ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

パドマサンバヴァの秘密の教え(24)「秘密の帰依の保護と長所」

2010-06-30 16:30:55 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎秘密の帰依の保護と長所


 ツォギャルは、ニルマーナカーヤの師にこう尋ねた。

「『秘密の帰依』は、どのような方法で保護するのですか?  
 そしてどのような長所を授けられるのですか?」


 師パドマはこうお答えになった。

「見解に帰依することで、現実主義と虚無主義の両方から保護されるだろう。
 誤った見解および観念の妨害は取り除かれ、光輝くダルマターの集積は完成され、身口意の不断のシッディに到達するであろう。

 瞑想に帰依することで、見解はさらに瞑想を保護するだろう。
 根深い愛著、習慣的性向の障害が取り除かれ、非二元の悟りは蓄積され、そして秘密と原初の解脱のシッディに到達するだろう。

 行為に帰依することで、正道を外れた行為、ニヒリズムの見解から保護さるだろう。
 偽善と愚行の障害は取り除かれ、雑踏の中の無執着の集積は完成され、悟りへの経験を積んだことすべてを回向するシッディに到達するだろう。」






◎秘密の帰依の具体的な実践

 ツォギャルは師パドマにこう尋ねた。

「『秘密の帰依』の具体的な実践は何でしょうか?」


 師はこうお答えになった。

「見解は、自然な安らぎの中で、渇愛、不平等と極端を持つことから解放されるべきである。

 瞑想とは、具体性や対象に固執することから解放されるべきである。
 それは、どんな言葉でも表現することはできない。
 すなわち、心を外へ向けておいてはいけない。心を内へ集中してはいけない。対象から解放された自然性の中であるがままにさせよ。

 歩くとき、動き回るとき、横になるとき、座るときの絶え間ない経験の状態の中で、迷わされることなくあるがままであれ。

 満足感、高揚感、あるいは空の感覚、至福感、明瞭感などは、すべて一時的な経験である。
 それらは素晴らしいものと見なされるべきではない。

 興奮、不明瞭、無気力等の心の状態が生じるときに、修行としてこれらの経験を使いなさい。
 これらのすべては、欠陥として見なしてはいけない。」





◎秘密の帰依における誓い


 ツォギャルはこう尋ねた。

「『秘密の帰依』における誓いを立てる方法とは何でしょうか?」


 師はこうお答えになった。

「グルに礼拝し、グルの周りを回り、花を供養しなさい。
 そして弟子は脚を組んだ姿勢をとり、慈悲によって、自他のために菩提心を養う誓いを立てるべきである。

 それから、視線を動かさずに空間を凝視し、知覚と知覚の対象という固執から解放された、生き生きとし、覚醒し、光り輝き、すべてに広がる意識を、ありのままにあらせよ。
 それはそれ自体が、確信を有する見解、経験を有する瞑想、交わりを有する行為である!
 したがって、それは指摘されるべきである。
 このように瞑想しなさい。

 これが、『秘密の帰依』の説明である。」




 最後に、ニルマーナカーヤの師パドマは次のようにおっしゃった。

「これが、一つの根の中に凝縮された、帰依の外、内、秘密の教え、高低の見解、そしてマントラヤーナとパーラミタ―ヤーナの手段についてのわたしの口頭の教えである。

 あなたがそれに従って適用するならば、ダルマの実践へと向かい、ダルマの実践は道になり、あなたの道は成就するだろう。
 カルチェンの王女よ、そのようにこれを理解すべきである。」



 この教えは、道として帰依を修習することを達成させるであろう。



 秘密にせよ。

 封印せよ、封印せよ、封印せよ。
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パドマサンバヴァの秘密の教え(23)「秘密の帰依」

2010-06-23 10:46:45 | 経典の言葉・聖者の言葉

☆秘密の帰依


 カルチェンの王女ツォギャルは、師にこう尋ねた。

「『秘密の帰依』とは、どのような対象に帰依するのですか?
 どのような人が帰依するのですか?
 どのような態度、方法によって、帰依をするのですか?
 どのような特別の姿勢で帰依するのですか?
 どのくらいの期間、帰依をするのですか?
 どのような状況によって帰依をするのですか?
 どのような目的、美徳が伴われるのですか?」


