ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 解説・アディヤートマ・ラーマーヤナ 第22回」

2014-03-31 06:13:21 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 解説・アディヤートマ・ラーマーヤナ 第22回」です。
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「強烈な切望と奉仕」(1)

2014-03-30 07:54:16 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎強烈な切望と奉仕


 ラトゥはよく、シュリー・ラーマクリシュナがカーマールプクルにいるときでさえ、ドッキネッショルを訪ねたという。
 彼は、誰もいないパンチャヴァティか、ガンガーの岸辺で、数時間を過ごした。
 あるとき、ラトゥをよく知るシュリー・ラーマクリシュナの甥ラームラルは、遠くから彼を見つけた。
 彼は、静かに座り、河辺で意気消沈し、涙を流している少年を見たのだった。
 彼は思った。おそらく、その少年の主人であるラーム・バーブが、彼がお務めをおろそかにしたために彼を叱り、彼はそれに傷ついて泣いているのだろう、と。
 しかし、彼に近づいて泣いている理由を聞いてみると、ラームラルはそこで聞いたことに驚いてしまった。
 以下に、ラームラルが語った出来事を記そう。

「私は河辺で座って泣いている少年を見つけた。
 泣いている理由を聞くと、彼は、タクルジ(ラーマクリシュナ)がいなくてとても悲しいのだ、と言っていた。
 彼がシュリー・ラーマクリシュナに抱いていた発想は、非常に驚くべきものだった。
 彼は、シュリー・ラーマクリシュナには不可能なものはないと思っていた。師はもし望みさえすれば何でもできるのだと思っていたのだ。
 そう思って彼は、師が実際に彼の目の前に現われるように、彼に呼びかけていたのだった。
 彼は、シュリー・ラーマクリシュナはドッキネッショルに永遠に存在していて、師が生まれ故郷に帰っていたとしても師はドッキネッショルにいるので、彼に会うことができるのだ、ということを誰かから聞いたらしかった。
 この考えを持って、彼は正午から夕暮れまで、そこに座っていたのだった。
 日が暮れて暗くなってくると、私は少年に家に帰るように言った。
 あなたは、彼の返答を聞いて驚くだろう。
 彼はこう言ったのだ。

『僕は、パラマハンサ・マーシャヤ(彼はよく師のことをこう呼んでいた)は絶対にここにいるって、完全に確信していますから。』

 何度も何度も、私はこう言った。

『いやいや、彼は帰郷されたんだよ。』

 そうしたら、彼は何度もこう言い返してきた。

『いいえ、あなたはわかっていません。パラマハンサ・マーシャヤは、絶対にここにいらっしゃるんです。』

 この少年の確固たる信を見て、私は黙って、寺院の夕拝に参加するために戻っていった。
 寺院に戻ってきてから、私はラトゥにプラサードをあげていないということに気づき、プラサードを持って彼のもとに戻った。
 そこに戻ると私は、彼が額を大地につけて平伏しているのを見た。
 私は当惑して黙っていた。
 数分後に、私が目の前に立っているのに気付くと、少年は驚いて、私にこう尋ねた。

『ああ! パラマハンサ・マーシャヤはどこに行ってしまわれたのですか?』

 不意を突かれて、私は何も答えられなかった。
 私は彼にプラサードを渡すと、寺院に戻っていった。」
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今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第75話」

2014-03-28 19:12:36 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写ドラマ・ラーマーヤナ 第75話」です。
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神秘の石

2014-03-28 15:54:24 | 経典の言葉・聖者の言葉




 そう、グルを生けるブッダとして見ることによってのみ、あなた自身が生けるブッダとなる変容のプロセスが真に始まり、真に完結するのだ。悟りの生きた姿がグルの中に存在するという神秘に対して、あなたの精神と心が喜びと驚きと認知と感謝のうちにすっかり開ききったとき、そのときから、ゆっくりと何年もかけて、グルの智慧の心からあなたの心へと伝播が起こるのである。宇宙それ自体の至上の輝きを伴って、あなた自身の仏性の輝きをあますところなく解き放ちながら。

