ヨーガスクール・カイラス blog

True Yoga, to meet the true self.

トンレンの応用

2010-01-28 21:44:41 | 松川先生のお話
 トンレンというのは、ここでも何度も書いていますが、自分の幸福を呼吸とともに差し出し、苦悩を呼吸とともに引き受けるという瞑想です。


 さて、このトンレンは、座って瞑想としてやるのもいいですし、普段から日常においてやり続けるのもいいですね。
 そして、今日書きたかったのは、その応用として、自分が大変不安なときや苦しいときに、このトンレンを応用した瞑想が非常に有用であるという話です。

 たとえば、何か失敗をし、明日、怒られたり、恥をかくのではないだろうか、という不安が生じたとき。
 世界中で今、怒られるかもしれない、恥をかくかもしれないという人たちはたくさんいます。彼らの持つ、「怒られる」「恥をかく」というカルマを、全部引き受ける覚悟で、呼吸とともに、自分が吸い込むイメージをしてください。
 そして、自分の中の、「怒られない」「恥をかかない」「すべてうまくいく」というカルマ(徳)を、呼吸とともに、すべて彼らに与えてしまってください。「分け与える」のではなくて、自分の分は一滴も残さず、全部与えるイメージをするのです。
 ほどなく、あなたの不安は消えるでしょう。

 これは肉体的な病に対する不安とか、実際に何かで心や体が傷ついているときとかも同様です。たとえば誰かに裏切られて苦しんでいたら、世界中の人々のもつ「裏切られる」というカルマを、自分ひとりで引き受ける覚悟で、吸い取るイメージをし、自分の中の「裏切られない」というカルマを、一滴残らず、今、裏切られて苦しんでいる人々にささげるイメージをするのです。 
 ほどなく、あなたの苦悩は消えるでしょう。

 たとえば実際に体が病んで苦痛の中にいるときも、世界中の病で苦しむ人々の苦しみを吸収し、逆に自分の安楽を彼らにささげる瞑想をします。
 ほどなく、あなたの痛みや苦しみや不安や恐怖は弱まるでしょう、

 あるいは、欲求が強すぎて苦しんでいるとき。たとえば「認められたい」という欲求が強すぎる場合は、世界中の、「みなに認められず、賞賛されない」というカルマを自分ひとりで引き受け、自分の中の、「みなに認められ、賞賛される」というカルマを、世界の認められない人々に一滴残らず差し出すのです。
 ほどなく、あなたの心は安らかに静まるでしょう。


 例を挙げればキリがありませんが、トンレンはこのような応用ができます。そしてこのような経験を重ねることによって、

「すべての苦悩の原因はエゴであり、
 すべての幸福の原因は利他心である」

という真実に、うっすらと気付きはじめるでしょう。


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1~3月の出張ヨーガ講習会

2010-01-27 18:11:41 | お知らせ


 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。


 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。




1月31日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


2月11日(祝)12:30~15:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


2月14日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


3月7日(日)15:00~18:00
☆場所:名古屋・亜細亜大陸アカデミー
地下鉄矢場町駅から徒歩3分
http://ajiatairiku-academy.com/asia/access.html




☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円

☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:電話またはメールでお申し込みください。



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先日、仙台講習会についてお問い合わせメールをくださった方

2010-01-26 21:05:07 | お知らせ

 先日、仙台講習会についてのお問い合わせメールを一通、こちらの手違いで誤って削除してしまいました。

 大変申し訳ないのですが、ここ数日に仙台講習会についてのお問い合わせをくださった方で、まだ返信メールを受け取っていない方がいらっしゃいましたら、お手数ですが再度メールを送ってくださいませんでしょうか。

 よろしくお願いいたします。



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後悔2

2010-01-25 16:25:24 | 松川先生のお話


 先日は、過去のことを後悔するな、という話を書きましたが、未来のことについては、今度は、後悔しない生き方を常に選択する、というのが必要だと思いますね。

 何か選択しなければいけないとき。これをやるか、やらないか。どちらに進むべきか。そういうとき。後悔しないほうを選ぶべきですね。

 たとえば過去に何度もそのことで後悔したことがあるのなら、それをやるべきではないでしょう。

 しかしこれは、消極的になれということではありません。人生は常に積極的に攻めの姿勢が良いと思います。

 自分の心に誠実に聞いてみて、後悔しないほうを選ぶのです。そうすれば、たとえ失敗したとしても、あまり問題はありません。

 選択というか、どの程度真剣に生きるか、というのも同じですね。後悔先に立たずといいますが、後悔しないためには、常に悔いのない道を選ぶとともに、悔いを残さない、全力の努力、真剣な精進をし続けるのが良いと思います。

 これは簡単な話なのですが、心の屈折や無智、あるいは心の癖というか習性みたいなもののために、我々は不本意な道をなぜか選んでしまったり、全力で事に挑めなかったりする場合が多々あると思いますね。
 ですから、「後悔しない生き方」ということを常に心に留めて、真剣に生きるのが良いと思います。
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新刊案内「菩薩道の真髄 The Essence of Bodhisattva Practice」

2010-01-22 23:17:13 | お知らせ
待望の新刊です。

シャーンティデーヴァの三部作
「スートラ・サムッチャヤ」
「入菩提行論」
「シクシャー・サムッチャヤ」
が収められています。

 「スートラ・サムッチャヤ」と「シクシャー・サムッチャヤ」は、松川慧照が要約してまとめています。「入菩提行論」は全文掲載です。

 これ一冊に、まさに菩薩道の真髄がぎっしりと詰め込まれています。菩薩道を歩く方の座右の書となる一冊です。

 「入菩提行論」については、松川慧照による解説がついた「菩薩の生き方」も発売していますので、そちらも合わせて手元にお置きください。


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プラヘーヴァジュラ

2010-01-22 22:30:55 | 聖者の生涯





 プラヘーヴァジュラは、人間の姿をとって地上に現われた、最初のゾクチェンの師です。

 プラヘーヴァジュラは、ウッディヤーナという地の王女の息子でした。それは一部の学者の説によると、現代のパキスタンのスワット谷の辺りであるとも言われています。

 ウッディヤーナは、高度な仏教の教えやタントラの教えの、最も重要な源でした。そしてそこはエネルギーに満ちたダーキニーの地であり、また宝石と森と野生動物に満ちた場所でした。そこには、6108の小さな寺院に囲まれた、「喜びの塚」と呼ばれるすばらしい寺院もありました。すべては大きな繁栄の中にありました。