 師はこうお答えになった。

「『秘密の帰依』に関しては、見解、瞑想、行為に帰依すべきである。
 
 この帰依をする者のタイプは、悟りに到達することを望む、最も高い能力の者である。

 態度、方法に関しては、見解、瞑想、行為、成就を用いて帰依をすべきである。
 すなわち、確信を有する見解、経験を有する瞑想、平等の価値を有する行為をもって帰依をするのである。

 特別の姿勢に関して、渇愛のない見解とは、ブッダフッドに到達する、あるいは輪廻から脱却することを願望しないという意味ではない。
 不平等に陥ることのない、具体性の固定のない瞑想は、どんな通常な言葉によっても述べることはできない。
 受容と拒絶のない行為とは、あらゆる区分に全く分類しないということではない。

 期間は、悟りに到達するまで帰依をするのである。

 状況は、これ以上の転生を望むことなく帰依することである。
 
 目的や長所は、まさにこの一生の内に完全な悟りに到達することである。」




◎秘密の帰依の修行

 ツォギャルはこう尋ねた。

「秘密の帰依において、どのような修行が必要なのですか?」


 師パドマはこうお答えになった。

「まず最初に、三つの特別な修行がある。
 
1.悟りを有する『見解』に関して――
 一切の衆生とブッダは同じ土台を持つのであるから、到達するためのブッダフッドはどこか他のところに存在するわけではないという確信を得ることの修習をすべきである。
 現象と心に相違はないと理解することによって、現象と空性が不可分であるという確信を得ることを修習すべきである。

2.経験を有する『瞑想』の修行に関して――
 心を外に向けておいてはならない。心を内に集中してもいけない。心を自然に自由のままにさせる修行をなしなさい。

3.『行為』に関して――
 途切れることのない経験の修習をしなさい。
 歩いているとき、動き回っているとき、横になっているとき、座っているときなどのどんなときでも、一瞬間でさえ心を乱さない訓練をしなさい。



 次に、通常の修行がある。
 

1.たとえブッダそのものである心を悟ったとしても、グルを放棄してはいけない。

2.たとえ心そのものである現象を悟ったとしても、条件付けられた善根を中断してはいけない。
 
3.たとえ地獄の恐れがなくても、ほんのわずかな悪行さえ避けなさい。

4.たとえ悟りに対する望みを抱かなかったとしても、教えのどれをも汚してはいけない。

5.たとえ優れたサマーディを悟ったとしても、慢心したり、自慢をしてはいけない。

6.たとえ自と他の非二元性を理解したとしても、衆生への慈悲の思いをやめてはいけない。

7.たとえ輪廻とニルヴァーナの非二元性を悟ったとしても、独居して瞑想修行をなしなさい。」

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パドマサンバヴァの秘密の教え(22)「内の帰依の徳」

2010-06-16 05:49:54 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎内の帰依の徳


 ツォギャルは師パドマにこう尋ねた。

「どのような徳を、『内の帰依』は持っているのですか?」


 師パドマはこうお答えになった。

「グルに帰依することによって、概念的な心の拘束から保護される。
 迷妄と愚鈍の妨害が取り除かれる。
 正観と覚醒の集積は完成される。
 また、自発的な悟りの完成を得るだろう。

 イダムに帰依することによって、通常の知覚から保護され、自己存在の智慧は集積され、マハームドラーの完成に到達するだろう。

 ダーキニーに帰依することによって、障害と悪霊から保護されるだろう。
 餓鬼の貧困の障害は取り除かれ、執着からの解放および自由の集積は完成され、大いなる至福のサンボーガカーヤの完成に到達するであろう。」




◎内の帰依の修行法

 ツォギャルは師パドマにこう尋ねた。

「『内の帰依』の具体的な修行法とは何でしょうか?」
 

 師はこうお答えになった。

「まず最初に、無上の悟りへの強い願望を起こすべきである。

 それから、あなたの目の前の空間に蓮華を観想し、太陽と月の座の上に、グル、イダム、ダーキニーを観想し、次のように三度唱えなさい。

『系統の根本であられる、主グルよ
 シッディの創始者であられるイダムよ
 優れた祝福の授与者であられるダーキニーよ
 わたしは三つの根本に敬意を表します。』

 続いて、グル、イダム、ダーキニーに心を集中させ、繰り返しこう唱えなさい。

『わたしはグル、イダム、ダーキニーに帰依し奉ります。』

 次に、以下のように懇願しなさい。

『グル、イダム、ダーキニーよ、
 私に身口意の祝福をお授けください!
 私にアビシェーカをお授けください!
 私に最上の成就と共通の成就をお与えください!
 あなた方の愛する子供であるわたしに、
 あなた方の優しさをお与えください!』

