ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第23話」

2016-05-31 19:54:43 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第23
話」
です。
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グル・バクティヨーガ(97)「完全な道徳の必要性」

2016-05-31 09:56:23 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎完全な道徳の必要性


 師の聖なる御足への真の信仰を培いたいと思う者たちは、あらゆる種類の悪しき習慣、つまり、喫煙、飲酒、賭博、映画を見に行くこと、小説や新聞を読むこと、ファッション、おしゃべり、盗み、昼間に眠ること、時間を無駄にすること、汚い言葉、陰口、人を批判すること、などを克服すべきである。

 グル・バクティヨーガを実践したいと思う者たちは、あらゆる神聖なる功徳、つまり、誠実さ、公明正大さ、非暴力、意志力、忍耐、協調性、自立、自信、自制、克己、自己分析、根気強さ、我慢強さ、慈悲、慈愛、寛大さ、許す心、辛抱、耐久力、落ち着き、決断力、識別、平静さ、放棄、勇気、陽気さ、すべてにおいて中庸であること、などを開発すべきである。

 なぜ無駄に外的な喜びを探し求めるのか? サットグルの御足のもとへと行き、その永遠の至福を楽しみなさい。

 サットグルの御足への信と献身は、完成という頂上へと弟子を運ぶ二つの翼である。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ

2016-05-30 20:01:09 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.アヴァターラ(NEW!)
2.思い出して(NEW!)
3.Sundara Chalisa
4.ジェイジェイシュリーラーム
5.ハヌマーンチャリサ
6.月光
7.神のしもべに
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今日のAMRITAチャンネル「2015 マハーシヴァラートリ講話」

2016-05-29 22:47:09 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「2015 マハーシヴァラートリ講話」です。
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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第二回(8)

2016-05-29 18:22:28 | 勉強会より抜粋



【本文】

怒りから生じる八つの悪癖

1.ダルマから外れること

2.軽率さ

3.他者を悩ますこと

4.嫉妬

5.揚げ足取り、アラ探し

6.不正行為

7.乱暴な言葉

8.残酷、無慈悲、冷酷



 はい。これは今度は「怒りから」というカテゴリーになっていますが、まあ当然、これはさっきから言ってるように、カテゴリー分けしなくても、われわれが実質的に、これを引っかからないようにした方がいいっていうことですね。はい。
 まず「ダルマから外れること」。はい。われわれは怒りによって、つまり心がカッカしてくると、ダルマから外れる。これはまあそうだな、この中でそのタイプの――まあ特に――まあ、こう言うとまた男尊女卑になるけど、女性で多いね(笑)。つまりその、カッカして悪いことをやっちゃう。あるいはカッカして、悪い心を肯定してしまうっていうか。瞬間的な怒りだね。で、これによってダルマから外れて――で、これも同じようにループにはまる。つまりその、本当だったならば、冷静であったならば、正しく念正智できてたはずなのに、カッとした怒りによって、一つのダルマから外れたことをやってしまう。で、まあそこでちゃんと反省して懺悔すればいいんですけども、懺悔とかしなかった場合、その部分がまた増大し、またダルマから外れたことをやると。で、またそれが、怒りが増大した場合、もうちょっとハードルが下がっちゃってるから、今度はより大きなダルマから外れることをやってしまいます。このようにして、どんどんどんどんこう、なんていうかな、悪循環にはまってしまうんだね。
 だからまあ、ここはちょっと一つの教訓としては、シャーンティデーヴァが言ってるように、ね、「たった一度の怒りによって、数千カルパ積んだ功徳が、全部破壊されてしまうことさえある」と。それくらいの気持ちで、なんていうかな、自分の中に決して怒りを爆発させない。そして、なんていうかな、その怒りから何かこう悪しき行動に走らない。ダルマから外れた行動に――思索も含めてね、心の働きも含めて、絶対そのようなことを発動させないと。これを徹底的に自分に言い聞かせてやる。「決してわたしは怒らないぞ」と。
 怒りによってすべてをパーにしてしまう。怒りによって――まあ現世でも、社会でもよくあるわけだけど、一瞬の怒りによって社会的地位を失うとかあるよね。でも、社会的地位を失うぐらいならいいですよ。数千カルパの徳を破壊するとかね、あるいは一瞬の怒りによって修行者が終わってしまうとかね、そういうことももしかしたらあるかもしれない。だから決して、怒りを肯定しないというよりは、その、気を抜かない。怒りという悪魔にいつ襲われるかわからない。だから常に、慈愛や、あるいは忍辱ですね。自分の心を怒りが襲ってしまう、つまり怒りにコントロールされてしまうのを決して許さない。このような念正智が必要ですね。
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心の浄化