 そこからほど近いところにある砂に覆われた島で、ウッディヤーナのウパラージャ王とアーローカバースヴァティ王妃の娘であるスダルマーという名の尼僧は、スカサーラヴァティという名の従者の女性とともに、粗末な草の小屋で、瞑想修行に没頭していました。

 ある晩、彼女は不思議な夢を見ました。
 夢の中で、白い顔をしたけがれのない男がやってきて、五つの仏陀の種字で飾られた水晶の壷を、彼女の頭に三度置きました。その壷は光のビームを発散し、彼女ははっきりと三つの言葉を見ました。

 そしてその夢を見た十ヶ月後、多くの吉兆の印で飾られた息子が、彼女から生まれたのでした。
 この子供は、ゾクチェンを伝達するために色界に現われたヴァジュラサットヴァの化身であるアディチッタの生まれ変わりでした。

 子供が生まれたとき、スダルマーはおびえ、また恥じていました。

「父親がいないのに生まれてきたこの子は、悪魔以外の何物でもない!」

 彼女はこう叫ぶと、その子を灰の中に投げ捨てました。

 しかし賢い従者であるスカサーラヴァティは、この子は解脱した魂の化身であると、スダルマーに忠告しました。
 するとその瞬間、不思議な音が聞こえ、光線が現われました。

 三日後、スダルマーが灰の中から息子を抱き上げると、三日間灰の中に放置されていたにも関わらず、その子は元気で、傷一つありませんでした。彼女は、スカサーラヴァティが言ったように、この子は解脱者の化身であると理解し、その子を家に連れて帰りました。そして彼の体を白いシルクの布で包み、また沐浴させました。

 そのとき、ダーキニーたちと聖者たちは、その赤ちゃんに、供物と賛嘆を雨のように降らせました。
 そして神々が、空からこのように宣言しました。


 おお、守護者よ、師よ、祝福された者よ、
 世界の主よ、真理の本質を明らかにする者よ、
 われわれの強力な守護者であってください。
 空のヴァジュラよ、われわれはあなたに祈りをささげます。


 その子が七歳になったころには、すでに智慧のエネルギーで満たされていました。彼は母に、学者たちと教義の議論をすることを許すようにと言いました。母から許可を得ると、彼はウパラージャ王のもとへ行き、学者と会うことを願い出ました。
 こうして彼は500人の学者と議論をしましたが、誰もその少年に勝つことはできませんでした。
 学者たちは彼を解脱者の化身と認め、最高の敬意の表現として、頭を彼の足につけて礼拝しました。そして彼にプラジュニャーバヴァ(智慧の本性)という名前を与えました。
 また、王は大変喜び、プラヘーヴァジュラ(至高なる喜びのヴァジュラ)という名前を与えました。
 また彼は、一度灰の中に捨てられた後、無傷でまた拾われたので、ヴェーターラスカ(ゾンビの至福)とも呼ばれていました。

 その後、プラヘーヴァジュラは、北方のスーリヤプラカーシャ山の絶壁の上に作られた草の小屋で、32歳になるまで、瞑想に没頭しました。そしてヴァジュラサットヴァからイニシエーションと教えを授けられ、またゾクチェンのタントラをゆだねられました。
 こうしてプラヘーヴァジュラは、もはやどんな修行の必要もないブッダフッドの境地に達したのでした。そのとき地面は七回振動し、空からはさまざまな音が聞こえ、そして花の雨が降りました。

 それらの勝利の音が響き渡ったとき、ある外道の王は、プラヘーヴァジュラを抹殺するために暗殺者を送りました。
 しかしプラヘーヴァジュラの身体は太陽光線のように実体がなかったので、暗殺者たちは彼を傷つけることはできませんでした。そしてプラヘーヴァジュラは空中に浮かび上がりました。
 それを見てその外道の王は信を生じさせ、仏教徒になりました。

 32歳になると、プラヘーヴァジュラはマラヤ山に行きました。彼はその山に三年間とどまり、ヴァジュラダートゥとアナンタグナーのダーキニーたちの助けを借りて、過去の仏陀たちの教えと、640万の詩からなるゾクチェンの教えを書き記しました。そして聖典を供養する儀式のために、ダーキニー・サムデンを召還しました。

 次にプラヘーヴァジュラは、偉大なストゥーパがあるシータヴァナの火葬場に行き、そこでダーキニー・スーリヤキラナーを含む多くの弟子たちに教えました。
 またこの期間に、マンジュシュリー菩薩の予言的なアドヴァイスに従ってマンジュシュリーミトラがやってきて、75年かけて、ニンティクの教えをプラヘーヴァジュラから受け取りました。
 またシュリーシンハもやってきて、プラヘーヴァジュラからカンドゥ・ニンティクと他の教えを受け取りました。
 そしてシュリーシンハはその後、その教えをパドマサンバヴァとヴァイローチャナに伝えました。

 最期にプラヘーヴァジュラは、ダナティカ川の源で、けがれなき空の中へと身体を溶け込ませました。
 そのとき大地は振動し、きわめて多くの虹の光、さまざまな音など、多くの不思議な印が現われました。
 マンジュシュリーミトラが悲しみの歌を歌うと、空に多くの光が現われ、その中からプラへーヴァジュラがあらわれました。そして指の爪ほどの小ささの黄金色の小箱が、マンジュシュリーミトラの手の中に降りてきました。
 その小箱の中にはプラへーヴァジュラの遺言が入っており、それは「精髄を突き通す三つの言葉」として知られています。以下はその内容の一部です。