 最後に、グルを自分の頭頂へ、イダムを心臓の中心へ、ダーキニーを臍の中心に溶解させなさい。」




◎内の帰依の誓い

 ツォギャルは師にこう尋ねた。

「内の帰依の誓いは、どのように行うのですか?」


 師はこうお答えになった。

「まず最初に、帰依の誓いを立てる儀式は以下のとおりである。

 アビシェーカを受け取ることが重要である。
 アビシェーカを得ること自体が、帰依を受け取るということである。

 もしアビシェーカを受け取らずに帰依をする場合は、グルに礼拝し、その周りを回り、花を供養し、次のように言いなさい。

『グルよ、私の言葉をお聞きください。
 イダムの集まり、曼荼羅の神の集い、
 ダーキニーおよび眷属たちよ、
 私の言葉をお聞きください。
 まさに今この瞬間から、
 マハームドラーの最上のヴィディヤーダラの段階に到達するまで、
 わたし○○は、系統の根本であられる、崇高なる神聖なるすべてのグル方に帰依し奉ります。
 わたしは、完成の源であられる、すべてのイダムの集まりに帰依し奉ります。
 わたしは、優れた祝福の授与者であられる、すべてのダーキニーに帰依し奉ります。』

 これを三回繰り返すことで、『内の帰依』の誓いが得られる。
 これが、誓いを立てる儀式である。


 以上、私は『内の帰依』について説明した。」
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パドマサンバヴァの秘密の教え(21)「内の帰依の八つの修行」

2010-06-14 07:06:44 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎内の帰依の八つの修行

 ツォギャルは師にこう尋ねた。

「『内の帰依』に関して、どのような修行を必要とするのですか?」


 師はこうお答えになった。

「それには八つの修行がある。

 まず最初に、三つの特別な修行がある。

1.グルに帰依し、グルに対して悪意や、嘲笑するような思いも持ってはいけない。

2.イダムに帰依し、イダムの姿の観想、またはイダムのマントラの読誦を、常に行わなければならない。
 
3.ダーキニーに帰依し、決められた日に供養を行わなければならない。


 次に、五つの通常の修行がある。

1.食べるもの、飲むもののすべての最初の一部分を、甘露としてささげる。
 あなたの頭上にグルを観想し、それを供養する。
 あなたの心臓の中心にイダム、あなたのへその中心にダーキニーを観想し、それを供養する。
 このように修習をするべきである。

2.どの方角に行こうとも、グル、イダム、ダーキニーに懇願する。
 頭頂にグルを観想する。
 自分自身をイダムとして観想し、守護者としてダーキニーやダルマパーラを観想する。
 これは、歩きならがら行なう修行である。

3.たとえ人生や手足を犠牲にしても、あなたの心臓のように愛しいグル、あなたの目のように愛しいイダム、あなたの身体のように愛しいダーキニーについて、修習すべきである。

4.病気や困難や悲しみのようなものが生じたときには、グルに懇願し、イダムに供養し、ダーキニーにごちそうをささげる修行をすべきである。
 それ以外に、予言やシャーマニズムの儀式のような他の手段を追求すべきではない。

5.グル、イダム、ダーキニーの美徳を思い起こし、何度も何度も帰依すべきである。
 グルに帰依することによって、障害は取り除かれるだろう。
 イダムに帰依することによって、マハームドラーの身体に到達するだろう。
 ダーキニーに帰依することによって、シッディを得るだろう。」

