ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ ディワリ、ゴーヴァルダナ・プージャー特集」

2016-10-31 23:18:55 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。


ディワリ、ゴーヴァルダナ・プージャー特集

曲目

1.Sundara Chalisa
2.HE RAMA RAMA RAMA
3.アヴァターラ
4.無限の恩寵
5.I PHONED GOVINDA
6.我が主
7.すべてを魅了するクリシュナよ
8.忘れないで
9.神のしもべに
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ ディワリ特別編集版」

2016-10-31 00:38:40 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ ディワリ特別編集版」です。
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ディワリ、カーリープージャー、ラクシュミープージャー

2016-10-30 17:32:02 | 松川先生のお話


 今日はディワリ。ディーパワーリーともいい、ディーパ(灯火、光)の祭典という意味です。

 ラーマーヤナにおいてラーマがアヨーディヤーに帰還するときに、民衆が多くの灯火をつけて出迎えたのが由来とされています。

 またこれは、長い間ラーマという光を失っていたアヨーディヤーにラーマが戻ることで、人々の中に、失われていた神の光が再び灯るということも暗示されます。

 この期間、インドにおいては多くの寺院や家庭で実際に灯火を燃やし、また家の電気をつけっぱなしにするので、衛生写真で見るとインド中が輝いて見えるといいます。

 そしてこの日を境にインドでは正月となるようです。

 また今日は同時に、カーリー女神とラクシュミー女神に供養を捧げるプージャーの日でもあります。

 カーリーは激しい一撃によって我々のカルマを浄化し、エゴを破壊してくれます。

 ラクシュミーは美と調和と愛によって我々に真の幸福を与えてくれます。

 この三重の祝福の日に、皆様のカルマが浄化され、祝福を受け、聖なるリスタートの日となりますように。


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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第七話」

2016-10-29 16:37:08 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第7話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読『バガヴァッド・ギーター 第五章、第十八章』」

2016-10-26 21:09:18 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読『バガヴァッド・ギーター 第5章、第18章』」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第40話」

2016-10-25 18:31:44 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第40話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2016-10-24 20:24:35 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.KALI DURGE NAMO NAMAH【New!】
2.月光
3.ホーリーマザー
4.Sundara Chalisa
5.ジェイジェイマードゥルガー
6.Rama-Christians
7.無限の恩寵
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アヴァターラ

2016-10-22 22:16:51 | 経典の言葉・聖者の言葉

1919年2月18日(火) PM4:30

 私はPM4:30にMのところに到着した。
 Mはカタームリタのことについて話しておられた。

「師は、なんと素晴らしいものを生み出したのだろう!
 このようなものは、他のアヴァターラにはない。
 カタームリタは、正確に再現されたフォトグラフのようだ。
 それには場所、時、太陰日、さらにガンガーの潮の満ち引きも描写されている。
 ドッキネッショルを訪ねた後にこれを読んだら、深い瞑想を経験するだろう。

 われわれには、聖なるものとの交わりが必要だ。
 私は、師が行かれた場所や、聖なるものと交われる場所に行きたい。
 しかし私は老いているし、歩くのはたいそう辛い。
 どうすればよいというのかね?
 だからときどき私は、法友である出家修行者を瞑想する。
 サードゥを訪ねた後は、彼らを瞑想すべきだ。
 サードゥの王であるアヴァターラを瞑想することは素晴らしい。
 パラマハンサデーヴァ(ラーマクリシュナ)はアヴァターラであられた。
 人は、アヴァターラを瞑想することなくして神に達することはできない。」


 それからMはスワミ・ヴィヴェーカーナンダの「バクティヨーガ」から引用した。

「われわれは神の人間的顕現を通してでなくては、神を知覚することはできない。」

 彼は続けた。

「ある者は、神は無形だという。
 どうやって無形の神のことを思えるというのか?
 無形の神を思っている間、人は、大きな王座に足をぶらぶらさせながら座っておられる存在をイメージする。
 われわれは限定されているのだよ。どうやって無限の『あれ』を知覚できようか?
 1オンスのカップの中にどうやって6オンスの水を入れるというのだね?
 神は無限であるにもかかわらず、アヴァターラとしてのフォームを取ると、限定されたものとなる。
 彼は、信者が彼を瞑想できるように、そうなさるのだよ。

