ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

11/3 沖縄ヨーガ講習会

2016-09-30 22:27:49 | お知らせ

 きたる11月3日(木・祝)、13時30分より、沖縄・那覇市にてヨーガ講習会を開催いたします。


 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆日時:11月3日(木・祝)13:30~16:30

☆場所:沖縄県立武道館・一階 第一錬成道場

ゆいレール 壷川駅より徒歩3分 奥武山公園駅より徒歩5分
路線バス 軍桟橋前バス停より徒歩5分
http://www.ounoyama.jp/access/
※施設の駐車場は限りがあり、混み合いますので、できるだけ電車・バス等を利用してくださいとのことです。



☆参加費:3000円


☆内容:クンダリニーヨーガ、ハタヨーガ、ラージャヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:5名~30名
    ※参加申し込みが定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:電話またはメールでお申し込みください。


※武道館およびその周辺での金銭の受け渡しが基本的に禁止されていますので、お手数ですが参加費は当日までにゆうちょまたは銀行振り込みでお願いいたします。
 振込先は、参加を申し込まれた方にお伝えいたします。
 事情により当日までに振り込みができなかった場合、あるいは当日に参加を決められた場合などは、特別に現地での支払いも可能ですが、できるだけ事前振り込みにしていただくようお願いいたします。
 振り込み後、事情により参加キャンセルになった場合は、全額返金いたします。





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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読『安らぎを見つけるための三部作1-1,2,5章』」

2016-09-28 21:21:09 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読『安らぎを見つけるための三部作 パート1 第1、2、5章』」です。
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ヴァイラーギャ・マーラー(放棄の花輪)(15)

2016-09-28 18:48:27 | 経典の言葉・聖者の言葉

13.外見を信用してはならない


 美しい外見を呈しており、その色は味覚をそそるが、酸っぱくて繊維だらけのマンゴーもある。
 非常に美しいが、けんかっ早くて、かんしゃく持ちの女性もいる!
 模造シルクは本物のシルクよりも人を引きつける。
 マーヤ-はブラフマンよりも光り輝いているように見える。
 それでは、なぜ人間はこのような錯覚を起こさせる物にはまってしまうのか?
 これはマーヤーの策略である。
 おお、無智な人間よ、偽りの外観には用心しなさい。
 あなたは生と死の輪に捕われてしまうだろう。
 マーヤ-は、はかなく、人を誤らせ、魅惑する。
 真理を見いだしなさい。そして、真理に留まりなさい。
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ジグメ・リンパの生涯(6)

2016-09-28 15:58:09 | 聖者の生涯



 28歳のとき、彼は、ロンチェン・ニンティクのサイクル――ダルマカーヤとグル・リンポチェの教え――という並はずれた啓示を、心のテルマとして発見しました。
 ラプジュン13世の治世の火の雄牛の年(1757)の10番目の月の25日目の夜、彼は、心の中にグル・リンポチェに対する耐えがたいほどの献身の情を抱きながら床につきました。目の前にグル・リンポチェがいないという悲しみから流れ出た涙が絶えず彼の頬を濡らし、止めどない祈りの言葉が彼の胸中でこだまし続けました。

 彼は長い間、透明な照出という深い瞑想経験の中にありました。その輝ける透明性の中に没入しているあいだ、彼は、白いライオンの背に乗って空を遠くまで飛んでいきました。最終的に巡礼路に辿り着き、彼はそれをチャルン・カショルの巡礼路であると思いました。現在、それはネパールにある巨大かつ重要な仏教の記念碑、ボードナート・ストゥーパとして知られています。

 ストゥーパの東側の中庭で、彼は智慧のダーキニ―の姿をしたダルマカーヤを目にしました。彼女は彼に美しい木製の宝石箱を託し、こう言いました。


「純粋な心を持つ弟子にとって、
 あなたはティソン・ディツェンです。

 不純な心を持つ弟子にとって、
 あなたはセンゲ・レーパです。

 これはサマンタバドラの心の宝、
 リクジン・パドマ[サンバヴァ]の象徴的な言葉、
 そして、ダーキニ―たちの大いなる秘密の宝です。
 以上がサインのすべてです。」