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被害や恩恵を救済につなげること

2010-06-14 05:31:26 | 松川先生のお話
 たとえば、誰かから何らかの被害や苦痛を受けたとき。
 それを自己の心の成長の糧として喜ぼう。
 その苦悩から積極的に何かを学ぶようにしよう。
 そして、悪しきカルマが浄化されたのだと喜ぼう。
 何とかして、その苦痛や被害を、自己の心の成長や修行の進化につなげるのだ。
 そうすることによって、その苦悩を与えてくれた人は、結果的に、私の修行を進めてくれたという因を作ったことになる。 
 カルマの法則からいって、人に苦痛を与える人というのは、本人もその苦痛のカルマを持っている。
 そして普通は、そこに「修行」や「ダルマ」というエッセンスがない限り、そのカルマはループし、絶えることがない。
 もちろん私もそのループの中にいるわけだが、もし私が、すでに「修行」や「ダルマ」というエッセンスを、ほんの少しでも持っているなら--その教えに従って、相手が与えてくれた苦悩を自己の成長につなげよう。
 それにより相手には、私を成長させたという予期せぬカルマが返ることになる。
 こうして彼も、将来、苦悩のループから抜け出ることができるかもしれない。その種を与えるのだ。
 苦しみを受けたら、真理の種で返せ。それはその苦悩を、いかに自己の成長につなげられるかで決まる。

 
 たとえば、誰かから何らかの恩恵を受けたとき。
 恩返しをしたいと思う。その最高の恩返しは、その恩恵を、自己の心の成長や、魂の修行の進化につなげることだ。 
 それにより彼にも、心が成長するカルマ、魂が進化するカルマが返るだろう。
 これこそ最高の恩返しだ。

 つまり、苦悩を受けても、恩を受けても、すべて自己の心や魂の成長につなげるということ。
 それは自分のためでもあり、また、同じカルマのループの中にいる彼らのためでもあるんだ。
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徳と縁

2010-06-11 07:48:28 | 松川先生のお話



 この世は不公平なものですね、と、ヨーガ教室のある生徒さんが言った。

 そもそも生まれつき、お金持ちに生まれたり、貧乏に生まれたり。優しい両親、残酷な両親。才能があったりなかったり。
 そしてたとえば、あくどい生き方をしているのに幸福になる人がいる。あるいは他人のために尽くし、善に従い生きているのに、ひどい目にあい続ける人がいる。

 しかしここで考えなければいけないのが、仏教・ヨーガの教えの大前提である「カルマの法則」と「輪廻転生」だ。

 チベットの伝統では、本格的な修行に入る前に、カルマの法則の教えと、輪廻転生の教えは徹底的に学ぶことになる。そしてそれは修行が進んでも、忘れてはならない重要なポイントとされている。

 仏教の十の戒律の十番目は「不邪見」というが、これは「邪悪な見解を持ってはならない」ということで、邪悪な見解とは、たとえば、カルマの法則はないとか、輪廻転生はない、とかいうことが代表的な「邪悪な見解」とされている。

 「カルマの法則」と「輪廻転生」の真実は、最終的には悟るしかない。しかし悟る以前には、疑問をはさまずにまず受け入れるのが、仏教徒あるいは修行者としては最も利益のある姿勢ではないかと思います。

 さて、それらを前提に見た場合、この世は公平なのか不公平なのかといった場合、「カルマの法則の下において公平である」ということができるでしょう。

 つまり、Aという行為をなした場合、他にそれに抵触する条件がなければ、A´という結果が起きる。この法則性は、誰にとっても公平に全く同じであるということです。 

 つまり誰にとっても、今の苦しみは過去の悪業の結果であり、今の幸福は過去の善業の結果であるということになります。
 
 では、今幸福な人と、今不幸な人を比べた場合、前者のほうが、過去において善をなした「カルマの良い人」なのかというと、一概にそうとはいえません。なぜなら、相当の聖者、あるいは相当の極悪人でない限り、誰でも、善いカルマと悪いカルマと両方を持っているからです。ですから前者は「現在、善いカルマの果報が現われている人」であり、後者は「現在、悪いカルマの果報が現われている人」ということに過ぎません。

 では、何が重要なのでしょうか?

 先ほど、「あくどい生き方をしているのに幸福になる人がいる」と書きましたが、それは本当でしょうか? あくどい生き方をしているのにお金持ちになるとか、そういうことは確かにあるでしょう。しかしその人は本当に幸福なのでしょうか? 幸福とは、物質的条件ではなく、心の状態によって決まるものです。悪をなした場合、その人の心は暗くなり、苦の要素が増すため、本質的な意味で「悪をなして幸福になる」ということはありえません。
 しかしお金とか地位とか異性とか、その人に客観的に幸福に見える現象は生じることはあるでしょう。しかしそれは過去に積んだ善のストックを使っているに過ぎません。現在、悪を重ね、悪の果報を受けない。そして善をなさず、善のストックを消費する。この果てには、この人の中には善のストックはなく、悪のストックに満ちた状態になるので、今は良くても、悲惨な未来や来世が待っていることでしょう。

