ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 2012/7/25」

2012-09-30 15:22:10 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 2012/7/25」です。
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道において、混乱を浄化する方法(1)「土台、道、成就」

2012-09-30 11:04:02 | 経典の言葉・聖者の言葉




道において、混乱を浄化する方法


ウルギェン・リンポチェ




 道における混乱をクリアにしてくれるよう、祝福をお与えください。


◎土台、道、成就

 道において、どのようにして混乱を浄化するか。

 ここでは混乱とは、我々の生まれ持った本性をあいまいにし、悟りを妨げるもののことである。 
 すべての者は、仏性を持っている。一つの例外もなく、一切衆生がである。しかし不運なことに我々は、自分が持っているものを知らない。我々は混乱に陥り、輪廻をさまよっている。

 そのような混乱を浄化するために、道は、土台、道、そして成就、つまりスートラとタントラのすべての教えを取り囲む構造の文脈のなかで、理解されるべきである。

 土台は、仏性、スガタガルバ、つまり一切衆生の中にあるすべてのブッダのダルマカーヤである。それは、最高の資質を持ち、あらゆる欠陥から解放された、純粋で汚されることのない黄金にたとえられる。
 仏性は、すべての者にどのようにあるのだろうか?
 例としては、カラシの種からとれる油に例えられる。圧縮すると、カラシの種からは油が出る。同様に、一切衆生の中には、ブッダの本性、仏性があるのだ。それが欠けている者はいない。すべてのブッダと菩薩は仏性を持っている。そして、大きさや資質には全く関係がなく、最も小さい昆虫にいたるまでの一切衆生も同様に、仏性を持っているのである。

 仏性、スガタガルバは、輪廻とニルヴァーナのすべてを取り囲んでいる。空間は、中心や端を越えている。空間が広がるところにはどこでも、生き物がいる。衆生がいるところにはどこでも、仏性がある。それは仏性が、輪廻やニルヴァーナのすべて、全世界、一切衆生を取り囲んでいるということを意味している。

 ブッダの本性はすべての者にあるが、我々はそれを認識できない。その無智は、輪廻をさまよっていることが主な原因である。自分自身の本性を知らないという無智のために、衆生は泥の中に落ち、一時的に汚れた黄金のような混乱に陥る。ブッダたちは混乱に陥らず、自分の『本性の席』を保持する。ブッダたちと衆生の違いは、生まれ持った本性を知っているか、いないかである。

 黄金は黄金であるが、泥に落ちると汚れに覆われ、それを黄金であると認識できなくなる。一時的に泥に覆われた黄金は、自分自身の本性を認識できない衆生の例えである。すべての衆生はブッダであるが、一時的な無明のために、彼らはそれを認識できない。土台は純金にたとえられ、一方、道は、汚れの中に落ち、汚れに覆われた黄金のようなものである。この文脈の中では、道は混乱の状態を意味する。

 ブッダフッド、覚醒した者の成就した状態は、混乱の道に迷うことを意味せず、純金であるものとしての土台の状態を認識することを意味する。混乱の力のために、我々は道の状態(つまり純金が泥に覆われた状態)に今、迷い込んでいる。我々は、一時的に混乱の影響下にある。無智の眠りの中で、我々は三つの王国の夢を通過し、終わることなく六道の衆生のあいだを何度も何度も生まれ変わるのである。
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フェイスブック始めました^^

2012-09-29 21:01:49 | 松川先生のお話

最近、フェイスブックを始めてみました^^
まだ使い方がよくわかっていませんが笑、よかったらアクセスしてください。


Yoga School Kailas
http://www.facebook.com/YogaSchoolKailas


松川慧照
http://www.facebook.com/shantideva.krishna

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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読 バクティヨーガ・サーダナー」

2012-09-29 09:16:39 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読 バクティヨーガ・サーダナー」です。
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今日のAMRITAチャンネル「実写版ラーマーヤナ 番外編」

2012-09-28 09:54:23 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写版ラーマーヤナ 番外編」です。

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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2012-09-27 16:26:25 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。



曲目

1.バクティヨーガの歌
2.深く潜れ、おお心よ
3.マハームニに捧げる歌
4.我が師
5.クリシュナの家へ向かいゆかん
6.あなただけが私の母
7.神のシナリオ

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今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 ただ今日なすべきことを 第23回」