 ダーキニ―が消えた後、大いなる歓喜を感じながら、彼は宝石箱を開けました。その中には、7つの水晶の数珠とともに5巻の黄色い巻物が入っていました。はじめ、その文字は読めませんでしたが、間もなくチベット文字に変わりました。その巻物の一つは、アヴァローキテーシュヴァラの成就法ドゥグ・ンガル、もう一つはロンチェン・ニンティク・サイクルの予言的な手引書ネチャン・トゥッキィ・ドムブでした。また、教えの守護者の一人であるラ―フラが彼の前に現れて、敬意を表しました。
 別のダーキニ―に促されながら、ジグメ・リンパはその黄色い巻物と水晶の数珠をすべて飲み込みました。すぐさま彼はロンチェン・ニンティク・サイクルのすべての言葉がその意味とともに、まるで刻み込まれるかのように心の中で目覚めるという驚くべき経験をしました。
 彼はその瞑想経験から覚めた後でさえ、生来的な覚醒の悟り、つまり至福と空性の大いなる結合の中にとどまっていました。

 このようにして、ロンチェン・ニンティクの教えと悟りが、何世紀も前のグル・リンポチェによって彼に託され、封印されて、覚醒し、そして彼はテルトン――ロンチェン・ニンティク・サイクルの教えの発見者になりました。彼はネチャン・トゥッキィ・ドムブから始めて、徐々にロンチェン・ニンティク・サイクルの教えを言葉に変えていきました。
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ジグメ・リンパの生涯(5)

2016-09-28 15:54:40 | 聖者の生涯


 彼は、トゥルティク・ゴンパ・ラントゥルを基にして、生起と完成の瞑想に没頭しました。彼はその鋭い集中力のおかげで、指を鳴らすようなほんのわずかの時間でさえ瞑想において散漫に陥ることはなく、心を守ることができました。また、ロンチェン・ラプジャムによる『7つの宝蔵』を読むことによって、彼の内的な瞑想経験に関する一切の疑問は晴らされました。
 
 彼は、成就の段階を通じて進歩していくにつれて、身体と心における数多くの成就のサインを経験しました。彼はグル・リンポチェ、イェシェ・ツォギャル、マンジュシュリーミトラ、ならびにフームカラを含む多くのラマたちや神々のヴィジョンを目にし、そしてそれは彼の様々な内的な智慧を目覚めさせました。
 
 あるとき、突如として彼は、自分の内にある一切の心の経験に関するポイントが根絶されことに気づき、自分のカルマ的なエネルギーのプロセスを支配する力を獲得しました。一切の迷妄の現れの洞穴(例えば対象、つまり概念的な心の働きが二元的な輪廻の構築するのを手助けをするもの)が完全に崩壊しました。覚醒した力強い悟りによって、彼は数多くの過去生をはっきりと見ることができました。しかしそれらの一切の経験とヴィジョンは、彼の悟りの心の中で一つになりました。

 ヨーガ的な修行によって彼は、気道、エネルギーならびにヴァジュラの身体という神秘的な実体をコントロールする力を得ました。結果として彼の喉は“富の循環”の教えとして開き、彼の身体的なチャクラは“種字の雲”に変化しました。一切の現象的な現れは、“ダルマのサインや仕草”に変わりました。彼の言葉は、深遠な悟りの歌となりました。教えの現象化という言い表せない大海が、彼に向って放たれ、また彼から放たれました。

 それから、彼の最初の主要な著書であるキェンツェ・メロン・オーセル・ギャワ、つまりラマ・ゴンドゥ・サイクルの解説書を書きました。

 あるとき、グル・リンポチェがヴィジョンの中に現れ、彼にペマ・ワンチェンという名を与えました。また、あるヴィジョンの中では、マンジュシュリーミトラが彼に祝福を与え、それによって彼は象徴的な叡智の意味を悟りました。その後、彼は栗色の僧衣から苦行者の着る自然な格好、つまり着色していない白のローブと、切らずに伸ばした長髪に変えました。
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ジグメ・リンパの生涯(4)

