ヨーガスクール・カイラス blog

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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(18)「戒のパーラミター」

2009-10-31 22:21:19 | 経典の言葉・聖者の言葉


第五章 戒のパーラミター


◎四つの法

 深心教戒経には、次のように説かれている。

「他の菩薩、および救済すべき衆生の前において、常に次の四つの法を成就すべし。そうすれば、正法が滅していく時代においても、害を受けず、自然に解脱する。

①常に自己の過失を観察する。
②他の菩薩や、救済すべき衆生の過失を語らない。
③法友の親族の意見をむやみに顧みない。
④悪しき言葉を語らない。」



◎六つの悪からの遠離

 また、同様に深心教戒経には、こう説かれている。

「初心の菩薩は、菩薩の智慧の力を得て、利得と供養と名声から遠く離れるべし。初心の菩薩が名声と利得を得ることは、過失である。
 また、現世的な交際の喜び、現世的な会話の喜び、睡眠、現世的な事業、現世的な戯論などから、常に遠く離れるべし、それらはすべて、過失だからである。」


①利得と供養と名声からの遠離

「偉大なる菩薩が、利得と供養と名声を得るならば、愛著が発生し、正念が破壊されると観察すべし。
 得ることと得ないことにおいて、良し悪しを思うなかれ。
 また、利得と供養と名声は、迷妄の闇を起こし、物惜しみの心を生じ、ごまかしの心を発生し、慚愧の心はなくなると、観察すべし。
 利得と供養と名声を得ると、もろもろの慢心が起き、尊き師を軽く見るようになる。これはマーラの罠である。彼は怠惰になり、善根は破壊される。
 また、名声や利得を得ると、法友の親族の意見をむやみに顧みるようになり、煩悩に心覆われ、愛欲の対象に心は向かい、苦悩は多くなる。
 また、利得と供養と名声を得ると、四念処を失い、白き法は減少し、四つの正しい努力は壊れ、神通は破壊され、善人から離れて悪友に近づくようになり、常に親族と会合するようになり、瞑想から離れ、大地獄、魔界、動物などに生まれる。
 利得と供養と名声は、このようなものであると、菩薩は常に観察すべきである。
 このように観察するならば、過失はなく、ただ仏法を楽しみ、人間や神として生まれ、恐怖なきことを得る。
 菩薩は深い心をもって、少欲であるべし。少欲を楽しむ者は、一切の利得と供養と名声を断ずる。」


②現世的な交際の喜びからの遠離

 現世的な交際の喜びについては、こう説かれている。

「愛著の毒と迷妄の過失を遠離し、現世的な交際の喜びに住しない者は、心を一筋にして、解脱する事が出来る。
 慢心、くだらない笑い、口論、これらすべては、現世的な交際から生ずる。現世的な交際から生活は堕落し、過失が生ずる。
 世俗の言葉を楽しむ愚か者は、堅固とならない。
 もし出家修行者が、真理にそぐわない言葉を聞き、それを楽しみ、常にそれを求めるならば、過失が生じる。ゆえに、真理にそぐわない言葉を捨て、常に法楽を知れ。
 覚醒を求めて千度もその身を捨て、法を聞いて飽きることなかれ。
 たとえ極めて疲弊しているときでも、法を聞くことによって、一切の真理にそぐわない言葉から遠く離れよ。
 最上の法楽において、これこそ得難いことだという思いを生じさせ、無量カルパでも山林で修行するという決意を持つべし。利益の少ないことを求めることなかれ。
 また、自己は最上殊勝なる者であるという慢心を持つなかれ。そのような慢心は、もろもろの怠惰のもとである。」


③現世的な会話の喜びからの遠離

 現世的な会話の喜びについては、こう説かれている。

「現世的な会話により、頑固になり、正念と正智は失われ、愚鈍になり、師や法を尊重しなくなり、闘争を起こすようになる。
 現世的な会話により、名声を競い、瞑想から極めて遠ざかり、心身の軽安は得られない。
 現世的な会話により、愚者は善き心から堕落し、粗暴にして不親切な心となり、寂静と正観の瞑想から離れる。
 現世的な会話により、師を尊重しなくなり、世俗的な言葉を楽しみ、非真実に住し、智慧少なくなる。
 現世的な会話により、賢者たちに非難され、彼の人生は無意味なものとなる。
 現世的な会話を楽しんでいた愚者が死ぬときには、『私は何一つ達成しなかった。今、何をなすことができるだろうか』と嘆き、激痛と苦しみの淵に落ちていく。
 現世的な会話により、彼は偽善者となり、軽薄にして希望なく、くだらない論議にふけり、正法から遠く離れる。
 現世的な会話により、称賛されれば喜んで心の安定を欠き、非難されれば委縮する。猿のように心は常に動くようになる。
 長時間にわたって現世的な会話を喜ぶならば、修行の喜びも、心の本性の幸福も分からなくなる。よって現世的な会話を捨て、最上なる真理の言葉を思惟し、無限の喜びを得るべし。
 現世的な会話の喜びは、サツマイモや果物の皮のように、苦く不利益なものである。
 真理を思惟することは、その中身のように、滋味があり利益あるものである。
 故に、現世的な会話の喜びを捨て、無限の喜びを生じさせる真理を思うべし。」



④睡眠からの遠離

 睡眠への耽溺については、こう説かれている。

「もし愚鈍や睡眠を楽しめば、多くの悪しき見解が生まれる。彼は悪しき見解を得、疑念が生じ、大迷妄の網が増大する。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、智慧は弱く、悟りは常に減少する。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、真理に反する欲を楽しみ、善なる心が増大することはなく、法楽を得ることはできない。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、善への決意は減少し、白法の功徳は壊れ、あまねくもろもろの暗闇に落ちる。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、常に怠惰な心を生じ、身体は重くなる。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、自分が怠惰であることを知るが故に、精進する他者をねたみ、自分の精進はより少なくなる。
 もし愚鈍や睡眠への執着を捨て、もろもろの苦しみの闇を取り除くならば、罪の根本を離れ、常に優れた精進を行ない、もろもろのブッダに称賛される。」



⑤現世的な事業からの遠離

 現世的な事業については、こう説かれている。

「現世的な事業に執着する者は、師の教戒を悪しき言葉であると言い、速やかに戒を破る。
 現世的な事業に執着する者は、現世的な事業のことが常に頭から離れないが故に、瞑想に入れない。
 現世的な事業に執着する者は、現世的な愛著・貪りの心は増大し、さまざまな現世的快楽に執着し、下劣となることはとどまることを知らない。
 現世的な事業に執着する者は、昼も夜も、もろもろの功徳を積むことを楽しまず、ただ良い衣服や食物や利得を猛烈に求める。
 真理の言葉を求めず、ただ悪に順じ、世俗の所作を問う。」

「智慧の少ない菩薩は、このように最上の法を捨てることにより、優れた智慧を減少させ、下劣なることをなす。
 また智慧の少ない菩薩は、如来の教えにおいてすでに出家しているのに、瞑想も、正しい精進もなく、教えを多く学ぶこともなく、決意も抱かない。
 そしてこのような智慧の少ない菩薩は、世俗の財を求め、真理の財から遠く離れる。
 たとえ彼が、世界中を満たすほどの世俗の財産を得たとしても、もろもろのブッダたちは彼を称賛することはない。
 故に菩薩は、優れた智慧を求めて常に精進すべし。」




