ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第58話」

2017-02-28 22:06:29 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第58話」です。
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マハーシヴァラートリ

2017-02-25 22:11:04 | 松川先生のお話

 今夜は、一年で最大のシヴァ神の祝祭、マハーシヴァラートリです。

 ヨーガといっても実際にはいろいろとありますが、今、日本や世界で流行っているアーサナや呼吸法中心のヨーガの流れは、もともとシヴァ神を主神として崇めています。

 普段は意識しなくても、ヨーガをやられている方は、今夜はシヴァ神に心を向けて、祭壇に供物を捧げたり、シヴァの歌を歌ったり、あるいはシヴァのマントラ「オーム・ナマ・シヴァーヤ」を唱えたりしてみてはいかがでしょうか。





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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第七話」

2017-02-25 20:51:58 | 松川先生のお話
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・ハヌマーン 第7話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・マハーバーラタ 第15話 後編」

2017-02-24 20:16:30 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・マハーバーラタ 第15話 後編」です。
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マハームドラー

2017-02-23 22:35:05 | 松川先生のお話





それは近すぎて見えず
深すぎて理解できず
シンプルすぎて信じられず
素晴らしすぎて受け入れられない

この四つの過ちを超えて、それを悟るべし
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まどろみの中で

2017-02-23 22:13:12 | 松川先生のお話




空の教えのその先に
シュリーラムジェイラムジェイジェイラム
生と死と再生のその先に
オームナマシヴァーヤ ジェイジェイシヴァシャンボー
実体と投影のその前に
シュリーラムジェイラムジェイジェイラム

神への愛に没入し
エゴの幻影忘れ去り

すべてはあなたなので
私はすべてを受け入れて
ただあなたの教えを
生きる指針として
このリーラーを生きます

素直さと率直さ
計算のない心
マーヤーにとらわれることなく
あの聖者たちのようであれ

論理ではない論理によって
思索ではない思索をし
答えではない答えに
たどりつく寸前まで行かなければならない

時も空間もない
進むことも後退も止まることもない

しかしそのとき、風穴から
歓喜がこぼれだす
慈愛の歓喜
信愛の歓喜

春のまどろみの中で
また眠るか、目覚めるか
それもすべてお任せなり
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キーワード

2017-02-23 20:49:40 | 松川先生のお話

こうなったらどうしようとか
考える必要はない
世界はそんなふうにはできていないし
これがこうなってああなったりはしない

この幻影の世界で
キーワードは慈愛
笑顔
素直さ
誠実
そして真剣さ
師に従うこと
すべてを明け渡すこと
お任せ

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たった一つの魂でも

2017-02-23 20:31:03 | 経典の言葉・聖者の言葉




「私はこう思っているんです。――世の中から苦しみをなくすために千回も生まれかわらなくてはならないというなら、千の生を引き受けよう――と。私がこれを行なうことによって、たった一つの魂でも、その悲しみから少しでも解放されるなら、私は必ずやります。自分一人だけ解脱をとげたとしてもそれが何になりますか? 解脱した人は、その道に全ての人を導かなければ、何の意味もないのです。」


――スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
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今日、必要なのは

2017-02-23 20:07:29 | 経典の言葉・聖者の言葉




「今の時代においては、シュリー・クリシュナのこの点を特に学ぶべきである。フルートを持ったヴリンダーヴァンのクリシュナだけに注目しても、現代ではあまり実りがない。それは人間性の復興につながらない。今日、必要なのは、ギーターをライオンの雄叫びの如く説くシュリー・クリシュナ、弓矢を携えたラーマ、マハーヴィーラ(ハヌマーン)、母なる神力ーリーの威厳である。それがあれば、人々は、強大なエネルギーと意志力をもって働き、健全になるであろう。」


――スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
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即座に実行せよ

