ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

光の経験

2011-12-31 15:26:53 | クンダリニー・ヨーガのプロセス

◎光の経験

 だからあらゆることが気道と気の流れで証明、説明できる。だから単純にムドラーをやればいいって問題でもなくて、日常生活でたとえばいろんなとらわれがあったのが、心が成長してとらわれがなくなりましたと。あるいはいろんな汚れた心があったのが、心が成長して汚れがなくなりましたと。その一つ一つが気道の浄化とリンクしてる。

 だからいろんな修行が必要なわけだね。徳を積むのも必要だし、戒律を守るのも必要だし、日常生活において自分の観念をぶち破ってくのも必要だし、執着を落としてくのも必要だし。いろいろやってるうちに総合的に体中の気道が通りだす。どんどんどんどん通っていく。

 で、通ることによってもちろん、体中が非常に気持ちよくなりますが、それだけじゃなくて、光の経験を非常にするようになる。光ね。なぜ光の経験をするのかというと、もともと我々の心の本質は光に満ちています。ものすごい輝きに満ちている。しかし我々の気道が詰まり過ぎているがために、我々は闇の中にいるんだね。 これが、気が通るにしたがって、もともとある光がうっすらと見え出します。だんだんその汚れが除かれるにしたがって光が見えてくる。で、必ず光の体験というのをするようになる。

 もちろんこれは何度も言うけど、徳がないとだめだけどね。徳があってしかも気が通り出しましたねと。この段階で光が見え出します。

 もちろんそれは人によって、いろんな段階があると思います。徐々に見え出すとか、いきなりバーッとすごい光に飛び込むとか、いろいろあるだろうし、なんていうかな、自分が経験している光がどれくらいのものかってなかなか測れない。それは自分はすごいと思っても他人と比べたら実はそんなすごくない場合もあるから。でもそれはまあ、自分の中だけでもいいんだけどね。自分の中だけで、前は経験しなかったような光を瞑想中とかに経験するようになったら、あ、自分はだいぶ徳が積まれて実際に気が通りだしたんだなと考えたらいい。

 これはね、おもしろいことに私、昔ある時気づいたんだけど、たとえば暗闇で瞑想する。ああ暗いなあ、と思いながら何も見えない。真っ暗。よし、じゃあ瞑想するか、って目をつぶって意識を集中すると、すごい明るいんですよ。おっ、と意識の集中をやめて目を開けると、暗いんです。目つぶった方が明るい。目をつぶってぐっと集中した方が明るいんです。あるいはその集中のまま目を開けると外界も明るい。

 それから、私はもう慣れちゃってそんなに気づかないけども、なんていうかな、昼間も明るくなります。すごく変な言い方だけどね。昼間の見え方も、前よりも世界が明るく見える。つまりもう内的にもう光に満ちてくるんですね。

 だからね、昼間は明るいのは当たり前だって言うかもしれないけども、前よりも何十パーセント分か、なぜか明るい。輝いてるんだね、世界が。比喩的な意味じゃないよ。よく精神世界とかで、世界が輝いて見えるとか曖昧に言うけども、本当に輝いている。本当に光がちょっと増してる。で、それは瞑想中とかも非常によくわかる。


◎光のヨーガ

 で、これを利用したのが、チベット仏教とかで、光のヨーガって修行があるんだけど、光のヨーガとかではね、よく睡眠の光とかを利用するんだね。人間が睡眠に入るときに光が生じる。それを見極めなさいと。その方法は簡単だと。意識を持ったまま寝ろと。それが難しいんだけどね(笑)。意識を持ったまま集中して睡眠に入ると、誰でも光に没入すると。これを生来の光っていうんだね。

 まあそれは別として、私は以前、まあ、さっきの話と関連するけども、修行がだんだん進んできて、ぐっと目をつぶって集中すると、バーッと光に包まれるようになった。そしてある時ね、よくその光のヨーガの修行をやってて、瞑想したり、あるいは寝ながらグーッと集中してバーッと光に溶け込んでったりしたんだけど、あるとき朝、すごい眠くて、いやあ、もう本当に眠いなあと思って、だらーっとして、やる気なくて、こう、体育座りで目をつぶったら、パーッて光が見えてきて。「え? なんでもいいの?」と(笑)。「目をつぶればそれだけで光が出てくるのか?」と(笑)。

 ちょっと話がずれるけどね、ちょっと皆さんに希望を言うと、修行って、なんていうかな、たとえば一つ一つ、階段の踊り場じゃないけども、段階があって、段階を確定させるまでは非常に辛いけども、確定しちゃうと楽なんです、非常に。努力が必要なくなる。