 この弟子とグルの極めて密接な関係は、生と世界に対する弟子の姿勢を映し出す鏡、その生きたアナロジーとなる。
 グルは【清浄な目】をたゆまず実践していく上での中心人物となるのである。つまり、あらゆる疑念を超えて一切の介在を排し、弟子がグルを生けるブッダとみなしたときに、【清浄な目】は頂点に達するのである。
 グルの言葉の一つ一つを仏陀の言葉として聞き、その心を仏陀の智慧の心と思いなし、その一挙手一投足を仏陀の行為のあらわれと見、その住処をほかならぬ仏国土と感じ、その周囲の人々をもグルの智慧の光輝く顕現と見るようになったとき、それは頂点に達するのである。
 このような感覚がより安定した現実のものとなってくると、弟子たちがいくつもの生に渡って心から望んできた内なる奇跡が一つまた一つと起こり始める。弟子たちはごく自然に自己を、宇宙を、すべての存在を、例外なく本来清浄で完璧なものと見るようになる。ついにリアリティを自分の目で見るようになるのである。つまり、グルが道なのだ。グルは弟子の知覚の一切を変容させる神秘の石なのである。


 ――ソギャル・リンポチェ
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「師ラーマクリシュナとの出会い」(5)

2014-03-28 06:06:45 | 経典の言葉・聖者の言葉


 ラトゥはシムラーにある彼の主人の家に帰ったのだが、もうこれ以上、仕事に従事するのは不可能であった。
 彼は、何かを頼まれたらもちろんそれをこなしたのだが、ただそれをポーズとしてやっていた。しかし誰も、彼がそれらを全くの不本意でやっているとは気付かなかった。
 しかし彼の主人のラームダッタだけはそれに気づき、心配した。
 家の女主人は、彼の召使いらしくない振る舞いに少し傷ついたが、何も言わなかった。

 ある日、ラームチャンドラダッタはドッキネッショルに一人で行き、ラトゥが仕事に対して全く興味をなくしてしまったことを師に知らせた。

 師はこうお答えになった。

「ラームよ、それは仕方がないよ。
 彼の心はここに来ることを渇望している。
 どうか、またあの子をここに送っておくれよ。」


 それに従って、ラームダッタは次の日に、ラトゥをドッキネッショルに送った。
 師と少年の間で何が起こったのか。
 われわれはそのことを、医者であるカヴィラージ・マハーシャヤから聞いた。
 彼はある日、ドッキネッショルに来て、健康がすぐれないラーマクリシュナに、転地療養のために故郷のカーマールプクルに帰るようにと助言していた。
 われわれは以下のことを聞いた。

 シュリー・ラーマクリシュナは仰った。

「なあラトゥ、お前がここに来たいという真剣な願いは知っているよ。
 だがね、そのために、主人のお勤めを疎かにするのはよくないねえ。
 お前はラームから、寝るところとか、食事や衣服、それに必要なものはぜんぶもらっているじゃないか。
 それなのに彼の仕事をしないなんて、その報酬に対して不誠実だよ。
 いいかい、絶対に恩知らずになってはだめだよ。」


 おしかりを受けて、この純真な少年は泣きじゃくり、感情で声をつまらせて、自分の無力さをさらけだしてこう言った。

「もう他の誰にも仕えません。
 僕はここであなたと一緒にいたいのです。
 僕はあなたにお仕えいたします。」
 
 師はこうお答えになった。

「ここにいたい、と言うのかね? でも、ラームの仕事はどうするんだ?
 ラームの家族は私のものでもあるのだよ。
 どうして、その一家の中で暮らせないんだい?」


 それでも、その少年はそれを理解しなかった。
 おそらく、話を聞いていなかったのだろう。
 眼をキラキラさせて、彼はこう言った。

「もうあそこには帰りません。ここに住みます。」


 師は笑って、こう仰った。

「でも私はここからいなくなるんだよ。
(カヴィラージ・マハーシャヤを指して)彼らが私を故郷に連れていくんだとさ。」

 ラトゥは、無言のままだった。
 こう言われて、彼は何も言い返せなかった。
 しかし、師は彼のハートに希望を植え付け、こう仰った。

「私が故郷から帰ってきたら、お前はここに来て、私と一緒に暮らすとよい。
 だから、ちゃんと辛抱するのだよ。」


 ラトゥは、心を希望に満たしてドッキネッショルに行ったが、傷ついた心と共にシムラーに帰った。
 しかしこのとき、彼はあるたとえ話を聞いた。それは、師がドッキネッショルから離れている間、彼の心の支えとなった。
 シュリー・ラーマクリシュナは、その話を別の信者に語っていたのだが、ラトゥはそれを耳にして、覚えたのだった。