 次に、他人のために尽くし、善をなしているのに、不幸になるという人を見てみましょう。
 もし本当にこういう状況があるとしたら、これは考えられうる限りの、最高のシチュエーションです。
 なぜなら、善をなし、善の果報をうけず、悪をなさず、過去の悪の果報を消費しているからです。
 この果てには、この人の中には悪のストックはなく、善のストックに満ちた状態になるので、今は苦しくても、その心を曲げずに「忍辱(クシャーンティ)」の修行を続ければ、幸福な未来や来世が待っていることでしょう。

 しかし問題は、それができるのか、ということです。
 善をなしているのに、不幸な目にあった。
 それでもけなげに耐えて、善をなし続けられればいいのですが、ここで不幸な現象に対して悪しきアクションを起こしてしまう場合があります。
 いや、たいていの場合は、起こしてしまいます。
 なぜならそれがカルマだからです。
 たとえば、善をなしていたら、人から非難された。
 非難されたのは善をなしていたからではなくて、過去に自分が誰かを非難したからです。
 だからそこで耐えればいいのですが、無智な人は、そこでまた自分のストレスを消すために他者を非難してしまいます。
 よって悪業が消えません。
 それだけならいいのですが、この世に不条理を感じ、善をなすのをやめ、どんどん悪の道に入ってしまう人もいます。

 ここで重要なのが、「真理との縁」なのです。
 ヨーガや仏教などの真理の法との縁、あるいは聖者との縁、ブッダとの縁などがあれば、その人は必ず生きているうちにいつかどこかで、それらの教えや、それらを教えてくれる人と巡り合います。 
 そして徐々にそれらの教えを理解し、受け入れ、自分の人生に適用できるようになります。

 こうなったらしめたものです。
 その人は善を行ない、不幸な目に合うこともあるかもしれませんが、教えを信じ理解することによって耐えることができ、次なる悪しきアクションを起こさなくなります。そして後には、不幸な目に合っても精神的には幸福に満ちるようになります。そして最後には悪のストックがなくなり、不幸な目に合わなくなります。

 よってこの世で最も重要なのは、

 功徳(良いカルマ)と、
 縁(真理や聖者との縁)なのです。

 どんなにお金や地位があっても、どんなに異性にもてても、どんなに一時的に人から称賛されても、それらはただの現象であって、本質的にはあまり価値のないことです。

 どんなに貧乏で地位がなくても、世界中から非難され嫌われたとしても、ただただ、功徳と縁を大事にすることです。

 人に必要なのは、功徳と縁なのですから。
 
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パドマサンバヴァの秘密の教え(20)「内の帰依」

2010-06-09 17:57:29 | 経典の言葉・聖者の言葉

☆内の帰依


 カルチェンの王女ツォギャルは、ニルマーナカーヤの師パドマカラにこう尋ねた。

「内の帰依とは、どのような対象に帰依をするのでしょうか?
 どのような人が帰依するのでしょうか?
 どのような態度や方法によって帰依をするのですか?
 どのような特別な姿勢、どのくらいの時間の継続が必要とされるのでしょうか?
 どのような特別な状況が必要なのですか?
 その目的とは何なのでしょうか? また、その特質とは何なのでしょうか?」


 師はこうお答えになった。

「内の帰依の対象に関しては、グル、イダム、ダーキニーに帰依すべきである。

 帰依する者は、秘密真言の門に入った者である。
 
 態度や方法は、熱心に尊敬の念に満ちた身口意をもって帰依することである。

 帰依の特別の姿勢に関しては、グルをブッダと見、人生を犠牲にしてもイダムを放棄せず、常にダーキニーを供養することによって帰依すべきである。

 時間の継続に関しては、アビシェーカの儀式で菩提心を起こしたときから、ヴァジュラダラの境地に到達するまで帰依すべきである。

 状況に関しては、秘密真言への信仰によって帰依すべきである。
 
 帰依の目的または美徳に関しては、秘密真言の修行のために、桁外れの祝福を受け取るために、適切な器を作る目的がある。」
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6~7月の出張ヨーガ講習会(追加あり)

