ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

ジュニャーナスートラ

2015-10-31 14:54:41 | 聖者の生涯


 ジュニャーナスートラ



 ジュニャーナスートラは、東インドのカマラシーラの東の町で生まれました。彼の父はシャーンティハスタ(平和の手)といい、母はカリヤーナチッタ(良き心)という名前で、シュードラ(奴隷階級)の家系でした。
 彼は基本的な学習を終えると、ブッダガヤーへ行き、そこで500人の学者と一緒に暮らしました。その中に、前世からの縁があるヴィマラミトラもいました。
 ある日、ジュニャーナスートラとヴィマラミトラは、ともに連れ立って、ブッダガヤーの西の方に歩いて行きました。すると2マイルほど歩いた頃、空にヴァジュラサットヴァがあらわれて、こう言いました。

「おお、良き家系の息子たちよ。おまえたちは過去世において500生もの間、学者として生まれた。しかしおまえたちはブッダフッドを得ていない。もしおまえたちが今生の内にそのけがれた身体を溶解させ、解脱したいならば、中国の菩提樹のそばにある寺院へ行け。」

 このヴァジュラサットヴァの言葉を聞いて、まずヴィマラミトラが中国へと行きました。そして彼は中国でシュリーシンハから外側と内側と秘密の口頭の教えを受け取って、インドへと帰ってきました。
 「至福の庭園」という町の近くでヴィマラミトラがジュニャーナスートラと再会したとき、ヴィマラミトラは彼が中国で会ったグル・シュリーシンハについて話しました。
 そこで今度はジュニャーナスートラが中国へと向かいました。通常なら9ヶ月かかるその距離を、ジュニャーナスートラは神秘的な力でたった一日でひとっ飛びしました。
 彼が菩提樹のそばの寺院に着いたとき、彼は、水のいっぱい入った瓶を持った美しい少女に出会いました。彼女はジュニャーナスートラに、タシティゴという寺院に行くようにと指示しました。彼がその巨大で素晴らしい寺院に到着したとき、ダーキニーは彼に、シルジンという火葬場に行くようにと指示しました。
 ジュニャーナスートラはそこへ行き、頭蓋骨でできた寺院の中にいるシュリーシンハを見つけました。ジュニャーナスートラはシュリーシンハを喜ばせ、三年間にわたってシュリーシンハに仕えました。そしてジュニャーナスートラはシュリーシンハに供物を捧げ、教えを請いました。
 シュリーシンハはジュニャーナスートラに九年間にわたって口頭の教えを与え、また、彼が菩提樹のそばの寺院に隠したテキストを、ジュニャーナスートラに託しました。

 シュリーシンハは、ジュニャーナスートラに尋ねました。

「満足か?」

 ジュニャーナスートラは、

「はい。私は満足です。」

と答えましたが、もしかすると重要な教えがさらにたくさんあるのかもしれないと考え、それらを与えてくれるようにシュリーシンハに頼みました。それに対してシュリーシンハはこう答えました。

「それにはイニシエーションが必要だ。」

 タシティゴ寺院の中で、シュリーシンハはジュニャーナスートラに、完全で精巧なイニシエーションを与え、最も難解な『最奥の教え』を、三年間かけて伝授しました。しかしシュリーシンハは、そのテキストはジュニャーナスートラに与えることなく、こう言いました。

「時が来たとき、この最奥の教えのテキストが、おまえの前に現れるだろう。」

 その後、ある寂れた町で、シュリーシンハはジュニャーナスートラにシンプルなイニシエーションを与え、シュリーシンハはコーサラ山にて、約一年間の準備修行をおこないました。そしてそれが終わったとき、シュリーシンハはジュニャーナスートラに、非常にシンプルなイニシエーションと教えを与えました。これによってジュニャーナスートラの中に、並々ならぬ確信が生まれました。
 その後、さらに一ヶ月ジュニャーナスートラが修行をした後、シュリーシンハはジュニャーナスートラに、最もシンプルなイニシエーションを与え、ジュニャーナスートラは、自らの心の完全なる調御を悟りました。

 このようにしてジュニャーナスートラはシュリーシンハのもとに16年以上とどまり、瞑想修行をおこない、またグル・シュリーシンハが与える難解な指示に従い続けたのでした。

 その後、ジュニャーナスートラは、少しの恐怖もなしに、ダーキニーや恐ろしい存在たちとともに、火葬場を放浪したり、奇妙な振る舞いをする修行の道を歩きました。

 その後、ジュニャーナスートラは、リの国のパルジン王を訪ねました。そして彼はそこで、ライオンに乗って空を飛び、六人の強力な若い鬼神たちが、彼の上に日傘をかざしました。
 彼がその国に着いて七日目の朝、空に大きな音がとどろきました。ジュニャーナスートラが空を見ると、そこにはシュリーシンハが、たくさんの光の中で座っていました。ジュニャーナスートラは、シュリーシンハが肉体を捨てたのだと悟り、祈りを捧げると、彼の手の中に、シュリーシンハの遺言である「ゼルウ・ドゥンパ(七つの釘)」が、空から落ちてきました。