 師は、ある信者たちにこう言っておられた。

『他の神々を思う必要はない。ただ私を思いなさい。』

 師がコシポルで病にかかっておられたとき、ある夜の午前一時に、スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)は、師のところに灰を塗りに来られた。
 彼は師にこうおっしゃった。

『歌をお聞きになられますか?』

 彼は美しい声で、師が人間のフォームをとった神ご自身であると主張する賛美を歌った。
 スワミジのような人が師を神の化身であると受け入れるならば、われわれはこれを認める他に選択肢はないだろう。
 師は愛され、教えを与えるに相応しい器であるとお考えになった者に対しては、真の本性を明かされたのだよ。
 彼はスワミジにこうおっしゃった。

『私はアヴァターラだ。
 お前は私を瞑想するだけで十分だよ。』」




(「Mとラーメーシュ・チャンドラ・サルカール」より)







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しもべのしもべ

2016-10-22 21:07:31 | 経典の言葉・聖者の言葉


 ある紳士がMにこう尋ねた。

「あなたはパラマハンサデーヴァ(ラーマクリシュナ)を訪ねたことがあるのですか?
 あなたは彼の弟子であられたのですか?」

M「私は『私は弟子である』とは言い難いのです。
 私は彼のしもべのしもべであります。
 私の主は、宇宙の主であられる。
 彼が、たった一人の者のためにここに来られたと思いますか?
 彼は、全人類のために降りておられてたのです。
 われわれは皆、彼の子供なのです。
 彼はアヴァターラなのです。」



(「Mとラーメーシュ・チャンドラ・サルカール」より)

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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第六話」

2016-10-22 20:15:02 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第6話」です。
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「母なる神」第四回(5)

2016-10-22 19:34:13 | 勉強会より抜粋


 はい、だからちょっともう一回見ていきますよ――「「真理」を求めているのに、自分の内の何かが、偽りと無智と神的ならざるものを選んでしまったり、自分の内の何かが、それらを拒絶しようとしないのであれば、神の聖なる恩寵は、あなたから遠のいていってしまうだろう。」――はい、これはだから分かりますね。荒っぽい、大雑把な修行者が陥るこれは罠みたいなもんだね。つまり、最初の熱意は良かった。「神よ!」とか、あるいは「解脱したい!」とか、「菩薩になりたい!」っていう熱意は良かったんだけど、なぜかカルマに翻弄され、あるいは自分の悪い心に翻弄され、どんどんどんどん堕落していく。もしくは堕落しないまでも、全然進まないと。で、これは何度も言うけども(笑)、「しょうがない」じゃないんだね。「わたしそういうカルマだからしょうがないんです」じゃないんです。何度も言ってるけども、いろいろあるわけです、自分の中に(笑)。ね。そのいろいろあるうちの、いろんなその細かい動きをほっといてるから、あるいは分析しないで曖昧にしてとらえれてるから、それに翻弄されてそのままになってるだけであって、
 で、それをそのままにしてたら、まさにここに書いてあるように、「神の聖なる恩寵は、あなたから遠のいていってしまうだろう。」と。せっかく皆さんが神の道と縁があったとしても、その恩寵を受ける縁っていうのはどんどん遠のいていってしまいますと。だからそうじゃなくて、念正智をしなきゃいけない。しっかりと自分の心を見つめ、自分の中にどういう反真理的な要素があるのかを分析し、突き止め、で、それが出ないように、あるいはそれを改革するように、そして消していくように、捨てていくように、日々努力しなきゃいけないし、で、日々気付かぬうちにそれがあらわれて、自分を神から遠ざけないように念正智をしなきゃいけないっていうことですね。
 で、その念正智をするための武器として、こっち側の武器として、日々教学を始めとした自分の中の習性のチェンジっていうかな。良い習性作りに励まなきゃいけないっていうことだね。
 はい。で、それをして初めて神の聖なる力が降り、自らの変容を遂げることも可能になるということですね。
 はい。まとめると、一言でいうと念正智と。ね。ここはね。念正智しましょうと。