⑥現世的な戯論からの遠離

 現世的な戯論については、こう説かれている。

「現世的な戯論にふける者は、来世、真理に出会うことができない。また、速やかに真理を悟ることができない。
 よって智者はもろもろの戯論を離れる。
 もしそこで無用の戯論や論争が行なわれているのを見たならば、そこにとどまらず、むしろひとりで一晩中でも歩くべし。煩悩や戯論が行なわれているところには、一瞬たりとも宿泊も休憩もするべからず。
 出家した者は、論争をなすなかれ。悪心あることなかれ。耕作や商業を営むことなかれ。そこから現世的な戯論が生ずる。
 出家した者は、信に従い、寂静であり、極めて寂静であるべし。そして戯論を離れて智慧を得るべし。
 戯論から遠く離れない者は、悪心が増大し、地獄や動物界や魔界に落ちる。ゆえに精進して戯論を離れ、智慧を得るべし。
 この修習によって智慧を得、魔の力を破れ。」


 これらの難を離れることを総じて、こう説かれている。

「このゆえに、菩薩乗を歩む善き男性または善き女性は、現世的な会合を願うことなかれ。森林に住んで修行し、己の非を顧み、他者の過失を探すべからず。黙然として智慧の完成の行を行なえ。」



 
◎意義ある努力


 先に、

 「自己の身口意の行ないを正しく守れば、もろもろの難を離れることができる。正法を守る修行者は、正しく思惟し、他人を害することなく、もろもろの難を離れる。
 いかにして安全を得るかというと、無益な努力を離れることによるのである。」

と説いたが、無益な努力を離れ、意義ある努力をするとはどういうことか。法集経には、こう説かれている。

「菩薩の身口意の行為は、ただすべての衆生を利するために、ただすべての衆生への大悲に基づいて、ただすべての衆生を安穏に導くために、なされるべきである。このように深き心を思惟し、何かを思うときも、語るときも、行為するときも、常に平等心を持ち、すべての衆生に真の安らぎを得させるためにのみ行動すべし。
 また、菩薩は五感と意識、そしてその対象を空なりと観て、それらへの欲望を捨てるべし。」


 また、アーカーシャガルバ・スートラ(虚空蔵経)には、こう説かれている。

「たとえば壁に隙間があればそこに音が入るがごとく、もし菩薩の心に隙があれば、そこから魔が入ってくる。故に菩薩は常に自己の心に隙がないようにすべし。もし心に隙がなければ、もろもろの修行は完成され、また空の智慧も完成する。」



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3 弓のアーサナ

2009-10-30 10:13:27 | シャンバラ・ヨーガ 修行体系奥儀 入門編

3 弓のアーサナ





①うつぶせになり、膝を曲げて、両手でそれぞれの足首をつかむ。

②息を吸いながら、腕で足首を引き寄せ、静かに体全体を反らせていき、それに従って全身は、上向きの弓なりのカーブを作っていく。

③普通呼吸または息を止めて、5~20秒ほど姿勢を保つ。

④息を吐きながら体を床に下ろす。



☆弓のアーサナの効果

①胸郭を広げる。
②背骨が強化される。
③猫背の予防と防止になる。
④脊椎がしなやかになる。
⑤副腎・膵臓・甲状腺に良い影響を与え、倦怠、肥満、リウマチ、糖尿病に良い影響を与える。
⑥肝臓・腎臓の血行が良くなり、消火器の働きも盛んになる。
⑦脂肪が取れ、容姿が美しくなる。
⑧肩、手足、腿の筋肉や神経の働きがよくなる。
⑨お腹のガスが取り除かれ、便秘や消化不良が解消される。


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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(17)「菩薩の邪魔をする罪」

2009-10-30 09:49:00 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎菩薩の邪魔をする罪


 プラシャンタ・ヴィンシュチャヤプラーティハーリヤ・スートラ(寂静決定神変経)には、次のように説かれている。

「もしここに人がいて、人間界の一切の衆生の財産を奪い、命を断ったとする。
 しかしそれよりも、菩薩に菩提心を捨てさせることの方が、はるかに罪は大きい。
 なぜならば、菩薩に菩提心を捨てさせたことによって、未来際における一人のブッダの出現の邪魔をしたことになるからである。」

「もし、せっかく人間として生まれたのに、不誠実な言葉を語り、誹謗を楽しみ、乱暴な言葉を言い、嫌悪・怒り・憎しみに満ちて人を悩ますならば、この身が壊れ、命終わった後に、大地獄に落ち、もろもろの苦悩を受ける。もろもろの虫によってその身を食われ、蛇によって頭を食われ、火によって焼かれる。
 永い間その地獄で苦しんだ後、やっと地獄から解放されるが、次に彼は巨大な毒蛇に生まれ、飢渇に駆られて他の生き物を食うが、全く満足することができない。
 そこから死に、人間に生まれても、盲目に生まれ、智慧がなく、悪心を持って生まれる。聖者や賢者を敬わず、悪しき言葉を浴びせる。そして死後、再び悪趣に落ちる。」

「菩薩が他の菩薩に対して、障害を与えようという思い、あるいは不敬なる思いを持ち、あるいは誹謗するならば、多くのカルパの間、大地獄に落ちる。」



 シュラッダーバラーダーナーヴァターラムドラー・スートラ(信力財入印経)には、次のように説かれている。

「もしここに人があって、すべての世界のすべての衆生たちに対して嫌悪・憎しみ・怒りの思いを持ったならば、闇の中に落ちていくだろう。
 しかしもし菩薩に対して、ほんの一瞬でも嫌悪・憎しみ・怒りの思いを持つならば、その罪は遥かに大きい。
 また、もしここに人があって、人間界の一切の財物を盗んだとしても、菩薩に対して一瞬でも罵倒の言葉を発する事の方が、その罪は遥かに大きい。」

「もしここに人があって、多くのブッダのストゥーパを壊したとしても、大乗を信じる偉大なる菩薩に対して嫌悪・憎しみ・怒りの心を起こし、罵倒・誹謗を加える事の方が、その罪は遥かに大きい。なぜならば、もろもろの菩薩からもろもろのブッダが生まれるからである。ゆえに、もろもろの菩薩を軽蔑することは、もろもろのブッダを軽蔑することになるのである。 
 同様に、もろもろの菩薩を恭敬する者は、もろもろの如来を恭敬したことになる。ゆえに、最上の供養をしたいと思う者は、常に菩薩を供養すべし。すなわちそれはもろもろの如来を供養することであるから。」

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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(16)「愛欲の難」

2009-10-29 16:48:17 | 経典の言葉・聖者の言葉


◎愛欲の難

 もろもろの愛欲は、難である。ゆえに愛欲を離れ、過去の愛欲の行為を懺悔すべきである。

 出家修行者が、異性の歌や踊りを見たり聞いたりして心が正智から離れ、また異性と笑い戯れることによって愛欲が増大し、精を漏らした場合、彼はアグニ・クンダと呼ばれる地獄に落ちる。そこでは焼けた鉄が雨のように降り、体は砕けて微塵となる。また、熱湯が雨のように降り、彼の体は焼かれ、煮られる。
 