2012-09-26 08:34:25 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 ただ今日なすべきことを 第23回」です。
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サーダナーの指針の花輪(161~170)

2012-09-24 17:52:18 | 経典の言葉・聖者の言葉

161.
 識別智と吟味によって、あなたの真の精髄である、微細なる本性を理解しなさい。
 三つの障害――サムサヤ・バーヴァナー(真理の教えへの疑い)、アサム・バーヴァナー(至高の境地に達することなどは不可能であるという絶望の感覚)、そしてヴィパリータ・バーヴァナー(幻に過ぎない自分の身体とこの世界を真実だと信じる永続性の感覚)――を、完全に取り除きなさい。
 これが、ジュニャーナ・アビヤーサ(叡智の修習)である。
 今こそサハジャ・アヴァスター(永遠で本質的な超意識状態)に安らぎ、ジュニャーナ・アビヤーサの果実を悟りなさい。
 そのときあなたはジーヴァーンムクタ(生前解脱者)となる。


162.
 永遠の法則、大いなる計画、最高の法則を理解しなさい。
 不滅の座、あなたの原初の住処、オーム、真我、ブラフマンまたは神の源を知り、感じなさい。
 サマ(心の寂静)、ダマ(心と感覚の制御)、プラティヤーハーラ(心と感覚の撤退)、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディによって、その原初の家に心を帰しなさい。


163.
 五つの感覚から、あなた自身を切り離しなさい。
 五つに見切りをつけなさい。
 五つの上にそびえ立ちなさい。
 五つへの足枷を破壊しなさい。
 五つからあなた自身を退かせなさい。
 ――ハートの部屋に隠されている神の本性を瞑想することによって。
 これら五つは、無明によって生じた幻影の編集映像である。
 これらは、幻影の五人の奇術師である。
 それらは、ロープを蛇と見間違えたときのように、蜃気楼を水と見間違えたときのように、単なる偽りの外観である。
 これらの五つに光と力を与えているのは、真我または純粋意識である。つまりあなたの真のあなた自身である。
 真我こそは根本である。目のまた目である。
 汝自身を知りなさい。そして自由になりなさい、私の子供よ。


164.
 私は、今まで述べたことをあなたがすでによく理解したということを知っている。
 それでももう一度、あなたに思い出させるために、言わせてほしい。
 マーヤーの力、無明の力、そして迷妄の力は、非常に大きい。
 あなたは、微妙なる真理の考えやムードを、すぐに忘れてしまう。
 よって、心を頻繁に打ち、鍛えることが、非常に重要なのである。


165.
 あなたの義務は、ただ一つである。
 ただこれだけのために、あなたはこの体をとったのだ。
 他のすべての義務は、ただ心が創り出したものだ。
 あなたはすでに自由だ。
 あなは常に自由だ。
 あなたは永遠に解放されている。
 あなたにとっては、束縛も自由もない。
 あなたにとっては、生も死もない。
 あなたの中には、名前も形もない。
 あなたは真実には、すべてに遍在する精髄、光の中の光である。


166.
 「タット・トヴァム・アシ――汝はそれなり」
 あなたは、すべてに遍在する真我である。
 あなたは、不滅の魂である。
 瞑想によって、真我を悟りなさい。
 あなたの心はあなたをだまし、裏切り、偽り、陥れ、そそのかす。
 この心という強力な敵を滅ぼしなさい。


167.
 その意味を理解し、そのムードに浸りながらオームを唱えることは、形のない瞑想の一つの方法である。
 その他の方法として、「サクシ・メソッド」というものもある。
 まずあなたは、外側の対象、および内側の様々な心の動きから、あなた自身を引き離しなさい。
 そしてあなたはただ心の動きのサクシ(観照者、傍観者)になりなさい。
 あなたは、日々の様々な活動を行いながら、この種のサーダナーを行うこともできる。
 常に「オーム・サクシ オーム・サクシ」と繰り返しなさい。


168.
 この宇宙に生きる生き物たちすべての身体が、あなたのものであると思いなさい。
 特定の身体に対するほんの少しの執着も持たないようにしなさい。
 あなた自身を、特定の一つの身体の中に閉じ込めるな。
 「すべての身体は私のものです」と言いなさい。
 広がりなさい。
 至高者の宇宙体と一つになりなさい。
 これは、ヴェーダーンティック・サーダナーの最初のステップである。
 