 
 自己覚醒の確信の解脱に敬意を表する!
 明智は、存在から自由である。
 そして自己の外側の様々なあらわれは、絶え間ない。
 すべての驚くべきあらわれは、ダルマカーヤの純粋な国から生起する。
 そしてすべてのあらわれは、それ自身の本性の中で自由である。
 
 本性そのものの顔を見よ。

 本性そのものを維持するという一つの点において確固とせよ。
 
 原初の本性への解放を確信せよ。



 この遺言を読み終わった瞬間、マンジュシュリーミトラは、プラへーヴァジュラと同等の解脱の境地に達したのでした。

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パドマサンバヴァの秘密の教え(9)「最高の口頭の教え」

2010-01-21 21:36:05 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎最高の口頭の教え


 師パドマはこうおっしゃった。

「慈愛、慈悲、そして菩提心の中で心を訓練するならば、三悪趣に転生することはないであろう。
 そしてその思いを持ったまさにその瞬間から、決して堕落することはないだろう。
 これは私の最高の口頭の教えである。

 どこに行こうとも、心に菩提心を保ち、菩提心から絶対に離れてはならない。

 あなたが行なうすべての行為は、衆生のために行なうのだということを修習しなさい。
 自己より重要なものとして他者を見なすことを修習しなさい。
 あなたはこの修行の結果として、多くの特質を手に入れるだろう。

 もし菩提心を養わなければ、たとえマントラの達成を得て、非常に力強くなろうとも、悟りには到達しないだろう。

 すべての一般と最上の成就は、あなたの中に生じる菩提心に起因するであろう。
 これは私の最高の口頭の教えである。」
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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(27)「慢心の調伏」

2010-01-16 09:54:22 | 経典の言葉・聖者の言葉



◎慢心の調伏



「利得や供養や名声を得ても、菩薩は常に高慢さから遠く離れるべし。
 清浄の法をもって、迷妄の闇を捨てるべし。」


 宝積経には、こう説かれている。

「もし菩薩が次の四つの悪法を具足するならば、すでにある善法を増大させることはできず、未来に生じるはずだった善法は滅してしまう。

①世間において慢心に深く陥り、慢心の言葉を語る。

②利徳と供養を受けることに耽溺する。

③他の菩薩を称賛することを嫌う。

④まだ読んだことのない経典を誹謗する。」


 ただ名声や利得や供養を得ることを追求して、高慢となり、お互いを誹謗し合う者たちは、不善の根本を増大させ、善は減少し、美しさも安穏もみな減少する。

 宝雲経には、こう説かれている。

「菩薩は衆生から、スメール山ほどの無量の素晴らしい宝物などの布施を受け取る。なぜなら、菩薩はこう考えるからである。
『衆生は物惜しみの心や貪りの心によって、他者の所有物に嫉妬し、自己の所有物を惜しんで、常に闘争する。こうして彼らは生死の海に溺れていく。
 私は彼らを救い、安楽ならしめたい。ゆえに彼らの布施を受けよう。』と。
 しかし菩薩は布施を受けても、それに対して自己の所有物であるという思いを起こさず、また愛著の心を起こさず、慢心を起こさず、ただ三宝に供養し、また転じて一切の衆生に布施をする。そして衆生に歓喜を生じさせるのである。」


「菩薩は、次の十の事柄をもって、慢心を調伏すべし。

①家を捨てて出家し、世間においては死んだ者であると考えることによって、慢心を調伏する。

②世俗の装いをせず、ぼろきれを縫い合わせた衣を着ることによって、慢心を調伏する。

③頭髪を剃り、手に鉢を持ち、乞食をして生きることによって、慢心を調伏する。

④自己をシュードラ(奴隷階級)のような者であると思い、乞食をして生きることによって、慢心を調伏する。

⑤乞食によって生活することによって、他者によって生かされていると考え、慢心を調伏する。

⑥自分を誹謗する者からも食を乞うことによって、慢心を調伏する。

⑦師を尊重し供養することによって、慢心を調伏する。

⑧素晴らしい他の修行者を見て歓喜することによって、慢心を調伏する。

⑨まだ得ていない真理を得たいと常に願うことによって、慢心を調伏する。

⑩嫌悪や怒りが強い衆生の中において、忍辱の修行をすることによって、慢心を調伏する。」



 また、ローコーッタラパリヴァルタ(出世間品)には、こう説かれている。

「菩薩には次の十の魔事がある。

①正しい行ないをなし、正しい道を歩いている師、父母、出家修行者、ブラーフマナなどに対して、尊重を起こさない。これを魔事という。

②殊勝にして広大なる法を説く師に対して尊重を起こさず、師の教えをよく聞こうとしない。これを魔事という。

③師が衆生に偉大なる法を説いても、師を賛美せず、浄信を起こさない。これを魔事という。

④慢心を起こし、自らの見解にとらわれ、他者を軽蔑し、自己の短所を見ようとしない。これを魔事という。

⑤慢心を起こし、他の修行者が有する徳が皆に知られないようにと願い、自己に匹敵する者はいないと考え、称賛すべき者を称賛しない。これを魔事という。

⑥その教えが真のブッダの教えであると知りながら、それを説いた人を嫌うが故に、その教えも嫌い、教えを誹謗する。これを魔事という。

⑦自ら高座を求め、我こそは道や法を行ずる者なりと吹聴し、悪しきことに親しみ、偉大な徳ある修行者などが来ても、立ちあがって歓迎しない。これを魔事という。

⑧慎みがなく、顰蹙を買うことを行ない、悪しき言葉を語り、悪しき思いを持つ。これを魔事という。

⑨慢心なるが故に、徳ある者に親しまず、恭敬せず、また、何が善で何が不善か、何をなすべきで何をなさざるべきかをたずねない。また、どのようにして真の幸福を得るのかをたずねない。これを魔事という。

