちらも何もお話しにならなかった。バブラム・マハラジはよく、「パラマハンサは会話を通じて感情を表現されない。彼らにとってそうすることは必要ではないのだ」と仰っておられた。他の者には彼らの無言の会話を理解することができなかった。彼らの瞳から涙のしずくが二、三滴こぼれたのを、皆は気付いていた。


 次の日、バブラム・マハラジはマトからブラフマチャーリ・ジュニャーナをお呼びになられた。彼が到着したとき、バブラム・マハラジはとても弱弱しい声で仰った。

「ジュニャーナ、仕事を頼んでもいいかね?」

 ジュニャーナは耳をバブラム・マハラジの口元に近づけ、こう言った。

「何の仕事でしょうか? どうぞわたしにお命じください。」

 バブラム・マハラジはこうおっしゃった。

「マトで信者(バクタ)たちに奉仕してくれ。」

 ジュニャーナは答えた。

「ええ、かしこまりました。」

 バブラム・マハラジはさらに仰った。

「信者たちがどんなかたちであれ軽視されないように、監視していておくれ。」

 これらが、彼の口から出た最後の言葉だった。



 一九一八年、七月三〇日火曜日、バブラム・マハラジは朝から非常に落ち着かない様子で、痛みにのた打ち回っておられた。ラージャ・マハラジは聖典を読むために折り畳み式ベッドを彼の側に置かれ、それからそわそわと行ったり来たりし始められた。このようにして数時間が過ぎた。
 マハラジはシュリー・ラーマクリシュナのお写真を持ってきてバブラム・マハラジのお側に腰掛け、こう仰った。

「バブラムダ、タクルをごらん。」

 正午になった。ネパールとサティシュはバブラム・マハラジの足元に座った。サティシュはガンガーの水の滴を彼のお口に入れた。マハラジは時々口に布をくわえながらおいでになり、バブラム・マハラジをごらんになったあと、涙を流しながら去って行かれた。彼は自分自身に仰っておられた。

「わたしはもう肉体を保つことができない。スワミジ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)は去った。そしてわたしはバブラムダに会うことで肉体を保っていた。もうこれ以上無理だ。」

 そして彼はバブラム・マハラジの耳元で、大声で仰った。

「バブラムダ! バブラムダ! タクルを思い出せるか?」

 バブラム・マハラジは目をお開きになり、壁に掛けてあるタクルの油絵をごらんになった。

 次の瞬間、彼の眼は閉じられ、瞳の端から愛の涙が落ちた。そして彼はマハーサマーディにお入りになったのだった。午後四時一四分のことだった。

 マハラジはヒンディー語の一節を繰り返された。

「Chalo musafir――おお、旅人よ、去ってしまったのか。わたし達が出発するのはまだ遠い。」

 彼はそれから兄弟弟子の寝床のそばから立ち上がり、自分の部屋に行って子供のようにむせび泣かれた。平穏の化身であられたシャラト・マハラジ(スワミ・サーラダーナンダ)は、自身の手で彼を抱きしめられ、自身のチャダルで彼の眼をぬぐわれた。

 その知らせがウドボーダンにおられるホーリーマザーに届くと、その日の朝からずっと、マザーはバブラムを思い出して悲しみに打ちひしがれた。彼女は女性の信者にひっきりなしに彼についてお話になった。彼女は仰った。

「バブラムはわたしのハートの一部でした。強さ、信仰心、そしてマトの理知――これらすべてのものがわたしのバブラムの中に現われており、ガンガーの岸を明るく照らしながら、あちこち動き回っていたわ。」

 オーム、シャーム!