 たとえば今の光の話なんかそうだけど、光を出すまでは非常に大変なんだと。で、光が出てからそれが安定するまでが大変だと。安定してしまったらもう楽なんです。さっきみたいに、だらーっとしてても目をつぶったら光がバーッて出てくる。前は、だらーっとしてたらもちろん全然だめで、しっかりと蓮華座を組んで腰を入れて、もうひたすら長い修行をしてパーッと出てきてた光が、だんだん、だらーっとしてても目をつぶるだけで出てくるようになってしまう。いろんな瞑想経験もそうだけどね。だから修行っていうのは先に行けば行くほど、そういう、なんていうかな、確定されたものが多くなってくるから、楽しくなるし、楽になってくるんだね。

 つまりその、1、2、3、4の段階があるとして、それを達成するのは大変なんだけども、達成しちゃったら次は5、6、7って行かなきゃいけないから、この1、2、3、4なんていうのはもうすっ飛ばすんです。すっ飛ばせる。よし、って確定した段階で、もう、ぱっぱっぱっぱっぱっと、そんなのはもう遊びだと。そんなのは簡単に行けますよという段階になってくる。

 だから修行っていうのはそういうメリットっていうか面白さがあるんだね。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌・イメージビデオ」

2011-12-30 06:25:41 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「賛歌・イメージビデオ」です。


曲目

1.ホーリーマザー
2.バクティヨーガの歌
3.マハームニに捧げる歌
4.願い
5.クリシュナクリシュナ
6.我が師
7.あなたの愛に
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第四話」

2011-12-28 17:01:10 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ/ハヌマーン 第4話」です。
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「ラーマクリシュナの福音」の著者Mの短い伝記(3)

2011-12-25 06:55:11 | 経典の言葉・聖者の言葉

 3.3度目の訪問


 マヘンドラが師を3度目に訪問したのは、次の日曜日、1882年5月5日、午後3時から4時のあいだだった。彼は、この驚嘆すべき人への2度の訪問から深い感銘を受けていた。彼は師のここと、霊性の生活の深い真理を説明なさるまったく簡潔な方法とを、たえず考えていた。いまだかつて、このような人に会ったことがなかったのである。

 マヘンドラが、当時まだ19歳の青年だったナレンドラ――師の恩寵により、後にスワミ・ヴィヴェーカナンダとして世界にその名を知られることになる――に初めて会ったのは、この三度目の訪問のときであった。マヘンドラがシュリー・ラーマクリシュナの部屋に着いたとき、師は、世間にいる人びとと付き合う方法について話しおられた。師はナレンドラにこうおっしゃった。

「神はすべての生きもの――善人であれ悪人であれ――の中に宿っておいでになる。」

 また、こうもおっしゃった。

「社会に暮らす者は、心の邪悪な人びとから自分を守るために抵抗する様子を見せる必要がある。しかし、自分が害されそうだと心配して、相手を害してはいけない。蛇のようにシューシュー言ってもよいが、毒を注入してはいけないよ。」

 そのような教えを説かれたあと、師はマヘンドラにこうお尋ねになった。

「推論について書いた英語の本はあるかね?」

M「はい、ございます。それはロジックと呼ばれております。」

「そこに書いてあることを話しておくれ。」
と師はおっしゃったが、彼の説明をほとんど聞いておられなかった。聞いているうちに忘我の状態にお入りになったのだ。そしてマヘンドラはこう思ったのだった。

「師は、霊性の真理に到達するには推論は無益だとお示しくださったのだろうか?」

 同じ日の午後5時ごろ、マヘンドラが師の部屋の北のベランダに戻ってくると、ナレンドラが歌っていた。

‘おお、わが心よ、主ハリを瞑想せよ。けがれなきもの、あくまで純粋な魂を!’

 Mは、師以外の人がこんなに美しく歌うのを聞いたことがなかった。

 そしてシュリー・ラーマクリシュナを見たとき、彼は驚異の念に打たれた。師がサマーディに入っておられたのだ。神の比類なき美しさのために、外界の意識を完全に忘れ去り、目は釘づけにされ、不動の姿で立っておられたのである。

 彼が目撃したサマーディと師の至福の光景は、マヘンドラの心に消しがたい印象を与え、たくさんの思いが湧き上がった。彼は深く感動して家に帰った。ときどき自分の内部に、彼はあの、魂を酔わせる歌のこだまをきいた。
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今日のAMRITAチャンネル「ホーリーマザー聖誕祭/イメージビデオ」

2011-12-24 21:38:43 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「ホーリーマザー聖誕祭 イメージビデオ」です。
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「ラーマクリシュナの福音」の著者Mの短い伝記(2)