2016-05-29 17:27:57 | 松川先生のお話



 どんなに環境を変えても、
 他者をコントロールしようとしても、
 自分の心を浄化しなければ、本当に幸せになることはできない。

 外的な状況設定をすることで、
 一時的な、幸せっぽい幻影を作り出すことはできるが、
 その幻影はもろく、儚く、無常であり、
 かえって次の苦しみの原因となるばかり。

 自分の心を浄化する以外に道はない。

 完全な、壊れることのない幸せ、平安、安らぎを得たいなら、
 自分の心を完全に浄化するしかない。

 しかしこの事実は、逆に言えば、
 自分の心さえ浄化すればいいのだ。

 移り変わる現象を、自分のエゴに沿うように変えていくのは大変なことだ。
 すべての状況を、エゴの満足するように設定し続けることなど、不可能だ。
 しかし自分の心一つを浄化すれば、すべては解決する。
 すべての苦しみの根元、エゴを追い出してしまうのだ。
 
 自分の心を浄化しさえすれば、幸せになる。
 自分の心を完全に浄化するならば、完全な幸せが得られる。

 なんと喜ばしい福音だろう。

 これに気付いた人は、
 今すぐ意識改革をし、
 できるだけ早く、今すぐに、始めるべきだ。
 自己の心の完全浄化の作業を。

 そしてその道こそがヨーガであり、仏教であり、
 その道をこそ、広めなければならない。
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稀有なる幸運

2016-05-29 17:23:08 | 松川先生のお話






 日々の小さな不満、失敗、後悔などに心を覆われたときは、
 今生、人として生まれ、真理のダルマ、師、法友に巡り合えたという奇跡を思い出しなさい。
 このような稀有な幸運を手にできた。
 それらに巡り合えないという不運を回避することができた。
 それだけでもう、なんの不満もないはずだ。
 あとはそれを土台に、喜びを持って、前に進むだけだ。
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あの世界から

2016-05-29 17:15:48 | 松川先生のお話



君の自我がつかんでいる
すべての手綱を手放し

君の本性がつかんでいる
神との絆を握りしめ

早く早く、上を見て
手遅れにならないうちに

今与えられたチャンスを逃すと
また長い闇が待っている


言葉も概念も
常識も
すべては悪魔のまやかし

君の足をつかんで離さない
悪魔の頭を蹴り上げろ

必要なのは勇気と
神とグルへの信愛

エゴに唾を吐きかけろ
悪魔にゴミをぶちまけろ


けして他人を憎んじゃダメだ
すべての人を愛しなさい

一人の例外もなく
皆の幸福を
心から願いなさい

それが君が神に目覚め
真実を知る秘訣だ

師の言葉を忠実に聞いて
すべての衆生を愛すんだ


人はいつ死ぬかわからないと
何度も考えなさい

もし準備ができたならば
神の道に飛び込みなさい

与えられたチャンスはとても短い
与えられたチャンスはとてもはかない

希望と記憶に惑わされずに
誠実に進み続けなさい


君はずっとずっとずっと
このチャンスを待ち続けていた

無智の悪魔に惑わされずに
目を開けて、立ち上がりなさい


もとからすべて至福であり、完全なり
初めも終わりもなく、完全なり
もとから完全なものは、不完全になりようがない
ただそれに、気づけ

その現実的第一歩は
誰をも憎まず、みんなを愛すること。
みんなが幸福であればいいと思うこと。
そしてそのすべての根本にいらっしゃる神と、
神の権化である師を愛すること。





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救済

2016-05-29 17:08:30 | 経典の言葉・聖者の言葉




 自分自身の救済を求めれば、地獄に堕ちるであろう。

 至高の境地に達したいのであれば、他人の救済を追求しなさい。



 ――スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
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おまかせ

2016-05-29 17:06:00 | 松川先生のお話




 「すべて神にお任せする」という以前に、

 そもそもすべてを動かしているのは神なので笑、

 我々がお任せすると考えようが考えまいが、

 すべては神の意思通りに運ばれる。

 だから「お任せする」っていうのも本当は変なんだけど、

 まあ、精神的なことを言っているわけですね。

 すでにどうなるか決まっていることにあくせくと恐怖や希望を持つことなく、
 「お任せする」と考えて、
 すべてを明け渡すことで、 
 我々は大いなるメリットを得る。


 結局、神がお決めになった通りにしかならない。

 じゃあ我々に自由意志はないのか?