2010-06-07 17:12:29 | お知らせ

 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。
 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌・大阪の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。






6月27日(日)15:00~18:00
☆場所:名古屋・亜細亜大陸アカデミー
地下鉄矢場町駅から徒歩5分
http://ajiatairiku-academy.com/asia/access.html


7月11日(日)14:30~17:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


7月18日(日)13:00~16:00
☆場所:京の山杣人工房「空」
JR京都駅から徒歩5分 下京区総合庁舎となり
http://somabitoqo.exblog.jp/i11/


7月25日(日)12:30~15:30
☆場所:愛媛県松山市・Lスタジオ
伊予鉄城南線勝山町駅から徒歩3分
http://www.chaikuro.net/rentalspace/l_studio.php?catid=16






☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円


☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:電話かメールでお申し込みください。



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◎グルヨーガ簡易版

2010-06-06 06:47:18 | シャンバラ・ヨーガ 実践編


◎グルヨーガ簡易版


☆プロセス1

蓮華印か法界定印を組み、グルヨーガのマントラを唱える。

オーム アー フーム
ヴァジュラグル パドマ シッディ フーム


☆プロセス2

①マントラを唱えながら、次のことを観想する。
 自分の頭上に、白く輝く蓮華の花があるのを観想する。
 その花心の上に、聖なる存在が座っていらっしゃるのを観想する。
 チベットの伝統では大聖パドマサンバヴァを観想するが、大聖パドマサンバヴァにあまりなじみがない場合は、自分の好きな神やブッダや聖者のお姿でもよい。
 そして師がいる人は、そのお顔が自分の師のお顔であると観想する。

②マントラを唱えるたびに、頭上の聖なる存在から、アムリタ(不死の甘露)と呼ばれる白い液体状のエネルギーが生じ、蓮華の茎を伝わって、頭上から自分の中に入ってくると観想する。

③頭上から入ってきたアムリタは、自分の頭頂のサハスラーラ・チャクラ、喉のヴィシュッダ・チャクラ、胸のダルマ・チャクラ、へそのマニプーラ・チャクラを、順次満たしていく。アムリタがそれぞれのチャクラに満ちるたびに、強い歓喜が生じる。

④さらにマントラを唱え続けると、どんどんどんどん頭上からアムリタが注がれてくるので、しまいには自分の体の中がアムリタで飽和状態になる。



☆プロセス3

 心の中でマントラを唱えながら、プロセス2を繰り返す。



☆プロセス4

 マントラをやめ、頭上から蓮華の花と聖なる存在が、自分の中に溶け込んでくると観想する。
 氷が水に溶け込むように、完全に自分と聖なる存在が一体化したと考える。
 この瞑想の間に限っては自分はいつもの汚れた存在ではなく、聖なる存在と一体化した、非常に清らかで、至福に満ち、光り輝く存在であると考え、その状態に没入したままで、できるだけ瞑想する。

 雑念がわいてきたら、普段の自分自身に戻り、瞑想を終了する。
 
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サラハの「王女のためのドーハー」(1)

2010-06-05 07:32:28 | 経典の言葉・聖者の言葉

サラハの「王女のためのドーハー」



 大楽、勇敢な心、明智と全智を持つ主に
 そして三宝に
 合掌し、礼拝いたします。
 私は今から、非二元の法であるマハームドラーについて説こう。

 煩悩のつる草によってとらえられた衆生は   
 我執という悲しみの砂漠で干からびている。
 彼らは、父である王から切り離され、国を追放された若い王子のようである。 
 彼らには幸せになるチャンスがなく、彼らの心は苦しみに満ちている。

 サラハが、自らの経験からそれを宣言しても、
 この存在の無垢の認識を十分に認識することのできない多くの衆生は、煩悩にふけり続ける。
 そうしてさらに多くのカルマを積み、さらに分離されていく。
 教えを学んだ人々は、まるで心臓が毒で満たされたかのように、自らの状態におびえるようになる。

 存在の静寂なる点、ダイナミックな原初の心は、理解しがたい。
 両極性によってけがされていない完璧なエネルギー、それは存在それ自体の最高の力として生来的なものであり、散漫に対処される何かではない。
 それが、まるで毒蛇に噛まれたように、散漫になる。