 シュリーシンハはまた、ジュニャーナスートラに、次のような指示を与えました。

「最奥の秘密の教えであるニンティクのテキストは、タシティゴの柱の中に隠されている。それを取り出して、バシンの火葬場へ行け。」

 ジュニャーナスートラは指示通りにニンティクのテキストを取り出すと、それを持って、非常に美しく、恐ろしく、そしてパワフルな、バシンの火葬場へと行きました。それは、ブッダガヤーから東の方角に遠く離れた場所にありました。
 彼はそこに住み、難解な修行をおこないつつ、ヴィマラミトラやダーキニーたちに教えを与えました。ヴィマラミトラもまた、ダーキニーからの示唆を受けて、ジュニャーナスートラに会うためにこの地へやってきたのでした。
 ジュニャーナスートラはヴィマラミトラに、精巧・シンプル・非常にシンプル・最もシンプルという四つのイニシエーションと教えを与え、またそのテキストも伝授しました。

 ジュニャーナスートラが肉体を捨てたとき、ヴィマラミトラが哀悼の祈りを捧げると、ジュニャーナスートラは姿を現わし、ヴィマラミトラに「シャクタク・シパ(瞑想の四つの道)」という遺言を与えました。

 それは、以下のような教えを含むものでした。

 

 完全で純粋なる空性に礼拝いたします。・・・・・・

 素晴らしい! もしあなたがこれらを育むならば、至福は自然に生じるだろう。

 もしあなたが大いなる平等の境地を望むならば、次のような経験を常に積み重ねなさい。

【1】もしあなたがすべての難解な「行為」を育むことを望むならば、心の本性の瞑想状態を、日常のすべてにおいて維持しなさい。

【2】もしあなたがあなたの瞑想を強化したいならば、心の本性の瞑想による海のような見解を通して、心と現象を結合させ続けなさい。

【3】もしあなたがすべての見解からの自己解放を達成したいならば、山のような心の本性の瞑想の中に、すべての現象を持ってきなさい。

【4】もしあなたがすべての果報を達成したいならば、山のような見解を通して、修行におけるすべての過ちを解放しなさい。







コメント

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソード1 第13話」

2015-10-30 21:07:48 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソード1 第13話」です。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2015-10-29 20:37:51 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.スンダラチャリサ
2.シッダールタ
3.ジェイジェイマードゥルガー
4.放棄の翼
5.神のしもべに
6.All one マハーマントラ
7.月光
コメント

深い瞑想

2015-10-29 08:37:51 | 松川先生のお話

 本当に深い瞑想体験というのは、「今日、こうこうこういう体験をして、こうこうこうだった」というようには表現できない。
 それは、微妙すぎて表現できないとか、表現が難しいとか、そういうことでもない。とにかく表現できない。

 ある段階までの深い瞑想経験で、表現できるものももちろんたくさんある。

 しかしある領域からは、表現できない。

 概念や譬えなどによるヒントも与えられない。

 しかし聖典などでは仕方がないので一応それらしい言葉で近いことを表現したりする場合もあるが、それは体験のない人は100パーセント誤解し、違う形でとらえ、逆に間違った観念になってしまうだろう。

 だから修行や真理の真髄、仏教やヨーガの真髄というのは、大部分の人からは、遠く離れている。

 自分の観念を捨てて帰依し、修行する以外に道はない。  


コメント

「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(16)

2015-10-29 08:13:03 | 勉強会より抜粋


 はい。そして最後に、「衆生の苦悩ははかりしれないので、誹謗され妨害されても、菩提行から退かない。」と。
 これはもちろん、最初の発願としてね、菩薩っていうのは、みんなのために仏陀になると。そして、「じゃあ、いつまで?」っていう限定はないんだね、仏陀にはね。つまり、みんなが救われるまでだから。だからそれまではずーっとみんなに付き合うわけですね。で、その途上で多くの苦悩が自分にもやってくる。で、これも前、『心の訓練』とかの勉強会でも言ったけども、不当ともいえるような苦しみに、当然、菩薩行を行く人っていうのは会うわけですね。不当ってどういうことかっていうと、相手のためを思ってやってあげてるのに、もうすごい仕打ちで返されたりとか、あるいは――前も言ったけど、わたしが昔、経験したっていうか実際にあったことで……ある人がね、例えばわたしに対して、すごくこうバーッてひどいこと言ってきたりして、で、まあその人は、ちょっとこう、やっぱり精神的にいろんな苦しみが多くてね、で、わたしはその人をもっと修行とかさせようと思ったりとか、あるいは正しい生き方をさせようと思って、いろいろこう対処してあげるっていうか、対処するわけだね。で、一生懸命苦労して相手の話に付き合ったりとか、いろいろやってあげたりっていう気持ちが、こっちにあるわけだね。でもまあ、バーッてこう悪態とかよくついてくる。で、悪態つきながら、その人は何を言うかっていうと、「ほら! もっとがんばってよ! わたしを救え!」と(笑)。

(一同笑)