2016-09-28 15:49:15 | 聖者の生涯


 13歳の時、ジグメ・リンパは、偉大なテルトンであるリクジン・トゥクチョク・ドルジェに会い、彼の智慧の心を覚醒させる強い宗教的な情熱をすぐさま経験しました。彼はそのテルトンから、マハームドラーや他の教えの伝授と指導を受けました。トゥクチョク・ドルジェは彼の根本グルとなり、死後でさえもヴィジョンの中に現れ、彼に祝福を与えました。ジグメ・リンパは、テクチェン・リンパ・ドゥトン・タルチン(ティメ・リンパ、1700-1776)、彼の叔父のダルマキールティ、チャクサムパ・テンジン・イェシェ・ルンドゥプ7世、コンポのタンドゥク・トゥルク・ペマ・リクジン・ワンポ、コンポのタティ・ンガクチェン・リクぺ・ドルジェ(コン・ニョン)、モン・ツァカル・ラマ・ダルギェなど、他の多くの成就者たちからも伝授を受け取りました。

 28歳の年の始めに、彼はペリ僧院で、7年間にわたって守るべき7つの誓いを立てると同時に、3年間にわたる厳しい独居修行を始めました。これらの誓いは、人生の目標を達成するためには、他者を助けようと手を差し出す前に、自分自身を完成させることが重要であることを示しています。彼の7つの誓いは、以下のようなものでした。

(1)決して世俗の人の家へ入ったり、娯楽を享受したりしない。

(2)たとえ共同体の中で暮らしたとしても、決して多くの人を自分の部屋に入れたりせず、嫌悪や愛著を引き起こすどんな集団の先頭に立つことも避ける。

(3)決してだれとも連絡を取り合わない。つまり外からの言葉を入れず、内からの言葉を漏らさない。

(4)質素な生活を維持し、ダルマの教えをどんな物質的な獲得とも交換することを避ける。

(5)心を乱すような行ないを避け、ダルマの修行に関係する10の行いにのみ専念する。

(6)簡素な食物で暮らし、信を持って差し出されたどんなものも不注意に享受しない。

(7)決して4つの行い(息災・増益・敬愛・調伏)をなさず、あらゆる行ないを輪廻からの解放に捧げる。

※10の行ない:経典を書き写すこと、供養、布施、教えの学習、教えの記憶、経典の読誦、ダルマの教授、祈願、ダルマの意味を思索、ならびに瞑想すること。
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第36話」

2016-09-27 16:29:24 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第36話」です。
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覚醒の太陽(11)

2016-09-27 09:53:14 | 経典の言葉・聖者の言葉



5.禅定のパーラミター

 これには二つのパートがある。

(Ⅰ)集中を阻害する要因の放棄

(Ⅱ)寂止(シャマタ)の瞑想の対象への集中

である。



(Ⅰ)集中を阻害する要因の放棄

 第一のパート、集中を阻害する要因の放棄は、

(a)世俗的な関心事の放棄

(b)散漫な思考の除去

の二つに小区分される。




(a)世俗的な関心事の放棄

 世俗的な関心事の放棄に関して述べると、われわれの心は、両親、親族、友達などへの執着に支配されている限り、一点に没頭する境地に決して入ることはできない。ゆえに、習慣的に夢中になっていることをすべて放棄し、瞑想に適した隔離された場所に一人でとどまるべきである。

 褒美や栄光、称賛や良い評判、あるいは取るに足らない生活必需品に執着し、それらを追い求めることは、信ずるべき道の障害となるだけである。ゆえにわれわれは、そのようなものへの期待と不安をすべて断ち切り、自然に手に入るものだけに満足する訓練をしなければならない。



(b)散漫な思考の除去

 たとえ隔離された場所にいて、財産のようなものをほとんど追い求めていないとしても、心が愛欲の支配下に堕ちていれば、瞑想の真の集中状態はわれわれの中に生じず、心はサマーディの境地に安らぐことはない。したがって、愛欲への想いを放棄しなければならないのである。心を愛欲への執着から背けることは、特別な高度な段階の集中を得るためにはとりわけ重要である。ゆえに、そもそも異性とは容易く得られるものではなく、その本性は不浄であるという事実と、結果として異性というものは多くの苦しみを引き起こすこと――などを思索し、異性への渇望から心を退けるべきである。