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今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ『女神・ラーマ特集』」

2017-09-25 22:19:48 | 今日のAMRITAチャンネル

今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ『女神・ラーマ特集』」です。



曲目

1.Jay Jay Ma Durga
2.Jay Jay Shri Ram
3.Chamundaye Kali Ma
4.Sita Ram(Vivaha Panchami)
5.Jay Shri Ma
6.神のしもべに
7.あなたの愛に
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「私が見たブラフマーナンダ」より「我が師」(10)

2017-09-25 06:38:26 | 聖者の生涯

 

 また、わたしはインド議会で著名な現役議員であるクリパラーニ氏についての出来事も覚えています。
 その頃、彼は青年ではありましたが長いステッキを手にし、カンカルのアシュラムを訪問されました。
 
彼はマハラジとスワミ・トゥリヤーナンダに惹かれました。マハラジが彼のステッキを賞賛されたので、彼はマハラジにそのステッキを捧げました。
 そして、彼は苦行の実践のためにリシケシへと向かいました。マハラジは彼を祝福されたのでした。



 この時期ずっと、わたしは僧院に加入し、マハラジにお仕えしたくてたまりませんでした。わたしはマハラジにそのように懇願すると、彼はこうお答えになりました。



「いや、まだだよ。君は必ず大学を卒業しなければならないよ。」



 わたしはこう言いました。

「しかしマハラジ、わたしの両親が結婚するようにと説得してきたら、どうしたらよいでしょうか?」

 それに対してマハラジは


「そのときは、わたしのもとに逃げてきなさい。」

とお答えになりました。

 

 その後、わたしが故郷へと旅立つので、マハラジに、アラハバードのスワミ・ヴィジュニャーナーナンダジと、ヴリンダーヴァンのアシュラムも訪ねてきてほしいと頼まれました。そして彼は、アラハバードのスワミ・ヴィジュニャーナーナンダジとヴリンダーヴァンのナンドゥ・マハラジに宛てた紹介状をわたしに預けました。
 
しかし彼はわたしに、ヤムナー河では沐浴をしないようにと忠告されました。というのも、そこには大きな亀がいて、沐浴者の肉を噛み切ってしまうかもしれないからということでした。

 そしてマハラジは、昔目撃したある出来事について語ってくださいました。

彼は、ヤムナー河の水の中に腰まで浸かりながら、ジャパムを行なっている一人の聖者を見かけました。
その聖者は突然、「あっ!」と大声で叫び、川岸へ走っていったのです。
マハラジがその聖者の太ももを見ると、亀に噛み付かれて出血していたのでした。




 わたしは大学に戻ったころから、徐々にインドの革命運動に巻き込まれていきました。
だからといって、わたしはマハラジへの、そして修行生活に対する関心を失ったわけではありませんでした。
 しかしわたしは、「これはスワミジのお仕事である――インドの解放のための!」と考えていました。
そしてわたしはインドの自由解放のために独身を貫き、人生を捧げようと決意しました。
 しかし、マハラジとは常に連絡を取り合っていました。


 当時、マハラジが住んでおられたヴァーラナシーを訪問したことがありました。スワミ・トゥリヤーナンダとスワミ・プレーマーナンダもそこにおられました。

 わたしはウェルチのグレープジュースを二瓶、マハラジのためにお持ちしていました。そして彼はその二瓶のグレープジュースを見ると、すぐにこうおっしゃいました。



「グラスを持ってきなさい。」



 わたしはグラスを持って来ました。
すると、マハラジはそのグラスにグレープジュースを注ぎ、こうおっしゃいました。



「このグラスをアドワイタ・アシュラムに滞在しているスワミ・プレーマーナンダに届けてきてくれ。そして、『これはカルカッタで探してきた極上のワインです』と伝えたまえ。」



 そこでわたしはスワミ・プレーマーナンダのところへ行き、彼の目の前にそのグラスを置くと、マハラジから指示された通りに伝えました。
 

彼はこうおっしゃいました。



「持って帰ってくれ! ここから立ち去りなさい!」

 

しかし、私は彼の前から立ち去ろうとはしませんでした。
(このように、マハラジはわたしを通して、よく彼をからかっていたのです。)
 スワミ・プレーマーナンダは椅子から立ちあがって、ひどくお怒りになりましたが、それでもなお、わたしは立ち去ろうとはしませんでした。

