ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

サーダナーの指針の花輪(271~280)

2013-08-31 21:14:21 | 経典の言葉・聖者の言葉

271.
 正しい努力によって、あなた自身を救済しなさい。
 グルはあなたを正しく道案内してくれるが、グルの導きに従ってヨーガの一つ一つの階梯に歩を進めるのは、あなた自身である。


272.
 好機がやってこないと不満を言ってはいけない。
 精神一到何事か成らざらん。
 あなたが本当に誠実に努力するならば、好機は自ずからやってくる。
 主の恩寵は、正しく努力する者にそそがれるのである。


273.
 プララブダ(今生経験しなければいけないカルマ)とプルシャールタ(個々の行為の努力)は、同一である。
 過去世のプルシャールタの結果が、今生のプララブダなのだから。
 それは、果てしなき鎖の連続である。
 正しい努力は、常にあなたに幸せな果報の収穫を与える。
 マールカンデーヤが不死を得たのも、サヴィトリーが夫をヤマ(死王)の手から取り戻したのも、努力によってであった。
 プララブダを単なる運命論としてとらえると、それは人にあきらめをもたらす。それは精神的・霊的進化の道における最悪の敵である。
 そのようなあきらめは、求道者を非常に弱めてしまい、意志力は彼から去っていってしまう。
 

274.
 あなたの運命について、決して考え込むな。
 運命は、人の思い、習性、そして人格によって形成される。
 あなたは、正しい努力によって、あなたの思うように運命を形作ることができるのだ。
 真実には、人は彼自身の運命の創り手なのである。

 
275.
 「ヨーガヴァシシュタ」を学ぶならば、あなたは、人が努力によって永遠の境地を達成できるという教えを見いだすだろう。
 プララブダは、人が一つの生から別の生に運んでくる、肉体及びそれに関係するものである。
 主ブッダも、このように強調した――「正しい努力のみが、成功をもたらす。」


276.
 ブラフマチャリヤー(禁欲行)は、人生におけるあらゆる仕事を成功させるための主要な鍵である。
 それは精神的/霊的進歩においては絶対的に必要である。


277.
 無智なる者のひどい病気(欲望)を根絶し、求道者をブラフマンの境地に確立させるために、ブラフマチャリヤーは強力な万能薬となる。


278.
 ブラフマチャリヤーとは、思いと言葉と行為における禁欲の誓いであり、それは人を真我の悟りやブラフマンの悟りへと導く。


279.
 精力は、思考、知性、生命、そして意識のエッセンスである。


280.
 一回の性行で無駄に排出されるエネルギーは、十日間の肉体労働で消費される肉体的エネルギー、または三日間の精神作業で費やされる心的エネルギーに等しい。
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牢獄にて

2013-08-31 11:42:07 | 経典の言葉・聖者の言葉


 人々から自分を孤立させている牢獄を見ると、それは私を閉じ込めている高い壁ではなくなっていた。壁ではなく、ヴァースデーヴァが私を取り囲んでいたのだ。
 独房の前にある木の枝の下を歩いたが、そこに立っているのは木ではなく、ヴァースデーヴァであり、シュリー・クリシュナであり、私はその影の下を歩いていることがわかった。
 牢獄の鉄格子を見ると、そこにもまたヴァースデーヴァがいた。
 私の見張り番をしているのはナーラーヤナだった。
 寝床がわりに与えられた固い毛布に横たわると、シュリー・クリシュナの腕に抱かれているのを感じた・・・・・・。
 牢獄にとらえられている泥棒たち、殺人者たち、詐欺師たちを見ると、ヴァースデーヴァが見えた。曇った魂と誤った使い方をされているその体には、ナーラーヤナが宿っていた・・・・・・。
 (法廷で)ふと見ると、そこにいるのは裁判官ではなかった。法廷に腰掛けているのはヴァースデーヴァでありナーラーヤナであった。検察官に目をやると、そこにはシュリー・クリシュナが座っており、私にほほえみかけていた。


 ――シュリー・オーロビンド(革命活動で一年間投獄されていたときの経験)
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ヨーガ講習会のお知らせ

2013-08-30 22:06:32 | お知らせ


 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。


 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※横浜・東京・大阪・仙台の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。

 ※現在講習会がない地方への出張も、要望があれば検討しますので、お気軽にご連絡ください。





9月8日(日)13:30~16:30
☆場所:札幌・スタジオプラス
地下鉄豊水すすきの駅6番または7番出口よりより徒歩3分
http://studio-plus.info/access/


10月13日(日)11:30~14:30
☆場所:大阪・スタジオエスク
地下鉄御堂筋線中津駅1番出口より徒歩5分。
http://www.studio-esuc.com/map.htm





☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円


☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~50名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:電話かメールでお申し込みください。


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勇敢に進め

2013-08-30 21:54:45 | 経典の言葉・聖者の言葉
 勇敢に進め。
 一日や一年で成功を期待するな。
 常に最高なる者にしがみつきなさい。
 不動であれ。
 嫉妬と利己性を避けなさい。
 真理に対して素直であれ。永遠に忠実であれ。
 そうすればあなたは、世界を動かすだろう。
 嫉妬は、奴隷となる原因である。それを常に避けなさい。


ヴィヴェーカーナンダ

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今日のAMRITAチャンネル「イメージビデオ The Essence of Bhakti Yoga」

2013-08-30 20:38:51 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「イメージビデオ The Essence of Bhakti Yoga」です。

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2013-08-30 10:52:29 | 経典の言葉・聖者の言葉


 ヴィシュヌ派の聖典にはこうある。

”信で寄り添うクリシュナは、議論をすれば遠ざかる。”

 ただ信じることだよ!


 ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ
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サーダナーの指針の花輪(261~270)

2013-08-29 23:03:25 | 経典の言葉・聖者の言葉

261.
 ヨーガ修行は、あなたの感情や欲望のコントロールを手助けし、また誘惑に対抗する力、安らぎを乱す要素を心から取り除く力を与えてくれる。


262.
 ヨーガは、通信教育によって教えたり学んだりできるシステムではない。
 ヨーガの生徒は、数年間は師の下で厳しい規律に則った生活を送り、戒と瞑想修行の実践に励まなければならない。 
 その後でのみ、彼はヨーギーとなることができる。


263.
 朝八時から夜八時まで働く良きビジネスマンは多くいるが、彼らも夜八時から十時までは、良きヨーギーになるべきである。
 いくつかのアーサナ、いくつかのクリヤー、若干のプラーナーヤーマをおこない、そしてそれぞれの道に従って教えを学ぶべきである。
 世にありながら、世から解放されている。これが最高のヨーガである。

 
264.
 食事は控えめにしなさい。シンプルな食事を摂りなさい。
 性的禁欲を遵守しなさい。
 感覚を制御しなさい。
 綺麗な空気を吸いなさい。
 グルの庇護の下、静かでヴァイブレーションの良い場所に住みなさい。
 そしてヨーガを修行しなさい。
 このようにして、あなたのヨーガは成功するだろう。


265.
 あらゆるものの中に神を見て、被害や困難さえも善きものに変えなさい。
 これが、真のヨーガである。
 これにより素晴らしい悟りは得られ、すべての無明の束縛はバラバラに引き裂かれる。
 そしてあなたは永遠の中にとどまるだろう。


266.
 ヨーガの精髄は、至高なるものを見ることと、神の中に安らぐことである。


267.
 この世のあらゆる事は、正しい努力によって成し遂げることができる。


268.
 救済を求めて神を渇望しなければならない。
 しかし、何もせずにただ座っていてはいけない。
 立ち上がり、行動せよ。
 なぜならば、他人だよりにならずに自分自身で努力する者こそを、神は助けてくださるからである。 


269.
 「ウッダレード・アートマナ・アートマナム――自分で自分を引き上げなければならない。」
 すべてのサーダナは、求道者自身の努力によっておこなわれなければならない。
 ごまかしや欺瞞によっては、精神的・霊的光輝を達成することはできない。


270.
 世界の真の本性を直観した人、真理を真に見極めた人、彼らは努力と精進に励むことによって、悪しき習性と現世的欲望から自らを解放したのである。
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今日のAMRITAチャンネル「カイラスニュース クリシュナジャヤンティ&バクティヨーガフェスタ2013」

2013-08-29 21:43:39 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「カイラスニュース クリシュナジャヤンティ&バクティヨーガフェスタ2013」です。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ クリシュナ特集」

2013-08-28 18:48:22 | 今日のAMRITAチャンネル

 今日はクリシュナ御生誕の日です^^

 そこで、今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ クリシュナ特集」をお送りいたします。


曲目

1.クリシュナの家へ向かいゆかん
2.深く潜れ、おお心よ
3.すべてを魅了するクリシュナよ
4.神への信仰に没頭してさまよえ
5.クリシュナ・クリシュナ
6.愛しきクリシュナ、ここへ来て
7.忘れないで
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バクティヨーガフェスタ2013レポート

2013-08-27 10:20:29 | 松川先生のお話

 8月25日、大阪で「バクティヨーガフェスタ&クリシュナジャヤンティ2013」が開催されました^^!

 実行委員会のメンバーたちはこういうイベントは初めてだったので、何もかも手探り状態で準備を進めていきました。

 予約不要の無料イベントだったため、無料で提供するカレーやチャイの数もどれくらい用意すれば良いか未知数。こういうイベントを何度も経験している人の意見では、マスメディアなどを使って宣伝しない場合、せいぜい50人集まればいいほうだという意見もありましたが、メンバーの多くは「絶対200人以上は来る」「カレーが足りなくなったらどうしよう。300人分くらい用意しようか?」などと肯定的でした笑