2017-02-23 18:24:54 | 経典の言葉・聖者の言葉

「前途に待ち受ける事態について、常にあれこれ思案を巡らす人は、どんな小さなことをも成し遂けることができないものなのだ。
 真実かつ善であると理解したことは、即座に実行せよ。
 将来、起こるか起こらないか分からないことを予測して、何の得があるのか?
 人生は極めて短いものなのだから、結果を予想して計算をし続けていたら、一生の間に何かを成し遂げることができるのか?
 成功を与えることができるのは、神のみである。
 すべての行為を神に預けよ。
 そのように(未来のことを)思案して、何の足しになるのだ?
 結果を顧みず、ただ働き続けたまえ。」


――スワミ・ヴィヴェーカーナンダ


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ド・キェンツェー・イエシェー・ドルジェの生涯(終)

2017-02-22 17:05:32 | 聖者の生涯


 1836年、彼はラウタンへ行き、ロンチェン・ニンティクの伝授を授けました。ラウタンはド・キェンツェーの座の一つになりました。近年、ラウタンはラウタン・トゥルク・ドチェン(1959年死去)、つまりドドゥプチェンのトゥルクの座でした。

 彼らがラウタンにとどまっているあいだ、ド・キェンツェーは自分の息子のレルティを、驚くべき家の中に入れました。多くのダーキニーたちが彼らに様々な食べ物を与え、素晴らしい宝を目の前に出しました。ド・キェンツェーはキーラをレルティに与え、それから彼らはその家から出ました。レルティが振り返るとその家は消え去っていましたが、キーラはまだ彼のもとにありました。

 1844年、キェンツェーはヤルルン・ペマコを訪れ、ジグメ・プンツォク・ジュンネーとドドゥプチェン二世に、ロンチェン・ニンティクの伝授を授けました。その後、彼は彼自身のテルの教えを公開しました。それらにはヤンサン・カド・トゥクティクとチョ・ツィンパ・ラントルが含まれています。

 1847年、ラウタンで、彼はユタンのティメー・タクパを、彼の死んだ息子のシェーラプ・メパル、つまりドドゥプチェンのトゥルクとして認定しました。ティメー・タクパは、子供の頃から肉を食べることを拒否し、後年、ド・リンポチェとして有名になりました。

 1856/57年、彼がゴロクのユツェ山脈を訪れているとき、パトゥル・リンポチェがユムカ・デチェン・ギェルモのイニシエーションを受けにやって来ました。それから、ドドゥプチェン二世とともに、彼ら三人はサン(お香を焚くこと)の供養を行いました。

 多くの証拠にもかかわらず、なかにはド・キェンツェーの悟りの力を疑う者もいました。彼の叔父はド・キェンツェーの修行法を全く信じていませんでした。ある日、ド・キェンツェーがマーモットを銃で撃った際、彼の叔父は彼を叱ってこう言いました。

「なぜトゥルクが罪人と同じように殺生ができるんだ?」

 その後、ド・キェンツェーがその死体をむちで打つと、マーモットは走り去りました。それを見て、彼の叔父はこう言いました。

「今やお前は魔術も身に付けたのか!」


 ユツェ山脈において、ド・キェンツェーは日中はゲームを楽しみ、夜は瞑想を楽しみました。彼は数多くの人や無数の人以外の生命を、ダルマの平安な道に導きました。ギェロンのサマンの王の招きで、王とその臣下たちに教えを与えました。そしてついにギェロンの十八の公国の指導者となりました。

 1858年、トキャプのカウコン・センゲ・ヨンゾンにて自伝を書き始め、1860年にはそれを書き終えるいっぽうで、ゾクチェンの教えをトキャプの国王と他の者たちに与えました。そして彼らはみな高い悟りを経験し、驚くべきしるしを目にしました。