⑩慢心なるが故に、たとえブッダに会ったとしてもブッダから遠く離れ、善根を壊し、新たに善根を起こすことなく、説くべきでないことを説き、多くの闘争を起こし、大いなる邪悪に堕落する。菩提心を得られず、信・精進・正念・サマーディ・智慧などの聖なる宝も得られない。百千カルパを経てもブッダに会えず、ダルマを聴けない。これを魔事という。

 菩薩はこれら十の魔事を捨て、叡智の行為を行なうべし。
 その叡智の行為とは、一切の衆生を救済することである。」

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終わらない確かなものを

2010-01-14 10:20:32 | 松川先生のお話


 人はいつ死ぬかわからない。
 輪廻転生や死後の世界の有無については、人それぞれいろいろな考え方や理解があるでしょうが、
 少なくとも自分と今のこの世界が、死とともに完全に切り離されるようだ、ということは、誰でも認識しているでしょう。

 つまり今目の前にあるものは全部、なくなる。私にとっては。
 なくなってしまうものにいま私は躍起になり、奔走し、あくせくしているわけだけど、
 必ず死ぬということを前提に考えたなら、
 今問題だと思っていることの九割は、どうでもよいことに思えてくるかも知れない。

 それよりも、
 この無常の定めの中で
 真に自己がやるべき事
 それのみに的が絞られてくる。

 それは、多くの人にとっては、何なのか、わからないかも知れないが
 自分の心に耳を澄ませば
 結構わかってくることもある。
 まあ、わからない場合も多いだろうが。

 ヨーガや仏教の修行に励んでいる人にとっては、話は早い。
 やるべき事は、とにかくその修行の確定だからだ。
 というのは、(体操ではなく本当の意味での)ヨーガや、(哲学や儀式ではなく本当の意味での)仏教の修行の目的は、その「死んでも終わらない確かなる何か」の追求と確定であるといってもよいからだ。

 今気が散っていることは、結構、どうでもいいことだぞ。
 それよりも、神のみを愛し、神の意思を考えよう。(バクティ・ヨーガ)
 真我の発見に全力を尽くそう。(ラージャ・ヨーガ)
 自己の使命に耳を澄ませ、なすべき事を、エゴを入れずに全力を尽くそう。(カルマ・ヨーガ)
 神聖なエネルギーを覚醒させ、この世を超えた至高の世界に突っ込もう。(クンダリニー・ヨーガ)
 そしてすべての衆生の真の幸福のために人生のすべてを使おう。(大乗仏教)


 まあ何にせよ、
 今自分が、最高であると思うことのみに照準を絞るべきだ。
 それが上記のようなヨーガや仏教の修行ならば最高だが
 そうでなくてもかまわない。
 とにかく悔いなく全力でやるのだ。

 それができるチャンスは今だけかも知れないよ。
 いつそのチャンスが消え去るかわからないのだから、
 余力を残す意味はない。
 明日死ぬかも知れないのだから、2012年がどうこうとかバカなことに心を費やさず笑、 
 アセンションとか何とかベルトとか曖昧なことを期待せずに笑、

 君自身が、今日の君の人生を、余力を残さずに全力で誠実に生きるのだ。

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新刊案内

2010-01-13 15:49:12 | お知らせ


新刊案内


『真理の手紙 上』


大乗仏教の開祖ともいえるナーガールジュナ(龍樹)が、友人の王様に宛てた「真理の手紙」を、松川慧照が解説。
コンパクトにまとめられた一つ一つの真理の言葉に、仏教の基礎から奥義までが凝縮されています。仏教の初心者から上級者まで、幅広くお薦めしたい一冊です。


定価 1000円



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『要約マハーバーラタ』 改訂版 上・下巻

インドニ大叙事詩のひとつであり、世界三大叙事詩のひとつである大作『マハーバーラタ』の要約版。
展開される数々のドラマの中には多くの教訓と示唆が含まれ、面白くまた考え深い内容となっています。
改訂版では挿絵と家系図を加筆し、より分かりやすくなりました。


定価 各1000円

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◎ヴァジュラダラ

2010-01-09 06:42:05 | 解説・ナーローの6ヨーガ


◎ヴァジュラダラ

【本文】
「深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス」

最勝なる世尊ヴァジュラダラ、そしてヴァジュラダラと変わることなき諸々の聖なるかたがたの御足の蓮華に、大きな喜びをもって礼拝いたします。

 あらゆる功徳と神通力を具えた、自在なるヴァジュラダラの本質である、吉祥なるグルの御足に礼拝いたします。

 自在なる成就者であるティロー、ナーロー、マルパ、ミラレーパと伝承されてきた「ナーローの六ヨーガ」といわれる、きわめて甚深なるタントラの要点を集めた道、あらゆる方向に名声が行き渡ったこの道を、ここに説こう。



 これは序文ですが、ちょっと言葉の説明をしていきますが、ここでヴァジュラダラって出てくるね、ヴァジュラダラ。このヴァジュラダラっていうのは、たまにいろんな絵とか像があるんで、見たことは多分みんなあると思うんだけど、右手にヴァジュラ、左手にヴァジュラベルを持ってるんだけど。まあ似てるやつで、ヴァジュラサットヴァはちょっと似てるんで間違えやすいんだけど、ヴァジュラダラっていうのがあります。

 このヴァジュラダラっていうのは、ちょっとこれも知識的な話になるけど、みんな覚えておいたらいいと思うのでね、一応書くと、密教においてはよく五仏っていうのが出てくるんだね。五仏、つまり五人の仏陀。五人の如来ですね。五人の如来ね。これ知ってるかな、みんな。Hさん、なんか一個でも知ってます? 五人の如来。何でもいいよ、何とか如来。頭に思い浮かんだ何か如来。