2011-12-24 15:47:29 | 経典の言葉・聖者の言葉

 マヘンドラはたずねた。

「師よ、どのようにして神に心を集中させたらよろしいでしょうか。」


師「繰り返し神の御名をとなえ、神の栄光をうたい、ときどき神の信者やサードゥたちを訪ねなさい。ときどき人気の離れたところで瞑想を実修するのでなければ、心を神に集中することは難しいだろう。人は自分の務めは果しながら、神を思い続けることができる。瞑想するためには、自分の内部に閉じこもるか、あるいは隔離された一隅か、あるいは森の中へ退かなければならない。神のみが実在、永遠なる実体であって、他はすべて非実在、つまりかりそめのものである。このように識別することによって、人は感覚的な喜び、名声、権力、あるいは富といったかりそめの対象を心から振り落とすべきである」

 マヘンドラは初めは、形のない神を考えることが好きだった。師はそれで結構だよとおっしゃった。実際ある日、師は彼をマティ・シール・ジール湖に連れて行き、どのように魚が広い水面を喜びにあふれて泳ぎ回っているかお示しになった。そして、これが人が形のない無限なる者を思うときの心の状態だよ、とおっしゃった。

 しかしながら、徐々に師はMに、形ある神の礼拝もお教えになった。Mはまもなく、神ご自身があらゆる形をお持ちになることを理解した。

 また師はマヘンドラを、彼の仕事のために訓練され始めた。なぜなら彼は、師のリーラーの中でその仕事を手助けするためにこの世界に連れてこられたのだから。師は彼に、どのようにして人が家族の中で生活しながら心の奥底ではサンニャーシーであることができるか――グリアスタ・サンニャーサの理想についてお説きになった。

 師はこうおっしゃった。

「自分の務めは残りなく果たせ。しかし心は神を思い続けよ。みなとともに――妻子や父母とともに生活して彼らに仕えるがよい。お前にとって非常に親密な人びとであるかのように彼らを扱え。しかし心の奥底では彼らは自分のものではない、ということをわきまえていなさい。

 金持ちの家の女中は、その家の仕事を全部する。しかし彼女の思いはつねに、故郷の自分の家の上にある。彼女は主家の子供たちを、まるで自分の子であるかのように育てる。彼らのことを‘私のラーム’とか‘私のハリ’と言いさえもする。しかし心の中では、彼らは決して自分のものではない、ということをよく知っている。

 カメは水中を動きまわる。しかし、彼女の思いがどこにあるか察することができるか。岸辺の、自分の卵が産みつけてあるところにあるのだ。この世のすべての義務を果たせ。しかし心は神を思いつづけなさい。

 もしお前が神への愛を養わないで、いきなり世間に入るなら、お前は次第に深く巻き込まれるだろう。それへの危険、それへの苦悩、それへの悲哀に圧倒されるだろう。そして世間のものごとを思えば思うほど、それらに深く執着するようになるだろう。

 まず手に油をすり込んで、それからジャックフルーツを割れ。そうでないと、果実の粘液がてのひらにベタベタとくっつくだろう。まず神への愛という油を確保し、それから世間の務めに手をつけなさい。

 しかし、この神への愛を得るには、人はひとりにならなければならない。ミルクからバターをとるには、静かな場所に置いて凝乳にしなければならない。あまり動かされるとミルクは凝乳に変わらないだろう。つぎに、お前は静かな場所に座り、凝乳を攪拌しなければならない。それではじめてお前はバターを得るだろう。しかしその同じ心が、世間に住むと低く落ちて行くのだ。世間にはたった一つの思い、『愛欲と金』しかない。

 ・・・・・・これとともに、お前は識別を行じなければならない。『愛欲と金』は一時的なものだ。神が、唯一の永遠の実体である。金で何が得られるか。食物、衣服、住む場所――それだけだ。それらの助けで神を悟ることはできない。それだから、金は決して人生の目標とはなり得ないのだ。これが識別の方法だ。分かるか。

 同様に、考えてもみよ――美しい肉体の内部に何があるか。識別をすれば、美しい肉体さえ、骨や肉や脂その他の不愉快なものでできているのが分かるだろう。人がなぜ、それらのために神を忘れなければならないのか?」

 マヘンドラは会話の最後にこのような質問をした。

「神を見ることはできるのでございますか?」

師「できるとも。ときどき一人になり、神の御名をとなえ、神の栄光を歌い、そして実在と非実在を識別する――これが神を見るために用いられる方法だ。」
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今日のAMRITAチャンネル「実写版ラーマーヤナ 第22話」

2011-12-23 05:55:18 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「実写版ラーマーヤナ 第22話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「賛歌/イメージビデオ」

2011-12-22 10:01:16 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「賛歌/イメージビデオ」です。