「一家の務めをぜんぶ果たしなさい。しかし、神のことを思い続けなさい。
 わが身内として、妻子や父母に仕えなさい。しかし、彼らは自分の所有物ではない、ということを常に知っていなさい。
 女中は、金持ちの家で働いていても、故郷の自分の家と愛する家族のことを思っている。
 彼女は主人のおさない子供たちの面倒を見て、『私のラーム』とか『私のハリ』と言う。
 しかし、心の奥では、彼らは自分のものではない、ということを知っている。」


 この話が、ラトゥの悲嘆にくれた心を幾分か慰めてくれたのだった。われわれは後に、彼の口からそのことを聞いた。
 しかし、ラトゥは何か安らぎを得たのだろうか?
 いや、ラトゥはずっと一人で、他人に気づかれることなく、悲嘆に苦しんでいた。
 彼は、たとえシュリー・ラーマクリシュナが直接的に何か指示を与えていなかったとしても、言葉通りに、心から、念入りに、師の指示に従うように心掛けた。
 深い信と敬意ともって、彼はその傷ついた心で理解したこの話の解釈に、几帳面に従ったのだった。

 そして彼は常に、これらの指示に対する自分の心の反応を行動に移そうしていたから、それらは彼にとって、生き生きとしたものとなり、彼を鼓舞した。
 彼は教えの真の意味を理解するのに、論理や哲学に走ることはなかった。
 時間を無駄にすることなく、彼はすぐにそれらを実行に移した。
 その結果として、他の方法で行うよりもより鮮やかに、教えの隠れた意味が理解できたのだった。
 この少年のアプローチ方法は、現代的なやり方――つまり、まず最初に知性を働かせて、事を十分に理解し、それからそれを実行しようとする現代的な傾向とは全くの正反対なのであった。
 人々は、この彼の子供の頃からの風変わりな性質に気づいた。
 彼は思索よりも、実行する方を好んだ。
 彼は、師に指示されたことを几帳面に実行することが、どれだけ自分の心を広げ、自分の人格を高めていたのかということに気づいていた。このメソッドの効能を完全に確信していたのだ。
 
 後年、彼はこのように言っていた。

「君は何もしていないじゃないか。君は何もしないというのに、サードゥを悩ましている。
 君はサードゥが、君のけがれを浄化し、君の欠点を取り除いてくれるとでも思っているのかい?
 性向は君のものだ、君は自分の努力によってそれらを変えなければならない。
 サードゥの言葉や単なるロジックがそれらを取り除いてくれると思うか?
 君には信や献身があるのかい?
 それらなくしては、理解が完全になることはありえない。
 実践なくしては、誰も悪しき性向を取り除くことはできないのだ。」


 師が故郷に帰り、ラトゥはラーム・バーブの家に戻った。
 ラトゥはその日々を、どう過ごしていたのであろうか?
 彼自身の言葉で、彼の心境を描写してみよう。

「僕があの辛い日々をどう過ごしていたか、君たちにはわかるかい?
 僕は、悲しみにわれを忘れていた。
 あの別離による心の痛みは、耐えきれないほどだった。
 僕はラーム・バーブのところで暮らすことができなかったから、こっそりとドッキネッショルに行った。
 それでも、そこで喜びを見出すことはできなかった。
 僕は、師(シュリー・ラーマクリシュナ)の部屋に入れなかった。
 すべてが、虚しく、空虚で、死んでいるように見えた。
 僕は、庭やその周辺をぶらついた。
 そしてガンガーの岸辺に座って、独りで泣いていた。
 ……どうして君が、この苦しみを理解できようか?
 言っておくけど、これを理解するのは君には不可能だ。
 ラーム・バーブは少し理解できた。
 彼は僕をよく慰めてくれた。僕は彼から、シュリー・ラーマクリシュナのお写真をもらったんだ。」


 聖者ニティヤゴーパールが、この時期のラトゥの心境について、簡潔にわれわれに語ってくださった。

「ラトゥの心境はまるで、喉が渇いて死んでしまおうとも雨の滴しか飲まないチャータカ鳥のようだった。」
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「師ラーマクリシュナとの出会い」(4)

2014-03-28 05:56:33 | 経典の言葉・聖者の言葉



 アーラティが終わると、師は彼に寺院のプラサード(神聖なおさがり)を食べるように言った。
 ビハールで生まれた彼は、カーリー寺院のおさがりを食べるのをためらった。そこでは、動物の肉が捧げられていたからである。
 師はそれを理解して、こう仰った。