(H)薬師如来とか……

 薬師如来はちょっと違うね。じゃあKさん何かある? 五仏。

(K)阿弥陀如来。

 そう。阿弥陀如来は入ってますね。阿弥陀如来。これはもともとはアミターバといいます。

(H)大日如来とかもそうですか。

 そう、大日如来もありますね。大日如来はヴァイローチャナといいます。ここからはもうちょっと難しいね。この二つは日本でも有名ですね。阿弥陀如来、大日如来。

 それからラトナサンバヴァっていうのがいます。日本ではアミターバは阿弥陀ですね。ヴァイローチャナは大日、または毘盧遮那とかもいいますが。ラトナサンバヴァは宝生といわれます。宝を生むと書いて宝生。

 そしてアクショーブヤ。これはちょっと字が難しいんだけど、片仮名で書くと、アシュク如来とかいうね。

 で、もう一つがアモーガシッディ。これは不空成就如来といいます。

 はい。これをよく五仏っていうんですね。これがいろんなことに対応されたりする。例えば色でいうと、ラトナサンバヴァは黄色だと。アクショーブヤとヴァイローチャナはちょっと入れ替わったりするんだけど、一応――そうだな、どっちにしようかな――じゃあ一応アクショーブヤが青、ヴァイローチャナが白だと。で、アミターバが赤。で、アモーガシッディが緑色ですよと。

 これが例えば五大元素に当てはめられたりとかね。つまり地、水、火、風、空。ラトナサンバヴァが地、アクショーブヤが水、アミターバが火、アモーガシッディが風、ヴァイローチャナが空とかね。いろんな対応があります。

 あるいはこの仏陀の五つの智慧とか、いろいろあるわけですが、すべてがこの五仏にあてはめられるっていうような教えが密教で展開されるんだけど、ある時期からさらにこの上をいく、六番目の仏陀が登場するんです。つまり、この五つですべてを包含してはいるんだが、さらにそのおおもとにいらっしゃる、もう仏陀の中の仏陀、如来の中の如来、もう最後の最後の最後の存在。だからヒンドゥー教でいったらバガヴァーンみたいな感じだね。つまりシヴァとかヴィシュヌとかルドラとかいろんなのがいるけど、その正体っていうか、おおもとの本当の仏陀の中の仏陀がいますよと。それを本初仏とかいうんだけど。本初仏ね。

 これはね、本初仏の名前っていうのが、ちょっと派によって違うんです。で、このカギュー派では、ヴァジュラダラなんだね。例えばニンマ派ではクントゥサンポっていいます。あるいはヴァジュラサットヴァをこの本初仏にあてる派もある。まあしかしとにかく、カギュー派ではヴァジュラダラこそが、――だからヒンドゥー教でいうバガヴァーンだね、至高者。もう唯一の存在。つまりこの五仏さえもこのヴァジュラダラから生じてるんだというぐらいの、もうこれ以上先がない、本初的な存在ね。これがヴァジュラダラです。



◎究極の帰依

 はい、そして、ここでいろんな祈りを捧げてるわけですが、これを読んで分かると思うけど、ここで大事なところっていうのは――よく読んでみましょう。二行目ね。

「あらゆる功徳と神通力を具えた、自在なるヴァジュラダラの本質である、吉祥なるグルの御足に礼拝いたします」。

 これはすごいことをいっているわけです。つまり、さっきも何度も言ったけども、ヴァジュラダラっていうのはもうこれ以上ないぐらいの仏陀の中の仏陀。ヒンドゥー教でいうバガヴァーン。もうすべてを超えた超越的な唯一の存在なんだと。しかし、例えばですよ、Tさんがいて、Tさんがわたしをグルだと思っているとしたら、「このヴァジュラダラの本質は先生です」って言ってるんだよ(笑)。すごい話でしょ。ね。

 つまり例えばこのカギュー派の話でいったら、ミラレーパだったらマルパっていう師匠がいる。で、「偉大なるすべての本質を一身に集めたヴァジュラダラの本質こそは、マルパ様、あなたです」って言ってる。つまりこれくらいの、もう究極の帰依っていうのが求められるんだね。密教においてはね。

 つまり密教においては師匠――もちろん一般的な修行でも師匠っていうのはとても大事なんだけど、密教においての師匠の大事さっていうのはもう比較にならない。

 例えば普通の教えにおいては、「うちの師匠は本当に偉大なんだ」と、そういうふうに思いなさいっていうのはもちろん説かれる。普通にね。でもその偉大なんだっていうのはもちろん、ある程度限定があるじゃないですか。あくまでも人間ですと。人間ですが、わたしは尊敬していますと。あるいは欠点もいろいろあるでしょうが、でも偉大なわたしの導き手として尊敬していますと。それが普通の師匠に対する考え方だよね。日本で例えば自分の師はこの人ですっていうときも、たぶんそれくらいのフィーリングだと思う。しかしこれはもう全く超えてるんですね。バガヴァーンの本質こそがわたしの師匠ですって言ってる。それくらいの強烈な帰依を持たなきゃいけない。

 この種の話っていっぱいあるから分かるよね。これも何回か言ってるけど、ナーローとマルパの有名な話があって。マルパは三回ナーローのもとに行くんだけど、その三回目のときだったかな、三回目に行ったときに、一緒にナーローとマルパが寝泊りしながらね、暮らしながら修行してるんだけど、ある朝マルパが寝てたら、ナーローに起こされる。「おい、起きろ!」と。「大変だ!」と。「おまえ寝てる場合じゃないぞ!」と。

 チベットとかインドの仏教では、イダムといってね、いろんな仏陀とか神のうち、自分と縁のある神を一人持つんだね。それをひたすら瞑想したりするんだけど、マルパのイダムはヘーヴァジュラだった。ヘーヴァジュラっていう仏陀をイダムにしてた。それを毎日こう心の中で瞑想してたんだけど。で、それはもちろんそのイダムっていうのは、その人にとっては至高者みたいな感じで思うんだね。偉大なる至高者がヘーヴァジュラの形でわたしの前に現われてるっていうふうにイメージして、ひたすらそれを瞑想する。で、マルパが寝てたら、ナーローが、「おい、寝てる場合じゃないぞ」と。「おまえのイダムのヘーヴァジュラが現われたぞ!」と。