「そんなんで大丈夫なのか、お前は?」みたいな(笑)。「お前が言うか!」っていうようなことを、こう言ってきたりするんだね(笑)。で、それはまあ、非常に面白いっていうか、分かりやすいパターンだけども。まあここまで分かりやすくなくても、例えば自分がこんなに相手のこと思ってるのに、でも相手はそんなこと全然分かんなくて、いろんな苦しみをこっちに与えてきたりってするときも多々あると。でもそれは、言ってみれば当たり前なんです。つまり、みんな苦しんでるんだから。
 これはね、日常生活においても、そういう気持ちを持たなきゃいけない。わたしも、これ前、そういうことに気付いたことがあってね。気付いたっていうのは、例えば皆さんの周りでも、例えば嫌われ者っているかもしれない。例えばすごく怒りっぽくて、いつも人の悪口とか言ってて、で、いつも憎しみに満ちてたりとかね。で、そういう人っていうのは、普通はですよ、普通は非難とか排除の対象になるよね。例えば何とかさんっていう人がそういう人だとしたら、「ああ、ちょっとあの人、いい加減にしてほしい」と。で、すごく、だいたいそういう人って性格が強かったりするから、ワーッてこう、周りにいろんな苦しみを与えると。「あの人ちょっと、なんとかしてほしいな」って気持ちになると思うんだけど、あるいは「あの人、本当にひどいね」っていう批判の対象になると思うんだけど、そうじゃないんです。つまりその人こそが、もっとも救われなきゃいけない人なんです。つまり最も苦しい人なんだね。苦しいから、怒るんです。これは一つの法則なんです。苦しいから怒る。苦しいから怒るってどういう意味かって言うと、苦しいんです。苦しいからこの苦しみを、どっかにやっちゃいたいっていう気持ちがあるんだね。でもまだ菩提心とかと縁がないから、「うわ! どっかやっちゃいたい!」と。「あんたもらって!」と(笑)。これが怒りなんです。
 だってそうでしょ? 怒りっていうのは、怒った方がすっきりするでしょ? 例えばわたしがHさんに「ウワーッ!」って怒ったら、わたしは「ああ、言いたいこと言ってすっきりした」と。でもHさんは「あ、なんか今苦しいこと言われちゃった」と。「ああ……」ってなるよね? つまり苦しみが移動してるわけです。つまり、「おれの苦しみ誰かもらえ!」と。「ほら!」と。これが怒りなんです。つまり逆の言い方をすると、そんなことをしないではいられないぐらい苦しいんです、その人っていうのは。つまり怒りでいっぱいの人、憎しみでいっぱいの人っていうのは、本当にかわいそうな人なんです。なんとかしてあげなきゃいけない人なんです。だから、そういう気持ちで見なきゃいけない。
 でも、「ああ、あんた、本当に苦しいんだね」と言っても、相手は「うるせえ、お前!」(笑)

(一同笑)

「お前、何言ってんの? 馬鹿じゃねえの! ワー!」ってくるわけです。何を言われても何を攻撃されても、「本当にあなたかわいそうだ」という気持ちになんなきゃいけないんだね。
 これは怒りじゃなくてもそうですよ。みんな、いろんなかたちで苦しんでる。だからそれを哀れまなきゃいけない。表面的な、彼らがやってくる、周りがやってくるようないろんな、自分に対するね、悪いものにとらわれないで、それはすべて当たり前のことなんだと。もうそれは、最初から計算済みっていうか、最初から分かり切ってることなんだね。そういう気持ちで、まあ菩薩っていうのは周りと接さなきゃいけない。
 もう一回言うけど、実際に自分が、例えば救おうと思った人には当然そうなんだけど、そうじゃない、関係のないね、普通の日常生活でも、そういう目で見なきゃいけないんですよ。日常生活で、今言ったように、例えば誰かすごい怒ってくる人とかいたとしたら、「あいつはひどい奴だ!」じゃなくて、「あの人はかわいそうだ」って見なきゃいけない。これはだから、ちょっとこう皮肉で言ってるんじゃないんですよ。本当にかわいそうだって思わなきゃいけない。「本当に苦しいだろうな」――だってさ、考えてみてください。みんなみたいに修行してるとね、心が安定してるときっていうのは、怒りなんて出ないでしょ? つまり、非常に平安な、「憎しみとか怒りって、何ですか、それ?」っていう(笑)、その平安な状態がある。じゃなくて、いつも怒ってる人の精神状態を考えてみてください。つまり、相当苦しいんです。相当不安定で苦しい状態がある。だからそれは、何度も言うけども、攻撃の対象ではなくて、哀れみの対象なんだね。そういうふうに見なきゃいけない。
 はい。じゃあ最後。



【本文】

 ダラニーシュワララージャパリプリッチャー(ダラニ自在王問経)には、こう説かれている。

「ああ、これらの衆生は、大いなる輪廻の奴隷である。すなわち、彼らは妻や夫や子供に愛著し、自由がなく、自己を向上させない人たちである。
 そのような彼らを、自由で、自己の向上を喜ぶところに赴くようにさせるために、彼らに法を説こうとして、衆生に菩薩の大悲を起こすのである。」


 はい。まあこれはこのままですね。読んだ通り、今回のまとめみたいな感じですね。

 じゃあちょっとだいぶ時間が過ぎたので、最後にもし質問があったら聞いてね、今日は終わりにしましょう。はい。何か質問ある人いますか? 特にないかな? はい。じゃあ終わりましょう。