 実行委員会のメンバーたちはヨーギーでもあり、フェスタの一週間前には長野で4泊5日の修行合宿もおこなうというハードスケジュール。

 イベント会場は半分室内、半分野外の予定だったので、今夏の異常な暑さを懸念し、様々な熱中症対策なども講じていましたが、数日前に天気予報が変わり、「雷を伴う激しい雨」という予報に! これでは野外スペースが使えないため、いったいどうしようかと実行委員会も困惑。そもそもそんな雷雨の中人が来るのか、また野外で予定していた物販やカレーのサーブなどはどうしようかなどの方向性が曖昧なまま、当日を迎えてしまいました。

 当日は予報通り雨。しかし蓋を開けてみると・・・次から次へと来場者が! 予定通り10時半にラーマクリシュナ・ミッションのスワミ・メダサーナンダ・マハラジによる供養の儀式が始まった頃、まるで始まりの合図のように、激しい雷が鳴り始めました。そして雨はますます激しくなっていきます。にもかかわらず、どんどん増え続ける来場者!
 会場は前方には布を敷いて床に座る形で、後方には椅子席を用意していたのですが、最初予想していたよりも多くの方が来られたため、どんどん椅子を増やしていきました。机なども片付けて椅子を増やしていっても、来場者は止まりません。しかし不思議なことに、「もうこれ以上は椅子を置くスペースがない!」というギリギリのところでちょうど来場者が止まりました。まるで会場のキャパシティに合わせて神々が人々を集わせてくれたかのようでした。

 結局この日の来場者は200名以上。スタッフも合わせると250人程が参加したイベントとなりました。中には遠く四国や熊本からわざわざ日帰りでこのイベントのために来てくださった方たちもいらっしゃいました。
 奇しくも実行委員会のメンバーたちが当初からイメージしていた「200人以上」というイメージ通りの数となったわけですが、十分な告知をしたわけでもなく、しかも記録的な大雨の中でのこの来場者は、驚きに値するものでした。日本でのバクティヨーガの夜明けのために、神々が手助けしてくれたのでしょうか。いやそもそも、すべては神の計画として決められていたことだったのかもしれません。そう思わざるを得ないような見えない力を感じるイベントでした。

 さて、メダサーナンダさんによるクリシュナ供養の儀式は、予定時間を大幅にオーバー笑。インドの方ですので、やはり時間の感覚は日本人よりも大らかです笑。しかし参加者の方々は真剣に集中して儀式を見守っていました。
 その後、メダサーナンダさんによる講話の後、いよいよ無料カレーランチの時間の頃には・・・なんと空はすっかり晴れ渡っていました! そこでさわやかな雨上がりの空の下、野外で美味しくカレーをいただきました。

 そもそもクリシュナが生まれたときも激しい雨が降っていたとされ、クリシュナの生誕祭は雨になることが多いのだそうです。そして激しい雷は、「クリシュナ物語」にあるインドラ神のエピソードを思い起こさせます。インドラ神による激しい雷雨の攻撃に対して、クリシュナはゴーヴァルダナ山を持ち上げることで村人を救い、インドラ神の傲慢さを打ち砕いたのでした。あれほどの激しい雷雨がちょうどランチ前にからっと晴れたのを見て、参加者たちは「きっとクリシュナがゴーヴァルダナ山を持ち上げて守ってくれたんだね」と言い合っていました笑。

 さてこのランチのカレーも非常に美味しいものでした。カイラスのインドカレーはもともと美味しいと評判なのですが笑、この日のカレーは格別に美味しく、本場インド人のメダサーナンダさんも絶賛していました。神々が特別に恩寵のスパイスを加えてくださったのかもしれませんね!

 カレーの後は、この日のために特別に作られたバクティヨーガのビデオ、そしてインドで大人気の3Dアニメ「リトルクリシュナ」の上映会です。

 そしてその後、無料ヨーガ講習会が始まりました。このヨーガ講習会目当てにいらした方も多数いらしたようですが、時間が押していたのと参加者が多かったために、当初の予定を変更し、アーサナは無しで、気功・呼吸法・ムドラー・瞑想を短時間やるスタイルでおこなわせていただき、その代わり、後日大阪でおこなうヨーガ講習会にこの日の参加者を無料で招待させていただくことにしました。
 しかし短時間とはいえ、やはり祝福があったようで、生まれて初めて蓮華座が組めて自分で驚いている人や笑、初めておこなう本格的なヨーガ修行に満足された方も多くいらしたようでした。

 その後、インド音楽の準備の間に、特製のチャイとラドゥ(インドのお菓子)によるティータイム。このチャイもラドゥも美味しいと大好評で、多くの人がレシピを知りたがっていたそうです。


 さてこの後はいよいよインド音楽です。関西を代表するインド音楽家である、バンスリー(横笛)のGumiさんと、タブラのバヤンさんによる即興コラボです。
 テーマとある程度の音階だけが決められており(ラーガ)、あとは本当に二人の即興で演奏するのだそうです。この日はクリシュナの生誕祭ということで、クリシュナにまつわる伝統的な「ヴリンダーヴァン・ラーガ」で演奏してくださいました。
 もともとクリシュナが好きで横笛を始めたというGumiさんの演奏は、本当に心に響くものでした。パートナーのバヤンさんもいい味出しています^^ 
 そして最後はヴォーカルのMAYAさんも加わり、「デーヴァキーナンダナゴーパーラ」を会場皆で合唱しました。