 はい、じゃあここまでで何か質問その他ある人いますか? 特にないかな? 
 はい、じゃあね、またこの部分をちょっと瞑想してみましょう。少しだけ。今言った話を考えてもいいし、ちょっとこれをまた自分で繰り返し読んでも構わないので、この今の一節に関して少しだけ自分の中で瞑想してください。

(瞑想中)

 はい。じゃあもう少しだけいきましょうね。
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ジグメ・リンパの生涯(終)

2016-10-22 17:28:29 | 聖者の生涯


 70歳のとき、彼は途中の数多くの聖地に立ち寄り、儀式を行い、供養を行い、教えを与えながら、ディクンからツェリン・ジョンに戻りました。彼の体調は良いように見えましたが、食事や睡眠をほとんど気に掛けなくなりました。昼夜、彼はヴァイローチャナの座法、または聖者の座法のどちらかで座り続けました。彼の目は、まばたきさえしませんでした。彼は自らの生命エネルギーをコントロールすることによって、生き続けていたと述べています。
 彼は繰り返し、自分は遠からず死ぬということをほのめかしました。しかし、弟子たちが悲しみに圧倒されたなら、話題を変えたり、ときには「おお、私の命に危険はないのだよ」とさえ言いました。
 彼は近しい弟子には個人的に、「自分は間もなく死んで転生するが、新しい転生者を探す必要はない」と伝えました。
 彼らは通常より簡素な葬儀を行なうつもりでしたが、彼はそのやり方を説明することによって、自分の身体を保存するようほのめかしました。
 彼の弟子が、医者に診てもらうよう懇願すると、彼はこう言いました。
「ああ! もしあなたが望むならそうしてもいいが、しかし、私には悪いところはないのだよ。それなら医者は何をしたらいいんだい? とにかく、遠くから呼んだりしてはいけない。それはただ人と動物につらい思いをさせるだけだからね。」

 その後も彼は人々に会い、求められれれば祝福や教えを与え続けました。数日間、彼の住居の周りには花の雨が降り、何度も軽い地震が起こりました。
 ある日、彼は、新しい上方の隠遁所のあるナムトル・ツェに移り、その場所で過ごせることに大いなる喜びを露わにました。彼は何人かの訪問者をもてなし、教えを与えました。

 まさにその翌日、地の馬の年(1798年)の9番目の月13日目、彼は、ホワイトターラーの瞑想に関する教えを与えました。早朝から、強い甘い香りが隠遁所全体に充満していました。空は晴れ渡り、風は全くありませんでしたが、優しい雨が青空から止むことなく降り続きました。すべての者が驚き、また心配しました。それから、夜の早い時間に、彼は祭壇に新しい供物を供えるよう言いました。彼が聖者の座法で座ると、彼の顕現の一切の表現は、原初的な本性に溶け込みました。

 彼の弟子たちは、2つの別の場所に隠された、2つの別の遺書を見つけました。それらには、彼の弟子に対する瞑想の教えと、彼の葬式と転生に関する指示が書かれていました。その内容の一部は、以下のようなものでした。

「私は常に、究極的な本性の状態にいます。
 私にとって、とどまることも、行くこともないのです。
 生と死という表示は、単なる相対性に過ぎないのです。
 私は、大いなる原初的な解放の中で導かれています。」

 ツェリン・ジョン、中央と西チベット、ブータンの多くの僧院と寺院で儀式が行われた数ヶ月後、彼の遺体はツェリン・ジョンの隠遁所の小さな黄金のストゥーパに安置され、そしてそれはツェリン・ジョンの修道院が破壊されるまで、そこに保存されていました。

 彼の死後、よく知られている転生は、以下のものです。
 ド・キェンツェ・イェシェ・ドルジェ(1800-1866)は、彼の身体の転生者として、パトゥル・リンポチェ(1808-1887)は、彼の言葉の転生者として、そして、ジャミャン・キェンツェ・ワンポは(1820-1892)は、彼の心の転生者として知られています。