 また、過去の愛欲の行為をイメージする出家修行者は、地獄に落ちて煮られ、獄卒に体を刺される。

 「邪悪な愛欲」とは、男同士で愛欲を楽しむことである。そのような愛欲を追求した者は、さまざまなタイプの地獄に落ちる。たとえば彼は死後、地獄の河の中に、素晴らしく美しい男児がいるのを見る。過去の悪業によって彼はその男児に強い愛欲を生じさせる。そして彼がその愛欲によって河に飛び込むと、燃え盛る炎の河によって体を焼かれ、苦しみ続ける。

 「極めて邪悪な愛欲」とは、動物とセックスをすることである。このようにした者は地獄に落ち、牛やシカがいるのを見る。彼はその動物に愛欲を感じ、近づくと、その動物たちが発する炎によって焼かれ、十万年以上も苦しみつづける。

 また次に、戒律を守っている修行者を強姦した者は、大地獄に落ち、これまであげた以上の激しい苦痛を受ける。


 よって、愛欲は難であると知るべきである。カーマーパヴァーダーカ・スートラには、こう説かれている。

「出家修行者は、この道を恐れ、愛欲の心を断つべし。
 この愛欲の道は、極めて険悪である。不善なる人はこの道に親しみ近づくが、もろもろの正しい人はこの道を否定し、遠く離れる。汝もこのように思惟し、ほんの少しといえども、愛欲に愛著することなかれ。世尊は、愛欲による多くの苦しみ、多くの難、および多くの罪けがれを説かれた。
 この愛欲は、もろもろの罪のもとである。愛欲は夢の如し。愛欲は虚妄の法なり。愛欲は死なり。愛欲は空なり。愛欲は無常なり。愛欲は過失なり。誰がこのような愛欲に愛著すべきであるか。
 愛欲は鹿が猟師に縛られる如し。愛欲は魚が漁師にとらえられるが如し。愛欲は蛾が火に飛び込むが如し。
 愛欲をイメージし、求める者は、たとえるならば、暗闇の中でライオンの口の中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。毒蛇の群れの中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。盗賊の中に突っ込みながらそれに気づかない者のようなものである。
 愛欲において慎み、愛欲に親しみ近づくことなかれ。近づくならば地獄に落ちる。
 やめよ、やめよ。常に愛欲の心を断ずべし。」


 最上授所問経には、こう説かれている。

「異性を見たならば、次の三つの思いを起こすべし。
 異性は戒の障害である。
 異性はサマーディの障害である。
 異性は智慧の障害である。」



 チャンドローッタラーダーリカーパリプリッチャー(月上童女所問経)には、次のように説かれている。

「もろもろの人々が愛欲に親しみ近づいているのを見て、月上童女は空中に昇り、人々に言った。
『汝ら、黄金色に輝くわが身体を見よ。心が欲を離れたが故に、このような清浄な身体を得たのである。
 愛欲に耐え、感覚器官を調御し、清らかな禁欲行を修める者は、女性を見てもみな母や妹であると見る。それによって後に端正なる身体を得、人々は彼を見て常に喜ぶようになる。
 私の毛穴から生ずる素晴らしい香りは国中に漂うが、これは愛著を離れた心より生じているのである。
 汝は過去世において、わが父であった。私は過去世において、汝の母であった。お互いにお互いの父母であったことが何度もあるのだ。なにゆえに愛欲を生ずべきか。
 私は過去世において、汝を害したことがあった。汝が私を害したこともあった。お互いに恨みあい、お互いに殺し合ったこともあった。なにゆえに愛欲を生ずべきか。
 愛著の心があると、美しい身体を得ることはできない。愛著があると、悪趣に落ちる。愛著があると輪廻から解放されない。ゆえに愛著を捨てるべし。
 愛欲愛著により、速やかに三悪趣に落ちる。あるいは盲目、聾唖、醜い身体等、世間のもろもろの過患は、愛欲愛著のためである。
 あるいは転輪王、インドラ神、マハーブラフマ神などに至るのは、禁欲をし、広く神聖なる修行を修めるが故である。
 または、愛欲に染まることを願う者は、象、馬、牛、虎、ラクダ、イノシシ、犬などとして生まれる。
 王族、長者等の富者となるのは、広く禁欲行を行なった故である。
 もしくはつながれ、幽閉される難、水難、火難、あるいは目や耳や手足を切られること、奴隷となること、これらは皆、愛欲愛著のためである。』」 



 また、日子王所問経には、次のように説かれている。

「異性を楽しむ迷妄なる者は、もろもろの暗闇に覆われ、魔の境界に住し、死後は悪趣に落ちる。大便に執着する虫の如く、けがれた愛欲に執着してそれを楽だと思う。
 人は、体中の穴から、悪しき臭いの不浄物を流す。愚か者はこのような肉体にとらわれ、肉体のけがれを認識しない。まさにそれは、ハエが不浄物に執着するがごときものである。そして死後は地獄に落ち、もろもろの大苦を受ける。
 異性の身体は、臭いものの中でも、極めて悪臭のものである。ゆえに、そのような下劣なものに対する執着の思いを破れ。」

「愛欲にとりつかれた者は、異性のために所得を求めて働き、疲弊し、出家修行者やブラーフマナに布施をせず、異性に征服されて生きていく。布施や戒やもろもろの善なる修行を修めることはできず、また異性のために罵られ、縛られ、さまざまなひどい目に合うが、心がとらわれているが故に、それらを耐える。
 愛欲を好む者は不浄であり、極悪臭であり、また世間の法においても犯罪を犯す。
 愛欲を求め愛著するもろもろの愚か者は、ブッダの教えを否定し、ブッダの教えから遠く離れ、下劣なる愛欲に親しみ近づき、死後は悪趣に落ちる。
 愛欲に酔い、戒を破り、清らかな生命を破り、もろもろの悪業を作り、死後は悪趣に落ちる。
 もしこの正法においてもろもろの愛欲のデメリットを理解し、怠惰な心を生じさせなければ、常に清らかな天に生まれ、無上の覚醒を得ることも難しくはない。
 この法を聞いたならば、速やかに正しい智慧を得て、出家の法門を悟り、もろもろの愛欲の行為から遠く離れよ。」

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カルマ・ヨーガ

2009-10-29 09:27:18 | 松川先生のお話
そうそうそう。
つまり、哲学的な、無とか空とかの境地にとどまるより、
行動せよ、ということなんだよ。

思考なんかで
思考を超えた境地を想像することはできない。
それは、あちらからやって来るものなんだ。

思考を超えた世界を
思考で想像することはできないが、
思考によっては思考を超えた世界を想像することができないということを
想像することはできる。

よって真の智者は
行動する。

聖典を学び、
聖典通りに
堂々と、男らしく生きる。

四の五の言わずに
理屈をこねずに
なすべきことを、なす。

神に誠実に
師に誠実に
言い訳をせず、全力で行動する。

思考が逃げ道になってはいけない。
思考は、行動を鼓舞するものでなければいけない。
真に誠実に行動しきったとき
真の非活動の意味が、理解できるだろう。

だから、神に与えられたこの貴重な人生を
無駄にせず、恐怖せず、心配せず、後ろを振り返らず、
燃え尽きるまで、戦い続けよう。
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答え

2009-10-29 09:10:13 | 松川先生のお話
海に生じた波を
海が海に返すように

救済者たちは
自分にほかならない苦しむ衆生を
至福の境地へ返す

存在を超えた存在は
あるともないともいえず
始まることも、終わることもなく
維持されているというわけでもない

それでも宇宙は始まり、終わる。

言葉を超えたものから、言葉の世界が生まれ
生まれないものから、生まれるものが生まれる。

いつまで続くのか、このゲームは。
いつかは終わるのか?
もしいつか終わるなら、
これが生じたことに、何か意味はあったのか?