 さらにわれわれは、八つの世俗的関心事と今生の一切の思考はわれわれの真の敵であると理解しなければならない。したがって、様々な欲望の悪しき思考によって引き起こされる問題をじっくりと熟考し、そして内なる気高き心を湧き起こさせて、どんなに多くの欲望が生じて来ようとも、それらを放棄するために心からの努力を行なわなければならない。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2016-09-26 21:30:13 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.叡智の翼【NEW!】
2.ガーヤトリー・マントラ
3.無限の恩寵
4.月光
5.Rama-Christians
6.ジェイジェイマードゥルガー
7.シッダールタ
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共存しない

2016-09-26 08:42:46 | 経典の言葉・聖者の言葉

「ラーマ(=至高者)のいますところに、エゴの入る余地はない。
 エゴのあるところに、ラーマの入られる余地はない。
 これらは決して共存しない――光と闇のように、彼らは決して共にはいないのです。」


――ヴィヴェーカーナンダ
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覚醒の太陽(10)

2016-09-25 10:27:43 | 経典の言葉・聖者の言葉



4.精進のパーラミター


 これには、二つのセクションがある。

(Ⅰ)精進に不適合な要素、つまり三種の怠惰さを克服すること

(Ⅱ)六つの力などの良き結果をもたらす要素を培うこと




(Ⅰ)精進に不適合な要素を克服すること

 無常性という鉤で己を叱咤激励することで、不活発という怠惰を乗り越えることができる。

 悪行に執着するという怠惰は、聖なるダルマの喜びについて熟考することで乗り超えることができる。

 意気消沈という怠惰は、己を奮い立たせ、誇りを高めることで克服することができる。



(Ⅱ)良き結果をもたらす要素を培うこと

(1)この準備修行は「渇仰の力」であり、善行の功徳と悪行の罪を熟考することで生じる、ダルマの実践への渇仰である。

(2)この主要の修行は「誇りの力」であり、ひとたび善行に着手したら、それを確実に成し遂げるという、心の強さから生じる確固不動なる誓いである。
 これには三つの様相がある。

(a)第一は、行為に関しての誇りである。
 地上に昇る太陽を例にとろう――これは障害の餌食になってしまったり、環境の影響を受けたりしてはいけないということを意味している。
 独力で動いている太陽を例にとろう――これは、他者に頼らずに独力でマーラの力を打ち破り、完全なる悟りを得なくてはならないということを意味している。
 最後に、その光で世界中を輝かせる太陽を例にとってみよう――智慧、慈悲、そして菩薩の大願によって祝福されたならば、われわれ自身が衆生を鼓舞することができるようになる。つまりわれわれは、無限の宇宙の至る所に存在する衆生に幸福をもたらすために、真剣に努力するのである。

(b)能力に関する誇りとは、自分には卓越した能力があると考え、大なり小なりどんなに心を打ち砕かれるようなことにも、決して屈しないと誓うことである。

(c)否定的な感情に対する自信とは、否定的な感情など、取るに足らないものであり、気に掛けるほどの問題ではないと見なすことである。


(3)特別な喜びの力とは、一切の善行の果報を期待することなく、喜びに満ちた熱意をもって善を実践し、自分が為した善行のすべてを随喜することである。

(4)節度の力とは、すぐに活力を復活させて継続し続けるために、肉体的に疲れたり意気消沈したときには少し休息をとって、障害を消し去るということである。

(5)専心の力とは、念正智を使って、心をかき乱すような感情を征服することに専心し、放棄すべきものに打ち勝つということである。

(6)自制の力とは、不放逸に関する助言を念頭に置き、自己の身口意を制御し続け、戒を完全に遵守することである。

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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第三話」

2016-09-25 09:04:52 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 完全版 第3話」です。
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ジグメ・リンパの生涯(3)