 その後、本日のイベントの最後のメニューとして、ビデオ上映会の第二部が始まりました。このとき上映されたバクティヨーガのビデオは非常に感動的で、まさにバクティヨーガの幕開けを示唆するような内容でした。参加された方も涙をぬぐっている姿がチラホラと見られ、「なぜかわからないけど感動して涙が出た」などと仰っていました。心の中に眠るバクティの灯火が目覚めた人が多くいたのかも知れません。


 さて、メダサーナンダさんは帰りの新幹線に間に合わせるために余裕を持って夕方頃に会場を出る予定だったのですが、バクティヨーガを分かち合う皆と一緒の空間を去りたくなかったのか、なぜかいつまでも時間を忘れて会場にいらっしゃいました笑。そしてもうギリギリの時間になって慌てて会場を出て行かれました。
 メダサーナンダさんは前日の準備のときにも、大阪のヴェーダーンタ協会の勉強会の後で疲れているにもかかわらず、ずっと会場にいて、皆の準備の様子を見守っていました。スタッフが夕食に連れ出そうとしても断って、とうとう22時過ぎに会場が閉まるまで皆の準備につきあい、その後、遅い夕食をとられました。スタッフが付き添っていったのですが、夜遅かったのでどこも開いておらず、仕方なく居酒屋に入り、そこでお茶漬けを召し上がったそうです。インドにもお粥系の料理はいくつかありますが、初めて食べる日本のお茶漬けのおいしさに驚き、絶賛していたそうです笑。
 また、今回のイベントはすべて無料のイベントであり、営利目的無しの純粋な神事・奉納でしたので、プロとして活躍されている演奏家の方々にもノーギャラで参加していただいていたのですが、忙しいスケジュールを割いてわざわざ参加してくださったメダサーナンダさんには感謝の意味を込めてお布施をさせていただいたのですが、メダサーナンダさんは結局それも受け取りませんでした。


 さて、このビデオ上映で、予定されていたプログラム自体は終わりだったのですが、最後にシメとして皆で「マハーマントラ」を歌うことになりました。

 演奏は我々ヨーガ教室のインストラクターのメンバーで作った「カイラスバンド」笑。ハルモニウム担当のRamkoさんは音大出身の本格派ですが、あとは趣味でやっていた程度で、ヴォーカルの私に至っては全く音楽経験がありません笑。そんなカイラスバンドと、関西を代表するインド音楽家のGumiさんとバヤンさんによる奇跡のコラボ笑!

 この最後のキールタン、皆で一つになって非常に盛り上がり、とても良いシメとなりました。非常に感動的な一体感で、ずっと皆で一緒に歌っていたいと思うひとときでした。

 
 帰り際の参加者の一人に、「忘れていたものを思い出させていただきました。ありがとうございました」と挨拶されました。同様の感想を抱いた方は多くいらしたようです。本当に良いイベントになりました。人為的な計画があったようで実は全くなかったような不思議なイベントで、まさに日本におけるバクティヨーガの幕開けのために、神々が運営していたイベントであり、我々はただ道具としてお手伝いさせていただいたような感覚でした。

 またこの日、様々なトラブルにより、なぜかカメラがことごとく何台も壊れたり、カメラやビデオがうまく撮れていなかったり、全く映っていなかったりという現象が相次ぎました。映ってはいけない神々たちもお忍びで参加していたからかもしれません笑。

 この日を境に、もっともっとバクティヨーガの灯火が日本中に広がっていきますように! 

 次回はまだ日程は未定ですが、横浜などの関東での開催を考えています(神々が)。お楽しみに^^!

  
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修行の糧

2013-08-24 02:34:12 | 松川先生のお話



運が悪かったとか
ああしてればよかったとか
そんなことを考えてはいけない
すべてはただ
一瞬一瞬の全力の積み重ね

その結果として最悪の状況が生じたとしても
それがなんだというのだ?

たとえあなたが想定する最悪のことが起きたとしても
そんなことはたいしたことではない

良いことも悪いことも
すべては神の愛であり
修行の糧

良いことも悪いことも
エゴの観念内での定義であり
すべてはただ至福に向かっている

しかしもし、できるだけ早くその至福に至りたかったら
全力であれ
素直であれ
誠実であれ
慈悲深くあれ
快活であれ
人の悪いところを見るな
人の批判をするな
言い訳をするな
真理を強く求め
何が起ころうともすべてに感謝し
常に喜びの心を持ち
成功にも失敗にもとらわれず
ただこの今に集中して
ただ今、なすべきことをなせ
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◎心の本質への集中

