ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

自由・平等・友愛と三毒とトンレン

2010-02-26 18:26:28 | 松川先生のお話




 先日は、自由・平等・友愛(慈愛)が、仏教やヨーガの真髄であるという話を書きましたが、もう少しだけそれに補足します。

 仏教において、魂を苦しめる煩悩の中で、最も根本になるのが貪り・怒り・無智の三毒だといわれます。
 ヨーガ・スートラにおいては、貪り・怒り・無明に、生命欲と我想を加えて五つとしますが、生命欲は貪りに、我想は無智(無明)に含まれると考えて、ここでは三毒の説をとります。

 仏教やヨーガの修行とは結局、
①貪り(執着)から自由になること(解脱)
②怒りを超えて、慈愛を培うこと
③自分と他者を区別する無智を超えて、平等の智慧を得ること

この三つに集約されるわけです。

 よって、自由・平等・慈愛というのは、修行の真髄なんですね。

 そしてそのためにはさまざまな角度からの修行が存在するわけですが、最も簡単にその真髄を表しているのが、ここでも何度も紹介している「トンレン」です。

 トンレンにおいては、まず自分の幸福を他者に差し出す瞑想をします。これによって、エゴの執着から自由になっていきますし、また、他者の幸福を願う慈愛の気持ちが培われます。

 そして他者の苦悩をすべて受け取る瞑想をします。これによって何が起きるのでしょうか? この苦悩は黒いエネルギーとして自分の中に入ってくるというイメージです。この苦悩のエネルギーは、暴力的なものであるがゆえに、それによって自分が破壊されてしまいます。しかしそれは、自分の幸福が破壊されるわけではありません。まさに自分(エゴ)が破壊されるのです。つまりエゴの執着という牢屋が破壊され、魂は自由を得るのです。
 そしてもちろん、他者の苦悩を自分がすべて引き受けたいという慈悲の心も培われていくでしょう。

 そしてこの全体のプロセスが、自分と他者を区別する無智を破壊し、平等の智慧を培わせていきます。
 正確に言うと、この修行は、「自分と他者の平等視」の修行ではなく、「自分と他者の転換」の修行と呼ばれます。
 この発想を最初に明確に示したのは、私が知る限りナーガールジュナです。その後にシャーンティデーヴァがよりそれを強く打ち出し、そしてチベットではトンレンという実質的な瞑想として完成しました。
 
 「私とあなたは平等に幸福になってほしい」というのが「自分と他者の平等視」ですが、そうではないのです。
 もともと私たちには、「自分は幸福であれ。他者は自分の幸福のためにはどうなってもいい。」というエゴがあります。どんなにきれいごとを言っても、私たちの心の奥にあるエゴの本質は、こういうものです。
  
 これを破壊するには、荒療治が必要なのです。
 つまり「平等に見る」なんて生ぬるいやり方ではなく、完全に転換、自分と他者を入れ替えてしまうのです。 
 つまり、「他者は幸福であれ。自分は他者の幸福のためにはどうなってもいい」という発想ですね。
 これくらい強い、エゴへのアンチテーゼをぶつけないと、友愛とか慈愛とか言っても、表面的なものに終わってしまいます。

 このようにトンレンは、エゴの執着からの自由、他者への怒りや嫌悪感を超えた慈悲の心、そして自分と他者の転換という荒療治により平等の智慧を深めていくという、仏教のすべての真髄が秘められた修行であるともいえるのです。

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私心なき行為

2010-02-16 20:37:56 | 経典の言葉・聖者の言葉

 私心なき行為(カルマ・ヨーガ)を通して、心は浄化される。そして心が清浄になったとき、その中に神の叡智(ジュニャーナ)と、強い信仰心(バクティ)が生じる。
 神の叡智は、自己の本質そのものである。――しかし無智に覆われているため、それはあらわれない。私心なき行為(カルマ・ヨーガ)の目的は、この無智を除去することである。