2016-09-24 14:42:37 | 聖者の生涯



 彼は6歳の時、普通の新米僧として、タンポ・テルチェン・シェラプ・オーセルが座主を務めていた、チョンギェ谷のペリ(シュリーパルヴァタ)僧院に入りました。ツォギャル・トゥルク・ガワン・ロプサン・ペマは、彼にペマ・キェンツェ・オーセルという名を与えました。

 6歳から13歳にかけて、彼は、勉学よりも同年代の新米僧とともに遊び回ることに、より多くの時間を費やしたそうです。彼は、学習意欲のほとんどない貧しい新米僧として日を過ごしたため、年を追うごとに、非常に厳しい懲罰を課す教師とぶつかりました。しかしながら、彼のダルマに対する強い情熱、グル・リンポチェに対する自発的な献身、ならびにあらゆる生き物、特に動物に対する生来的な慈悲が彼を支え、子供時代を非常に歓喜に満ちた意義深いものにしました。彼は、外面的には取るに足りない新米僧のように見えましたが、その内面的な生活は深みに満ちていました。彼のこの頃の日々は、瞑想的な達成と純粋で素晴らしいヴィジョンに満ちていました。

 そのような状況の中で、彼は文法、論理学、占星術、詩、歴史、ならびに数多くのスートラとタントラの経典を修めました。秘伝的なイニシエーションの伝授を別にすれば、他の真面目な生徒とは違って、彼は師についたり、どんな知的な課目についても詳細にわたって学ぶ必要を感じず、単に他の生徒が受けた授業を小耳にはさんだり、経典をちらっと見ただけで、様々な科目を習得したのでした。

 成就者の多くは、まず学び、そののち瞑想して悟ります。ジグメ・リンパは、自身の内にある智慧の悟りを目覚めさせた結果としてそれらを修得しました。しかしながら、彼が限界のない智慧を最終的に完全な形で花開かせるのは、さらにもっと後のことで、それは彼が31歳の時にロンチェン・ラプジャムのヴィジョンを見たときのことでした。彼は、このように述べています。
  
「元来、私は、言語学、宗教に関係ない書物、正統的な経典や注釈書、またはヴァジュラヤーナの教えといったどんな科目であろうとも、学べるならば、大きな幸せを感じました。私は大いなる敬意を持って昼夜それらを学んだものでした。しかし私には、師とともに智慧を深めていくという機会はほとんどありませんでした。たった1日でさえも。しかしながら、栄光あるサムイェ・チンプにおいて、3度、ロンチェンパの智慧の身体をはっきりと目にしたことによって、そして様々なサインを通じて祝福を受け取ったことによって、[“智慧の修得”に関する]私のカルマは、偉大なる完全性の[深み]から目覚めました。」

 ネテン・クンサン・オーセルから、彼は最初の主要な伝授、つまり、テンポ・テルチェン・シェラプ・オセル(ドゥドゥル・リンパ)よって発見されたトゥルティク・ゴンパ・ラントゥルの教え、サンギェ・リンパ(1340-1396)よって発見されたラマ・ゴンドゥのサイクル、ロンチェン・ラプジャム(1308-1368)による『七つの宝蔵』と『三つの馬車』の伝授を受けました。
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ジグメ・リンパの生涯(2)

2016-09-24 14:38:24 | 聖者の生涯


 彼は、自分がドゥル・リンポチェからのカドゥ・チョキ・ギャツォの教えの受け取り手である、ギャルセ・ラジェの13番目の転生者であることを認めており、そしてその転生者たちは皆、テルトンでした。また、彼が弟子のために書き残した彼の生の系統の祈りに関する記述において、ジグメ・リンパは多くの自分の過去生や一つの未来生について、以下のように見たと述べています。