 知性によって準備される我々の「現実」の実体は、どんな物質もあることはなく、ただ自分自身の中にある。
 この「現実」を作り出す必要条件から自らを解放せよ。
 我々がそれらに対して作り出すすべての仮定は、存在しないのだ。 
 自然発生の本性の中に溶解する自由を行使するプロセスを知っているならば、
 視覚も聴覚も、他のどんな知覚的な活動もない。
 そしてそれによって人は、存在の本性と相容れないことから解放される。
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サラハの「人々のためのドーハー」(7)

2010-06-04 17:56:37 | 経典の言葉・聖者の言葉

 躊躇なく問え。
 あなたの心という象を解き放て。
 彼は川の水を飲むかもしれないが、
 彼の至福の背中の上で休息せよ。

 感覚という象の鼻に捉えられて、
 殺されたように見えるかもしれないが、
 すばやい御者のようなヨーギンは、うまく抜け出していく。

 輪廻もまた、ニルヴァーナのようである。
 いかなる区別もあるとは考えるな。
 そしてそれは一つの性質も具えていない。
 完全に純粋であるそれを、私は知っている。

 家の中で座るな。森へ行くな。
 あなたがどこにいようとも、心を認識せよ。
 人が完全で完璧な解脱にとどまるとき、
 輪廻はどこにあるか? そしてニルヴァーナはどこにあるか?

 おお、この真理を知れ。
 家の中も、森の中も、どちらも解脱の住処ではない。
 けがれのない思考である自己の本性によって、
 ごまかしの作り事から自由になれ!

 「これは私であり、これは他です」
 ――あなたの周りを取り囲む、この足かせから自由になれ。
 そしてそれによって、あなたの「私」は自由になる。

 自己と他についてのこの問題において、誤ってはいけない。
 すべては例外なく仏陀である。
 けがれなき最終ステージは、ここにある。
 真の本性の中で、思考が純粋であるところに。

 二元性を知らない、正しい思考の樹は
 三界に広がっていく。
 それは慈悲の花と果実を結び、
 その名前は「利他行」という。
 
 正しい空性の樹には、
 数々の慈悲の行為という花が、たくさん咲いている。
 そして無思考の喜びのために、
 他者のための果物が、自然に生じる。
 
 芽や花や枝葉なしに、樹を想像することはできないように、
 正しい空性の樹に、慈悲が欠如していたならば
 それは何でもなくなってしまう。
 
 一粒の種から二つの樹が生え、
 唯一つの果物がなる。 
 このように、区別できないそれらを考える者は、
 ニルヴァーナと輪廻から解放される。

 欲望に覆われた者が近づいても
 果たされていない希望は、逃げ去っていく。
 家から投げ出されたボールを追いかけるよりも、
 彼はその家自体を捨てなければならない。

 輪廻の果物は、衆生の助けにはならないので、
 欲望に覆われた者に、それを与えるな。
 「私」という概念を捨てるほうがよい。




 空性にしがみつき、慈悲を怠る者は、
 最高のステージに到達することはない。

 しかし慈悲だけを修習する者は、
 存在の罠から解放されない。

 空と慈悲の両方を修める者は堅固であり、
 輪廻とニルヴァーナのどちらにも住することはない。






 サラハの「人々のためのドーハー」を終わる。



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パドマサンバヴァの秘密の教え(19)「帰依による保護」

2010-06-04 05:29:13 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎帰依による保護


 ツォギャルは師にこう尋ねた。

「帰依したことによって、どのように保護されるのですか?」


 師はこうお答えになった

「以上のように帰依し、正確に修行を実践するものは誰でも、三宝によって確実に保護されるだろう。
 そのようにして、誤った道へ迷い込むことを恐れ、真の道に出会うために祈るならば、確実に真の道に出会うだろう。
 同様に、この人生の恐れから確実に保護されるだろう。

 帰依のすべての特質があなたの中に生じたとき、満足して帰依を中断するべきではない。
 あなたの中に生じたその特質を、もっともっと高めなさい。
 功徳と智慧の集積を集め、無明を浄化するために、心の中に生じた帰依の特質をすべて使うべきである。
 そのような努力がなされるとき、十分な能力が生じるだろう。

 帰依があなたの内側で生じたならば、三宝の慈悲によってあなたが保護されないということはありえないのである。
 それは、優れた護衛を持つならば、確実に恐れはなくなるという事実に似ている。」