 彼はカウコンにとどまっているとき、東の羊の年(1860年)の最初の月の8日目の早朝、ミラレーパの姿をしたドドゥプチェンを目にし、次のような詩を聞きました。

  マディヤマカ、マハームドラー、ならびにゾクチェンは、
  土台、道、ならびに結果の本性である。

  精緻なる四つの極端からの解放が、
  外的で粗雑なマディヤマカと呼ばれる。

  鋭い智慧を伴い、誤りから解放された〔見解〕、
  つまり、仏性という精髄の精神を伴った叡智が、
  微細で内的なマディヤマカである。

  悟りを進める巧みな手段を使ってその見解を持ち、
  そして四つのヨーガの修行を通じて、
  最終的に瞑想のない状態を完成させることが
  マハームドラーの道に沿って進む方法であり、
  心に関する理解から解放された空性と明晰さの意味〔またはその結合〕である。

  自然なゾクチェンにおいて、
  生来的な覚醒を直接的に悟ることは
  理解することと理解する者の一切の結び目を解く。
  それから、〔光の〕イメージと輪を認識することによって、
  生来的な覚醒の顕現的な力がサンボーガカーヤとして完成されるだろう。
  輝かしい四つのヴィジョンが完成されるなら、
  現象は究極の本性という偉大なる広がりに溶解し、
  ‘壺の中の若々しい身体’という究極の領域への解放が達成されるだろう。

 その後、熱を帯びた光が師から放たれ、ド・キェンツーェの頭から入って来て全身を満たし、彼の最も微細な汚れさえをも浄化し、偉大なる至福の叡智で彼を満たしました。
 
 1866年、彼はタルツェドに戻り、いたるところで、町の通りにおいてでさえ、人びとに教えを与えました。そして第2の月の20日、彼はダルマカーヤの座法で座り、自分の肉体的な変化身を究極の本性に溶け込ませました。すぐさま様々な音が鳴り響き、地震が起き、縞模様、円形、ならびに柱型の虹の光が数日間にわたって空を覆いました。荼毘にふされた場所で、彼の弟子たちはその灰の中に数多くの舎利(真珠や水晶のようなビーズ型のもの)を見つけました。その中の一つは、五色で卵大をしていました。

 
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第57話」

2017-02-21 21:03:11 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第57話」です。
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バクティの精髄(14)

2017-02-20 22:25:07 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎ヴァンダナ


 ヴァンダナとは、祈りと平伏である。

・神のお姿の前で、帰依と敬意をもって、身体の八つの部分を地につけて謙虚に礼拝すること(サシュターンガ・ナマスカーラ)

・または、この世のすべてはただお一人の神のお姿であるということを知り、すべての存在に対して平伏すること

・そして、至高者の愛の中に自己を没入させること

 これらは、神への平伏と呼ばれる。

 バーガヴァタには、こう説かれている。

「自分の身体と言葉、心、感覚器官、思考、理性、本性、それらで何をなそうとも、人はすべてを至高者へ捧げるべきなのです。
 主に背を向けて生きる者は、主のマーヤーで本来の自分を忘却させられてしまい、肉体が自分であるという概念の餌食となって、非常な恐怖を味わう羽目になるでしょう。それゆえ、識別智をそなえた賢者ならば、自分の師は主そのものであり、真我と同じであると理解して、大いなる信仰心をもって主をあがめるべきなのです。
 相対性などは本来存在せぬものの、その中に浸りきった者の心では、それは夢のように、絶えず姿を現してくるでしょう。それゆえ賢者ならば、そのような観念や疑いを生じさせる自分の心を、十分に支配すべきなのです。そのようにすることで、人は恐れなき境地を手にできるのです。
 それゆえこの世に生きる者たちは、手に円盤を持たれる主(シュリー・ハリ)の、吉祥な化身と遊戯の物語を絶えず耳にして、主の降誕と偉業をあらわす御名を、たとえ人からバカにされても、絶えず唱えて、無執着の心で生きて行くべきなのです。
 そのようにして生きて行く者は、主への愛を深めて行き、心はバクティの中に融けいるや、何かにとりつかれたように、ときには笑ったり、泣いたり、叫んだり、そして歌って、踊り、この世の因習を捨てて、ついには物質的な世界を超えてしまうのです。
 そのような信者は、深い信仰心を抱いて、空、風、火、水、土、星、動物、木々、川、海、それらすべての被造物を、主のお体と考え、低く頭を下げるでしょう。
 人は主に自分をゆだねることで、バクティと、最高者の悟りを、速やかに得ることができるのです。
 ああ、王よ、絶えず至高者の御足をあがめて生きる者は、主へのバクティ、この世の楽しみへの嫌悪、神の直接的叡智、それらを同時に得ることができ、ついには最高の平安(シャーンティ)に至ることができるのです。」