 最初に、あなたは神の叡智を得なくてはならない。神の叡智を得てから、この多様性の世界に戻ってきたとき、人はすべてを以前と同じように見るだろうが、もはやその中の何ものにも愛着を覚えない。
 神を悟った後では、世界は蜃気楼のようにしか見えない。その中に人を惹きつけるものは何もない。


 ――スワーミー・サーラダーナンダ
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クリシュナ物語の要約(3)「主の降誕」

2010-02-15 07:47:34 | 経典の言葉・聖者の言葉


(3)「主の降誕」


 ローヒニーの星宿が東の空にのぼり、星々が最も吉兆な相を示した時、ついに主ヴィシュヌは、デーヴァキーの息子として、この世に出生されました。

 ヴァスデーヴァは、妻デーヴァキーから生まれた自分の息子の姿を見て、驚嘆しました。それは四本の腕に法螺貝や円盤などをもち、黄色の絹の衣を身にまとい、頭にはまばゆい王冠、耳にはラピスラズリの耳飾りなどを身につけた姿だったのです。
 その子はまさに主ヴィシュヌそのものだと理解したヴァスデーヴァとデーヴァキーは、大変喜びつつも、これを知ったらカンサが飛んできて、主ヴィシュヌを殺してしまうだろうと思うと、不安になりました。

 主ヴィシュヌはその後、自分のマーヤーの力によって、たちまちに普通の赤子の姿になりました。
 するとその時、ヴァスデーヴァは、主の力によって、生まれたばかりの赤子を抱き抱えて、幽閉されているこの牢屋から出て行こうという気持ちになりました。
 そのとき、ヨーガマーヤーの力により、門番たちも、都のすべての者たちも、深い眠りに落ちていきました。固く閉ざされた牢獄の門も、次々に自然に開いていき、ヴァスデーヴァは赤子を抱えたままやすやすと外に出ることができました。
 こうしてヴァスデーヴァは、ヴラジャの地にやってきました。そこでは女神ヨーガマーヤーが、ナンダの妻ヤショーダーの娘として生まれていました。ヴァスデーヴァは、自分の息子を眠っているヤショーダーのそばに置くと、ヤショーダーの娘を抱き上げて、もといた牢獄へと戻っていきました。

 ヤショーダーは、ヨーガマーヤーの力によって、自分に生まれた子供が女の子であるということには気づかずにいました。そのため、ヴァスデーヴァが自分の息子とヤショーダーの娘を交換しても、それに気づかず、ヴァスデーヴァが連れてきたその男の子を、自分が生んだ実の子であると信じて疑わなかったのでした。

 さて、ヴァスデーヴァがヤショーダーの娘を自分の息子と交換して牢屋に戻ってきた後、ヤショーダーに子供が生まれたというニュースが、カンサに報告されました。
 カンサは、ついに自分の宿敵である主ヴィシュヌが降誕したと知り、その赤子を殺すために、急いで牢屋へと向かいました。
 そこではデーヴァキーが、生まれたばかりの女の赤子を抱いていました。デーヴァキーは、その子が女の子であることを理由に、どうかこの子は殺さないでくれと、カンサに懇願しました。しかしカンサは耳を貸さず、デーヴァキーからその赤子を取り上げると、その足をつかんで、硬い石の上に、思いきり投げつけました。
 しかしその赤子は、カンサに放り投げられると、そのまま空中に飛んでいき、八つの腕をもつ、神々しい女神の姿に変わりました。そしてその女神は空中から、カンサにこのように言いました。

「ああ、愚か者よ。私を殺しても何になろう。かつてのお前の敵であり、お前を殺すお方は、もうすでにお生まれになり、他の場所にいらっしゃるのだ。それゆえお前はこれ以上、無益に子供を殺してはならぬ。」

 こう言うとその女神は、ただちに姿を消しました。

 これを見たカンサは非常に驚きました。そして同時に、心に深い懺悔の気持ちがわき起こってきました。彼は今まで自分がなしてきた残虐な行為を悔い、ヴァスデーヴァとデーヴァキーを鎖から解放すると、彼らに自分がなしてきたひどい行為の許しを乞いました。ヴァスデーヴァとデーヴァキーも、カンサが改心したことを喜び、彼を寛大な心で許したのでした。