そういった二元的分別から解放されることが
解脱への道。

解脱したらどうなるのか?
その後、何をするのか?
それは、解脱してから考えればいい。

まずは聖典を学び、
菩薩の道を歩こう。
神の道具として生きよう。
幸運なカルマを持った、わが友よ。

なんだ、ああ、そうだったのかと、
言葉を超えた世界から、
答えは、あなたの予想だにしない形で、やってくるだろう。

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今日の聖者の言葉

2009-10-29 08:23:25 | 経典の言葉・聖者の言葉


 世界はただ、偽りの印象の集まりにすぎない。

 あきらめなさい。

 幻を手放しなさい。

 世界を手放しなさい。

 そして自由に生きるのだ。



 ――アヴァドゥータ・ギーター
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瞑想の準備、長い瞑想、非努力

2009-10-26 06:20:39 | 松川先生のお話



 深く瞑想に入るには、長い時間が必要になります。

 しかし最初は、そもそも長く座っても、深く入れず、単に気が散って、瞑想が嫌になってしまうだけなので、最初のうちは、瞑想をしては休み、瞑想をしては休みという感じで、短い瞑想を何度も繰り返すのもいいでしょう。

 しかし徐々に、集中力を増し、長時間の瞑想に入っていかなければなりません。

 たとえば心の湖の、20メートルくらいのところまで、20分かけて入ったとします。その後、瞑想をやめたら、それは湖から陸に上がったようなもので、また瞑想に入り、その20メートルの位置に行くまでは、また20分ほどかけなければなりません。
 20分かけて、休み、また20分かけて、休む。これを繰り返していたら、永遠に、20メートルの位置までしか行けない事になります。だからたまには、長時間の瞑想をする必要があります。あるいは可能なら、常にコンスタントに長時間の瞑想に入れるように訓練していかなければなりません。
 しかし繰り返しますが、無理はしなくていいです。準備ができていないのにただ長く座っても、意味がありません。まず瞑想の準備を整える必要があります。
 それはヨーガ的には、戒を守り、日々執着を弱め、マントラを唱え、聖典を読み、神に祈りをささげ、そして実際にアーサナやプラーナーマで心を安定させ、気の流れを安定させていくなどの方法が推奨されます。

 仏教では、瞑想の障害となる五つの障害要素を取り除くため、その対抗要素をぶつけていく方法などがとられます。
 たとえば執着を弱めるために無常や不浄について考える。
 怒りや憎しみや嫌悪を弱めるために慈悲を瞑想する。
 疑いを乗り越えるために正しい教えを学び、思索する。
 心の退縮や眠気を乗り越えるために、呼吸法、経行などの肉体行や、心を燃えさせる教えについて考えたり、あるいは聖者の伝記を読んだりする。
 未来や過去への期待や興奮や恐怖、後悔などを弱めるために、呼吸法や懺悔、あるいは具体的要因に基づいた対抗となる教えについて学び、考える。
 まあ細かくいえばもっとありますが、こういった感じの対抗策をとっていきます。

 これらによって実際に長く瞑想を続けられるようになり、それらが確定されてくると、次の段階に移行します。
 ワープできるようになるのです(笑)。

 たとえば以前は一時間くらいかかって行けていた、100メートルくらいの心の深さまで、瞬時に、あるいは数分程度で行けるようになります。 
 もちろん、そこから先に行くには、またそれなりの時間が必要になります。しかしその100メートルの深さまでは、努力が要らず、時間がかからずにいけるようになるのです。

 これは瞑想の深さについてのみならず、修行の様々な要素についてもいえます。

 たとえば私は以前、ある程度長く瞑想し、集中が成功すると、強烈な光が現われるようになりました。

 しかしある時期から、努力しなくても、少し瞑想に入っただけで、光の世界に入っていくようになりました。

 さらにある時期からは、瞑想しようとしなくても、何気なく眼をつぶっただけでも、光の世界に入るようになりました(笑)。 

 たとえば夜、暗い部屋の中で、寝ようと思って眼をつぶったとたん、強い光が発生して、電気がついたのかと思って目をあけるとやはり暗闇だった、ということがよくあります(笑)。

 つまり私にとっては、その光の世界に入るというところまでは、努力が要らなくなったのです。

 他の要素についても、ある段階まで達成すると、努力が要らなくなります。

 そういう意味では、修行は、進めば進むほど楽になります。そのある段階までは努力が要らなくなるわけですから。
 その努力が要らない、自然に身についてしまっている状態を、達成、成就、シッディといいます。

 まあ、だから、何でもそうですが、修行も、最初のころが一番大変ですね。修行が進めば進むほど、努力が要らずに使える領域が増えていくので、楽になります。しかしもちろん、そこに安住せず、さらに上を目指して努力をし続けなければいけないのですが、実質的に努力なき達成を土台に努力をするので、それは楽というか、自然に生じる努力ということもできます。

 さて、まあいつものことですが、あまり構成を考えずにつらつらと書いてみました。こういうことは論理的に組み立てて書くよりは、こういう感じで書いたほうが伝わりやすいかと思い、こんな感じで書きました(笑)。
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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(15)「殺生の果報」

2009-10-24 20:24:47 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎殺生の果報


 十の不善業を犯すならば、それは障害であり、極めて苦しい果報が生ずる。
 
 まず殺生を犯して落ちる地獄については、正法念処経に、次のように説かれている。

「アグニシーカーチャラという鳥がやってきて、地獄の住人の頭を破り、その血を飲む。
 次にカパーラーンタラチャラという鳥がやってきて、火炎に燃えるくちばしで、地獄の住人の脳髄を食う。
 次に食舌という鳥がやってきて、地獄の住人の舌を食う。
 また他の多くの鳥がやってきて、地獄の住人の歯を食い、喉を食い、毛を食い、肺を食い、内臓を食い、背骨を食い、性器を食い、骨髄を飲み、爪を食い、筋肉を食い、血管を食い、毛根を食う。
 彼は無間地獄において、このように体中を食われてはまた復活し、また食われる。このような苦しみを十万年も味わいつづける。」

「シュワブラプラパータという地獄では、地獄の住人は救いを求めてさまようが、誰も友はなく、一人で焼かれて苦しむ。
 また次に、炭火の河に入る。そこに足を入れると足は焼かれてなくなり、足を上げるとまた復活する。
 また、カルマの風に吹き飛ばされ、非常に高い場所から落ちて、地に叩きつけられる。そこへ鳥がやってきて、彼の身体を食う。すると彼の体が復活し、またカルマの風に吹き飛ばされ、再び大地に叩きつけられる。このような苦しみを十万年も味わいつづける。」