2013-08-23 15:59:28 | 解説・バガヴァッド・ギーター

◎心の本質への集中

【本文】
『辛抱強く、知性によって心を真我に固定し、だんだんとサマーディの境地に進むべきで、
 ほかの事は一切考えぬほうがよい。』


 はい。『知性によって心を真我に固定し』――ちょっと難しくなってきましたね。つまり、真我、われわれの心の本性みたいのがあって――もちろんわれわれは今この瞬間にね、真我っていっても真我って何だろうって感じだと思うんだけど、修行していってだんだんだんだん、何となく最初は自分の本質みたいのが分かったような感じになってくる。もちろん最終的には完全にそれと一体化するわけですが、まだ今みなさんの考える真我ね、真の自分、それはヨーガ的に言うとサチダーナンダっていうんだけど――サチダーナンダっていうのは完全な実在であって――実在って言うのは、その他のものはすべて幻影なんだけど、真我だけは実在だと。で、完全な智慧を具えていて、そして完全な歓喜を具えていると。で、その純粋なわれわれの本質ね、これがわれわれの中にあるんですよと。で、それはちょっとよく分からないかもしれないけども、自分のイメージできる範囲内でもいいのでそれにグッと心を合わせる。で、常に如何にその境地に達するかっていうことを考える。
 逆の言い方をすると、その真我への集中からわれわれの心を離しているのが外側の世界への心の煩悩なんだね。いろんなものが欲しいとか、いろんなものが嫌いだとか、こういう心があるとわれわれは――さっきも言ったように、心がどんどんそっちの方に向かって、心の馬がね、ちょっと暴走し始めて、真我というものから心が離れてしまう。
 だからみなさん、できる範囲内で常に自分の心の本質にグッと心を合わせる、集中する訓練をすべきだってことだね。
 で、他のことは一切考えぬほうがよいと。ね。これもさっきから言っているように、自分の人生の目的っていうのはそこにあるんだと。つまり真理を悟ることなんだってことだね。ヨーギーにとってはね。
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◎心の馬を調御する

2013-08-23 15:54:19 | 解説・バガヴァッド・ギーター

◎心の馬を調御する

【本文】
『強い執着心から生じる欲望を一切捨て去り、
 あらゆる方面の対象から受ける感覚を、自分の心によって完全に統御しなくてはならぬ。』


 はい。これはもともとヨーガっていうのが‘統御’――つまり、いろんなものをコントロールするとかそういう意味があるんだね。だから実際にヨーガ修行をやるってことはまず心の中にあるいろんな欲望をね、これを一切捨てていかなきゃいけない。
 そして『あらゆる方面の対象から受ける感覚』――つまりわれわれっていうのは生きているうちは当然この五感を使って外界と接して生きているので、いろんな刺激が入ってくる。で、これ自体は良くも悪くもないんです。つまり、例えばどんな聖者だってどんな凡人だってどんな悪人だって同じような刺激の中にいるわけだね。それによって心がどのように動かされるかだね。刺激っていうか、いろんな情報が入ってくるのはいいんだけども、それによって例えば怒るのか怒らないのか、あるいは逆に相手を愛するのか――心の働きっていうのはそれぞれの過去の経験によってまったく違う。で、それを悪しき方向に向けないように――つまり例えば過去世からずっと私は、馬鹿にされると怒るという訓練を――つまりこれは訓練なんだね。
 われわれの――よくヨーガでは心を馬に例えるんだけど、心よりさらに上に乗っているヨーガ行者としての意思っていうか心みたいのがあるんです。こいつが御者なんだね。で、自分の心は馬だから、その馬をコントロールしようとするんだけど、こいつは相当なバカ馬なんです(笑)。もう変な、今まで変なことばっか教えられて相当バカなことを覚えている馬なんです。だからこいつを調御し直すんです。つまりこの自分の心っていう馬は、今まで物凄い長い間生まれ変わりながら「ああ、馬鹿にされたときは怒るんだ」と、あるいは「こういう執着の対象があったらそれを奪うんだ」と――いろんなその間違った考えを覚えこませられてるんだね。で、もうそれは根付いちゃってるんです。
 根付いちゃってるっていうのは、頭でこうこう考えるっていう世界じゃなくて、もう根付いちゃってるんです。それ以外ないっていう状態になっちゃってるんだね。だからみなさんがヨーガとか仏教とか学んで、「ああ、そうか、そういう考えなんだな」ってわかっても、この心の馬が全然もう根付かされちゃってるから、前の感覚に。だからいうこと聞かないんだね。で、このいうこと聞かないやつをいうこと聞かせるようにするのがヨーガなんです。
 だからこれいつも言うように、まず教えがあって、それから呼吸法とか瞑想法とかの行法があって、で、それによっていうこと聞かせる力がちょっとついてくるんだね。それによって日々自分の心をチェックして――いつも言うように念正智ですね――チェックして、だから前提にはいつも言うように教えが必要だけどね。教えっていうのがあって、「さあ、教えに基づいて、私の心は全然教えとは違う方には行ってないかな」と。「さあ、私はもう決して怒らないと決めたけど、怒らないかな」と。「怒るんじゃないかな……ああ、やっぱり怒った」と(笑)。「駄目だ」と。ガーッてこう止めると(笑)。こういうコントロールだね。これを日々しなければなきゃいけない。だから念正智だね、これはね。
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バクティヨーガの修行の九つのムード 3.スマラナ