 また、同じくバーガヴァタで、クリシュナはウッダヴァにこう語っている。

「わたしは今から、わたしを喜ばせることにつながる、最も吉祥なダルマの道を、あなたに教えるだろう。バクティの思いでこの道を歩むなら、その者は越えがたき輪廻をも越えていけるのだ。
 あなたは理性と心をわたしに委ねて、わたしを満足させる行為に喜びを見いだし、わたしのことをたえず想って、すべての義務的行為を、わたしのためだけに行なうようにするのだ。
 そしてわたしに帰依した聖者が住む地を訪ねて、神々や魔族、人間の中の、わたしの信者の行ないを見習うがよいだろう。
 また神聖な日や、人々の集い、わたしを祭る祭典において、個人で、または集団で、王のように莫大な財産を用いて、わたしの栄光を讃え、歌や踊りでそれを祝うようにするのだ。
 さらに自分の心を浄化して、すべての被造物の中に、さらに自分の内と外にも、最高の真我であるわたしが、虚空のように浸透しているのを見るがよいだろう。
 こうして純粋なジュニャーナに自己を確立して、全被造物をわたしの顕われと見なして、彼らを崇め、ブラーフマナと低き生まれの者、ブラーフマナへの献身者と盗賊、太陽と火花、慈悲深き者と冷酷な者、彼らを等しく眺めたなら、ああ、悟れる魂よ、彼こそが賢者と呼ばれるに相応しいのである。
 全ての人の中にわたしが臨在すると、たえずそのように見なす者の心からは、競争心や妬み、あざけり、自負心などは、すべて遠からず消えていくであろう。
 家族や友に嘲笑されても気にせず、肉体ゆえに生じた思い(自分は誰それであるなど)を捨て去り、羞恥心を放棄して、丸太のように大地に身を投げ出し、犬やパリヤ、牛、ロバに至るすべての生き物に、低く自分の頭を下げるのだ。
 あらゆる被造物は、主であるわたし自身の顕現だと、そのような思いが心に根を下ろすまでは、人は自らの言葉と心、身体を用いて、以上のようにわたしを礼拝すべきなのだ。
 真我がすべてに遍満すると理解できたなら、やがて彼の眼には、すべてがブラフマンだと映るだろう。そして今までの疑問はすべて氷解して、すべての(利己的)活動は停止するに至るだろう。
 自らの心と言葉、行為を用いて、すべての被造物をわたしの顕われと見なすこと、これこそがわたしへと通じる教えの中で、最高のものであると、わたしはそのように宣言するのである。
 ああ、ウッダヴァよ、わたしによって説かれたこの正道を、ひとたび歩み始めたなら、失うものは何一つ存在していないのだ。なぜなら、そこに報いを求める思いはなく、グナにも影響を受けぬ道ゆえに、わたしによって完全な道と宣言されるからだ。
 実りなきこの世的思いと活動も、それが報いを求めずに、主であるわたしに捧げられたなら、ああ、敬虔なるウッダヴァよ、それはダルマの基準にまで高められるであろう。
 ここにこそ、人がこの世で死すべき肉体を通して、唯一の実在であり、不死であるわたしのもとへと至り得る、智慧ある者の智慧が存在しており、賢き者の賢さが存在するといえるのだ。」 

 アルジュナはクリシュナに対して、最も美しい形で礼拝を捧げた。

「あなた様を前からも後ろからも礼拝し、横からも斜めからも、あらゆる方向から礼拝いたします。
 なぜなら、あなた様は無限の力と働きを持ち、どこにもおられ、あらゆるものになっておられますから。」