 このように、師パドマはツォギャルに、帰依の外の方法を説明した。
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新刊案内 「聖者の生涯 第三巻」

2010-06-03 07:53:25 | お知らせ

「聖者の生涯 第三巻」ができました。

 以下の聖者の生涯の物語が、簡潔にまとめられています。

 サーラダー・デーヴィー
 ブラフマーナンダ
 トゥリヤーナンダ
 ミーラーバーイー
 アーナンダマイー・マー

 
 定価千円です。郵送もいたしますので、お気軽にお申し込みください。



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ヨーガ講習会のお知らせ

2010-06-01 21:49:28 | 松川先生のお話
 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。

 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌・大阪の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。





6月6日(日)14:30~17:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


6月27日(日)15:00~18:00
☆場所:名古屋・亜細亜大陸アカデミー
地下鉄矢場町駅から徒歩5分
http://ajiatairiku-academy.com/asia/access.html


7月18日(日)13:00~16:00
☆場所:京の山杣人工房「空」
JR京都駅から徒歩5分 下京区総合庁舎となり
http://somabitoqo.exblog.jp/i11/


7月25日(日)12:30~15:30
☆場所:愛媛県松山市・Lスタジオ
伊予鉄城南線勝山町駅から徒歩3分
http://www.chaikuro.net/rentalspace/l_studio.php?catid=16






☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円


☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:電話またはメールでお申し込みください。



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パトゥル・リンポチェの勧告

2010-06-01 09:12:11 | 経典の言葉・聖者の言葉



パトゥル・リンポチェの勧告




 恩寵に満ちたグル、
 慈悲に満ちたブッダ、
 教えの念正智。
 ――この三つは、忘れてはならないことである。

 イニシエートしてくれた根本グル、
 彼が説かれたメッセージ、
 あなたが立てた誓い。 
 ――この三つは、心に留めておかねばならないことである。

 身体とともにある心、
 座の上の身体、
 安らぎの中にある心。 
 ――この三つは、適切な場所にとどめておかねばならぬものである。

敵への怒り、
 対象への欲望、
 無気力な怠慢。
 ――この三つは、忘れさられるべきものである。

 公衆での演説をしないこと、
 心の寂静を保つこと、
 常に念正智すること。
 ――この三つは、保たれるべき規則である。 

 あなたの智慧、
 他者の過ち、
 未来の計画。 
 ――この三つは、秘密にしておくべきことである。 

 一時的な意気込み、
 策略とうぬぼれ、
 特別な修行。
 ――この三つは、誇示してはならないことである。 

 つまらない口論、
 群集、
 賭博場。
 ――この三つは、避けねばならないことである。

 誤った教え、
 他人の個人的な問題、
 不可能な奇跡。
 ――この三つは、話し合ってはならないことである。

 ころころ変わる友への感情、
 ころころ変わる言葉、
 ころころ変わる行為。
 ――この三つは、持ってはならないものである。

 高慢な表現、
 陰口、
 上にへつらい、下にいばること。
 ――この三つは、なしてはならない態度である。

 へつらい・ゴマすり、
 誤った指導者に注意を向けること、
 秘密を漏らすこと。
 ――この三つは、なしてはならないことである。

 美しい女の身体、
 友人の行為、
 自己の良い特質。
 ――これら三つは、しつこく考えてはならないことである。

 友との挨拶、
 現地の慣習、
 心によるダルマ。
 ――この三つは、従われるべきことである。

 お世辞、
 軽率なリアクション、
 浅はかな指示。
 ――この三つは、心にとめるべきではないことである。
 
 裕福な者の豊かさ、
 高い地位のしるし、
 高価な装飾品。
 ――この三つは、欲してはならないものである。

 尊敬されるべき人、
 ビジネスの競争相手、
 他者を称賛する者たち。
 ――この三つは、非難するべきでない人々である。

 評判が良くない人、
 エゴイスト、
 自分の子供(他者に対して)。
 ――この三つは、むやみに称賛するべきではない人々である。

 血縁者、
 あなたがよく知らないグル、
 実際のところ、すべての人々。
 ――この三つは、非難も称賛もするべきではない人々である。

 その他にももろもろのことがあるが、
 要は、大事なことは、
 あなたが真に自分自身を
 常に意識し続けなければならないということだ。
 これらが神聖なものと現世的なものであり、
 一言で言えば――これが教えである。





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