彼が外へ出て行ったので、私はそのグラスを彼の口元に近づけながら、彼を付け回しました。
 とうとう彼を、庭の壁の端まで追いつめました。
 するとそのとき、マハラジがいらっしゃいました。(常に彼はとても静かにお歩きになるので、わたしたちはしばしば、いつ彼がその場にいらっしゃったのか全く気付かないほどでした。)
 

マハラジはこうおっしゃいました。



「兄弟、なぜ飲んでくれないのか? それはこの子がわたしのために持ってきてくれた、ただのグレープジュースだよ!」

 


するとスワミ・プレーマーナンダはおっしゃいました。



「もう、どうして早く教えてくれなかったのですか!」

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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第五話」

2017-09-23 22:16:11 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・ハヌマーン 第5話」です。
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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(3)

2017-09-23 13:57:12 | 聖者の生涯



◎パトゥルの根本グル

 先代のパルゲ・ラマの甥、オンポ・コンチョは、会計管理者としてパルゲの屋敷を管理していた。彼は若きトゥルクを、パルゲ・サムテン・プンツォクが建て、今やパルゲ・トゥルクの本邸としての役割を果たしている巨大な石の屋敷、パルゲ・ラブランに連れて行った。即位式でパトゥルは、高い成就を得た修行者ジグメ・ギャルワイ・ニュグと初めて会った。彼がパトゥルの根本グルになるのである。

 ジグメ・リンパの心の弟子ジグメ・ギャルワイ・ニュグは、ダギャル・タマ・ルン(乾いた小枝の谷)の、風が吹きさらす山腹にある隠遁所で、多くの年月を過ごしていた。隠遁生活中、この師は、洞窟にも庵にも籠ることなく、外の開かれた場所、(岩などが)自然に突き出ているところの下、あるいは地面の浅い窪みの中で暮らした。彼は、野生の草や根から栄養を取り、自分の生活を必要最小限に簡素化した、まさに不放逸の苦行者の見本であった。ギャルワイ・ニュグは、悟りを得るまでその場所にとどまり続けるという誓いを立てた。

 ジグメ・ギャルワイ・ニュグはしばしば、パトゥル・トゥルクがまだ若いときから、彼に教えを与えるためにパルゲ・ラブランに赴いた。彼は、古い弟子であるウムゼ・サンギェ・パルサンにこう打ち明けた。

「私がザの上流地域に来たのは、ただ、パルゲ・トゥルクのためだけだったのだ。」



◎小僧

 若いとき、パトゥルは師ジグメ・ギャルワイ・ニュグと師の師であるドゥドゥプチェン一世ジグメ・ティンレイ・オーセルに同行して、ダチュカの北の荒涼とした遊牧地域であるゴロクに旅をした。あるとき、彼らの前に巨大な遊牧民の野営地が現われ、そこに近づいてみることにした。

 巨大なヤクの毛のテントの入り口に、一人の若者が立っていた。彼はラマたちに尋ねた。

「どこから来られたのですか?」 

「ドコクから来ました。」

「あなたたちは、死者の弔いの儀式を行なうことができますか? 母が数日前に死んでしまったのです。すでにラマを呼びにやったのですが、これでは、ラマが到着する前にかなりの時間が経ってしまいます。一番近くのラマでも、歩いて三日かかるところに住んでいるのです。」

「ええ。できます。」

 三人はテントの中に招き入れられ、良質の白い羊毛のフェルトのカーペットの座を与えられた。そして正式な要請が為され、亡くなった一族の母親のために儀式と祈りを行なうための、儀式用の白いシルクのスカーフが手渡された。

 二人の高齢のラマ、ドゥドゥプ・ジグメ・ティンレイ・オーセルとジグメ・ギャルワイには、お茶が振舞われた。二人は、テントの中に残って導入の祈りを行なっていた。若きパトゥルは外に行って、トルマ作りや、メインの儀式――究極の悟りの純粋世界・ブッダの浄土に意識を移し変える「ポワ」で使う供物の準備に忙しくしていた。