「ねえ、カーリー寺院では、肉が捧げられるのだよ。
 でもヴィシュヌ寺院では、菜食の食べ物だけが捧げられる。――さらに、全部ガンガーの水を使って調理されている。
 どっちが食べたいかね、息子よ。
 でもね、神に捧げられた食べ物を食べることをためらうのは良くないよ。
 わかったかね?」

 無学のラトゥは、深く考えることなく、子供のように単純に、無邪気にこう言った。

「僕はあなたがお望みのものを食べます。
 僕はあなたのプラサードしか食べません。」


 師はその少年の率直さを見て、お笑いになり、ラームラルを呼んで仰った。

「この子の賢さをごらんよ。
 私が食べるものを食べたいのだとさ。」

 食事のときに、師はラトゥをそばに座らせて、彼にご自分が食べたものの一部をお与えになった。
 その少年は、自分が最も神聖だと思っていたものを食べ、自分は祝福されていると思った。
 彼の歓喜は、言葉に表わせないものであった。


 午後に、信者たちが少しずつ集まり始めた。
 師は彼らと話をしていらっしゃった。
 夕暮れになった。
 師はラトゥを見て、こう仰った。

「もう日が暮れた。カルカッタに帰らないのかね?
 お前は今日一日中、ここで過ごした。」

 そしてまた、師は、乗り合いの篭を借りるお金があるかどうかを彼にお尋ねになった。
 少年は、何も言わずにポケットを振った。
 小銭がジャラジャラとなった。
 師は彼の純真さを見てお笑いになり、それ以上は何も仰らなかった。
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「師ラーマクリシュナとの出会い」(3)

2014-03-27 06:01:19 | 経典の言葉・聖者の言葉


 ある日、ラトゥは口を開いた。

「それを全部僕にください。僕が全部あそこにお届けします。
 道は忘れてませんよ。何とかお寺にたどり着けます。」

 こうしてその日、彼は一人でドッキネッショルに行ったのだった。
 それは、1880年の春だった。
 鹿のように早く、彼は6マイルの長い道のりを進んでいったのだが、早く到着することはできなかった。
 なぜなら、彼は道のりを正確に覚えていなかったからである。
 彼はくじけずに、道のりを人々に尋ね続け、寺院に到着したのは午前の11時だった。彼は師のために果物とお菓子を包んで持ってきた。
 遠くから寺院の尖塔を見つけ、さらに少し近づいてシェーナイ(インドのオーボエ)や太鼓の音が聞こえてくると、彼の喜びには際限がなかった。
 寺院の咲き乱れた花や蔓草のあずま屋を通っていると、彼は楽園にいるような気持ちになった。
 そして、庭の道に立っているシュリー・ラーマクリシュナが目に入ると、この少年はもう感情を抑えることができなくなった。
 彼は駆け出して……いや、というよりはひとっとびで、師のもとに行き、込み上げる帰依の思いで、その御足に礼拝したのだった。
 長い間ひれ伏し、そしてその二人はいろいろな話をしながら、寺院へと向かっていった。

 メインの寺院の神像の前で灯明が振られているのを見ると、ラトゥの頬に涙が伝った。
 そこから、彼はヴィシュヌ寺院へと行った。
 特にそこでのアーラティ(灯明を振る儀式)の光景に、彼は非常に感動して、自分を制御できなくなった。
 その寺院には、「ラーマに勝利あれ、ラーマに勝利あれ(ジェイシュリーラーム)」の声がこだましていたのだった。
 われわれはこれらを、この出来事を自らの目で目撃したラームラルから聞いた。
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「師ラーマクリシュナとの出会い」(2)