169.
 あなた自身を、ヒランヤガルバ(宇宙的プラーナ)と同一視しなさい。
 これが、広がりのプロセスの第二ステージである(スクシュマ・シャリーラ【微細体】)。
 次に、すべてのカーラナ・シャリーラ【原因体】が集約された存在としてのイーシュワラ(自在神)とあなた自身を同一視しなさい。
 最後に、ヴィラート(宇宙体)、ヒランヤガルバ、そしてイーシュワラを超越したブラフマンを、あなた自身と同一視しなさい。
 または、現象界を微細体に、微細体を原因体に、そして原因体を真我またはブラフマンに溶解させなさい。これはラヤ・クラマ(溶解のプロセス)である。

 
170.
 「タット・トヴァム・アシ――汝はそれなり」
 あなたはブラフマンである。たとえあなたが貧しいサラリーマンだったとしても、この唯一の思いを確立しなさい。
 たとえば【貧しいサラリーマン】という思いは、心が創り出したものに過ぎない。
 常に明るくありなさい。
 恐れなくありなさい。
 あなたは、身体や心ではない。
 ムンジャ草から葦を引き抜くように、五つのコーシャから真我を切り離し、引き抜きなさい。
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ラクシュミー・デーヴィーの生涯(1)

2012-09-24 17:39:17 | 経典の言葉・聖者の言葉
「ラクシュミー・デーヴィーの生涯」





 至高者が人間として化身するとき、他の神々や女神、ヨーギーや輝ける魂もまた、彼とともに化身します。
 彼は一人ではやって来ません。なぜならば、彼は彼の神の遊戯を理解し、彼の使命を達成する手助けをすることのできる仲間が必要だからです。
 ちょうどアリが象の強さを理解できないように、普通の人々には、すべてに遍在する全智全能の神を理解することは不可能です。
 しかし、至高者と共にやってきたニティヤシッダ(永遠に自由な魂)は、神の資質に恵まれているので、すぐにアヴァターラ(神の化身)を認識することができるのです。
 彼らは彼と、そしてお互いとの間に特別な関係を感じます。まるで彼ら自身の神性が彼らにすでに明かされているかのように。
 そして彼らは次第に、アヴァターラである主人公の指示の下で、演じなければならない役、そして目標に気づいていくのです。



 シュリー・ラーマクリシュナの姪のラクシュミー・デーヴィーは、シタラ女神の化身でした。
 ある日、ウドボーダンの家でホーリーマザーは、彼女の義父のクシュディラムについて、信者たちにこのように話しました。
 
「彼は神への熱烈な信仰を持っていて、ずっと彼のおそばにいらっしゃったシタラ女神に献身していたのよ。
 礼拝のための花を摘むために、夜明け前に起きるのが彼の習慣でした。
 ある日彼がラハスの庭園に行くと、9歳くらいの小さな女の子が彼のところに来て、こう言ったのです。

『こっちに来て、お父さん。
 ここの上の枝にお花がついてるよ。私があれを押さえておくから、お父さんは花を摘んでね。』

 彼はこう尋ねました。

『あなたは誰だい? なぜこんな早い時間にここにいるのかな?』

 すると彼女は彼にこう言いました。

『お父さん、私はハルダルの家から来たの。』

 彼(クシュディラム)の信仰深さと献身のために、神ご自身が彼の家で生まれ、そして彼の仲間たちはみな、彼と共にやって来たのです。」
 
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ/リトルクリシュナ 第三話」

2012-09-24 09:57:06 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ・リトルクリシュナ 第3話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 解説/母なる神 第一回」

2012-09-23 06:47:27 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 解説・母なる神 第1回」です。
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母なる神(5)

2012-09-23 05:47:14 | 経典の言葉・聖者の言葉


 5

 神の聖なる御わざの真の道具になろうとするならば、あなたの第一の目標は、欲望と自己中心的な自我からの全面的解放でなければならない。
 人生全体が至高者への捧げ物となり、生け贄となることが、必要なのだ。
 あなたが行為を通して目指すべき事柄はただ一つ、神の聖なるシャクティご自身が自らの営みを営むときの、その顕現の道具につかえ、また自らもその顕現の道具となることである。
 あなたは神の聖なる意識を通して自ら成長を遂げて、ついには、あなたの意志と神のご意思の間にはどんな違いもなく、もはやあなたの内で働く神ご自身の衝動以外にはどんな動機もなく、あなたの内で、またあなたを通して働く神ご自身の意識に基づく行為以外にはどんな行為もない、というところまで達することが、必要なのだ。