 パトゥルが働いている間、一家の娘が、火を起こすのを手伝ってくれだの、ミルクを沸かしているのをじっと見ていてくれだのと言って、ずっと彼の仕事の邪魔をしていた。邪魔をするたびに、彼女はパトゥルのことを面白半分で、「ベンチュン(小僧)」と呼んでいた。

 しばらくすると、すべての準備が整った。三人のラマは、ジグメ・リンパのロンチェン・ニンティクのアヴァローキテーシュワラのサーダナー(成就法)にある「苦しみからのありのままの開放」として知られている死者への儀式を行なった。

 三人のラマは一晩そこに泊まった。翌朝、彼らが出発の準備をしていると、その一家の父親が彼らに懇願をしてきた。

「どうか、もっとここにとどまってください! よかったら三年間。それがだめでしたら三か月。少なくとも三日間だけでも!」

 ラマたちは答えた。

「いいや、それはできません。われわれは行かねばならぬのです。」

 父親が尋ねた。

「ではせめて、あなた方のお名前だけでも教えてください。」

「実は……」

 少年パトゥルが答えた。

「彼ら二人はとても偉大なラマなのですよ。髪の白い方が、ジグメ・ティンレイ・オーセル。灰色の髪の方が、ジグメ・ギャルワイ・ニュグです。」

 父親はびっくりした。この名高きラマたちのことを聞いたことがあったからである。
 父親はパトゥルに尋ねた。

「それで、あなたはどなたですか?」

「ああ、僕はアブ・ウルロです。」

 パトゥルは面白半分に、家族内でのあだ名を名乗った。

「ただの子供です!」

 遊牧民の一家は信仰心で胸がいっぱいになって、ラマたちの祝福を乞うた。三人のラマが去ろうとすると、一家の息子が彼ら一人一人に、馬具を完備した良質の馬を布施した。裕福な遊牧民は、しばしば弔いの儀式を行なってもらったことへの感謝の気持ちから、そのような高価なものを布施するのである。

 ラマたちは言った。

「どうか、馬はあなたたちの元に留めておいてください。
 われわれには贅沢な施物は必要ないのです。もし純金を布施してくれたとしても、われわれは受け取らないでしょう。いくらかの茶葉とツァンパなら歓迎しますがね。ちょうど今、切れてしまっているのですよ。」

 三人のラマたちが去る際には、遊牧民の一家全員が付き添いとして彼らについて来て、一日の道のりを同行した。彼らはそれほどの敬意を感じていたのだ。

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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(2)

2017-09-23 07:15:30 | 聖者の生涯

◎幼児のパトゥル

 パトゥルが生まれた日、一家のテントが白い光で包まれたと、彼の母親は伝えている。

 その赤子は、生まれるとすぐに話し始めたのだった。まずは、短い言葉を一言だけ話した。

「ア、オ・・・オーム」

 次の日の夜には、慈悲の悟りの相を表わすアヴァローキテーシュワラ(観自在菩薩)の六音節のマントラである「オーム・マニ・パドメー・フーム」をぶつぶつと唱えているのが聞かれた。マントラの音は日に日にはっきりと聞こえるようになり、五日目にはすっかり鮮明に聞き取れるようになったのである。彼の手首には、マニ・マントラの六音節の文字があり、舌には、智慧の悟りの相を表わすマンジュシュリーの種字である赤い「dhi」の文字があった。

 彼の母親は、これらすべての兆候に気づいていたが、それらを自分の内に留め、夫にも話さなかった。彼女は、人々にからかわれたり、「おお、良家の出の母親の息子は、決まってトゥルクと認定されるものだ!」と嫌味を言われたりするのが嫌だったのだ。息子が本当に高僧の生まれ変わりであったら、早いうちにトゥルクだと認められてしまうことで、彼に障礙が生じてしまう、ということを避けたかった。