2013-08-22 17:33:23 | 経典の言葉・聖者の言葉

3.スマラナ


 スマラナとは、24時間、常に至高者を思い続けることである。ここにおいて献身者は、至高者の御名とお姿を、決して忘れることはない。心はただ至高者の栄光を思うことだけに完全に没頭し、それ以外のいかなるこの世の事柄のことも思うことはない。
 心は、神とその美点、御名、栄光などを思い、自分の体のことさえも忘れて、ただ神への思いだけで満ち足りている。ちょうど、ドゥルヴァやプラフラーダがそうだったように。
 ただ神のことだけを思い、神の御名を唱え続けることも、このスマラナのカテゴリーに入る。
 神のことを思うというのは、常に神に関する物語を聞くこと、神について話すこと、人々に神に関する教えを説くこと、神について瞑想することなども含まれる。
 神のことを思うというのは、ある特定の時間にだけなされるのではない。意識がある限り、途切れることなく常に神を思うのである。つまり朝、睡眠から目覚めたときから、夜、睡眠に入るまでの間、ずっと神を心から離さないということである。
 彼にとっては、神を思うこと以外は、この世においてなすべきことは何もない。
 ただ神だけを思い続けることで、すべての世界のサンスカーラを破壊することができる。
 ただ神だけを思い続けることで、感覚対象から心を引き離すことができる。
 通常、心は外側へと向かうが、ただ神を思い続けることで、心は内側に向かう。そして心が神だけで満たされることで、この世の他の対象が心に入ってくる隙間はなくなる。
 この「ただ神だけを思い続けること」は、非情に難しい修行である。普通は、24時間、ただ神だけを思い続けることなどは不可能である。心は、人を欺く。彼は神を瞑想していると考えていても、実際はこの世の様々な対象を夢見ている。
 つまり「神を思う」とは、極度な精神集中による瞑想なのである。よって、ラージャヨーギン(真我への精神集中によって解脱を得ようとする修行者)に必要とされるすべての性質を、スマラナ・バクティを修習したいと思うバクタは得なければならない。
 スマラナとは、マーヤーの河の力強い流れに逆らって泳ぐことである。そしてラージャヨーガがただ真我だけの瞑想に没入するように、スマラナは、ただそこには神しかいないという瞑想に没入するのである。
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◎一切の苦しみから解放された状態

2013-08-22 09:18:02 | 解説・バガヴァッド・ギーター




◎一切の苦しみから解放された状態

 はい。今日はじゃあ、このあいだの続き、「ディヤーナ・ヨーガ」ですね。ディヤーナ・ヨーガっていうのはこの間も言いましたが、‘ディヤーナ’っていうのは瞑想のことで、つまり瞑想のヨーガ。そもそもヨーガって瞑想なので――ただこの前まではバクティ・ヨーガとかカルマ・ヨーガ的な、日常における心の持ち方とか、その辺を中心に解説してきたので、このディヤーナ・ヨーガの章から、われわれが普通にイメージするところのヨーガね、修行としてのヨーガの世界に入ってきます。
 はい。今日はところで旧正月ですよね。だからチベットとかもそうだろうけど、月齢の正月ですね。めでたいですね(笑)。
 東洋のね、伝統的な月の暦の正月に、このようにね、バガヴァッド・ギーターの勉強会ができると(笑)。これは素晴らしいことですね。


【本文】
『一切の苦しみから解放された状態を、ヨーガと呼ぶことを知っておくがよい。
 そしてこのヨーガは、熱意と、不撓不屈の精神をもって実践されなければならぬ。』


 はい。『一切の苦しみから解放された状態を、ヨーガと呼ぶことを知っておくがよい。』――これはかっこいいですね(笑)。
 これはつまり、この言葉っていうのは、そうですね、目的の確認であると同時に、自分のチェックと言ってもいいね。
 つまり――ああ、私はいろいろ苦しいことあるんですよと。で、私はヨーガやってるんです――それはもちろん途中段階としてはいいんだけど、「ああ私はヨーガやってる」っていう満足をして、でも精神的にも肉体的にもいろいろ苦しいんですっていうことがもしあるとしたら、それは少なくともヨーガは達成されていないと。つまり、諦めとかあるいは取り違いとかあると駄目なんだね。
 世の中のさ、いろんなものっていうのは妥協がいろいろあるよね。例えばこれはこれくらいの幸せを与えてくれるが、これくらいのデメリットも伴いますよと。例えば結婚にもメリットとデメリットがあるし、あるいは会社の社長になったとしてもメリット・デメリットがある。でもヨーガっていうのは、一切の苦しみから解放された状態なんだよと。それは完全な、オールクリヤーな状態なんだよと。それはまず目標として知っておきなさいと。で、目標として知ると同時に自分のチェック――つまり自分の中にまだ、何らかのときにね、苦しみが生じるような状態だったら――まあ当たり前だけども、まだヨーガの完成には至ってませんよと。あるいは日々苦しみが多いんだったら、それはもうヨーガのまだ全然入り口ぐらいにしかいませんよと。
 もちろんここで言う『苦しみから解放された』っていうのは、みんな分かると思うけど、一般的にいう「苦しい現象が起きない」っていうことじゃないよ。一般的にいう苦しいことが起きようが起きまいが、苦しみがないってことです。だから内的な意味だね。外的に――つまりいろんなお祓いとかしてもらって、「ああ、人生であまり悪いことが起きなくなりました。」とかそういう意味ではなくて(笑)。
 この世はね、無常だから、客観的にはいろんな目に遭う。例えばお釈迦様だって弟子に殺されかかったこともあるし、どんな人でも、この世に身をおいている以上、いろんなことが起きる。でもヨーガをしっかりと完成した人っていうのは、一切の苦しみがそこにおいて生じませんよと。だからそれは最初の自分の目的であると同時に、そうならなきゃならないというチェックだね。要素として知っておいた方がいいね。