 で、もちろんマルパっていうのはいつも瞑想の中でヘーヴァジュラをイメージしてるだけであって、本当のヘーヴァジュラになんて会ったことがない。で、ナーローに起こされてハッと起きたら、本当にヘーヴァジュラがいた(笑)。目の前にヘーヴァジュラがいた(笑)。

 そこでナーローはマルパに問いかけをするんだね。「さあ、どうする」と。「おまえのグルであるわたしに礼拝するか。それともこのヘーヴァジュラに礼拝するか」って言ったんだね。で、マルパは一瞬考えて、わたしのグルはいつもそばにいるからいつでも礼拝できると。しかしヘーヴァジュラが現われるなんてことはめったにないと。よって、ヘーヴァジュラに礼拝しようっていって、ヘーヴァジュラに礼拝したんだね。

 そしたらそれを見てナーローは、「間違いを犯したな」と言って指をパチンとならした。そうするとヘーヴァジュラがナーローの心臓にヒューと溶けていった(笑)。そこでナーローが一つの詩――詩っていうか歌だね。歌を歌うんだね。その歌っていうのはどういう歌かっていうと、

「グルが現われる以前には、仏陀釈迦牟尼の名前すら聞かれなかった。
 千カルパの偉大な仏陀方も、ただグルゆえにやってくる」

と。

 これは分かるかな。つまり、客観的に見るといろんなことがいえるけども、その弟子にとってはもうグルがすべてなんだね。師匠がすべて。つまり師匠がいて初めて仏陀と出会えるし、悟りを得られるしっていう、師匠の絶対性みたいなものが密教ではすごく強調されるんだね。それが一つの密教的修行の特徴といえば特徴ですね。

 その意味はいろんな意味がある。それは今まで勉強会でもいろいろやったし、あといろんなそういうチベット密教系の本とかでもね、『虹の階梯』とか、いろいろ書いてあると思うんで、あんまり突っ込まないけども。

 ちょっとだけ言うと、密教っていうのはつまりかなりのスーパーテクニックなんだね。スーパーテクニックっていうのは、さっきのゲルク派とかサキャ派みたいな感じで、オーソドックスな、誰でもこれをやれば問題ないよっていうような教学と戒律、これだけをやって淡々と進んでいく道ではなくて、師匠がこう弟子のいろんなものを見抜いて、あるいは師匠を通じて偉大なる存在がその弟子にいろんな試練を与えたりして、で、非常に微妙な形で導いてく道なんだね。

 分かりやすくないんです、だからそういう意味では。だから弟子の中にエゴが強くて、師匠をちょっと否定したり、師匠よりもエゴを取る気持ちがあると、それは失敗してしまうんだね。うまーく弟子には全く分からない形で導こうとしてるんだけど、弟子は――つまり、ちょっと、みんながこういうことを受け入れられるかどうか分かんないけど、一般的な修行っていうのは、理解しながら進んだらいいんです。しかし密教っていうのは、理解できないんです。自分の頭でこれを、「はい、理解しました。よし、実践しましょう」――例えば師匠がこれをやれって言ったときに、「先生、ちょっとそれ意味を説明してもらえますか」と。現代的な人ってそういう頭を持ってるから、「ちょっとそれ、ちゃんと理由と意味とか説明してもらえないとやる気しません」と。こうこうこう説明して、「あ、分かりました。それでは全力を尽くしましょう」――一般的な修行はこれでOK。密教はそれでは駄目なんです。何でかっていうと、絶対分からないんです(笑)、師匠がやることっていうのは。あるいは神や仏陀がその人に降ろしてる祝福の意味っていうのは、分からないんだね。

 分からないっていうことを自覚して――つまりわたしは無智だと。無智なわたしを、わたしの師匠は、あるいは神や仏陀がわたしの師匠を通じて、非常に特別なやり方で導こうとしてくださってると。これにはいろんな苦難や、いろんなエゴの嫌がることもあるだろうが、信じてついていきますと。このような最初の心の誓約っていうか、そういうのが必要なんだね。

 だからもちろん、そこに入るまでは自由です。つまり、わたしはこの人を師匠として密教の道を歩みますっていうような気持ちとか誓いとかがある前は、もちろん自由にしたらいい。つまり例えば、「ああ、この師匠からこういうことは得られるな」と。「でもこういうところはわたしには合わないな」――そういう感じでもちろんかまわないんだけど。しかし、「ああ、この人はわたしの本当の師匠だ」と。そして、「わたしを密教的な方法で導いてほしい」と。そう思ったら、さっきから言っているように、限定的な見方じゃなくて、うちの師匠はもう完全にもうバガヴァーンの本質のようなものであって、完全に自分は身をゆだねますと。何の自分の理屈も考えも入れません――ぐらいの気持ちがないと、逆に密教は失敗するんです。

 だって微妙なやり方でやってるから。微妙なやり方の途中で、弟子が自分の勝手な考えで降りたりしちゃったら、ああーって落下してしまうかもしれない。ね。言ってる意味分かるよね? 

 つまりその微妙なやり方っていうのは弟子には分からないわけだけど、もしかするとだよ、これは比喩だけど、本当はこの階段をグーッと上って、山をグーッと何回も周って、十年ぐらいかけて頂上に到達するのかもしれない。で、それを師匠は、山の崖の上からロープで引っ張ってくれてるかもしれないんです。でも弟子は無智なんです。無智っていうことは目が見えないっていうことです。目が見えない。目隠しをされてる。目隠しをされた状態で、師匠が山の頂上から、つまり最短距離で引っ張ってくれてる。でも弟子は目が見えないから、何が起こってるか分からない(笑)。「あれ? 普通の修行って、山道を登るんじゃなかったかな?」と。「でもなんかおれ今、浮いてるぞ」と(笑)。「何が起こってるんだ」と。「いや、師匠を信じよう」と――やってるんだけど、自分のエゴとぶつかることが――例えばその人がコウモリが嫌いだとしてね。コウモリがやってきたと。「あ! これだけは無理!」と。で、ロープを放してしまうかもしれない。そうすると、うわーって落下してしまう。