(一同)ありがとうございました。 

コメント

今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第七話」

2015-10-28 17:03:50 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・ハヌマーン 第7話」です。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話より『シクシャーサムッチャヤ』第46回」

2015-10-27 17:24:11 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話より『シクシャーサムッチャヤ』第46回」です。
コメント

マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(2)

2015-10-27 08:59:18 | 聖者の生涯


第二章「師の御足の下で」


 それは、1880年の年末あたり、または1881年初頭のある夜のこと、当時ターラクと呼ばれていたマハープルシャ・スワミ・シヴァーナンダは、ラームチャンドラ・ダッタ宅で師にお目に掛かるという栄誉に浴した。
 ここで、ターラク自身がロマン・ロラン宛てに書いた手紙の中にある、霊性の修行に傾倒した少年時代、そして最初の師との出会いについて、引用する。これは興味深いものである。

「わたしは、ほんの子供の時から、神を求める人生を望む傾向と、世俗的快楽が人生の目的ではないという生得の感覚を有していました。
 年と経験を重ねるにつれて、これら二つの考えは、私の心の中でさらに堅固なものとして根付いていったのです。
 わたしは、神の智慧を求めてカルカッタの街へと出向き、さまざまな宗教団体や寺院を巡りましたが、真に満足のいくものはどこにも見つかりませんでした。放棄の美徳に重きを置く者は誰もおらず、彼らの中に真の霊性の智慧を有する者を見つけることができなかったのです。
 その後、1880年か1881年にラーマクリシュナについて聞き、カルカッタの彼の一人の信者の家に彼を尋ねて行ったのです。
 この頃から、後に出家し、ラーマクリシュナの聖なる使命を引き継ぐことになる、スワミ・ヴィヴェーカナンダを初めとするラーマクリシュナの弟子達が、彼の元に集まり始めていたのでした。
 わたしが初めて彼を訪れたとき、彼がちょうどサマーディに入ろうとしているのを目にしました。そして、彼が通常の意識状態に戻って来たとき、彼はサマーディとその本質について詳細に語りました。私は心の奥底で、『まさにここに神を悟った人がいた!』と感じたのでした。」


 この最初の訪問はターラクに深い感銘を与え、彼は翌週の土曜日に再び師に会いに行ったのだった。
 ドッキネッショルがどこにあるかも知らないまま、彼は友人を連れて出発し、何とか辿り着くことができた。すでに夕暮れ時で、ちょうど夕べの礼拝が始まろうとしていた時だった。
 お寺の舗装された中庭に入りながら、ターラクは、ラーマクリシュナを探し回った。
 ついに、ラーマクリシュナが自室で座しているのを見つけると、その瞬間、彼は筆舌に尽くし難い感情に圧倒された。
 彼は、あたかも師の姿形を借りて聖なる母ご自身が彼の眼前に座しているかのように感じたのだった。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第七話」

2015-10-26 16:47:22 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第7話」です。
コメント

マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(1)

2015-10-25 21:44:54 | 聖者の生涯



 ラーマクリシュナ・パラマハンサの直弟子の一人であるスワミ・シヴァーナンダの生涯の物語については以前ご紹介しましたが、より詳細に記された長編の生涯の物語を改めてアップします。





第一章「マハープルシャ・スワミ・シヴァーナンダ――彼の経歴・人柄・若年期」




 マハープルシャ・スワミ・シヴァーナンダの人生は、主に二つの部分から成り立っていると言えるだろう。それぞれが等しく興味深く重要なものでもある。
 まず第一に、われわれは彼を、黙考と瞑想に没頭して、霊的成長と智慧を磨き、霊的領域に至宝を蓄積する真理の求道者であり、最高なるものを渇仰する修行者として、また第二に、師の足跡に従って、衆生の霊性の覚醒のための奉仕に明け暮れ、彼が得た全てを衆生の心の平安と幸せのために与えた、人々の教師として見ることができる。

 彼はインドのベンガル州バラサットという町の有力なブラーフマナの家系の出身である。正確な出生年月日は知られていない。真の修行者がするように、彼は彼の出生時のホロスコープをガンガーに流してしまったからだ。
 彼は恐らくは1850年代、インド暦でいうアグラハヤーナ月の11日目(11月~12月)に誕生した。
 出家前の彼の名は、ターラクナート・ゴーシャルであった。

 スワミの父ラーム・カナイ・ゴーシャルは、実入りの良い敏腕弁護士だった。非常に気前がよく、相当額を聖者への布施と貧しい学生の面倒を見るために費やしていた。バラサットの彼の家は、飢えと渇きに苦しむ少年達の数だけの寝床と食事を供給していた。今日に至るまで、バラサットの人々はラーム・カナイと彼の寛容さを褒め称えている。
 世俗的な成功と繁栄のさなかにおいても、彼が神を忘れることはなかった。彼は真面目で、霊的渇仰心を持ち、熱心にシャークタ・タントラを実践していた。