「また旋輪という地獄では、鋭い刃のついた燃え上がる巨大な車輪が襲ってきて、地獄の住人の身体を切り刻む。
 また、針の道を行き、また虫に体を食われる。
 殺生を犯す者は、このような果報を得る。」



◎偸盗の果報


 偸盗の罪を犯した者は、地獄に落ちて、迷妄によって火炎の中に財宝の幻を見、それを取ろうとすると、地獄の獄卒がやってきて、燃え上がる彼の体を刀で切り刻む。



◎邪淫の果報


 愛欲によって邪淫に耽った者は、悪邪見という地獄に落ちる。彼は彼のカルマの力によって異性の幻を見、その異性を抱きしめると、その異性により唇を噛まれ、また体中を食われる。するとまたその体が復活し、そしてまた食われる。
 性欲は罪の根本である。そのために財産や幸福を失い、死後は地獄に落ちる。性欲を否定して遠く離れる者は、身体が安穏となり、楽を得る。



◎嘘の果報


 嘘をつく者は地獄に落ち、地獄の獄卒が彼を捉え、刀で口を切り裂き、舌を引き出す。悪業の力によって、彼の舌は長く大きくなっている。獄卒はその舌を燃え盛る鉄板で焼き、またその上を地獄の牛たちが踏みつぶし、血が飛び散る。このようにして焼かれ、ずたずたにされた舌が、再び復活し、また同様の責め苦を受ける。彼はこのような苦痛を十万年以上も味わいつづける。
 また、このような苦痛からやっと解放されたと思ったら、今度は獄卒によって、体中を、頭から足の先まで、微塵切りにされる。



◎両舌の果報


 両舌をなす者は、地獄の獄卒に舌を切られ、それをキツネやオオカミなどに食われる。その他は、嘘をついた者と同様の果報を受ける。



◎悪口の果報


 悪口を言う者は地獄に落ち、地獄の獄卒に舌を切られる。そのとき彼は、耐えがたい飢餓感に襲われ、自らの舌を食い、自らの血を飲む。すると再び舌が復活し、同様のことが繰り返される。



◎綺語の果報


 綺語を言う者は地獄に落ち、地獄の獄卒は彼の口を裂き、そこに沸騰した赤銅を注ぐ。それによって彼の舌が焼かれ、喉が焼かれ、心臓が焼かれ、内臓と腸が焼かれ、肛門から出る。



◎物惜しみ・むさぼりの果報


 物惜しみやむさぼりに心覆われた者は地獄に落ち、多くの財宝を持っている者を見る。彼は迷妄なる悪業なるが故に、貪りととらわれのゆえに、手に刀を持って、その財宝を奪おうとする。するとまた別の地獄の住人も、貪りによって刀を持って現われ、その財宝を奪おうとする。こうして地獄の住人同士で殺し合う。
 他人の財産を見て、自分のものにしたいと願う者は、このような果報を受けるのである。



◎怒りの果報


 怒りに心覆われた者は地獄に落ち、彼の前にライオンや蛇や虎が現われる。彼は恐怖によって逃走する。しかし悪しきカルマのゆえに、逃げ切ることはできず、とらえられ、ライオンに頭から食われる。蛇は毒牙でかみつき、虎は彼の背中を食う。火は両足を焼き、地獄の獄卒は鋭い刃物で彼の体を刺す。



◎誤った見解の果報


 誤った見解に陥った者には、無量の苦しみの果報があるが、その中の一つを説くならば、彼は地獄に落ち、刀の雨やダイヤモンドの雹が激しく降り、またさまざまな石なども降り、彼の体を粉々にする。


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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(14)「根本罪のまとめ」

2009-10-23 11:48:11 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎根本罪のまとめ

 
 根本罪について、その意味をよく理解できるように、以下に「サングラハ・カーリカー」の11の詩を説く。

1.三宝の所有物を盗むことをはじめ、ブッダが重罪と説いた罪を、正法を排する者は犯す。

2.たとえ破戒した出家修行者といえども、彼に乱暴な言葉を言ったり、彼の袈裟を盗んだり、獄につないだり、あるいは還俗させたりした者は、罪となる。

3.五逆の罪を犯すこと、誤った見解にとらわれること、および村や町を破壊すること、これを根本罪という。

4.空性を悟っていないのに空性について論議する。仏道の中にありながら、正覚の道を修習しない。これを根本罪という。

5.基本的な戒律を捨てて、大乗の果報を得たいと願う。また、他者の愛著やとらわれを断じさせない。これを根本罪という。

6.他者を批判しつつ、自分の徳を称賛する。あるいは現世に執着し、称賛を求めるが故に、他人を害する。これを根本罪という。

7.あるいはまた、迷妄なるが故に、自分は深遠なる智慧を得たと吹聴する。あるいは出家修行者に罰を与える。これを根本罪という。

8.これらの根本罪にとらわれることによって、寂静の瞑想を捨てる。これを根本罪という。

9.菩提心を捨てること、乞食者が来ても施さないこと、これを根本罪という。

10.清浄一心なる者を恭敬せず、愛欲に染められた心によって正法を誹謗する。これを根本罪という。

11.これらの根本罪を犯すならば、大地獄に落ちる。ゆえにアーカーシャガルバやブッダの御前にて、懺悔をすべし。




◎四つの悪法



 プラヴラジャーンタラーヤ・スートラ(出家障害経)には、このように説かれている。

「在家者にして、次の四つの悪法を行なう者は、盲目、聾唖、または奴隷として生まれ、常に他者を誹謗し、全く楽しみのない人生を送る者となる。あるいはラクダ、イノシシ、犬、毒蛇などとして生まれる。その四つとは何か。

①ブッダの法において、衆生が、輪廻の束縛から自らを解放したいと思い、出家したいと思い、聖なる道を歩みたいと思っているのに、それを邪魔すること。

②財産に愛著し、親族に愛著し、カルマの法則を信じず、親族が出家したいと願っているのにそれを邪魔すること。

③正法を誹謗すること。

④出家修行者を害すること。」

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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(13)「罪悪と浄化」

2009-10-23 11:01:15 | 経典の言葉・聖者の言葉

第四章 罪悪と浄化




◎根本罪

 また経典には、大いなる罪悪について説かれている。アーカーシャガルバ・スートラには次のように説かれている。

「王よ、あなたが根本罪を犯すならば一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界等の一切の楽から遠ざかる。根本罪とは何か。

 真理の法を誹謗し、隠ぺいすること、これは根本罪である。

 出家修行者を還俗させること、あるいは出家修行者を殴打し、牢屋に入れ、あるいは殺すこと、これは根本罪である。

 父母を殺すこと、解脱者を殺すこと、出家修行者教団を分裂させること、悪心をもってブッダの体から血を流すこと、これらは無間地獄に落ちるといわれる根本罪である。
 
 カルマの法則などないと言って来世を恐れず、自ら十悪を行じ、あるいは他人にそのように説いて人々に十悪を行なわせること、これは根本罪である。」



◎初心の菩薩の八つの根本罪

「また次に、大乗の菩薩道に入ったばかりの菩薩には、八つの根本罪がある。
 もし菩薩がこれらの根本罪を犯すならば、一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界の楽や菩薩の楽から遠ざかり、長い間、輪廻の中で素晴らしい師に出会うこともできなくなる。八つの根本罪とは何か。