 その人がその道を歩まずに最初から、時間はかかるけど山道を登ってれば、別に落下はしなかったんです。落下はしなかったけども、早い達成もない。だからそういう意味では非常に危険な道でもあるんだね。非常に微妙な方法で導くから、導いてくれる存在に対する絶対的な信とか帰依がないと、そのような危険も伴う。だから徹底的に師への帰依、師への確信みたいのを最初に持たせるんだね。
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☆トンジュク

2010-01-08 23:22:53 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス




☆トンジュク


 トンジュクとは「街に入る」という意味である。ここでいう街とは、傷のない他者の死体のことである。
 この教えは無上ヨーガ独特のものであり、複数のタントラ経典の中に出てくる。
 実際にこの法を成就した例としてはマルパが有名である。マルパは動物の死体に自分の意識を移し変えるデモンストレーションを何度も行ない、反対者までもがそれを目の当たりにしてマルパに帰依したという。
 マルパはこの秘法を息子のタルマドデのみに伝えたが、タルマドデは不慮の落馬事故で死んでしまった。タルマドデは死の直前に鳩の死体に意識を移し変え、そのままインドに飛んでいって、インド人の少年の死体に意識を移し変え、彼はその後成長して聖者ティプパとして有名になった。
 マルパがただ一人秘法を伝えたタルマドデがインド人に意識を移し変えてしまったので、チベットではこの法は途絶えてしまった。インドでは仏教そのものが滅びてしまったので、このトンジュクの法の秘訣は、地上から途絶えてしまったといわれている。

 しかしトンジュクについての表面的な教えは、今でも伝えられている。参考までに以下にそれをご紹介しよう。



【トンジュクを成就するための条件】

 この教えを成就する条件は、まず基本として、以下のようなものがある。

 ・正しい師から、ポワおよびトンジュクに関する正しい伝授を受けること。
 ・サマヤと戒を正しく遵守すること。
 ・生起次第をよく訓練すること。

 さらにまた、自分の意識を上に引き抜くこと(ポワ)と、自分の意識を他者の死体に移し変えること(トンジュク)と、他者の死体から意識を引き抜いて自分の身体に入れるという三つの技法を行なうには、以下のようなことが自在にできるようになっていなければならない。

 ・九つの門に文字を観想し、プラーナの動きを制止させられること。
 ・壺の呼吸法によって、プラーナを中央気道に入れることができること。
 ・チャンダーリーの火の修行によって、微細なプラーナに乗った心臓のフーム字を動かすことができること。


【なぜトンジュクを行なうのか】

 たとえば以下のような条件の場合に、トンジュクを行なう。

・低い身分などの条件によって大きな利他行ができない場合、高い身分の者の死体に意識を移し変える。

・自分の身体に病気が生じ、利他行ができなくなった場合、健康なまま(ショック死などによって)死んだ者の死体に意識を移し変える。

・老齢によって利他行ができなくなった場合、若くして死んだ者の死体に意識を移し変える。



【トンジュクの方法】

1.訓練

 プラーナと心の二つを自在に操れるようになり、この世で利他行を成就することを願い、衆生に対して無量の慈悲を持つ者こそが、このトンジュクを行なうべきである。

 非常に静かな場所で独居にこもり、あらゆる活動の散乱を捨ててとどまる。イダムや仏陀をあらわす絵や仏像を並べ、供物を並べる。
 マンダラを置き、その中央に頭蓋骨を置き、その底に石によってフーム字を描く。

 自分をイダムとして明らかに観想して、七つの供養を行なう。

 自分の心臓にフーム字をハッキリと観想して、右鼻から息を吸い、その吸い込んだプラーナが心臓のフーム字と合一し、左鼻から息を吐くとともに、そのフーム字が左鼻から体外に出て、頭蓋骨のフーム字に溶け込むと観想する。そして息を吐き切ったまま、できるだけ息を止める。
 苦しくなったら再び同じことを繰り返す。
 そのように繰り返し訓練することによって、それが成就した兆しとしては、頭蓋骨が実際に動いたり、自分の頭頂にかゆみや盛り上がりなどが生じる。


2.試験

 ここまでできたら次に、傷がなく、伝染病や腫瘍などで死んだのではない、死んだばかりのきれいな人間や動物の死体を探し、きれいな水で洗い、心地よい飾りをつけて、マンダラの上に蓮華座を組んで座らせるか、または他の良い姿勢で置く。
 次に自分と死体の双方の心臓にフーム字を観想し、息を吐くとともに自分の心臓のフーム字を右鼻から外に出し、死体の左鼻から入って死体の心臓のフーム字に溶け込むと観想する。
 そのようにたびたび繰り返したことによって、死体に呼吸が生じたり、生き物のにおいが生じたりしてきたならば、うまくいっている証拠となる。


3.実践

 実際に意識を移行させたい新しい死体を探し、マンダラの上に置く。自分をイダムとして明らかに観想し、普通の身体であるという思いを捨てる。そして万物を幻のようであると観想し、普通の分別の習気を捨てる。そしてグルと神々に供物をささげ、障害を取り除いてくださるように祈願をする。

 次に自分と死体の双方の心臓にフーム字を観想する。
 自分の心臓のフーム字に、自分の心とプラーナが溶け込んでいると観想し、息を吐くとともに自分の心臓のフーム字が右鼻から出て、死体の左鼻から入ると観想する。そして息を吐いたままで、できるだけ息を止める。
 そのように繰り返し、実際にトンジュクが成功すると、意識はその死体の方に移り、呼吸が始まる。そうしたら助手に適切な食物などを与えてもらう。

 こうして得た新しい身体を使って、衆生に広大な利益を与える。






◎終わりに:六ヨーガの目的


 これらの六ヨーガの修行によって、まずは不完全な光明と幻身を獲得し、そこからさらに修行を進めて迷妄の習気を浄化していくことで、究極の法身を悟り得て、幻身は完全な双入の幻身となり、輪廻が続く限り、衆生のために、その究極の法身と完全な幻身に住することができる。