◎熱意の重要性

 はい、そしてそれは、『熱意と、不撓不屈の精神をもって実践されなければならぬ』と。つまり熱意――ラーマクリシュナもね、神を悟るにはまず熱意が必要だって言ってますが――これはもう前にも何回か言ってるけど、昨今のね、最近の精神世界もしくは仏教の解釈の中で、熱意とか欲求を否定する向きもあるんだね。つまり、例えば仏教で言うと、「いや、悟りたいという欲求も捨てなければいけませんよ」って言う人もいるし、それからあまり努力とか「こうしたい」っていう思いはない方がいいんだみたいに言う人もいるんだけど、これはもう完全に間違いであって、お釈迦様ももちろんそうだしその後のね、仏教の聖者もヨーガの聖者もみんな、燃えるような熱意が大前提なんだね。
 それはもう「自分の人生の何を引き換えにしても私はヨーガの悟り、あるいは仏教の悟りを得たいんだ」っていう強烈な熱意っていうのがまず必要なんです。それはもう極端なっていうか、過激なふうに言えば、もう生死も越えた熱意だね(笑)。
 もう生死を引き換えにしても構いませんと。それはもう話を挙げればきりがないね。どんな聖者だってだいだいそういう、死と――それはもう今生でね、ヨーガとか仏教の修行を完成した聖者っていうのは、もう死とぎりぎりの熱意を持っているね。
 こういう話をするとちょっと過激だけども、例えばさ、「あるヨギの自叙伝」で出てくる印象的な話があるよね。ババジっていう大聖者がいて、そのババジのことを探し当てた――もうババジのことずっと探してて、弟子になりたくて。で、探し当てた人がいて――まあ探し当てるっていうのも凄い話だけどね(笑)。その時点で凄いんだけど(笑)、探し当てたんだけど、で、ババジに弟子入りを懇願するんだけどババジは断るわけだね。君を受け入れるわけにはいかないと。で、そういう問答が続いた後に、「今の君の状態では無理だ」と。「本当に弟子入りしたいんだったら、こっから飛び降りなさい」って言って。その崖から飛び降りろというわけだね。で、その弟子はまったく躊躇せずに飛び降りたっていうんです。で、飛び降りて本当に身体がバラバラになって死んでしまった。で、そこにババジが行って治してあげて、晴れて弟子入りしたっていう話があって(笑)。
 あるいはラーマクリシュナもそうだし、例えばチベットのナーローパとかミラレパとかみんなそうだけども、例えばミラレパとナーローパとラーマクリシュナが共通してるのは――みんなね、自殺を最後に思い至るんです。つまり、あまりの熱意によって修行したんだけども、もう全精力を傾けてボロボロになってもまだ悟れないと。で、「これだったら死んだ方がましだ」って思って死のうとしたら悟ったっていう話があって。あるいは死のうとしたら師匠に受け入れられたとか。
 つまりそれだけの熱意がやはり必要なんだね。で、われわれの心っていうのはいつも言うように、心が思った方向に人生は展開していきます。で、われわれは普段いろんなことを考えている。「これもしたいな、これもしたいな。ああなりたいな、こうなりたいな。」――で、これの集積が今のわれわれの人生なんです。もちろんそれはカルマっていうのもあるよ。だからカルマっていうのは物凄く複雑にいろんなのが絡んでいるわけだけども、われわれのこの‘思い’もカルマなんです。どのように思えるかっていうのもカルマだし、その思ったことによって――だからいつも言うように、身・口・意の中の‘意’のカルマだね。心のカルマ。思ったことによってこの世の中っていうのはできあがっていくんです。だから凄く単純なことを言えば、百パーセント肯定的に「おれは金持ちになる」って考えられる人がいたら絶対金持ちになります(笑)。よく現代、現世的にもさ、ポジティブ・シンキングとかよくいうけども、肯定的に考えればすべてはいきますよと。それはそうなんです。
 でもその人が一日一時間とか肯定的に考えてても、その他の時間は何かまた違うことを考えると。あるいは否定的なことを考えてたら、もちろんうまくいかない。だからそれは全部の、二十四時間のわれわれの思念の総和だね。それがわれわれの人生を作り出していると。
 ということは、「ああ、ヨーガの高い境地を得たいな」って思うけども、日々ね、違うこといっぱい考えると。例えば「ああ、でもこういうお金持ちの人生もいいな」――あるいはもっと細かいこといったら、「これ美味しそうだな」とか、「あの子きれいだな」とか日々いろんなこと考えていて、その中の一つとして、「ヨーガを達成したいな」と思ってたら、それはなかなか――何ていうかな、パワーがない(笑)。オーダーっていうか、心のオーダーが弱い。凄くね。
 だから本当はさっき挙げた聖者みたいにね、もう年がら年中――ラーマクリシュナなんて一番いい例だけどね、「もう神を愛して神と一つになれるまでは私は生きててもしょうがない」って感じで、飲まず食わずでずーっと祈り続ける。で、もう人々から狂人扱いされるわけだけど、そんなの関係ない。もう一瞬たりとも自分の心が神と離れていることが耐えられない。それぐらいの強い熱意だね。それがあれば当然速やかにその境地に至るだろうけども――だからもちろんこれはみなさんに、そうなれって強制してるわけではない。ただ、みなさんがもしヨーガ修行達成したいと思うんだったら、百パーセントとは言わないまでも、ある程度の強い熱意を人生において持った方がいい。
 というのは、ここにも書かれているとおり、ヨーガ修行の達成っていうのは誰にとっても大きなメリットです。当たり前だけどね。つまり『一切の苦しみから解放された状態』ですよと。
 もしそれが、そうだな、一万円で買えるんだったらみんな買うよきっと(笑)。「はい、一切の苦しみから解放された状態どうでしょうか」と(笑)。「一万円ですよ」と。たぶん全員買うよそれ(笑)。
 でもこの境地っていうのはお金では買えない。ね。お金で買えないし、しかも捉えどころがない。例えばこの本とこの本とこの本を読んだらそうなりますよっていうんじゃない(笑)。自分のいろんなカルマがあって、それをいろいろ乗り越えてって達成するものだから、本当に何ていうかな、ゴールの見えないものすごい旅に出なきゃいけないようなもんだね。でもそんだけやったとしても価値があるんだって考えるんだね。それはもう長くなるから細かくは言わないけども、われわれがそういったヨーガとか修行に巡り会ったこと自体がものすごいチャンスだし、そういう意味でいったらいろんなものを犠牲にしてでもヨーガ修行の達成に熱意を懸けられるっていうのは素晴らしいことだね。もちろんそれをどれだけ自分の人生の中でそういう思いを持っていくかっていうのはそれぞれの自由だけども。