◎初心の菩薩の第一の根本罪

 ある衆生が悪しき時代に生まれ、わずかな善根によって素晴らしい師に親しみ近づき、深遠なる大乗の法を聞くことができ、浅い智慧ながらも菩提心を発する。そして深遠なる「一切は空である」と説く経典を読む。しかし彼は智慧が浅いので、その深遠なる教えを、相手をわきまえずに広く説いてしまう。凡夫や外道たちはその教えを聞いて心に恐怖を生じさせる。それによって彼らは菩提心を捨て、小乗の道に入る。これが初心の菩薩の第一の根本罪である。
 この罪を犯すならば、一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界の楽や菩薩の楽から遠ざかり、菩提心も壊れる。ゆえに菩薩は、他の衆生の心の深さ、志や願望に応じて、相手に合った法から段階的に法を説くべきである。


◎初心の菩薩の第二の根本罪

 また次に、初心の菩薩がこのような言葉を言ったとする。
『汝は六つのパーラミターの行を修習することはできない。また無上の最正覚を得ることはできない。ゆえに汝は小乗の道に進むべし。汝は小乗の道によって、速やかに生死輪廻から解脱せよ。』
 このように言うならば、一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界の楽や菩薩の楽から遠ざかり、菩提心も壊れる。これが初心の菩薩の第二の根本罪である。


◎初心の菩薩の第三の根本罪
 
 また次に、初心の菩薩がこのような言葉を言ったとする。
『汝はなぜ、プラーティモークシャや、原始仏教の戒や律を守っているのか。そんなものに意味はない。ただ菩提心を発して、大乗の経典を読むべし。これによって身口意の煩悩や悪業はあまねく清浄になるのだ。』
 このように言うならば、一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界の楽や菩薩の楽から遠ざかり、菩提心も壊れる。これが初心の菩薩の第三の根本罪である。


◎初心の菩薩の第四の根本罪
 
 また次に、初心の菩薩がこのような言葉を言ったとする。
『声聞乗の法を聞いたり読んだりすることをやめ、また他者にも声聞乗の教えを説いてはいけない。なぜならば声聞乗においては果報を得ることはできず、煩悩を断ずることはできないからである。
 故に、大乗の経典を信じ、学び、読み、他者のために大乗の法を説くべし。これによって一切の悪道のカルマを取り除き、速やかに無上の最正覚を得ることができる。』
 このように言うならば、一切の善根は滅し、悪趣に落ち、天界の楽や菩薩の楽から遠ざかり、菩提心も壊れる。また、これを聞いた者がそのような見解に陥るならば、説いた者も聞いた者もともに罪を得る。これが初心の菩薩の第四の根本罪である。



◎初心の菩薩の第五の根本罪
 
 また次に、初心の菩薩が、利得と供養を得たいがために、大乗経典を広大に称賛し読誦し、他者にその意味を解説する。そして『われは大乗を修する者なり』と言い、他者が利得を得るのを見て嫉妬を抱き、また他者が所得を得るのを見て誹謗し、軽蔑し、侮蔑する。嫉妬心によって自らの身を高く見せ、『われは最上の法を得た。大乗の素晴らしい至福を獲得した』と吹聴する。
 このような人は大重罪を積むこととなり、悪道に向かい、すぐれた世界から落っこちる。
 たとえばそれは、宝の島に到達したいと思い、船を使って大海に出航したが、自らその船を壊し、命を失うようなものである。大乗の海に出向しても、嫉妬のゆえに嘘のカルマを作り、信という船を自ら破壊し、智慧という命を失うのである。
 この初心の菩薩のような愚かで子供じみたもろもろの劣った菩薩は、嫉妬によってこのような大重罪を作るのである。これが初心の菩薩の第五の根本罪である。





◎初心の菩薩の第六の根本罪
 
 また次に、初心の菩薩が、深遠なる空の教えなどを説く大乗の経典を、広く人のために説く。そしてそしてこのように言ったとする。
『われは自ら悟ったことを、慈悲によって汝のために説く。常にこれを修習すべし。汝もまた私のように、この深遠なる法を悟るべし』
と。彼は実にこのように説くが、利得と供養を求めるが故に、自分が得ていない深遠な悟りを『得ていない』とは説かない。そして、『私は過去・現在・未来のブッダの悟りを得た。どのような菩薩も聖者も、われに勝る者はない』と嘘をつき、大重罪を積む。すなわちこれによりもろもろの神や人々を騙すことになるため、このような人は声聞乗においてすら悟りを得ることはできない。いわんや大乗の悟り、および無上の最正覚を得るにおいておや。
 たとえばそれは、飢餓に迫られて飲食物を探している者が、色・香り・美味などをみな具足した果実を捨て、自ら毒の樹の下に赴き、毒の果実を食い、即死するようなものである。人身を得、素晴らしい師をよりどころとして大乗の法に出会ったにも関わらず、利得と供養をむさぼるが故に、己の徳を宣伝し、他人を批判する。そのようにして大重罪を得、悪道に赴くのである。
 このような人は、一切の智者が捨て去る悪友であるがゆえに、皆、親しみ近づいてはならない。
 これが初心の菩薩の第六の根本罪である。





◎初心の菩薩の第七の根本罪
 

 また次に、国王に教えを説く師の役割をする初心の菩薩がおり、彼は愚かなるがゆえに、自ら明智を得たと言い、慢心に陥る。大財宝を得て、それによって布施等を行なうが、それにより一層慢心を増大させ、国王に向かって出家修行者の過ちを報告する。そして王の力を借りてもろもろの出家修行者を非合理にとらえ、罰を与える。さらにはもろもろの出家修行者に対して破戒を勧める。
 これが初心の菩薩の第七の根本罪である。



◎初心の菩薩の第八の根本罪

 また次に、国王に教えを説く師の役割をする初心の菩薩がおり、彼は王や大臣に対して自らに恭敬供養をさせ、またもろもろの出家修行者たちのもろもろの過失を説いて、王の力を借りて出家修行者たちにもろもろの制限を設け、また出家修行者のために用意されたもろもろの布施物を横取りする。
 また彼は、出家修行者に誤った教えを説く。すなわち、彼は非法を法なりと説き、法を非法なりと説き、もろもろの三蔵経典を捨て、ウパデーシャをよりどころとせず、プラジュニャー・パーラミターその他の経典を捨てる。この教えを受けた出家修行者は、心が極めて散漫となり、智慧が断たれる。すなわち、シャマタとヴィパシャナーを捨て、修行以外のことを多く行なうようになり、所得が増大する。彼は煩悩を征服することがない。彼は多くの過ちを犯し、出家修行者といえないにも関わらず自らを出家修行者といい、また禁欲をしていないのに自らを禁欲行者という。
 この初心の菩薩も、その影響を受けたこの出家修行者も、ともに重罪を得る。
 なぜならば、本来、出家修行者は善き福田であり、在家の信者たちのよりどころであり、サマーディやもろもろの智慧を獲得することができる器であり、世界の光明となり正道を開示し、カルマと煩悩の世界からもろもろの衆生をニルヴァーナに向かわせることができる者である。そのような出家修行者をそのように堕落させた者も、堕落した者も、ともに重罪となるのである。
 これが初心の菩薩の第八の根本罪である。」