 しかしその後、一連の出来事を知った魔族の大臣たちは、カンサ王に言いました。

「もしその女神が言ったことが事実であるならば、都や村落、その他の場所に誕生した、生まれて十日前後の子供たちを、すべて殺すべきです。
 ヴィシュヌ神をはじめとした神々などに、いったい何ができるでしょうか?
 どうかあなたのしもべである我々に、やつらすべてを滅ぼせと、命じてください。
 彼ら神々の支えはヴィシュヌであり、ヴィシュヌがいるところに、彼らのサナート・ダルマ(永遠の法)は存在するのです。
 ああ、王よ。我々は、聖典の解説者、ブラーフマナ、苦行者など、彼らをすべて殺すべきでしょう。それら聖なる者たちは、ヴィシュヌの顕現の一部であるからです。」

 一度は改心したカンサでしたが、あまり智慧のない魔族の大臣たちにそそのかされた結果、もともと持っていた悪しき心が、カンサの中に再び蘇りました。そしてカンサは部下である魔族の者たちに、世の中の正しき者たちを迫害するように命じました。
 こうして魔族の者たちは、世の中の徳ある者たちに、さまざまなかたちで危害を加えていったのでした。

 またカンサは、恐ろしい魔女のプータナーに、世界中の幼い子供たちを殺してくるように命じたのでした。




つづく
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自由・平等・友愛

2010-02-14 18:11:16 | 松川先生のお話




 フランスの国旗は自由・平等・友愛を表しているとされますが、この自由・平等・友愛は、人類に、いや魂に必要な重要な要素だと思います。
 しかし人類は、この自由・平等・友愛を、少々履き違えてきたのではないかという気もします。

 普通に人間が考える自由とは、エゴ(自我)の自由であり、エゴに基づく欲望追求の自由、あるいは経済の自由でしょう。
 そして平等とは、社会から与えられる恩恵の平等であるといえるかもしれません。
 そしてこれらから自由主義・資本主義、共産主義・社会主義といった、大雑把に言えば二方向の流れが社会に登場したといっていいでしょう。

 しかし社会システムを平等にしても、人は怠けるだけだというのが、共産主義国という大いなる実験で明らかになっています。そしてその流れはほとんど崩壊しているといっていいでしょう。
 自由に欲望を追求する社会の場合、人々は一生懸命働きます。しかしそこに貧富の差が生まれ、不満が生まれ、エゴが増大し、精神的苦悩も増大し、自殺者も増えています。

 私は今回、政治についてあれこれ言おうとしているのではありません。

 私は思うのです。まず、我々が得るべき自由とは、エゴ(自我)の自由ではなく、エゴ(自我)からの自由であると。
 そして平等とは、社会システム上の平等ではなく、自己と他者の平等視、自分と同じくらいに他者を大切にし、他者の幸福を願う気持ちを育てることだと。
 もっといえば、好きな人と嫌いな人、成功と失敗、快楽と不快、こういった二元性のものを平等視し、頓着する心をなくしていき、すべてを神(ブッダでもいいですが)の愛として受け入れ、喜びを持って生きることだと。

 つまり個々人の中で、真の自由と平等を勝ち取るべきなのです。
 そしてそれを補うのが、積極的な他者への友愛です。他者の幸福を願い、他者の幸福のために生きようとすることです。

 この三者--つまりエゴからの自由、すべての事象への平等視、他者の幸福を願うこと、という三つは、それぞれ相補うかたちで成長させていくことができます。
 エゴが少なく、平等観がある状態でなければ、本当の意味で友愛を持つことはできません。
 平等観と他者への友愛を育てることで、エゴを弱めることができます。
 エゴを弱め、他者を受け入れる訓練によって、平等観は深められていきます。
 この「エゴからの自由」「すべてへの平等観」「他者の幸福を願うこと」の三つを深めることが、その人自身、そして周りの人をも幸福にしていく道です。