 しかしすぐに、この幼子の並外れた性質は、皆に知られるようになった。彼は、ロンチェン・ニンティクの教え「偉大なる広がりの心の本質」の偉大なる師であるドラ・ジグメ・カルサンによって、トゥルクと認定された。ドラ・ジグメは、彼の師であるドゥドゥプチェン一世ジグメ・ティンレイ・オーセルにこのことを報告した。

 それを認め、ジグメ・ティンレイ・オーセルはこう言った。

「その子をパルゲ・ラマのトゥルクと認めたお前は正しい。彼はオルギェン・ジグメ・チョーキ・ワンポ(オルギェンから来たダルマの恐れなき主)として知られることになるだろう。私は祈りによって、この子を完全なるロンチェン・ニンティクの系統に委託する。」

 その後すぐに、有力な僧やラマたちの一団が、新たにトゥルクとして認定されたパトゥルに敬意を表するために、年輩僧のウムゼに引き連れられてパトゥルの両親の家にやって来た。彼らが中に入ると、ちょうどパトゥルの母親は、乳を飲ますために幼児のパトゥルを胸に抱いているところであった。しかしパトゥルは乳を飲まずに、母親から顔を背けると、年配僧の方を向いてこう言った。

「叔父さん、元気だった? そんなに歳をとっちゃって!」
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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(1)

2017-09-22 17:45:59 | 聖者の生涯
Enlightened Vagabond
――悟りに達した放浪者――

パトゥル・リンポチェの生涯と教え




◎序章

 パトゥル・リンポチェは、雄の地の竜の年(1808年)に、カムのザチュカ地方にある、カルチュン・コルモ・オルというところで生まれた。カムの六つの地区の最北端に位置しているために、ザチュカという地は、メコン河の源流であるザ河に沿って存在する標高の高いへんぴな牧草地である。

 そこの空気は薄く、空は地平線に広がり、うららかである。緩やかな丘陵地帯の間に曲がりくねった広大な平原が広がっているのがこの地域の特徴で、その丘陵地帯は氷河を帯びた雪山へと続いている。

 ダチュカには農民が少数いるが、この夏の短い厳しい気候では、ほんのわずかな作物しか育たないのであった。高地の牧草地に住む者たちの多くは遊牧民であり、彼らは数千年の間、馬やヤクや羊の数を増やすことで、生計を立ててきた。

 永住の住処をもたず、ただ簡易的住居であるヤクの毛のテントをもって、遊牧民たちはたびたび移動した。一年に二回から四回の頻度で場所を変え、季節の移り変わりに応じて、家畜たちの最高の牧草を求めて、高地の牧草地からまた別の土地へと、大切な家畜たちを移動させるのである。
 
 パトゥルが生まれたとき、デルゲ王がダチュカを治めていた。パトゥルの父の一族は、デルゲ王に三十五人の世襲の聖職者を提供した神聖なるムクポ・ドン族の上流のゲツェの分家に属していた。パトゥルの父は、ギャルトク・ラワンと呼ばれていた。母の名はドルマといい、ドムサのジェ・ンゴ一族の娘であった。彼らはザチュカの上方にあるゲツェのドゥ・カルチュン・コホル――またの名をコルモ・オルという――というところにある裕福な遊牧民のコミュニティで暮らしていた。

 パトゥルは幼年期をこのようにして、標高の高い高原の広大で開けた地と、メコン河の上流を囲む丘陵地帯で、穏やかに過ごした。そこは、夏の盛りには無数の花が一面を覆い、厳しい冬には霜で満たされてしまうのであった。このような土地は、当然のように、外界の景色が、解放的な精神的生活と瞑想の実践を促してくれるのである。


◎パルゲの系統

 パトゥル(パルの生まれ変わり)という名は、パルゲの系統の名前から来ている。初代のパルゲ・ラマは、サムテン・プンツォクといった。マンジュシュリーが彼のイダムであり、彼はマンジュシュリー・ナーマ・サンギーティを十万回以上も唱えた。