 そう、その我々の本当の意味での自由意志

 それが神なんだ。

 「お任せする」「明け渡す」ことの最大のメリットとは、

 それを悟ることができるということだ。




 ・・・上の文章で、

 「そう、その我々の本当の意味での自由意志」

から、

 「それが神なんだ。」

 には、大きな論理の飛躍があるように思えるかも知れない笑。

 そう。ここには飛躍がある。

 このような飛躍なしには、我々は真理を悟ることはできない。

 そしてこの飛躍を成し遂げるための秘儀、

 それがバクティ・ヨーガであり、
 献身であり、愛であり、奉仕であり、信であり、帰依である。

 結局、「お任せ」「明け渡し」なのだ。

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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第二回(7)

2016-05-29 17:03:55 | 勉強会より抜粋


 はい。そして十番が、「繁華街へとあてもなくぶらつくこと」。はい。これはまあ、これもさ、ただこれだけとってみると、そんなに大悪業って感じじゃないけども、もちろんそれによってまたわれわれの煩悩が増大する可能性になるわけですね。あの、当然――まあこないだっていうか、いつも行ってる丹沢とかね、ああいう山に行くとさ、当然――まあ、あそこがいいのは、例えば携帯も入らないと。情報がないと。だからわれわれの心が散乱しないわけですね。修行と、その自然の美しい、ああいう環境だけで心が静まっていく。でも、繁華街というか街に出て――まあ特に繁華街と言われる場所を歩くと、当然耳からも目からも、いろんな外側に向かうような情報がいっぱい入ってくる。美味しい食べ物や、あるいはさまざまな芸能人の男女や、あるいはそうだな、その人が好きだったいろんなことがあるよね。たとえばスポーツが好きだった場合、その好きなスポーツのなんかいろいろ出てきたりとか、あるいは自分がいろいろ修行とは関係ない趣味がいっぱいあって、で、そのお店屋さんがあるとか、ね。それによって、なんていうかな、無駄な煩悩ね。だったら家にいたらよかったのにってなるよね。家にいたら別に何も出なかったのに――あるいは、まあ経行するにしても、ねえ、あまり人のいないところを歩いてればよかったのに、わざわざ繁華街歩いたおかげで、いろんな情報が入っちゃって、無駄な煩悩がこう増してしまうと。まああるいはバクティの見地から言うと、当然、神で頭をいっぱいにしなきゃいけないのに、さまざまな――まあつまり繁華街っていうのはさ、結局は商売の理屈でできてるわけだから――まあつまり逆ですよね。逆に、「いかにみんなの心を煩悩に結びつけるか」っていうシステムでできてるわけです。ね。だってそうじゃないと繁華しないから、繁華しないっていうか、繁華街にならないからね(笑)。誰も引っかからないような繁華街なんて、繁華街じゃない(笑)。

(一同笑)

 みんながなんか歩いてて、「ああ、あれ食べたいな」「あ、あの店入りたいな」「あ、なんかちょっとあそこで遊びたいな」って思うから繁華街なわけだから(笑)。だからそのような誘惑が多いところは、まあわざわざ行く必要はないと。
 もちろん理由があるんだったら別にいいですよ。例えば、この、どうしてもここで買い物しないといけないとかね、それはかまわないけども、あてもなく理由なくぶらつくことによって、無駄なマイナスが出てくると。だからこんなことはやる必要はないってことですね。


 はい、じゃあいったん、ここまでで何か質問その他ある人いますか? 


(K)修行始めてから、お酒を飲んでも、飲んでも飲んでも酔わないんですけど、修行するとお酒に酔わなくなるんですか?


 うーん……ていうか、なんで飲むの(笑)?