 スワミの母ヴァーマスンダリー・デーヴィーは、自らを無私の奉仕に捧げた高貴で敬虔な女性であった。
 最初の息子の早すぎる死に心を痛め、ヴァーマスンダリーはカルカッタ近くのターラケーシュワルにある有名なシヴァ寺院を訪れ、そこで激しい苦行と献身に身を捧げた。その後しばらくしてスワミが誕生し、彼の両親は彼が母の祈りに対する神の答えとして生まれたのだと信じて疑わなかった。
 彼は、ターラケーシュワルのシヴァ神にちなんで、ターラクナート、略してターラクと名付けられた。

 ターラクは両親から最高の世話と愛情を受けた。気高く誠実で勇敢かつ率直であり、子供の頃からきわめて際立っていた。有能であったが、学校では年少者の勉強の面倒をよく見て、霊性に対するはっきりとした嗜好性を示した。
 彼の友人や年長者たちは、彼の妙な雰囲気の理由が分からず、当惑させられた。彼の独特な人柄は、彼らに深い印象を与えた。
 例えば、彼が初期の教育を受けたバラサット校の校長は、昔を思い出しながらこう語った。

「ターラクの人柄の深さと純粋さに、われわれは皆魅了され、感動したものだよ。」

 青年期に掛かるにつれて、ターラクの霊的渇仰心は百倍に増し、それはまるで彼の心が神を悟りたいという熱望で一杯になってしまったかのようだった。
 彼は高等教育を受けるためにカルカッタに行き、その当時の多くの若きベンガル人求道者たちがしたように、ブラフモー・サマージ協会に足繁く通うようになり、やがて正規の会員となったのだ。
 彼は、神を悟り、人生において最も高貴な霊性の理想を体現している師を捜し求めていたのだった。

 彼の父の収入が減ってしまうと、ターラクは家族を経済的に支えるために、やむを得ず学校を退学し仕事に就いた。
 彼はデリーに行き、そこで仕事を得た。この町で、彼は神聖な事柄に非常な関心を示す一人の友人に出遭い、彼らは会う度に、信仰について何時間も語り合った。
 ある日、ターラクはこの友人に、「神との合一における超越的忘我の境地であるサマーディについて何か知っているか?」と尋ねた。
 友人は、そのサマーディは大変稀な現象であり、限られた者が神から賜るものであることを述べた上で、ドッキネッショルのラーマクリシュナという、この境地を会得した人を知っていると答えた。
 ターラクはシュリー・ラーマクリシュナという名にとても魅了され、彼がこの師に会うであろう日のことを熱心に心待ちにした。
 この会話から間もない頃、ターラクはマッケンジー商会のマッキノン事務所で職を得たために、カルカッタに戻った。
 彼はまだそのときはブラフモー・サマージ協会に属しており、定期的に会合に通っていた。そこで偶然、彼はラーマクリシュナの在家弟子であるラームチャンドラ・ダッタの親戚である友人に会った。この友人がターラクに、師がどのように放棄・帰依・悟りを奨励しているかを、詳細に渡って語ったのだった。
 ターラクは、もしシュリー・ラーマクリシュナに会うことさえできれば、霊性の師に出会いたいという渇仰は満たされ、魂の深みに突っ込み、神と面と向かい合う方法を教えてもらえるであろうと思ったのであった。
コメント

今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソード1 第12話」

2015-10-24 09:38:55 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ エピソード1 第12話」です。
コメント

デーヴァター・サンユッタ(7)

2015-10-23 11:28:55 | 経典の言葉・聖者の言葉


デーヴァター・サンユッタ

第一篇 第二章 ナンダナ(喜びの園)



第一節 ナンダナ(喜びの園)

 このように私は聞いた。
 あるとき世尊は、サーヴァッティーのジェータ林にあるアナータピンディカ長者の園にとどまっておられた。
 
 そこで世尊は、ビックたちに呼びかけられた。「ビックたちよ」と。ビックたちは世尊に「尊師よ!」と答えた。

 世尊は次のことをお説きになった。
「ビックたちよ。昔、三十三天に属するある神が、ナンダナ(喜びの園)において、天女の群れに囲まれ、天の五つの愛欲を授けられ、そなえて、給せられていたが、そのとき、この詩句を唱えた。
『誉れ高き三十人の神々なる人々の住居である喜びの園を見ない人々は、楽しみを知らない』と。
 
 ビックたちよ。このように説かれたときに、他のある神は、その神に詩句をもって答えた。
『愚かなる者よ。拝まれるべき人たちがどのように説かれたかということを、そなたは知らない。
 諸行は無常である。生じては滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらのしずまるのがニルヴァーナである。』
コメント

今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2015-10-22 20:20:34 | 今日のAMRITAチャンネル
今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.ジェイジェイマードゥルガー
2.ジャヤシーターラーム
3.我が師(日本語版)
4.All one マハーマントラ
5.放棄の翼
6.ジェイジャガタンベー
7.神のしもべに
コメント