 ジグメ・リンパは9冊の作品を記し、いくつものテルマを発見しました。それらの中で有名なものは、2(または3)巻からなる瞑想指導と儀式に関する経典を集めたロンチェン・ニンティクで、それはテルマの教えとして発見されました。ヴァジュラキーラの礼拝に関する経典プルパ・ギュルクは、テルマとカマの両方に基づいたものだと考えられています。2巻からなる解説書ヨンテン・リンポチェ・ゾは、彼の最も有名な学術的な著作で、それはゾクチェに関する最も総合的な手引書になりました。

 ロンチェン・ニンティクは、重要なテルマの伝統としてあり続け、彼の学術的な著作とともに、ジグメ・リンパの系統は、現在までニンマ派における最も有名な派の一つとなりました。ロンチェン・ニンティクの系統において、弟子と孫弟子たちは皆、同等に素晴らしい成就者たちであり、ジグメ・リンパ自身がこう予言しています。

「輝ける透明性という私のニンティクの系統には、父より優れた子供たち(弟子たち)と、祖父より優れた孫たちが現れるでしょう。」

 彼の多くの優れた弟子たちの中で、その主だった者たちは、ネチャン・トゥッキィ・ドムプにおいて、グル・リンポチェによってこう予言されています。

「ナムカイ・ニンポ、ニャン、チョク・ヤン、ならびに神聖なる王子の転生者たちによって、教えの扉は開かれるだろう。」


 弟子たちに関して述べると、タティ・ンガクチャン・リクぺ・ドルジェ(またはコンニョン・ベペ・ナルジョル)は、ナムカイ・ニンポの転生者であり、ブータンのロポン・ジグメ・クントルは、ニャン・テンジン・サンポの転生者であり、テクチェン・リンパ・ドトン・タルチェン(ティ・メド・グリンパ、1700-1776)は、ンゲンラム・ギャルワ・チューヤムの転生者であり、そしてドドゥプチェン・ジグメ・ティンレ・オーセルはムルム・ツェポ王子の転生者です。テクチェン・リンパ、タンドクパ、ならびにタティ・ンガクチャンは、ジグメ・リンパの教師かつ弟子でした。

 弟子たちの中で、ロンチェン・ニンティクを広める最も大きな働きをした成就者は、次の者たちでした。
 ドドゥプチェン1世、つまりジグメ・ティンレ・オーセル(1745-1821)は、ロンチェン・ニンティクの主要な教義保持者であり、3つの僧院を建てました。
 ドドン・クンキャプ・リンは、ド谷のシュクチェン・タゴに、オグミン・リクジン・ペルギェ・リンは、ツァチュカ谷のゲツェ・トとセル谷のヤルルン・ペマコに僧院を建てました。
 カム・ツァチュカのジグメ・ギャルウェ・ニュクは、長年にわたってタマルンの隠遁所にとどまり、後にツァギャの僧院的な隠遁所に移りました。
 ブータンのジグメ・クントルは、西ブータンのドゥンサン・ヨンラ・テンギェ・リオ・パルバル・リン僧院を建てました。今日、それは西ブータンのペマ・ガツァル地方のヨンラ・ゴンとして知られています。

 彼の主要な後援者の中で、デパ・プシュはツェリン・ジョンにある彼の僧院設立を支援をし、デゲの国王と特に女王ツェワン・ラモ――彼女は、ティソン・デツェン王の女王ポキョンサ・ギャルモツンの転生者として予言されています――は、古いタントラの木版印刷の原版、ロンチェン・ラプジャムの多くの経典、ならびにジグメ・リンパの9冊の作品の作製を命じました。
 また、チベットの摂政タツァク・テンぺ・ゴンポ(1810死去)とカルマパ・ドゥルドゥル・ドルジェ13世(1733-1797)は、大きな尊敬の念を持って、文書のやりとりを通じて彼に助言を求めました。

 チベット社会で名の知れた者たちが、弟子としてジグメ・リンパのもとに集まったにもかかわらず、彼は真の系統保持者たちを探すことだけに関心を示しました。そして彼らの多くは、目立たない経歴の持ち主でした。過去の成就者たちを引き合いに出しつつ、彼は自分の見解をこう述べています。