(K)なんで酔わないんだろうと思って、いっぱい飲むんですけど。


 あのね、それはちょっと難しい問題があってね。例えばその修行と関係なくさ、つまりそのアルコールのね、分解する力がさ、その肉体、物理的にね、強い人と弱い人があって、特に女性の中で強い人も結構いるんだね。その場合は一般にいう酒が強いとか、まああまり酔わないっていう人になるというか。あの、まあわたしは、実は例えば会社に勤めてたときも、そんなに大量に飲んだことって、実はないんです。あの、よくみんな、もう意識を失うくらい飲むとかよく言うけども、そんなわたし――だから基本的には酒が嫌いだったのかもしれない。なんか酔いたくないっていう気持ちがあったんだね。あのマリファナとかもそうでさ、マリファナっていうか――わたしはマリファナは吸ったことはないんですが、前にも言ったけど、インドに行ったときにね、バングクッキーってあって(笑)。バングクッキーってあの、まあつまり大麻入りクッキーか。街角で売ってて(笑)。で、それ食べたら――まあつまり、わたしマリファナに興味なかったんだけど、それはまあ食べるマリファナみたいなやつで。あとわたし、タバコが嫌いなんだよね。あの、わたし珍しい人なんですけど――珍しいっていうか(笑)、生まれてから一度もタバコ吸ったことがないんです。なんかああいうの好きじゃなくてね。で、だからマリファナももう、前段階で嫌だったんだけど、でもなんかクッキーなら面白そうだなと思って(笑)、クッキー食べたら、「あ、これか!」って。つまりマリファナのその、はまった感じが分かったんだけど、あれはわたし、嫌いだったね。ああいう感じ嫌なんです。だからその、深い意識に入るにしても鮮明な感じで入った方がいいから、だからその――ちょと話がずれてるけども、酔っぱらうこと自体好きじゃなかったんだけど。ただわたし自体も、そんなに多分酔わないほうだった。ある程度飲んでもね。で、それはまあ、ただの第一段階で、そのそれぞれの物理的な肉体の面の話があるね。
 で、ちょっとそれは置いておいて、そうじゃなくて、修行が進むと当然意識の鮮明度が増します。鮮明度が増すっていうのは、まあ強くなるんだね、意識がね。強くなるってことはつまり、まあ別の言い方をするときれいになるんですけど、きれいになることによって、意識が集中した状態で、鮮明な状態で長くいれるようになる。で、この状態で死んだら、この人は鮮明な意識のまま死のプロセスを進むことができる。だからとても素晴らしいですね。あるいはその状態で深い瞑想に入ったら、普通の人は深い瞑想に入っちゃうと、こっくりと寝てしまうんですけど、寝ないで素晴らしい心の奥の世界を旅することができる。これは素晴らしいね。
 だからその、Kさんの場合はどっちか分からないけども、単純な肉体的なその酒を分解する力が増してるのかもしれないし、じゃなくてその、意識が本当の意味で鮮明度が増してるとしたら、これは素晴らしいことだね。うん。
 で、それがさっき言った、ミラレーパとかの話の場合ね。ミラレーパとかああいう密教で酒を使うときっていうのは、まず意識が鮮明じゃなきゃいけないんです。意識が、まああんまり酒にはこう持っていかれないというか。その状態があって、その酒のメリットだけをこう利用するんだね。まあそれが酒の場合ね。
 まあだから、この中にもいるかもしれないけどさ、もし酒がどうしてもやめられないとか、つい飲んでしまったっていう人がいたら、そのあとしっかりとムドラーとかね、燃やすような修行をいっぱいやったらいいね。うん。それによってその――まあそうだな、デメリットがないかどうかは別にして、まあ一応メリットにもなるっていう(笑)。その分はその、ちょっと――まあ飲まないのが一番ですけども――飲んだときには、熱を燃やすような修行ね。ムドラーがいいと思うね。ムドラーとか、あとエネルギーを回すような修行ね。それをしっかりやったらいいと思うね。はい。


(K)わかりました。ありがとうございました。
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第六話」

2016-05-28 22:31:03 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第6話」です。
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋(3)