 そしてそのような完全な双入の幻身から最高の変化身を無数にあらわし、衆生のためにさまざまな世界で働くことができるのである。


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☆上に引き抜くこと(ポワ)

2010-01-08 17:58:16 | 深遠なる道・ナーローの六ヨーガのプロセス


☆上に引き抜くこと(ポワ)


 死に際して意識を上に引き抜くというこの教えは、無上ヨーガタントラの大きな特徴の一つである。これは非常に大きな意味のある教えなので、努力して修習しなければならない。

 ポワの法を死の際に実際に実践するには、身体の気道が浄化されていなければならない。浄化されていないのにイメージだけでポワを行なっても、それは意味がない。
 よって生きているうちに、チャンダーリーの火の修行によって、気道を清浄にしておく必要があるのである。


 実際のポワの法の修習の仕方は、流派によってさまざまな方法があるが、ここではその一例を紹介しよう。以下に示すものはあくまでも概要であり、実際の細かいポイントは、熟練した師の指導を受けるべきである。

 一般に、天界に対して転移(ポワ)をするという教えもあるが、タントラ部の意図は、グルと同一であるイダムに対して転移(ポワ)するということであり、そのためには頭頂のブラフマ・ランドラより意識を引き抜かねばならず、その他の九つの門からエネルギーや意識が出ることを防がなければならない。そのためには、頭頂以外の九つの門に種字を観想することで蓋をすることと、壺の呼吸法を行なうことが有効である。

 自分をイダムとして明らかに観想し、へそに赤いア字、心臓に濃いブルーのフーム字を観想する。
 次にアパーナ気を上に引き上げて、へその炎を上昇させ、心臓のフーム字に溶け込ませる。
 さらにフーム字を上昇させ、頭頂に到達させ、また心臓に下ろす。
 この修習を、頭頂がかゆくなったり、震動が生じたりなどの兆候があらわれるまで、何度も繰り返す。

 その後、帰依と発菩提心を念じ、前方上方の空間に、グルと同一であるイダムの姿を観想し、強い信と尊敬の思いを呼び起こさせる。
 次に「ヒック!」と何度も唱えながら、アパーナ気を引き上げ、へその炎が上昇して心臓のフーム字に溶け込むことを観想する。
 次に「ヒック!」と7回から21回唱えることで、心臓のフーム字が上昇して、頭頂のブラフマ・ランドラを突き抜ける。このとき、ブラフマ・ランドラは、ちょうど日の光が差し込む天窓のように白く光り輝いていると観想する。
 さらに「ヒック!」と強く数回唱えることで、頭頂から出たフーム字はさらに上昇し、グルと同一であるイダムの心臓に溶け込み、無分別の状態にとどまる。
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後悔

2010-01-07 16:10:36 | 松川先生のお話



 後悔はすべきではない。
 進歩的な意味で、悔いることは良いことだ。それは反省と言い換えてもいいが、過去の駄目な部分は駄目と認め、反省し、現在と未来の生きかたに修正を加える。

 しかし多くの人の場合、過去の事象をもとに、なぜか「今を悔いている」のだ。
 まるで、「今、この瞬間の自分がぜんぜん駄目」という落胆に陥っているのだ。
 
 君は確かに駄目だったかもしれない。しかしそれは、昨日のことじゃないか?
 今は関係ないじゃないか(笑)。
 なぜ、神がプレゼントしてくれた、この新鮮な、光り輝く今という時を、後悔の闇で覆うのか。

 もちろん、過去の反省を生かさずに能天気に生きるだけというのも問題はあるかもしれないけど(笑)、そうではなくて、常に今を信じる。そして未来を信じる。過去の失敗や成功は、この今と未来をより正しいものに修正していくための勉強だと考えればいい。

 今や未来を信じられない?--それは、答えだけはっきり言ってしまうと、徳が足りない。
 論理的にはわけがわからないかもしれないけど、できるだけエゴを捨てて、他者のために生きようとするべきだ。
 実践が難しければ、そう心で考えることからでもいい。
 論理的にはわけがわからないかもしれないけど、そうすれば、今や未来を信じることができるようになるだろう。

 また、常に、神や、自分の本性に、恥ずかしくない生き方を選択することだ。
 智慧がなくて、何が正しいかわからない、というのはしょうがないよ。
 能力がなくてできない、というのももちろんしょうがないよ。
 しかし自分の今の知性と能力の範囲内で、全力で、神や自分の本性に恥ずかしくないと思える生き方を選択し続ける。
 そうすれば、たとえ現在の考え方や生き方が間違っていたとしても、必ずいつかは正しい道に導かれるでしょう。

 最悪なのは、常に自分に言い訳をすること。自分の悪癖を肯定してしまうこと。
 この辺は微妙なんだけど、後悔はしちゃいけないんだけど、自分の悪い部分を肯定してもいけない。
 自分の悪い部分は徹底的に自己否定する。しかしそれはあくまでも昨日までの自分であって、今日からは生まれ変わるぞと。
 今日生まれ変われなかったとしても、また明日、生まれ変わればいい。

 すべては無常だ。無常だから、どんな悪人だって、心構え一つで、聖者にも神にも進化できるのだ。
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1月~2月の出張ヨーガ講習会のお知らせ

2010-01-05 18:23:21 | お知らせ


 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。


 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。




1月10日(日)12:30~15:30
☆場所:京の山杣人工房「空」
JR京都駅から徒歩5分 下京区総合庁舎となり
http://somabitoqo.exblog.jp/i11


1月24日(日)13:30~16:30
☆場所:群馬・前橋市民文化会館 第二リハーサル室
JR前橋駅から徒歩5分
http://www15.wind.ne.jp/~mae-shibun/map.html


1月31日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


2月11日(祝)12:30~15:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


2月14日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/





☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円

☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:私宛に直接、メールでお申し込みください。



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