 物語には、こう語られている――かつて、パルゲ・サムテン・プンツォクが、ドムサの上流地域に向かう途中にラバを休ませるために、マモ・タン(マモの平原)と呼ばれる場所で足を止め、そこで、全域に響き渡るような、マニ・マントラ(オーム・マニ・パドメー・フーム)の自然発生的な音を聞くというヴィジョンを見たのであった。この吉兆なるサインに従って、サムテン・プンツォクは、マモ・タンを自分の住処に選び、そこはパルゲ・ラブラン、またはパルゲ・サムテン・リンとして知られるようになった。

 数年後に、デトー・ポンモという名の偉大な風水師がマモ・タンにやって来た。彼女も、この広大なる平原の吉兆なる地形に感銘を受けて、こう書き記している。

「東には太陽と月――まるで光を供養しているよう。
 南には甘い香りの森――まるで香りを供養しているよう。
 西には雪山――まるでトルマを供養しているよう。
 北には冷たいツァ河――まるで水を供養しているよう。」

 彼女は、マモ・タンに神聖なる記念碑を建てれば、衆生に素晴らしい利益をもたらすだろうと予言した。それに従って、パルゲ・サムテン・プンツォクは、マニ壁を建設したのである。

 この壁は、十万個以上の平らな石で建てられており、それぞれの石には、「オーム・マニ・パドメー・フーム」のマントラや、他のさまざまなマントラ、あるいは聖なる詩句や聖なる絵が手で彫られているのである。この巨大なマニ石の壁は人の頭よりも高く、広さはその二倍あった。そしてやがては、その広さは一マイル(約1.6キロ)近くの長さにまで達したのであった。この壁は、すべての衆生――それを見た人、触れた人、その周りを周った人、それを心に思い続けた人、あるいはただ単にその存在を伝え聞いた人――それらすべての衆生の利益のために捧げられた。パルゲ・サムテン・プンツォクの死後、彼の遺骨を納めた白い模様のストゥーパが、パルゲ・マニ壁に沿って建てられた。

 次のパルゲ・トゥルクは、ギャという部族のラロ一族の中に見い出され、パルゲ・ウムゼとして知られるようになった。ゾクチェン・リンポチェ三世”ンゲドン・テンツィン・サンポ”によって発見された彼は、幼少期から驚くべき性質を示し、子供だというのに、「僕は、十万のマニ壁を建てた者です」と宣言したのである。パルゲ・ウムゼは大人になると、マニ壁を拡大した。

 かつて、彼がドムサの上流地域で多くの人々に教えを説いていたときに、彼の儀式用の帽子が頭から飛び、ドルマという少女の膝に落ちた。そこで彼はこう言った。

「私は来世、この少女の息子として生まれるだろう。」

 パルゲ・ウムゼは二十五歳のときに、ラサに行くことを決めた。出発の前夜、彼はギャ・カトク一家を訪ねた。彼が去った後、一家は、彼がある儀式で使うものを置いて行ったことに気づいた。一家はそれらを彼に返そうとしたが、トゥルク(パルゲ・ウムゼ)はそれを拒んで、こう言った。

「それらはもう、当分の間は必要ないでしょうから。」

 彼はラサに向けて出発し、到着後すぐに突然病に倒れ、ゴツァンの庵の近くで亡くなってしまったのだった。彼の遺体が荼毘に付された場所では、真冬だというのに、突然、花が咲き乱れたという。その地域の人々は、このカムから来た非凡な少年の遺骨を納めるために、ストゥーパを建てた。

 パルゲ・トゥルクが転生する場所については、千里眼で有名なラマ、タクルン・マトゥル・リンポチェに助言を求めた。そのラマは、トゥルク(生まれ変わり)を見い出すための明確な指示を与えた。

 「パルゲ・トゥルク」という異名は、省略してパルトゥル、あるいはパトゥルとすることができる。ゆえに、パルゲ・トゥルクはザ・パトゥル・リンポチェ(ザチュカから来たパトゥル)として、知られるようになったのだった。

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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第30話 後編」

2017-09-22 17:15:55 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第30話 後編」です。
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