2016-05-28 18:16:01 | 聖者の生涯


 ラトゥはドッキネッショルから戻ったが、放心状態のまま日々を過ごした。
 彼はもはやこの世の何にも魅力を感じなくなっていたのだが、すべてを振り払って忠実に自分の心に従うこともまだできなかった。
 この神聖なる不安の状態、この神聖なる不満の正体が、そのわびしさの狭間を通り抜けた者たちにしかわからないとは、なんと悲しいことだろう!
 この期間、ラトゥは、自分の意志で動いているというよりは、機械的に動くネジ巻き時計のように見えたと、このころの彼を見た人々からわれわれは聞いた。
 彼の肉体は、どこか別のところに行っている彼の心によって動いているのではなく、まるで川の中にある小石が川の流れに押しのけられて川底であちこちに転がるように、自動的に日々の務めをこなしているようであった。――彼の肉体を動かしていたのは、心ではなく、日々の義務であった。
 ドッキネッショルに行く前は、この少年の明るく楽天的な気質が、ラームダッタの家を、笑いと陽気な騒ぎの声で賑わしていた。
 しかし今やその家は、彼の急激な心変わりのために、暗く、陰鬱になってしまったかのようだった。――夢のない眠りのように、その家の中は死んだように静かだった。
 シュリー・ラーマクリシュナに出会う前、彼は不屈のエネルギーと熱意を持って、素早く自分の務めを終わらせると、人々と一緒に、会話に夢中になったり、冗談を言ったりして過ごしていた。
 しかし今や、彼は生きることに完全に興味を失い、まるで失望を絵に描いたかのように見えた。
 一家の人々は皆、この変化を目撃していた。
 このようにして数週間が経っていった。――そしてさらに長い日々が同様に過ぎ去って行ったが、彼は元の状態に戻ることはなかった。ただ再びドッキネッショルに行けることだけを夢見ていたのだった。

 ある日、ラトゥは口を開いた。

「それを全部僕にください。僕が全部あそこにお届けします。
 道は忘れていませんよ。何とかお寺にたどり着けます。」

 こうしてその日、彼は一人でドッキネッショルに行ったのだった。
 それは、1880年の春だった。
 鹿のように速く、彼は6マイルの長い道のりを進んでいったのだが、早く到着することはできなかった。
 なぜなら、彼は道のりを正確に覚えていなかったからである。
 彼はくじけずに、道のりを人々に尋ね続け、寺院に到着したのは午前11時だった。彼は師のために果物とお菓子を包んで持ってきた。
 遠くから寺院の尖塔を見つけ、さらに少し近づいてシェーナイ(インドのオーボエ)や太鼓の音が聞こえてくると、彼の喜びには際限がなかった。
 寺院の咲き乱れた花や蔓草のあずま屋を通っていると、彼は楽園にいるような気持ちになった。
 そして、庭の道に立っているシュリー・ラーマクリシュナが目に入ると、この少年はもう感情を抑えることができなくなった。
 彼は駆け出して……いや、というよりはひとっとびで、師のもとへ行き、込み上げる帰依の思いで、その御足に礼拝したのだった。
 長い間ひれ伏し、そしてその二人はいろいろな話をしながら、寺院へと向かっていった。

 カーリー寺院の神像の前で灯明が振られているのを見ると、ラトゥの頬を涙が伝った。
 そこから、彼はヴィシュヌ寺院へと行った。
 特にそこでのアーラティ(灯明を振る儀式)の光景に、彼は非常に感動して、自分を制御できなくなった。
 その寺院には、「ラーマに勝利あれ、ラーマに勝利あれ(ジェイシュリーラーム)」の声がこだましていたのだった。
 われわれはこれらを、この出来事を自らの目で目撃したラームラルから聞いた。


 アーラティが終わると、師は彼に寺院のプラサード(神聖なおさがり)を食べるように言った。
 ビハールで生まれた彼は、カーリー寺院のおさがりを食べるのをためらった。そこでは動物の肉が捧げられていたからである。
 師はそれを理解して、こう仰った。

「ねえ、カーリー寺院では、肉が捧げられるのだよ。
 でもヴィシュヌ寺院では、菜食の食べ物だけが捧げられる。――さらに、全部ガンガーの水を使って調理されている。
 どっちが食べたいかね、息子よ。
 でもね、神に捧げられた食べ物を食べることをためらうのは良くないよ。
 わかったかね?」

 無学のラトゥは、深く考えることなく、子供のように単純に、無邪気にこう言った。

「僕はあなたがお望みのものを食べます。
 僕はあなたのプラサードしか食べません。」

 師はその少年の率直さを見て、お笑いになり、ラームラルを呼んで仰った。

「この子の賢さをごらんよ。
 私が食べるものを食べたいのだとさ。」

 食事のときに、師はラトゥをそばに座らせて、彼にご自分が食べたものの一部をお与えになった。
 その少年は、自分が最も神聖だと思っていたものを食べ、自分は祝福されていると思った。
 彼の歓喜は、言葉に表わせないものであった。