 このように力強い「神の聖なるシャクティ」との完全なる合一が可能になるまでは、あなたは自分のことを、彼女に、つまり神の聖なるシャクティご自身に仕えるために創造されて、彼女のために一切を行うようにできている、霊と物質の統一体なのだと心得ておくことが大切である。
 利己的な選択を迫ってやまない緊張、個人的利益をひたすら求める思い、自己中心的な欲望に満ちたギブアンドテイクの意識、そんなものは、すべて根絶やしにしてしまうがよい。実りを要求したり、報いを追求したりすることがあってはならないのだ。あなたにとって実りとは、ただひとえに「聖なる母神」の喜びであり、その御わざの成就であり、そしてあなたにとって報いとは、神の聖なる意識と、寂静と、強さと、至福の内にあって、変わることなく不断に進んでいくことにこそ、あるのだから。
 私心なき働き手にとっては、奉仕の喜びと、行為を通して内なる成長を遂げていく喜びとが、すでにそれ自体、十分な報いになっているのである。

 
 いつか必ず、自分はあくまでも神の道具であって、働き手ではないのだと、強く感じるようになるときがやってくるはずだ。というのも、あなたの献身によって、「聖なる母神」との接触がきわめて親密なものとなるため、いつであろうと、ただ心を集中して一切を彼女の手にゆだねるだけで、何をどのようにしたらよいのか、またその結果どうなるのかについて、彼女からの導きが即刻与えられたり、彼女からの命令や衝動が直々に与えられたり、彼女からの指示がハッキリと疑う余地のない形で与えられたりするようになるからである。
 またその後、神の聖なるシャクティは、単にあなたの行為を鼓舞し、導いているだけではなく、あなたの行為を自ら開始し、自ら遂行してもいるのだと、あなたはハッキリと気づくことだろう。
 つまりあなたの活動はすべて彼女から始まっているのであり、あなたの力はすべて彼女の力なのであり、あなたの精神・生命・身体は、物理的世界の中で彼女の行為を自らおこなう、喜びに満ちた意識ある道具なのであり、彼女の戯れを自ら戯れる、喜びに満ちた意識ある手段なのであり、彼女の顕現を自ら成就する、喜びに満ちた意識ある鋳型であるのだ。
 このような統一と依存の状態にまさる幸せな状態は、他にはない。
 このステップは、あなたが無智ゆえの緊張と苦難に満ちた人生を脱して、自らの真の本性へと立ち返り、その深い安らぎと至福へと立ち返るときの、その境界線を越えさせてくれるからだ。

 こうした変容が遂げられている時に、いつにもまして必要になるのが、自我の倒錯を示すどんなけがれにも染まらぬよう、厳しく自己の身を律することである。そこに何かエゴの要求や主張を忍び込ませることによって、せっかくの純粋無垢な献身と犠牲に、シミをつけたりすることがないように。
 自らの行為やその結果には、一点の執着もあってはならず、あなたを我がものとしてくださる神の力を逆に我がものにしようと求めたり、プライドや虚栄や高慢にとらわれたりすることは、いささかたりともあってはならない。
 あなたの信仰と、あなたの誠実と、あなたの純粋な懇願は、存在のどのような次元においても、どのような層においても、常に絶対的で滞りなきものであるように。そうすれば、混乱をもたらすどんな要因も、歪みをもたらすいかなる影響も、あなたの本性から次第に脱落していくはずである。