「1000人の有名な者を弟子として持つよりも、系統を保持できる一人の乞食を弟子として持つ方がよいのです。」


 ジグメ・リンパの生涯は奇跡に満ちていましたが、彼はその神秘的な力を隠し、彼の豊かな生涯をシンプルものに保ちました。
 彼は生まれながらの学者であり、伝統的な規律に則った修行はしませんでしたが、彼の一切の言葉は教えに変わり、彼の一切の行いは他者のためにありました。
 彼はツェリン・ジョンの人里離れた場所で、修行者として隠れて過ごしましたが、彼の智慧の光は、ニンマ派の仏教世界の隅々まで到り、それはいまだに世界中の多くの開いたハートを照らしています。
 彼は身体に吉兆なサイン、つまり、歯にはアー字、親指にはHYA字、心臓にはヴァジュラの図形、そしてヘソには儀式用のベルの形を持って、誕生しました。
 彼はブッダたち、神々、ならびに系統の成就者たちのヴィジョンを目にし、彼らの手から教えや祝福を受け取りました。
 彼の歯や髪の毛からは、高度なゾクチェンを成就した証として舎利が出てきました。
 彼が我々に残した最も重要なものは、ダルマカーヤの言葉、つまり彼が書物の形で残した究極の真理や、発見したテルマの教えです。
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「母なる神」第四回(4)