「最後の試験」

2015-10-21 21:17:22 | 要約・マハーバーラタ



(終)最後の試験




 クリシュナ・バララーマの死と、ヤドゥ族の滅亡という悲報がハスティナープラに届いたとき、パーンドゥ兄弟は、この世に対する何の未練もなくしました。そしてユディシュティラは王位を退き、アルジュナの孫であるパリークシットを新たな王にすると、パーンドゥ兄弟とドラウパディー妃は、町を出て、巡礼の旅に出ました。
 諸国の聖地を巡礼して回った後、彼らは最後にヒマラヤに向かいました。一匹の犬が途中からどこからともなくついてきて、一行に加わっていました。

 六人と一匹は、最後の聖地であるヒマラヤの頂を目指して、険しい山を苦労して登っていきました。その途上、疲労のために、一人また一人と倒れて死んでいきました。まずドラウパディー、サハデーヴァ、ナクラの三人が亡くなりました。次にアルジュナが、そしてビーマも亡くなりました。
 ユディシュティラは、愛する者たちが次々と倒れて死んでいくのを見ましたが、嘆くことなく、晴れやかな気持ちで、前進し続けました。彼の目の前には、真理の太陽が光り輝いていたからです。彼はすでに、何が幻影であり何が実在であるかを知っていたのでした。

 犬だけは、さらにユディシュティラにどこまでもついていきました。実はこの犬は、ダルマ神の化身そのものなのでした。この出来事が象徴していることは、「生と死の旅における永遠不変の友は、ただダルマ(真理の法)のみ」ということなのです。

 ユディシュティラはついに、聳え立つヒマラヤの頂にたどり着きました。するとそこへインドラ神が、天の馬車に乗って現われました。インドラは言いました。
「弟たちやドラウパディーは、もうとっくについたよ。お前はまだ肉体をしょっているから遅れたのだ。そのままでいいから、わたしの車に乗りなさい。迎えに来たのだ。」
 ユディシュティラが言われたとおりにインドラの馬車に乗り込むと、犬も一緒に入り込んできました。インドラは、
「駄目、駄目。天界には犬の住む場所などない。」
と言って、追い払ってしまいました。
 するとユディシュティラは、
「では、私の住む場所もないでしょう。この忠実な犬を連れて行けないなら、わたしも行きません。」
と言って、馬車を降りてしまいました。

 ダルマ神の化身であるその犬は、ユディシュティラの行動を見て、彼のダルマに対する誠実さを見て取り、満足しました。そして犬はどこかへ消え去りました。

 改めてユディシュティラは天の馬車に乗り、天界に到着しました。するとそこには、ドゥルヨーダナがいました。ドゥルヨーダナは天の玉座に座り、周りには女神や天使たちが取り囲んでいます。しかしドラウパディーや弟たちはどこにも見当たりません。
 ユディシュティラはあまりの意外さに仰天して言いました。

「ドラウパディーと弟たちはどこにいるのですか? 天に住んでいるはずの彼らは!?
 貪欲で心の狭いドゥルヨーダナがここにいるなんて! わたしは彼と同席する気はありません。この男の嫉妬と悪意のために、わたしたち兄弟は友人や親戚を殺すような羽目になったのですよ。罪もないドラウパディーは、この男のために、公衆の面前で散々侮辱されたのですよ。
 こんな男は見るのも嫌です。さあ、弟たちがどこにいるか教えてください。彼らのいるところにわたしは行きたいのです。」

 ユディシュティラがこう言うと、天上に住むナーラダ聖仙が、いかにも賛成しかねるといった表情で微笑みながら、ユディシュティラにこう言いました。
「偉大なる王よ。そなたの考えは間違っておる。天界に住むわれわれは、悪意というものを抱かないのだ。ドゥルヨーダナに対してそんな言い方をしてはいけない。勇敢なドゥルヨーダナは、クシャトリヤとして彼の使命を全うして、今の境涯を得たのだ。
 肉体に属することを心に留め置いて、悪意をかもし出すのは良くない。天の法則にしたがって、ドゥルヨーダナと共にここに住みなさい。天界において、憎しみというものはありえないのだ。もっとも、そなたは人間の肉体を着たままでここへ来たのだから、ここに不適当な感情を持っているのも無理からぬことではあるが。だがユディシュティラよ。そういうものは捨てなさい!」

 ユディシュティラは答えました。
「おお、聖者よ。ドゥルヨーダナは善悪の区別も知らぬ大罪人で、善良な人々を苦しめて敵意を怒りを駆り立て、数え切れぬ人々を死に追いやったのですよ。そのような男が天界にいるなんて。
 では、もっと輝くすばらしい世界はどこですか? わたしの弟たちやドラウパディーは、。ここより上のところにいるに違いありません。わたしはドラウパディーや弟たちやカルナに会いたくてたまりません。それから友人たちや、わたしのために戦って死んでくれた王族たちみなにも、一刻も早く会いたいのです。ここには誰もいない。わたしはヴィラータ、ドルパダ、シカンディン、ウッタラ王子などにも再会したい。ドラウパディーが産んだかわいい息子たちやアビマンニュにも会いたくてたまりません。でも彼らはここにいない。
 犠牲火にささげられるギーのようにわたしのために戦火の中に身を投じ、命をささげてくれた彼らはどこにいるのですか? ここには誰もいないではありませんか。みんなどこにいるのですか? わたしは彼らと同じ場所にいるべきなのです。彼らに会えないなら、天界などにいたくはありません。」