 
 そうして個々人の中で、完璧ではなくても、この三つを成長させることができたなら、結果的には社会的にも、自由で平等で友愛に満ちた社会になるのではないでしょうか。なぜなら、真の友愛を持つ者にとっての自由とは他者の幸福のために努力することであり、また多くの人が他者の幸福のために努力するなら結果的に社会的にも平等になるだろうからです。

 しかしそのためには智慧が必要ですね。そして実際にその三つを達成するための道も必要ですね。

 だからこそ今、本当の意味でのヨーガ、そして仏教の修行といったものが、人類にとって必要とされるのではないかと思うのです。
 実はこの「エゴからの自由」「すべてへの平等観」「他者への慈悲」という三つは、仏教・ヨーガの修行の真髄といってもいいと思います。本質的な仏教やヨーガの修行はすべて、これらを達成するために組み立てられているものなのです。

 特に日本では、現世的欲望や物質的繁栄を追い求めてもそこに真の平安はないぞと、そろそろみんななんとなく気づき始めているでしょうから、これから仏教やヨーガの修行の果たす役割は、小さくないと思うのです。

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出張ヨーガ講習会のお知らせ

2010-02-12 14:56:30 | お知らせ

 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。


 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。







2月14日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


3月7日(日)15:00~18:00
☆場所:名古屋・亜細亜大陸アカデミー
地下鉄矢場町駅から徒歩3分
http://ajiatairiku-academy.com/asia/access.html


3月14日(日)12:30~15:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


5月9日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


5月30日(日)11:30~14:30
☆場所:京の山杣人工房「空」
JR京都駅から徒歩5分 下京区総合庁舎となり
http://somabitoqo.exblog.jp/i1



☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円

☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:私宛に直接、メールでお申し込みください。



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努力せよ

2010-02-09 17:07:35 | 経典の言葉・聖者の言葉

 欲望と執着に心を縛られるな。霊的修行を実践すれば、心は純粋かつ堅固になる。人がもし神を悟ろうと一心に努力しなければ、彼は無智の中に浸りきったままでいることになるのだ。
 それだから、努力せよ、努力せよ。そうすれば、神はお姿をお見せになる。
 すべての試練や苦難を、大胆に受け入れよ。それらを歓迎したまえ。それらを切り抜けることによって、君たちは必ず平安を見いだすのだから。


 ――スワーミー・ブラフマーナンダ  
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クリシュナ物語の要約(2)「主はデーヴァキーの胎に宿る」

2010-02-08 19:47:44 | 経典の言葉・聖者の言葉
(2)「主はデーヴァキーの胎に宿る」



 カンサは、他の魔族の王たちと結託して、ヤドゥ族を抹殺する計画にとりかかりました。

 その後、デーヴァキーには次々に子供が生まれ、そのたびにカンサに殺されていきましたが、ついに、アナンタと呼ばれる至高者ヴィシュヌの光の一部が、七番目の子供として、デーヴァキーのおなかに宿りました。

 そのとき、主ヴィシュヌは、女神ヨーガマーヤーに、次のように命じられました。
「今、デーヴァキーの胎には、わが部分的顕現が宿っている。あなたはそこから彼をとりだして、ヴラジャに住むローヒニーという女性の胎の中に入れてきなさい。
 そして私は、わが神的要素のすべてを伴い、デーヴァキーの息子として、地上に降誕するであろう。またあなたは、ナンダの妻ヤショーダーの子として、地上に生まれるのだ。」

 主からこのように指示されると、女神ヨーガマーヤーはそれを拝受し、主の周りを右回りに回って礼拝した後、地上に降り、迷うことなく主の指示を実行に移していきました。
 まずヨーガマーヤーは、デーヴァキーのおなかに宿っていた胎児を、ローヒニーのおなかに移し替えました。その時、それを知らぬ人々は、デーヴァキーの子供が流産してしまったのだと思い、嘆き悲しみました。