◎不撓不屈

 はい、そして不撓――熱意とね、不撓不屈。不撓不屈っていうのは決してあきらめないと。屈しないと。努力し続けるってことだね。
 つまり修行には――まあ何でもそうだけど、修行には当然挫折はつきものだし、あるいは途中でいろんな苦しみが生じてくるのは当たり前だと。だから最初からね、その不撓不屈、決してあきらめないっていう精神を養っておかなきゃいけないね。
 いろんなタイプの人がいるから――例えば勢いはいいんだけどぶつかるともう駄目と。そういうタイプがいる(笑)。これはちょっと観念的になっちゃうけど、私の印象だと星座で言うと牡羊座(笑)。そういう人が多いような気がするね(笑)。勢いは非常にいいんだけど(笑)。
 もちろん占星術っていうのはだいたい生まれたときのカルマなんで、その人が修行に入ればどんどんカルマは変わっていくんだけど、一般論としてはそういうふうに感じるね(笑)。
 あるいはそれぞれの性格があるから、「こういう部分では全然私は耐えられます」と。でも「こういう部分になるともう駄目」と。「もう百ゼロでそっから先には行けない」っていうのはあるよね。そういうの一つ一つ潰してって、もうどんなことがあっても――例え私がね、イメージする最悪のことが自分に降りかかってきたとしても、それもカルマだからそんなことも乗り越えて悟りを達するんだっていう――つまり人生の中でね、優先順位として何を一番におくかだね。悟りなのか、もしくは生きていくこと自体なのか、あるいは自分の名誉・不名誉なのか、あるいはこの世におけるある程度の幸せをキープしたいのか。いろいろあると思うんだけども、一番にね、もし本当の意味でヨーガを達成したいんだったら、さっきから言ってるこの境地――『一切の苦しみから解放された状態』を得ること、これを第一と考え、その他のものは全部二次的なもんだと。つまり、この第一のものを達成するために他のものが犠牲にならなきゃいけないようなカルマっていうかな、条件が生じたらそれは喜んで捨てましょうと。それくらいの気持ちを最初に持つ必要があるね。
 だから修行っていうのは本当は一番最初に――例えば仏教とかでも最初にいろんな発願とかさせるわけだけど、最初に「誓い」っていったらちょっと堅いかもしれないけど、発願っていうかな。どんなことがあっても私は達成するぞっていう強い思いを持つと本当はいいんだね。
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