 信仰の目的は、他を入れる余地のない愛を通じて神を悟ることである。
 マハーバーラタにはこう説かれている。

「至高者ヴァースデーヴァよりも吉兆なるものは存在しない。ヴァースデーヴァよりも心を清めてくれるものは存在しない。ヴァースデーヴァよりもさらに礼拝するに相応しきデーヴァは存在しない。ヴァースデーヴァに平伏する者は、苦しむことはない。」

 ビーシュマはこう言っている。

「シュリー・クリシュナにたった一度平伏するだけでも、その功徳は十回のアシュワメーダ(馬供養祭)のそれと等しい。アシュワメーダは解脱をもたらすことはないが、神への平伏は、人を神そのものにしてしまう。」


 アクルーラはこの種のバクティ、つまりヴァンダナ・バクティを実践した。
 彼の物語は、シュリーマド・バーガヴァタに説かれている。
 バーガヴァタにはこう説かれている。

「敬虔な愛に圧倒されて、アクルーラはすぐに馬車から飛び降り、バララーマとシュリー・クリシュナの御足に棒のように平伏した。」

 マハーバーラタには、長老の戦士ビーシュマが深い感情で声をつまらせ、主に礼拝を捧げると、シュリー・クリシュナがすぐさま、神の叡智の光を彼に与えた、ということが説かれている。

「このように祈りを捧げると、心が完全に神に没頭したビーシュマは『クリシュナに礼拝し奉ります』と言って、クリシュナに平伏した。ビーシュマの信仰の深さを知ったシュリー・ハリ、マーダヴァは、ヨーガの力を使って、三界を照らす神の叡智の光を授けた。」


 エゴや自我意識は、神への心からの祈りと平伏によって、完全に消し去られる。そして神の恩寵が献身者に与えられ、彼は神となるのである。
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今日のAMRITAチャンネル「キールタン・イメージビデオ」

2017-02-20 21:10:32 | 今日のAMRITAチャンネル

今日のAmritaチャンネルは、「キールタン・イメージビデオ」です。



曲目

1.月光
2.OM NAMAH SHIVAYA
3.KAILAS KI SHAKTI SHIVA
4.Bolo Bolo SAB MIL BOLO OM NAMAH SHIVAYA
5.KASHI VISHWANATHA GANGE
6.JAY JAY SHIVA SHAMBO
7.アヴァターラ AVATARA
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナより特別編集『シャバリの物語』」

2017-02-18 20:44:41 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナより特別編集『シャバリの物語』」です。

 今日は、ラーマーヤナに出てくる聖女シャバリのお誕生日です。

 シャバリは身分の低い生まれで、学問も全く知らない無知な女性でした。
 しかし純粋なバクティの心に満ちており、聖者方への奉仕に日々を捧げていました。
 あるとき、シャバリが献身を捧げていた聖者方がこの世を去り、聖なる世界へ行くことになりました。シャバリは自分も連れて行ってほしいと懇願しますが、彼女のグルは、ここにラーマ様とラクシュマナ様がやってくるから、お前はそれをお迎えし、奉仕するようにと告げました。
 このグルの命を受け、シャバリは、いつ来るかわからないラーマ様とラクシュマナ様を、毎日待ち続けました。
 グルは、この二人がいつやって来るかは言わなかったので、シャバリは毎日毎日、今日来てもいいように、最高の準備をし続けました。毎日新鮮な花を摘んで道にまき、毎日新鮮な果実を摘み、おいしいものだけを選んで、二人のために準備しました。
 そのような日々が何年も何十年も過ぎました。グルに命を受けたとき、シャバリはまだ若い少女だったようですが、今やシャバリは老婆になっていました。
 ある者たちは、グルの言葉を信じてひたすらラーマを待ち続けるシャバリを馬鹿にしましたが、シャバリは誰に何を言われてもグルの言葉への信を揺らがせることなく、毎日毎日新鮮な心で最高の準備をし続けました。
 そしてついにその日がやってきたのです・・・・・・!

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