2014-03-27 05:52:18 | 経典の言葉・聖者の言葉


 ラトゥはドッキネッショルから戻ったが、放心状態のまま日々を過ごした。
 彼はもはやこの世の何にも魅力を感じなくなっていたのだが、すべてを振り払って忠実に自分の心に従うこともまだできなかった。
 この神聖なる不安の状態、この神聖なる不満の正体が、そのわびしさの狭間を通り抜けた者たちにしかわからないとは、なんと悲しいことだろう!
 この期間、ラトゥは、自分の意志で動いているというよりは、機械的に動くネジ巻き時計のように見えたと、このころの彼を見た人々からわれわれは聞いた。
 彼の肉体は、どこか別のところに行っている彼の心によって動いているのではなく、まるで川の中にある小石が川の流れに押しのけられて川底であちこちに転がるように、自動的に日々の務めをこなしているようであった。――彼の肉体を動かしていたのは、心ではなく、日々の義務であったのだった。
 ドッキネッショルに行く前は、この少年の明るく楽天的な気質が、ラームダッタの家を、笑いと陽気な騒ぎの声で賑わしていた。
 しかし今やその家は、彼の急激な心変わりのために、暗く、陰鬱になってしまったかのようだった。――夢のない眠りのように、その家の中は死んだように静かだった。
 シュリー・ラーマクリシュナに出会う前、彼は不屈のエネルギーと熱意を持って、素早く自分の務めを終わらせると、人々と一緒に、会話に夢中になったり、冗談を言ったりして過ごしていた。
 しかし今や、彼は生きることに完全に興味を失い、まるで失望を絵に描いたように見えた。
 一家の人々は皆、この変化を目撃していた。
 このようにして数週間が経っていった――そしてさらに長い日々が同様に過ぎ去って行ったが、彼は元の状態に戻ることはなかった。ただ再びドッキネッショルに行けることを夢見ていたのだった。
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今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 解説・アディヤートマ・ラーマーヤナ 第23回」

2014-03-26 15:47:39 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 解説・アディヤートマ・ラーマーヤナ 第23回」です。
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富士山精進湖ヨーガ修行合宿

2014-03-24 05:54:36 | お知らせ

 富士山の精進湖畔に、二泊三日のヨーガ修行合宿に行ってきました。

 天気が変わりやすい富士山で、三日間とも素晴らしい快晴で、素晴らしい合宿となりました^^






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クリシュナ物語の要約(10)「悪魔アガの救済」

2014-03-20 05:42:20 | 経典の言葉・聖者の言葉


(10)「悪魔アガの救済」




 ある朝クリシュナは、朝早くから寝床から起きると、仲間の子供たちとともに、子牛を連れて森の中へと入っていきました。

 彼らは森に到着すると、牛たちを一か所に集めて自由に草を食ませながら、皆で様々な遊びをして、楽しく時を過ごしました。

 宇宙の主であるクリシュナを、賢者は「最高のブラフマン」であると見ます。
 主にバクティをささげた者は、「最高神」と見ます。
 そしてマーヤーに目を覆われた者には、ただの人間に映るのです。

 そして前生で多くの功徳を積んできたこれらの子供たちは、まだクリシュナの正体は理解できずとも、クリシュナとともに楽しく遊びたわむれる幸運を得たのでした。

 何千年もの苦行を積み重ねたヨーギーでさえ、主の御足の塵を受けるのは難しいことなのです。であるのに、クリシュナをまさに肉眼で見、親しく接する機会を得たヴラジャの人々が味わった幸運を、いったいどう表現すればよいのでしょうか?


 さて、しばらくクリシュナと子供たちが遊んでいると、アガという強大な悪魔がやってきました。このアガは、かつてクリシュナに挑んで殺された、プータナーとバカの弟だったのです。そのためアガはクリシュナを憎み、仇を討つためにやってきたのでした。そしてアガは、この子供たちを殺して、ヴラジャの人々を悲しませようと考えたのでした。

 アガは、全長10キロ以上もある大蛇に変身すると、その洞窟のような大きな口をあけました。その口はあまりに巨大だったため、それは一つの風景のように見えました。牙は山のように見え、長い舌は道のように見えました。

 子どもたちはこの風景を見て、大蛇の口のようにも見えましたが、ただの風景のようにも見えました。そして楽観的に笑いながら、皆で蛇の口の中に進んで行ってしまいました。

 クリシュナはそれを見て、悪魔が変身した大蛇だと気付きましたが、もうすでに遅く、子供たちは大蛇の口の中へと入って行ってしまいました。しかし悪魔は、まだ口を閉じようとはしませんでした。兄と姉のかたきであるクリシュナが入ってくるのを待っていたのです。

 クリシュナは、自分を守護者とみなす子供たちが、自分の統制から離れて蛇の口の中へ入って行き、悪魔の食物になってしまうという、この痛ましい光景を見て、憐みの思いに心を満たされながら、自らもその大蛇の口の中へと入っていきました。