  [1] サマンタバドラ、つまり、輪廻とニルヴァーナに遍在する主、連続体の土台、仏性の根源的な本性、

[2] それから、慈悲と空性が結合したアヴァロキテーシュヴァラ、そして、

  [3] プラヘーヴァジュラとして現れました。私はあなたに祈りを捧げます。

  [4] その後、カッサパ如来の御前で、クリクリー王の息子として現れ、

  [5] 釈迦牟尼の弟のナンダ、

  [6] アーカルマ[ティ]、つまりソンチェン・ガムポ王の顕現、そして、

  [7] ティソン・デツェン王として生まれまれました。私はあなたに祈りを捧げます。

  [8] インドのヴィルーパ、

  [9] ペマサル王女、

  [10]ギャルセ・ラジェ、

  [11]インドのティ・メ・クデン、

  [12]ヤルジェ・オギェン・リンパ(1323-?)、

  [13]カギュー派のダオ・ショヌ(1079-1153)、そして、

 [14]サキャ派のタクパ・ギャルチェン(1147-1216)、私はあなたに祈りを捧げます。

 [15]それから、ロンチェン・ラプジェム(1308-1363)、最高の大成就者ヴィマラミトラの顕現、

  [16]ンガリ・ペンチェン(1487-1542)、

  [17]ディクン・リンチェン・プンツォクの息子、チョギャル・プンツォク(16世紀)、

  [18][チャンダク]・タシ・トギャル、

  [19][コンポの]ツァムリン・ドルジェ、そして、

  [20]ジグメ・リンパ(1730-1798)として現れました。

  [21]この後、イエシェ・ドルジェ(1800-1866)として現れます。
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覚醒の太陽(9)

2016-09-24 11:35:16 | 経典の言葉・聖者の言葉

3.忍辱のパーラミター


 忍辱が必要となるシチュエーションはさまざまであるが、それらが起こるとき、われわれはその出来事そのもの、あるいはそれらがもたらす苦しみによって落胆してはならず、それどころかその苦しみを堂々と受け入れなければならない。それらに巻き込まれて怒ったりすることはあってはならないことであり、人々がわれわれに与える危害のことは無視し、四無量心と、深遠なる空性の真実の瞑想に心を定めるべきである。



 苦しみを受け入れるべき三つの理由が存在する。

・苦しみは、われわれの悪業を枯渇させる。それゆえに、苦しみとはわれわれの悪業を一掃する箒のようなものであると理解して、苦しみを受け入れるべきである。

・苦しみによって、われわれは輪廻の放棄と衆生への慈悲、そして善行を身につけ、悪行を避けようという願いを成熟させる。それゆえに、苦しみはわれわれを善に向かって駆り立てるということを理解して、苦しみを受け入れるべきである。

・苦しみはわれわれのプライドを抑制し、妬みという棘を抜き去り、欲望や執着の力を打ち負かし、われわれを成就へと導く。それゆえに、苦しみは心の装飾品であるという見解を持って、苦しみを受け入れるべきである。


 他者が自分に対して為した危害に対して無関心になるという忍辱は、以下の三つの道理を考えて、培われなければならない。

・自分を害する者たちを慈悲の対象と見なすことによって。
 ――迷妄なる衆生は、錯乱した感情によって、己自身をも傷つけるであろう。ならば彼らが他者に危害を加えるのに何の不思議があろうか?

・すべての責任を自分に負わせることによって。
 ――自分に対して為された危害はすべて、間違いなくわれわれの過去のカルマのせいであると考え、われわれはこの目の前の状況において如何に行動すべきかと熟考すべし。

・菩薩行の支えとなってくれる忍辱を実践するというメリットを得ることができるのは、われわれの敵の助けがあってこそである、と考えることによって。

 かようにしてわれわれは、実際にわれわれに利益をもたらしてくれる敵を友と見なすことができるのである。


 忍辱は、以下の三つの方法で、しっかりと深遠なる教えを思索することで培うことができる。

・あらゆる戯論を超越した空性という究極の真理を熟考し、自分に対して為されている危害と、危害を為している者は、真実には両方とも存在しないと思索することで、忍辱を培うことができる。

・不可思議なる依存性の生起の相対的真理を思索し、危害を加えてくる者も苦しみそのものも独立しては存在しないと理解することで、忍辱を培うことができる。

・心の本性の不可分なる単一性を熟考し、怒り(として現れているものの正体としての心の本性)は純粋なるものであり、(怒りとしての表面的な現れには)何の根拠も起源もないのだと認識することで、忍辱を培うことができる。
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