◎罪を浄化する方法

 これらの罪より脱却する方法は、同じくアーカーシャガルバ・スートラに、次のように説かれている。

「もしもろもろの菩薩が、アーカーシャガルバ(虚空蔵菩薩)の名前を聞き、疑念なく、アーカーシャガルバを見神したいと欲するならば、悪道に堕することを恐れて、過去に積んだ重罪を懺悔し、アーカーシャガルバの名前を唱え、恭敬し、礼拝する。
 するとその人の前には善き師が現われる。あるいはその本性をあらわし、あるいはブラフマ神の姿で、あるいは普通の人間の姿をしてあらわれ、初心の菩薩が犯した罪をあまねくみな懺悔させ、深遠なる大乗の行を説き、不退転の境地に住せしめる。

 もしそのような善き師が現われなかった場合、東方のアルナ天に向かって香を焚き、次のように言うべし。
『大慈悲あり、大威徳をそなえ、ジャンブ州を照らし、衆生を哀れむアルナ天よ。速やかにアーカーシャガルバを勧請し、大慈悲によってわれを悟りに導きたまえ。夢の中において、私が犯した罪の果報をあらわしたまえ。われに懺悔と聖なる大乗の智慧方便を与えたまえ。』
と。するとかのアルナ天がアーカーシャガルバとともにやってきて、彼の夢の中にあらわれ、彼の重罪を懺悔させ、大乗の智慧と方便を与える。こうしてこの初心の菩薩はサマーディと菩提心を守り、これによって大乗に堅固に住することができる。」


 また、同じアーカーシャガルバ・スートラには、マントラによる罪の浄化法も説いている。寂静の地において香を焚き、十方にあまねく礼拝し、合掌して、以下のマントラを唱える。


 タディヤター スムリシャ スムリシャ カールニカ 
 チャラトゥ チャラトゥ ヴィチャラ 
 サンチャラ カールニカ 
 ムララ ムラヴァ 
 ヴェーガダーリ ナムチャメー ブジャヤタ カールニカ 
 チンターマニ プーラヤ カールニカサルヴァーシャーン メー 
 スターパヤ アージュニャーダーリー
 スプグ スプグ ラティヴィヴェーカグ ドリシュティヴィヴェーカグ 
 プーラヤ カールニカ プーラヤントゥ ママーシャーン サルヴァター
 チャショーカガティ チャショーカガティ スワーハー


 また、ふだんから戒を守っている者、過失のない者は、繰り返し師やブッダの名を唱えることで、自己を常に反省し、悪を犯すことに対して恐れを生じ、もろもろの悪業を滅することができる。

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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(12)「菩提心を失う難」

2009-10-22 19:17:31 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎菩提心を失う難


 菩提心を失うという難については、ラトナクータ(宝積経)にこう説かれている。

「もし菩薩が、次の四つの法を成就するならば、菩提心を失うことになる。
 1.師を尊重せず、師を欺く。
 2.他者に、真理に対する疑いや後悔の心を生じさせる。
 3.菩薩の道を歩く者を称賛せず、罵倒する。
 4.他者とともに何かを行なうとき、欺きの心があり、正直・誠実さがない。

 また、もし菩薩が、次の四つの法を成就するならば、さまざまな世界に生まれても、菩提心から離れることがない。
 1.たとえ命を失おうとも、正しくないことを語らず、正しくないものに親しみ近づかず、こびへつらって笑ったり戯れたりしない。
 2.他者とともに何かを行なうとき、欺きの心がなく、正直・誠実さをもって行なう。
 3.師の名前をたてまつり、いたるところで師の名前を称賛する。
 4.衆生を救済し、無上の最正覚に導く。」


 獅子王所問経には、こう説かれている。

「もしここに菩薩があって、常に精進して法施を行ない、常に法施を念じ、夢の中においても菩提心を捨てない。いわんや目覚めているときにおいておや。そして村や町などに行ってもこの心を捨てず、ただ衆生を教化して悟らせることだけを考える。このような菩薩は、最も早く、もろもろのブッダの集会の中に入ることができるであろう。」




◎怠惰の難

 元気・気力・努力・精進がないのもまた難である。これを解決するには、宝雲経にこう説かれている。

「菩薩は次のような心を発する。
『我が精進は弱く、下劣で怠惰なるがゆえに菩提行を修習することは難しい。しかし私は無量のカルパの間、このような怠惰な状態を続けてきた。今こそ、このような重荷を捨てて、頭に火がついた男がすべてを捨てて全力でその火を消そうとするように、そのような精進をもって菩薩行を行なおう。
 過去・現在・未来の如来・最正覚者たちは皆、このように精進修行して最正覚を得たのである。正覚は簡単に得られるものではない。私も今から多くのカルパをかけてダルマを守り、すべての衆生のために精進し続け、無上の最正覚を得よう。』」



◎法を説く対象を誤る難

 ラトナクータ(宝積経)には、こう説かれている。

「未成熟の衆生に対して究極の意味の真理を説くならば、これは菩薩の過ちである。
 法の器でない衆生に対してもろもろのブッダの深遠なる素晴らしい法を説くならば、これは菩薩の過ちである。
 広大なる信をもつ衆生に対して小乗の教えを説くならば、これは菩薩の過ちである。」



◎不信の難

 信がないこともまた難である。ラーシュトラパーラ・スートラには、こう説かれている。

「ブッダのダルマを信じず、カルマの法則を信じず、それゆえに多くの過失を犯す者は、死後、人間に生まれたとしても迷妄なる者となり、のちには地獄・動物・餓鬼に落ちて苦しみを受ける。」

 これを逃れるためには、ラトナクータにこう説かれている。

「もし人が、深遠なる法を理解することができなかったとしても、その法を誹謗してはならない。
『私はまだ深遠なる法を理解することができない。しかし私はもろもろのブッダの悟りを信じる』と考えるべきである。如来は、そのような衆生のために正法を説いてくださる。」




◎精進奉仕


 善の精進を行なって、これまでにあげたような難を捨てるべきである。

 ボーディサットヴァ・プラーティモークシャには、こう説かれている。

「常にブッダを供養し、素晴らしき法を学び、精進を行なえ。」

 ラトナラーシ・スートラには、こう説かれている。

「精進に励む修行者は、もろもろの修行者の中にあって、常にこの精進の心を護持すべし。あらゆる行為において、誰にもその場所を譲ってはならない。たとえば出家して寺院などに入ると、召使が彼の身の周りの用事をさまざまにしてくれたりするが、そのように他者を使役してはならない。
 もし托鉢修行者を見たならば、飲食・衣服・寝具・薬などを布施すべし。
 ヨーガの師の前では、傲慢になってはいけない。ヨーガの師の近くに住み、身の回りの世話をし、素晴らしい飲食物などを供養すべし。
 また、精進に励む修行者は、いかなるものにも所有意識を持たず、また粗末な衣服を着るべし。きらびやかな僧衣などを着てはいけない。如来は出家修行者には、ぼろ布を縫い合わせた衣を着るように定められた。もしこの如来の指示に反し、きらびやかな衣服を着ることに執着するようならば、むしろ雨風の中でも何も着ない方がよい。」




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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(11)「魔事の難」