 そのとき、雲の後ろに身を隠してそれを見ていた神々は、「ああ、なんと悲しきことよ!」と恐怖の叫び声をあげ、また悪魔たちは歓喜の声をあげたのでした。

 しかしクリシュナは、大蛇の口の中に入ると、ただちに身体を巨大化しました。
 そのため大蛇は喉が窒息し、そのあまりの苦しさのために、目は外に飛び出し、激しくのたうちまわりました。そして密閉されたその悪魔のプラーナ(気)は、行き場を失い、ついに彼の頭頂のブラフマ・ランドラを貫いて抜けたのでした。
 すると悪魔の身体から不思議な光があらわれ、それはクリシュナの体の中へと吸収されました。クリシュナを殺そうとした悪魔でしたが、逆にクリシュナの祝福によって罪を浄化され、クリシュナの中に吸収されるという最高の恩恵を得たのでした。

 そしてクリシュナは、大蛇のお腹の中で死んでしまった子供や子牛たちを、まなざしを注ぐだけでよみがえらせました。
 
  


つづく
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今日のAMRITAチャンネル「2014マハーシヴァラートリー&ラーマクリシュナ生誕祭」

2014-03-20 04:59:46 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「カイラスニュース 2014マハーシヴァラートリー&ラーマクリシュナ生誕祭」です。
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ラーマクリシュナ生誕祭&シュリー・チャイタニヤ生誕日

2014-03-17 05:58:56 | 松川先生のお話
昨日は日本ヴェーダーンタ協会で行われた、ラーマクリシュナ生誕祭に参加してきました。

 カイラスのみんなも、キールタンを供養させていただきました。恒例の当日いきなりオファーにも関わらず、演奏も歌もハモリも完璧だったのはさすがです笑。参加者の方が何人も目をうるわせて、感動したと声をかけてきてくださったそうです。

 また、この日はシュリー・チャイタニヤの誕生日でもあったので、教室に帰った後は、チャイタニヤにお供物&歌を供養させていただきました。

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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「師ラーマクリシュナとの出会い」(1)

2014-03-15 09:54:37 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎師ラーマクリシュナとの出会い


 ラームダッタはよく、シュリー・ラーマクリシュナがお説きになった、深い真理を説明している素朴な例え話を繰り返し話していた。――そしてそれはラトゥの心に強く訴えかけたのだった。
 それらの例え話は、彼の中に、神への愛、神への情熱を呼び覚ました。
 彼の心は、シュリー・ラーマクリシュナに会うことを切望した。
 その熱望が苦悩となり、その苦悩で彼は落ち着かなくなり、彼の心の中に数えきれないほどの疑問が沸き起こった。

「えっ? そのパラマハンサとは誰だろうか?
 このような素晴らしい言葉を語る御方は、どこに住んでおられるのだろう?
 ドッキネッショル? ここから遠いのかなあ。
 ご主人様に頼んだら、一回だけでもそこに連れて行ってくださるだろうか?」

 強烈な切なる思いに襲われて、自分の気持ちを抑えきれなくなり、ラトゥはある日曜日に、勇気を出して手を合わせ、興奮して早口でこう言った。

「そこに行かれるのですか? 是非とも、僕も連れていってくださいませんか?
 僕はあなたのパラマハンサに会いたいです。
 僕を彼に会わせてくださいませんか?」

 自分のお気に入りの少年から発された、これらの簡素で愛のこもった懇願の言葉は、ラームチャンドラの心を掴み、ラトゥはその日にドッキネッショル寺院に連れて行ってもらえたのだった。


 ラトゥがシュリー・ラーマクリシュナに初めて出会った年については、いくつかの若干相反する説があるが、1879年というのがかなり信憑性のある説である。
 二人が最初に出会ったときには、他には誰もいなかったという説もあるが、われわれはそれとは異なる説を立てる。
 われわれは、二つの情報源からこの情報を得た。
 まず最初に、シュリー・ラーマクリシュナの甥であるシュリー・ラームラル・チャッタールジから聞いたことを述べよう。

「ある日私は、ラーム・バーブが少年の召使を連れてきたのを見た。
 その召使は背丈が低く、強健で、がっしりとしていた。
 見た目は小太りではあったが、非常に力強いということを思わせるものがあった。
 私はそのときは、彼の名前を知らなかった。
 私は、その少年が西側のベランダに立っているのを見た。
 ラーム・バーブは部屋の中にいて、おそらく、シュリー・ラーマクリシュナを探しているようだったが、彼はそのとき部屋の外にいたのだった。
 シュリー・ラーマクリシュナは、シュリー・ラーディカーのムードで、鼻歌を歌いながらベランダへと来られた。
 師はこの詩を即興で歌っておられた。
 