曲目

1.ホーリーマザー
2.願い
3.マハームニに捧げる歌
4.バクティヨーガの歌
5.クリシュナクリシュナ
6.あなたの愛に
7.我が師
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・ハヌマーン 第3話」

2011-12-21 05:14:57 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ/ハヌマーン 第3話」です。
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2012年オリジナルカレンダー

2011-12-16 15:26:07 | お知らせ

 今年もヨーガスクール・カイラスのオリジナルカレンダーができました。

 今年は壁掛けサイズと卓上サイズの二種類があります。

 それぞれの月ごとに、神や聖者や聖地などの写真に、「聖なる言葉」がそえられていますので、ポスターやカードとしてもお使いいただけます。

 郵送もしていますので、お気軽にお申し込みください。


壁掛け版:定価2000円

卓上版:定価1000円

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新曲「ホーリーマザー」

2011-12-15 19:32:11 | お知らせ

新曲ができました。


ホーリーマザー・サーラダーデーヴィーの誕生日にあたって作った曲ですが、
サーラダーデーヴィーに限らず、普遍的な「母なる神」を称える歌になっています^^


「ホーリーマザー」


作詞:松川慧照
作曲:田中由里

演奏:田中由里
歌:松川慧照




 闇夜の星を見て
 マザーのことを思う

 気高くありなさいと
 声が聞こえる

 世俗の波に押し流されて
 言い訳ばかりの
 私をお許しください

 今こそ生まれ変わります
 マザーのような
 気高き愛の化身に
 なると誓います


 たとえただ一人
 茨の道、行こうとも

 マザーがいるから
 寂しくはない

 あなたは私が生まれる前から
 ずっと、これからも
 笑顔で見守っている

 広がる宇宙のすべては
 ただあなたの心
 けがれなき宇宙の母よ
 ホーリー ホーリーマザー

 けがれなき宇宙の母よ
 ホーリー ホーリーマザー
 ホーリー ホーリーマザー



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今日のAMRITAチャンネル「賛歌/イメージビデオ」

2011-12-15 09:45:27 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「賛歌/イメージビデオ」です。


曲目

1.我が師
2.あなたの愛に
3.バクティヨーガの歌
4.願い
5.マハームニに捧げる歌
6.クリシュナクリシュナ
7.神のしもべに
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あふれるような信仰心のゆえに

2011-12-13 08:58:57 | 経典の言葉・聖者の言葉



「シュリー・チャイタニヤはあるとき、ある場所を通りかかって、この村の人々は、主の御名が歌われるときにならされる太鼓を造り、それを売って生計を立てていると聞かされた。それを聞くやいなや、彼は叫んだ、
『ああ、太鼓はこの土で作られているのだ!』
と。そして、そう言いながら直ちに恍惚状態に入り、通常の意識を失ってしまった。次のような連想をしたからである――この土から太鼓は作られている、太鼓はハリの御名を唱えるときに鳴らされる、そのハリはすべての生命の中の生命、最も美しいものよりも美しい。このような思いが一時に心をよぎり、心は完全にハリに集中されたのだ。
 自分のグルに対してこのような信仰を持っている者は、連想によって、グルの身内の人々に会ったときばかりでなく、彼の生まれた村の普通の人々に会ったときも彼のことを思い出さずにはいられない。そして、グルへの尊敬から、その村人に敬意を表し、彼の足のチリを取り、彼に食物を供養し、あらゆる方法で彼に仕えるのだ。
 この境地に達すると、人は自分のグルの中にはいかなる欠点をも認めない。つまり、
『私のグルはニティヤーナンダ(永遠の至福そのものである主なる神)である。たとえ年中、酒場に通っていたとしても』
という格言が、この場合に当てはまるのだ。
 黄疸にかかった人の眼にはすべてのものが黄色に見えるのと同じように、彼は、主へのあふれるような信仰心のゆえに、グルの中に人ではなく神を見る。そうすると、彼の信仰が、全宇宙になられたのは神であるということを彼に示すのである。グルに、父に、母に、人に、家畜に――生あるもの生なきもの一切のものになっておられるのは『彼』のみなのである。」


 ――ラーマクリシュナ・パラマハンサ
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今日のAMRITAチャンネル「アニメ・リトルクリシュナ 第12話」

2011-12-12 14:55:20 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「アニメ/リトルクリシュナ 第12話」です。
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今日のAMRITAチャンネル「勉強会講話 解説・ラーマーヤナ 第21話 他」

2011-12-11 18:24:38 | 今日のAMRITAチャンネル
 今日のAmritaチャンネルは、「勉強会講話 解説・ラーマーヤナ 第21話/解説・シクシャー・サムッチャヤ 第11回」です。
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