2009-10-22 10:22:37 | 経典の言葉・聖者の言葉

◎魔事の難
 

 また、いわゆる魔事による難について、プラジュニャー・パーラミター(般若経)には、こう説かれている。

「菩薩が智慧のパーラミターを修習するとき、悪魔は大勢力を起こす。」

「偉大なる魂である菩薩が智慧のパーラミターを修習するとき、悪魔が菩薩のところへやってきて、心を乱し、恐ろしい現象を起こす。雷を落として世界を焼き、菩薩を恐怖させ、無上の最正覚を得ようという気持ちを、菩薩の心から失わせようとする。

 また、魔に襲われた者は、人に法を説くことを楽しまなくなり、心乱れて、くだらない冗談などで笑い転げるようになる。

 また、魔に襲われた者は、住居・町・父母・友人・従者・親族・衣服・財物等に強く執着し、思念し、求めるようになる。

 また、魔に襲われた者は、自らの師の教えを喜ばず、よそに行って別の者の教えを聞く。

 これらのごとき一切を、魔事という。」





 また、アーカーシャガルバ・スートラには、こう説かれている。

「自ら願って十悪を犯し、善法を捨てること、それら一切を魔事という。」


 アーリヤサーガラマティ・スートラには、こう説かれている。

「菩薩が閑寂なる地に住し、世俗を離れて出家し、少欲知足にして清浄なる日々を送るが、多くの教えを求めず、衆生を救済しない。ただ独居を楽とし、煩悩を行なうことはないが、徳を積もうともしない。ただ自己の煩悩を抑制することのみに満足し、利他行を行じない。世尊はこれを、菩薩が陥る魔事と説かれた。」

「菩薩が悪友に親しみ近づいたり、あるいは悪しき師に帰依したりすると、菩薩はその悪友や悪しき師と同じようになってしまう。彼は布施をせず、慈愛の言葉を語らず、衆生を利する行を行なわず、徳を積まず、正法を守らない。ただ少欲知足のみを修め、小乗の教えを説く。このような菩薩は、いくら寂静の地において修行に精進したとしても、覚醒の果報を得ることはない。世尊はこれを、菩薩が陥る魔事と説かれた。」

「もしある菩薩が魔の釣り針に引っかかってしまうと、彼は小乗の教えをよりどころとし、小乗の教えを修習し、混迷に陥る。これも菩薩が陥る魔事である。」


 このように、勇猛なる菩薩行を始めたが、その勇気の乏しさによって、菩薩の性格がいたるところで誤った方向に形成せられる。
 菩薩が常に身においても心においても怠惰でなく、勇猛精進するならば、これを菩薩の精進の完成と呼ぶ。しかしそこで怠惰が生じ、脅えが生じ、心の弱さが生じることで、なかなか菩薩の信や難行苦行が成熟されない。こうして怠惰に襲われた菩薩は、菩提心の種子を損なってしまう。


 宝雲経には、こう説かれている。

「もろもろの魔事を離れ、善を壊さないようにするためには、どうすればよいのか。
 まず菩薩は、一切の時において、すべての悪友から遠く離れるべし。
 修行者にふさわしくない場所に行くこと、世俗の会話をすること、悪友に親しみ近づくこと、悪友を供養すること、悪友を恭敬すること、こういったことから、一切の時において、あまねく遠く離れるべし。
 また、もし微細なる煩悩において菩薩道に障害が生じたときには、その対抗治療法をよく学び、それによって微細なる煩悩からも遠く離れるべし。」
 
 同じく宝雲経に、悪友の特徴についてこう説かれている。

「正しい戒を破る者は、悪友である。常に遠く離れるべし。
 同様に、正しい見解、正しい行ない、正しい生き方を破る者からは、あまねく皆、遠く離れるべし。
 嫌悪に満ちた者、怠惰なる者、輪廻に愛著する者、菩薩道にそむく者、家や親族に執着する者、常にこれらのすべての悪友から遠く離れるべし。
 しかし、これらの悪友から遠く離れるといっても、彼らに対して悪心や害心を起こしてはならない。」


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11~12月の出張ヨーガ講習会

2009-10-20 18:05:56 | お知らせ


 以下の日程で、出張ヨーガ講習会を開催いたします。


 参加希望の方は、お早めにメールでご連絡ください。

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ※神奈川・東京・札幌の方は、教室がありますので、そちらにお越しください。詳細はメールでお問い合わせください。




11月1日(日)13:30~16:30
☆場所:京の山杣人工房「空」
JR京都駅から徒歩5分 下京区総合庁舎となり
http://somabitoqo.exblog.jp/i11


11月3日(祝)12:30~15:30
☆場所:仙台・スタジオカラコル
JR仙台駅から徒歩10分
http://www.chiaki-walk.com/caracol.html


11月15日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/


12月20日(日)15:00~18:00
☆場所:名古屋・亜細亜大陸アカデミー
地下鉄矢場町駅から徒歩3分
http://ajiatairiku-academy.com/asia/access.html


12月27日(日)13:30~16:30
☆場所:大阪・難波市民学習センター
JR難波駅の上
http://osakademanabu.com/namba/




☆詳細-----------------------------------------------------------------------------------



☆参加費:3000円

☆内容:クンダリニー・ヨーガ、ハタ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどの各種行法実践と講義。
    初心者の方でも問題ありません。お気軽にご参加ください。

☆定員:3名~20名
    ※参加希望者が定員に達しなかった場合、中止になる場合もありますので、ご了承ください。

☆予定しているメニュー:アーサナ(気を調える体操)
            気功(気を充実させる内気功)
            プラーナ―ヤーマ(各種の呼吸法)
            ムドラー(覚醒の技法)
            マントラ
            瞑想
            講義
 
☆持ち物:動きやすい服装
     ヨガマット、または大きめのバスタオルなど(床に横になるときに下に敷けるもの)。

☆申込先:私宛に直接、メールでお申し込みください。



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2 ラクダのアーサナ

2009-10-17 20:43:24 | シャンバラ・ヨーガ 修行体系奥儀 入門編


2 ラクダのアーサナ




①床に膝立ちをする。このとき、反りが苦手な人は、かかとを立ててもよい。

②息を吸いながら身体を後ろに倒して、足首、かかと、足の裏のどこかをつかむ。腰を突き出し、顎を反らせる。両鼻で普通呼吸をするか、または息を止めて、この姿勢を保つ。

③息を吐きながら上体を起こす。


☆ラクダのアーサナの効果

①首の筋肉を強化する。
②副腎・膵臓・甲状腺に良い影響を与え、倦怠、肥満、リウマチ、糖尿病に良い効果がある。
③胸部の肋骨が強化される。
④胸郭が十分に開かれ、胸が素晴らしく発達する。
⑤猫背の予防と治療になる。
⑥背骨が強化される。
⑦胴周りの脂肪をとる。
⑧胃腸の消化作用を促進させ、各種の胃腸の病を治す。
⑨容姿が美しくなる。
⑩ヴァータ・カパ・ピッタが調和する。
⑪脊椎がしなやかになる。
⑫肝臓・腎臓の血行が良くなり、消火器の働きも盛んになる。
⑬肩、手足、腿の筋肉や神経の働きがよくなる。
⑭お腹のガスが取り除かれ、便秘や消化不良が解消される。


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