『そのとき、私は扉のそばに立っていた。
 けれども、私の愛するクリシュナとお話をする機会は、
 ちっとも巡ってこなかったわ。
 それは兄弟バライ(クリシュナのお兄さん、バララーマ)が彼と一緒にいたから。
 私は彼と言葉を交わすことができなかったの……』

 ラーム・バーブは、その歌を聞いて、部屋から出てきたようだった。
 そのとき、タクル(シュリー・ラーマクリシュナはこう呼ばれていた。神という意味)は、ベランダにお着きになった。
 彼はラーム・バーブにこう尋ねられた。

『この子を連れてきたのは、お前なのか?
 この子をどこで手に入れたのだね?
 彼にはサードゥのしるしがある。私にはそれがわかる。』

 そう言うと、タクルとラーム・バーブは部屋に入った。
 しかし、ラトゥはそこで立ったまま待っていた。
 私は、彼に入るように言った。
 タクルが彼を呼ぶと、彼は入るか否かを考えていた。」



 この部屋の中での出来事を、われわれは運良くラーム・バーブから直接聞くことができた。
 ある日、シュリー・ラーマクリシュナの驚くべき御力について話しをしている時に、ラーム・バーブは以下の話を語った。

「サードゥなのか紳士なのか見てもわからないようなサードゥに私が礼拝していたとき、どんな思いや感情がラトゥの心に浮かんだのか、私にはわからない。
 私がシュリー・ラーマクリシュナに礼拝して、頭を上げたとき、私は、ラトゥが主の御足を掴み、頭をそこに置いているのを見た。
 タクルは、まるでその少年に全く気付いていないかのように、私と話を始められた。
 そしてラトゥは起き上がって、合唱して彼の前に立ち、その間ずっと彼の言葉に聞き入っていたのだ。
 タクルはいつものように笑いながら話をしていたが、時々、ラトゥの方に視線を投げかけていらっしゃった。
 彼は仰った。

『ほら、お座り。なぜ座らないのかね?』

 そのときのわれわれの話題は、永遠に自由で、マーヤーの手中に決してさらされない魂についてだった。
 彼はこう話された。

『その永遠に自由な魂は、皆、生まれ変わりはするのだが、決して真の本性、宇宙の主との関係を見失ったりはしない。
 彼らはまるで、石で出口を塞がれた泉のようなものだ。
 石工が泉の吹き出し口を見つけてその石を取り除けば、ただちに水が勢いよく見事に湧き出てくるよ。』

 そう言うと、シュリー・ラーマクリシュナは突然、ラトゥに触れた。
 そのとき、その少年の中に凄まじい感情が湧き上げてきたのだった。
 彼は肉体と外界の意識を失った。
 まるで、われわれの誰もが知らない国へと運ばれていったかのように見えた。
 彼の体の毛はすべて逆立ち、声は詰ってものが言えなくなり、頬には絶え間なく涙が流れ、唇は激しく震えていた。
 私は、この前代未聞のラトゥの感情の高まりに驚いて、口をぽかんと開けたまま、ただただ立ちすくんでいたのだった。
 しかし、ラトゥがその状態のまま、一向に収まる気配を見せずに泣き続けているのを見て、私は我に返り、師に取り成した。

『確かに、これは間違いなく、あなたがおやりになったのでありましょう。
 しかし、この少年はずっと泣き続けております。』

 すると、師は再びその少年に触れた。
 その瞬間に、あんなに激しく泣きじゃくっていた少年は、正気に戻ったのだった。」


 少年の感情が収まると、タクルはラームラルに、少しばかりのプラサードを彼にあげるように仰った。
 プラサードを食べると、彼はすっかり普通の状態に戻り、タクルは彼に寺院に行くように仰った。


 初対面で、シュリー・ラーマクリシュナは、このチャプラ地方出身の無学の少年――激しいサーダナーによって、ほとんど計りしれないような霊性の巨匠となるであろう輝かしい霊性の未来を担った、少年の心の内なる働きを理解した。
 それゆえに、ラーム・バーブがその少年と共に帰る準備をしていたときに、シュリー・ラーマクリシュナは彼に、その少年を時々ドッキネッショルに送るようにと、愛情を込めて仰ったのだった。
 そして、ラトゥに彼はこう仰った。