2016-10-21 19:26:04 | 勉強会より抜粋

 はい。で、もう一つは今度は逆に、「自分の内の何かが、それらを拒絶しようとしないのであれば」ってあるね。つまり今度は逆に、自分の中に反真理に向かおうとする流れがあったとしても、別の自分の要素がそれをちゃんとシャットアウトしてくれればいいわけですね。つまりいつも言うように、自分の中に真理の側の武器をいっぱい作るってことです。それは日々教えを学んだその教えの情報であったり、あるいは――もういろいろある、これは。熱意であったり、あるいは信仰や帰依の心であったり、あるいは責任感であったり、いろいろありますよね。あるいは菩薩としての慈悲――つまり、「おれがやらなければ、みんなは救われないんだ」っていう菩提心とかね。もういろんな要素がありますよね。で、いろんな要素を学んで、それを修習して、で、自分の武器として置いておかなきゃいけない。
 で、それによって――まあだから、これはまさに念正智の話なんだけどね。まさにこの多くの――今言った、例えば熱意であるとか、菩提心であるとか、菩薩としての責任感であるとか、あるいは帰依から生じる「わたしは主のしもべなんだから、がんばんなきゃいけないんだ」っていう気持ちであるとか、こういったいろんな武器を置いといて、で、それらによって自分の心を念正智――つまり観察するわけですね。つまり、「さあ、悪しき心の波が出てこないかな?」と。「一瞬でもそれを見逃さないぞ!」っていう気持ちでこう観察するわけだね。で、一瞬でもそれが出てきたら、それを駆逐すると。このようなことをしなきゃいけない。つまり、ここで言ってるのは、まさに念正智の教えです。
 つまりね、この『母なる神』の全体、あるいはバクティヨーガとかの教えって――いつも言うけどさ、まあカイラスで教えてる教えっていろんな教えがあるわけだけど――まあクンダリニーヨーガとかそういうエネルギー的なのは除いて、精神的なので言うとね、一つはまあ『入菩提行論』とか『心の訓練』に代表されるような念正智的な教えがありますよね。で、もう一つは、この『母なる神』に代表されるような、バクティ的な教えがある。ただ、このバクティ的な教えっていうのは、真髄をついてるんだけど、でもちょっとこうなんか大雑把に見えますよね。うん。「とにかくおまかせ!」みたいな感じがあるよね(笑)。うん。でもこの『母なる神』を見ても分かるように、『母なる神』って大体が、その真髄的なおまかせの心意気っていうか、志をガーッて説いてるんだけど、でもこの一節は完全に念正智の教えですね。つまり実際に、大雑把な意味で、「さあ、おまかせするぞ!」と、「さあ、わたしのすべてを神に捧げます!」っていうだけじゃ、実は駄目なんです。つまりここに書いてあるような、念正智がしっかりできていないといけない。
 つまり、ちょっと読んでみると、「まずは自分の内に潜む欺瞞的な点や曖昧な点を突き止めて、それらを絶え間なく退け続けることだ」――ね。「自分の内に潜む欺瞞的な点や曖昧な点を突き止めて、それらを絶え間なく退け続ける」――念正智ね。で、それは、もう一回言うけども、さっき言った、まあ順番としては、まず自分の中に、そのような教学や、あるいは日々の思索や、あるいは帰依の修行や、菩提心について考える等によって、自分の中にその武器を増やす。まあここでいう武器っていうのは、一つはもちろん教え等の情報ね。一つは習性っていうか。うん。で、もう一つは、心の行動原理っていうかね。つまり、「なぜ修行してるのか?」とか。あるいは、「なぜわたしは悟りたいのか?」「そもそもわたしは何したいのか?」――ね。こういうことをしっかり日々考え、そしてそれをちゃんと確固たるものとして持たなきゃいけないんだね。で、それが大いなる武器になる。
 それはさっき言ったように何パターンかあっていいよ。で、そのすべてのパターン持っててもいいよ。例えばもういくつかあげると、まあそもそも心の内から生じる論理的ではない衝動として、「とにかく悟りたい!」とかあるかもしれない。まあそれはそれでいい。それから、菩提心っていう意味でいったら、「自分と縁のある者を救うには、自分がけがれにまみれてちゃ駄目なんだ!」と。「だから早くわたしは自分を浄化して悟りたいんだ!」っていう思いかもしれない。あるいはそうじゃなくて、「わたしは神にすべてを捧げたい」と。「主に捧げたい!」と。「その純粋な道具となりたい!」と。「そのためには早くこのけがれを浄化しなきゃいけないんだ」っていう思いかもしれない。あるいはその他でもいい。そういった自分の中の確固たる決意、熱意。で、その――もう一回言うよ、そのフィーリングだけじゃなくて、その理由っていうかな。「こうだからわたしはこうしなきゃいけないんだ」――もちろん理由なき理由でもいいよ。理由なき理由の場合は、その思いにただ心を合わせればいい。「言葉にはできないけども、わたしの中にはこういうのがあるんだ」と。
 で、それを徹底的に――いつも言うように、灯火として育て大きくして、で、それによって、それと反するものを念正智して退け続けると。だからこれは、曖昧な、「さあ、神よ!」ではなくて、非常に細かい、地道な、二十四時間を使った、一瞬一瞬、心を自分の理想から離さない、監視し続ける作業になるんですね。だからまさに念正智の世界です。
 だからいつも言ってるように、大まかな流れとしてはバクティヨーガをしっかり学ばなきゃいけないんだけど、より細かな現実的な作業としては、やっぱり『入菩提行論』に代表される、念正智の世界をしっかり学ばなきゃいけないんだね。
 まあだから、基本的には教学があります。だからわたしは皆さんにも、加行においても、今回の合宿とかにおいてもね、教学をすごく重視させるわけですけども、やっぱり教学っていうのは、ちゃんと入ってないといけない。これね、本当にね、わたしから皆さんに対する大きなアドバイスです。わたしから皆さんに対するっていうのは、当然わたしは皆さんよりも長く修行してるわけだけども――で、いろんな経験をしてきたわけだけど、その中でやっぱり教学が大事なんだと。うん。
 教学の情報っていうのは――あのね、教学の情報っていうのは、もちろん皆さんが認識しようがしまいが、入ってますからね。これは何だってそうだよ。いつも言ってるけど、われわれが見聞きしたものは全部入ってます、われわれの内側に。で、その入ってる、無意識のうちに入ってる教学の情報が、皆さんを救うときが多々あるんだね。それは皆さんが深い瞑想に入ったときとかもそうだし、あるいはカルマによって、悪いカルマに翻弄されそうになったときもそうだし。そういうときにこの教学の情報がまず一番の土台となって、皆さんを救う種となるっていうかな。
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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読『アシュターヴァクラ・ギーター 第10章~第17章』」

2016-10-19 21:04:01 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読『アシュターヴァクラ・ギーター 第10章~第17章』」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第39話」

2016-10-18 21:01:11 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第39話」です。
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