 ユディシュティラのこの言葉を聴いて、天使たちが言いました。
「ユディシュティラよ。もし本当に彼らと一緒にいたいなら、今すぐ行かなければなりません。」
 こう言うと、天使たちは一人の案内人をつけて、ユディシュティラを送り出しました。

 案内人に導かれるままに進んでいくと、だんだんと道は暗くなり、得体の知れぬ薄気味悪いものが浮かんでは消えていきました。血と臓物らしきものでぬるぬるした地面を、ユディシュティラは足を滑らせながら必死に進んでいきました。また、路上には腐った肉や骨や、手足を切り取られた人間の体や、死人の髪の毛なども散らばっていて、いたるところに蛆虫がいました。辺りは耐え難い悪臭に満ちていました。

 ユディシュティラは身の毛がよだち、心は混乱しました。頭は様々な考えに悩まされました。
「こんな道をあと一体どれくらい歩かねばならないのか? 一体弟たちはどこにいるのだろうか? 友よ。教えてください。」
 こう言うと、案内者は答えました。
「もしお望みなら、天界に戻ってもいいのですよ?」

 ユディシュティラは一瞬、戻ろうかな、と思いました。するとそのとき、周囲から聞き覚えのある声が聞こえてきました。その声はすすり泣くように訴えます。

「おお、ダルマ神の子、ユディシュティラよ! 戻らないでください! ほんの少しでもいいから、ここにいてください。あなたがいると、わたしたちの苦しみが軽くなります。あなたと一緒に甘くさわやかな風が入ってきて、とても楽になりました。あなたを見るだけで、わたしたちはどんなに慰められることか。そして苦痛が和らぐことか。いつまでもとどまっていてください。お願いします。戻らないでください。あなたがいると、責め苦にさいなまれていても、わたしたちは楽しいのです。」

 聞き覚えのあるその声に対して、ユディシュティラは聞きました。
「おお、哀れな魂たちよ! そこで苦しんでいるのは誰だ?」

「王よ、拙者はカルナだ。」
「俺はビーマだ。」
「わたしはアルジュナです。」
「ドラウパディーです。」
「わたしはナクラです。」
「わたしはサハデーヴァです。」
「僕たちはドラウパディーの息子です。」

 このような悲しげな声が、あたり一面から沸き起こり、ユディシュティラの心の痛みは極限に達しました。
「一体彼らがどんな罪を犯したというのだ? ドゥルヨーダナは、どんな善行の報いで天界で胡坐をかいているのだ? 私の身内は地獄に落ちているのに。これは夢なのか? 現実なのか? 私は気が狂ったのだろうか?」

 そしてユディシュティラは、案内者に向かって激しい口調で言いました。
「お前は天界へ帰りなさい。私は、弟たちのいるここに住みます。私に対して忠実であったという以外の罪は何一つ犯していないのに、彼らは地獄で責め苦を受けている。私だけが天界に行くことなどできるものですか。私はここに残ります。」

 案内者は天界に戻り、この言葉をインドラ神に報告しました。

 こうしてユディシュティラは、地獄の苦しみの中に自らの身をおきました。
 そうして一日の三十分の一の時間が過ぎたとき、インドラ神とダルマ神がそこに現われました。するとその瞬間、闇は消え、おぞましい景色も消えうせました。地獄の責め苦も、責め苦で苦しむ地獄の住人も、どこにも見当たりません。かぐわしいそよ風が吹く中で、ダルマ神がユディシュティラに微笑んで言いました。
 
「人間の中で最も賢明な者よ。これは私がお前に課した最後の試験だったのだよ。お前は弟たちのために地獄に残ることを選んだ。見事に合格したね。
 王や統治者というものは、死後、短い時間でも、かならず地獄へ落ちなければならないのだ。だからお前も、一日の三十分の一の間だけ、地獄の苦しみを味わったのだよ。
 お前の身内は、本当は誰も地獄の責め苦など受けていない。あれはお前を試すための幻影だったのだ。ここは地獄ではない。天界なのだよ。さあ、もう悲しむことはない。」

 ダルマ神がこう言い終わると、たちまちユディシュティラは変身しました。人間の心身組織が脱落して、神となったのです。
 それとともに、怒りと憎しみは跡形もなく消えてしまいました。そのとき、ユディシュティラは見たのです。自分の愛する弟たちも、またドゥルヨーダナとその弟たちも、みな共に一切の怨憎から脱却して、清浄な神界において、至福のなかに仲良くたたずんでいるのを。
 この再会によって、ユディシュティラはついに真の心の平安と、真実の幸福を得たのでした。



「要約・マハーバーラタ」終わり。
コメント

「クリシュナ・バララーマの捨身」

2015-10-21 17:13:21 | 要約・マハーバーラタ




(56)クリシュナ・バララーマの捨身



 クルクシェートラの大戦争が終わった後、クリシュナは、36年間に渡って、ドワーラカーの都で国を統治しました。
 ヴリシュニ族、ボージャ族をはじめとして、クリシュナの種族であるヤドゥ支族の人々は、豊かな物資に恵まれて、怠惰気ままな生活を送っていました。彼らはおごり高ぶり、修養とか謙遜などの気持ちをすっかり失ってしまっていました。