『また時々ここへおいで。わかったかい?』
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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「シュリー・シュリー・ラーマクリシュナの到来」

2014-03-15 07:49:30 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎シュリー・シュリー・ラーマクリシュナの到来


 自然主義者であったドクター・ラームチャンドラダッタは、1879年にシュリー・ラーマクリシュナのところへやって来て、彼の生命を蝕んでいた疑問を吐露した。
 そして、そのリシの微笑みは、一瞬でその難題を解決してしまった。
 この医者の人生を知っている者ならば誰でも、彼がシュリー・ラーマクリシュナを見たその時から、神の信者に変わってしまったのだと証言できるだろう――そこに議論の余地はない。
 聖典には、リシはその存在によって、彼と接触しに来た者たちすべての中に神への信念を植え付ける、と説かれている。

 ドクター・ラームチャンドラの心の砂漠に撒かれた神への信の種は枯れることなく、少しずつ芳しい花々とみずみずしい果実をつけた美しい樹へと――神聖なる愛、不変の平安へと――成長していった。
 それは普通の変化ではなく、人格の完全なる変革、心と見解の完全な変化であり、それによって、干からびた知性が取り除かれ、永遠に広がり続け、永遠に深まり続ける無限者への求道の扉が開かれたのだった。
 個性の中の美が開かれるというのは、常に圧倒的なことである。
 シュリー・ラーマクリシュナとの束の間の交わりによって、ラームチャンドラダッタは彼に魅了され、人間をグルとして受け入れることに断固反対であったはずの彼の中に、あらゆる事物に関してシュリー・ラーマクリシュナを導き手として持ちたいという溢れんばかりの欲求が生じた。
 彼はその望みを叶えるために、シュリー・ラーマクリシュナに懇願し続けた。

 霊性の修行への彼の熱意は急速に増大し、彼の家族全員にもその火が付けられた。
 少年召使のラクトゥラームも、その火から逃れることはできなかった。
 とはいえ、読み書きができず、(現代教育的な意味で)無学であったその少年は、ブラフマン、真理の複雑微妙なる概念を理解することはできなかった。
 しかし彼は、この問題から抜け出す道を見出した。
 彼は、最愛の理想神(イシュタ)であるシュリー・ラーマをそのブラフマンとして受け入れ、その彼の御足に、強烈でけがれなきハートの愛を注いだのだった。


 ラームダッタの家でのある祝い事の時に、その少年は(ラーマクリシュナの教えである)以下のことを耳にした。

「主はそのバクタの心の中をごらんになる。その人が何者か、どこにいるのかは気にしない。
 主を見ることに夢中になっている人、主以外の何ものも求めない人、そのような人に主は自らを現わされる。
 誠実に、夢中になって主を求めなければならない。自分の中から策略や陰険さを追い出さなければならない。単純な子供のようにならなければならない。そういう人に、主は自らをお現わしになる。
 人は一人になって憧れを持って主に呼びかけ、主を思って泣かなければならない。
 そうして初めて、主はお恵みを与えてくださるのだ。」

 これらの言葉を主人であるラームダッタの口から聞き、少年ラトゥの心は深い感銘を受けた。
 晩年になってからも、アドブターナンダ(ラトゥ)はよく、これらの言葉を、彼が一番最初に聞いたときと同じようなイントネーション、アクセント、句読で、信者に繰り返していた。
 彼は数えきれないほど、これらをわれわれに繰り返し説いてくださった。それは毎回、われわれにとって非常に新鮮で魅力的だったので、毎回、まるでそれを初めて聞いたように感じるのだった。

 そして彼は非常に真面目に、それを実践していたようだった。

 ラトゥが少年時代から、これらの教えをサーダナーの種子であると見なしていたことは間違いないだろう。

 ラームダッタの次女は、後にこう証言している。

「私たちはよく、ラトゥが応接間の隅に横たわって、頭から足まで毛布に包まっているのを見かけました。
 彼の眼は赤く、しばしば涙で溢れていました――彼はそれを左手でよく拭っていたのでした。
 最初、私たちは、彼はホームシックにかかり、叔父さんのことを考えているのだろうと思っていたので、お母さんはよく彼を慰めていました。
 しかし彼は黙ったままで、何も言いませんでした。」


 この涙の理由が、誰に理解できようか!
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