 その後、今度は至高者ヴィシュヌ自身が、その神的要素のすべてを伴って、デーヴァキーのおなかに入ったのでした。
 宇宙の主がおなかに宿ると、デーヴァキーは光り輝き、顔には晴れやかな笑みが浮かびました。それを見たカンサは、今こそ、自分の命を奪おうとする主ヴィシュヌが、デーヴァキーの胎に宿ったのだと知りました。

 しかしカンサは、女性であり、自分の従姉妹であり、しかも妊娠しているデーヴァキーを殺すのは、自分の名声と繁栄を台無しにする行為であり、自分の寿命も短くなってしまうだろう、と考え、その場でデーヴァキーを殺すことはやめました。そして主の化身がデーヴァキーから生まれ落ちるや否や、殺してしまおうと考えたのでした。

 こうしてカンサは、絶えず主ヴィシュヌへの敵意を抱きながら、主の誕生を待ち続けたのです。
 彼は座るときも、寝るときも、立つときも、歩くときも、食べるときも、何をしているときも、24時間、一瞬一瞬、主ヴィシュヌへの強い敵意の思いをもち続けました。
 しかしそのように絶えることなく主に集中し続けた結果、やがてカンサは、全世界が主ヴィシュヌで満たされているという真実を、その眼で見たのでした。




つづく
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クリシュナ物語の要約(1)「ヴァスデーヴァとデーヴァキーの結婚」

2010-02-06 22:19:19 | 経典の言葉・聖者の言葉



クリシュナ物語の要約


(1)「ヴァスデーヴァとデーヴァキーの結婚」



 かつて、何百万という魔族の者たちが、傲慢な王として地上に生まれ変わり、それが非常に重荷となったため、大地の女神は苦しみのあまり、ブラフマー神に庇護を求めました。

 大地の女神の訴えを聞いたブラフマー神は、他の神々たちとともに、大地の女神を連れて、至高者ヴィシュヌの住居である乳海に赴き、ヴィシュヌに祈りを捧げました。

 そして至高者ヴィシュヌからメッセージを受け取ったブラフマー神は、他の神々にこう告げました。

「神々よ。至高者が告げられた言葉を、今から伝えるゆえ、心して聞かれるがよい。
 そしてその指示にあなた方はただちに従い、一刻の遅れもあるべきではない。
 大地の女神が味わっている苦しみは、すでに至高者はご存じである。
 あなた方神々は、化身としてヤドゥ族に降誕し、主が大地の重荷をのぞかれるまで、そこにとどまるのだ。
 至高者ご自身が、やがてヴァスデーヴァの家に降誕されるであろう。そして天界の女神たちも、主の喜びに貢献するため、地上に生をもつであろう。
 至高者の部分的顕現であるアナンタ(千の頭を持つ蛇の神)が、主の喜びに献身することを願い、主よりも先に、主の兄として、地上に降誕されるであろう。
 そして全宇宙を魅了する、主ヴィシュヌのヨーガマーヤーも、主のお仕事を手伝うため、主の命令に従い、部分的顕現として地上に降誕されるであろう。」

 このように神々に告げると、ブラフマー神は、喜びに満ちた自分の住居(サティヤローカ)に帰って行きました。



 さて、ヤドゥ族の王シューラの息子であるヴァスデーヴァは、デーヴァキーという女性と結婚式を挙げた後、自分たちの新居に向かって、馬車で移動していました。
 そのとき、デーヴァキーの兄であるカンサは、妹の結婚を喜び、自らその馬車の手綱を握り、御者となっていました。

 ところがその時、天から姿なき声が生じ、カンサにこう告げたのでした。
「ああ、なんと愚かな男だろうか。お前が手綱をひく少女から生まれる八番目の息子が、お前を殺すであろうに!」

 邪悪な心を持つカンサは、その声を聞くと、ただちに妹のデーヴァキーの髪の毛をつかみ、剣で殺そうとしました。
 それを見たヴァスデーヴァは大変驚き、カンサに懇願してデーヴァキーの殺害を思いとどまらせようとしましたが、カンサは聞き入れませんでした。そこでヴァスデーヴァは、熟考の上、デーヴァキーを助けるために、カンサにこのように言いました。