 あるとき、数人の聖仙が、ドワーラカーを訪れました。しかし傲慢無礼なヤドゥ族の人々は、聖仙たちを尊敬してもてなすどころか、身振りや口ぶりを真似たり悪ふざけをしたりして、からかいあざけったのでした。
 また彼らは、サムバという名の青年に女装をさせて聖仙たちの前に登場させると、言いました。
「さあさあ、お利口なお客様方。この貴婦人は男の子を生むか、女の子を生むか、当ててみてください。」

 このあまりの無礼なもてなしに対して、聖仙たちはこう言いました。
「この人は男の子でもなく女の子でもなく、鉾を産むだろう。そしてその鉾はこの民族にとって死神となり、やがてヤドゥ族は全滅するだろう。」
 こう言うと、聖仙たちは立ち去っていきました。

 愚かなヤドゥ族の人たちは、悪気があったわけではなく冗談のつもりだったのですが、このような不吉な結果になってしまい、狼狽しました。しかも翌日、サムバが陣痛に苦しんだ挙句、聖仙たちの言葉通り、本当に鉾を産み落としたので、びっくり仰天しました。聖仙たちの言葉通り、一族滅亡も実現してしまうのかと、彼らは恐怖におののきました。

 長いこと考えた末、彼らはその鉾をすり砕いて微細な粉にし、海にばら撒いて捨てました。彼らは、これで危険を免れたと思い、安心しました。
 しばらくの間は何も起こらず、やがて季節は雨季になりました。すると、鉾の粉を捨てたあたりの海岸に、イグサがびっしりと生えてきました。ヤドゥ族の人々は、それを見て面白がりました。もうそのころは、恐ろしい鉾と聖仙の予言のことなど、すっかり忘れてしまっていたのでした。

 それからさらにしばらくたったある日、ヤドゥ族の人々はその海岸で宴会を開き、一日中、飲めや歌えやの大騒ぎをしてすごしました。始めのうちは楽しかったのですが、やがて酔いが回るうち、昔の過失をほじくり返して口げんかをするようになってきました。
 クルクシェートラの大戦争において、ヤドゥ族の兵士の多くはクル軍について戦いましたが、サーティヤキはクリシュナと共にパーンドゥ軍につきました。そのサーティヤキと、クル軍についたクリタヴァルマンの間で、言い争いが始まりました。サーティヤキは言います。
「クシャトリヤともあろうものが、眠っている兵士たちを襲って殺すとは。なあクリタヴァルマン。そんなやつらの味方になったおぬしらは、わが民族の面汚しだぞ。」

 クリタヴァルマンも、言い返します。
「右腕を切り落とされて、ヨーガの座を組んでいる偉大なブーリシュラヴァスを、貴様はまるで屠殺人のように切り殺したではないか。卑怯者め。よくも自分のことを棚にあげて、この俺様を非難したな。」

 他の酔っ払いたちは、やがてどちらかの側について、激しくののしりあい、大混乱に発展してしました。そしてついにはサーティヤキが剣を抜いて、クリタヴァルマンの首をはね落としてしまいました。
「これが卑怯者の成れの果てだ!」

 するとたちまち大勢がサーティヤキに襲い掛かりました。クリシュナの息子のプラデュムナはサーティヤキを助ける側に回りましたが、混乱の大乱闘の中で、サーティヤキもプラデュムナも殺されてしまいました。

 この出来事を知ったクリシュナは、いよいよ定められたときが到来したことを知りました。そして海岸に繁茂しているイグサを引き抜いて、あたりにばら撒きました。すると、ヤドゥ族の人々は残らず同じようにののしりあい、殺し合い、無差別大殺戮へと発展してしまいました。こうしてヤドゥ族は全滅してしまったのでした。

 クリシュナの兄のバララーマは、この有様を見て、恥ずかしさと嫌悪感でいっぱいになり、大地にひれ伏しました。そして横たわった姿でヨーガのサマーディに入り、そのままこの世から去っていきました。額から発した白銀の光の流れに魂を乗せて、至福の大海へと帰っていったのです。こうして、バララーマとして現われた至高者の化身は、その使命を終えたのでした。

 クリシュナは、彼の一族が、予定されていた通りに相互に殺し合い、滅亡するのを見ていました。そして兄バララーマもこの世を去ったのを見届けると、彼は深く瞑想しながら荒野を歩き回り、化身(アヴァターラ)としての仕事が完了したことを思いました。
「去るべきときが来た。」
 このように自分に言うと、彼は大地に横たわり、そのままぐっすりと眠りました。

 そのとき、一人の狩人がそこへ近づいてきました。草木が生い茂る中で眠っているクリシュナを見て、狩人は獣と見間違い、矢を放ちました。矢はクリシュナの足を貫いて、体の深くまで突き刺さりました。こうして偉大なる至高者クリシュナは、深遠微妙なる使命を終えて、人間の世界を去っていったのでした。
コメント