 こうした完成の最後の段階がやってくるのは、あなたが「聖なる母神」に完全に同一化して、もはや自分は、「聖なる母神」とは別の一個の独立した存在であるとは感じなくなって、自分のことを、「聖なる母神」の真の子供にして永遠の分身なのだと感じるようになった時である。
 「聖なる母神」はどんなときにもあなたの中にいらっしゃり、あなたはどんなときにも「聖なる母神」の中にいる。自分が考え、眺め、おこなうことの一切、自分が吐く息・吸う息の一切、自分の一挙手一投足が、実は「聖なる母神」からやってくるのであり、実は「聖なる母神」ご自身のものであるのだというのが、あなた自身の、一貫して変わることのない、単純で自然な経験となるはずである。
 あなたは自分が、「聖なる母神」ご自身の内から「聖なる母神」ご自身によって形成された人物にして力なのだということを、自ら悟り、眺め、感じるようになるはずであり、そしてまた、自分が、彼女の内から、神ご自身の遊戯(リーラー)のために取り出された存在でありながらも、彼女の存在から生まれた存在、彼女の純粋意識から生まれた意識として、また彼女の力から生まれた力、彼女の至福から生まれた至福として、彼女の内にあって常に安全に守られているのだということをも、自ら悟り、眺め、感じるようになるはずである。
 このような状態が完全なものとなって、「聖なる母神」の超精神的エネルギーがあなたを内側から自由に動かすことができるようになった時、あなたは初めて、神の聖なる御わざを通して完璧な存在となるのである。叡智も、意志も、行為も、すべては「至高者」からの流出として、「永遠の存在」ご自身の聖なる運動として、確実にして単純な、のびのびとしてキズのない、どこまでも光り輝くものとなるはずである。
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今日のAMRITAチャンネル「聖典朗読 松川慧照エッセイ集より その1」

2012-09-22 18:37:09 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「聖典朗読 松川慧照エッセイ集より その1」です。
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集中、自然、歓喜、解放

2012-09-21 20:22:25 | 松川先生のお話

 怒りが生じたとき、そのエネルギーに集中すると、瞬間的に怒りは消え、歓喜に変わる。
 怒りが強ければ強いほど、それは強い歓喜となる。

 執着や煩悩などの雑念が生じたとき、それに集中すると、瞬間的に煩悩は消え、覚醒した光り輝く意識となる。
 多くの雑念が生じた場合、それらに同時に集中すると、雑念が多いほど、至福に満ちた覚醒の意識が広がる。

 これらの集中は最初は難しいが、慣れてくると容易になる。

 そしてさらに進むと、意識的に集中しなくても、自然に、日々、怒りのエネルギーは生じた瞬間に歓喜に変わり、雑念は生じた瞬間に智慧に変わる。

 この状態が持続すると、まるでラーマクリシュナのように、日々普通に活動しているときにいきなり歓喜に襲われて深い瞑想に入ってしまったりするので、なれないと大変です(笑)。


 こういったことを私が最初に経験したのは、10年ほど前でした。そのころ、そういった体験をまわりに話しても、理解してくれる人はほとんどいませんでしたが、ある人にその体験を話したところ、「それはチベット仏教のゾクチェンでも同じようなことを言っている」と教えてくれました。しかしそのころ出版されていたゾクチェン等の本を読んでも、そのようなことは書かれていませんでした。
 しかしその後に出版された本やネットにおけるゾクチェンや他のチベット仏教の記述の中に、確かに私が経験したものと同様の既述を見つけました。
 しかし同時にそれらを読んで、「これは誤解されやすいな」と感じました。それを経験したことがある私が、それを経験する前の自分を顧みながらそれらを読むと、以前の私なら、完全にその真意を誤解し、単に言葉遊びに陥るか、間違った道に入ってしまっていたなと感じました。

 最近は私のヨーガ教室でもインストラクターが増えたので、私は自分の修行時間も以前よりとれるようになり、上記のような状態をいい感じで持続させることができるようになってきました。このような状態は、机上の概念ではなく、本当に圧倒的な体験として存在するのです。しかし現実的にその領域に入るには、徹底的な基礎的修行の修習が不可欠であると思います。

 導いてくれる師やブッダや至高者への帰依・供養・懺悔、呼吸法その他の身体行、正しい教えの教学、功徳、戒律、日々の生活の中での教えの実践と自己の心の統御、念正智、基礎的なマントラや詞章や瞑想修行、忍辱の修行・・・これらの修行を日々地道に固めていくことで、本質的な達成の土台が整います。あとは師やブッダへ「おまかせ」すると良いでしょう(笑)。動機(菩提心)が正しく、帰依が誠実であれば、必ずすばらしい境地へと導かれるでしょう。
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仕組みと答え

2012-09-20 20:16:59 | 松川先生のお話
放棄した者は、得る。

とらわれた者は、失う。

しかしそのどちらも、ときにどうでもよく、

実はどうでもいい。

どうでもいいと気づくには

認める覚悟が必要だ。

神への忘我の愛、
あますところなきすべての明け渡しこそが

あらゆるすべてを成就させる。
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