 午後に、信者たちが少しずつ集まり始めた。
 師は彼らと話をしていらっしゃった。
 夕暮れになった。
 師はラトゥを見て、こう仰った。

「もう日が暮れた。カルカッタに帰らないのかね?
 お前は今日一日中、ここで過ごした。」

 そしてまた、師は、乗り合いの篭を借りるお金があるかどうかを彼にお尋ねになった。
 少年は、何も言わずにポケットを振った。
 小銭がジャラジャラとなった。
 師は彼の純真さを見てお笑いになり、それ以上は何も仰らなかった。
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ラームチャンドラ・ダッタの生涯(4)

2016-05-28 17:15:10 | 聖者の生涯



 日が経つにつれて、ラームはますます、シュリー・ラーマクリシュナの桁外れな霊性の力を知った。そして彼の疑念は信仰に変わっていった。
 ある日、ドッキネッショルへ向かう途中、ラームは、師が非常に好んでおられたお菓子「ジリピ」をいくつか購入した。橋を渡っているとき、小さい少年がその一つを乞うた。ラームは初め彼を無視しようとしたが、少年はおそらく変装した神であると思い、一つ彼にあげた。ドッキネッショルに着いたあと、ラームはジリピを師の部屋の中に置き、そこで一日を過ごした。
 正午になって、シュリー・ラーマクリシュナが軽食を求められたので、ラームはすぐに彼の前にジリピを差し出した。シュリー・ラーマクリシュナはそれに触れられ、上を見上げられた。そして彼はいくつかのジリピを割ると、頭を振って、それらを食べるのに気が進まないことをお示しなさった。このあと、彼は手を洗われた。
 ラームは傷ついた。彼は、どうして師がジリピを拒まれたのか、理解することができなかった。彼は非常に動揺したので、ジリピを投げ捨てて、家に帰ってしまった。
 数日後、ラームが再びドッキネッショルにやって来ると、師は彼にこう言われた。

「わたしのために何かを持ってくるとき、わたしに手渡す前に、他の誰にもそれを与えてはいけないよ。わたしはそれを神に捧げることなしに何をも受け取ることはできず、初めに他の誰かに捧げられてけがされたものは、何をも彼に捧げることができないのだ。」

 この出来事はラームに、師が神であられることを確信させた。




 しかししばらくして、彼の古い疑念の習性と懐疑的な態度は再び現われ、彼を不安にし、みじめにした。彼にとってこの世は不毛の地であった。彼は師のもとを訪れ、以前のような解決を求めて悲しい身の上話をしたが、そのときは師は彼の話をさえぎって、ぶっきらぼうにこう答えられた。

「わたしに何ができるかね? すべては神の御意思にかかっているのだ。」

「師よ、最近はずっとあなたの助けを当てにしてまいりました。今このようにあしらわれたら、わたしはどうしたらよろしいのでしょうか?」

「おまえに借りは一切ない。おまえが来たければ来るがよいだろう。そうでなければ、来ないでよい。」


 この師の厳しい治療法は、直ちにラームを深い絶望へと投げ入れた。彼はガンガーで溺死して人生を終わらせようという衝動に駆られたが、部屋から出ながら考えた。

「なぜ自殺しなければならないのだ。神の御名は、主御自身よりも偉大で力強いと伺ってきたではないか。そして師は、わたしが夢の中でイニシエーションを授かったのは幸運だったと仰ったではないか。今日はそのマントラの効果を試そうではないか。」


 彼はシュリー・ラーマクリシュナの自室の北側のベランダに横になり、静かにマントラを繰り返し始めた。真夜中に、師は突然部屋から出てきてラームの側に座られ、いくつかアドバイスを授けられた。
 ラームはとても幸福だった。師は、ラームは神の信者達に奉仕すべきであり、そのことが彼に喜びと平安をもたらすであろうと強調なさった。それから師は部屋にお戻りになった。
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事において後悔せず

2016-05-27 21:31:07 | 松川先生のお話




 一瞬一瞬、後悔しない道を選ぼう。
 
 今の感情に流されずに、こう考えよう。

「この感情が過ぎ去った後に、
 自分の理想や、神や師の前において、
 たがうことなき、恥ずかしくない、
 後悔しない道は
 どちらだろうか?」

 このように考えよう。
 
 もちろん、わからないときはしょうがない。

 しかし答えがハッキリしているときは、

 もちろん、後悔しない道を選ぶべきだ。

 神はいつも見ている。
 君の真の友は、いつも見ている。
 天から、あなたの内から、
 また、あなたの目の前の人を通して、
 いつも見ているのだから
 恥ずかしくない、後悔しない道を
 いつも選ぼう。
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