「ああ、偉大なるお方よ。今後、デーヴァキーから息子が生まれるたびに、私はその子をあなたに手渡すようにいたしましょう。ですからデーヴァキーの命はお助け下さい。」

 ヴァスデーヴァは常に真実のみを語り、嘘をつくことができない男でした。それを知っていたカンサは、ヴァスデーヴァの提案を聞いて喜び、デーヴァキーを殺すことを中止したのでした。

 やがて時が来ると、デーヴァキーは息子を出産しました。
 決して嘘をつくことができないヴァスデーヴァは、心の中でひどく苦しみながらも、自分がかつて約束した通り、その子をカンサに差し出しました。
 しかしカンサは、喜びながらこのように言いました。
「この子供はお前に返すことにしよう。なぜなら私は、この子からは何も恐れることがないからだ。私は、お前の八番目の息子から殺されると予言されたのだから。」

 こうしてヴァスデーヴァは、息子を殺害されることから免れ、家に帰って行きました。


 するとしばらくして、計り知れない力を持つ神仙ナーラダが、カンサの住む宮殿を訪れ、カンサに次のように告げました。

「ナンダをはじめとするヴラジャの牛飼いたちとその妻たち、そしてヴァスデーヴァなどのヴリシュニ族、さらにデーヴァキーなどのヤドゥ族の女性たち、それらの一族や友人などのほとんどすべては、神々の生まれ変わりなのです!」

 そしてさらにナーラダはカンサに、地球に重荷になった魔族をすべて滅ぼすという、神々の計画について知らせたのでした。

 カンサは、自分の前世が強大な悪魔カーラネーミであり、そのとき至高者ヴィシュヌに殺され、今生カンサとして地上に生まれ変わったことを理解しました。そして再び今生、自分と魔族を滅ぼすためにやってきたという神々の生まれ変わりであるヤドゥ族に、深い敵意を抱きました。

 さて、ナーラダのような偉大な神仙が、なぜカンサをそそのかすように、神々の計画を明かし、カンサの怒りに火をつけるようなことをしたのでしょうか?
 それは、悪が広まれば広まるほど、至高者の地上への降誕も早まり、至高者による地上の救済の時期も早まるからなのです。
 大いなる見地からいうならば、悪の心を持つ者は、至高者から悪魔としての役割を与えられて、主の遊戯(リーラー)に貢献させられているのです。
 その大いなるリーラーを早く進めるために、ナーラダはカンサに神々の計画を告げ、カンサを怒らし、彼が早く多くの悪業を積むように仕向けたのでした。

 さて、ナーラダから神々の計画を聞き、さらに至高者ヴィシュヌ自身が、自分を殺すためにデーヴァキーから生まれることを知ったカンサは、ヴァスデーヴァとデーヴァキーを鉄の鎖で縛り、幽閉してしまいました。そしてデーヴァキーから息子が生まれるたびに、次々と殺害していったのでした。
 
 さらに邪悪なカンサは、ヤドゥ族とボージャ族、アンダカ族の王であり、自分の父でもあるウグラセーナも牢獄に幽閉し、自らが邪悪な王となって、人々を支配するようになったのでした。

 こうして悪の力は増大し、いよいよ至高者の降誕の日が近づいていったのです。



つづく
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何ものも

2010-02-04 14:52:50 | 経典の言葉・聖者の言葉
 何ものも持っていない人は楽しんでいる。何ものも持っていない人は、智慧の徳を持っているからである。見よ! 人々は人々に対して心が縛られ、何ものかを持っているために悩んでいるのを。

 何ものも持っていない人は楽しんでいる。何ものも持っていない人は、智慧の徳をもっているからである。見よ! 人々は人々に対してかたちが縛られ、何ものかを持っているために悩んでいるのを。


 ――ウダーナヴァルガ
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広大なる楽しみ

2010-02-03 18:16:06 | 経典の言葉・聖者の言葉
 つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。

 この世における愛欲の楽しみと、天上における楽しみとは、愛執を滅ぼした楽しみの十六分の一にも及ばない。


 ――ウダーナヴァルガ

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